南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

ピンクのうさぎ国際シンポジウム

2007-10-28 00:49:46 | Weblog
日本ではNOVAが大変な事態になっていますが、ピンクのうさぎ
をキャラクターにしているのは、アメリカでは、電池のエネジャ
イザー(ENERGIZER)、欧州では電池のデュラセル(DURACELL)が
先輩です。エネジャイザーもデュラセルもともに電池のブランド。
どっちもピンクのうさぎを使って広告をしています。デュラセル
のほうが先だったようですが、1989年からアメリカのエネジャイ
ザーが使いだしたサングラスをかけて大きな太鼓をかついだ
キャラクターが広告で大成功を納め、それ以来、アメリカでは、
ピンクのバニー(うさぎ)と言えばエネジャイザーとなってしまっ
たのだとか。ちょっと複雑です。

さて、今日は、日本では居場所を失ったNOVAうさぎを迎え、
エネジャイザーのうさぎと、デュラセルのうさぎとで国際三者
会談をしてみたいと思います。

司会:本日は皆様、お忙しいところお集りいただきましてありが
とうございます。
NOVAうさぎ:別にもう忙しってわけじゃないんだけど…
司会:失礼しました。NOVAうさぎさんは、日本では2002年に
登場以来、広告では一世を風靡したキャラクターなのですが、
2007年10月26日、株式会社NOVAが会社更生法の適用を受け、
経営破綻してしまったために、日本での居場所を失い、海外に
逃亡していらっしゃったのでしたよね?
NOVAうさぎ:まあ、そういうことだな
エネジャイザーうさぎ:おめえさんも大変だったんだなあ。
しかし何で英会話学校がおめえさんみたいなうさぎなんだよ。
NOVAうさぎ:いちおう、この耳は外国語をよく聞き取れる
というシンボルで、このクチバシは…
デュラセルうさぎ:え?クチバシ?ぼくたちうさぎにはクチ
バシなんてないよ!君は本当はウサギじゃないんじゃないの?
NOVAうさぎ:そ、それは…
司会:みなさんに申し上げおきますが、NOVAうさぎさんは
うさぎの耳と鳥のクチバシを持つ新種の動物でして、純粋に
うさぎとは言えないんですね。そこはまあ目をつぶってくだ
さい。
エネ:なんだか納得いかないよなあ。おれたちゃ、純粋の
うさぎなのになあ、デュラセルさんよ。
デュラ:そうだよ、そうだよ。変だよ、変だよ。それに何で
さっきから目をつぶってんだよ。
NOVA:だって、さっき司会の人が目をつぶってって言った
じゃない。
エネ:てめえ、最初っから目をつぶってたじゃねえかよ。
デュラ:目をあけてみろ。ぼくなんかこんなに目がぱっちりだぞ。
NOVA:申し訳ない、サハシさんから、余計なものを見ないよう
に目をつぶっていろと言われていたから、目があかなくなっちゃ
ったんだ。
エネ:そういう事情があったのか。知らなかった。許せ、兄弟。
こういう俺もずっとサングラスなんだけどよ。
デュラ:ところで、NOVAちゃんは、顔がでかいよね。
エネ:そうだな俺たちに比べれば全然でかい。頭でっかちって
ことか?
NOVA:そんなこと言われても...でもこれで日本では相当な人気
があったんだよ。ミッキーマウスやスヌーピーを凌ぐほどの人気
だったかもしれない。
エネ:けっ、笑わせるねえ。てめえが、ミッキーマウス?
そのできそこないのうさぎだか鳥だかわからねえ生物がよお。
司会:エネジャイザーさん、そういう身体的な部分を攻撃するの
はやめてください。実際、NOVAうさぎさんはかなりの人気者で
したので。日本では、こういうげてものが人気となる場合がある
のですよ。
NOVA:げてもの?どうせ、ぼくはげてものなんだ。死んでやる。
エネ:まあ、待てよ。早まるなよ。
NOVA:だって、日本に帰ってももう仕事がないし。会社の
不祥事の片棒をかついだという責任もあるし。今日本に帰ったら
給料を払ってもらっていない講師の人たちや、授業料を払いもど
ししてもらえない生徒の人たちから袋だたきにあっちゃう。
デュラ:そうしたら、アルバイトでうちの電池の宣伝に出る?
NOVA:そういう体育会系のは疲れるからやだ。ぼくは身体が
そんなに強くないし、疲れるのはやだ。
エネ:そんなんでは国際社会では生きていけないよ。
NOVA:国際社会って、言葉がしゃべれるだけでいいんじゃ
ないの?
デュラ:何言ってんの、国際社会って、言葉だけじゃだめだよ。
行動できなきゃ。ぼくら電池の宣伝に出ているウサギたちは、
ずっと動き続けている。動くことがぼくらのレゾンデトル
(存在意義)なんだよ。
NOVA:そうなの?国際社会って、いっぱい聞けて、いっぱい
喋れるだけでいいのかと思ってた。
エネ:言葉ができれば国際人だというのは間違いだぜ。
心を開いてコミュニケーションできなきゃだめだぜ。そして
行動できなきゃだめなんだぜ。頭でっかちじゃダメってことよ。
NOVA:そういうもんなのかなあ。ちょっとゆっくり考えて
みるよ。
司会:議論はまとまらないまま時間のほうも来てしまいました
ので、今日はこれでおひらきとします。皆様、どうもありがとう
ございました。

付記:私は個人的には、NOVAうさぎのキャンペーンがあまり
好きでありませんでした。海外の広告の集まりでこのコマーシャ
ルを見せられたとき、海外の人たちはこのCMを見て、何でこん
なのがいいのかと憤りました。うさぎのキャラクターは面白い
のですが、CMとしてこれでよいのかという疑問が残りました。
人気をとれればそれでいいのだというのかもしれません。
今思うと、会社の問題をカモフラージュするために、こういう
フレンドリーなキャラクターを使ったのかなと思います。
くぅ~ちゃんを使ったアイフルも同じような感じだったかと
思います。同じ広告業会の人間として、広告の作り手側も
社会的な責任があるのではないかと思います。その過程で
莫大な利益を享受したのですから。NOVAうさぎにひかれて、
その結果、損害に巻き込まれた生徒のみなさんや、講師の
みなさん、関係者のみなさん、どうもお気の毒さまでした。

韓国からの帰還

2007-10-27 02:15:14 | アジア
昨日の夜、韓国から香港に帰ってきました。この上の写真は、
韓国のソウルの仁川(インチョン)国際空港のロッテ名税店の
宣伝ポスターです。韓国のスーパースターのレイン(ピ)が
キャラクターで登場しています。ステージではワイルドでカッコ
いいのですが、この写真はちょっと愛嬌振りまき過ぎでないで
すか?余計なお世話かもしれませんが。

余計なお世話と言えば、国内線のキンポ空港から、シャトルバス
でインチョンの空港まで来たのですが、到着するときのアナウンス
が「リムジンバスの旅、お楽しみいただけましたでしょうか?」
みたいなことを英語で言うのです。私たちは二つの空港が成田と
羽田のように離れているので、仕方なく乗っているだけだぞ~!
楽しめるわけないじゃないの、と思ったりしたのでした。

