南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

香港に戻ってきたら旧正月

2009-01-29 22:22:23 | HONG KONG
この水曜日に香港に戻ってきました。成田発香港行きのキャセイ
便はオーバーブッキングとかで、台北経由でしたがビジネスクラ
スにアップグレードされました。おかげでディナーが2回も!
しかも座席は快適でした。でもせっかくのビジネスクラスなのに
台北香港間はわずか1時間ちょっと、もうちょっと長く乗って
いたかったなあ。

香港に到着したら9時ちょっと過ぎ。香港は旧正月のまだまっ
最中。さてここでコンドミニアムに戻るのですが、問題は、
コンドミニアムのセキュリティスタッフらにお年玉を渡すと
いう儀式があるということ。去年は今日正月の間、ずっと香港
にいたので、この儀式を徹底的に経験しました。今年は旧正月
の途中に戻ってくるのでどんなもんかとちょっと心配でした。
コンドミニアムに戻る前に、ポケットに20ドル札の入った赤い
袋を20個くらい用意していました。こちらです。



これは、旧正月前に、会社の秘書のジュディーさんに会社の
近所の文房具屋で買っておいてもらったものでした。いろんな
デザインがあるのですが、このデザイン、福の文字がキラキラ
していて豪華でいい感じです。

タクシーでコンドミニアムに到着すると、早速玄関に二人おり
ました。いつもは二階にいる片言日本語のおじさんがニコニコ
顔で挨拶をしています。こりゃコテコテの旧正月の雰囲気だな
と思いながら、ポケットから赤い袋を取り出して、「ハッピー
ニューイヤー!」と言って渡しました。その実に嬉しそうな顔。
スタッフの皆さん何か本当に春が来たかのような笑顔です。

五階のエレベーターホールに上がるとまたそこに新たな3人が。
ひとりひとりに赤い袋を渡します。そこにはみな20ドルが入っ
ています。20ドルというと今は円高なので2百2~30円とい
うくらいの金額です。正直いうと相場がよくわかりません。
秘書に聞いたら、10ドルだと少なすぎるし、20ドルくらいが
いいのではと去年聞いていたのでそうしているだけです。
このコンドミニアムのスタッフは全部あわせると20人くらいは
いるので、まとめるとちょっとした額になります。と言っても、
まあたいしたことはないのですけど。

こういうのあまり慣れていないので、渡すタイミングとか
なかなか不安です。また、どの人に渡して、どの人に渡してい
ないのかよくわからなくなってしまいます。そう思うと、一日
に何度か外に出たり戻ったりして、一度に全員に会ってしまっ
たほうが楽だなあという気がします。渡しもれしている人が
いたら大変だなあと思うのですが、すでによくわからなくなっ
てきています。たぶん向こうからハッピーニューイヤーと言っ
きてくれたら正月以降初対面ということだろうなと思うのです
が、何かこういうのが大変です。

会社に行けば、社員にもお年玉を渡します。社員には奮発して
払います。と言ってもローカルスタッフは二人だけなのでまだ
楽です。一人の社員は、まだ休暇中なので、お年玉を渡したの
は今日は一人だけでした。

オフィスのビルのロビーは奇麗に飾り付けされていました。



このオフィスビルは、下の4フロアはショッピングセンター
になっていて、レストランや喫茶店もいくつか入っている
のですが、一昨年改装してから実によくイベントをしていま
す。クリスマスや旧正月などのときは実に奇麗な飾り付けを
します。今回の旧正月前も、このロビーでいろいろなイベン
トをしてくれています。スタッフも楽しそう。何かとっても
いいビルにオフィスを借りてよかったなあと思っています。

昼過ぎにちょっと通ったら、ビルの案内の女性が、ちょうど
そこでやっていた龍の髭のキャンディという名のお菓子の
デモのあまりのキャンディを、これ持って行ってとくれま
した。上の写真で白いを来てマスクをしている人がその場で
作って配っていました。昼休みが終わったのでもう列もなく
なっていましたが。



これがそれです。飴の材料を細く細く、紐のように糸のように
のばしていってまるで繭のような状態にします。飴なのですが、
その見かけが繭っぽくてとても不思議な感じです。以前、屋台
とかで見たことがありました。シンガポールで10年以上前に
見て珍しくて食べたことがあります。久々の味覚でした。

これの名前は龍髭糖というんだそうですね。ジュディーさんは
発音は知っていたのですが、髭の字が書けないと言っていまし
た。という自分も書けないですけど。パソコンがなければもう
ややこしい漢字は書けません。

そんなこんなで旧正月が過ぎていきます。


出発が遅れた香港発の飛行機

2009-01-25 10:33:04 | HONG KONG
日本に着きました。今回はキャセイの14時25分香港発成田行き
だったのですが、飛行機の出発が遅れてしまいました。
(上の写真は、クリップアートの写真です。)

出発直前までは順調でした。機内放送では、「今日は追い風が
強いため予定よりも早く到着予定です」と言っていたので、
安心して出発を待っておりました。そしたら飛行機に何か
不具合があった模様で、少し遅れるとのアナウンス。やがて、
「故障は操縦席のシートベルトという非常に簡単なもので、
その部品が到着するまでに時間が必要」ということでした。

シートベルトだったらすぐに直るだろう、と思っていたの
ですが、結局1時間半くらい待たされることに。まあこの間、
インドのデリーに行ったときに濃霧で数時間またされ、あげく
の果てに一旦ホテル宿泊となったのにくらべれば、些細な
出来事なのですが、しかし到着先が成田で、到着する頃には、
電車もリムジンバスもすべて終了しているので、搭乗客に
とってはそれぞれに大変な問題です。

