南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

「龍馬伝」に秘められた現代の社会問題、そして田原藩の事

2010-05-04 00:13:39 | 故郷

「龍馬伝」には自称「歴史音痴」のMy Wifeもはまっています。これまで
坂本龍馬のことはあまり知らなかったのですが、福山雅治が演じる龍馬に
かなり惚れ込んでいる様子です。そんな彼女がこの間の第十八話の「海軍
を作ろう!」の回を見て、「勝海舟って金八先生になってるけど、本当に
ああいう人?」と質問してきました。

勝海舟がどういう人物なのか本当のところはよくわからないのですが、
あれはあれでありかなと思いました。グレて非行に走った岡田以蔵君を
あれよあれよと更生させるテクニックはまさに金八先生。一瞬、以蔵君
は学生服を着ているんじゃないかと思えてしまいました。得意の地球儀
を出しての、起死回生のプレゼンテーション。見事、以蔵君の心の奥に
ぐさりと刺さります。ちょっと簡単すぎる気もしますが、若者を指導し
ていく教育者とはかくあるべしという感じです。こういう人がいてこそ、
龍馬は龍馬として成長できたんだろうなと思うのです。

ところで、幕府は攘夷の期限を5月10日と宣言してしまうんですけど、
これは鳩山首相が普天間基地問題の決着を5月末と宣言しているのと
そっくりですね。これはいろんな方が指摘していますけど、普天間基地
問題もある意味で「攘夷」です。基本的には異人(の軍事施設)は
日本領土から出てけということなんですから。(ちょっとこの表現は
語弊があるかもしれませんが)

結局、幕府は、5月10日という期日をうやむやにしてしまいます。
もともと無責任に設定した期限だったので、実現できるはずもありま
せん。最近も、社民党の福島党首が「5月末という期限にこだわるべき
でない」という助け舟を出しているので、幕末の時と同じような感じ
になってしまうのかもしれません。

みなさん気軽に「県外」と言っていますが、「県外」と言ってもそれ
はイコール徳之島ということなので、徳之島の住民の皆さんは「県外」
と言われるたびに憤りを感じているのだと思います。沖縄県の政治家
の方が「県外」と言われるのはごもっともなのですが、日本の政治家
の方が不用意に「県外」発言をするのは全く無責任です。やみくもに
「攘夷」を叫んでいた武市半平太と共通する部分がある気がします。

ところで、「龍馬伝」に関して、コメントしたかったのは、実は、
第十七話「怪物、容堂」の中での一瞬のエピソード。勝海舟に連れら
れて、海軍操練所への協力を求めて各藩の藩邸を回るというシーンが
あります。ここで一番最初に出て来るのが田原藩。かなり短いシーン
なので、見過ごされてしまうのですが、自分の出身が実はこの愛知
県の田原なので、ここはしっかりとチェックしました。

渡辺崋山の「慎機論」に言及して、先見の明のある田原藩に是非、
協力をと勝海舟が頼むシーンが出てきます。渡辺崋山というのは、
幕末の文人、画家、政治家で、「慎機論」というのは幕府の曖昧な
態度を批判したメモでした。これが見つかって、1839年の蛮社の獄
で蟄居を命ぜられてしまうのですが、1841年に田原の蟄居先で
切腹をしてしまいます。

「龍馬伝」で、勝海舟と龍馬が各藩邸を巡るのは1862年頃と思われ
るのですが、渡辺崋山は20年前にこの世を去っております。ここで
登場する田原藩の藩主は、12代の三宅康保(みやけやすよし)、
田原藩最後の藩主です。

実は田原藩は藩としては非常に小さな藩です。後に出てくる鳥取藩
とか佐賀藩などと比べてもマイナーです。ですが、調べてみると、
渡辺崋山の存在以外にも、この藩がすごかったというのがわかりま
した。

咸臨丸が日本に来たのと同じ年の1857年に、田原藩は西洋型帆船の
順応丸というのを藩船として建造しています。また、ジョン万次郎
が日本に戻って入れ違いのようにアメリカを訪問していた作蔵、
勇次郎という二人の田原藩出身の人物が、1855年に田原に戻って
きていました。ジョン万次郎の後だったので、あまり話題にはなり
ませんでしたが、1852年、漂流の末に、アメリカの捕鯨船に救助
され、ハワイを経て、アメリカ東海岸のボストンやニューヨークを
訪問、その後、カリフォルニアを経て日本に帰ってくるのですが、
歴史にはほとんど記されていません。

こういう人材もいて、田原藩は当時かなり進歩した藩として知られて
いたようです。藩の軍制を西洋式にしたり、外国に対しての海防対策
などもしておりました。小藩でありながら、時代を先駆けていました。
それが日本史の中であまり評価されていないのが残念ではありますが。
勝海舟と坂本龍馬が真っ先に田原藩邸を訪問したのは、こういう
歴史的な背景があったからなのです。海軍操練所が必要とする
知識や技術をいち早く持っていた藩と言えるでしょう。今回この
ドラマの中で一瞬ではあれ取り上げていただいたことに田原出身の
人間として感謝いたします。

現在は、トヨタの大きな工場があり、農業でも日本有数の
生産地となっております。

田原藩は現在は愛知県田原市。渥美半島の大半を占める藩でした。

(赤い小さな点はこのブログでたびたび登場する蔵王山です)

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四月の終わりと愛知県の田原の蔵王山の青空

2010-04-30 19:28:40 | 故郷

愛知県の田原に住んでいる弟から送られてきた写真です。
24日の土曜日に撮影した、蔵王山から見た三河湾の写真を
NHKラジオの「どよう楽市」に投稿したら、何と、「土曜
楽市今ここ大賞」に選ばれたのだそうです。

