南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

戦争体験も観光資源

2006-06-29 23:58:20 | シンガポール
ハワイのパールハーバーがいまだに多くの観光客を引きつけている
ように、シンガポールにあるいくつかの観光地は第二次世界大戦の
名残を観光資産として活かしています。

この広告は、シンガポールのフォート・カニング・パークの中に
あるバトル・ボックスという観光スポットのものです。2003の広告賞
でこのバトルボックスの広告が受賞をしました。欧米系の広告代理
店が作ったシリーズ広告なんですが、日本人が悪役として登場する
コミック形式になっています。

もともとバトル・ボックス自体がイギリス軍の立場から見た戦争の
展示物なので、広告でも日本を悪者にしてしまうのでしょうが、
日本人の立場で見るとちょっと嫌な感じになってしまいます。

この上で引用した広告に出ている漫画のPRINCE OF WHALESという
のは英国が誇っていた戦艦でした。1941年12月、マレー沖会戦に
おいて、日本の飛行機に沈没させられてしまいます。この戦艦の
最後の話はこちらに出ていますので、興味のある方は
ご覧ください。

この船はイギリスの誇りだったのですね。またイギリス軍は、日本
なんかに絶対に負けるわけはないと慢心していたのです。でも結果
的には、ころっと沈められてしまいました。これにはイギリスも
びっくり。ジーコジャパンがワールドカップで予選敗退した以上の
国辱的ショックでした。

この広告は、イギリス軍が日本軍にどんどん負けていくその屈辱感
や悔しさをコミック形式で語り、歴史の真実に興味を持たせること
を意図しているのだろうと思います。

このバトル・ボックスはうちの会社からは歩いても行けるような所
ですが、観光地としては非常にマイナーです。何年か前にたまたま
見つけたパンフレットを見て、一人で出かけて行ったことがあります。

ここは、イギリス軍が日本軍の攻撃を受けて、追い込まれていった
時、最後の司令部があった所です。小高い丘の上の地下要塞になって
いて、そこが観光コースとして見られるようになっています。
イギリス軍のパーシバルという将軍が、降伏すべきか、戦うべきか
悩んで、最終的には降伏するのですが、そのときの優柔不断な態度を
物語る展示もあります。

「あんたがそんな優柔不断な態度をとっている間に、地元のシンガ
ポールの住民が辛い思いをしてるんだぞ」と思わずつっこみたくなっ
てしまいます。パーシバルの蝋人形はそれほどまでに頼りない感じ
です。

バトル・ボックスの展示に関しては、こちらに詳しく出ています
のでご覧ください。

シンガポールにいると、戦争のことを考えさせられる場所があちこ
ちにあります。反省させられる部分もあったり、英国の身勝手さを
感じる部分もあったり、日本を弁護したくなる部分もあったり、
いつも複雑な気持ちになってしまいます。

基地のある街

2006-06-27 00:14:55 | シンガポール
この写真はシンガポールのエアフォース(空軍)の広告です。やたら
かっこいい。日本の自衛隊の募集広告などに比べると、雰囲気が全く
違いますね。これは空軍だけではなくて、海軍も、陸軍もみんなそれ
なりに非常にかっこいい広告をやっています。毎年、広告キャンペー
は作りかえられているのですが、基本的には雰囲気は同じ。国のため
に戦うことが、素晴らしいことであることをストレートにアピールし
ています。地球防衛軍が怪獣やエイリアンと戦うのと同じように、国
や愛する家族を守ることは、正義そのものなのですね。

シンガポールの空軍のウェブサイトは、テレビコマーシャルの何本か
見られるようになっています。
シンガポール空軍のテレビCM
その映像はまるで映画の「トップガン」(ちょっとたとえが古い?)の
ようなかっこよさ。戦うことは、愛する人を守ることは美しいという
メッセージをストレートに表現しています。こういうのは日本では絶対
に考えられませんね。

言い忘れましたがシンガポールには徴兵制があります。男性は20前後に
二年くらい兵役にでることが義務づけられています。またそれが終わっ
ても、会社で仕事がどんなに忙しかろうが、ときどき短期間のお呼びが
かかります。うちの社員も今月2週間くらい海軍のトレーニングに招集
されました。この期間の給与は政府が払い戻してくれます。忙しい時に
人をとられるのはたまったもんじゃないですが、雇用者側としては、
これを喜んで受け入れて、応援することが義務づけられています。

シンガポールは、小さな国土をインドネシアや、マレーシアに挟まれて
いて、自らが、自らの手で守る必要があります。こんな小さな国だった
ら戦争になったらすぐに負けてしまうだろうと思われるかもしれません
が、シンガポールは実際の地上戦を想定しているわけではなく、敵に
シンガポールを攻撃しようという気持ちを抱かせないようにするという
頭脳戦に力を入れているというのを聞きました。もし、隣国が攻め込ん
で来たら、即座に敵国の首都を壊滅させることができる。そのために、
こんな小さな国土でありながら最先端のジェット戦闘機をいっぱい持っ
ているのだそうです。

そうすると隣国は、絶対にシンガポールに攻め入るなどという馬鹿げた
ことを行わないようにしようと考え、結果的に防衛できるというのです。

この間、NHKで日本に米軍基地は是か非かという討論をする番組があり
ました。沖縄の基地のそばに住み騒音や不安に悩んでいる住民の方々が
悲痛な声を上げていました。どっかのおばさんが、「基地があるから
狙われるのよ。米軍がいなかったら誰も攻めちゃこないわよ。誰が
攻めてくるっていうの」という暴言を吐かれているのを聞いていると、
こういう人は日本にしかいないのだろうなと思ったのでした。

沖縄を中心に日本には基地の街がいくつもあります。ジェット戦闘機が
離着陸するそばで暮らす住民の立ち場にたってみると、これは大変な
ことです。

しかし、よく考えてみればシンガポールも基地の街です。米軍基地では
なくて、シンガポールの軍隊の基地というのが日本と違うところですが。
私の家の北のほうに空軍基地があるのですが、ジェット戦闘機が爆音を
あげて飛んで行くのをよく見ます。8月のナショナルデーが近くなると
離着陸は頻繁になります。