ところで、空港で、地方の韓国女学生の集団を何度か見かけたので
すが、そのヘアースタイルがみんな同じで何だか奇妙だなと思った
のでした。

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、前髪は眉のあたりで切り
そろえている子が多く、サイドはほぼ垂直に下におろしています。
顔の露出面積を髪の毛で覆って小顔に見せようとしているかのよう
に見受けられました。みんながみんなそんな感じなのでびっくりです。
また髪の毛の色はみんな黒。韓国の学校は日本よりも風紀指導が厳し
いのだろうなと思ったのでした。

済州島の町で見かけたお店のマネキン人形のヘアスタイルもそんな
感じでした。このヘアスタイルは国家的な流行なのかと思いました。

飛行機のキャビン・アテンダントなんかは、みんなかなりキレイ
なのでびっくりしますが、キレイな人たちは髪を後ろできちんと
束ねて顔は全く隠していないのですね。顔を堂々と見せられる人
とそうでない人の区別があるような気がしたのでした。

ちなみに男のほうはというと、マネキンも韓流スターっぽいっていう
のか、こんな感じでした。

空港で見かけた韓国の男の子たちは、みんなレインとか韓流スターの
ようなヘアスタイルなので、これまた奇妙な感じがしました。

もうひとつ奇妙だと思ったのは、空港の交通整理の女性。まるで
ファッションモデルのような雰囲気で、交通整理をしています。
歩行者に横断を促したりする手の仕草がとても女らしくて、これは
これでアートだなあと感心したのでした。


最後にもうひとつ奇妙だと思ったのは、市場で売られていた柿です。

何が奇妙と思ったかと言うと、ここに並べられている柿は日本のよ
うに固くなくて、ぷよぷよです。ちょっとつつけば破裂してしまい
そうな危うさなのですが、そういう柿が奇麗に並べられて売ってい
るのは日本では見られない光景ですね。そういえば、南京に行った
ときも、ホテルの朝食のバイキングに置いてあった柿はこれと同じ
ようにプヨプヨでした。とってもおいしかったですが。

というわけで、未知の国にいくといろんな珍しいものがあり、世界
は広いんだなあと思いますね。

北と南の距離を縮めたサムスンのCM

2007-10-23 23:06:13 | アジア
この写真の左側は韓国のKポップのり・ヒョリという女性で、
右は北朝鮮のチョ・ミョンエという20歳のダンサーです。
実は二人が一緒に登場するサムスンの携帯電話のCMが話題
になっていました。(この記事をあわててアップしてから
実は今年の話しではなくて2005年の話しであるというのが
わかりました。誤った情報流しましてすみません)

今、私は韓国は済州島で開催されているアドアジアに参加
しているのですが、昨日のセミナーで、韓国の大手広告代
理店チェイル社のアメリカ人クリエイティブ・ディレクター
が行ったサムスンの携帯電話"Anycall"のプレゼンテーション
が秀逸でした。この話しを聞いている日本人はおそらく私
一人ではないかと思いますので(他の日本人参加者たちは
DとかHのつく大手の人が出ているセミナーに参加していた
はずです)、この話しは、私が紹介しなければと思い、今
このブログを書いている次第です。

このクリエイティブ・ディレクターとは、前日の前夜祭の
ディナーで偶然にも席がとなりだったのですが、その時は
こんなにすごい人だとは思いませんでした。アメリカ人で
ありながら韓国の広告代理店に3年前くらいに雇われて、
今ソウルに住んでいるらしいのです。

これまでコマーシャルでは政治的な問題は避けるのが通例
でした。しかし、サムスンは韓国の南北問題に果敢に挑ん
だというのです。サムスンは、北朝鮮のタレントを韓国の
CMで初めて起用しました。これまでは考えたこともないこ
とでした。

これまで、韓国でも若い人たちは、南北との融和の問題に
対する興味がかなり薄れていたようなのです。南北の融和
が実現するとしてもそれは何十年か先のことという調査
結果だったのだそうです。

それが、2005年の6月、このCMがオンエアされてから、世論
が変わり、南北融和への感心が急激に高まったということ
です。サムスンのCMが政治的な南北融和の動きのきっかけに
なったのだと、そのチェイルのクリエイティブ・ディレク
ターは言います。

このキャンペーンの事後調査で、CMを見た後で南北融和へ
の感心を持つようになったというのが64%という数字結果
となり、またこのムーブメントを起こしたサムスンの携帯
は韓国で圧倒的なシェアを納めることになったのだそうです。

「もしも南北朝鮮が一つに統一されることになれば、それ
は政治家のおかげではなくて、このサムスンのCMのおかげ
である」というコメントを送ってきた人もいたとか。

ストーリーはこんな感じです。韓国のポップスターのリ・
ヒョリが、空港かどこかで北朝鮮の舞踏団のスターの
チョ・ミョンエとすれ違います。二人はまだ会った事は
なかったのですが、一目見た瞬間に、まるで兄弟姉妹の
ような親しみを感じるのです。り・ヒョリがチョ・ミョン
エにサムスンの携帯電話をプレゼントし、二人は国境を
こえて友達になっていくというお話し。二人が手に手を
取るカットが感動的です。

私の説明では、なかなかうまく伝わらないとは思うのです
が、こちらのサイトに動画が紹介されていますので、ご覧
ください。また、この記事の一番上の画像もこのサイトか
ら拝借したものです。
http://www.asianoffbeat.com/Print.asp?Display=588

こちらで見にくければ、You Tubeにも出ています。
実際のコマーシャルでは、最初の出会い編と、友達になる
編でわかれているようです。まずは、最初の出会い編。
http://www.youtube.com/watch?v=4MQFgyc6AzU
そして友達になる編です。
http://www.youtube.com/watch?v=hzLrXMRTkL4

広告にこれだけの力があるということはあらためて驚かさ
れる話しです。日本では、CMというのは笑って見過ごす物
あるいは、トイレに行くために無視するものと思われてい
ますが、CMがこんなに国を動かすほどの影響力があるとい
うことはすごいことです。ちょっと感動的な話しだったの
で、早速この記事で紹介しました。

本当は、もっと上手に紹介すれば感動が伝わるのでしょう
が、説明がうまくなくて申し訳ありません。とりあえず
このことを皆さんに知って欲しくて記事にしました。
もうすこし情報が集まったらまたきちんと書きたいと思い
ます。ではまた。

キムテヒに接近遭遇

2007-10-21 22:43:50 | Weblog
本日(日曜日)、韓国の済州島でアドアジア(アジア広告
会議)の前夜祭がありました。そこに、韓国の女優のキム
テヒがゲストで来ていました。私が座っていた円卓の二つ
くらい先に奇麗な女性がいるなと思っていたら、その人が
キムテヒでした。私はよく知らなかったのですが、彼女は
ステージにあがり、一言挨拶をしました。

ステージの手前にテレビカメラがあり、自分の席から見にく
かったので、両サイドについている大画面モニターを写真で
撮りました。

レインも来るという噂がありましたが、司会者の人が、彼
はコンサートがあって来れなくなったとか言ってました。
そんなの事前にわかっているのでしょうけどね。

済州島って世界文化遺産があるんですね。一昨日行った
マカオも世界文化遺産がいっぱいありました。でもやはり
雰囲気は田舎です。いちおう景色は美しいといえば美しい
です。夕方、ホテルの部屋から見えた景色はこんなんでした。

