南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

最も大切なもの

2006-04-21 23:02:04 | 故郷
日本に来る飛行機の中で、ジョン・C・マクスウェルという人の書いた
「ありきたりの毎日を黄金に変える言葉」という本(講談社)を読んで
いたら、ここに引用したマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの
言葉が出ていました。飛行機の中で、この言葉に出会ったとき、なぜか
涙が止まらなくなってしまいました。

短い文章なのですが、なんだか人生の真理が凝縮されているような、
そんな気がして、すごく勇気づけられる言葉だなあと思ったのです。
誰かのためになれることというのは、それだけで重要なことなのですね。

母のことが思い出されました。学問があるわけでもない。農家に育って
きちんとした教育を受けたわけではない。それでも、少なくとも私たちの
子供のためになることをしてくれた。命がけで私たちを育ててくれた。
それだけでも、母はこの世ですばらしいことをしてくれたんだ、と思った。

一番大切なものとは何か、母の四十九日を直前にして、そんなことを思い
ました。

生きてきた以上は、誰かのためになりたい。誰かのためになれたら、
この世に生まれてきた意味がある。財産を築き上げるとか、名声を高める
とか、そんなことよりももっと大切なこと、それは誰かのためになれると
いうことなのかもしれません。

今朝、シンガポールを出発して、夕方成田に着き、新幹線で豊橋に着き
ました。今、家に向かう途中で、メールをチェックしようとインターネット
カフェに寄りました。で、このマーティン・ルーサー・キング・ジュニア
の言葉を是非ご紹介しようと、これをアップしました。

これから実家に向かいます。明日はお寺で四十九日の法要です。



もうじき四十九日

2006-04-16 23:04:07 | 故郷
このつぎの土曜日が母の四十九日です。母が亡くなってから一月が過ぎ、
二度目の満月が過ぎ、母の記憶がだんだん過去の時間に遠ざかっていく感じ
がして、何だか空しい気分です。今度の土曜日は、四十九日の法要のために
田舎に帰ります。

母が亡くなったのは3月の5日の日曜日でした。四十九日というのは7日毎
の法要の最後の7日めの締めくくりです。それまで死者の霊が、現世とあの
世との間をさまよっているのだが、四十九日を境にあの世に行き、仏となる
という意味のようです。

何だかこのところ、ブログを更新する気力がなくなり、また同時に仕事のほ
うもいろいろ大変な状況でなかなかブログを更新できませんでした。それで
も、全く更新していないこの一週間もアクセス数はほとんど落ちていません。
ブログを見ていただている方、本当にありがとうございます。

でも、せっかく見に来ていただいても、更新していないのでがっかりされた
方もいたかもしれません。がっかりしてしまわれた方、どうもすみません。

シンガポールは金曜日から今日まで、3連休でした。金曜日はグッドフライ
デーというキリスト教に関連する祝日でした。時間はたっぷりあったのです
が、この三日間はとくにたいしたこともせずにすぎていきました。

今朝は、天気がよかったので、イーストコーストパークまで出かけて、
ちょっと走ってきました。でも本当にちょっとです。すぐに息が切れてしまい
ます。でも海の空気をすうのはなんだかリラックスできてよいです。

NHKのテレビで海外の天気予報を見ていたら、シンガポールの天気予報は
一週間毎日晴れ時々雨でした。今日の天気は、午前中は晴れていましたが、
午後遅くからは雨が降っていました。というのでとりあえず、NHKの天気
予報は大正解となりました。しかし何だか毎日同じ天気予報だと、何か馬鹿
にされている感じですが、こちらはだいたいこんな感じです。

上の写真は、実家の店の店先に咲いていた花です。弟は一時花屋でバイトを
していたので、そのときの花なのでしょうか。右側の赤いのは、コーラの
自動販売機です。赤と青の色のコントラストが奇麗だなと思ったので写真を
とりました。何だか最近、花の写真が多いですね。