だいたい操縦席のシートベルトが壊れているのが発見される
のが、何でそんなに直前なんだよ~、シートベルトが壊れて
も何か紐で身体をくくってでも操縦してよ~、とか思った
のですが、多くの乗客の命を預かるパイロットの方に万が一
のことがあったら、余計に大変なことになるので、私は本
を読みながら耐え忍んだのであります。

近くの席の日本人のおっさんは、かなり苛ついていて、
英語でキャビン・アテンダントに食ってかかっていました。
ひとしきり文句を言った後、日本人スタッフがいたら呼んで
くれということで、今度は日本人のアテンダントが来ます。
どうやら、最初は5分とか、10分とか言っておいて、それが
ずるずる延びていくようなそういうアナウンスは良くない、
と怒っているようです。そのおっさんの気持ちもわかるけど、
キャビン・アテンダントはこれは謝りようがないよなあと
同情を感じました。アテンダントの女性は、それなりに
がんばっておっさんの怒りを鎮めるようにがんばっていまし
たが。そのおっさんはまさに口角泡を飛ばすという感じでした
が、ひとしきり怒鳴り散らすと、「状況がわかったらきちんと
アナウンスしてよね」と言ってそれでおさまりました。

なんか映画の『ハッピーフライト』のワンシーンを見ている
ようだなと思いながら、待っているうちに、やがて修理も
終了し、飛行機が飛び立つというアナウンスがあったとき
は乗客から拍手が出ました。

飛行機の中では、iPodでバラク・オバマの2004年の演説を
聞いていました。香港の空港で、オバマのスピーチを解説して
いる英語の本を買ってきたのですが、それを読みながら、
演説を聞いてみると、やはりこの人の演説は天才的だなと
あらためて思うのでした。オバマさんの演説の話はまた次の
機会にゆずるとして、さて飛行機のほうです。

飛行機は飛び立ってから順調に成田に向かいました。おっさん
の一件があったからか機内の日本語アナウンスはじつに丁寧で
パーフェクトな内容でした。途中、香港人のキャビンアテン
ダントが機内で2度ほどバタバタと走っているのが気になりま
した。非常時でないのに走るのはよくないですよ、キャセイ
さん。キャビンアテンダントが機内で走るのは乗客に不安を
与えるし、またあまり品がよくありませんですぞ。

さて飛行機は成田に到着したのですが、パスポート審査を抜け
たのは10時過ぎ、何とこのターミナルではこの飛行機がラスト。
荷物を取って外に出たのは11時近く、リムジンバスも成田エク
スプレスも終わっていて、空港自体が閑散としている。一瞬、
どうしようか不安になったのですが、航空会社のほうで、東京
とか、新宿とか、横浜とか無料でバスを手配してくれていました。

そこでも文句を言っている人がいましたが、まあ、こういう時は
いろいろと不都合がでます。東京への到着は深夜の12時半頃で
した。たかが単純な操縦席のシートベルトの故障が、数多くの
人々の人生にいろんな影響をあたえたのだろうなと思うと、
飛行機とかの公共の乗り物は本当にきちんと整備しておかないと
いけないのだなと思うのでした。


HAPPY CHINESE NEW YEAR!

2009-01-24 03:10:58 | HONG KONG
いよいよ旧正月、チャイニーズニューイヤーです。中華圏では
今年の旧暦の正月はこの日曜日から始まり、26日の月曜から
28日の火曜日までお休みです。会社によっては今日の午後から
お休みになっているところもありましたが、うちの会社は夕方
までやっていました。でも何か静かだったから休みにしても
よかったのかもなんて思ってしまいました。

中国本土は来週はまるまる一週間お休みです。香港でも工場
関係、業者関係は一週間から10日も休みになるところが多い
です。日本はやっと正月気分が抜けたところだというのに、
こちらはこれから本格的な年末年始に突入。これでは仕事に
なりませんなあ。

会社を終わって、ワンチャイの駅のすぐそばにある商店街に
行ってみました。ワンチャイ駅の山側のケンタッキーフライド
チキンがあるあたりから細い道がに入っていくと、ごちゃ
ごちゃしたお店がいっぱいあり、夜店という感覚です。
上の写真は、その中のお店の一つ、旧正月の飾りがいろいろ
と売られています。もうこれでもかというくらいのド派手さ。

かなり細い路地を奥へ奥へと入っていくと、何か特定の商品
が気になってきます。それは赤いパンツでした。中国では
縁起担ぎのために赤いパンツをはくことがあるとか聞いたこと
があるのですが、露天でこんなにも赤いパンツが目についた
のは初めてです。



カルバンクラインのロゴがついていますが、おそらくこれは
偽物なのでしょう。パンツと言ってもほとんどがブリーフです。



赤いパンツの山です。こんなのを写真撮影するのはちょっと
恥ずかしいので、かなり手ぶれです。カメラには手ぶれ防止
機能付きですが、こういう場合はぶれてしまいますね。
これらは旧正月のもののようで、「福」の文字の入ったもの
が見受けられます。旧正月に赤のブリーフをはくのが伝統な
のでしょうか?何か想像しただけで不気味です。

日本のサイトを検索してみたら、日本でも赤のパンツは結構
売っているのですね。還暦祝いだとか、長寿祈願だとかで
売られているらしいです。これは知りませんでした。

中国では、旧正月の赤のパンツだけでなく、普段から赤が
人気のようです。コンパクトカメラのカラーバリーションの
商品なんかも赤が人気があるという話を聞きました。

さてこちらはコンドミニアムのロビーの飾り付けです。
大きな桃の木が飾られています。旧正月はどこも結構来合い
が入っているんですね。



土曜日からちょっと日本に行ってきます。
それでは Happy New Year!

