南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

サムイ島追記

2008-05-06 23:29:41 | ビーチリゾート
一昨日、サムイ島から香港に戻ってきたのですが、サムイ島の空港
のことを書き忘れました。この空港は、とってもローカルっぽい
小さな空港なのですが、残念なことにちょっと観光地化してきて
きた感じがありました。

空港は田舎の藁葺き屋根ののどかな建物が点在する作りだったので
すが、道路が整備され、広いプロムナードの両側にお店がずらっと
作られようとしていました。すでにいくつかオープンしていました。
スウェンセンズなどのレストランもあれば、ジムトンプソンのお店
も出ていました。

このブログを見た人がサムイ島に出かける頃には、お店は全部作り
終わっているのではないかと思います。帰りにお土産を買うには
非常によいのですが、なんだかせっかくののんびりした雰囲気が
なくなってしまいそうなのがちょっぴり残念です。

去年来たときは、まだ昔のままで、チェックインカウンターの
建物(といっても藁葺きの半分アウトドア)のそばに、タイ式
マッサージをしてくれるお店がありました。そこも半分屋外の
とっても雰囲気のよいスパでした。新しい空港のショッピング
アーケードにはマッサージ店も入るのかもしれませんが、あの
お店が懐かしいです。

サムイ島の空港はバンコックエアウェイだけ発着できて、飛行機
とゲートへの接続は、こんな遊園地のようなトラムです。



こんな遊園地のような飛行場は、世界でも希少価値だと思います。
飛行機への乗り降りは、地面からです。



また早く行きたいなあ。でも溜まっている仕事しなくっちゃ。

再びサムイ島のブリラサへ

2008-05-05 00:44:32 | ビーチリゾート
この週末、タイのサムイ島に行ってきました。去年の2月に行った
ブリラサです。前回はシンガポールから行ったのですが、今年は
香港からです。香港からバンコク・エアウェイズの直行便で3時間
半くらい、そこには青い空と、青い海、白い砂の南国の楽園が待っ
ていました。

ブリラサは、去年泊まったときにとても気に入ったので、また今年
も行くことにしました。じつは、My Wifeの誕生日が5月
なので、この旅行を彼女への誕生日プレゼントにしたのです。



事前にメールで、去年ここに泊まって、またもう一度泊まりたいと
思ったことや、My Wifeの誕生日のことなどを伝え
てあったので、スタッフの対応も非常によく、かなり大きな庭の
ついた部屋を用意しておいてくれました。



この上の写真は部屋への入り口です。部屋というかプライベート
ガーデンの入り口です。この中は、こんな感じになっています。



この広々とした庭が、部屋の一部で、この突き当たりが部屋に
なっています。

部屋に入ったら、天蓋つきのベッドの上に、花びらで作った
こんなメッセージが…



WELCOME BACK TO BURI RASAと書いてあります。これは
感動です。さらに…



ピンクのバラの花とバースデーケーキ。花は部屋にチャージし
てもらうということで私が頼んでおいたものです。ホテルの
スタッフからのカードもついていて、素敵なサープライズで
した。

ところでこの庭で、チョウチョを何匹も見かけました。



こんな青い羽根のチョウチョもいました。

部屋を出て、海の方角に向かうと、スパの建物が右にあり、
左にレストランがあり、その向こうに小さなプールがあり、
その向こうに海が見えています。



このレストランは、西洋料理からタイ料理まであるのですが、
何を食べてもとってもおいしいかったです。



さて、その先の海はこんな感じです。白い砂浜で、海の水は澄ん
でいて、きれいでした。しかも人はまばらでとってものどか。
とてもいい感じです。

さて、3日があっという間に過ぎ、今日の日曜日に香港に戻っ
てきたのですが、チェックアウトのときに、ティッシュをくれ
ました。ただのティッシュかと思っていたのですが、
My Wifeはそのティッシュのラッピングに印刷されて
いたメッセージを見つけました。



