南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

オリンピック誘致は参加することに意義がある?

2006-08-31 02:17:02 | オリンピック
ここはシンガポールのラッフルズシティ。ここで昨年の7月開催
されたIOCの総会で、2012年のオリンピック開催地がロンドンに
決まった。パリ、マドリッド、ニューヨーク、モスクワの四都市
がロンドンに敗れた。それぞれの都市は、自分のところにオリン
ピックを誘致したいがために、死力を尽くして、この最終選考に
挑んだ。それぞれに個性ある都市の自信に満ちた戦いだった。
勝利をつかんだのは、ロンドンだった。

もしこの5都市の中に東京がまじっていたらどのような戦いをし
たのだろうかとふと考えてしまいます。世界を代表する大都市と
いう意味では東京は、この中において違和感はない。しかし、
東京でオリンピックを開催することの意義が見えないのです。
東京の経済効果が云々されていますが、それはあくまでも副産物。
それは決してオリンピックを誘致することの意義ではないのです。

東京にオリンピックを誘致しても、そこにドラマ性がありません。
経済効果があって得をするのは、東京周辺の人々。世界的に見て
東京が潤ったからと言って、それだけのことで終わってしまいます。

ロンドンの場合は、ロンドン市内の改造計画、アフリカなど第三
世界の生活を向上させる計画などが、背景としてあって、ロンドン
のオリンピック開催には大義名分がありました。それが今の東京
にはまだありません。「まだ」と言ったのは、ひょっとしてこれ
からそういうのが出てくるのかもしれないというかすかな希望を
込めてのことです。でも、たぶんダメでしょう。

日本は、金さえあれば何とでもなるだろうという奢りがあります。
しかし、スポーツの精神は本来、そういうものじゃありません。
もう少し純粋な意義がないと開催してはいけないんじゃないかと
思います。

北京と東京は欧州から見れば、兄弟都市のように近い距離に見え
るかもしれませんよね。北の京に、東の京。そんなところで続け
て(ロンドンがその間にありますが)オリンピックを開催する意味
がありませんね。

1964年の高度経済成長の時代におけるオリンピックの意味は
非常に大きなものがありました。今の状況の中でオリンピックと
いうのは、なんだか豊臣秀吉の朝鮮征伐のような気がしてしまう
のです。


深センからの帰還

2006-08-30 00:01:45 | アジア
深センからシンガポールに戻りました。深センは本来は国際
空港ではなかったのですが、最近は国際空港となり、香港や
広州を経由することなく深センに来ることができるようになり
ました。しかし、シンガポールから直行便が飛んでいるのは、
今回私が利用したシルクエアーだけです。他には大韓航空とか
中国系の航空会社の国際路線のいくつかしか就航していません。
関空から中国国際航空が深センに飛んでいるみたいですね。

深センの国際線のターミナルはBターミナルの隅のほうに
ひっそりと存在しております。チェックイン・カウンターが
なく、いきなり通関です。通関書類を書いて、係員の審査を
受けたあと、やっとチェックイン・カウンターがあります。
カウンターはいくつかあるのですが、列に並ぶことなくその
ままチェックインできました。

いきなり通関というのは、深センの国際空港が始めてでした。
これは知らないととまどうところです。チェックインしてから
パスポート審査、そしてX線の検査を抜けるといきなり搭乗
待合室となってしまいます。

今回の深センへの出張に関して、最初はシンガポールから
広州への往復で手配していたのですが、後で、広州から
深センは、香港から深センへの距離の何倍も遠く、通関が
一回ですむという以外は、あまりメリットがないということ
が判明。香港往復に変更しました。最初は香港に滞在して
深センに通ってもいいかなと思っていたのですが、時間も
かかるし、香港のホテルは深センにくらべて高いという
情報もあり、シルクエアーの直行便があるとわかったので、
陸上交通費と宿泊費を節約するために、深セン直行を選び
ました。

今回の深センの旅は、経費節減には貢献しました。まず
ビデオカメラマンや、スチルカメラマンおよびそのアシス
タント二名のスタッフに関して、広州のスタッフを使い
ました。香港から連れていくことも考えたのですが、
おそらく広州のほうがコスト的には安かったと思います。

次にホテルが非常に安く、中国人スタッフの分も含めて
3部屋分払ったのですが、それぞれ2泊分で1080元!
すべてまとめて一万数千円です。これって香港だったら
一泊分の料金です。しかもインターネット接続代は無料!
感激です。

スタッフが広州から深センに来た交通費などもこちらで
支払わなくてはならなかったのですが、三日間のレンタ
カー代が800元(一万二、三千円)、ガソリン代、駐車場
代など、ほんとにこれでいいのと言われるくらいの安さ。
これだけの価格競争力があれば、世界のどこにも負けない
だろうと思ってしまうのでした。

さらに食事代。今回、空港のそばの海鮮料理のレストラン
に3日連続で通いつめるという、生まれて始めての経験を
しました。初日は、6人で、270元(四千円くらい)でした。
チンタオビールの大瓶を3本もあけているのに、また料理も
10品くらい頼んでいるのに、一人6~700円です。これは
びっくりでした。二日目は5人だったのでちょっと安くなり、
三日目の今日のお昼はビールを飲まなかったので、123元
(2000円弱)ですみました。ちゃんとした料理をやはり数品
頼んでいるのに一人あたり400円です。しかも特別個室です。
今日は別にわざわざ同じ店に行く必要もなかったのですが、
スタッフと言葉がうまく通じないので、昨日と同じところと
いうふうになってしまいました。

一番高くついたのは日本語通訳でした。これは二日間で四万
円以上払ってしまいました。宿泊費、交通費、食費の安さを
考えるとこの通訳代の高さが痛い気がします。

自分が中国語ができればよいのですが、以前勉強した経験が
あっても、まったく実用には耐えません。カシオの音声機能
付きの電子手帳も持ってきたのですが、とっさの場合には
使えませんでした。これをもっと使いこなせるようになって
いないといけないと痛感しました。

本日は300万都市の深センの都心部に行ってきましたが、
そちらは物価も少し高いのでしょう。何だかピカピカの大都会
という気がしました。人口的にはシンガポール一国と同じ人口
ですが、深センの高層ビルを見ていると、こっちのほうが人口
が多いような雰囲気さえしてしまいます。

ご参考までにお伝えしておきますが、深センの国際ターミ
ナルの中に入ってしまうと、じつにささやかな免税品売り場
と、ささやかな軽食コーナーがあるだけですので、ご注意
ください。2時間前にこの中に入ってしまうと、あとは
ボーディングを待つだけです。

あまり設備をよくして、評判が高まってしまうと、香港の
空港の価値が下がってしまうので、外交戦略的にわざと
設備を中途半端にしているのかなとさえ思われる深センの
国際ターミナルでした。

次に行くことがあるとしたら、香港経由かな?