この写真は、弟が時々、早朝に渥美半島の田原の町にある
標高250メートルの蔵王山(ざおうさん)という山に登っ
て朝のラジオ体操をしているのですが、その時撮ったもの
です。ラジオへの投稿には、こんなコメントがついてました。
今日の渥美半島は冷っこい早朝でしたが、
今はポカポカ陽気、雲ひとつない青空です。


この大賞は、ラジオ番組のMCの残間里江子さんと
宮本愛子さんのお二人が選んだものなんですが、
こんなコメントが出ています。
残間: 久しぶりの青空で、気持ちいい写真ね。
宮本: このところ、不安定な天気が続いていたので、
青空の鮮やかさが、ひとしお新鮮ですね。
残間: 三河湾に、蔵王山があるのも教えていただいたし…
宮本: 私たちがいるラジオブースって狭いから、
広々とした写真は、 外の空気感が伝わってきて、
とても嬉しいですね。
スタッフ: 先週は雪だったので、室内や窓の外の写真が
多かったのですが、 今週は、うって変わって、青い空や海、
広々とした畑や、緑豊かな風景の写真が増えました。


このラジオは全国放送なんですが、ローカルな蔵王山という
小さな山が、メジャーな東北の蔵王山と並んで、全国的に知れ
るというのはすごいことです。と言っても、東北の蔵王山の
ほうが圧倒的に有名なのは変わりないですが。このラジオの
サイトはこちらです。
http://www.nhk.or.jp/rakuichi/

実は、今日の4月30日も、弟はこの蔵王山に登ったそうです。

今朝の蔵王山の写真です。展望台の建物と照明ポールが映って
います。このあたりでラジオ体操をしたのだそうです。

そして今朝の「ラジオビタミン」というNHKのラジオ番組に
こんなコメントを送ったらラジオで読まれたと言っていました。
今日の渥美半島、快晴も快晴、
叫びたくなるような青空です。
今、田原の蔵王山からラジオ体操終えて下りるとこ。
どなたかが叫びました。
「ウッワ~!」と…
いつもすれ違うおじ様でした。
「奇声をあげてしまいました、すみません」
と照れていましたが、先を越された感じでした。
ホント気持ちがよいのです。わかるわかるその気持ち。
今日で四月も終わりです。
今日も頑張って、いい〆にしたいものですね。

なんという爽やかな...このラジオ番組のサイトはこちら
http://www.nhk.or.jp/vitamin/index2.html

ついでに他の写真もアップしておきましょう。
月末大サービスです。

蔵王山のふもとのつばき公園に咲いているつつじの花です。
この写真は採用にはならなかったそうなんですが、弟として
は個人的に結構気に入っている写真ということです。
花の色がすごく綺麗です。また向こう木の橋の古さとよい
コントラストが出ています。


こちらは、蔵王山の麓の権現(ごんげん)の森にあるモチノキ
とシャシャンボです。シャシャンボという名前は初めて聞きま
したが、小小坊と漢字で書くようですが、ツツジ科スノキ属の
常緑小高木。7月頃に白色の壺状の花が咲く。果実は小さい球形
の液果で黒紫色に熟し、食べることができる。これは同属の
ブルーベリー類と同じく、アントシアニンを多く含むという
説明がウィキペディアに出ていました。

上の写真のどっちがシャシャンボで、どっちがモチノキなのか
よくわかりませんが、説明にはこんなことが書いてあるそうです。
『樹種の異なった木が絡み合った珍しいものです。
シャシャンボは普通2~3mの低木ですが、やせ地に
生育することが多く、この木のように10mになるものは
稀です。互いに支え合い、競争して成長した結果のようです。』

切磋琢磨という四文字熟語を思い出しました。

こちらもサービス。

蔵王山の山頂にいる鶏です。夜明けとともに鳴くのだそうです。
典型的な朝の風景ですね。

今日で四月が終わりです。私がいる香港の会社の社員が
今日で一人辞めます。二年ちょっと勤めてくれました。
昨日はこれまでのお礼にと、タイ料理をごちそうしてくれ
ました。彼はタイが好きで、タイ語もかなり勉強していました。
ワンチャイのタイ料理屋に行ったのですが、社員からこうして
ごちそうされるのは、初めての経験で、嬉しかったです。

別れはちょっと辛いものです。これまでにどれだけの社員と
別れたのでしょう。長く仕事をしていると別れがどんどん
積み重なっていきます。

今朝、アパートのドアを開けたら、隣の家の人が引っ越しを
していました。本人らの姿は見えませんでしたが、業者の人が
荷物を運び出していました。そこに住んでいるのは日本人と
いうのは知っていたのですが、今日が引っ越しでした。日本に
帰任になるのか、どこかに移るのかわかりません。このところ
香港での知人が次々と日本に帰任になります。

キャンディーズの『微笑みがえし』という懐かしい歌を思い
出してしまいました。今日は月末大サービスでその動画です。



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愛知県の田原のトマトが東京下町経由で香港に届いた

2010-04-03 00:28:26 | 故郷

香港は4月2日の金曜日から、6日の火曜日まで連休でお休みです。
今日、東京の下町にいるMy Wifeが香港にやってきました。この休み
の間、香港に滞在します。今日は、関東地方は風が強かったらしく、
飛行機は1時間半くらい遅れて到着しました。

香港は、午後からちょっと雨が降っていました。気温は20度前後。
でも湿度は90%から95%もあります。これで気温が高かったら
大変です。

先日、日本に帰ったときに、故郷の愛知県の田原に行って、トマト
を買ったというのは、菜の花の町という記事の中で
書いたのですが、その時に注文したトマトが一週間前に、東京の
下町の家に届いておりました。