「泣かないでください。私たちは、あなたのために365日
いつでも空いています」と書いてありました。チェックアウト
して、日常生活に帰っていくのはちょっと寂しいものです。
スタッフの笑顔に送られて、楽園から去っていく。それは
悲しいものです。だから、涙を拭くティッシュです。
気の利いたコピーです。私たちはまたここに戻りたくなった
のでした。

サムイの暑い日々

2007-02-24 09:17:41 | ビーチリゾート
今は、チャンギ空港のANAのラウンジにいます。朝の飛行機
なので、余裕を持って家を出てきたら、かなり早く着いてし
まいました。本を読んだりしたら眠ってしまいそうなので、
コンピューターを繋ぎました。眠気ざましのブログです。

コーヒーを飲んでいるので、眠気はさめてきました。この
ANAのラウンジは、喫茶店のようなソファーの席が50席くら
いあるのですが、パソコンにLANケーブルがつなげる席が
いくつかあります。LANケーブルをつないだら、何の設定も
なしに、無料で、インターネットに繋がってしまいました。
なんだかすごく得した感じです。

この時間を利用して、一週間前のサムイ島の思いでを少し
書き残しておこうかとおもいます。この上の写真は、サムイ
島のチャウエンビーチのブリラサというホテルの部屋から
見えた日曜日の朝日です。ダイビングに行く日だったので、
朝早く起きたら、ちょうど朝日が昇るところでした。その
あまりの美しさに、写真を撮ったのですが、こういうのは
やっぱり一眼レフのほうがよいですね。コンパクトカメラ
だと、限界があります。

木曜日に取引先の新年パーティーに出たとき、日本人駐在
員の人が、二人いたのですが、二人とも旧正月はプーケット
に行って来たと言っていました。私も昔はプーケット派
だったのですが、最近はサムイ派に変わりました。津波の
ちょっと前に一度だけランカウィに行きましたが。津波が
あってからというもの、プーケットにはなかなか行こうと
いう気になりません。復興を支援するためには、我々観光
客がどんどん行ってあげるのがよいとはわかっているので
すが、ちょっとまだ抵抗があります。

プーケットとは反対側の東の海にあるサムイ島には、津波
は来ませんでした。サムイ島は、プーケットとよく比較さ
れますが、サムイ島のほうが、のんびりした感じが残って
います。それでいて、スターバックスや、ハーゲンダッツ、
そしてお洒落なイタリアレストランなんかもいっぱいあって、
その手頃な感じが自分としては心地よい感じです。

サムイのチャウエン・ビーチを歩いていると、ムエタイの
宣伝カーが何度も通りました。渋めの声で、「トゥナイト!
トゥナイト!」と英語で言っているのが、非常に分かりやすく、
その声が今でも鮮明に頭に残っています。

ここまで書いたら、そろそろ飛行機のボーディングのようです。
ちょっと中途半端ですが、ではまた。

サムイ島でエイリアンに接近遭遇!?

2007-02-24 05:42:55 | ビーチリゾート
この上の写真は先日、サムイ島に行って、近くのタオ島でダイ
ビングをした時に偶然見かけた怪奇生物です。ひょっとして
海中にも宇宙人が?ってそんなわけはありません。この生物は
おなじみのエイです。この青い斑点が何とも不気味ですが、
彼の名前は(彼女かもしれませんが)、ブルースポッテド・
スティングレイといいます。「青い斑点のエイ」って、その
まんまではありませんか。

南国の海底をイギリス人のジョン君と二人だけで潜っていると
岩陰にこいつが隠れていたのです。狭いところに入り込んで
安心して眠っているような感じでした。よこっちょのひれの
部分がゆっくりと動いておりました。私はちょっと怖いので
遠巻きに見ていたのですが、ジョン君は、私からカメラを受け
とるとかなり近くに寄って撮影してくれました。それがこの
写真です。