不思議の都市、深セン

2006-08-29 00:42:45 | アジア
深センのホテルのバスルームにこんなプレートがついていました。
「小心地滑」という中国語の注意書き。床が滑りやすいので注意
してください、と言いたいのでしょう。日本語の訳を見ると、
ちょっと床よりもこの言葉使いにこけてしまいそうです。
小心=気をつけてというのはわかるのですが、地滑が「滑らかだ」
というのがすごいです。言いたいことは何となくわかります。

滑らかという漢字は、中国語と日本語では、上の小さな口の位置が
違うんですね。その中国語の漢字のまま、日本語の文章に入れて
いるので、何か変なのです。また書体がどうも変です。漢字だけが
大きいし、これを見ていると本当にこけそうになります。

問題は日本語だけかと思いきや、英語の翻訳も問題です。Careful
landslipを日本語に翻訳すれば、「慎重な地滑り」という意味に
なります。「地滑り」などをホテルの部屋で体験したくはありま
せん。しかもその「地滑り」が「慎重」という気持を持っている
というのもまたまた驚きです。

英語の翻訳を読めば、びっくりしてパニックになって転んでしま
うに違いありません。いずれにしてもこのプレートのおかげで、
皆さんこけてしまうのです。まあ、このようなホテルに日本人や
欧米人が泊まるというのは考えにくいので、そのような問題も
いまだ表面化していないのでしょう。

ところで今日、とある日系の工場で撮影しているうちに聞いたら、
深センというのは、広東省の中でも異質な都市なのだそうです。
隣町の香港でも、広東省の他の町でも広東語が通じるのですが、
深センではあまり広東語が通じません。中国のいろんなところ
から出て来た人たちが住み着いた、エトランゼの町なので、使う
言語は北京語なのだそうです。

深センにはおびただしい数の工場があるのですが、ここで働いて
いる人たちは地元出身ではなく、大半が地方出身者なのだという
ことです。その工場でも、従業員のうち広東省出身者は5%しか
いないということで、大半の人は寮で生活しているとのことでし
た。

基本的に従業員の契約期間は1年で、定着率は非常に悪いそう
なのです。まあ、大変な都市です。人口は300万人ほどとい大き
さで、世界の複写機/プリンタのほとんどが深センで作られて
いるというのビックリでした。

火曜日は、深センの市内を撮影して、3時半頃の飛行機でシンガ
ポールに戻ります。では。

深セン到着

2006-08-28 00:02:52 | アジア
深センに到着しました。空港の真向かいにあるVienna Hotel(維也納
酒店)という格安ホテルに宿泊しています。この上の写真の中央部分
に見える建物がそれですが、168元と大きな垂れ幕が出ています。
日本円にすると2500円ちょっとの値段です。空港のそばなのに、この
驚くべき低価格!空港からタクシーに乗ったら15元(300円以下)で
着いてしまいました。ほんと歩いても来れる距離なので、タクシーの
運転手にしたら迷惑だったのでしょう。

空港の至近距離なのに、このホテルの付近は、殺伐とした何もない
場所です。ホテル自体も、ちょっと大丈夫かなという雰囲気でした。
フロントのカウンターはあるのですが、レストランも無ければ、喫茶
店もない、売店もないというシンプルさ。もうちょっとちゃんとした
ホテルにしておけばよかったかなと後悔しながらチェックイン。

フロントの女子服務員は、中国語しかできないのでここでも一苦労。
私のパスポートを出しても予約は入っていないという。でも部屋は
あるので、どんな部屋がいいのかと聞かれているような感じでした。
でも確かに広州の広告代理店の人に予約を入れてもらっているはずな
ので、書類を見たら、私の名前ではなく、その会社の人の名前で予約
が入っている模様、その何とかさんの名前で予約という文章を紙に
書いてみたら、すぐにその予約なら入っているとのこと。とにかく
無事にチェックインすることができました。

こんなホテルなので、インターネットは最初からあきらめていたの
ですが、部屋の机の壁際にAMPと書いたソケットが。これは何だろう
と、持参してきたイーサネットのケーブルを差し込んでみたら、何と
かちっとはまります。まさか、インターネット接続ができるのかと
自分のパソコンを繋いでみたら、何と、何の手続きもしないのに繋
がってしまうではありませんか!これはびっくりでした。

部屋のどこにもインターネット接続のことなど書いてないのに、
つながってしまったのです。ちゃんとしたホテルだと、一日の接続
料金がいくらとか説明があったりするのですが、このホテルはそん
なことは関係なく、接続できてしまうのです。まさかこの世の中に
接続が無料のホテルがあったとは驚きでした。こんなの生まれて
始めてです。

チェックインした時は、こんなホテルは二度と泊まりたくないし、
また誰にも推薦したくはないと思っていたのですが、インターネッ
ト接続ができてからというもの、このホテルに対する見方が180度
変わりました。よく見ると、部屋のインテリアも値段のわりには
洗練されているし、調度品もそこそこいいです。ベッドもタオルも
清潔で、悪くないです。

レストラン設備がないので、朝食をとることはできないとか、買い
物をする場所もないというのが問題ですが、値段とインターネット
接続ができる一番安いホテルということで、ここは結構気に入って
しまいました。

また窓の外に空港が真正目面に見えるので、雰囲気としても悪く
ないです。

明日の朝は、ここから30分くらいの工場まで撮影のために行く予定
なのですが、何と、このホテルのマイクロバスで無料で送ってくれ
ると言うのです。先ほど広州から到着したカメラマンとそのスタッフ
(総勢4名)と、私がやとった通訳がいるので、マイクロバスは非常
に助かります。しかも無料というのがすごい。