数日前にMy Wifeが、「びっくりするほど美味しかった」と言って
いたのですが、そのトマトを二つ香港まで持って来てくれました。
この上の写真がそのトマトです。で、早速、食してみました。
「ま・い・う~!!
皮にまで甘みがあり、実にデリシャス!たしかに感動的な味です。
せっかくなので、別アングルの写真もアップしておきましょう。


「こういう高糖度のトマトを東京で買おうとすると高いの」
とMy Wifeは言っておりました。

トマトといえば、この間、日本に帰ったときに、東京のニュー
オータニに入っている高級寿司屋の久兵衛で食事をしたとき
(こんなところに行ったのは初めてでしたが)、デザートに
トマトが出ました。「アイスクリームか、フルーツか、トマト」
ということで、トマトをデザートに食べたことはなかったので、
トマトをお願いしたのです。

今日、食べたものよりも一回り以上小さなものでしたが、
たしかに高級寿司屋がデザートに出すだけあって、糖度も高い
し、美味しいものでした。しかし今日のものもかなり美味し
かったです。

My Wifeは、トマトだけでなく、旬のタケノコも持ってきてくれて、
タケノコご飯も作ってくれました。
季節感の乏しい香港でタケノコご飯もこれまた感動的です。

今日、愛知県の田原の弟(ペンネーム:栄福亭邦やっこ)から
写真が届きましたので、ご紹介します。

満開の桜です。この写真は、NHKのラジオビタミンとうい番組に
リクエストと一緒に送ったものだそうです。昨日、リクエスト
メールが読まれたと言っておりました。こんな文章です。

選抜高校野球は第二試合が雨のため明日に順延になりました。
各地雨のところが多いようでこちら愛知の渥美半島も強い降りでは
ありませんが朝から雨となりました。
今朝も小雨降る中近くの標高250mの蔵王山に登り、ラジオ体操を
してきました。毎朝の山登りが日課になってしまいました。
桜はふもとではほぼ満開。頂上では五分咲きといったところで
しょうか、毎日少しずつ蕾が開いてきた感じがしています。
今日はつながるジョッキーがあるとのことで急ぎリクエストします。
美空ひばりさんの愛燦燦をお願いします。小椋佳さんの詞で
なんとなくこころ休まる歌だと思います。


弟は、最近はラジオへのリクエストとラジオ体操に凝っています。
それはこちらのブログでも紹介しました。
田原の蔵王山に登って朝のラジオ体操を
香港ではこの番組を聞く事はできませんが、東京のことや、田原の
ことを思ったりすると、今、香港にいるのが不思議に思えてきます。

もう、一枚写真がありました。こちらです。

もう鯉のぼりが見えますね。ちょっと気が早くない?

では、明日はマカオに日帰り小旅行に出かけてきます。

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田原の蔵王山に登って朝のラジオ体操を

2010-03-26 23:35:35 | 故郷

これは愛知県の渥美半島。このピンク色の点がついているのが
蔵王山。東北の蔵王山と同じ名前ですが、こちらは標高が250M
の小さな山。この山の頂上には昔から展望台があり、三河湾の
向こう岸から、太平洋までぐるりと見渡せます。

アップにするとこんな感じです。

この上のほうの三角印がついているのが蔵王山。頂上まで道路
が通じています。その蔵王山の南側に広がっているのが、田原
の町。先日、「菜の花の町」という記事で紹介したの
はこの地図の真ん中よりちょっと下のところにある三河田原の
駅です。ここは私が高校を卒業するまで育った町です。

この地図の中に田原中と書いてあるのが田原中学、成章高と
書いてあるのが愛知県立成章高校。いずれも私の母校です。

町の北側にはこの蔵王山がいつも見えているので、小学校から
高校まで校歌の歌詞には、この蔵王山が必ず登場しておりまし
た。というわけでこの町の人々にはとても馴染みのある山です。

最近、私の弟(永福亭邦やっこ)は、朝、この山に歩いて登っ
ているというのを知りました。3月の18日から突然、登り始め
たのだそうです。毎日というわけではないようですが、雨の日
以外はなるべく登るようにしているのだとか。

そこで何をするのかというと、朝の新鮮な空気の中でラジオ
体操をするのだそうです。ラジオの体操が朝の6時半に始まる
ので、それまでに頂上に到達して、ラジオの電波の受信状態の
よい所を選んで、ラジオ体操をするのだとか。

NHKのどよう楽市という番組で、中京大の
湯浅景元教授がゲストで健康について話していたのを聞いたの
だそうです。この人は「ラジオ体操健康法」という本も書いて
いて、弟はこれを読んで、勉強したのだとか。ちなみに彼は
今年から、このラジオ番組に熱心に投稿をしていて、何度か
ラジオで読まれたと言っておりました。

彼は、ラジオ体操を一人で始めたのですが、先日、どこかの
見知らぬ奥さんが「私も一緒にやらせて」と言ってきたのだ
そうです。一人二人と人が増えていくのは、何だか楽しい
ですね。「山登りでひと汗かいての体操は気持ちがいい」と
弟は言っていました。

田原のみなさん、是非、朝は蔵王山に登って、ラジオ体操を
しましょう。しかし近所にこんな手頃な山があるのは素晴らし
いですね。香港にも山がすぐそばにありますが、ちょっと私
は登る気にはなりません。シンガポールにいた頃は、週末の
朝はイーストコーストパークという海岸にたまに行っていま
した。ラジオ体操はないのですが、太極拳のようなのをして
いるグループをいくつも見かけました。やっぱり健康は大切
ですね。