この岬の向こうは海で、夜は釣り船の明かりがキレイに
見えていました。なんだかとっても絵のような景色です。
ではまた。

韓国の済州島に到着

2007-10-21 14:14:56 | Weblog
韓国の済州島に到着しました。土曜日には、マカオにいて、
昨日は香港だったのに、今日はもう済州島。Jeju島です。
日曜日の午前0時25分に香港発で、4時頃ソウル到着、
そこからシャトルバスで国内線のターミナルに。8時5分
の飛行機で済州島に。移動ばかりです。

済州島って初めて来たのですが、えらいのんびりした田舎
なのですね。空港からシャトルバスで、コンベンションセン
ターまで。そこでタクシーに乗り換えて、さらに外れにある
トラベラーズ・ホテルというところにチェックイン。

ここはさびれたホテル。3階建てホテルなのですが、私の
2階の部屋のちょっとしたベランダに出てみてびっくり、
そこにはこんなだだっぴろい景色が広がっていたのです。

遥か地平線まで緑の原野。な、何もない。穏やかな太陽の光
が降り注ぎ、小鳥のさえずりが聞こえるほかは何も物音さえ
しない。こんな何もない景色ひさしぶりです。

ホテルの中にはレストランもありません。売店もありません。
自動販売機もありません。まわりに家もありません。ここは
完全に孤立した宿泊設備です。食堂で朝食だけは出してくれる
みたいですが。こんな静かなホテルは生まれて初めてです。
平和というか何と言うか。

でも、ロビーでインターネットはできます。ロビーと言っても
フロントのカウンターのようなところに、LANケーブルが無造作
に設置してあって、そこで勝手に接続できるのです。

こんなところでブログを書いていると、なんだか自分もホテル
の職員になったような感じがしてしまいます。ここでケーブル
をつないでみたら、ワイアレスでも電波が来ていて、それで
接続できるみたいなので、これで部屋でもできればいいなあ。
後で試してみます。

設備はなくとも、インターネットが接続できることだけが、今
の私にとって大切なことです。ちょっと空腹ですが、夕方から
アドアジア(アジア広告会議)の前夜祭があるので、そこで
たっぷりと食べることにして、それまではちょっとこののどか
な空気の中でお昼ねでもしましょう。ではまた。

マカオでリサイクルについて学ぶ

2007-10-20 17:02:46 | Weblog
今日(10月の20日)は『リサイクルの日』なんだそうです。
実は昨日、マカオに行って、ベネチアンで開催されている
販促品の展示会"MEGA MACAO"に行ってきたのですが、一番
勉強になったのがリサイクル対応のグッズでした。これは
また後日記事にしようと思ったのですが、今日が偶然にも
『リサイクルの日』というので、今日アップしておかねば
と思った次第です。

マカオの展示会には、中国や、台湾、香港、インドなどか
らかなりの数の販促品の業者が出展していたのですが、
その中に台湾の業者のブースに上の写真のようなバッグが
展示されていました。いわゆるエコバッグです。エコバッ
グってスーパーなどでのレジ袋を減らすために使うものを
エコバッグと呼ぶのかと思ったら、その原材料もリサイク
ルに基づいたものにするのがトレンドなのですね。

ここに展示されているエコバッグは、原材料がペットボト
ルです。ペットボトルから、こんな布のような素材ができ
るのというのも驚きでしたが、考えてみればナイロンとか
も化学繊維なのですよね。リサイクルとは奥が深いんだな
とあらためて感心したのでした。

これらのバッグ、デザインもお洒落です。欧米から発注が
来るとその台湾業者の人が言っていました。その台湾の
業者がペットボトルから作っているのは、バッグだけじゃ
ありません。ネックストラップなんかも作っているのでした。

こういうものもリサイクルなのかとあらためて驚かされる
のでした。

さらに、さらに、その台湾の業者は、古新聞を再利用した
鉛筆というのも展示していました。木材を使わない鉛筆です。

こういうのがあるということを知りませんでしたが、これは
なかなか面白い販促品ですね。鉛筆の芯に古新聞がぐるぐる
巻き付けられています。一番外側には印刷した紙を巻き、
ラミネートされています。サンプルをもらってきましたが、
これこそまさにリサイクルなんだなあと思いました。木を
使わないことによって森林資源を保護しているし、さらに
古新聞を素材として使っている。これはよいですね。

自分は、今までリサイクルということに関して全然無知だっ
たんだなあと反省しながら歩いていると、今度は、中国の
福建省のアモイ(Xiamen)の業者のブースで足をとめました。

ゴミ袋が展示されています。この業者は、普通のビニール
バッグも製造できるのですが、"Degradable"(分解性)の
袋も製造しているそうなのです。展示されているゴミ袋の
中に、北九州市とかの日本の都市の袋がいくつかありました。

「日本からいっぱい注文がきます」とアモイから来た業者の
女性は言っていました。玩具の安全面や、食品の安全では
さんざんに叩かれている中国ですが、こういう環境によい物
も作っているのだと知りました。

リサイクルといえば、この間、たまたま知り合った日系の
紙の会社の人のところを訪問し、話しを聞いたのですが、
今のトレンドとしては、100%の再生紙というのは実はあま
り環境によいとは言えない。なぜならば、それを製造する
過程で大量のCO2を発生させる可能性があるからだという
話しを聞きました。不勉強な我々は、再生紙比率が高けれ
そのほうが環境に優しいのだと思い込んでしまいますが、
実はいろいろな面があって、再生比率のみで判断はできな
いのですね。また、一度紙になってしまうと、顕微鏡で見
てもそれが再生紙かは判断がつかないのだそうです。

今は、再生紙以外にも、きちんと植林計画のされている
地域でとれた木材を使用した紙を使うこととか、また
SOY INKを使うなど、いろいろな環境対策があるようなので
すね。このへんはいろいろと勉強する必要があります。

環境のためにできることは、まだまだ知らないことがいっ
ぱいありますね。

これから韓国の済州島に出かけてきます。今日の夜中出発
で、日曜日の昼頃現地到着です。ではまた。

再びマカオへ(パート2)

2007-10-20 13:00:17 | Weblog
さてパート1で書ききれなかったことの続きです。しかし、
マカオに新しくできた総合カジノリゾートのベネチアンは
すごい人気です。私のようにギャンブル嫌いの人間でも楽し
めてしまうてしまうし、すべてが人工的な虚構の世界なのに
一日中ここにいても飽きずに時間が過ごせてしまうというの
がすごいところです。

昨日立ち寄った貿易投資関係の展示会にベネチアンの立体
模型がありました。この上の写真がそれです。敷地の真ん中
あたりにひときわ高い建物がありますが、それがホテル
タワー。全部で3000室、しかもすべてスイート。すごい!