何もかもがカルチャーショックの初日の深センです。

移動的生活

2006-08-27 11:15:19 | シンガポール
昨日の土曜日、ペナン島から戻ってきたばかりなのですが、
日曜日の今朝は再び、チャンギ空港にいます。これから中国
の深センに出かけてきます。シルクエアの直行便で、10時半
発の便が遅れて10時55分になりました。今チャンギ空港の中
のインターネットコーナーで、丸いパンにエダムチーズとハム
がはさまったサンドイッチを食べながら、ブログをアップして
います。

こうして移動が続くと、何だかフライトアテンダントか、パイ
ロットのような気分ですが、でもやっぱりホテルとかではどう
も落ち着かないものです。どんなに設備がよくても、そこは
自分の家ではないし、すぐに立ち退かなければならない場所な
ので、ゆったりと過ごすというわけにはいきません。

スチュワーデスとかに憧れる人は多いと思いますが、ひとたび
スチュワーデスとなり、その仕事が日常となると、いろいろな
仕事上の辛さが感じられるのでしょう。一見、華やかに見えて、
その仕事はたいへんな肉体労働です。まあこれはどの職業にも
言えることかもしれません。

今回、私は、企業ビデオの素材撮りのために、ある企業の工場
を訪問しているわけですが、工場で日常働いている人たちから
見ると、私がやっているような仕事は、楽しそうで、のんきな
もんだと見えるのかもしれません。でも見かけと実際は違うの
ですけどね。

それに、こういう海外ロケの仕事というのは、何年に一度ある
かないかというくらいの頻度で、こういうのをしょっちゅう
やっているわけではありません。こういうのだけを仕事にして
もよいかなと思うこともあるのですが、そんなに需要がありま
せんね、きっと。

今回の仕事は、本当は日本の本社側の仕事なのですが、予算も
限られているし、私がアジアにいて、まあアジアには詳しいの
で、一人で行って撮影をコーディネーションしてきてと言われ
たのであります。もともとは、日本から制作の人と、お客さん
も来る予定だったのですが、予算カットで、私が一人ですべて
を行うこととなったわけです。

それでこれから、中国の深センです。シンガポールからは直行
便で行くことができます。香港からでもフェリーか電車で1
時間くらいで行く事ができるのですが、交通費節約のため、
深センの空港に直行にしました。そして、空港の近くのホテル
に泊まります。工場も市内でなく、空港の近くなので、その
ほうが便利かと思ったのです。また、香港のホテルは高いです
が、深センのホテルは相対的には値段が安いです。

空港近くの安いホテルにしたのでインターネットがつながる
可能性は低いですが、火曜日の夜にシンガポールに戻ってきます
ので、ひょっとしたら、それまではブログも更新できないかも
しれません。

ペナン島のホテルは、インターネットはばっちりでしかも料金も
安かったのですが、深センのホテルはどうでしょう。また、
マレーシアは基本的には英語で問題なく仕事ができたのですが、
深センでは、そこが心配です。現地で手配したビデオカメラマン
と、スチルカメラマン、およびそのアシスタント二名は、英語も
日本語もできません。従って、今日の夜と、明日の一日は、
日本語のできる通訳の男性をアルバイトで手配しております。
でも火曜日の撮影は彼は用事があって私一人です。

私は以前、中国語を勉強したこともあり、入門書は何冊も持って
いるのですが、ほとんど使っておりませんので、全く自信がない
です。カシオの電子手帳のEX-WORDを持っていて、この中に中国語
の辞書と、発音付きの中国語会話が入っているので、いざとなれ
ばこれを活用するしかないのですが、あとは筆談と、ジェスチャー
です。以心伝心というものがどこまで使えるかと、そんなことも
考えたりしています。まあ何とかなるでしょう。

では行ってきま~す。

突然ですが今ペナン島に来ています

2006-08-25 02:20:21 | シンガポール
今、東洋の真珠と言われるペナン島に来ています。木曜の昼過ぎまで
シンガポールの会社で仕事をして、そのまま車で空港に向かい、5時
くらいにはペナン島のホテルに着いていました。そして、こちらの
取引先の人とその親戚の人とシーフードの食事をし、ビーチリゾート
のあたりの夜店の屋台を散策してホテルに戻ってきました。

ペナン島は十数年前に仕事で来たことがあったのですが、その変わり
ようにはびっくりしました。都市としても大きくなっているし、また
リゾート地としても以前とは比較にならないほど発展していました。
前に来たときはずいぶんのんびりしたところだなという気がしたので
すが、リゾート付近の雰囲気は、パタヤかプーケットかというくらい
のにぎやかさがありました。それは夜店やレストランだけの話しです
が、タイのようなバーはあまりありません。

夜店を見て気づいたのは、中近東からの観光客の多いこと。マレーシ
アは同じイスラム国なので来やすいのでしょうか、どこから来たのか
わかりませんが、見るからに中東系とわかる観光客が目につきました。

でも言っておきますが、私は観光でここに来ているわけではありません。

ペナンは、ビーチリゾートとしても有名ですが、ハイテクの工業地帯と
しても有名なのです。この両者はイメージ的には食い合わせのような
組み合わせですね。私は今回は、とある半導体系の工場の撮影のために
ここに来ているわけです。

明日は朝早いので、ちょっと中途半端ですが、今日はこれくらいにして
また明日レポートします。では失礼します。

ロンドンに学べ!

2006-08-24 02:52:46 | オリンピック
今、日本では、オリンピック候補地として、東京か福岡かという
絞り込みが行われているようなのですが、昨年シンガポールで
行われたIOC総会でのロンドンのプレゼンと比較すると、ちょっと
これは無理なんじゃないかと思ってしまうのです。

昨年の7月、うちの会社の近くのラッフルズシティーの会議場で
IOCの総会が開かれました。世界各国から著名人が集まったので
当時のシンガポールはものすごい警戒態勢でした。イギリスから
はベッカムやブレア首相が、ニューヨークからはヒラリー・クリン
トンやニューヨーク市長が、フランスからはシラクとかが来ており
ました。

数日間の会期のうちに何度か投票が行われ、モスクワが落ち、
ニューヨークが落ち、マドリッドが落ち、最後に残ったのはパリ
とロンドンという百年戦争の頃からの宿敵の戦いでした。パリが
有力と言われていましたが、最後に勝ったのはロンドンでした。

ロンドンのプレゼンは見事だったと言われました。その頃、私は
「プレゼンテーションスキル」に関してのミニ講演会を予定して
いましたので、ロンドンのプレゼンを素材として取り上げようか
と思っていました。しかし、決定の喜びもつかの間、ロンドンで
のテロのため、ロンドンのプレゼンのことはほとんどマスコミで
取り上げられることもなくなってしまいました。