ハワイを理解するまではバラクのことを本当にはわからないわ

2009-01-23 02:55:13 | ハワイ
ミッシェル・オバマは言ったそうです。「ハワイを理解する
まではバラクのことを本当にはわからないわ」と。いよいよ
大統領になったバラク・オバマを構成している要素の中に
ハワイが占めている比率はどれだけかわかりませんが、
生まれ育ったハワイを抜きにしては彼を語る事はできないの
かもしれません。

彼が常に言っていた、人種や宗教や党派を超えた社会という
のはまさにハワイのアロハ・スピリットだったのではないのか
などということを思ったりするのでした。

この一月、ハワイに行って、ノースショアにツアーで行った
帰りのバスで、ジェロに似た黒人ガイドのジョーイ君は
まもなくワイキキに着くあたりの路上で、アイスクリームの
バスキン・ロビンス(日本ではサーティーワン)の店を指して
「バラクオバマは学生の頃、このアイスクリーム屋でアルバ
イトしていたです」と言いました。それは小さな店でした。
彼が初めてしたアルバイトがこのアイスクリーム屋だったの
です。

なんだか急にバラクオバマが身近な人に感じられました。今
までは自分とは縁のない遠い存在と思っていたのですが、
このアイスクリーム屋の前を通っただけで何か歴史を共有
したような気持ちになったのは不思議なものです。
そうか、ここに少年バラクがいたんだ、そう思うと、何だか
急に親近感が湧いてきます。

今、ハワイでは、バラクオバマの足跡を辿るツアーが人気
だとか。そのコースにはもちろんこのバスキン・ロビンスも
はいっているようです。

こちらのハワイ観光局のサイトにはオバマ大統領とハワイの
関係のページがありました。
http://www.gohawaii.com/about_hawaii/explore/Obama

この間行ったばかりのハワイから帰ってきたら、オバマが
大統領になっていました。

大統領就任演説の最後のほうの言葉です。
「そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようでは
ないか。我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、
後戻りすることも、くじけることもなかった、と。
そして、地平線と神の慈しみをしっかりと見つめ、自由
という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と」

苦難の途上にあるアメリカ国民を勇気づけるような言葉
だと思います。この短い文書の中に、ビジョンと決意が
見えているような気がします。

香港に戻ってきました

2009-01-21 00:30:41 | HONG KONG
結局インドのデリーから、シンガポール経由で香港に戻って来る
のに二泊三日かかってしまいました。この前の記事をご覧になれ
ばその理由がわかりますが、霧のためにデリー発の飛行機が延期
になり、シンガポールの乗り継ぎが間に合わず、デリーで一泊、
シンガポールで一泊するということになってしまったのです。

香港への到着は月曜日の昼頃。その日はお客さんのところで打ち
合わせが2時から入っていたのですが、30分繰り下げてもらいま
した。荷物はハンドキャリーのみだったので、飛行機到着後10分
ちょっとでエアポートエクスプレスに乗車。1時過ぎには、香港
島の自宅に到着するという『24』のジャック・バウアー並みの
秒刻みのスケジュール。家について荷物を片付け、着替えをし、
でかけるのですが、この上の写真、家の窓から見えていた風景で
す。この部屋からは対岸の九龍側の景色が見えています。
部屋から見えるこの景色はちょっと気に入っています。

という感慨にひたる暇もなく、すぐに出かけていったのでした。

で、その夜は、東京からの出張者を交えてコーズウェイベイで
火鍋。けっこう眠気が襲ってきたので、早々に引き上げましたが。

しかし香港は寒いですね。日本はもっと寒いですが、暖房が
しっかり入っているので、室内で寒さを感じることはあまりあり
ません。しかし香港は、室内で暖房がないばかりか、冷房がきい
ていたりするので寒いです。

香港は(香港だけでなく中華圏全般ですが)いよいよ旧正月。
街のいたるとおろで飾り付けがつけられています。うちの
コンドミニアムも、オフィスの入っているビルも飾り付けが
今週からつけられました。

去年、コンドミニアムのロビーに大きな桃の木が置いてあった
のがついこの間のことのように思い出されるのですが、あれから
もう一年も経ってしまったのですね。月日の経つのははやいもの
です。

夜霧のデリーでの希有な体験

2009-01-19 02:49:19 | インド
インドのデリーのオベロイホテルで行われたイベントは
無事に終了し、ボリウッドスターを起用したテレビ
コマーシャルの評判も上々で、これで安心して香港に帰れる
と思っていたのですが、最後の最後で大変はトラブルに
なってしまいました。

すべての問題はデリーの夜霧でした。デリーの霧は、
ロマンチックとはほど遠く、時々飛行機も離着陸できない
ほどの迷惑な存在なのですが、1月17日の土曜日の夜霧が
まさにそれでした。

1月17日の夕方、私はインドに駐在しているうちの会社の
人間と、グルガオンのゴルフ場のクラブハウスでの優雅な
夕食を終え、デリーの空港に向かいました。ちょっと霧が
出ていたので、心配になったのですが、彼曰く、「これくらい
の霧だと、大丈夫。もっとひどいときはある」とのこと。
しかし、じつはこれがその時だったのであります。

9時頃にはチェックイン。シンガポール航空SQ407便で
シンガポールで、その後、別のSQ便で香港乗り継ぐ予定で
した。10時40分頃には機内に。その機内で、偶然お客さんも
乗り合わせていたので(それは知っていたのですが)、
ちょっとご挨拶をしてから、座席に座って離陸を待って
おりました。その時点での滑走路の視界(Runway Visibility
Range)は、離陸可能レベルだったのですが、夜の11時に
霧は急激に濃くなります。しかし、濃霧の状態は上下変動して
いたし、過去には急に天候が回復したことも多かったので、
離陸準備は続行となりました。