その下あたりにカジノや、レストランや、ショッピング
モールがあります。右下の角がバスが到着するスペース、
そこから右のほうに、あまり高くない建造物がずっとのびて
いますが、このへんにアリーナとか、展示会場があります。

私の説明ではよくわからないかもしれないので、
ベネチアンのオフィシャルサイトをご覧ください。
まだ開発途上ですが、上の写真で子供がいるあたりには
ゴルフ場ができるようですね。そういえばこの子供何と
なく「プロゴルファー猿」に似ていません?
その右手にある建物群はコンドミニアムなのでしょうか。
こういうのを見ると、資金力のある人は投資したくなって
しまうのでしょうね。このあたりはますます発展するので
しょうから、投資家にとっては魅力的ですね。

さて、展示会を見終わった私は、遅い昼食をとろうと思い、
ショッピングモールの中にある中庭に行きました。ここは
先月も来たのですが、とても美しい場所です。まるで本当に
ベニスの街角のような雰囲気で、まわりに、ポルトガル料理
屋、イタリア料理屋、ブラジル料理屋などが並んでいます。
私は、迷いながらもブラジル料理屋にしました。店内席も
あるのですが、オープンエアの席にしました。


まさかここがマカオだなんて、しかも室内だなんて信じられ
ないでしょう。天井の空は人工的なものですが、それが人工
であろうが自然であろうが無関係に美しい風景です。所詮、
虚構の世界なのですが、これだけ壮大な虚構だと、気持がよ
いものです。

この店を選んだ理由は、お店の見かけが奇麗だったこと、そ
してお店の看板にステーキという文字が見えて、ステーキで
もいいかなと思ったこと、そしてウェイトレスが燃えるよう
な赤のトップに、黒のボトムを合わせていて、色彩的に魅力
的だと思ったことでした。


ブラジル料理ってあまり詳しくないのですが、このマカオは
ポルトガルの植民地。またブラジルも元ポルトガルの植民地
で、ともにポルトガル語の文化です。遠く離れた兄弟のよう
なマカオとブラジルなので、マカオでブラジル料理も悪くな
いだろうと思ったわけです。

メニューを見るとよくわからない名前が並んでいます。悩ん
だあげく、フェイジョアーダ・コンプレッタという豆と豚肉
の煮込み料理にしました。

右手の鉄の壷の中に、ブラック・ビーンズと豚肉の煮込んだ
シチューが入っています。右下にある白っぽい粉のような物
は、キャッサバ芋から作った粉を炒ったもので、ファッロッ
ファと呼ばれているものなのだそうですが、これはライスに
振りかけたりして食べるのだそうです。その横にオレンジの
スライス。真ん中にあるのは、トマトとチリなどが刻まれた
薬味、左のライスはバターライスのようであります。

おそるおそる食べてみました。一口食べて、デリーシャス!
インド料理で黒豆のカレーとかがありますが、触感はあんな
感じです。もちろんカレー味ではないのですが、日本の
ハヤシライスの味に近いといえるでしょうか。ちょっと違う
かな?その中に入っているポークも柔らかく煮込んであって
ベリーグッド。

オレンジや薬味や、このファッロッファをどのようにして食
すのかよくわからなかったのですが、適当に食べたら、その
組み合わせが絶妙。本場のフェイジョアーダ・コンプレッタ
を食べたことがないので、比較はできませんが、このマカオ
のこれはとってもよいと思いました。

赤のグラスワインも注文しましたが、チリのカベルネ・ソー
ビニョンがこれまた美味しい。私はまたワイン通ではありま
せんが、何だかすごく優雅な時間を与えてくれるようなワイン
でした。

ここでは景色も食事の引き立て役。まるでベニスのカーニバル
のような風景を見ながら食事をするのは、非常に楽しいです。
今度またMy Wifeを連れてきてあげたいですね。

食事をしていたら、ウェイトレスが、カゴに入ったものを
置いていきました。

日本でもパン屋とかで見たことがあるなという気がしたの
ですが、名前が思い出せませんでした。後で調べてみたら
ポン・デ・ケージョというチーズパンだったのですね。まず
見かけのかわいらしさに感動しました。日本で見たのは、
表面があまりに奇麗すぎるものだったのですが、ここのは、
ちょっと焦げた感じといい、本場の手作り感がたまりません。
とっても美しいと思いました。

食べてみました。パンというよりも、日本の餅に近い触感で
す。しかもほんのりと漂うチーズのフレーバー。お腹が一杯
で、全部は食べきれなかったのが残念でしたが、旅先でこう
いう見知らぬ食べ物に出会うのは楽しいものです。
このポン・デ・ケージョ、ポルトガル語では「チーズのパン」
という意味なのだそうですが、原材料はタピオカと粉チーズ。
日本ではあまりタピオカを使っていないものが多く、本場の
ものとは違うのだそうです。ここのポン・デ・ケージョは、
モチモチ感があり、実に美味でした。おすすめです。

食後はエスプレッソ。美味しそうなデザートもあるようでし
たが、もうお腹いっぱい。帰りの時間も気になるので、
お勘定をしました。マカオでは香港ドルが通じるので、500
ドル札を出し、おつりは香港ドルでと言ったら、そのように
してくれました。端数の小銭はマカオのコインでしたが、
数ドルだったので、チップで置いてきました。もともと伝票
には10%のサービス料が込みになっていましたが、マカオの
コインを持っていてもしょうがないですからね。

そこにいると今が何時なのかわからなくなってしまうのです
が、外はもう暗くなっていました。ここでバスの長蛇の列に
並ばなければならなかったのが問題でしたが、マカオは馬鹿
にできません。

再びマカオへ(パート1)

2007-10-20 02:58:02 | Weblog
今日は、いちおう仕事でマカオにでかけてきました。販促品
の展示会がマカオのベネチアンであるというので見てこよう
と思ったのです。

この上の写真は、香港のフェリーミナルのゲートですが、
先月My Wifeとマカオに行っているので、フェリー
のシステムはすっかりわかっているのですが、初めて来たら
きっとうろたえたろうなと思います。船が出るゲートで待っ
ていると、列を作っている人たちがいます。それはスタンバ
イの人たちです。つまり空席ができたらその便に乗ろうと
待つ人たちです。

出発の15分か20分前くらいになると、カウンターに係の人が
たち、そこで切符を持っている人たちに座席のシールを一人
づつくれます。これが初めてだと何だかわからないのですね。
欧米人のバックパッカー風の女性がきょろきょろしていたの
で、ここに並んで座席をゲットしなければならないと教えて
あげました。アナウンスもちゃんとないので、困りますよね。

一時間くらいで船はマカオに着きました。まだ昼前で、さわ
やかな天気だなと思いながら、ベネチアンの無料バスがある
ことを前回学習していたので、地下道を向こう側に渡って、
さてバスに乗ろうかなと思ったら、何と、長蛇の列。バスの
10台分以上の果てしない列になっていました。

この上の写真は、バスにだいぶ近づいてきたときに撮影した
写真です。この先の青いバスがベネチアンのバスなのですが、
今日は台数が足りないらしく、中国観光と書いてある観光バス
もヘルプに来ていました。今日は香港が祝日でもあるし、展示
会があるので、ベネチアンだけは大人気でした。
11月にはマカオグランプリがあるみたいなのですが、その頃
来たら大変なことになっているだろうなと思いました。その頃
マカオ行きを予定されている方、要注意です。

ベネチアンに着いたのは、昼をちょっと回った頃でした。
展示会を見てから、食事しようか、そして時間があまったら
世界遺産がいっぱいのマカオの街を歩いてみたりしようかなど
と甘いことを考えておりました。

しかし、展示会場に来てみてびっくり。その広いこと、広い
こと。中国各地から、台湾から、インドから、香港から、
すごい数の業者が出展しています。この展示会のことはまた
あらためて書くとして、見て回るだけでけっこう時間がかかっ
てしまいました。