実はこのロンドンのプレゼンは、ウェブサイトですべてを見るこ
とができます。ロンドンだけではなくて、パリ、マドリッド、
ニューヨーク、モスクワのすべてのプレゼンが見られます。日本
にオリンピックを誘致しようと考えている人は、この映像を研究
してオリンピック誘致をどうすれば成功させられるかを研究すべ
きです。

WWW.OLYMPIC.ORGというオリンピックのオフィシャルサイト
があります。このページの中にいくつかリンクが紹介されて
います。この中のLondon is elected host cityという中の、
Relive the bid presentation of Londonというところを
クリックすると映像でプレゼンの一部始終が見られるように
なっています。

数名のプレゼンターがプレゼンをしていく間に、プロモーション
フィルムが挿入されていきます。それぞれのプレゼン自体は決して
大げさなショーマンシップがあるというわけではないのですが、
全体の構成が見事です。また随所で紹介されるプロモーション
ビデオも見事です。フランスは映画監督のリュックベッソンが
ディレクションした華やかなものですが、ロンドンのそれは地味
でありながらヒューマンタッチのものでした。

ロンドンは、元オリンピック陸上選手のセバスチャン・コーが
プレゼンチームの代表として、最終演説をしました。この人がまだ
子供の頃、メキシコオリンピックをテレビで見て、感動し、未来
のオリンピックを夢見たという話をしました。実はこのときの
ロンドンは、これが一つのメッセージになっていました。

今は貧しい国の子供たちも、スポーツを通して、未来に、世界に
つながることができるというメッセージです。このテーマで作ら
れたプロモーションビデオは秀逸です。また、会場には、通常
お役所のお偉いさんを並べるのですが、ロンドンが連れてきたのは
子供たちでした。これは感動的でした。

また、プレゼンの見事さは、何人かが、フランス語で話をしたこと
でした。IOCのディシジョンメーカーの何人かはフランスだし、
ロンドンがアピールした「第三世界のためのオリンピック」という
のは、実はアフリカ大陸で、アフリカではフランス語を国語にして
いる国々も数多くあります。

ブレア首相は、当日はビデオプレゼンできわめて説得力のある演説
をしたのですが、導入部分はフランス語でした。決して流暢では
なく外国人がしゃべるフランス語という感じでしょうが、こういう
のも一生懸命さが伝わってきてかなりのポイントになったのではと
思います。

さらに、ロンドンは事前から積極的なPR活動を行っていました。
英国のオリンピク関係のウェブサイトは非常にわかりやすく情報公開
しておりました。世界の広告コミュニケーションビジネスの中で
イギリスは世界をリードしているのですが、オリンピックに関しても
これはちょっと日本人にはかなわないというような展開をしておりま
した。

さらに、アテネが古代スポーツの殿堂であるとすれば、サッカーや
ゴルフやテニス、ラグビーなどの現代スポーツの発祥の地はイギリス
です。ロンドンのプレゼンでは、スポーツを人類にとって重要な資産
と位置づけていました。これもプレゼン全体をスケールの大きなもの
にしました。

このようなロンドンのプレゼンに比較して見ると、東京のコンセプト
が実にふにゃふにゃな感じがします。どうしてこの都市でオリンピック
をしないといけないのか、それをそこで開催することで、その都市だけ
ではなく、人類全体にとってどういう意味をもたらすのか、そういう
部分が全く感じられません。福岡にはちょっとコンセプトを感じるの
ですが、でも世界にアピールするには視野が小さい気がします。

まあ、せいぜいがんばってもらいたいと思います。


石田三成と茶の温度の科学的根拠

2006-08-22 21:25:34 | 戦国時代
「茶を所望じゃ」と秀吉は、まだ寺の小僧であった佐吉(石田三成)
に頼んだ。佐吉は、大きな茶碗に七、八分にぬるくたてたお茶を
持ってきた。のどが乾ききっていた秀吉は、それを一気に飲んだ。
「さらに一ぷく」と秀吉は佐吉に命じた。今度は、温度をやや熱く
し、量は半分くらいにした。秀吉はそれを飲んだあと、さらに三杯
目を頼んだ。するとその茶碗は小ぶりになっていて、湯の量はほん
のわずかで、温度は舌の焼けるほど熱かったという。

これは、秀吉が最初に石田三成に出会うときのエピソードです。
秀吉は、ここで石田三成の頭のよさに感心し、寺から自分のところ
にもらいうけたということです。

この話を最初、司馬遼太郎さんの『関ヶ原』の冒頭の部分で読んだ
とき、ただ単に飲みやすいかどうかという程度の問題なのだと思っ
ていました。

ところが、昨日のNHKの「生活ほっとモーニング」での熱中症の対処
法の話を何気なく見ていたら、熱中症になった場合には、水の温度は
ぬるめのほうが効果があるという話が出ていました。温度が低ければ
低いほど(と言っても限度は摂氏5度くらい)小腸まで到達する
時間が速いということです。

水分を吸収するのは、のどや胃ではなく、小腸なのです。熱中症で
水分が足りなくなっている場合には、一刻も早く小腸に水を届ける
必要があります。熱いお湯だと、胃に留まって、小腸までなかなか
たどり着かないようなのです。湯温が低ければ低いほど、小腸まで
水分がはやく届くとのことです。

このあたりの詳しいデータは生活ほっとモーニングのサイトに
出ていますので、そちらでご確認ください。

この時、秀吉が熱中症の症状であったのかどうかはわかりませんが、
蝉の鳴く暑い夏の日に、鷹狩りで体力を使い、喉もからからになって
いたというのは熱中症に近い状況であったのかもしれませんね。
それにしてもこの石田三成、ちょっと頭がよすぎですよね。
彼は、秀吉の下で、数字がからむ仕事では相当活躍したようですが、
このお茶のエピソードにその計算高さが明確に現れているのは面白い
です。

でも、最後の「関ヶ原」のとき、自分の緻密な計算がぼろぼろと崩れ
ていき、あてにしていた武将から裏切られたりするのは、何ともあわ
れでございます。やっぱり世の中計算づくではいかないこともあると
いうことでしょうか。