予定出発時刻は23時15分だったのですが、その時点でも
濃霧は回復していないまでも、回復の可能性もるということ
で、我々は機内にて待機ということになったのです。

午前0時30分、飛行機が空港の気象観測局に問い合わせたと
ころ、午前3時ころには雷雨が予想されているということで、
雨で霧が晴れる可能性もあり、我々は地上に停まったままの
機内で、夕食のサービスを受けることになります。夕食と
言っても、深夜の夜食ですが。

午前2時45分頃、機長が気象観測局に再度問い合わせた
ところ、濃霧の回復の見込みはなく、期待された雨雲も
見当たらないということで、全員飛行機から降りてホテルで
一夜を明かすという結論になったのです。後でわかったの
ですが、午前5時半頃、雨が降ったのだそうです。

飛行機を降りて、我々は疲れた足取りで、バスに乗ることに
なります。せっかく数時間前に長い列に並んで出国審査を
したばかりだったのですが、再びインドに。しかし入国審査
は簡易的にパスポートをチェックするだけでした。私のビザ
は一回限りとマルチプルの中間の二回というもので、今回で
二回使い果たしているけど大丈夫かなと思ったのですが、
さきほどの出国分をキャンセルとしてくれました。

我々はほぼ全員、市内のラマダホテルに向かうことになり
ます。空港からバスに分譲して乗り込むとき、何かこれって
ナチスの収容所に向かうときのような感じなんじゃなかろう
かなんてことを感じたりしました。

30分以上かけて、バスはホテルに。またホテルに着いてから
が大変です。こんな深夜にこれだけの数の宿泊者を急に受け
入れるホテルのほうもまたすごいですが、ここでもまた長蛇
の列。なかなか進まないので、インド人のおじさんが切れて
どなりちらして怒っていました。

やっとのことで部屋の鍵をもらって部屋に入ったのは午前4
時過ぎ。翌朝何時に起きたらよいのかもわからず、とりあえ
ず寝ることに。8時ころ電話がなりました。英語の自動音声
で、8時半から食事、出発は10時というのです。本当にここは
軍隊かという感じです。4時間くらいしか寝てません。
上の写真は朝起きたときに見えたホテルの部屋からの風景です。
まだ霧が立ちこめている感じがします。

10時前にチェックアウトし(ホテル代は航空会社持ち)、
バスを待つのですが、これがまたバスが来ない。結局ホテル
側の手配でタクシーに分乗し空港に向かうことに。

空港についたら、再度チェックイン。欠航便の人だけ用の
カウンターができていて、そこで再びボーディングパスを
もらいます。ここでもけっこう待ちました。

そして、出国審査。もう足が棒になります。それが終わった
とおもったら今度はX線検査。これも長蛇の列。濃霧の為に
前日何便もが欠航しているので混むのは当然ですが、しかし
インドはこういう部分が効率的でない。

というやっとのことで飛行機に乗れたのですが、SQの対応
非常に誠意のあるものでした。飛行機に乗るとき、前日の
状況を説明した書類が配られ、いろいろな状況が説明されて
いました。さらに全員に、チョコレートが配られます。
それもお土産用の箱入りチョコ一箱づつです。

かくして飛行機は無事に飛び立ちました。無事に飛んで
くれてまずは万々歳。

シンガポールに着いたのは夜10時過ぎだったので、乗り継ぎ
はできず、翌朝の便で香港に向かうのですが、シンガポール
航空のほうで、一泊分のホテルを提供してくれました。濃霧は
自分のところの責任ではないのですが、ここまでしてくれるの
はすごいです。ホテルはペニンシュラをあてがわれましたが、
ここはうちのオフィスのそばなので、さらに便利。さきほど
ついでにクーリエで送ろうと思っていた書類をポストにおいて
きました。

ではまた。


 


デリーに到着

2009-01-16 04:37:35 | インド
ハワイとはうってかわってデリーです。この間までハワイにいた
かと思うと、埃っぽくて騒々しいインドにいるのが信じられま
せん。今、夜中なのですが、上の写真はこの前デリーに来た時に
撮影したものです。インドでは小型車はサイドミラーのない車が
多いです。余計なものはいらないというか、インドでは後ろを
気にしないで前だけを見て走っていくというか、やはりインドは
独特です。明日は、デリーの一流ホテルで、この間撮影したCM
の完成試写と、キャンペーンのお披露目があります。マスコミの
記者会見とかがあるのですが、さてどうなりますやら。

ホノルルから成田へそして香港へ

2009-01-15 02:14:15 | ハワイ
今朝、ハワイにいたかと思ったら、日本の成田を経由して、
香港に戻ってきました。実際には日付変更線を越えているの
で二日が経過しているのですが、地球の自転に逆らって
どんどん西に向かっている感じです。今夜は香港にいるの
ですが、明日はシンガポール経由でインドのデリーです。
飛行機ばっかり乗っているので、今自分がどこにいるのか
わからなくなってしまいそうです。

今朝(火曜日の朝)、ハワイのクヒオ通りの小さなカフェ
で朝食を食べました。日本人のあまりいないアメリカンな
感じの店でしたが、そこでフレンチトーストのセットを食べ
ました。妻はオムレツのセットでしたが、彼女の大好きな
ポテト(ベイクトポテト)がいっぱいついていて大満足でした。