そしてさらに、そこを終えて、エスカレーターで下のフロアに
さがったらそこでまた別の展示会をやっているではありません
か。マカオの貿易投資関係の展示会で、ここも同じくらいの
規模で、中国各地の団体から、ポルトガル、マカオ、デジカメ、
ホテル、投資、観光などとりとめのない雑多なテーマで展示
をしていたのですが、これがまた面白く、またまた時間を
消費してしまいました。

さらに、会場を歩いていたら、ミスマカオ(?)が歩いていた
のです。私もカメラ小僧よろしく写真を撮ってしまいました。
これです。

ええッ、これが???というリアクションが聞こえてきそう
です。でも日本だって、地方にいけばえらそうなことは言え
ないですよね。まあ本人には責任はないです、とかばって
おきましょう。けっこう親しみがあって、よさそうな娘じゃ
ないですか。

今日のマカオは、結局、世界遺産も見られず、ギャンブルも
せず、ショッピングもしませんでした。帰りのバスがまた
長蛇の列で、フェリーターミナルに戻れたのは、もう夜で
した。ベネチアンは交通関係をもっと何とかしてほしいです。
とくにこういう展示会の期間には。ではとりあえず、これ
くらいで。まだいろいろ書きたいことはあるのですが、また
それは別の機会にしましょう。ではまた。

目が不自由でも写真を撮りたい

2007-10-19 00:08:48 | HONG KONG
今日、たまたま用事があって香港のモンコックにの駅のすぐ
そばにあるランガム・プレースに行ったら、写真展をやって
いたのでふらりと寄ってみました。カメラのオリンパスが
スポンサーしていたのですが、近寄ってみると普通の写真展
とは違うようなのです。写真作品の下に、その写真の白黒
コピーのようなものがついていて、点字表記のようなものま
でついています。

しかも作品タイトルはみな日本語。何だろうと思ってよく
見たら、それは日本の『全国盲人写真展』の入選作を展示し
てあるのでした。写真って、目の見える人たちだけのものと
思っていた私には、こういう写真があるというのは驚きでし
た。目の不自由な人たちが、写真展を目指して写真を撮って
いるというその事実を今日初めて知って、自分の不勉強を
反省するとともに、写真ってすごいなあとあらためて感心
したのでした。

目の不自由な人も、光だとか色だとか、その美しさを見て、
記録したい、表現したいと思っているのでしょう。視力を
失った人はなおさら、世界の美しさを自分の目で、もう一度
見てみたいと思っているのでしょう。そしてそれがかなわぬ
ならば、自分の目の代わりに、カメラのレンズでそれを代行
させようとしているのかもしれません。視力を失った人には
もっと深い思いがあるのかもしれませんが。


このチョウチョの写真が最優秀賞の作品でした。
『寛仁親王牌』と記されています。日本の三笠宮のことです。
写真のタイトルは『花にたわむれる蝶』。作者は椎橋義春
さん、66歳、傷害3級、愛知県と書かれています。その下に
「花がゆれている。蝶が花に止まり、花が傾き、蝶がつるり
と落ちそう」と書かれています。傷害3級のこの老人は、
この景色のどこまでを認識できていたのでしょうか?
それを思うと、この景色がとても切なく見えてきます。
この老人は、ここまでの色や形や、蝶の羽根の模様や、細い
足などは見えていなかったのかもしれない。それを今、
全く関係のない自分が、その老人の代わりに見てあげている。
その美しさを代わりに堪能してあげている。自分は目が見え
るだけ幸せなんだと思うと同時に、目が見えないこの椎橋
さんのような人々も、自分の見えないような物までも人に
見せたいという情熱を持っている、ということに感動する
のでした。

この写真展の写真には、おそらく著作権があり、私が
ブログでこの写真を勝手に紹介するのは、著作権に触れる
行為であるのかもしれません。しかし、仮に自分が訴えられ
ようと、このことは誰かに伝えなければと思ったので、著作
権のことはさておき、このブログで紹介しました。関係者
の方がご覧になったらお許しください。

この写真の下のほうに貼付けてあるのが写真の立体コピー
なんだそうです。こういうものがあるというのを私は知りま
せんでした。コニカミノルタの技術なんだそうです。暗い
部分がちょっと盛り上がっていって、指で触って、写真の
中で表現されている蝶とか、花とかの形が認識できるので
す。写真を触覚で感じれるなんて、想像もしませんでした。

私の母は、昨年の三月に亡くなりましたが、晩年は視力を
失っていました。ぼんやりとは見えていたのでしょうが、
どれくらいぼんやりとした感じだったのかはよくわかりま
せん。目が見えるということの大切さをあらためて思います。
だからこの写真展、他人事のように思えませんでした。

先日、My Wifeと東京で、劇団四季の『ライオン
キング』を見にいきました。二階席の真ん中あたりだった
のですが、ちょっと後ろの席に、目が不自由なお客さんが
いたのです。その人は、黒っぽい眼鏡をかけていて、杖を
ついていたのでそれがわかったのですが、目が不自由な人
でもミュージカルを楽しもうとしているという事実に、
感動してしまいました。そういう私も視力が弱いので、
演じている役者の表情はまるっきり認識できませんでした
が、目だけはよい(もとい目もよい)My Wifeは、
表情もよく見えたと言っていました。

さて、この盲人写真展(この盲人って言葉ちょっときつい
気がするんですが)の中で、一番私が気にいった写真はと
いいますと、こちらの写真でした。

『幸わせのシルエット』と題されたこの作品は、三上一雄さん
(60歳)がハワイで撮ったもののようです。傷害一級、
北海道と書いてあります。「わが娘が、ハワイで挙式をあげた
時のひとコマ。」という短いキャプションですが、これには
感動してしまいました。ちょっと目が不自由な60歳の父親、
その前で照れながらポーズを取る娘とその旦那。目は不自由
でも、こんなに幸せなことはないと言っているかのようです。

私も一昨年、ハワイで挙式をしたので、この写真にはとくに
感無量です。優秀賞、日本文化協会会長賞とありますが、
その価値のある作品だと思います。シルエットってところが
またいいんですよね。おそらく作者も光と影を大雑把に認識
されていると思われるのですが、その見え方に近い表現だと
思います。また人物をシルエットにすることに背景の芝部や
ヤシの木や、山にかかった白い雲などの情景が実に鮮やかに
見えています。

この作者の三上さんはどんな人なのか知りませんが、
もし自分も一緒にこの場にいたら「おめでとうございます」
と言って抱きしめてあげたくなってしまいます。

なんてことをつらつら感じたりしたのでありました。

ところで、明日はちょっとまたマカオに行ってきます。

ちょっとお酒のお話し

2007-10-18 00:14:56 | Weblog
月曜日に日本から香港に戻ってきました。成田の免税店を
眺めていたら、サントリーの山崎の18年がありました。
値段は1万5千円です。無料で試飲をさせてもらえるという
ことなので、ちょっと一杯だけ飲んでみました。私はそれ
ほど酒に詳しいわけではないのですが、さすがに山崎の18年
の香りは素晴らしいです。即座に買ってしまいました。

ちょうど今出ている『ダカーポ』がシングルモルトの特集で
したので、ちょっとその影響もありました。白州の話しが
出ていたので、まだ飲んだ事のない白州とはどんなもんだろ
うかという興味があったのですが、山崎の18年にしてしまい
ました。今、それを飲みながら、このブログを書いています
が、何だかとってもリッチになった感じでよいですね。