国土が狭いので、飛び立ったジェット戦闘機はそれこそF1サーキット
ように領空内をぐるぐる回って帰ってくるのでしょうが、アメリカ空軍
や、ロシア空軍のように広々とした大空を飛び回れないのがちょっと
かわいそうな気もします。

シンガポールの空軍基地のそばには行ったことがありませんが、基地が
人里離れてあるわけでなく、そういう意味では沖縄とかと同じような
感じだと思います。ただ違いは、こちらでは反対運動などは全くないと
いうことです。もともと自国の軍隊であり、地域住民から、国民全員
から愛される軍隊となっているということですね。

シンガポールにいると、愛する家族を守ることの延長線上に、軍隊の
存在があり、その二つは同一の価値観としてえつながっているように
思えます。ひねくれた見方をすれば、それは全体主義だということに
なるかもしれませんが、ここではそういうややこしい議論にはなりま
せん。シンガポールの軍隊が敵国を侵略するなんてことは、誰も考え
ていませんし、そんなことをしたら国が終わりだということを十分に
理解しています。

このシンガポールにると戦争をするためではない軍隊の存在に関して
いろいろ考えさせられます。日本にいるとなかなか冷静に考えられま
せんですけどね。

名も知らぬ遠き島より

2006-06-26 02:23:29 | Weblog
「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ」と歌われる歌、
椰子の実は、実は愛知県の伊良湖岬が誕生の舞台です。
明治31年の夏、伊良湖岬に短期間滞在していた民俗学者の柳田國男
が、伊良湖岬の浜辺を歩いているときに流れついた椰子の実を発見、
これを親友の島崎藤村に語ったら、彼が詩を作ったという話です。

この伊良湖岬は私の実家からわりと近くにあり、何度も行った
ことがあります。椰子の実は実際に見た事がなかったのですが、
今私が住んでいるシンガポールでは、海岸に流れ着いている椰子の実
は日常的な光景です。

上の写真の椰子の実は、少し波の荒い日のもので、海の色はあまり
奇麗ではないのですが、天気がよい日だったらもっと奇麗に見える
でしょう。シンガポールの海はこの写真のように沖にタンカーが停泊
しているのが普通です。シンガポールの海はいろんな島に囲まれて
いるため、外洋の荒波の影響を受けることなく波はほとんどありま
せん。この間のスマトラ沖津波のときも、シンガポールの被害は
ほとんどありませんでした。シンガポールの海は、貨物船やタンカー
にとって駐車場のようなものなのですね。

上の写真で、船の向こうに見えている陸地は、もうインドネシア。
海の向こうに外国が見えるという経験は日本ではなかなかないので
すが、こちらでは普通。インドネシアの島々(バタム島とかビンタン
島)は見えるし、マレーシアも見えます。日常世界の中に外国がある
のですね。

流れ着いた椰子の実は、遠き島ではなくて、おそらく近所の島から、
あるいはシンガポールの浜辺から流れてきたものなのでしょうが、
この浜辺の椰子の実を見るたびに流浪する身の悲哀を感じてしまい
ます。

自分の人生を振り返ってみると、愛知県の渥美半島に生まれ、東京
に出て、そこからシンガポールまで漂流してきたんですね。生まれた
場所は島ではなくて、半島だったのですが、昔から島という存在が
好きで、今たどり着いているシンガポールという島はわりと気に言っ
ています。ではまた。



USBのヘッドセットをゲット

2006-06-22 01:35:05 | Weblog
昨日、ヘッドセットで失敗したので、今日はマックの専門店に行き
そこで売っていたヘッドセットを購入しました。普通の店で売って
いるのは、どれがマックで使えるのかよくわかりません。マック
専門店だったら間違いがないと思ったわけです。

そこで売っていたのはプラントロニクスというブランド
の製品だけでした。値段も昨日のソニーのに比べると何倍も高く、
120ドルくらい(日本円で8000円くらい)しました。どうしようかと
思ったのですが、買ってしまいました。ワイヤレスで使えるブルー
トゥースのにしようかとも思ったのですが、そちらは300ドル以上
します。日本円では2万円くらいです。それにちょっと全体的な
雰囲気がヘビーすぎる気がしたので、この写真の製品にしました。

店員が、このブランドは品質がいいので間違いないと言っていまし
た。あとで調べてみたら、日本語のホームページも結構しっかり
作っていて、ヘッドセットの老舗ということでした。人類が初めて
月面に着陸したときに使われていたのがプラントロニクスのヘッド
セットだったのだそうです。なかなかよさそうなブランドだ。

使ってみたら、もちろん問題なく使えました。しかも音がすごく
いい。両耳タイプなので、そのまま音楽を聞くためのヘッドフォン
として使ってみてもよいくらいです。

早速、昨日と同様に、東京本社のShuさんにスカイプで電話してみ
ました。今度はばっちりです。ついでにスカイプ会議で、アムス
テルダムのI塚氏との三者会議をやってみました。これもばっちり。
スカイプでの会議はときどき、トレーニングをしておかないといざ
というときになかなかうまくいかないと思います。サッカーの選手
のように、試合がないときもトレーニングでスカイプ会議を練習
しておかないといけないと思ったのでした。

そうそう、昨日はスカイプアウトで、東京の下町娘に電話して
みました。値段を見ると、6分43秒で122.5円と出ていました。
これは安いです。昨日はヘッドセットなしで、内蔵マイクと内蔵
スピーカーでスカイプアウトを使ったのですが、ヘッドセットだと
もっと楽だと思います。後で試してみます。

IT化へのチャレンジ

2006-06-20 22:13:54 | Weblog
今日は、パソコンを使っての無料国際通話のスカイプをもっと
快適な環境で使おうと思い、パソコンショップに行って、この
上の写真のマイク付きのヘッドセットを買ってきたのであります。
ソニーのDR-115DPという商品で、値段はシンガポールドル税込み
で29ドル(約2000円)でした。

