南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

十年一昔というけれど

2007-01-31 02:25:40 | シンガポール
あらためて指折り数えてみたら、シンガポールに来てから
すでに十年が経っていました。旧正月を経験するのは11回
めのことになります。十年一昔といいますが、なんだかす
ごい年月が経過していたのですね。まるで浦島太郎になっ
たようです。

97年にシンガポールに住み始めた頃、日本の首相は橋本さん
でした。翌年は小渕恵三さんになりました。一年おいて、
首相は森さんになりました。2001年には小泉さんになりま
した。そして2006年、安倍さんになりました。全部で5人
です。なんかすごい長い間、日本を不在にしている感じです。

平成何年と言われてもさっぱりわからなくなりました。
こちらでは西暦しか使わないので、今が平成の何年とか書類
に書かなければならないときには、全然わかりません。日本
はなんて不便な年号を使っているのでしょう。天皇制と関係
があるのですね?とはいうものの何か不便です。

1997年に、ダイアナ妃が事故で亡くなりました。モーニング
娘がデビューしました。98年、Xジャパンのhideが自殺しまし
た。松坂大輔が横浜高校で活躍していました。浜崎あゆみが
デビューしました。宇多田ヒカルがデビューしました。
相撲は若貴時代でした。1999年はノストラダムスの大予言に
よれば世界滅亡の年でしたが、世界は滅亡しませんでした。
厚底サンダル、ガングロ、カリスマ店員がブームになりました。
2000年は、パソコンの2000年問題が騒がれましたが、それほど
の大混乱にはなりませんでした。三宅島が噴火しました。
高橋尚子がシドニーで金メダルをとりました。ユニクロが流行
していました。2001年、アメリカで同時多発テロがありました。
2002年、UFJという銀行ができました。みずほ銀行という銀行
もできました。サッカーワールドカップが日本・韓国で開催
されました。アザラシのタマちゃんが人気でした。いろんな
ことがありました。そんなことがあっという間に過ぎていき
ました。こうしてみてみると、何だか本当に浦島太郎になった
気分です。

ところで、上の写真は、浦島太郎が亀を見つけた現場ではなく、
シンガポールのイーストコーストパークという海岸です。
シンガポールの空港の近くから10キロ以上も続く公園ですが、
ここは家からもそんなに遠くないので、時々よく来ます。
こういうのんびりした場所が近くにあると、なんだか時の
変化などどうでもいいようなゆったりした気分になってしまい
ます。浦島太郎なら浦島太郎で別にいいじゃないかとさえ
思ってしまいます。

流行や情報を追いかけることが、人生においてはそんなに
意味のあるものでもないのだなあと、ふとそんなことを
思ったりするのでした。




シンガポールのラブレター

2007-01-30 01:36:14 | シンガポール
ご無沙汰をしておりました。なかなか更新できなかったので、
私はどうしてしまったのだろう、ひょっとして上海に行った
まま失踪してしまったのでは、あるいは拉致されてしまった
のではとご心配された方もあるかもしれません。ご心配おか
けしましたが、私は何とか生きております。

一月の三日に東京からシンガポールに戻ってきましたが、
翌週の11日に出張で上海へ行き、13日にシンガポールに戻っ
きました。そしてまた翌週の17日の水曜日にまたまた上海に、
行ったかと思ったら、20日の土曜日にシンガポールに戻って
きました。この二回目の上海行きで、シンガポール航空の
マイレージがシルバーからゴールドに昇格!ラウンジを使う
ことができました。

上海は寒いかと用心して、東京で買っておいたダウンジャ
ケットを着て行ったのですが、打ち合わせで会った人たちの
中で私が一番寒そうな(暖かそうな)格好でした。気温は
10度前後だったので、それほど酷寒というほどではなかった
のですが、シンガポールに比べれば20度以上の気温差。
シンガポールに慣れた私としては、ちょっと厳しい寒さで
した。

ところで、上の写真の話しをしなければいけませんでした。
中華圏はまもなく旧正月ということで、(今年は2月18前後
の)旧正月に向けて、お祝いムードが高まっています。
シンガポールは19日と20日が公式の祝日ですが、中国では
19日の週がまるまる休みになります。

旧正月の期間には、みかんや、いろいろなお菓子が登場しま
すが、この写真のお菓子も定番のお菓子の一つです。薄い
せんべいが、筒状になっているものですが、その名前が何と
「ラブレター」というロマンチックな名前になっています。
そういわれて見れば手紙のようにも見えますが、缶の中に
こんなにいっぱい入っているのも何となく切ない感じです。