こんなんでリッチになれるのならば、1万5千円は安いもの
です。シングルモルトでしかも18年なんて、すごい贅沢なの
ですが、コスト・パフォーマンスは最高ですね。

香港に来てまだ2ヶ月半くらいですが、この家にはもう一本
シングルモルトがあります。こちらです。

Caol Ilaと書いて「カリラ」と読みます。カリラ18年です。
これはスコットランドの西に浮かぶアイラ島の蒸留所で作ら
れているシングルモルトです。ゲール語で「アイラの海峡」
を意味しているのだそうです。

これは、シンガポールに8月に行ったとき、免税店で、シン
グルモルトフェアをやっていて、聞いた事のない銘柄だった
し、ラベルのデザインがシンプルで素敵だったので、買って
しまったものです。18年の割には値段が安かったように記憶
しています。

この間、マカオに行ったときに買ってきたのはポートワイン
です。こちらのサンデマンのポルトです。

マカオはもともとポルトガルの植民地。ポートワインをいっ
ぱい売っていたので、買ってしまいました。何年か前に仕事
でポルトガルのリスボンに行ったときも、ポートワインを
買ってきたのですが、この甘ったるいお酒も時々飲みたくな
ります。

そういえば、この前、南京に出張に行ってきたときに、空港
のレストランでビールを頼んだのですが、バドワイザーにし
ました。今、中国ではバドワイザーがポピュラーです。

水のような軽いビールですが、たまにはこういうのも新鮮で
す。でも中国では、「バドワイザー」と言ってもなかなか
通じません。中国語では「百威」と書き、「ベイウェイ」の
ように発音します。今、バドワイザーは北京オリンピックの
スポンサーの一つになっていて、がんがん宣伝をしているの
で、中国でいきなりポピュラーになりました。

ちょっと、お酒の話しばかりしてしまいましたが、私は決し
て飲んべえではありません。酔っぱらうほど飲んで、我を
忘れるというのは好きでありません。こんなにお酒の写真
ばかり並べるとアル中のように見えてしまいますが、誤解の
なきよう。

ところで私は、今週末から韓国の済州島に行ってきます。
ではまた。

日本に来ています

2007-10-14 18:05:40 | 日本
木曜日から日本に来ています。この写真は、木曜日に東京の
木場のデイ・ナイス・ホテルの窓から見えた日没の風景です。
日本にきてびっくりしたのは、日本人がいっぱいいることで
した。これは日本に住んでいる人にとっては当たり前のこと
なのですが、海外から久々に帰ってみると、日本人ばかり
いる光景はじつに奇妙な感じがします。

海外(アジア)にいて、たまに日本に来ていると、些細な
できごとでびっくりしたりします。同じようでいて実は違う
ことがいろいろとあります。今日はちょっとそんな部分を
語ってみたいと思います。

電車の中の携帯電話
日本では、電車の中で携帯電話で話す事は御法度ですよね。
でも香港やシンガポールでは全く問題なく、携帯電話を使っ
ています。アジアでは、携帯電話は通じてあたりまえの物、
通じないのは、会議中とか電池がきれた場合のみ。電車の
なかだろうが、平気で電話をしています。電車の中で電話
することはまったくマナーに反する行為ではありません。
日本に来ると、何で電車の中で電話していけないのだろう
と不思議に思ってさえしまいます。

この上の写真は香港の地下鉄(MTR)の中の写真ですが、
よく見ると、携帯をかけている人が見えます。手間右の
女の子もこの写真のちょっと前まで電話で話していました。

電車の中の飲食
シンガポールでは電車の中の飲食は御法度です。バスや
タクシーの中でもダメです。公共交通機関を利用しながら
飲食をした場合、巨額の罰金となります。日本だと、電車
の中で駅弁をたべたり、バスの中でおやつや飲み物を飲ん
だりするのは問題ないのですが、所変わればです。以前、
シンガポールからツアーのバスに乗っていて、遠足気分で
バスの中でおやつを食べだしたら、おこられました。

ファーストフード店の後片付け
日本では、ファーストフード店やスターバックスなどの
お店で、終わったあとの食器は自分で片付けるのが常識。
しかしアジアの大半の国では、テーブルに置き去りにす
るのが常識です。こういうところもその文化の違いを知ら
ないといらぬ誤解を招いてしまいますね。

スーパーマーケット内での飲食
日本では、スーパーマーケット(コンビにを含む)内で
食べ物を食べながら、あるいは飲み物を飲みながら歩い
ているお客さんはまず見当たらないと思います。しかし
シンガポールでも香港でも平気で買ったものを飲食しな
がら歩いているのも見るとびっくりします。アジアの
人が日本でそういうことをしようと思ったら、かなり
問題にされるでしょう。

タクシーのドアの開け閉め
日本ではタクシーはだいたいが自動ドア。ドアの開閉は
運転手にお任せくださいというようなことまで書いてあり
ます。香港では自動ドアが普通になりましたが、シンガ
ポールなどではまだドアは自動はほとんどありません。
日本のようにドアをあけたまま去ろうとすると運転手が
あわてて閉めるように指示する場合があります。

国が変われば、ちょっとした違いがあるものですね。

南京のコンサート

2007-10-11 00:52:55 | Weblog
10月6日の南京のコンサートです。さて誰のコンサートでしょ
う?男性です。台湾の歌手です。去年、ジェイ・チョウを抜
て、興行収入(楽曲売上、広告収入などすべて含む)で台湾
のトップになったタレントです。タレントというより、歌手
ですが、自ら曲を作っていますし、数々の楽器をこなします。
そしてアン・リー監督の映画『色・戒』に出演しています。
さて、その人は誰でしょう。答えは、数日前の記事の中に
あります。

うちの会社は広告会社なのですが、このタレントを某カメラ
メーカーの中国での広告に起用して、キャンペーンを行って
います。日本では、キムタクを、そして韓国ではレイン
使っていて、このたび中国ではこのタレントを起用すること
になったのです。

仕事のことは一応守秘義務もありますので、あまり詳しくは
公開できないのが残念です。コマーシャル撮影や、写真撮影
で本人には何度かあったことがあります。タレントは裏表が
ある人もいますが、彼はイメージ通りの純粋な好青年でした。

中国本土で人気がある歌手は、だいたいが台湾か、香港出身。
台湾と中国は、政治的にはぎくしゃくしていますが、こと
音楽に関しては、台湾歌手が中国大陸の音楽ビジネスを独占
していると言ってもよいでしょう。台湾は、本土と同じ北京
語というのが強みです。香港の歌手は基本的には広東語なの
で、本土でヒットするためには北京語でも歌えなければなり
ません。

中国大陸出身の歌手は、フェイ・ウォンとかは別格として、
あまりスター性のあるタレントが育ってこない。何か田舎っ
ぽいのですね。(差別的発言失礼)それにひきかえ、台湾や
香港の歌手は、歌もうまいし、スター性もある。中国大陸は
音楽(ポップス)分野ではまだまだ発展途上国なのです。

シンガポール出身のステファニー・スン(孫燕姿)なども
中国本土では常にヒットチャートにいます。シンガポールも
言葉は北京語なのです。彼女はルックスもいいし、音楽性も
新しいし、けっこう私も気に入っています。