こちらは弟が携帯で撮影した朝日。蔵王山の山頂から撮った
写真だそうです。

携帯で撮ったわりには、すごく雰囲気があります。
太陽は東から登るので、向こうは豊橋から静岡の方角ですが、
運がよければ富士山が見えることもあるのだそうです。
先日、見えたと弟は言っていました。


こちらは山頂付近の景色。風車があります。撮影は弟です。

朝、この山頂付近でラジオ体操をしている50くらいの眼鏡を
かけた男性を見かけたら、ぜひ声をかけてあげてください。

喜ぶと思います。いちおう、彼はまだ独身です。

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菜の花の町

2010-03-23 01:14:47 | 故郷

3月の20日から21日に、生まれ故郷の愛知県田原に帰ってきま
した。ちょうど日本全国的に強風が吹き荒れていて、21日の朝
は空が黄砂の影響でフィルターがかかったような色でした。
田原の町は、ちょうど菜の花祭りが開催されていたようですが、
ちょっと盛りは過ぎた後のようでした。


でも町のあちこちに菜の花が残っていました。黄色の色は昔から
好きな色だったので、この町に菜の花が多いのは個人的にはとて
も気に行っています。

2008年、田原の成章高校が春の選抜で甲子園大会に出場した時、
菜の花をイメージした衣装で、応援団賞の最優秀賞を受賞しま
した。その時の記事はこちらです。
母校の成章高校が甲子園で日本一になった
あとこちらもあります。全部2008年の記事ですが。
見ることのできなかった母校の成章高校の勝利
母校が選抜高校野球大会に出場する

そういえば2006年の3月に母が亡くなったのですが、その時も
菜の花が満開でした。その時の記事はこちらです。
春先の穏やかな日曜日に母は逝く
あれからもう4年が過ぎました。

渥美線の終着駅の三河田原駅に、こんなポスターが貼ってありました。

電車もバスも「なのはな号」というのが3月いっぱいまで
走っているようです。すべての車両がそうではなくて、何本
かに一本という感じです。菜の花祭りというのも3月いっぱい
までやっているんですね。

こちらが三河田原の駅の駅舎です。終着駅です。


こちらが駅前の様子です。

実家の駄菓子屋はこの駅前通りにあったのですが、区画整理
で、ちょっと入ったところに移転してしまいました。かつて
の駅前通りもずいぶん寂しくなってしまいました。

こちらは田舎に帰るたびに行く喫茶店です。

同級生がやっています。

こちらは日曜日のモーニングセット。

内容は日替わりで代わりますが、これで400円です。
愛知県の喫茶店文化はさすがです。

こちらは道の駅の「めっくんはうす」。

東京下町生まれのMy Wifeが、ここのトマトはとてもおいしい
と言っておりました。このお店で郵送を頼みました。


弟の車に乗せてもらって、施設に入っている父親に会いに
行ったり、お墓参りに行ったりしたのでした。

ところどころに菜の花畑があります。

こちらはお昼に食べたミソカツ。

愛知県は味噌文化です。懐かし~い!

町の桜の名所の滝頭公園に行ったのですが、まだ少し早くて、
桜の花はまだほとんどつぼみでした。

ちらほらと咲き出している木もありましたが、もうちょっと
したらすごく綺麗になるんだろうなという感じでした。


私が高校時代まで育ったこの町には年に一、二回は帰って
くるのですが、帰る度に、この町はいい町だなあと思うの
でした。高校までは、早く東京に行きたくてしょうがな
かったのですが。

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今日は郷里の愛知県田原のお祭りに来ています

2008-09-14 01:18:31 | 故郷
13日と14日は故郷の愛知県の田原のお祭りです。昨日香港から
東京に来て一泊し、今日田原にやってきました。これは町の中心
にあるセントファーレというショッピングセンターの前のバス停
です。バスで来た訳ではなく、電車で来たのですが、このバス停
の看板が、夕暮れの光の中でとても素敵に見えたので、撮影した
ものです。必要以上に訴求力のあるBUSの文字が何かいいです。
何だか日本ではなくてカリフォルニアかハワイの風景のように
見えるのは、この文字のタイポグラフィーと、後ろの空のブルー
の濃さのせいかもしれません。

先月、東京の深川のお祭りに出たばかりなのですが、今度は田原
のお祭りです。田原のお祭りは、御神輿だけではなく、昼は山車
が出たり、夜はいろんな山車が出ます。二日目の夕方からは花火
が始まります。という盛りだくさんのメニュー。

うちの実家は、この町の駅前通りにある駄菓子屋なのですが、
数年前から進行している都市計画のおかげで、駅前の店も次々と
立ち退き、ずいぶん寂しくなってしまっているのが残念です。
ちなみに実家の店も来年のお祭りは、別の場所に移転している
ことになりそうです。



この上の写真が実家の駄菓子屋の商品の一部。商品の点数が
多すぎて、値段を覚えきれないので、ちょっと店番をしようと
する場合に困ってしまいます。いまだに5円の商品とかがあるの
ですね。5円とか10円とかの商品を売っても利益が一円か二円。

普段自分たちがやっている商売は、これの何万倍、何百万倍もの
金額なので、ひさびさに5円とか10円とかの値段のものを目に
すると一円の大切さをあらためて思います。

こういう駄菓子屋は子供にとってはワンダーランド。最初の
貨幣経済の基本を学ぶところ。そういう意味では地域社会にとっ
ては重要な存在なのですが、ビジネスとしてはなかなか大変です
けどね。