他にもいろいろな商品があって、ロジテックだとかも良さそう
だったし、シンガポールメーカーのクリエイティブテクノロジー
のにしようかなとも思ったのですが、ソニーのものがやはり
デザイン的には光っていました。その割に値段は手頃。これに
しようと思い買ってしまったのでありました。

早速会社に戻ってテスト。東京本社のShuさんとスカイプを使って
実験。しかし、何と、マイクロフォンが機能していない!パソ
コンの内蔵マイクでは問題ないので、スカイプ自体はちゃんと
動いている。ヘッドフォンではShuさんの声もクリアに聞こえて
いるので、問題はマイクかつ/またはライン入力。設定がいけない
のかとかいろいろやってみたのですが、せっかく買ったマイクは
使えなかったのでした。

後で、ふと製品のパッケージの裏を見ると、注意というところに
「マッキントッシュコンピューターでは使えません」という言葉。

な、なんということでしょう。ヘッドフォンごときにPCもマック
もあるはずはないとたかをくくっていた私の負けでした。
しかし、その注意の文字はあまりにも小さいので虫眼鏡を持参し
ていなかった私にとって読めるはずもありません。会社の机には
常に虫眼鏡と老眼鏡(というと聞こえがわるいが遠視用補助眼鏡)
が置いてあるので、これらの力を借りて読む事ができたのでした。

ヘッドセットに関しては、失敗してしまったのですが、その次に
この間から成功していなかった「スカイプアウト」に再挑戦してみよう
と思ったのであります。スカイプアウトの登録はすでにしてあっ
たのですが、いつもエラーになっていました。

その前に、この「スカイプアウト」という機能を説明しておかない
といけませんね。これはパソコンから一般電話に割安に通話すると
いうものです。スカイプどおしだと通話料は無料なのですが、
スカイプを装備したパソコンから一般電話に電話がかけられるので
す。しかもかなり割安に。通話料はクレジットカードで先払いなの
でプリペードカードみたいなものですが、普通の国際電話に比べれば
驚くほど安いです。料金は興味ある方は勝手に調べてください。
私は忘れました。

いままでトライして、エラーの8401というのが出ました。これは
マックのOSXを使うと遭遇する問題らしいのですが、スカイプの最新
版をダウンロードして、キーチェーンをリフレッシュするという手順
で解決できるというようなことがヘルプに出ていました。この間この
通りやろうとしてよくわからなくなってしまっていました。

今日やってみたら、何とできてしまいました。最初の歴史的な
スカイプアウトの通話を、東京で働いている下町娘の携帯
電話にしてみました。しばらく呼び出し音が、そして本人の声が、
パソコンのスピーカーから!大成功です!歴史的な一瞬です!
仕事中に突然へんな番号からかかってきた電話にびっくりした感じ
の下町娘でしたが、これから国際電話をやすく
かけることができます。しかし、そのためにもヘッドセットは
ちゃんとマックで使えるものを用意しないと!

こういうパソコン関係のことは本来はあまり得意ではないのですが、
国際電話に高い金を払いたくないという必要性がありまして、必要
に迫られて最先端テクノロジーにチャレンジせざるをえない私です。

トホホの日本対クロアチア戦観戦

2006-06-19 01:42:26 | Weblog
試合結果もゼロゼロで引き分けというというトホホな結果となって
しまった日本対クロアチア戦だったのですが、それよりももっと
トホホでドジだったのは私の観戦の仕方でした。

私はシンガポールに住んでいます。NHKのワールドプレミアムは見る
ことができるのですが、放映権の関係で、ワールドカップの実況は
ありません。ニュースの中ですら、動画は一切なしで、静止画だけ
です。これはオリンピックの時もそうなので、NHKに関しては最初か
らあきらめておりました。

前のワールドカップの時はそうだったので、どっかのチャンネルで
やっているに違いないと思っていました。でもここ数日、いろんな
チャンネルを回してみても、ワールドカップは一切やっていないの
です。これはどうしたことか。そういえば、「契約をしないと見ら
れない」と誰かが言っていたのを聞いたことを思い出しました。

ケーブルテレビから毎月届けられるプログラムの5月のものを見たら、
何とそのことが書いてありました。インターネットで契約できるのか
なとか思って、ウェブサイトを見てみたのですが、すでに6月も中旬
なので、ワールドカップの実況受信契約のことなど、もうなくなって
いました。

こうなったらインターネットだと思い、どこかで無料で実況を見られ
るかもと調べました。見られそうなところがあったのですが、マック
はサポートしていないということでした。そう私はマックユーザー
なのです。マックユーザーであることの悲しさを感じました。

それならば、インターネットラジオだと思い、リアルオーディオの
試用版をダウンロードして聞こうと思ったのですが、ワールドカップ
の実況中継は見つかりませんでした。

結局、苦労して探し出したのが、この上の映像のニフティのサイトで
した。こちらです。ゲームのような感じですが、一応
ライブで試合の状況が分かるようになっています。音声はなく、画像
のみですが(と言ってもゲームのようなイラスト人形のみです)、
誰が誰にパスしたとか、シュートしたとか、川口が敵のシュートを
防いだとか、宮本がイエローカードをもらったとか、そういうのが
一応全部リアルタイムでわかるのです。

上の部分の電光掲示板のようなところに、状況が文字でも出てきます。
一応、これで、試合がどのようになっているのかはかなり把握できる
のですが、全く臨場感がありません。なんだか昔のスーパーファミコン
でサッカーゲームをやっているような、そんな感覚です。ゴールキー
パーがボールに飛びついてセーブしたり、ボールがゴールの外にそれて
いったというのなどは実によく表現されているのですが、現実感がない
のです。