愛は計算じゃないっすと、世界の中心で叫びたくなって
しまいます。

私は昔から計算が苦手で、数字アレルギーなのですが、この年になっ
て会社の経理数字や、銀行の残高や、給料の支払いや、税金などで
こんなに数字とにらめっこできるのは生まれて始めての経験です。
でも本当は数字は好きじゃありません。石田三成が今の世によみが
えって、シンガポールに就職活動に来たら、採用したいところです。
でも、人間的にはどうかな?という疑問が残りますが、売り上げは
きちんと上げてくれて、私としては秀吉のように、遊んで暮らせる
のになあと思ったりする今日このごろでございます。

天下安寧とシンガポールHDB

2006-08-21 02:13:29 | シンガポール
この写真はシンガポールのHDBです。HDBとはHousing Development
Boardの略ですが、日本でいうと公団住宅というのに該当するので
しょうか?シンガポールには、HDBの住宅が非常に多く、8割以上
の人がHDBに住んでいます。

シンガポールには、日本のようなワンルームマンションや下宿屋
はほとんどありません。未婚者は基本的に家族同居が多く、都市
国家なので、親元を離れて一人暮らしをする必要性がないのです。

シンガポールは、住宅をHDBに集約し、国民全員が平穏な生活が
できるように配慮されています。こういうのを見ていると、これ
こそが「天下安寧」というものなのかなあと思ってしまいます。
誰もがある程度の生活ができるようになっている。しかも、基本
的な治安は保たれている。

本日のNHKの「功名が辻」を見た後、そんなことを思っていました。
秀吉も家康も、戦乱の先の「天下安寧」を目指していたのですね。
彼らがシンガポールのこの住環境、生活環境をもし見ることがで
きたとしたら、これこそ天下安寧のユートピアと見えたのではない
かと思います。

本日の「功名が辻」で、一豊が、「武士は戦をしてこそ武士」と
いう意見に対して、弟の康豊が、「天下安寧の世に導くことこそ
指導者の責任」という考え方を示して、意見を対立させます。
戦国時代は、戦いによって出世をしていく実力主義の時代だったの
ですが、同時に「天下安寧」を模索する過渡期の時代だったのです
ね。

一豊の母の法秀さんが亡くなります。千代さんがその死を看取るの
ですが、この場面で、自分の母が亡くなったことを思い出していま
した。私の妻であるところの下町娘が、一人で
田原の病院に母のお見舞いに行ったことなど思い出しました。
母が亡くなったとき、私の兄弟二人と、下町娘がいた
のが非常に状況的に似ておりました。

さて、ドラマでは、秀吉が、茶々を側室にします。むかし憧れてい
た女性(市)のことが忘れられず、その娘を自分の側室にしてしまう。
これはなんだかすごい執念ですよね。永作博美演ずる茶々はドラマの
中で「猿がいよいよ天下を取りに来た」と、自らのことを「天下」と
称しています。

石田三成は、茶々に執拗に誘惑されるのですが、冷静に自分の出世
を計算している彼は、安易に茶々の誘惑には負けません。むしろ、
茶々を自分の出世のために利用しようとしている節さえあります。
茶々が秀吉の側室になった場合には、三成にとっては自分の近江人
の派閥を強化できるチャンスとなります。自分の欲望よりも、出世
のほうを優先させる三成の冷静な計算です。

また、秀吉にとっては、織田家と浅井家の血筋を引く茶々を自分の
ものにし、そこに子供をもうけることは、天下に対して大義名分が
たつこと(織田家の存続)になるのです。また、豊臣の家系がこれ
で一気に一流ブランドとなれるのです。こんなわけで秀吉は茶々の
獲得に必至になったのでしょう。もちろん本音としては、忘れられ
ぬ市への思いを遂げるということもあったのは間違いありませんが。

最終的には、淀殿となった茶々は、秀頼とともに悲劇的な最後を
迎えることになるのですが、死ぬまでブランドであり続けた女性で
す。一流の家系の血筋をひき、ある意味で時代の中心であった女性
です。

こういう女性はシンガポールのHDBでは決して暮らせなかっただろう
と思います。しかし、あるいは、茶々をそのようにしたのは自分の
性格というよりも、時代の状況がそうしたのかもしれず、彼女が今
の時代に生きていて、シンガポールに住んでいたとしたら、それは
それで平和に生きていたのかなという気もします。信長や、秀吉が
シンガポールにいたら、この国は大変なことになっていたと思うの
ですが。

シンガポールの少子化対策

2006-08-20 00:46:59 | シンガポール
少子化対策の一環として、シンガポールでは12週間の産休が義務
づけられています。それまで8週間だったのが、12週間に延長さ
れました。その産休中も、社員は、通常の給料をもらえます。う
ち4週間分は政府が補助してくれるのですが、これは雇用主側が
産休終了後三ヶ月以内に申請して払い戻しを受けることになって
います。

実は、うちの会社の女子社員で、4月に出産をしたのがおります。
4月から7月の頭まで産休でした。産休が終わって1月半が経過
したのですが、まだ政府補助分の払い戻しの手続きが終了してお
りません。早くしないと、3ヶ月が過ぎてしまい、払い戻しがで
きなくなってしまいます。でも、この手続きというのが実はすご
く大変だったのです。

この手続きは、すべてオンラインでやることになっています。
これはちょっとやりすぎの感もあるのですが、全市民がパソコン
を使って手続きができるということを前提としているので大変です。
これの実際のサイトはこちらです。
ここで、雇用者用の申請手続きをオンラインで行うことができます。
でもそんなに簡単ではありません。この手続きは雇用者が自分で
行わなければならないのですが、手続きにあたって、SingPass
IDとパスワードが必要になります。これの取得もオンラインで行う
のですが、まず、ここでつまずいてしまいました。

オンラインで手続きをして数日待つのですが、調べてみるとリジェ
クトになっておりました。2回くらいトライしたのですが、うまく
いきませんでした。サイトを見ると、シンガポールの各地のコミュ
二ティーセンターのカウンターで、これの手続きを受付てくれると
のこと。私は今日の午前中、家に比較的近い、パヤレバの郵便局の
2階にあるSouth East Community Development Centreに行きました。

そこのカウンターですぐに手続きをしてくれました。こんなに簡単
だったら、最初からこっちで手続きしておけばよかったなあと思い
ました。これでやっと、払い戻し手続きのためのぺージにアクセス
することができます。しかし、大変なのはこれからです。

ページに入って手続きをしようとするのですが、うまくいきません。
調べてみると、マックの場合は、ブラウザーはサファリかネットス
ケープのどちらかしかダメということです。私はExplorerを使って
たのですが、それは対応していないということがやっとわかりました。
まったく、時間の無駄です。

サファリでやったら、いいところまで行ったのですが、最後の申請を
書き込むページのフォーマットがきちんと表示されておりませんで
した。おそらくマックのOS10.4まで検証がきちんとできていないの
ではと思います。オンライン化が進むのはいいのですが、こういう
ところで、かなりの負担が個人にかかっているのですよ~!