原材料は、小麦粉、バター、砂糖、卵、ココナツミルク、
タピオカスターチ、米粉ということで、クッキーのように
甘いのですが、食べるとぼろぼろと崩れ落ちていき、なか
なかキレイには食べられません。その崩れ落ちるはかなさ
が「ラブレター」たる所以なのかと考えてしまいます。

先日、NHKの『名作平積み大作戦』を見ていたら、森田健作
さんが、石坂洋次郎の『青い山脈』をプレゼンしていました。
この本は読んだことはなかったのですが、その話しの発端に
なるのが一つのラブレターだったのです。主人公の女学生へ
の嫌がらせ(?)として、同級生の女生徒が書いた偽物の
ラブレターだったのですが、それが原因で事件がどんどん
広がっていくのです。

その本の内容は、まあどうでもよいのですが、そのプレゼン
の中で、森田健作さんが、50人のオーディエンスに、「ラブ
レターを自分で書いた、あるいはもらったという人は」と
挙手を促したのに、手を挙げた人はわずかでした。今の時代
にラブレターというのは、過去の遺物となってしまったので
ありましょうか。

さて、私自身はどうでしょうか?この年齢になれば、もう
時効かと思いますので、告白しますが、高校の一年の時に、
同じクラスの子に出したのが最初で最後でした。教室の机の
中に入れておいたのかと思います。少しふっくらとしたタイプ
の人でした。すごく恥ずかしかったので、英語で書いてしま
いました。高校一年の頃の英語の語彙はたかがしれているの
で、微妙な表現はできなかったと思います。

それからその人が、その手紙をきちんと読んだのか、また
内容が正確に伝わったのか、などの疑問が確認できぬままに
残りました。本当はそれをきちんと確認するのが男らしい態度
なのだと思うのですが、私は、それをうやむやにしたまま
いつの間にか、大学受験に没頭してしまっていました。

本気で思いを伝える勇気があったのなら、もっとストレート
に表現していたのでしょうが、私は中途半端でした。今の
恋愛感覚からは納得できないかもしれませんが、とてもとても
恥ずかしがりやだったのですね。

思えば、まあ、そういう思い切りのよくないところがあって、
年を重ねてきたおかげで、今の妻に出会うことができたのだ
と考えれば、そういう中途半端な思いでも、それはそれで
よかったのだと納得してしまいます。

ラブレターの切ない思いででした。

突然ですが上海です

2007-01-12 02:17:00 | アジア
突然ですが、木曜日から出張で上海に来ています。寒いです。
土曜日にはシンガポールに戻る予定です。この上の写真は
本日ホテルにチェックインした時に窓から撮影したものです。
今朝は、朝の7時40分の飛行機で、4時起きで、ほとんど
寝られなかったので、眠いです。早くねます。
では、すごく短いですが、今日はこのへんで。

朝まで七福神新春討論会

2007-01-09 00:10:06 | 日本
昨日、七福神に関しての記事を書いたついでに、この七人に
討論会をしてもらったらどうだろうかと考えました。で早速
マイクロソフトのクリップアートのサイトから七福神を探し、
それをパワーポイントに貼付けて、文字をレイアウトしたも
のが上の絵です。なんだかおめでたい感じですね。

それでは早速、七福神の皆さんに登場いただいて、新春討論
会を開催したいと思います。それではよろしくお願いします。

司会「本日は、皆様新年でお忙しいところお集りいただきま
してありがとうございました。皆様は同じチームに属してい
ながら、なかなか一同に会して語り合う機会がないのではな
いかと思います。本日はこの機会に、日頃なかなか言えない
意見をご遠慮なく出していただければと思います。それでは
まず、弁舌に秀でた弁財天さんに口火を切ってもらいましょ
うか」

弁財天「もう、いきなり来ましたね。言っときますけど、私
は本当は弁舌よりも、音楽のほうがメインなのよ。だから、
ほらここにギターを持っているでしょ?」

寿老人「それはギターやのうて琵琶やろ」

弁財天「あら、ご老人、これも広義のギターでございますの
よ。琵琶というと古くさい感じがしますが、今ならさしずめ
流行のシンガーソングライターという感じでございますわね」