さて、南京のコンサートです。屋外スタジアムで開催されま
した。雨が降ったらどうなることやら心配したのですが、
その日は台風が迫ってきていたにも関わらず、いい天気で
した。まあこういう運を天にまかせる大らかさが、いかにも
中国的というか。

中国のコンサートは私はこれが二回目ですが、南京は初めて。
しかも屋外は初めてです。座席は公安(警察)が最前列およ
び通路側の席を独占しています。全部で何百人も公安がいま
した。デモを警備しているんじゃないんだかから、こんなに
警備する必要があるのかなと思ったのですが、まあ南京に入
れば南京に従えです。

前のコンサートでもびっくりしたのですが、コンサートでの
写真撮影、ビデオ撮影は全然OKなのです。かなりの人が、
コンパクトカメラ持参です。一眼レフを持っている女性も
何人かみかけました。ビデオカメラで撮影している人も
います。携帯で撮影している人もいます。日本とか最近の
状況はわかりませんが、以前、日本とか、シンガポールで
さえも、撮影は厳しく規制されていました。写真を撮ろう
ものなら、ガードマンが飛んできて、フィルム没収となった
のを何度か目撃しています。撮影に関しては、中国の公安の
人たちは全く注意をしません。これの大陸的大らかさには
感心しました。おかげで私も大々的にデジタル一眼レフで
撮影ができました。

もう一つ驚いたことは、コンサートで立ち上がることを公安
が厳しく規制したことです。日本では、というか世界的に、
コンサートで立ち上がるのは当たり前。クラシックコンサー
トならいざしらず、ロックや、ニューミュージック(古い?)
のコンサートでは立ち上がって聴くのがむしろ正常。
ところが、この南京のコンサートでは、立ち上がると、公安
がとんできて、モグラたたきのように座らせていくのです。
この管理的コンサートがいかにも共産中国です。

しかし、途中で、ゲスト出演した同じく台湾の女性歌手が、
「さあみんな立ち上がって!」と言った途端、全員総立ち。
公安は座らせようとしたのですが、やがて座らせることを
あきらめました。3時間ほどのコンサートの最後のアンコー
ルは、椅子の上に立ち上がる人が続出する始末。その時は
公安はなすすべなしでした。

後でわかったのですが、そのコンサートの一週間前、日中
国交正常化35周年を記念して、南京で谷村新司さんの
コンサートが開催されていたのですね。日本人としては
初めてのコンサートだったようです。「昴」が南京の街に
響いていたのですね。南京といえば、虐殺の枕詞のように
なってしまっていますが、自虐的に暗くなっているだけで
は健全なる友好関係は築けないのではと思います。

南京で過去に起こったと言われていることのどこまでが
真実で、どこまでが虚構なのか、情報が錯綜していて、
はっきりと断定することはできません。この件に関しては
あらゆる主張を話し半分に聞いています。この場合、安易
に信じることは危険のような気がします。

平原綾香さんも谷村新司さんと一緒に、この南京コンサー
トで歌ったそうです。彼女の『ジュピター』が新潟の地震
で打ちのめされた被害者の心を癒したように、中国の人々
の心を癒してくれたのではないかと思います。日本人の犯
した過去の罪はそんなことでは癒されるわけはないと言う
人もいるかもしれません。しかし、音楽には、人の心を癒
す力もあれば、歴史を変える力もある。そんなことを思い
ます。

南京の一日

2007-10-07 22:40:56 | Weblog
朝起きたら、ホテルの窓から、朝もやの中の南京の街が見えて
いました。上海などから比べると地方都市という感じです。

これがシェラトン南京です。このホテルに宿泊していました。

午前中、ちょっと時間があったので、南京に来たらここだけは
行ってみようと思っていた、石頭城(せきとうじょう)の
城壁跡に行ってきました。そこには何があるのかといいますと、
三国志の時代、呉の孫権(そんけん)が築城した城壁が残って
いるのです。三国志は、読み物で読んだり、ゲームとかで馴染
みがあるのですが、それが実在の国であったというのを再確認
したかったのです。

地図を見たら、ホテルからそれほど遠くなさそう。清涼山公園
を目指し、そこの西側の国防園という軍事公園から入って奥まで
いくと、そこに行けるらしいということだったので、歩いて行き
ました。しかし地図で見ると、近くに見えたものの、実際に歩く
とその遠いこと。さらに10月だというのに太陽の下の炎天下では
暑い事、暑い事。汗びっしょりになるし、足は疲れるし、これは
タクシーで来るべきだったかと反省しました。

やっとたどり着いたのがこの国防園の入り口です。子供たちに
軍国主義を植え付けるための公園なのですが、のどかな公園の中
に、軍事用の飛行機やら、戦車やら、高射砲やらが無造作に置い
てあります。石頭城の城壁に出るためには、この公園を抜けない
といけないので、勇気を出してこの門をくぐります。


入場料をとられるかと思ったら無料でした。中には、例えばこんな
軍用機が置いてありました。ここを訪れるのは、軍事マニアという
よりもごく普通の家族連れです。

操縦席とか狭くて居心地が悪そうです。

こんな兵器がごろごろと置かれている公園を、ずんずんと抜けて行く
とその奥に昇りの石段がありました。ここまで来るのにさんざん歩い
ているので、石段はきついです。しかも暑い。これはスニーカーか
なんかで来るべきであったと反省しました。

石段を上まで登ると、空が開けました。城壁の上に出たようです。
下を見ると、すごく高いのでびっくり。真下を見下ろすと気が遠く
なりそうです。




この城壁を、あの呉の孫権が、そして、三国志に出てくる、魯粛
やら、呂蒙やら、陸孫やら、程普やら、諸葛瑾らが実在の人物と
して歩いていたのかもしれないなどと思うと、何だか不思議な
気持になってくるのでした。

私は数年前は、パソコンの三国志のゲームにはまっていました。
三十をこえたあたりで、吉川英治の『三国志』を読みました。
それ以来、中国の歴史ものが好きになりました。しかし、三国志
は事実としての実感がほとんどありませんでした。城という言葉
を聞いてもせいぜい日本の城をイメージするだけでした。

今回、この城壁に登ってみて、自分が思っていた城の概念に比べ
実際の城のスケールが全然違っていることにびっくりしました。
この城壁の高さも想像以上です。ここから転落したら、命はまず
ありません。高所恐怖症の兵士だったら、この城壁を登ることは
できません。下からでは、弓矢も全く届きそうもありません。
この城壁の下をうろうろしていたら、上から狙い撃ちされてしま
います。

中国の城というのはすごいなあと改めて感心したのですが、南京
は市街地を取り囲む城壁がかなり残っています。その城壁に囲ま
れた区域の広さはすごい広さです。これまで城壁の内側というと
かなり狭いイメージを持っていたのですが、南京の城壁を見て、
その中から一歩も外に出なくても全然閉塞感はないんだなあと
あらためて実感したのです。

南京は、『南京大虐殺』でしか日本人には知られていませんが、
じつは歴史的な遺跡の数はすごいです。今回は時間もなくて
どこも行けませんでしたが、様々な時代の名残が残っています。
これは、もっと日本人に知られてもよいと思いました。