さくら

2006-04-09 17:26:02 | Weblog
日本に帰ったとき、東京の千鳥が淵で見た桜の花は見事でした。写真を
整理していたら、そのときの桜の写真があったのでアップしました。
桜の花というのは誰にとっても特別のものですね。

桜のことを思い出していたら、恥ずかしながら詩のようなものができて
しまいましたので、ここにご披露いたします。


桜の花が咲いているのはわずかの期間

花びらは風に吹かれて舞い落ちてゆく

でも花の下を二人で歩いた記憶は永遠

頭がボケても覚えているのだろうきっと


あのとき桜を見たよねと爺さんが言う

満開の桜が奇麗だったねと繰り返し言う

その話はもう何百万回も聞きましたよと

婆さんがちょっと嬉しそうに笑っている


田舎に行く直前に、下町娘さんが働いている下町の小料理屋に寄りました。
弟さんがメインでやっているのですが、お母さんも手伝いに来ていました。
お昼の後の賄いを食べながら、「私は千鳥が淵の桜が一番素敵だと思う。
お堀の水に垂れ下がるようなあの桜は一番印象に残っている」と下町娘の
お母さんが言っていた言葉が印象的でした。

その時は、別に千鳥が淵に行くことになるとは思ってもいなかったのですが、
日曜日の午後、私たちは九段下の地下鉄の駅から地上に上がっていました。
大学も、会社も、すぐそばにあったのに、この千鳥が淵の桜は見たことがあり
ませんでした。

桜の花見というと、桜の木の下での宴会を想像したのですが、この千鳥が淵
の桜は、そういう宴会は一切禁じられていました。酔っぱらいや、ゴミなどで
美観が損なわれるということもなく、みんなが純粋に桜の花の美しさを鑑賞で
きるようになっていたのです。こういう花見のスポットがあるのを私は知りま
せんでした。これは素晴らしいことだなと私は思いました。

できることならば、こういうすごい桜を、亡くなった母にも見せてあげたかっ
たと思いますが、どこかで見ているのかもしれませんね。


アイス讃歌

2006-04-08 21:51:27 | Weblog
先日のコメントで、アイスについての話になったのですが、アイスについて考えて
いるうちに、詩のような、歌のようなものができてしまいましたので、ここに発表
いたします。駄洒落と詩のフュージョンっていったらいいのでしょうか、なんだか
メロディーをつけて歌いたくなってしまいます。


私は あなたを 愛す
だから あなたに アイス
二人で 食べるは ナイス
二人を 繋ぐは 愛っす

アイスの 主要素は 愛っす
「あい」が なければ 酢っす
酸っぱい アイスは まずいっす
まずい アイスは いらんっす 

私は あなたを 愛す
それは うそじゃ ないっす
だから アイスで 乾杯っす
世界は 二人の パラダイス

今日は あなたの オムライス
ちょっと 添えた オニオンスライス
グラスの なかに キューブアイス
これは とっても うまいっす

食後は やっぱり アイス
愛が あるから アイス
喧嘩を したって アイス
終わり よければ アイス

ふたりで いても アイス
離れて いても アイス

晴れの ときも アイス
嵐の ときも アイス

健やかなる ときも アイス
病める ときも アイス

富める ときも アイス
貧しき ときも アイス

死が 二人を 分かつまで 
永遠に 永遠に アイス
天国に 行った あとでも
ずっと ずっと アイス

死が 二人を 分かつまで 
永遠に 永遠に アイス
天国に 行った あとでも
ずっと ずっと アイス



どうも失礼いたしました。

留守をしてすみません

2006-04-06 02:00:12 | 故郷
ご心配をおかけしました。私はどうしてしまったのかとご心配なされた方もおら
れたかもしれません。何とか無事に生存しておりますのでご安心ください。

実は先週の木曜日の夜の便で日本に行き、昨夜戻ってきました。先週の出かける
ぎりぎりまで、仕事が立て込んでいて、ブログに留守をすることを書くこともで
きませんでした。成田から東京経由で愛知県の田舎に帰って、法事に出席してき
ました。全然時間がないこともなかったのですが、ブログをアップする気力がな
く、気付いたらシンガポールに帰ってきていました。