司会「弁財天さんが音楽の才能があるというお話がでましたが、
他の皆さんはいかがでしょうか?」

恵比須「はーい、おれ、おれ、おれ」

司会「はい恵比須さん、どうぞ」

恵比須「おれはねえ、釣が得意なのよ。ほらこの鯛もさっき
釣って来たばっか」

寿老人「ちょっと、えびっちゃんさあ」

恵比須「そんな友達みたいな呼び方しないでよ、じいちゃん」

寿老人「じいちゃんって、あんたと歳はほとんどかわらん
じゃろが。どうでもいいけど、その鯛は魚屋で買ってきたもん
じゃろうが。このへんで鯛は釣れんよってに」

恵比須「もう、ぼやき老人!そんなこと言うけど、あんた何が
できるんよ!」

寿老人「わしゃ無趣味や。それが何が悪い?」

司会「まあまあ、まだ正月なので、なごやかにいきましょう。
他にどなたか、いかがですか?先ほどから厳しい表情をして
おられる毘沙門天さん、どうですか」

毘沙門天「私の得意技は武術。言っちゃあなんだけど、この
メンバーの中で一番引き締まった肉体をしている。そこの
布袋さんのような体形は我慢できないんだよね」

布袋「ほっていてくれ」

弁財天「今、聞き逃した皆さんにご説明しますが、これは
布袋とほっといてくれのしゃれですから、笑いましょう」

布袋「ありがとう、弁財ちゃん。ひょっとしてぼくに気が
あるのかな?うひひ」

弁財天「セクハラで訴えますよ!」

布袋「法廷か!」

毘沙門天「みんな私の話しを聞いてよ。今、大河ドラマで
風林火山が始まったでしょ。実は、上杉謙信は、毘沙門天
の生まれ変わりと自称してたのです。上杉謙信はGacktが
演ずるくらいですから、すげーイケメンなんですよ、ぼく」

寿老人「へん、自分で言ってりゃ世話ないよ」

毘沙門天「ご老人、私はそういうかすかなつっこみも聞き
逃しませんよ。私はまたの名を多聞天とも言うのですから」

寿老人「わかった、わかったからそんな矛のようなもんで
わしを突っつかないでくれよ」

司会「毘沙門天さん、凶器は禁止です」

大黒天「あのぉ、このぼくが持ってるこの打ち出の小槌も
凶器と見なされるのかなあ」

福禄寿「それで殴られたら、わしの長い頭が割れてしまう。
凶器と言わずして何ぞや」

大黒天「悪気はないんだけどなあ。これは核の抑止力と同様
のもので、いじめにあいそうな時にこれがあると安心」

弁財天「あんた、そんなことのために小槌を持ってたの?
そんなヒップホップ系みたいなキャップをかぶってからに」

大黒天「ねえさん、ぼくの話しを聞いてくれ。ぼくはインド
から来た。もともとは、怒れる若者だったのだね。怒りすぎ
て顔がどす黒くなった。それを人はガングロと呼んだ。それ
を漢字で書くと大黒となった。日本に来てから、因幡の白兎
で有名な大国様と混同されて、顔が白くなった。でも名前は
大黒のままだった。ぼくの過去を知るものが、ぼくをいじめ
た。そのいじめが怖いので、小槌で自己防衛するようになっ
た。あるいはお金で解決できることならばと、この小槌から
お金も出せるようになった。背中に担いだこの大きな袋は実
は、エアバッグなのです。チーマーに囲まれて暴力を受けた
場合でも身体を守る事ができるのです」

弁財天「(もらい泣きをしながら)あんたもいろいろと辛い
ことがあったんだねえ。でもあんたは、もとはインドの
シウ゛ァ神よね?シウ゛ァ神といえば、ヒンドゥー教の中で
はすごいエリートの神様じゃない。本当はすごい人だったの
よね」

布袋「言っとくけど、わしだって、中国では弥勒菩薩の生ま
れ変わりと言われとるんじゃぞ」

毘沙門天「ぷっ、弥勒菩薩のあのスリムな姿と、あんたの
そのメタボリックシンドロームの結晶のようなその太鼓腹と
全く違うと思うのだが」

布袋「びしゃもんくん、君一度、中国のお寺に行ってみな。
台湾でもええけど。そこにある弥勒菩薩は、みな私と同じ
姿をしているのじゃよ。中国の宋の時代の頃、布袋が弥勒
菩薩の生まれ変わりと信じられるようになった。これ本当。
弥勒菩薩といえば、未来に現れる仏さまですごい偉いのだ」