やっぱり、サッカーの観戦というのは、歓声が聞こえたり、アナウン
サーの興奮した声とかが聞こえてないと盛り上がりませんね。

しかしワールドカップの契約をしていなかったというのは何か一人だけ
時代に取り残されてしまったようで悲しいです。

最近、シンガポールにいると、すべてがオンライン化されてしまって、
取り残され感を感じることが多いです。先月も、会社の銀行口座の残高
確認が新しいシステムになったというので見ようとしたら、結局マック
には対応していないということで、ここでも疎外感です。シンガポール
はビジネスではウィンドウズがメインなので、マックユーザーのような
少数派のことは念頭にないのかもしれません。(おまけに私はマックの
中でも最新のインテル対応のマックなのでこれまた複雑ですが)

シンガポールには徴兵制度があって、男子社員は時々およびがかかるの
ですが、その給与調整(不在期間は政府が給与を補填してくれる)が
今月からすべてオンライン処理されることになりました。またここでも
マックは置き去りにされています。

何でもかんでもオンラインになって電子化していくシンガポール。こう
いうの一見便利なのですが、使うほうの立場になってみると、すごい
面倒です。これからいろんな届け出とか、申請がオンライン化されて
きます。

ぼけっとしてるとどんどん取り残されていってしまいそうで、怖くなる
今日この頃のシンガポールです。

「君が代」について考える

2006-06-17 22:50:42 | Weblog
今回はちょっとチャレンジングなテーマなのですが、「君が代」
について考えてみたいと思います。と言いましても、私の立場は
左翼的に「君が代」に反対するものではありませんし、右翼的に
「君が代」に心酔するものでもありません。でもまあ、日本とい
う国のことは愛しているし、国歌も国旗も大切だとは思っており
ます。

さて、ワールドカップが始まりました。初戦のオーストラリア戦
は残念な結果でしたね。試合そのものは、専門家の方の分析にお
まかせするとして、ここで注目したいのは、その試合開始前に
歌われた「君が代」です。たまたま、こちらのサイトでその映像
がご覧になれますので、お時間のある方はご覧ください。
Here, There and Everywhere

整列した日本チームの選手が「君が代」を歌っています。皆さん
歌っているように見受けられますが、きちっと歌っているのは、
中田、川口、宮本、中村などの主力メンバー。でも一番の注目は
三都主アレサンドロです。一人だけ右手で胸を押さえて、真剣に
歌っているではありませんか。ブラジルからやってきて、苦労して
日本人となることができた彼が、一番しっかりと日本の国歌を歌っ
ている。これは、すごく印象的でした。

「君が代」に関して、実は私たちは詳しいことをほとんど知らさ
れてきませんでした。学校の入学式や卒業式の時に歌ったり、
オリンピックで日本人選手が優勝したときに聞いたりするくらい
でした。学校の先生たちは、「君が代」に関して、あまり説明し
たくないかのような感じでしたので、その言葉の意味や、歴史な
どに関しては、全く聞く機会に恵まれませんでした。

インターネットでいろいろ調べてみて、「君が代」のことがいろ
いろわかりましたので、ここでまとめてレポートしてみたいと思い
ます。この年になるまで知る機会がなかったのは残念です。

まず、この歌詞なのですが、この出典は平安時代の『古今和歌集』
なんですね。覚えていますか?『古今和歌集』は醍醐天皇の勅命
によってできた日本で初めての勅撰和歌集です。あの有名な紀貫之
さんが編集長だったのですね。私はすっかり忘れていました。
西暦905年の出来事だそうです。

この『古今和歌集』の中に、詠み人知らずの歌として出てくる歌が
「わがきみは ちよにやちよに さざれ石の いはほとなりて 
こけのむすまで」というものなのだそうです。これが平安後期に
出だしの「わがきみは」の部分が「きみがよは」と変わっていった
ということのようです。

この歌詞なのですが、私はこの年になるまで、「さざれ」のところ
がわかりませんでした。「千代に八千代にさざれ」という部分の
動詞であると子供の頃から理解していました。メロディ的にもまさ
かそれが次の石と一体になっているとは想像もつきませんでした。
実は、「細石(さざれ石)」という名詞だったのですね。

細石が、巌(いわお)となりて、苔のむすまで、ということなので
すが、ここでも疑問が残りました。岩がくだけて、細かな石になる
というのは地学的に納得がいくのだが、細かな石が成長して大きな
岩となるというのは、あまりにも不可思議であり、これはきっと
神話的な話なのではないかと思ったりもしました。

しかし、しかしです、実は、現実としてそういうことがあるという
事実を知り愕然としました。小さな石がとけた石灰石の凝結作用で
大きな固まりになることがあるというのです。ちょっと信じられ
ないのですが、次のサイトには「さざれ石」の実物の写真も出て
いるのでびっくりです。→さざれ石

細石が巌となって苔がむすまでに要する時間がどれくらいのものか
よくわかりませんが、永遠ということに近い感覚なのでしょう。
今まで、歌詞の意味も知らずに歌っていたというのは恥ずかしい
かぎりです。

歌詞のいわれはそんなところですが、このメロディーのことも実は
いろいろあり奥が深い。明治時代が始まってから、日本にも国歌が
必要だということで苦労して作ったようなのですが、このへんの
事情に関しては、こちらをクリッックしてください。
かなり苦労して現在の形になっていったようです。時代は映画の
ラストサムライの頃の話です。最初に作曲しようとして不評となる
イギリス人フェントンという人物が登場してくるところなどラスト
サムライ的です。結局は、林広守という人が作曲したのを、ドイツ
人のエッケルトが編曲をして、現在の形になったということです。
なんだか奥が深いです。

ところで、YouTubeのサイトで、いろんな人の「君が代」が見られ
ます。まずは、中島美嘉さんです。こちらです。
Nakashima Mika "Kimigayo"
格闘技世界一決定戦の小川とガファリの試合の前の歌ですが、
何とアカペラです。このメロディーをアカペラで歌うとなるとこれは
ちょっと大変です。このYouTubeは世界中の人が見ているので、これ
が「君が代」という日本の国歌だと知らずに聞いた人は、えらい
へたっぴーな歌手だなあと思った人もいるみたいですね。キーが
外れてるんじゃないのとかのコメントもあります。