さて、こちらの写真は御神輿の上から餅投げをしている光景。
餅投げはこのお祭りでは定番のプログラムです。何度か餅投げが
行われるのですが、餅を拾うためにたくさんの人が集まってきて
います。ではまた。

母校の成章高校が甲子園で日本一になった

2008-04-05 03:49:30 | 故郷
甲子園では沖縄尚学が埼玉の聖望学園を破り優勝をしたのです
が、応援団賞の最優秀賞に我が母校の愛知県立成章高校が選ば
れたのであります。一回戦で北海道の駒大岩見沢を破り、二回
戦で京都の平安に惜しくも負けたとき、私の中での甲子園はも
う終わっていたのですが、まさか応援団賞というのがあったと
は。とにかく日本一です。快挙です。ビッグニュースです。

36年前に成章高校に在学していた私は、臨時応援団員となり、
甲子園に行ったのですが、そのときは田原市ではなくて、まだ
渥美郡田原町でした。田原市になって、市の花が菜の花となり
ました。スタンドを埋めた応援団の黄色は、菜の花のイメージ
だったそうなのですが、この色、実は私が一番好きな色なんで
すね。降り注ぐ太陽のような、健康的で明るい黄色やオレンジ
色が昔から大好きなのです。だから私は嬉しさひとしおです。

甲子園の常連校は私立が多いのですが、我が母校の成章高校は
県立の高校です。ブラスバンド部はあるのですが、応援部や
チアリーダー部があるわけではないので、にわか仕込みです。
36年前もそうでした。応援部は数人いました。でもそれでは
全然足りないので、緊急に応援団が編成され、短期間に練習し
たのです。

国立大学や有名私大の受験を目指している生徒たちも、一生
懸命応援団の練習をしていました。青春ですね。いいですね。
それで日本一になってしまったらこれは一生の宝物ですね。
すごいです。

応援してくださった皆さん、ありがとうございました。私は
応援には加われませんでしたが、母校をこんなに誇りに思え
たことはありません。とにかくみんなおめでとう。

見ることのできなかった母校の成章高校の勝利

2008-03-24 02:21:03 | 故郷
土曜日に開幕した甲子園の第一試合で、我が母校の愛知県立
成章高校が逆転勝利で、二回戦に進みました。高校野球の常連
校というわけではなく、ごく普通の県立高校である高校が
甲子園に出られるということだけでも、快挙なのですが、
甲子園で一勝を挙げたというのも快挙でした。

そんな事態だったのに、香港に住んでいる私は、実況放送を
見る事ができず、かろうじて試合経過を知る事ができたのは
インターネットのサイトのおかげでした。こちらで受信して
いるNHKワールドは高校野球などは放映されておらず、
とてももどかしかったのですが、インターネットで見てみる
と8回に突然点が入っていてびっくり。そのまま勝ってしま
いました。

しかし、インターネットで見る野球中継ほどもどかしいもの
はありません。ボールの一球一球が、ストライクなのか、
ボールなのかは表示されるし、犠打とか、ヒットとか、盗塁
とかもみな表示されるのですが、架空のゲームを見ている
ような感覚。甲子園野球で最も大切な部分がすべてそぎ落と
されてしまっていたのでした。

数千人の大応援団の様子もわからなければ、選手達の表情も
一切わからないのです。そういうのがわからないと、高校
野球で最も大事な部分が失われてしまうというのがよく
わかります。そして、最後の校歌が聞こえない。これは
とても悲しいことです。放送権の問題はあるのですが、
高校野球とかは、少なくともインターネットラジオ中継
で、世界中に放映してほしいものだと思いました。

今回は、たまたま開会式直後の試合だったので、NHK
のニュースでかすかにアルプススタンドの様子が映った
のですが、ほんの一瞬だったので、それが母校の成章
高校の応援だというのはわかりませんでした。後で、
成章高校は黄色の菜の花畑のイメージの応援だったと
知り、やはりそうだったかと納得したのです。

黄色は私の好きな色でもあり、菜の花は愛知県田原市
の市の花です。この前の二月にたまたま法事で田原に帰っ
たとき、乗った渥美線の電車は『なのはな電車』でした。
これは3月いっぱいまで走っているそうです。上の写真
は渥美線の電車の車内の様子です。

私が成章高校を卒業したのは1974年。在学中に、甲子園
に出場しました。私は臨時応援団の一員でした。当時の
野球部の監督だった山本先生の写真が新聞報道の写真に
写っていてとても懐かしい気持になりました。

成章高校がこんなにマスコミで話題になるのは史上初めて
のこと。ブログで検索していてもずいぶん『成章高校』の
名前でヒットします。この高校を卒業したことを誇りに
思います。

次の平安高校との試合はどうなるかわかりませんが、是非
がんばって欲しいと思います。その試合のときは私は
シンガポールに出張に行っていますが、はるか南の国から
母校を応援しています。

お盆の里帰り

2007-08-15 23:49:47 | 故郷
東京から新幹線のこだまに乗って、豊橋まで来ました。
この上の写真は、豊橋駅前のホテルの部屋からの景色です。
私の郷里は愛知県の田原市なので、最寄りの駅が豊橋と
いうころになります。

豊橋に着く前に東海道線の景色を見ていたのですが、
これまでに何度東海道沿線の景色を見てきたことでしょう。
大学で東京に出てきてから、年に5往復くらいはしている
ので、これまでに200回以上、東海道沿線の風景を見た
ことになります。

そういえば、小学生の頃、なぜか東海道53次を暗唱でき
るようになっていました。小学校の時の地図帳に東海道
53次の宿場が描いてあり、それを記憶したのです。「江戸、
品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、
小田原、箱根、三島、沼津...」という風に、最後の「京」
までの全部で53の地名。それを意味もなく暗記するという
ことで、それを自分の知的資産(?)にしていました。