恵比須「それを言うなら、いざなぎいざなみの血統をひく
サラブレッドのわしもなかなかのものじゃよ」

毘沙門「いやいや四天王の一人の私だって」

弁財天「何言ってるの、紅一点の、美貌と愛嬌、そして
才能のある私よ」

寿老人&福禄寿「いやいいや、結局は年の功だよ」

司会「議論も伯仲しておりますが、お時間となりました。
またこういう機会がありましたら、是非またこういう企画
をやりましょう。では皆さんごきげんよう」


七福神巡り

2007-01-07 11:47:48 | 日本
正月の二日、深川の七福神巡りをしてきました。昨年から
私は、日本の本籍地を愛知県の田原市から、東京の江東区に
移しましたので、ここは新たな地元です。でも日常、住んで
いるのはシンガポールなので、江東区のことはあまりよく知
りません。深川の七福神巡りも、生まれて初めての経験とな
りました。日本のあちこちに七福神があるのですが、七福神
をお参りすることはこれまでまったくありませんでした。

私の妻は深川生まれなので、深川の七福神は毎年初詣でお参
りしているということでした。門前仲町の富岡八幡宮から、
森下のあたりに散在している七福神をぐるっと巡るのに、二
時間くらいかかります。11時過ぎくらいから出発して、昼食
をはさんで、ぐるっと回って戻ってきたのは2時くらいでし
た。

深川の七福神をまわって、気づいたのは、川が多いことと、
江戸時代の有名人にゆかりのある名所が多いということでし
た。富岡八幡宮は、日本地図を作った伊能忠敬が出発地とし
たところでした。樺太(サハリン)を探検した間宮林蔵の墓
も途中にありました。松尾芭蕉の庵の跡もありました。
紀伊國屋文佐衛門も深川にいたのですね。いきなり日本の
江戸時代が凝縮された場所にタイムトリップした感じでした。

ところで、この深川七福神巡りをしてみて、いくつかの疑問
が出てきました。どのような疑問かというとそれは次のよう
な二点でした。
七福神の正式なお参りの仕方は
七福神の神様の正体は

まず、一番最初の疑問点です。お参りの仕方はどうあるべき
かということですが、つまり拍手を打つべきかどうかという
ことでした。初詣は自動的に拍手を打つという先入観があっ
たのですが、この七福神が祀ってあるのは大部分がお寺のよ
うなのです。稲荷神社というのや、神明宮というのもありま
したが、拍手を打ってよいのかいけないのか、わけがわから
なくなりました。

妻のほうは、先日、テレビでやっていたH木K子さんの初詣
の仕方を見ていて、「女性は拍手を打たない」ということで、
手をあわせるだけのお参り方法をとっています。私はその
番組を見ていないのですが、それが本当に正式なものなのか
どうかよくわかりません。インターネットで調べようとした
のですが、女性が拍手を打たないと言っているのはH木さん
だけのような気がします。またニ礼ニ拍手一礼というのが
正式のような気がするのですが、いろんな人のブログを見て
いると、H木先生が「一礼ニ拍手二礼」と言ったかのように
記憶している人が多いのですね。何が正しいのかわからなく
なってしまいます。

私は最初の富岡八幡宮の恵比須神は拍手を打ったのですが、
後はすべて合掌だけですませました。しかしながら、常に
これでよいのだろうかという疑問がまとわりついていました。
拍手を打たないことで、ご利益が得られないのではないのか、
あるいはやはりお寺で拍手を打つのはおかしいのではないの
か、という疑問がぐるぐる回っていました。

七福神で拍手を打つべきか否かについて、インターネットを
調べたのですが、これぞという回答を発見できませんでした。
拍手を打っても別にご利益がなくなるということではない、
ということを書いてあるサイトがありました。でもお寺にあ
る七福神は何となく合掌だけのほうがよさそうな雰囲気です。
これはどなたか権威のある人にマスコミを通じてきちっと
教えてほしい気がしますね。

さて、二番目の疑問です。これまで、七福神の絵は見たこと
があるのですが、それぞれのキャラクターについてあまり
知りませんでした。しかし別のルートで、七福神に接点が
あったのです。

何年か前に、インドのデリーに出張に行ったとき、時間が
あったので、デリーの博物館に行きました。ほとんど人が
いない部屋の中に、おびただしい数の神様の像がありました。
その後で、中公新書の『ヒンドゥー教』(森本達雄著)とい
う本を読んで、びっくりしました。七福神の弁財天が実は
インドのサラスウ゛ァティーという女神だという話しがいき
なり出ていたのです。