結局、今日一日かかって、手続きが最終までできませんでした。
結論としては、ウィンドウズの端末でやるのが一番ということで、
週開けに誰かのパソコンを借りて手続きを行うことにしました。

手続きが非常に大変なのですが、子供を生む母親にとってはシンガ
ポールは非常に恵まれています。産休はきちんと3ヶ月もとらし
てもらえるし、その間の給料もきちんともらえる。その間は、
雇用主はこの社員を解雇してもいけないし、減給したりしてはいけ
ない。会社が忙しいからと言って、無理矢理働かせたりもできない。

また子供が生まれてからも、一年に2回育児休暇がとれます。これ
は女性だけでなく、夫もとれるのです。これだけ恵まれていると、
子供の出生率は次第にアップしていくものと思われます。
でも、雇用主にとっては、けっこう大変なことも多いですね。

成田発シンガポール行き

2006-08-18 21:17:40 | シンガポール
この上の画像は、成田空港第一ターミナルの南ウィングに新しく
できたインターネットコーナーです。飛行機の便は16日で、飛行機
に乗る前にブログを更新しようと思ったのですが、仕事のメールと
かを書いているうちに時間がなくなってしまいました。さらに昨日
(木曜日の夜)、ブログ記事の大半を書いたところで、ブラウザー
が予期せぬ問題で突如終了し、せっかく書いた記事が消えてしまっ
たのであります。こういう事態は過去何度も経験し
ているのですが、苦労が水泡に帰したときの空しさ
何ともいえません。

この話をいとしの下町娘にしたら、次に書くときには
もっといい文章になるからいいじゃないと言うのです。何という
ポジティブな思考でしょう。過失を暗く同情されるよりも、明るく
元気づけられたほうが明日の希望になります。

そのときの教訓から、今、すこしづつセーブしながら書き進めること
にしました。この作業は、ザイルを使って氷壁を登るのに似ています。
と言って私はそういう危険なことはしませんが、滑り落ちても安全な
ように、少し登ってはペグを打って、安全を確保しながら登っていく
という感じです。セーブするのは、そのペグを打つという作業に似て
いるといつも思うのですが、実際にペグを打ったのは、キャンプで
テントを張るときに打ったペグぐらいです。

さて、成田の第一ターミナルの南ウィングのインターネットコーナー
ですが、ここは新しいだけあって、かなりグーです。これまでは、北
ウィングのカフェラミルのそばのインターネットコーナーを利用して
いたのですが、そちらはかなり見すぼらしかったです。それが、こち
らの新しい設備は、机も、椅子も、環境も非常に良くなっていました。

コインを入れて使える端末もあれば、自分のノートパソコンを使える
ようになっているテーブルもあります。私は、自分のマックブックを
使いたいわけですが、電源のソケットも二つあり、イーサのケーブル
もあります。成田は無線LANが一日500円で使えるので、私はそちらを
使いました。

こちらの新しいインターネットコーナーは、窓の外に飛行機も見えて
いたりするので、雰囲気は非常によいです。北ウィングのほうは、
景色もろくに見えませんでした。飛行機を見ながらインターネットが
できたほうが気分的には非常によいと思います。

ここでいくつか仕事のメールを処理していたら、あっという間に時間
がなくなってしまいました。また昨今のテロ警戒のために、検査が
厳しくなっているのではと思い、早めに中に入っていたほうがよい
であろうと思って、早く入ったのですが、中は全然ガラガラで、
検査もとくに厳しいということはなく、ちょっと拍子抜けしてしま
いました。

飛行機の中は、かなり空いていました。しかし、最初、自分の席に
インド人が座っていたので、「ここは私の席なんですが」と言うと、
「それじゃあ向こうの窓側の席に行ってくれる?」とインド人が
あたりまえのように依頼してくるのです。「いやいや私は通路側
の席がほしくて、何日も前から予約してきたんだ」と言うと、その
インド人はしぶしぶ自分の窓側の席に移りました。でもじつは、
かなり空席があったので、私が移ってもよかったのですが、こちら
には妙な意地もあったので座っていたら、そのインド人は、別の
席に移っていきました。ささやかな国際紛争の勝利でした。

今回、飛行機の中では、映画は一切見ませんでした。私の乗った
シンガポール航空は映画がすごく充実しています。それを見ないと
もったいないのですが、でも今回は、実は一冊の本を読んでいて
映画を見る時間がなかったのです。

成田空港の本屋で、私は鮒谷周史さんの「仕事は、かけ算」という本
を購入していました。「20倍速で、自分を成長させる」というサブ
タイトルがついています。また帯には、「自分を劇的に変える50の
ルール」と書いてあります。ちょっと面白そうだなと思って、見て
いたら、どんどん引き込まれていきました。

それはまるで自分が書いたのではと思えるような感じを
持つ場所もいくつかありました。「私の人生が大きく変わった一冊
の本というセクションがありました。そこには、何と私の尊敬する
トム・ピーターズの
『サラリーマン逆襲大作戦』(1)ブランド人になれ
のことが書かれていたのです。サラリーマン逆襲大作戦のシリーズは
私も以前読んで感銘を受けていました。トム・ピーターズの本は、
読むと元気が出てくるので好きでした。

この鮒谷さんの本に引き込まれたのも、トム・ピーターズの名前を見つ
けて、納得してしまいました。そういえば何年か前にシンガポールに
トム・ピーターズがセミナーに来たときに、10万円以上したので行かな
かったのですが、無理しても行っておいたらよかったなと後悔していま
す。

この本の中で、一番印象に残ったページは、じつは『最初は人より劣っ
ていてもよい。あなたが成長していく過程をありのままに見せてこそ、
人を惹きつける』という長ったらしいタイトルのところでした。

