南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

ラッフルズのシンガポール・スリング

2006-10-11 00:50:49 | シンガポール

ラッフルズ・ホテルのシンガポール・スリング。このホテルの
ロングバーというバーで生まれたカクテルは、世界に行き渡り、
今やカクテルの定番となっています。

ロングバーのバーテンダーが初めてこのカクテルを作ったのは
1915年ということですから、今から90年以上も前のことになり
ます。この1915年という年は、新撰組二番隊組長だった永倉新
八が死去した年でもあります。永倉新八は、一昨年の大河ドラ
マ『新撰組』で山口智充(ぐっさん)が好演していましたが、
この人はこの時代まで生きのびていたのですね。板橋に近藤勇
と土方歳三の墓を作り、その後、亡くなるまで、北海道の小樽
にいたようです。享年76歳だったとか。新撰組隊士としては、
異常に長生きをしました。

この年は大正4年にあたるのですが、芥川龍之介が『羅生門』
を書いた年でもあり、全国中等学校優勝野球大会(現在の全国
高等学校や旧選手権大会)が始まった年でもありました。

タイタニックが北大西洋に沈没するのが、1912年の4月14日の
ことですので(ジャックローズ)何となく時代の
雰囲気もわかるような気がしますね。欧州では1914年の7月に、
サラエボ事件を発端として第一次世界大戦が勃発。
戦局はどんどん拡大して世界中を巻き込んでいきます。

こんな頃、南洋の港町シンガポールのラッフルズ・ホテルでこ
のシンガポール・スリングという伝説のカクテルが誕生するの
です。もともとのレシピは、ドライジン、チェリーブランデー、
レモンジュース、砂糖をシェイクし、タンブラーに注いだ後、
ソーダ水を満たすというもの。しかし、ご本家のラッフルズ・
ホテルのほうは勝手に進化をとげ、トロピカルカクテルになっ
てしまっているということなのです。

ラッフルズの現在のレシピは、ドライジン、チェリーブランデー、
パイナップルジュース、ライムジュース、クアントロー、ベネ
ディクティン、グレナデン・シロップ、アンゴスチュラ・ビター
ズをまとめてシェイクして、グラスに注ぎ、パイナップルや
オレンジ、チェリーなどを飾るというもの。オリジナルのレシ
ピに比べて、素材もだいぶ変わっています。ラッフルズのもの
はもはや観光用の名物になっていて、女性好みのちょっと甘い
感じのカクテルになってしまっているようです。

これを進化というべきか、堕落というべきかは、まあどっちで
もいい問題なのですが、ラッフルズのレシピは個人的には好き
ですが、一杯飲めば十分という感じです。ラッフルズの場合は
上の写真の右に写っていますが、殻付きのピーナッツをつまみ
ながらシンガポール・スリングを飲み、殻はテーブルや床の上
に巻き散らかすというのがここのバーのスタイルです。平日の
午後のまだ明るい時間が、客も少なめで落ち着けます。

さて、このホテルにかつて宿泊していた作家のサマセット・
モームがシンガポール・スリングを飲んだのかどうかはよく
わかりませんが、時代的には、モームがシンガポール・スリン
グを飲んでもおかしくないですね。

このカクテルが誕生した1915年、モームは大作『人間の絆』を
発表しています。それは彼が41歳の年ですが、その翌年、彼は
結核の療養のため、アメリカ、ハワイを経て、タヒチに旅行に
行くのですね。タヒチと言えば画家のポール・ゴーギャン。彼
はこの旅行で『月と六ペンス』のヒントを得たと言われます。
その後、シンガポールを訪問していたとしたら、その時には
彼が宿泊したラッフルズにはすでにシンガポール・スリングが
あったはずです。彼がそれを好んで飲んだのかどうかはわかり
ませんが。

サマセット・モームは英国の作家として有名ですが、実は、彼
がシンガポールなどに来ていたのは、秘密諜報活動の一環だっ
たと言われています。フランス生まれで語学に堪能だった彼は
英国情報部で諜報活動を行っていました。バンコクのオリエン
タルホテルや、シンガポールのラッフルズ・ホテルに宿泊して
いた目的は、小説を書くためではなく、実は、諜報活動だった
のだとか。

当時は、第一次世界大戦が進行していて、日本の海外進出に対
する欧米ABCD包囲網みたいな作戦もあったし、ロシアではロシ
ア革命が起ころうとしていたし、そのため、モームは世界のい
ろんな場所に潜入していたもようです。

これって何か007みたいと思うかもしれませんが、実はイアン・
フレミングが『007』シリーズを書いたとき、モデルにしたの
が実は、サマセット・モームだとか。たしかにロシアに行った
り、いろんな国に行ってますからね。でも本当はモームはゲイ
だったので、ボンドガールみたいなのはいなかったみたいです
けど。そのかわりボンドボーイがいたのかな?

ところで、サマセット・モームの作品って、まともに読んだの
は『月と六ペンス』くらいです。今日、本屋で『人間の絆』と
かを買おうかなと思ったのですが、文字が細かすぎて、やめて
しまいました。

大学受験の英語の参考書によく、サマセット・モームの例文が
出ていたのを覚えています。『要約すると』(Thumbing Up)と
いうエッセイ集は、文章が格調高いので、英文解釈の教材とし
てかなり使われていたみたいです。文章構造が複雑で、かなり
ややこしい文章を書く人だなという印象でした。

という私は大学のとき英文学を専攻しておりました。モームに
関してはほとんど触れる機会はありませんでした。卒論はジョ
ナサン・スウィフト、ほら、あの『ガリバー旅行記』の作者で
すが、そのスウィフトをテーマにしました。

サマセット・モームの文学評論の中で、彼はスウィフトの文章
を非常に高く評価していました。一説によれば、モームはスウ
ィフトの文章を一字一句暗記していたといいます。なんか自分
との接点が少しでもあって嬉しくなります。

ところで、このラッフルズ・ホテルは、太平洋戦争でシンガポー
ルが日本の占領下にあった時、「昭南旅館」という名前になっ
ていました。この期間、シンガポール・スリングはどうなって
いたんでしょうか。まさか焼酎ベースにしていたりして。
ネーミングは昭南サワーとかかな?

さて、今日は中日がリーグ優勝した模様。愛知県人として
は嬉しいかぎりです。でもこれはまた別のお話。