こういう場合、写真の著作権とかはどうなるんでしょうね?
シャッターを押したのはジョン君なので、この写真に関しては
彼が著作権者となるのか、それとも、たまたま彼にシャッター
を押してもらっただけなので、私が著作権者になるのか、法的
には微妙なところだと思いますが、こういうのを「生活笑百科」
とかで相談してみたくなります。どなたかご存知の方は教えて
ください。

私は、ダイビングを初めてから20年くらいにはなるのですが、
まだトータルで50本くらいしか潜っていません。水中カメラは
ニコンのクールピクスの5200に専用ハウジングをつけて使って
いるのですが、なかなかよく撮れるので満足しています。でも
カメラが古くなったので、新しいのを買いたいと思ったのです
が、何と、ニコンさんは水中ハウジングをやめちゃったとか。
儲からないからと言って水中から撤退しないでほしかったです
ね。その昔、ニコノスで水中の世界を制覇していたニコンの事
を知っているだけに寂しい思いがします。

しかし、このブルースポッテド・スティングレイ君。見れば
見るほど、奇妙な風貌をしておりますな。うちの妻はこの写真
を見て、これはカバではないかなどと言っておりました。たし
かにそのようにも見えないことはありません。私達がまだ小さ
な子供の頃、空想画で書いた宇宙人の姿って、なんかこんか
雰囲気だったような気がします。「ワレワレハ、ウチュウジン
デアル」と声帯を震わせて語りかけてきそうな雰囲気でもあり
ます。

さっき、ちょっとエイというのをインターネットで調べてみた
ら、エイという漢字は「海鷂魚」と書くのですね。これは半世
紀生きて来て初めて知りました。何でこういう字を書くように
なったのか、疑問は残ります。何だかクイズに出そうな漢字で
すね。この真ん中の字は、書けと言われても書けないですけど。

ところで、今日の土曜日の朝の便で私は日本に行ってきます。
母の一周忌の法事が田舎であるのです。あまり寝ていないので、
ちょっとしんどいですが、日本は寒いんでしょうね。ではまた。

競い合わないスポーツ

2006-07-18 03:27:43 | ビーチリゾート
上の写真は以前行ったマレーシアのパヤ島の海の中です。ランカ
ウィとペナンの中間にあって、いろんな魚がうじゃうじゃいる海
でした。クマノミや、ミノカサゴや、フグや、その他いろんな魚
がいるので、魚の勉強をするには非常によい海でした。

この写真は自分で撮影しました。ニコンのクールピクスの5200と
その水中ハウジングを使いました。水中でデジカメを使うのは
初めてだったのですが、びっくりしたのは、何枚でも好きなだけ
撮影できるということ(フィルムのカメラだと36枚が限度でした)、
水中でズームができること(潜るんですなどではズームなどでき
ませんでした)、そして撮影している画面がスクリーンで見やすい
こと(フィルムカメラでは水中ではファインダーは覗けません
でした)。

さらに、びっくりしたのは、コンピューターにダウンロードして
から一括で色補正ができたことです。水の中だと、全体的に色が
グリーンっぽくなっていました。水中だとこんなもんだろうなと
思っていたのですが、何と自動補正をしたら、色が鮮やかに!
これはデジタルならではのことでした。

今回、少し前の海の写真を持ってきた理由は、今日が海の日だか
ら?というわけではありません。今日、たまたま知り合いの人と
雑談をしていました。その人は格闘技が好きだと言いました。私
は格闘技はあまり好きではありませんでした。その人は、プロレ
スとか見ると面白いと言いました。私はそういう痛々しいのは
嫌いだと言いました。基本的に私は競い合うというのが嫌いだと
結論づけました。格闘技だけではなく、テニスでも、ゴルフでも
誰かを打ち負かすというのが実は嫌いなのです。自分が勝つため
に誰かが負ける、それがいやなのです。