東海道53次の宿場の「吉田」が今の豊橋です。ここは三河
の国。かの徳川家康も、織田信長も、みんなこのへんを
通っていきました。武田軍が、織田信長の鉄砲隊にやられ
た長篠の戦いの戦場は、豊橋からずっと山のほうの場所で
した。そういえば、今の大河ドラマの山本勘助もこの豊橋
の近くで生まれています。松平健さんとかもこの近くですね。

豊橋に着く前に、掛川を通ってきたのですが、掛川といえ
ば、去年の大河の山内一豊の領地だったところです。それ
まで近江長浜城の城主だったのですが、掛川5万一千石の
城主を命ぜられます。このときに妻の千代さんはどういう
気持だったのだろうかとふと思いました。馴染みのある
近江に比べれば、掛川は見知らぬど田舎。そんなところに
行くと言われた千代さんは複雑な気持だったのだろうなと
思います。さらに掛川から、さらに当時の僻地である土佐
への異動に関しては、さらに複雑な気持だったのでしょうね。
いくら出世のためとはいえ、どんどん未知の土地に移され
ていくのはとっても寂しい気持だったのでしょうね。

この町も戦争の時には空襲で一面の焼け野原になりました。
豊橋の隣町の豊川市には、海軍の軍需工場があったので、
そこも大空襲がありました。母親の実家は今は豊橋市に
なっていますが、田原市の近くの農家でした。空襲の時に
はそらが真っ赤に見えて、豊橋のほうから空襲で焼けださた
人たちが走ってきたとよく言っていました。今は、平和な
風景ですが、過去にはいろんなことがあったのですね。

たまに田舎に帰ってくると、今まで忘れていたことを思い
出したりします。時間の流れがぜんぜん違うので、今までの
生き方を反省させられたりもします。なんか精神的なバランス
を取り戻せるというようなそんな感じです。

外国化する豊橋

2006-11-25 15:47:33 | 故郷
シンガポールの日系の病院の待ち合い室で、たまたまそこに
あった雑誌の日経ビジネスを見ていたら、上のようなページ
がありました。私の田舎は愛知県の豊橋市に隣接している田
原市なので、豊橋市が出ているのに興味を持ち、思わず、デ
ジカメで写真を撮りました。

日本の都市の中で、外国人登録者数の多い都市と、全人口に
対する外国人比率の高い都市のベスト3です。豊橋市は人口
部門で、浜松市に次いで2位となっています。人口比率では
群馬県大泉町が15.8%でダントツのトップです。豊橋市に
隣接する静岡県の湖西市は外国人比率7.9%で、全国3位に
入っています。豊橋市は4.9%ということですが、これもかな
りの比率です。20人に一人は外国人という感じですから、これ
はかなりの数です。

私が住んでいるシンガポールに日本人が3万人くらいいて、
それに観光や出張で来ている人もいるので、あちこちで日本人
を見かけるなと思うのですが、せいぜい1%程度です。4.9%
というのはすごい数字ですね。シンガポールに住んでいる
インド系住民が約8%ということで、シンガポールにはインド
人かなり多いなという印象なのですが、それに近い比率で外国
人が存在しているのですね。静岡県湖西市の比率が7.9%です
から、シンガポールにおけるインド人の比率と同じくらいです。

去年、田舎のお祭りに行くために豊橋の駅前に宿泊したので
すが、駅前の繁華街でかなりの数の外国人を見かけました。
私は高校卒業まで田原にいたし、大学で東京に上京してから
も年に何度か田舎に帰っていましたので、豊橋はいつも通過
していました。

昔は外国人とは縁のない地方都市だったのですが、ここ数年
でどんどん外国人の姿を見るようになっていました。外国人
と言っても、ブラジル人が多いようです。何でこんなに外国
人が多くなったのかと言うと、自動車産業の製造拠点が豊田、
豊橋、浜松地域に集中しているからのようです。自動車の製
造業だと、数多くの外国人労働力が必要なんですね。

うちの田舎の田原市にはトヨタの大きな工場があります。豊
橋を中心に田原からこの一帯が三河港となっていて、自動車
の輸出入は金額、台数とも日本一位ということのようです。
トヨタだけじゃなく、スズキの二輪車の工場は豊川あたりで
すし、三菱自動車の乗用車もかなりこの近辺で製造している。
さらに、フォルクスワーゲングループも豊橋に本社を移して
いるし、ダイムラークライスラー、フォードなども三河港を
使っているようです。

隣の静岡県の浜松市は、スズキ、ヤマハの本拠地であり、
ホンダの工場もあります。もともとホンダは浜松が発祥です。
河合楽器も、ローランドも、浜松ホトニクスも浜松ですね。
浜松は豊橋とは別の県ですが、かなり近い関係です。豊田市
から浜松までの地域で日本の自動車産業のかなりの部分を
担っているようです。またそれを担っているのが、ブラジル
系などの外国人だというのもまたすごいです。

その昔、日本から数多くの人が夢を求めて、ブラジルに移民
していきました。以前、NHKのドラマの「ハルとナツ届かな
かった手紙」を見て、感動してしまったのですが、今の時代
はブラジルから夢を求めて日本に来ている人が増えたのは、
逆説的です。うちの父も、私が子供の頃、「ブラジルに行き
かった」とつぶやいたことを私はまだ覚えています。