次は、B'zの松本さんです。レーシングサーキットで、エレキギター
で「君が代」を演奏しています。これは結構かっこいいです。
B's Matsumoto

1998年のワールドカップの時のクロアチア戦の画像もありました。
岡田監督です。川口もいます。若いです。中山もいます。懐かしい。
ここでも君が代を歌っています。
1998年ワールドカップクロアチア戦の君が代

最後に、またサッカーです。2004年の横浜スタジアムでの日本対
ドイツ戦です。この時の「君が代」は何と堀内孝雄さんが歌って
いたのですね。三都主はこのときも胸に手をあてて歌っています。
2004年日本対ドイツ戦の堀内孝雄の君が代

というわけで「君が代」はなかなか奥が深いですね。

シンガポールにおける日本豪州戦結果報道

2006-06-13 21:27:35 | Weblog
昨日のワールドカップの日本対オーストラリア戦、日本は負けて
しまいましたね。前半一点入ったので、そのままいけるかと思った
のですが、シュート数はオーストラリアのほうが断然勝っており
ました。それを川口君の美技でかろうじて防いでいたのですね。
最後にぼこぼこと逆転されて、さぞや皆様失意のどん底に落とされ
たのではないでしょうか。

さて、本日の新聞報道はどうだったでしょうか。日本の新聞は
日本の立場で、日本が負けたことを悲痛に叫んでいるのが多かった
かと思います。こちらシンガポールは、アジアでもありながら、
オーストラリアもわりと近い国なので応援しています。もちろん、
旧宗主国の英国や、その他の国も応援しています。

この上の新聞は本日のNew Paperという大衆紙。記事内容は圧倒的
にオーストラリアのヒディンクの快挙という書き方です。日本は
右ページの赤の囲み記事で、落胆して両手で顔を覆っている柳沢の
写真。なんだかとても悲哀が漂っている記事です。

ジーコ監督のコメントとか、他のいろんな選手のコメントが引用
されているのですが、全体的な論調としては、これからどうすりゃ
いいのかわからないけど、とにかくがんばるしかないというような
悲痛な雰囲気です。

それに比べ、半分以上のページを割いているオーストラリアの記事
は、ヒディンクが奇跡を起こしたみたいな論調です。見出しの、
「バ、グース」というのは、ヒディンク監督の名前がグースという
のにひっかけて、マレー語の「バグース」(ナイスとか、すごい
とかいう意味)という駄洒落になっております。そして何でこんな
後ろ向きのへんてこな写真を大きく使っているのかといいますと、
指揮者のように勝利をオーケストレートする監督というような意味
のようです。この人、前のワールドカップの時は、韓国チームの
快進撃を支えた人で、今回も日本を破って奇跡を起こしたという
ようなほめ具合です。

右ページの下のほうに、サッカー娘のトレーシー・リーという人の
コラムがあり、そこの見出しは「日本人は基本を忘れちゃったのね」
というきつ~いお言葉。彼女は、英国を応援しているんだそうです
が、こんな小娘に批判されるのも悲しいことであります。彼女曰く
「日本人はブラジルをまねして、ボールを扱う美技を追求してるが、
パスして点を入れるという最も重要なことを忘れてる」。まったく
耳の痛いお言葉です。

ヒディンク監督は、この奇跡の勝利に続き、次のブラジル戦でも
奇跡を起こすといきまいています。何がおこるかわからないのが
ワールドカップです。

村上さんちのお父さんとシンガポールの関係

2006-06-12 17:16:33 | Weblog
この新聞記事は昨日の6月11日のシンガポールのサンデータイムズ
13ページに出ていたものです。この写真を見て「欽ちゃん?」と言っ
た人がいました。たしかにこの表情、この視線、似ています。

こちらでは以前から「仮装大賞」などの再放送をよくやっていたの
で村上さんよりも欽ちゃんのほうが一般人にはなじみがあると思い
ます。

しかし、この写真のキャプションの「みんなぼくのことが嫌いなん
だと思う。なぜならあまり沢山儲けてしまうから」という言葉、
ちょっと嫌みな表現ですよね。

この記事は、5月中旬にシンガポールに来たときの村上さんの様子
のこと、お父さんが実はシンガポールに長年住んでいたということ、
村上さん自身も子供の頃に遊びにきて、シンガポールのことはかなり
詳しく知っているということ、また今年シンガポールに買った豪邸
のことなどが書いてありました。

細かい部分のみ拾い読みしてみたいと思います。まず、5月に空港
に到着してから、待ち構えるマスコミを避けるように、リッツカール
トンに向かったというようなことが書いてありました。リッツカール
トンに泊まっていたのでしょうか?あそこからは金融街が一望できる
ので、村上さんらしい選択なのかもしれませんが。

オーチャードのウィスマ・アトリアにある彼のMAC Asset Management
という会社名が出てきます。ウィスマと言えば、伊勢丹のあるところ
です。オーチャードの中心地です。また、住居として4月に購入した
豪邸はオーチャードの裏通りのブールバード・レジデンセズ・コンド
ミニアムのペントハウス(1600万シンガポールドル)、日本円に
すると10億円以上です!す、すごい。

村上さんのお父さんは、イサムさんといい、物腰の柔らかな人物で
マレー語も堪能だったとか。1972年にシンガポールに来て、不動産
関係(アパートの保守サービス)などをしていたそうです。15年
以上もシンガポールに住んでいたのだそうです。

イサムさんは、ニュートンに近いカベナ・コートの3階にある3
ベッドルームのコンドミニアムを購入。そのときは村上世彰君は
まだ12才だったそうです。学校が休みのときには、イサムさんの
奥さんと、二人の子供(うち一人が世彰君)は、シンガポールに
遊びに来て、黒のメルセデスベンツでシンガポールをあちこち探索
したということが書いてありました。

イサムさんは、シンガポールのホンリョン財閥の創始者とも親しく
交際があったそうですが、その跡継ぎの人に世彰さんが会ったとき、
「どうしてブールバードレジデンセズなんか買ったの。超一流の
セントレジスを予約してあげたのに」と言われたとか。

このような背景があって、ファンドの拠点と住居をシンガポールに
移したのだと分析していました。「妻と4人の子供?」あれ村上
世彰さんには子供が4人もいたの?少子化問題を自ら解決しようと
する積極的な姿勢が見受けられますが、ちょっとお子様たちの将来
のことを思うと、心配になってしまうのは私だけでしょうか?