もともとサラスウ゛ァティーというのは西北インドに実在し
た川の名前で、河川に住む霊が神格化されたものだとか。
インドのオリジナルのサラスウ゛ァティーは、白蓮華の上に
座して、シタールのような弦楽器を弾いています。この女神
が、弁舌や、学問芸術(とくに音楽)を司ることから、弁才
天と書き表され、それが弁財天と化して、富や財をも受け
持ってくれるということになったようなのです。

日本では、琵琶を持っている紅一点の女神ですが、日本の
弁財天も昔から、河川や湖、池など水辺に祀られているの
だそうです。インドからはるばる日本まで旅してきた女神
なのですね。

実は、大黒天もインド出身だったのです。日本では、大国主
命(おおくにぬしのみこと)とコンバインされて、今に至っ
ているのですが、もともとは、インドの全知全能の神、
シウ゛ァ神だったというのです。幸福の付与者でもあると
同時に、破壊を司る神でもあり、恐ろしい憤怒の形相をして
います。憤怒の色が黒であるということで、シウ゛ァ神は
「マハーカーラ」と呼ばれていたそうです。「マハー」とは
大きなという意味で、「カーラ」とは黒いという意味です。
これを漢字に直訳したものが「大黒天」ということなのだそ
うです。

この他、毘沙門天もインド出身です。ヒンドゥー教では
クベーラと呼ばれ、暗黒界の悪霊の主だったそうですが、
後に財宝福徳を司る神になったのだそうです。多聞天とも
呼ばれ、知恵の神様にもなり、また武闘の神様にもなった
とか。

恵比須さんは唯一日本出身の神様で、いざなぎのみことと
いざなみのみことの三男だそうです。漁業の神様として信仰
されていましたが、今では農業も、商売繁盛も管轄してい
るのだとか。何か万能ですね。

布袋さんは、実は神様ではなく、中国の僧侶だそうです。
大きな腹をしているので、福徳の神として神格化されたの
だそうです。福禄寿は道教の星の神様だとか。正体はよく
わからないのだそうですが、名前が縁起がよさそうなので
七福神に抜擢されたのだそうです。

あと一人、寿老人ですが、この人も中国から来た老人だそう
ですが、正体はよくわからないようです。名前から、長寿の
神様として信仰されているようです。

この大部分は後で調べて分かったことですが、七福神は
日本固有のものかと思ったら、インドや中国やらの外国人
混成チームだったのですね。今やインドと中国は21世紀に
大発展が予想されている二大大国ですが、すでに七福神の中
にその二つの国の神様が入っていたというのですから、運も
お金もインドと中国に有利に流れるのも当然というようなも
のですね。

今年、皆様にとりましてもよい年でありますように。

飛行機の中で読んだ「ハイコンセプト」

2007-01-05 02:57:04 | ビジネス
みなさま、あけましておめでとうございます。3日の夕方7
時成田発のシンガポール航空で、シンガポールに戻ってきま
した。日本にいる間にブログを更新しようと思っていたので
すが、なかなか時間がなくて(というのは言い訳です)更新
できませんでした。昨日も到着したのが夜中の2時くらいで、
帰ってから更新というのもできませんでした。ごめんなさい。

日本では、深川の七福神めぐりをしたり、映画の『大奥』を
見たりしたのですが、それはまた別の機会にするとして、今
回は、この写真のダニエル・ピンク著「ハイ・コンセプト」
という本のことを書きたいと思います。

飛行機に乗る前に、成田空港の第一ターミナル南ウィングの
書店のTSUTAYAで、この本を見かけたのでした。タイトルを
見たときに、これはちょっと一般受けしない感じだなと思っ
たのですが、帯の裏表紙に、「この本はミラクルだ。新しい
時代に立ち向かうコペルニクスだ」というトム・ピーターズ
の言葉が黄色い文字で印刷されていました。トム・ピーター
ズがそこまで言うのなら買おうじゃないかということで、
買ってしまいました。

飛行機に乗って、この本を読み始めました。通路側の座席は
読書灯の光が弱いのですが、それでも読み続けました。飛行
機は満席でした。日本人よりも観光で日本に訪れていたシン
ガポール人のほうが多いのではないかという気がしました。
何度か気流の悪いところを通過して、飛行機はジェットコー
スターのように揺れたのですが、それでも私はこの本を読み
続けました。そして、飛行機が7時間弱の飛行を終えて、夜
のチャンギ空港にランディングした時には、約350ページ
のその本のほとんど最後のあたりを読んでいました。