そうなると、スポーツなんてできなくなってしまうんじゃないか
と心配になります。しかし、ありました。それが、ダイビングと
ローラーブレードです。ローラーブレードに関してはまたの機会
に譲るとして、ダイビングです。ダイビングは競いあう必要の
ないスポーツということに感動しました。

30才を過ぎてから日本の熱海のスクールでライセンスをとりまし
た。その時、インストラクターが言ったのが、「ダイビングは
競い合う必要がない」という言葉でした。人より速く泳ごうとか、
人より深く潜ろうとか、人より長く水の中にいようとか、人より
沢山の魚を見ようとか、そんなことがまるきり意味のない世界。
それがダイビングだったのです。

スポーツでありながら、その技術論で優劣をつけない。それが
気に入りました。ゴルフとかとは大違いです。ダイビングはある
程度の基本を身につければ、目指すところは「挑戦」ではなくて
その対局の「平和」とか「やすらぎ」です。自然と一体化する
こと、自分が魚になることみたいなことで、この感覚は競いあう
ということとは全く違うのです。

海の中で魚を見ていると、とても和みます。海の中を中性浮力で
漂っている感覚は、無重力の宇宙空間を漂っている感覚(を
経験したわけではありませんが)に似ています。海の底の地形
が急に深くなっているところに泳ぎだしていく感覚は、空を飛ん
いるかのような気持ちよさを感じることがあります。子供の頃
空を飛ぶ夢をよくみましたが、そんな感覚を感じることもあり
ます。

そんなこんなでダイビングを続けてキャリアとしては20年くら
いになりますが、全然潜らない年もありますので、トータル本数
は数十本に留まっています。一番多く潜ったのは、噴火する以前
の三宅島でした。会社の仲間でよく行ったものでした。

上級者向けのタイのシミランで潜ったこともありました。幻想的
な月夜のナイトダイビングをしたときは、夜光虫が星空のように
輝いてこの世のものとは思えない感じでした。

下町娘もいつかライセンスをとるんだと言って
いますが、なかなかチャンスがありません。以前行ったピピ島に
モスキートダイビングというショップがあり、そこにすごい小さ
な風呂おけのような教習用のプールがあって、下町娘
そこでライセンスをとるとか言っていたのですが、この間の津波
で、その一帯は激しい被害を受けました。悲しい出来事でした。

ここ一年以上ダイビングには行っていないので、いつかまた行け
るといいなと思っております。

あの津波からちょうど一年が経って

2005-12-26 01:30:30 | ビーチリゾート
あれから一年の月日が流れました。
犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。

シンガポールは、震源地のスマトラの
すぐそばであったにもかかわらず、
幸いにして津波の被害はありませんでした。

一年前の12月26日の日曜日の朝、スマトラ沖で発生した津波が
インド洋沿岸各地を襲い、インドネシアや、インド、スリランカ、
タイ、マレーシアなど各地で甚大な被害が出ました。死者の数は
20万人を超え、多くの日本人も亡くなられました。

このニュースが報道された翌日の月曜日、東京の会社から私の
携帯電話に「すぐに折り返し連絡してください」というメッセージが
入っていました。私は以前たまに週末にタイのプーケットなどに旅に
出ていたりしたので、ひょっとしてと思われたのでしょう。しかも
すぐに携帯に出られなかったので、余計に心配されてしまいました。

そのときは1月にプーケットのメルリンリゾートにツアーの予約を
していたのですが、しばらくして、旅行会社のほうから、ホテルが
被害を受けて復旧のめどが立たないので、ツアー中止の連絡が来まし
た。時期がずれていたら津波に直撃されていたのかもしれないかと
思うと、ちょっとひやっとしました。

その津波の前の11月にマレーシアのランカウィのタンジュンルーに
下町娘(= My Wife)と行ったのですが、ここも
プーケットのすぐ南で、津波も押し寄せてきたのかと思うと、そこ
でも時期がちょっとずれていて助かった気がしました。