いままで外国文化と接触がなかった場所に外国人が増えると
いろいろな問題が起こってきます。行政の問題、教育の問題、
治安の問題、いろいろです。何年か前に、うちの実家の駄菓
子屋に、外国人の二人組が現れ、店番をしていた父に、自動
販売機にお金を入れたのだが品物が出ないので見てくれ、と
言われて、父が外の自動販売機を見に行っている間にレジの
お金をもう一人が盗むというトリックにあったことがありま
した。うちの田舎には、外国人はほとんどいなかったし、
ほとんど防犯意識もなかったので、外国人にとっては、狙い
やすい状況だったのでしょう。

豊橋にはドイツ人の幼稚園や学校ができたという噂を聞きま
した。なんだか急にインターナショナルになってきました。

私はシンガポールに住んでいるので、常にインターナショナ
ルな環境の中にいます。シンガポールも少子化が問題になっ
ていますが、かなり外国人労働力に頼っています。もともと
シンガポールは他民族国家なので、外国人労働者が増えても
ほとんど問題がありません。しかし、日本の地方都市のよう
もともと単民族の地域に外国人が増えた場合、いろいろと
大変なことも多いのでしょう。でも、そういうことを克服し
て、新たな文化が生まれてくるのかもしれません。





今日から田原祭り

2006-09-17 00:31:52 | 故郷
今、愛知県の田原に帰っています。今日と明日は田原祭りです。
この上の写真は、夜の山車の写真ですが、昼の山車とか神輿とか
天筒花火とかいろいろな出し物があります。

この祭りには、いつもはるばるシンガポールから戻ってきます。
天気予報はあまりよくないようなことを言っていたのですが、
今日の土曜日は最高のお祭り日和の天気でした。

弟がお祭りに出ているので、私は、実家の駄菓子屋で店番をして
おりました。値段が、10円から50円くらいのものが多く、
品数がものすごく多いので、子供がいっぱいの品物を持ってきて
「おじちゃん、これぜんぶでいくら」といわれたときには、
計算ができずに困ってしまいます。

たまにこういう仕事をするのも新鮮ですね。では、今日はこれ
くらいで。ではまた。

メロン

2006-08-15 00:02:20 | 故郷
今日の月曜日は、お寺で亡き母の初盆の法要がありました。
空は青く晴れ渡り、けたたましい蝉の蝉の鳴き声が聞こえる
お寺の本堂には、初盆の人たちが集まって、座りきれない
くらいの混雑でした。お坊さんがお経をあげているときに、
本堂の中に一羽のクロアゲハチョウがゆったりと飛んでいる
のが目に入りました。あるいは、それは亡くなった母が姿を
変えてそこに飛んできたのかとかと思っていました。

初盆の法要は朝の9時半からだったのですが、11時前には
終わったので、一番したの弟の運転する車で、私と下町娘
は渥美半島の先端付近のメロン畑へ。メロン食べ放題とか
の看板の出ている農園に行きました。

メロン食べ放題で1900円でした。食事をした直後だったの
で食べ放題といってもそれほど食べられないだろうと思った
私たちは、メロン二分の一個900円のコースにしました。
写真のがそれです。食べてみたらすごいあま~い。
これだったら、食べ放題でもよかったかと後悔したのですが、。
あまり沢山食べてしまったら糖分の撮り過ぎになっていたのだ
ろうなと思いました。

観光バスで、メロン食べ放題ツアーに来ている団体の人たちが
いました。メロンにブランデーをかけたりして食べている人
たちもいました。こうして高級メロンを思い切り食べられると
いうのは、ある意味ですごい贅沢な感覚だと思います。それに
こんな贅沢が1900円くらいでかなえられるというのがすごい
おとくです。

このあと、渥美半島の田原を去って、東京に戻ってきました。
そして、電源コンセントのアダプタ-を探しに行ったのですが、
浦安のK's デンキにありました。すごいでかさでびっくり。
電源アダプターもいくつもあり、さすがの品揃え。店が広すぎ
て、電源アダプターコーナーを探すのも大変なのですが、店員
に聞いて目指すものを素早くゲット。今、こうしてインター
ネットカフェでブログをアップできているのも、このアダプター
のおかげです。

しかし、この家電ショップ、すごい規模でびっくりでした。
あまりにもいろんなものがあるので、ついでにパソコン用の
外付けハードディスクを買ってしまいました。Logitecの80GB
のものです。1万5~6千円ちょっとでした。ポータブル
タイプのものなのですが、ずっとほしかったので買ってしまい
ました。

そしたら、下町娘が、私のために大きめの電卓を
買ってプレゼントしてくれました。今まで、仕事
では小さな電卓しか使っていなかったので、これで仕事もはか
どるでしょう。感謝感激です。でままた。

いま日本の田舎にいます

2006-08-13 21:51:13 | 故郷
シンガポールのナショナルデーの後、金曜日の夜の便で日本に
きました。ロンドンのテロ事件の直後でもあり、昔、日航機の
事故のあった日だったので、飛行機に乗るのにちょっと抵抗が
あったのですが、無事に日本に到着できました。

今年の3月に亡くなった母の初盆なので、愛知県の田原に帰っ
てきました。上の写真は、今日、療養所に入っている父のお見
舞いにいったついでに、東京に住む弟家族といっしょに伊良湖
岬まで行ってきたときのものです。

写真の浜辺は恋路が浜というロマンチックな名前です。その
向こうに見えるのは、三重県の神島(かみしま)です。
三島由紀夫の『潮騒』の舞台になった島です。山口百恵と三浦
友和の映画で見たことがあります。この浜辺からこんなに近く
に見えます。