香港の社会現象迷惑「バスおじさん」

2006-06-11 17:03:18 | Weblog
香港で行われた会議で、香港に住んでいるPR会社の社長さんが、
そのプレゼンテーションの中で、香港の"Bus Uncle"が社会現象
になっているという話をしました。バスの中で注意されたおじさん
が逆切れして若者を罵倒しつづけるという場面を、たまたま近くの
席に座っていた別の若者が携帯のカメラで撮影し、それを"You Tube"
というサイトで公開したのが発端とか。その映像がネットの世界で
話題になってしまい、"Bus Uncle"は香港ですごい話題になって
しまったということのようです。

早速、You Tubeのサイトにアクセスしてみました。ありました。
上にその画像を添付しましたが、これが肖像権か、著作権に触れる
のかよくわかりません。とりあえず、静止画を引用します。
動画は、英語の字幕つきのものがありましたので、これをご紹介します。
Hong Kong Bus Uncle English Subtitle Version

ウィキペディアにもバス叔父さんというタイトルでの項目
ができていたので、詳しくはそちらをご覧ください。

今年の4月27日の夜、香港の九龍の路線バスに乗っていた男
(Bus Uncle)がバスの車内で大声で携帯電話で話していたの
だそうです。それを後ろの席に座っていた若者が、前の席で
大声で話しているバスおじさんの肩を軽くたたいて、少し
小さな声にしてもらえないかと注意しました。

そしたら、逆切れしたバスおじさんが、逆上し、立ち上がり、
後ろの座席の若者を広東語で罵倒し続けるのです。映像は、
罵倒し始めてからの6分間を記録しています。

英語の字幕だとちょっとわかりにくいので、ここは大阪弁に
翻訳してみましょう。(こういうのは大阪弁がぴったりです)

バスおじさん「バス降りや、はよ。ここにおること許さへんで」
若者「その必要はない」
バスおじさん「なんでわしの肩たたくねん。電話しとっただけ
やないかい」
若者「ボス」
バスおじさん「ボスなんて呼ばんといてや。おい、なんでそんな
ことできるんや。おい、みんなストレス感じとるんやで。
(若者を指差しながら)あんたが今やったことは不公平やで。
わしはあんたに何か関係ある事ゆうたか?」
若者、何か言おうとするが、バスおじさんに威圧される。
バスおじさん「わしはあんたに触ったか?おい、謝らんかい」
若者「(小さな声で)すんません」
バスおじさん「なんじゃそりゃ。わしは正しいやろ?ゆうてみい」
若者「面目を保ちたいんですね。はいわかりました。大変
申し訳ありませんでした」
バスおじさん「面目なんてどうでもええねん。ええか、わしは
あんたの電話の邪魔はしとらんで。なんで、あんたは、わしが
大声で話すのをとがめるんや?話は簡単や。わしはあんたの
邪魔はしとらん。間違いないやろ?」
若者「(無言)」
バスおじさん「どないや。」
若者「別に何でもなかったですよ」
バスおじさん「あんたに何があったん?どうしてほしいねん?
わしはこの問題を解決したいねん」
若者「もう解決してます」
バスおじさん「まだ解決しとらん!」
若者「解決済み」
バスおじさん「まだや!未解決や!未解決やで!!!
ちゃんと真剣に考えーや。つまり、わしがあんたの電話の
邪魔をしたんか?そんで、なんでわしがあんたに邪魔され
なああかんねん」
若者「声が大きすぎます」
バスおじさん「ええか、あんたも電話しとったやろ。そのことで
わしはあんたに文句言うたか?二人とも電話しとっただけやろ。
雑音もあるやろ。わしらの声はみんな同じやで。あんたのこと
文句言うたか?あんたはどやねん。喧嘩が強いとちゃうんかい。
このボケ。ほんまに喧嘩が強いんかい。わしもストレス持っとる
んや。あんたもストレス持っとるんや。なんでわしを怒らせんねん。
なんや。謝らんかい!」
若者「すんません」
バスおじさん「声が小さい!」
若者「(相変わらず小さな声で)すんません」
バスおじさん「わかったか、もうこんな事二度とするなよ。
(握手をしようとして)手を出しーな」
若者、握手をしようとしない。
バスおじさん「なんや、まだ文句あるんか?和解した後は握手やろ!
握手したくないちゅうんかい」
若者「必要ないよ」
バスおじさん「何で必要ないねん?言うてみい。握手せんかったら
決着にはならんやろ」
若者、笑う。
バスおじさん「まだ握手しとらんちゅうことは、まだ解決しとらん
ちゅうことや。そやろ!おまえはわしの電話の邪魔をした。わしは
その仕返しをしたか?こんちくしょうめ。堪忍袋の緒が切れたで。
何でわしの肩たたくねん?Fuck your mon!(これは何と翻訳したら
よいのか)」
しばしの沈黙。
バスおじさん「わしが話しているとき、おまえも話すやろ。わしの
何を知っとるっちゅうねん?おまえのおかんをファックしてやるで!」
若者、沈黙。
バスおじさん「おいこら、まだ握手しとらんちゅうねん。まだ終わっ
とらんねん」
若者「わかりました。従いましょう(握手する)」
バスおじさん「よーし、ええか、こんなこと二度したらあかんで」
二人は相変わらず手を握り合ったまま。
バスおじさん「わしじゃなかったら、あんたはボコボコにされとっ
たで」
若者「またどこかでお会いするかもしれませんね」
バスおじさん「それが運命だったらそうなるわな。ええか、二度と
したらあかんで。二度とわしの邪魔せんといてや。ええか?
わしらはみんなストレスでいっぱいや。喧嘩したいんやったら
いつでも相手になるで」
若者「いえ、結構です」
バスおじさん「よう言うた。喧嘩はせん。おまえのようなやつと
話すのはややこしゅうてかなわん。人の肩をたたいたり」
若者「肩じゃなくて、今度は頭をたたくようにします」
バスおじさん「おまえ、今あやまったばかりやないか?まあ、ええ
けどな、おまえは、わしの邪魔をしたんやで。わしはせんかった。
だからおまえのおかんとなにするねん。ええか、これでええな?」
若者「でも、ぼくの母さんとファックするのははやめてほしいな」
バスおじさん「それじゃ誰とファックすればええねん?わしの
ペニスはおまえのおかんにくっついとるんちゅうんかい。これは
中国語特有の言い回しやちゅうねん。わしゃあファックするのが
好きや。けど、わしのペニスはお前のおかんにゃあやらんわ」
若者「ちょっと警告しておきたいけど」
バスおじさん「何を警告するねん。(座りかけたが再び立ち上が
り)ええか、わしらは握手をして和解したんやで。何ゆうとるんや」
若者「もう解決したことです」
バスおじさん「じゃあ何で警告するんや。ええか、わしらはすごい
ストレス感じとるんや。握手したんや。和解したいんや。それをなん
でお前は警告するんや。そういうことは意味がないんとちゃうか?」
若者「これは我々二人だけの結論だけなので、他の人を巻き込まない
でほしいです」
バスおじさん「そんな問題じゃない。あんたもファックが好きや。
わしもファックが好きや。ファックすることは何も迷惑なことじゃ
ない。このカス。おまえの顔を二回くらいぶん殴りたいとこや。
ええか、もう終わったんや、警告なんかすんなよ。警告されても
わしゃ怖くないで。わしのストレスはものすごいんや。わかったか。
これで解決や、ええか?」
若者「もう話したくありません」
その時、バスおじさんの携帯電話に受信音が。
若者「早く電話に出たら?」
バスおじさん「もしもし(電話で話す)」
若者は、指をたてて、怒りを表現する。