これはビジネス書ですが、従来のビジネス書のように知識を
扱った本ではなく、感性をテーマとしています。そういう意
味では、従来のビジネス書とか、経済や経営学の本とかの感
覚でこの本を読もうとすると、失望するかもしれないという
気がしました。内容はきわめて精神的であり、ファジーで、
新しい。「新しいこと」を考えだす人の時代、という副題が
ついているくらいなので、その考え方は、きわめて斬新なの
です。でも、左脳人間の人からすると、ちょっと読みづらい
かもしれません。

しかし、私にとってはめちゃくちゃ面白かったのです。大前
研一氏が翻訳を行い、自身で前書きを書いています。これま
で私達は、「答えのはっきりした世界」に生きていたので、
知識や技術さえ身につければ何とか成功できた。しかし、今
や、「答えのない社会」になりつつある。そのような世界で
は、知識ではなく、感性が重要になってくるというのです。

著者は、成功の鍵は以下の6つの感性にあると言っています。
1)「機能」だけでなく「デザイン」
2)「議論」よりは「物語」
3)「個別」よりも「全体の調和」
4)「論理」ではなく「共感」
5)「まじめ」だけでなく「遊び心」
6)「モノ」よりも「生きがい」
これだけでは何のことやらわかりにくいかもしれないのです
が、じつはこれらは私が以前から追求してきたものなので、
よけいに惹き付けられてしまったのです。

そろばんが電卓にとって代わったように、人間の知識はコン
ピューターが代行するようになり、また単純作業は中国や
インドが安価な労働力で代行するようになると、私達は、
コンピューターや、中国、インドができないことをしないと
存在意義がなくなっていってしまいます。そのときに必要に
なってくる能力が、全体をまとめあげる力だったり、物事を
わかりやすく伝える力だったり、共感する力だったり、無か
ら有をつくりだす力だったりするのです。これまで学校では
教えてくれなかったことばかりです。

今、私は広告の仕事をしているのですが、広告の仕事で必要
な資質もじつはこういうことなのです。そうしてみると広告
業というのは、最先端の仕事のように見えてきます。また
自分の過去を振り返ってみると、自分が興味のあったことの
すべてが、この「ハイコンセプト」の時代に活用できること
のように思えてきます。

高校の時にちょっとだけ美術部にいて、デッサンをしていま
した。大学を卒業したばかりの頃、シナリオライターになり
たくて、夜間の学校にちょっと通っていました。大学時代、
シェイクスピアの演劇をしておりました。大学では英文学を
やっていて、小説だとか詩だとかを研究していました。仕事
の中では、プレゼンテーションをやってきました。説明も
そうですが、パワーポイントを美しくまとめるということを
追求してきておりました。お笑いの才能はないですが、人を
笑わせることは好きです。こんな背景を持っている自分なの
で、この本で書いてあることが、すごい説得力で自分に語り
かけてきたのでした。というか、自分がこれまでもやもやと
思っていたことを正当化してくれるといったような感じでした。

私は、以前から新聞を読むことが好きでありませんでした。
新聞を読む事は知識を得るには必要なことですが、知識を
追求すると逆に世の中が見えなくなるのではないかという
感じがしていました。新聞社の人には申し訳ありません。
これは勝手に自分が思っているだけで、誰もそれに共感
してくれる人はいませんでした。でもこの本の中にそれに似
たことが出ていました。情報を遮断することで、右脳が働か
ざるをえなくなるというのです。感性がとぎすまされ、より
大局的な考えができるようになるようなのです。

新聞を読んでいると、世の中の細部はよく見えるようになる
のですが、逆に、世の中の大きな流れとか、物事の本質のよ
うなものは見えなくなってしまうという気がしていました。
新聞広告媒体を仕事で扱う私がこのような発言をするのは、
ちょっとおかしなことなのですが、個人的には新聞は嫌いで
す。とくに常識的で画一的な見方しかしないという点が一番
嫌いです。すべての事象を新聞社の常識的な視点で眺めると
いうことが耐えられない気がしていました。

なんて考え方をもっていたのですが、この本が間接的にその
考えをサポートしてくれているような気がしてうれしくなり
ました。私が自分に引きつけて読みすぎているのかもしれま
せん。でもなんか、これからの「新しいこと」を考えだす人
の時代というのは、何だか自分のような人間がやっと力を発
揮できるような気がして嬉しくなります。下積み50年、これ
から自分の蓄積してきたものを世の中に活用できるようにな
れば幸いです。

新年早々、いい本に出会えたことに感謝いたします。