伊良湖岬はついこの間までは渥美町でした。それが今回行った
ら、いつの間にかそこは田原市になっていました。数年前から
合併問題でもめていたのですが、結局、渥美町は田原市に吸収
されていたのですね。

ところで、今回の旅では一つのドジをしてしまいました。

ノートブックパソコンの電源のコンセントをシンガポールタイプ
(英国タイプのもの)のまま持ってきてしまったのです。日本
タイプのアダプターも持っているのですが、それをつい忘れて
きてしまいました。

田原や豊橋の電気屋に行ってみたのですが、日本タイプのコン
セントを海外用のタイプに変換するアダプターは売っていたの
ですが、その逆のものはありませんでした。まあそんなの買う人
はあまりいないので仕方ないのですが、こういう場合、とっても
困ってしまいます。

せっかくノートブックパソコンを持ってきても、充電できなく
ては何の意味もありません。でも、じつは私は今日は、豊橋の
ホテル日航豊橋に宿泊しているのです。ダメもとでフロントに
聞いてみました。外国人が宿泊する場合、こういうのは必需品
です。そしたら、「ございます!」というのです。

すぐに女性のフロントの担当者が直々に部屋に持ってきました。
イギリス式だけでなく、だいたいのものが的業できるマルチタ
イプのもので、自分も持っているものです。ばっちりでした。
さすが日航ホテル!こういうことは、一流ホテルだからこそ
可能なことです。このホテルにしてよかったと思いました。

だから今、ホテルのすぐそばのインターネットカフェでこの
ブログをアップしています。私の中では日航ホテルの株が
ぐ~っと上がりました。アダプターのような小さなものでも
そのありがたさは並大抵のものではありません。

これから、下町の祭りを終えた下町娘が新幹線で
豊橋に到着します。明日はお寺で初盆のお経が8時半にある
ので行かなければいけません。ではまた。


最も大切なもの

2006-04-21 23:02:04 | 故郷
日本に来る飛行機の中で、ジョン・C・マクスウェルという人の書いた
「ありきたりの毎日を黄金に変える言葉」という本(講談社)を読んで
いたら、ここに引用したマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの
言葉が出ていました。飛行機の中で、この言葉に出会ったとき、なぜか
涙が止まらなくなってしまいました。

短い文章なのですが、なんだか人生の真理が凝縮されているような、
そんな気がして、すごく勇気づけられる言葉だなあと思ったのです。
誰かのためになれることというのは、それだけで重要なことなのですね。

母のことが思い出されました。学問があるわけでもない。農家に育って
きちんとした教育を受けたわけではない。それでも、少なくとも私たちの
子供のためになることをしてくれた。命がけで私たちを育ててくれた。
それだけでも、母はこの世ですばらしいことをしてくれたんだ、と思った。

一番大切なものとは何か、母の四十九日を直前にして、そんなことを思い
ました。

生きてきた以上は、誰かのためになりたい。誰かのためになれたら、
この世に生まれてきた意味がある。財産を築き上げるとか、名声を高める
とか、そんなことよりももっと大切なこと、それは誰かのためになれると
いうことなのかもしれません。

今朝、シンガポールを出発して、夕方成田に着き、新幹線で豊橋に着き
ました。今、家に向かう途中で、メールをチェックしようとインターネット
カフェに寄りました。で、このマーティン・ルーサー・キング・ジュニア
の言葉を是非ご紹介しようと、これをアップしました。

これから実家に向かいます。明日はお寺で四十九日の法要です。



もうじき四十九日

2006-04-16 23:04:07 | 故郷
このつぎの土曜日が母の四十九日です。母が亡くなってから一月が過ぎ、
二度目の満月が過ぎ、母の記憶がだんだん過去の時間に遠ざかっていく感じ
がして、何だか空しい気分です。今度の土曜日は、四十九日の法要のために
田舎に帰ります。

母が亡くなったのは3月の5日の日曜日でした。四十九日というのは7日毎
の法要の最後の7日めの締めくくりです。それまで死者の霊が、現世とあの
世との間をさまよっているのだが、四十九日を境にあの世に行き、仏となる
という意味のようです。

何だかこのところ、ブログを更新する気力がなくなり、また同時に仕事のほ
うもいろいろ大変な状況でなかなかブログを更新できませんでした。それで
も、全く更新していないこの一週間もアクセス数はほとんど落ちていません。
ブログを見ていただている方、本当にありがとうございます。

でも、せっかく見に来ていただいても、更新していないのでがっかりされた
方もいたかもしれません。がっかりしてしまわれた方、どうもすみません。

シンガポールは金曜日から今日まで、3連休でした。金曜日はグッドフライ
デーというキリスト教に関連する祝日でした。時間はたっぷりあったのです
が、この三日間はとくにたいしたこともせずにすぎていきました。

今朝は、天気がよかったので、イーストコーストパークまで出かけて、
ちょっと走ってきました。でも本当にちょっとです。すぐに息が切れてしまい
ます。でも海の空気をすうのはなんだかリラックスできてよいです。

NHKのテレビで海外の天気予報を見ていたら、シンガポールの天気予報は
一週間毎日晴れ時々雨でした。今日の天気は、午前中は晴れていましたが、
午後遅くからは雨が降っていました。というのでとりあえず、NHKの天気
予報は大正解となりました。しかし何だか毎日同じ天気予報だと、何か馬鹿
にされている感じですが、こちらはだいたいこんな感じです。

上の写真は、実家の店の店先に咲いていた花です。弟は一時花屋でバイトを
していたので、そのときの花なのでしょうか。右側の赤いのは、コーラの
自動販売機です。赤と青の色のコントラストが奇麗だなと思ったので写真を
とりました。何だか最近、花の写真が多いですね。