一つ間違えば命がなかったかと思うと、神様に感謝です。

プーケットで一番賑やかなパトンビーチのビーチ沿いに、
パトンビーチバンガローというバンガローがあり、プーケットに
行くときはいつもそこを定宿にしていました。最初に行ったのは
9年くらい前です。それから何回か宿泊し、そこの常連になりまし
た。フロントのタイ人の女主人には顔も覚えられ、いつ行っても
「Welcome Back」と言ってもらえて、何か田舎に里帰りした気分に
なったりしたものです。

そこは、ビーチの真ん前で、部屋は一戸建てのバンガローです。
一戸建てというのがすごく嬉しくて、歩いてすぐ海に出られるし、
便利な場所なのにとてものんびりした雰囲気のある宿でした。
何年か前に、訪れたとき、バンガローが改装されていて、テレビ
なども新しくなっていたのを覚えています。フロントの脇に小さな
本棚があって、旅行者が残していった本がたくさん置いてありま
した。日本の文庫本も何冊かあり、一度、そこにあった夏目漱石の
本を拝借してビーチで読もうとしたことがあります。(しかし、
全然ページが進みませんでしたが)

パトンビーチバンガローは、パトンビーチのど真ん中で、ビーチの
真ん前だったので、津波が直撃し、インターネットで被害状況を
見てみたら「全壊で閉鎖」となっていました。そこに泊まっている
ときは、遅くまでビールなどを飲んでいたりしていたので、朝は
遅くまで寝ていました。もしそのとき津波が来ていたら、気がつい
たら水に押し流されていたと思います。あのホテルの従業員の人
たちは無事だったのか気がかりです。

パトンビーチのはずれのアマリコーラルリゾートというホテルに
下町娘(= My Wife)と以前に宿泊したことがあります。
インターネットで調べてみたら、そのホテルも津波の被害を受けて
いました。フロントはちょっと高いところにあるのですが、
レストランやプールや客室はそこから坂道を降りたビーチ沿いに
あります。

その時、海の見渡せるレストランでは、朝食の時間でした。
沖のヨットを押し流しながら迫り来る津波がそこから見えたそう
です。みんな数秒の間に、坂道をのぼり、高いところに駆け上がり
命びろいしたそうです。レストランのガラスはたたき壊され、津波
は厨房奥まで押し寄せたそうです。その状況はこちら

そのアマリコーラルリゾートに一泊した後、私たちはピピ島に
渡り、アイランドカバナというホテルに宿泊しました。ピピ島も
津波が直撃し、このホテルがあるトンサイ湾近辺は大変な惨状
だったようです。桟橋のすぐ近くのセブンイレブンは、私の妻
(=下町娘)がポテトチップと水を買った思いで
の場所の一つなのですが、インターネットで見たら、津波直後は
セブンイレブンもぐちゃぐちゃになっていました。

ピピ島で私はダイビングをやったのですが、そのときにお世話に
なったのが「モスキートダイビング」というダイブショップ。
そのショップは細い道を入ったところにあったのですが、さっき
被害状況の写真を見たら、モスキートダイビングのある通りの
前は瓦礫の山になっていました。シンボルマークの日の丸の看板
がゴミの中に落ちているのが見えて、とても悲しかったです。

プーケットでは、その後、パトンビーチのホリディインにも一泊
だけ泊まりました。津波のときにはそこも被害を受けたようです。
メッセージはこちら
被災したプーケットの人々を支援する最も有効な方法は、旅行で
プーケットを訪問すること、と出ています。被災地はとかく敬遠
したくなってしまうのですが、観光産業で生きている場所は、
観光客がこなかったら生きていけないのですよね。

タイ南部の各ビーチの被災復興状況をご覧になりたい方はこちら

知っている場所が被災していると、人ごとのように思えません。
しかしながら、何となく、この一年、津波の被災地に対して
関わりを持とうとしませんでした。しかし、一年を迎える今日、
あらためていろいろ調べてみて、被災地復興のためになにかできる
ことはないかと思ったりしています。

ではまた。