映像は、これで終わりです。もっと短いかと思ったのですが、
文字で記録しようと思ったら大変な量になってしまいました。
しかし文字にして初めて、このバスおじさんのめちゃくちゃな
論理と、決してくじけない論戦に感心してしまいました。

このバスおじさんと互角にわたりあった後ろの座席の若者も
大したものです。なんども挑発されそうになる場面もあったの
ですが、彼は見事に理性を保ち、暴力事件に発展することを
回避しました。また後半、結構冷静に、バスおじさんに突っ込
みを入れているのですが、プレッシャーに負けなかった彼の
態度もまた感心します。ちなみに彼は、エルビスという名前で
モンコックで不動産会社を経営しているとのことです。

この映像には、バスおじさんと、エルビスという若者の二人が
登場しますが、じつはこの一部始終を撮影しつづけた若者
(ジョンという名前)が真のヒーローです。プレッシャーにも
まけず、携帯電話のカメラで映像を取り続けた彼の勇気を讃え
たいと思います。

もし、バスおじさんに撮影していることを見つかってしまった
ら、バスおじさんの怒りの矛先がジョンのほうに来たことは明ら
かで、それを考えただけでも、ジョンはヒーローだと思います。

彼は、もしもこの事件が、暴力事件に発展した場合には、この
映像を証拠資料として提示しようと撮影したのだそうです。この
ジャーナリスト精神は、戦場で命を落とした何人もの有名な戦場
カメラマンにも匹敵するものだと思います。

ところで、このバスおじさん現象は、香港では、ニュースで取り
あげられたり、カラオケが作られたり、パロディが作られたりし
て、大変な状況のようです。香港では、流行語として「未解決!」
とか、「私はストレスがいっぱい」などがはやっていて、「バス
おじさんに遭遇することだけは勘弁してくれ」という表現が
はやっているそうです。

バスおじさん現象は、いろんなお土産グッズにも発展しています。
こちらのサイトをご覧ください。結構いろいろあります。
Bus Uncle Goods Shop
こういうのこそいいお土産になったのになあと思います。

まあとんでもない迷惑な人間がいるものですね。

両陛下のシンガポールご訪問

2006-06-11 00:03:50 | Weblog
本日のシンガポールの新聞は、英語の新聞も中国語の新聞も一面は
両陛下のシンガポールご訪問の記事でした。中ページでも、晩餐会
の様子やら、ナショナルライブラリー訪問のことなど、いろいろ
出ていました。

シンガポールの新聞の論調は、ジャーナリズムにありがちな皮肉っ
ぽい口調は一切なく、事実を淡々と述べていました。これだけの
紙面を割いて記事が出たということは、かなり好意的に受け取られ
たということでしょう。

シンガポールは第二次世界大戦では実際に戦場になった場所です。
英国軍と日本軍の間で、実際に地上戦が行われ、その後の占領下の
時代にあったいくつかの悲しい事件はいまだにシンガポールの人々
の記憶に消えずに残っています。

今回、天皇陛下は、日本とシンガポールの友好関係について触れた
あと、「しかしながら、過去の世界大戦で貴国の国民が貴重な命を
失ったり、つらい思いをされました」というような発言をされてお
りましたが、これは誠意ある態度として受け取られたと思います。

新聞記事を見ると、両陛下はオーチャードの裏手にあるフォーシー
ズンズホテルに宿泊されたようです。お昼はリーシェンロン首相と
のランチをArts Houseというところでされたようですが、その写真
の片隅に川口順子さんも写っていました。一緒に来ていたのですね。

2時45分には、昨年できたばかりのナショナルライブラリーを訪問
されたようです。700人くらいの小学生が旗を振って歓迎したという
ことでした。ナショナルライブラリーはうちの会社からも歩いていけ
るので、時間がわかっていれば行けましたね。う~ん、残念。