朝の爽やかな空気の中を、タクシーで空港へ。空港では、
女優の山口智子さんを見かけました。私は全然わからな
かったのですが、芸能人を見分けることにかけては天才的な
直感力を持つ妻が、即座に見つけました。ベースボール
キャップをかぶっていて、顔もあまり見えないのによく
わかったものです。そう言われてみると、そうかもという
感じでしたが、スタイルは抜群にいいし、普通の人とは違う
美しさを感じさせる人でした。

しかし、ハワイを去るのはいつも切ない気持ちになります。
パラダイスから現実世界に戻るという感じです。
できることならば、ずっとハワイに留まりたいという思い
がいっぱいです。「来年もまた来ようね」と約束しあう
私たちでした。

成田空港に着いたのはもう日没近くだったのですが、
ここで妻は東京の下町に帰ります。今のところ私は
単身赴任で香港にいますので、成田でお別れです。
ちょっとこれまた切ないシチュエーションです。
成田で一旦、お茶をした後、妻に送られて、私は再び
旅を続けるのでした。

上の写真はANAのラウンジから見える風景です。
パソコンを開いてメールチェックをしたら、仕事のメールが
すごくいっぱい届いていました。優先度の高いメールに返事
を出しているうちにあっという間にボーディングタイム。

またまた機内食です。明日もまた機内食を食べ続けることに
なります。やがて飛行機は香港に到着しますが、今回の機内
アナウンスの英語の発音、わりと奇麗でした。ときに機内
アナウンスの英語はちょっと聞いてられないなと思うとき
があるのですが、今回は合格。やたらに巻き舌でわかりに
くい英語を話すCAが多い中で、こういう人は好感が持てます。
映画『ハッピーフライト』に出てくるような奇麗なCAさんも
何人かいました。

機内で、福島正伸さんという人の書いた『リーダーになる人
のたった一つの習慣』を読みました。面白かったです。
「上司は、仕事を楽しむ。部下が仕事をしたくなるくらい、
楽しむ」という言葉、印象的でした。
人を動かすということはいろいろ大変です。

これを書いているうちに飛行機は、香港の空港に向けて
着陸体制に入りました。ではまた。



ハワイでの日々はあっという間に過ぎて

2009-01-14 01:48:28 | ハワイ
今日の飛行機でハワイから帰ります。私の場合は、日本に行って、
そこから香港に行き、翌日は今度はシンガポール経由でインドの
デリーなので、今日からまた旅が続くのですが。香港に戻るのは
今週の日曜日の午後になります。

ハワイに到着したのは、先週の金曜日の朝、今は月曜日の朝なの
で、滞在5日めになるのですが、もうあっという間に終わってし
まったという感じです。来る前は、これだけの日数があれば、
十分楽しめるなと思っていたのですが、終わってみるとあっと
いう間です。ハワイの最終日にいつも思うことは、もっと長く
いたい、できることならば現実に戻りたくないということです。

上の写真はワイキキの夕陽の写真です。シェラトンワイキキと
ハレクラニの間の小さな砂浜から撮りました。ちょっと色を調整
しているので、絵のように鮮やかな色なのですが、でも思い出の
夕陽はこのように鮮明なので、この写真もある意味で真実です。

滞在中、毎日夕陽を見る事ができました。天気に恵まれていま
した。妻は、アラモアナショッピングセンターなどへ買い物に
出かけていて昨日の夕陽しか見ていませんが(笑)。

今回のハワイ滞在で、いつも目の前に海を見ていて、はっきり
した水平線を見て地球の大きさを感じ、波の音を聞きながら、
地球のリズムを感じ、地平線に落ちてゆく夕陽を眺めながら、
地球の営みを感じるのは、この地上に人間として生かされて
いる我々には重要なことなんだとつくづく思うのでした。

かつてハワイは最も俗化された観光地だと思っていました。
旅行者の中でも、初心者の旅行者ばかりがたむろう場所で実に
面白くない場所であると思っていました。実際にここに来る
前は。今でもそのように思っている人も多いことでしょう。

しかしハワイに来てみて、ここはスペシャルな場所であると
いうことを感じました。これまでに何度か来ていますが、その
思いはさらに強くなるばかりです。ハワイの魅力は人それぞれ
に違うのですが、ハワイは気候もよい上に、そこに存在する
アロハスピリットというものがあります。ひとたびそれに
触れると、人は何度でもここに戻ってきたくなるのではないで
しょうか。

一昨日、ノースショアにツアーで行ったときに、一見ジェロ
のような黒人のガイドのジョーイ君が、「皆さんAloha!という
言葉には三つの意味があるのを知っていますか?さて何で
しょう?そう、こんにちはとかの挨拶の言葉ですね。それから
そう、さよならという別れの言葉、さて最後の一つは?」
とみんなに聞きました。まさか「愛してる」じゃないだろな
と思っていたら、ビンゴ、「I love you」ということです」
というではありませんか。私は、これを聞いて一人で感動し
てしまいました。そうか、ハワイには愛が満ちていたんだ!

「日本の皆さんはI love youと言ったりするのは照れてしまう
と思うのですが、そういうときはアロハ!と言いましょう」と
そのジョーイ君は言っていました。素晴らしい!私たちは
ツアーの最後に彼にチップをあげました。他の人はとくに
チップをあげていないようでしたが、人は人、自分は自分と
いうことで、あげたら、ジョーイ君は喜んでいました。彼の
笑顔は忘れません。

たまたまハワイに野口嘉則さんの『三つの真実』という本を
持ってきていて、昨日読み終えたのですが、そこでも偶然に
出て来たキーワードが愛でした。そういえばNHKの大河の
直江兼続のキーワードも『愛』ですね。