さて、ふたたび国防園を抜けてホテルに帰るのですが、公園の
池のボートがこんなんでした。

ボートに、機関銃がついています。もちろんおもちゃですが、
引き金をひくと、バリバリバリと音だけはでます。こんな軍事的
な船で、南京の子供たちは無邪気に遊んでいます。なんだか頭が
くらくらしてきそうです。これも南京の現実です。

南京に到着

2007-10-06 02:52:03 | Weblog
南京に到着しました。夜の9時20分くらい。小さな飛行場で
した。パスポート審査の係官に「Japan?」と聞かれたときは、
ちょっと変な感じがしました。やはり我々日本人はこの南京
には複雑な思いがあります。気にしすぎかもしれないのです
が、戦争のときの「南京虐殺」が重荷になってしまいます。

この出張では、田中正明さんの『南京事件の総括』(小学館
文庫)の本を持ってきていました。「南京大虐殺」というの
は東京裁判の時に大きく誇張された出来事で、事実とは異な
るということをいくつかの証拠をあげて論証していく本です。
事実はおそらくこの本が指摘する通りのことなのでしょうが、
連合国側に作り上げられた「事実」と、中国人の思い込みは
なかなか修正するということはできません。その重荷に我々
はしばらくは悩まされ続けるのでしょうか。

空港から高速で南京市内までは30~40分かかったでしょうか、
道路がかなり奇麗な気がしました。街中に入ってきて、奇麗
にイルミネーションされた城壁に感激しました。南京は古く
からの都です。三国志の呉の時代から、東晋、宋、斉、梁、
陳、それから南唐、明などの都があったところ。北京や上海
よりも歴史的にはキャリアが長いです。都市を取り巻いてい
る城壁がその歴史を感じさせます。

ホテルは、知らない町なので、安心できるインターナショナル
系にしました。南京シェラトン(金絲利喜来登)です。
部屋は大きくてとっても奇麗です。一人で泊まるのがもった
いないくらいの広さです。


さらに、インターネットは無料でつながります。これもいいです。
しかし、インターネット接続画面が、中国語、英語、日本語が
選べるようになっているというところまでは素晴らしかったので
すが、画面表示の日本語がこんなんでした。


「人の客室の顕著なゲスト、ようこそシェラトン南京キングスリー
ホテルへ」となっています。不可解な日本語です。これは機械
翻訳なのでしょうか。あるいは日本人への嫌がらせなのでしょうか?
わけがわからないので、英語にしてみてこの日本語の言わんと
するところがわかりました。つまり、「お部屋にお泊まりの大切な
お客様へ、シェラトン南京キングスリーホテルへようこそおこしく
ださいました」というようなことなのです。

そしてインターネットに接続しようと思ったら、またまたこんな
日本語の攻撃にあってしまいました。


「ブロードバンドは上陸する」???う~ん、何と詩的な表現。
これは英語を参照すると、「ブロードバンドにログオンする」と
いうことのようなのです。「ブロードバンド」という膨大な数の
軍船に乗った兵士たちが、揚子江を遡って南京市に上陸するか
のような雰囲気です。三国志の呉の国は水軍の強さでは定評が
ありましたので、このブロードバンドの上陸は何となく理解で
きる気がします。このボタンを押すと、自動的にブロードバンド
がパソコン上に「上陸」してくるということですね。

明日はいよいよワン・リーホンのコンサートです。

自分の適職

2007-10-05 02:00:20 | Weblog
今流行の「脳内メーカー」のサイトを見ていたら、
こんなのがありました。
あなたの適職分析-あなたに会った仕事を分析
自分の適職って興味あるなあ、どんなんだろう?
名前と年齢を入れるようになっているので、早速インプット。
出た分析結果はこちらです。

1位 - 作詞家 ( 45pt )
2位 - 大工 ( 40pt )
3位 - フランメンコダンサー ( 6pt )
4位 - 現像技師 ( 5pt )
5位 - ホスト ( 4pt )

な、何と、「作詞家」
実は、何をかくそう作詞家には憧れていました。
大学を卒業したばかりの頃、『作詞家養成講座』の通信教育を
受講していました。青山の『シナリオライター養成所』にも
通っていました。どちらも中途で挫折しましたが。

作詞家といえば、この間亡くなってしまいましたが、阿久悠先生。
あの人はすごかったですね。ウィキペディアによると、これまで
に発売されたシングルの総売上枚数でのランキングでは、阿久悠
先生が6,818万枚でダントツの一位。二位が、松本隆さんの
4,946万枚。三位が小室哲哉さんの4,216万枚だそうです。
(オリコン、2007年8月6日調べ)
日本レコード大賞の受賞曲は作詞家として阿久悠先生が最多の
5曲。また日本レコード大賞の作詞賞は7回で最多記録だそう
です。阿久悠先生はやはり日本を代表する作詞家と言って過言
はないでしょう。

さて自分の適職の話しでしたが、作詞家というのは納得がで
きます。当たりすぎていて怖いくらいです。生きているうちに
一曲は、ヒット曲を作詞したいと思っています。

そういえば思い出しました。シナリオライター養成所に通って
いる時です。私が余興で印刷した詩集を見て、テレビ番組制作
会社に勤める美女のたかぎさんという人が、私に子供番組で使う
歌の作詞をしてほしいというのを頼んできました。締め切りは
とくになく、いつまでも待つということでしたが、30年近く
たつ今になってもできていません。たかぎさん、ごめんなさい。
ひょっとしたらその時が私がプロの作詞家としてデビューする
チャンスだったのかもしれません。

で、「作詞家」はわかりましたが、二番目の「大工」というの
はあまりよくわかりません。三番目の「フラメンコダンサー」。
う~ん、なんでしょう。まあ、合っているかもしれませんが、
似合うかもしれませんが、ちょっと適職かどうかわかりません。
『星のフラメンコ』は知ってますが。

四位の「現像技師」、これは何となく納得がいかないでもない
ですが、ちょっと暗いですね。暗室の中での仕事だからこんな
暗い仕事はないです。最後の「ホスト」、ですか。まあ適職なの
でしょうか。今更なれないですが、なってもお店のナンバー1に
はなれなかったでしょうね。なるつもりはないですが。

ついでにMy Wifeのものも見てみました。結果は
こちらです。
1位 - ホステス ( 71pt )
2位 - コンサートプロデューサー ( 16pt )
3位 - ホテル ( 8pt )
4位 - 歯科技工士 ( 3pt )
5位 - 独立時計師 ( 2pt )

なんと、一位が「ホステス」しかも71ptという
高得点。ホステスというか、小料理屋のおかみさんにはなれる
かもしれませんが、ホステスと言えば、銀座赤坂あたりの高級
クラブ。まさかキャバクラというのはありえないと思いますが、
どうなんでしょう。あまり深く追求すると余計な災いになるの
でこれくらいにしておきましょう。
二位の「コンサートプロデューサー」ねえ、そんなのできるの
かなあ。三位の「ホテル」、これはフロントかな?厨房かもね。
他のものはよくわかりません。

旧姓でやってみたら一位は何と「国土地理院」となっていました。
日本の5万分の1の地図とかを作っているところです。これは
むしろ私が昔行きたかったところです。子供の頃から地図は大好き
でしたからね。

さて、適職と言われても、私のような年齢になるともう取り返しが
つかないので困りますが、自分の適職は実は何だったのか考えてみる
のもまた面白いのではないでしょうか。