太閤記や三国志などが人気があるのはそれが成長物語だからという話の
後に、「日常生活やインターネットを通して、自分の弱みをありのまま
にさらけ出し、そこから成長していく姿を外に発信する」ということで
人々の興味を惹き付けられる、と著者は述べています。

考えてみれば、私のこのブログのコンセプトもマサにガスではなく、
まさにそれなのです。この年にして遭遇する試行錯誤をリアルタイムに
発信していくことで、私が生きていることを示していくということなの
ですね。このブログは、結論の見えない「成長物語」なのです。

51という年齢になり、一般的には枯れた年齢となるのですが、私は今
からが青春だと言い切ることにより、成長を続けていきたいのです。
それを形にしたものがこのブログなのです。などということをこの本
読みながら考えていたら、あっという間に、シンガポールに到着して
しまったのでした。

飛行機の中で本を一冊よ見終えてしまったので、すごい満足です。
しかも、自分のブログのコンセプトを何となく明確にさせてもらえて
感謝です。まだまだ他にも面白い部分があったのですが、それはまた
別のお話し。

メロン

2006-08-15 00:02:20 | 故郷
今日の月曜日は、お寺で亡き母の初盆の法要がありました。
空は青く晴れ渡り、けたたましい蝉の蝉の鳴き声が聞こえる
お寺の本堂には、初盆の人たちが集まって、座りきれない
くらいの混雑でした。お坊さんがお経をあげているときに、
本堂の中に一羽のクロアゲハチョウがゆったりと飛んでいる
のが目に入りました。あるいは、それは亡くなった母が姿を
変えてそこに飛んできたのかとかと思っていました。

初盆の法要は朝の9時半からだったのですが、11時前には
終わったので、一番したの弟の運転する車で、私と下町娘
は渥美半島の先端付近のメロン畑へ。メロン食べ放題とか
の看板の出ている農園に行きました。

メロン食べ放題で1900円でした。食事をした直後だったの
で食べ放題といってもそれほど食べられないだろうと思った
私たちは、メロン二分の一個900円のコースにしました。
写真のがそれです。食べてみたらすごいあま~い。
これだったら、食べ放題でもよかったかと後悔したのですが、。
あまり沢山食べてしまったら糖分の撮り過ぎになっていたのだ
ろうなと思いました。

観光バスで、メロン食べ放題ツアーに来ている団体の人たちが
いました。メロンにブランデーをかけたりして食べている人
たちもいました。こうして高級メロンを思い切り食べられると
いうのは、ある意味ですごい贅沢な感覚だと思います。それに
こんな贅沢が1900円くらいでかなえられるというのがすごい
おとくです。

このあと、渥美半島の田原を去って、東京に戻ってきました。
そして、電源コンセントのアダプタ-を探しに行ったのですが、
浦安のK's デンキにありました。すごいでかさでびっくり。
電源アダプターもいくつもあり、さすがの品揃え。店が広すぎ
て、電源アダプターコーナーを探すのも大変なのですが、店員
に聞いて目指すものを素早くゲット。今、こうしてインター
ネットカフェでブログをアップできているのも、このアダプター
のおかげです。

しかし、この家電ショップ、すごい規模でびっくりでした。
あまりにもいろんなものがあるので、ついでにパソコン用の
外付けハードディスクを買ってしまいました。Logitecの80GB
のものです。1万5~6千円ちょっとでした。ポータブル
タイプのものなのですが、ずっとほしかったので買ってしまい
ました。

そしたら、下町娘が、私のために大きめの電卓を
買ってプレゼントしてくれました。今まで、仕事
では小さな電卓しか使っていなかったので、これで仕事もはか
どるでしょう。感謝感激です。でままた。

いま日本の田舎にいます

2006-08-13 21:51:13 | 故郷
シンガポールのナショナルデーの後、金曜日の夜の便で日本に
きました。ロンドンのテロ事件の直後でもあり、昔、日航機の
事故のあった日だったので、飛行機に乗るのにちょっと抵抗が
あったのですが、無事に日本に到着できました。

今年の3月に亡くなった母の初盆なので、愛知県の田原に帰っ
てきました。上の写真は、今日、療養所に入っている父のお見
舞いにいったついでに、東京に住む弟家族といっしょに伊良湖
岬まで行ってきたときのものです。

写真の浜辺は恋路が浜というロマンチックな名前です。その
向こうに見えるのは、三重県の神島(かみしま)です。
三島由紀夫の『潮騒』の舞台になった島です。山口百恵と三浦
友和の映画で見たことがあります。この浜辺からこんなに近く
に見えます。

伊良湖岬はついこの間までは渥美町でした。それが今回行った
ら、いつの間にかそこは田原市になっていました。数年前から
合併問題でもめていたのですが、結局、渥美町は田原市に吸収
されていたのですね。

ところで、今回の旅では一つのドジをしてしまいました。

ノートブックパソコンの電源のコンセントをシンガポールタイプ
(英国タイプのもの)のまま持ってきてしまったのです。日本
タイプのアダプターも持っているのですが、それをつい忘れて
きてしまいました。

田原や豊橋の電気屋に行ってみたのですが、日本タイプのコン
セントを海外用のタイプに変換するアダプターは売っていたの
ですが、その逆のものはありませんでした。まあそんなの買う人
はあまりいないので仕方ないのですが、こういう場合、とっても
困ってしまいます。

せっかくノートブックパソコンを持ってきても、充電できなく
ては何の意味もありません。でも、じつは私は今日は、豊橋の
ホテル日航豊橋に宿泊しているのです。ダメもとでフロントに
聞いてみました。外国人が宿泊する場合、こういうのは必需品
です。そしたら、「ございます!」というのです。

すぐに女性のフロントの担当者が直々に部屋に持ってきました。
イギリス式だけでなく、だいたいのものが的業できるマルチタ
イプのもので、自分も持っているものです。ばっちりでした。
さすが日航ホテル!こういうことは、一流ホテルだからこそ
可能なことです。このホテルにしてよかったと思いました。

だから今、ホテルのすぐそばのインターネットカフェでこの
ブログをアップしています。私の中では日航ホテルの株が
ぐ~っと上がりました。アダプターのような小さなものでも
そのありがたさは並大抵のものではありません。

これから、下町の祭りを終えた下町娘が新幹線で
豊橋に到着します。明日はお寺で初盆のお経が8時半にある
ので行かなければいけません。ではまた。


Happy Birthday Singapore!