こちらの写真は昨日散歩をしていたらワイキキビーチ沿いの
ベンチで見かけたアメリカ人の老夫婦の姿です。二人はとくに
会話するでもなくそれぞれ本を読んでいたのですが、この
ベンチの座り位置の距離感の近さに感動してしまいました。
このベンチの両サイドはずっと空いているのです。この夫婦は
身体がふれあうほど近くはないにしてもかなり近い距離で座っ
ています。年をとってもこれだけの近さで寄り添える夫婦って
素敵だなあと思うのでした。

ちょっと前に、村尾隆介さんという方の書かれた『小さな会社
のブランド戦略』という本を読んだのですが、この人がこの本
の構想を思いついたのは、ハワイでレンタカーを借りて運転し
ているときに信号待ちをしている瞬間だった、と書いているの
が印象的でした。ハワイで運転者が歩行者を絶対的に優先させ
る態度、みんなで譲り合う姿勢を見て、その思いやりの心が
人に伝染していく。それが会社経営でも重要なことという話で
した。これもアロハスピリットです。

もうじきハワイを後にする時間になります。さっき妻が、
「みんなパチンコとかギャンブルとかでお金を使っている人
がいるけど、そういう無駄遣いしないで、ハワイにくれば
いいのにね」と言っておりました。

さてこちらは最後に定番の風景、ダイヤモンドヘッドです。



では、Aloha!

ノースショアに行ってきました

2009-01-12 14:27:30 | ハワイ
今日はノースショアに行ってきました。この写真はサンセット
ビーチ。結構波が高いのですが、サーフィンのシーズンの時は
もっと波が高いのだそうです。私たちが行ったときは、
サーファーの姿は見かけられませんでした。

このビーチの近くで、ウミガメの上陸スポットで有名なビーチ
があり、たまたまツアーバスで通りかかったときにウミガメが
目撃できたので、バスは急遽そこでストップ。ラッキーなこと
に、浜辺で大きなウミガメを見る事ができました。



自然保護団体のひとたち数人が守っているのですが、このカメ
は雄で名前はブルータスというのだそうです。カメはハワイで
はラッキーアイテムで、海辺でウミガメを見られることはとて
もラッキーなことだということでした。

お昼前にツアーバスはサーファーの町、ハレイワに到着。ここ
でMy Wifeがまず、目指したところはハレイワ
スーパーマーケット。



ここのエコバッグは日本でなぜかすごい人気なのだとか。
私は全然知らなかったのですが、たしかにインターネットを
検索してみると、ハレイワスーパーマーケットのエコバッグ
の情報がすごくいっぱい。

実際にこのスーパーに入ってみると、実に地味なスーパー。
レジカウンターのそばに、エコバッグやTシャツのオリジナル
グッズを売っているコーナーがあるのですが、それ以外は
ごく普通のスーパー。そこで私もTシャツを買ってしまいま
した。こちらがそのコーナーの様子です。



そしてお昼は、ハレイワのクアアイナ。ここはハンバーガーで
有名なお店で、日本にもお店が何店舗かあるようです。



スモールなのにかなりのボリューム。でもとっても美味しかった
です。

ノースショア方面は初めてだったのですが、そののんびりした
雰囲気はとってもよかったです。ワイキキからノースショアへ
向かうハイウェイにディズニーランドが建設予定だとガイドの
人が言っていました。ハワイにはディズニーランドとかは必要
もないのにと思いましたが、ディズニーランドとかができてし
まったら無敵のリゾートになってしまいますね。

ハワイでは早起きは三文の得

2009-01-11 18:12:08 | ハワイ
今日は、朝早く起きて、ハワイのホノルルのKCC(カピオラ二
コミュニティカレッジ)の朝市に行ってきました。土曜日の朝
だけやっている朝市なのですが、今日はとっても爽やかな天気で、
朝早く起きて行ったかいがありました。

ワイキキからバスで行こうかと思ったのですが、時間がもったい
なかったので、ホテルからタクシーで行くことにしました。
カピオラ二パークをずっと抜けて、ダイヤモンドヘッドがもう
すぐというあたりの大きな駐車場の一角にマーケットはありま
した。露天のテントがいくつも見えます。地元の人から観光客
まで、かなりたくさんの人たちが来ていました。

まずは、ジンジャエール。

ここはパシフィッククールというお店ですが、手作りで作って
くれます。フレッシュなジンジャーの香りがして、とても爽や
か。おいしいです。

そしてこちらはジャムのお店。試食をしたらとても美味くて、
買ってしまいました。買ったのはリリコバターというやつで
した。


こちらのサラダドレッシングも美味。右側のものを買いました。


そしてこちらのシナモンロールも。

こちらは一回りしてきたら、もう残り少なくなっていました。

これ以外に、買ったものは、ソーセージ&エッグプレート、
パパイヤの切ったもの、ポップコーンなど。みんなとても美味し
かったです。

My Wifeは、新鮮な野菜を見て、買いたそうだったので
すが、日本に行くまでにまだ日にちがあるし、またホテルでは
料理できないので、買えないのを残念がっていました。
試食にむらがる日本人観光客の集団を見て、さすがのMy Wife
もちょっとひるんでいました。

しかし、ここに集まっている人たちは、売る人も、買う人も
みんな幸せそうな感じで、幸せのお裾分けをもらったという
感じがしました。

ハワイに到着

2009-01-10 18:09:03 | ハワイ
ハワイに到着しました。日本や香港とは時間の流れが全然違って
いてまさにここはパラダイスという感じです。暖かくても湿度が
低いので、じつに爽やかです。

ホテルはシェラトン・ワイキキ。現在、まだプールサイドが工事
中になっているのですが、その分、オーシャンフロントの部屋で
もちょっと安い値段で取れてしまいました。部屋から見える海は
もう感動もの。ベランダから真下を見ると、工事現場が見えるの
ですが、それはほとんど気になりません。