新聞記事の中には、どういうものが記念品として両陛下に贈られた
かなんてことも出ていました。皇太子時代の1970年と、1981年の二回
シンガポールに訪問されたらしいのですが、その時の写真を80ページ
の写真集にして贈呈されたとか。さらに蘭の花をかたどったホワイト
ゴールドとイェローゴールドのブローチ、純金の記念メダル、そして
直径30センチの特性椀ということでした。そのセラミックの椀には、
シンガポールの名所のイラストが描かれていて、40周年記念という
言葉が、英語、中国語、マレー語、タミール語の4言語で書かれて
いたとか。

先月は、村上ファンドの村上さん(現在容疑者)が来て話題になった
シンガポールですが、今年は何かとシンガポールが話題になっていま
すね。

夜の香港

2006-06-04 00:07:07 | Weblog
夜になりました。窓の外の景色が、昼間と違ってネオンの世界に
なりました。水に映るネオンがとても奇麗です。

さっきまでインターコンチネンタルホテルの宴会場で、広告代理店
の世界的ネットワークのディナーがありました。60~70人くらい
いたでしょうか、世界中からいろんな国の人が来ていました。
が、日本人は私一人なのでちょっと心細かったです。

ディナーの後、飲みに行った人も多いのですが、私は朝も早かった
ので、早めに引き上げてきました。あまりつきあっていると体力が
持ちません。

香港に来てからこのホテルから一歩も出ていないのですが、こんな
に広々とした部屋だと\、ずっと部屋にいても全然飽きません、

明日の朝は早いので、今日はこのへんで。

香港到着

2006-06-03 16:16:00 | Weblog
香港に到着しました。朝8時半のシンガポール発の飛行機だった
のでちょっと眠いです。ホテルは九龍のインターコンチネンタル。
ここはその昔、リージェントホテルだったところですね。
ホテルの部屋から香港島の景色が真正面に見えるので、びっくり
でした。

ここは以前、下のバーには来たことがあるのですが、宿泊するの
は初めてです。部屋も奇麗でびっくり。テレビはシャープのAQUOS
のでかいフラットテレビ。NHKのBSもNHKワールドプレミアムも入り
ます。ブロードバンドはワイヤレスですぐに接続できました。
これは快適です。メールもチェックできるし、ブログもチェック
できます。

仕事もできてしまいます。でもこの後4時から会議なので、あまり
ゆっくりもできないのですが、火曜日のチェックアウトまで、これで
大丈夫です。旅先で、メールがつながらなかったりするのが一番
困ります。最近のホテルはブロードバンドで繋ぐことができるので
本当に助かります。安いホテルだとそういう設備のないのが多いですが。

香港は一年以上ぶりですが、このせかせかした落ち着きのなさが
シンガポールとは大きく違うところです。しかし、窓の外の景色は
すごいなあ。左から右までずーっと高層ビルが林立していて、
まさにパノラマです。ではまた。


インドへ

2006-06-02 14:03:13 | シンガポール
上の写真はインドではありません。シンガポールのインド人街の
風景です。シンガポール人の7割以上は中国系ですが、マレー系
についでインド系が三番目に多い人種です。人口の約8%、25万
6千人くらいのインド系の人たちがシンガポールに住んでいます。

インドと一口にいっても南部のタミルナドゥ州(チェンナイが州都)
のタミール人が歴史的に多いです。言語もヒンドゥー語ではなく、
タミール語で、言語体系も文字もヒンドゥー語とは全然違います。

シンガポールのインド人向けにタミール語の新聞も出ていますし、
ケーブルテレビではタミール語のサンテレビというチャンネルも
見られるようになっています。(関西のサンテレビとは全く関係が
ありません)

この間、香港からの訪問者と話していたのですが、村上ファンドの
村上さん(今テレビでいろいろ騒がれていますが)が、シンガポール
に来たのは、インド経済を見据えてのことであり、またシンガポール
の安全性ということもあったんだろうと思います。

シンガポールからインドへは、香港へ行くくらいの時間の感覚で
飛べるので、日本から見るより物理的には非常に近い感覚です、
おまけに、シンガポールにはすでに多くのインド人が居住していて
インドは心理的にも身近です。

シンガポールの街の両替屋はほとんどがインド人で、計算はすごく
早くて能率的です。シンガポールの両替屋は、お店によってレートが
ちょっとづつ違うのですが、最近見ていて、うちの会社のある
シティーホールの近くでは、ペニンシュラプラザの一階にある
コロンボエクスチェンジという両替屋がわりといいレートでした。

この間、東京から来ていた下町娘に教えてあげたのですが、
1万円を両替して、近くの他の店で両替するよりも2、3ドル
違ってくるので、屋台での一食分くらいになると喜んでいました。

インドの話で、朝日新聞の5月31日の「週刊アジア」というページに
「波紋広げる準国歌」という記事が出ていました。100年前の
「バンデ・マータラム(母なる大地)」という曲が数年前に現代的に
編曲されてヒットしているという話でした。国歌につぐ準国歌として
ヒットしているというのです。

どっかで聞いた名前だなと思っていたら、私がインドの新聞社から
もらったプレゼンテーション用の映像が、その「バンデ・マータラム」
のプロモーションビデオでした。これがそれだったのかと何となく
うれしくなりました。

国歌というとなんだか厳かな感じのものですが、この「バンデ・
マータラム」は、皆で踊りたくなるような、元気の出るような曲です。
で、何となくかっこいい。

日本の君が代はいろいろと問題になることも多いのですが、この
「バンデ・マータラム」も問題になっているそうです。その理由は
内容的にヒンズー教に関連する言葉があるとか。インドはヒンズー
教徒が大半ですが、イスラムもかなりいます。イスラムはアラー
以外の神を認めるわけにはいかないということで、ヒンズー教と
うまくいかないようなのです。ちょっと複雑です。

シンガポールにもイスラム教の人(とくにマレー系)は多いですが、
政治的にはそれほど問題になっていません。シンガポールの国歌は
実はマレー語ですので、マレー人にとってはハッピーなんだと
思います。

ところで、私は明日の朝、香港に出張です。火曜日の夜に戻って
きます。