日本に着いたら春でした。東京はすでに桜の花が満開で、愛知県のほうはもっと
すごいかなと思ったら、まだ咲き始めという感じで、東京よりも遅くなっていま
した。田原市の滝頭(たきがしら)という山の麓の場所に桜の名所があります。
ほとんどの木がまだぼちぼち咲き始めたばかりという感じで、かろうじて咲いて
いる木を見つけて写真をとりました。上の写真がそれです。

母が亡くなって、7日毎にお寺のお坊さんが来て、お経をあげてくれます。私は
これまではパスしていて、今後も49日まで行く予定がないので、家でのお経には
一度しか出られないということになります。親戚の人も何人か来てくれました。

土曜日の午後、父がお世話になっている海のそばの施設に行きました。弟と一緒
に行ったのですが、父は以前よりも元気になった感じでした。ちょうどみんなで
ゲームをしているところだったので、待っていたら歩いて探しにきました。私た
ちを見てすぐにわかったので、何だかしっかりしてきた感じです。

私は、新井満さんの「般若心経」の本を持っていってあげました。父は昔から
お経が好きだったので、読めるかどうかわからなかったけど、置いといてほしい
ということだったので、表紙に名前を書いて置いてきました。はたして読んでい
るのでしょうか?

豊橋のインターネットカフェに行き仕事をしました。土曜日の夜もそこで仕事を
していたら、東京にいる下町娘からメールが来て「どうして帰ってきてくれない
のか」というようなことで、ちょっとした喧嘩になってしまいました。

心配なので、翌日の日曜日、大急ぎで東京に帰りました。下町娘に電話をしてみ
たら、「怒りは一日も持続しなかった」ということで、すんなり仲直りでした。
雨が降りそうなお天気でしたが、千鳥が淵に桜の花を見に行きました。長年、
東京にいたのですが、千鳥が淵に行ったのは初めてでした。その見事な桜に感動
でした。田舎の桜とは比べものにならないほどの巨大な桜の木でびっくりでした。

月曜日は朝から会社に行って、一日だけ忙しく仕事をしました。そして火曜日の
夕方の飛行機でシンガポールに帰ってきたというわけです。滞在中に3月が4月に
なり、多くの会社で新年度が始まりました。うちの会社は6月末締めなので、
関係ありませんが、日本はフレッシュマンが街に溢れていて、4月だなあという
感じでした。3月末、シンガポールから日本に来る飛行機は満員だったのに、
4月の頭に日本からシンガポールに行く飛行機はかなり空いていました。夕方の
空港はびっくりするほど閑散としていて、パスポートのところも全く列がなかった
のにはびっくりでした。

帰ってきてから一つ事件がありました。シンガポールに入国しようと思ったら、
エンプロイメントパスを入れていたパスポートカバーがないのです。きっとどっか
にしまい込んでしまったのだろと思って、入国書類を書いて入国しました。
で家に帰ってきて探したのですが、ないのです。おまけに日本の携帯電話もない。
日本の携帯電話は飛行機に乗る寸前まで確かにあったので、なくしたとすると
飛行機の中かと思ったのですが、すでにその時は夜中の3時くらい。翌朝電話し
ようと思いながら寝たのです。

翌朝、シンガポール航空の遺失物のセクションに電話しました。そしたら何と
あったのです。さすがシンガポール航空!いつ取りにくるのかということだった
ので、今日の昼に行くからということで、取りに行ってきました。

パスポートカバーは革製のもので、マイレージのカードと、労働ビザのカードが
入っていました。日本の携帯電話には、日本のマンションの鍵もついていました。
亡くしたらどれも再発行するのに手間取るものばかりなので、見つかってほっと
しました。一度なくしたものが出てくるという経験を何度もしているので、感動
の度合いが少なくなってしまっているのが問題ですが、これは神に感謝しなけれ
ばならないほどの出来事です。とりあえずめでたしめでたしです。