朝の9時前に到着したのですが、追加料金を払えば部屋に入れる
ということで早めに部屋に入れました。

昼前に、ちょっと近所を散策。ワイキキショッピングプラザの
地下のアクアレストランで、ハワイ名物のロコモコを注文。
このレストランは、3年前にも来たことがあったのですが、
ロコモコを食べそびえれてしまい、ずっと心残りだったのです。


ご飯の上にハンバーグステーキを乗せ、その上に目玉焼きが
一個乗っている実にシンプルなB級のメニューなのですが、
これがおいしい。やっと念願のロコモコが食べれてまずは満足。

夕方は、サンセットが真正面に見えました。こんなクリアーな
サンセットは感動です。水平線がきっちりと見えています。



水平線に落ちる夕日を眺めながら、こういう風景をゆっくり眺め
るのは、何て久しぶりなんだろうと思うのでした。

これからハワイに向かいます

2009-01-09 16:47:11 | ハワイ
今、成田空港でトランジット中です。これから休暇でハワイに
行きます。ハワイで結婚したのは約3年前。正確には12月なの
ですが、その3周年アニバーサリーです。

香港から今朝の飛行機で来たのですが、成田からUAです。
到着するのは今日の朝というちょっとした逆戻り。長い一日です。
やっぱりどこかに遊びで行くときって、行く前がすごく楽しい
ですね。何か無限の可能性があって、うきうきします。

しかし、前から思っていたんですけど、UAの飛行機ってデザイン
がかっこいいですね。色のコンビネーションもいいし、書体も
すごくいい。以前はアメリカ出張が多かったので、けっこうUA
を使っていたのですが、アジアに来ると、あまり乗る機会がない
のが残念です。

それではまた、向こうについたら状況をお知らせします。

永遠の清純派、ヴィヴィアン・チョウの結婚

2009-01-07 18:08:33 | HONG KONG
香港の永遠の清純派アイドル、ヴィヴィアン・チョウ(周慧敏)
が、1月5日の月曜日、香港島の自宅で結婚式をしたそうです。
上の写真はその時のものですが、ヴィヴィアン・チョウは90年
代に活躍した香港の歌手で、90年代後半から芸能活動を控えて
いました。当時は一世を風靡したアイドルなので、芸能界から
遠ざかった今でも根強い人気を誇り、41才になった今でも、
「永遠の清純派」としてマスコミに注目され続けています。



さてこのお相手の男性は、作家兼ラジオDJのジョニー・ニー。
じつは19年もつきあってきた末の結婚なののですが、これがまた
ジェットコースターのように破局と結婚宣言を繰り返してきた
お騒がせカップル。昨年末、ジョニー(44才)が女子大生の
ミッフィーちゃんと浮気をしていたのが発覚、怒ったヴィビアン
はジョニーに愛想をつかし、破局宣言。すぐに泣いて謝り、復縁
をせまるジョニーの真剣さにヴィヴィアンは心を開く。昨年、
12月18日の突如の結婚宣言。破局とラブラブを繰り返すこの
カップルには、マスコミもあきれ果てておりました。

ジョニーは、このため昨年は香港一の「最低男」とまで呼ばれる
栄冠を勝ちえました。ヴィヴィアンのほうも、せっかくの美貌と
名声がありながら、なんでよりによってこんな最悪の男と付き合
うのかということで非難の的になっておりました。

それが、この1月5日の結婚式。何かかなり焦った感じで、
「やっちまったなー!」(クールポコ風に)的状況ですね。
これは、このままではすまされない、このジョニーという男は
絶対にまた浮気事件を起こし、このカップルは遠からずして
離婚となるのではないかと確信している人も多いのだと思います。

さて、このヴィヴィアン・チョウ、この人のことは日本では
あまり知られていませんが、90年代には日本の雑誌にもちら
ほらと取り上げられたことはあります。
たとえばこのスーパージャンプの表紙、

これは1997年のもののようです。またこの年、I want to see
youという意味の日本語のシングルCDも出したようですが、
これはYou Tubeには見当たりませんでした。

じつは、私が1997年にシンガポールに行った頃、たまたま
見つけた彼女のCDの写真を見て、香港にはこんなに素敵な
人がいるのか、とびっくりしてファンになったのでした。
彼女の曲の中では、北京語で歌ったデュエット曲の『流言』
というのがとくに好きでした。この曲です。
http://jp.youtube.com/watch?v=CIHFbSNOA1Q

ヴィヴィアンは1967年11月20日生まれの21才。
My Wifeは、1968年5月生まれなので
ほぼ同年代のアラフォー世代。ウィキペディアを見ると、
90年代後半にカナダに移住し、それをきっかけに一切の
芸能活動から引退したと書かれていますが、じつは2003
年に香港に戻り、いろいろと活動をしていたのですね。

2004年から香港資生堂の広告キャラクターに起用されます。
それが香港だけでなく、アジア向けのキャラクターとなり、
何年も契約更新されています。こちらがその広告の一つ。



この広告見た事があったんですけど、まさかこれがあの
ヴィヴィアン・チョウだとは思わなかったです。しかし、
90年代に高校生の間で絶大な人気があったという彼女は、
まさにリバイタルのターゲット層をがっちり押さえている
わけで、マーケティング的には見事な選択といえるのでは
ないかと思います。しかも彼女は、「永遠の清純派」と
言われるだけあって、40を過ぎてもその美貌は健在。
まさに、アンチ・エージングですなあ。