2006-08-11 01:49:04 | シンガポール
昨日はシンガポールのナショナルデーでした。上の写真は
アパートの窓から見えたナショナルスタジアムあたりの景色
です。ちょうど花火が上がっているところです。

今年はシンガポールの41年目のナショナルデーです。この
ナショナルデーに行われたナショナルデーパレードのビデオ
がインターネットですべて見られます。これはびっくりですが、
テレビで放映された2、3時間分が全部見られるのはすごいです。
この下の文字をクリックして、出てきた画面の中のWatch the
Video on Demand Now!という文字をクリックしてください。

NDP VIDEO ON DEMAND

6時頃から始まるのですが、パラシュートでの会場への降下から、
ハッピーバースデーの大合唱、様々な出し物、軍隊のパレード、
国歌の斉唱など延々と様々なプログラムが進行します。中程と
最後にKaira Gongが今年のテーマソングを歌います。これは前の
記事でご紹介したものです。

この歌手はシンガポール生まれということで起用されたのですが、
つけまつげと厚化粧のしすぎのように思いました。スタジアムの
ステージで遠くから見栄えのするようにするには、それくらいの
ものが必要なのかもしれませんけど。

この映像、けっこう延々と続くので、途中で飽きるかもしれませ
んが、感動的な場面もあり、途中テレビコマーシャルも入るので
なかなか面白く見られると思います。日本にいながらにして、
シンガポールのテレビ番組が見られるという感じで、これはなか
なかすごいと思います。時代は進歩したのですね。

シンガポールのすごいところは、ナショナルデーで雨が降ったこと
がないということです。屋外イベントなので雨が降ったら大変な
のですが、この日は不思議と晴れています。以前、シンガポール人
に聞いたら、いろんな宗教の人間が晴れるように祈るんだとか言っ
ていました。そんな神通力で晴れを呼んでいるとしたらすごいです。

今、そのビデオを再生しながらこれを書いているのですが、早送り
とかできないので、ずっと見るのが大変なのですが、始めて見ると
シンガポールってのはこんな軍国主義国家なのかとびっくりされる
かもしれません。メインはやっぱり軍隊の軍事パレードです。

本当に戦争をやったらこれだけの軍事力では、どこまで戦えるのか
疑問なのですが、自分の国は自分たちで守るという姿勢を明確に出し
ています。シンガポールでは男子は二十歳前後に2年間の兵役があ
りますし、勤めていても、一週間とか二週間とか、お呼びがかかる
ときがあります。そのようなときは、いくら仕事の予定が入ってい
ようがそちらを優先しなければなりません。大変な国です。

ビデオの55分あたりで政治家の人たちが入場してきます。ゴーチョ
クトンや、リークァンユーらも出ています。こんなにも長いこと
国民から尊敬を集める政治家がいるというのはたいしたものです。

また、シンガポールは複合民族国家なので、このビデオの中に出て
くる歌も、インドのタミール語あり、英語あり、中国語あり、マレー
語ありのバラエティーのあるものになっています。この4つがシンガ
ポールの国語になっていて、国歌はマレー語です。

ビデオを見ているといろいろ面白い場面があるので、是非ごらんに
なってください。これがシンガポールです。

健康診断は楽しい

2006-08-07 00:08:15 | シンガポール
健康診断の結果が来ました。いろんなデータで一喜一憂。
とりあえず、致命的な病気とかの発見がなくてほっとしました。
肝臓にのう胞が見られるとの結果。しかしこれは一年に一回の
超音波検査で経過をみることということなので、それほど緊急
のものではないようです。眼底に関しては、網膜の変化の疑い
というのが出ていて、これは眼下専門医の受診をしたほうが
よいということでした。

私は若い頃から高血圧傾向があり、昨年の健康診断後から血圧
降下剤を飲み続けていますが、薬のおかげで血圧は平常を保っ
ています。網膜は高血圧の影響もあるのかもしれません。母親
は晩年、目が不自由になったのですが、あるいは私も目に影響
が出るのかもしれません。そうなったら下町娘に目と
なってもらうしかないのでよろしくお願いします。

シンガポールで健康診断を受けるのは数回になります。いつも
同じところで受けているのですが、日本で会社がやっている健
康診断に比べると、非常に快適で、むしろ楽しいとさえ感じて
しまいます。

検査を受ける日程で全く違うのですが、今回は平日の午後で、
待ち時間がほとんどありませんでした。検査のために待たされ
るのはいやなものです。それがほとんど待ち時間なく、ぱっぱ
と検査されていくのは気持のよいものです。

超音波で内蔵を検査するのは、ちょっと気持ち悪いです。お腹
にべたべたするものを塗って、超音波のセンサーをぐりぐりさ
せながら調べていくのですが、あんまり気持のいいものでは
ありません。

バリウムを飲んで、胃の検査をするのも、ちょっとした苦痛で
す。バリウムを飲むのはいやなもんですが、最近では、いろん
なフレーバーがあって、苦痛を和らげようとする意図が見られ
ます。パイナップル味とか、ストロベリー味とか何種類か選べ
るようになっていて、私はコーヒー味を試しました。

バリウムを飲んでから、ゲップをしてはいけないので、それを
がまんしながら、大きなマシーンの上で、右を向いたり、左を
向いたり、ぐるりと回転したりするのは、ちょっとなんか情け
なくなります。

いろんな検査を受けて、最後は医者の問診ですが、そのときに
はレントゲンやら、心電図やら、胃の写真やら、超音波の内蔵
の写真やら、血液検査の結果、尿検査の結果、眼底写真などが
だいたいそろっていて、それを見ながら、どこがどうとか説明
してもらえるのが非常にありがたいです。

日本の会社の集団検診だと、ここまできめ細かく見てはもらえ
ませんでした。これは感謝です。また病院の雰囲気が明るく
清潔なのも気にいっています。陰気な雰囲気だといやになって
しまいますからね。

また、検診が終わり、料金を払うと(検診は保険が効かない)、
お食事券がもらえます。これは感激です。検診を受けるために
朝食とか昼食とかは制限されます。検診を受ける時点ではかな
り空腹です。最後に出るお食事券、これはとてもありがたい
気持になってしまいます。

シンガポールは病院がサービス業としてカスタマーサティス
ファクションを追求している感じがします。そういう部分は
すごく好きです。私が毎年だいたい検診を受けているのは、
自分の身体が心配ということもあるのですが、そういう病院
の態度も理由の一つです。