この広告以外にも、パンテーンとかその他いくつかの広告
キャンペーンで起用されています。この人のことをもっと
詳しく調べたいかたはこちらのサイトをおすすめします。

こちらは英語と中国語ですが、情報満載です。
http://www.vivianchow.info/

またこちらは、オフィシャルウェブサイトです。最近の
雑誌記事や、広告の写真もいっぱい出ています。
http://www.vivianchow.asia/en-us/home

みなさん、ヴィヴィアン・チョウをよろしくお願いいたします。

TBSに敢然と抗議した愛知県田原市の真の実力

2009-01-06 18:13:34 | 日本
この写真は、愛知県の豊橋駅から、田原に向かう渥美線の
駅のホームです。

昨日、インターネットで検索していたら、我が故郷の田原市
のことがいっぱい出ているではありませんか。TBSの番組で、
トヨタ自動車の業績悪化で大幅減収が見込まれる我が愛知県
田原市について、「道路は穴があいても放置」とか報道して
しまったことに対し、田原市が敢然と抗議。これに対して
TBS側が市に謝罪をしたとの経緯があれこれとニュースに
出ていました。現在、香港に住んでいるので、これは全然
知りませんでした。

この謝罪の記事が出始めたのは昨年の暮れの12月の27日頃。
田原市の法人所得税が大幅に下がるというニュースは、
12月の初旬、実家の建前のために日本に来た際に、読売新聞
に出ていたのを偶然読んでおりました。この頃、田原市の
法人市民税の落ち込みに関する記事があちこちに登場します。
TBSの「ピンポン!」という情報番組での問題発言は12月の
12日。その後、田原市がTBSに抗議。TBSはまずは電話で
田原市に謝罪。そして26日に書面での謝罪ということに
なりました。以下はTBSの報道情報本部情報制作局長から、
田原市長宛に送られた謝罪文です。

これは田原市広報のホームページに掲載されております。
http://www.city.tahara.aichi.jp/news/tv_news.html

またこのホームページには、『報道の問題点と市の見解』
ということで以下のようなコメントが出ていましたので
引用します。

● 田原市の来年度予算について、財政危機がバラエティ
仕立てで放映されたことは誠に遺憾であります。

● 「道路は穴が開いても放置、河川は氾濫するかもしれ
ない」とコメントされましたが、これらを含めた公共施設
などの維持管理に関する予算は、的確に確保する方針です。

● 「小中学校の耐震化工事ができなくなり、市内の小中学生
は心配」とコメントされましたが、田原市ではすでに小中学校
校舎のうち98.4%(128棟中126棟)が耐震化工事を完了済み
です。耐震化率は全国でもトップレベルにあります。
残る2棟についても耐震化設計は完了しており、工事施工は
検討中です。

● 「法人市民税が8割減収したら、予算を組めない」という
表現は、事実を的確に捉えていません。市の税収は法人市民税
以外に、個人市民税、固定資産税、都市計画税などがあります。
法人市民税のみで税収がまかなわれているものではありません。

● 田原市は農業産出額が全国1位を誇るなど、工業以外の産業
も活発であり、これらを活かしたバランスの良いまちづくりを
推進しています。

田原市の反論はさすがです。トヨタだけに依存している地方
都市ではないぞ、馬鹿にしちゃあいかんよ、と言わんばかり
のコメントです。

実際、田原市は、農業産出額では日本一、第一次産業就業者の
割合も33.3%で日本一、また完全失業率の低さも2.39%で
日本一なのです。菊の花や、鉢植え観葉植物、バラなどの
産出額も日本一。トルコキキョウ、ガーベラ、スイトピー、
サボテンなども全国上位に入っています。一昨年は、キャベツ、
ブロッコリーの産出額でも日本一を記録していました。
この他にも、トマトとチンゲンサイが全国三位、スイート
コーンが五位、セロリが六位、メロンが七位というハイスコア。
養豚も全国七位。これだけみると見事な農業王国です。

また、四角いメロンのカクメロを産み出した渥美農業高校も
テレビで有名になったし、伊良湖岬や恋人たちの聖地と
うたわれる恋路が浜、サーフィンのメッカの赤羽海岸など
観光スポットもいっぱい。アサリや海苔などの海の幸も豊富。
名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつと歌われる
『椰子の実』(島崎藤村作詞)の舞台もこの伊良湖岬です。
観光的にもかなりすごい。

また、オオハクチョウも飛来すると言われるこの町の汐川干潟
は、バードウォッチャーの間では全国的に有名なスポットです。

さらに、さらに、昨年の高校野球春の選抜では、田原市の
成章高校(私の母校)が、駒大岩見沢を初戦で破り、二回戦
まで勝ち進み、応援で日本一に輝きました。夏の大会では
東愛知大会決勝戦で惜しくも大府高校に破れましたが野球も
伝統があります。そして、光浦靖子さんや、おわらいの
「はんにゃ」の金田君も田原出身。
まさに文武両道(?)という感じですね。

私も同じ田原市出身者でありながら、先月27日の自分の
ブログで「田原市はトヨタで持っているようなもの」という
ような問題発言をしてしまって反省しています。
たしかにレクサスなどを作っている田原工場から入る法人
所得税が減るのは痛いのですが、これまで市民一人当たりの
市の予算額が愛知県内でトップで、しかも法人所得税は
全体の税収のうちで3割前後なので、トヨタショック
による影響があったにしても、自治体として致命的なことに
はならないのでしょう。底力のある自治体です。

高校を卒業してから、東京にあこがれて故郷を捨てた私
ですが、すごく素敵な町で生まれ育ったものです。毎年、
一年に何回かこの町に帰りますが、なんかこういう田舎が
あってよかったなあといつも思っています。
田原市民の皆様、田原市役所の職員の皆様、これからも
がんばってください。はるか遠い香港から応援しております。