南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

もしもジャック・バウアーがバンコクに出かけたら

2006-11-30 02:12:34 | アジア
本日、バンコクからシンガポールに戻ってきました。二泊三日
の旅でした。上の写真は、この間オープンしたばかりのバンコ
クの新空港の様子です。お店がいっぱいあって奇麗ですが、
ガラスばりの外壁は、汚れが目立ってしまっています。こんな
にガラスを使っていると掃除が大変なのですが、ひょっとした
ら作ったはいいけど、掃除まで手が回らないのかもしれません。

この旅に出る前に、ビデオでドラマの『24』のシーズン4を
見終わりました。シーズン1から3まで見てなくて、いきなり
シーズン4だったのですが、見出したらやめられなくなり、出
張の前日の日曜の夜に最後まで見終わってしまいました。今は
日本の皆さんはシーズン5の話題になっているので、今頃、4
を見た話しはちょっと時代遅れかもしれません。でも私は海外
におりますので、大目に見てください。

バンコクを旅していて、『24』のジャック・バウアーの姿が脳
裏にちらついてしかたがありませんでした。タイは、全体的に
のらりくらりしているので、『24』の世界とは全然違います。
時間がゆったりと流れ、すべてがアバウトで、細かいことは気
にしないという世界なので、シンガポールに比べてもかなりの
ギャップを感じてしまいます。

もし『24』のジャック・バウアーがバンコクに旅行に来たとし
たら、どんなことになるだろうかと想像してみました。以下は
私の勝手なフィクションです。

*************

ジャック・バウアーがロスからバンコクに到着した。飛行機から
降りて、足早に入国審査の列に並ぶ。入国審査の係官は何人もい
るのだが、どこも行列が長い。ジャック・バウアーは素早く各列
に並んでいる人数を分析し、一番人数の少ない列の最後尾に並ぶ。
バンコクの入国審査管は何をチェックしているのか知らないが、
テロリストなのか、犯罪歴があるのかなどをコンピューターで照
合したりして時間がかかっている。ジャック・バウアーは次第に
いらいらしてくる。

カシオのGショックを苛立たしげに覗き込む。もう10分が経って
いる。時間の制約の厳しい『24』のドラマの中では、10分という
のは貴重な時間だ。それがただ無意味に過ぎていく。ジャック・
バウアーは隣の列の進み具合と、自分の列のそれを比較して分析
する。何と、自分の列の進み具合が相対的に遅い。ジャック・
バウアーの目が、前方の入国審査管の動きを瞬時に分析する。
自分の列の審査官は、無駄な動きが多い。パスポートにスタンプ
を押すアクションがあまりにもゆったりとしている。別にさぼっ
ているわけではないが、このようなスローペースの積み重ねで、
作業効率が落ちてしまっている。ジャック・バウアーは、この
ようなことに我慢ができない。

リーバイスのジーンズのポケットに手を入れて、H&K社製のUSP
コンパクトのピストルを取り出して、審査官にもっと機敏に動
けと脅したくなる。しかし、飛行機に乗る前にピストルは危険
物として別預けになっていた。もう我慢できなくなったジャッ
ク・バウアーは、係官を人差し指で指差して、叫んだ。「おい、
そこの係官、もっときびきびと動け!何時間待たせれば気が済む
んだ!俺はもう待てない!」

係官はきょとんとして、ジャック・バウアーを見つめる。
一瞬、緊張した空気があたりを覆う。彼は、タイの空気の中で
完全に浮いてしまっている。もし彼がコメディアンの才能があれ
ば、ここでギャグをとばして、爆笑とはいえなくとも、失笑の
空気で状況を緩和させるのだろうが、彼はそういうタイプでは
ない。空気は凍り付いたままなのだが、タイの審査官はこういう
状況で、どうしたらよいのかわからずににたりと笑う。それに
あきれて、とりあえず状況はマイペンライ的に丸く収まり、
やがて、ジャック・バウアーのパスポートにスタンプが押された。

通関を出ると、人がうじゃうじゃと待っている。初めての空港な
ので、あたりをきょろきょろと見回すジャック・バウアー。その
様子を見て、リムジンやらハイヤーの斡旋業者が群がってくる。
「タクシーですか?」とか、アプローチしてくる。「俺が探して
いるのはパブリック・タクシーだ!」と叫ぶジャック・バウアー。
「パブリック・タクシーはありません。リムジンがいいですよ」
とタイ人の男が言いよってくる。すぐに頭にきたジャック・バウ
アーは、その男の胸ぐらをつかみ、「嘘を言うな!パブリック・
タクシーはあるはずだ。正直に言うんだ」とすごむ。ついつい
日頃の尋問の癖が出てしまう。

タイ人の男はびっくりして、エスカレーターの下のほうを指差し、
「パブリック・タクシーはこの下の外側」と白状する。ジャック・
バウアーは、「世話をかけやがって」と捨て台詞を言いながら、
エスカレーターを駆け下りていくのであった。

と、ここまで書いてきて、まだ市内に入らないうちに疲れてし
まったので、このへんにしておきますが、ジャック・バウアーは
タイとは対局のタイプの人間なので、彼がタイにきたらすごく
大変なことになるというのはおわかりいただけたのではないかと
思います。では、かなり尻切れトンボですが、とりあえずこの
へんで失礼します。ジャック・バウアーのファンの皆様、つまら
ぬ話しで失礼しました。


バンコクの夜は更けて

2006-11-29 09:52:42 | アジア
バンコクの二日目です。今日のホテルは、スクムビットのソイ
6にあるグランド・スクムビット・バイ・ソフィテル。イン
ターネットで予約したのですが、このホテルすごくいいです。
一泊3550バーツで、セミスイートです。リビングルームと
ベッドルームの間は仕切りがあって、冷蔵庫は大きいし、電子
レンジもキッチンもついています。テレビは薄型フラットテレ
ビがリビングとベッドルームと二つもあります。おまけにイン
テリアはお洒落でシック、戸棚やウォードローブがやたらいっ
ぱいあります。

ホテルというよりか、お洒落なコンドミニアムといった感じで、
一泊しかしないのが逆にもったいないですね。しばらく滞在し
たくなってしまいます。このホテルはまだ新しくて、あまりま
だ知られていないのですが、穴場のホテルです。

このホテルのあるソイ6は一方通行の細い道なので、表通りか
らはちょっと分かりにく場所にありますが、逆にひっそりとし
た隠れ家的なブティックホテルといったたたずまいです。

ここはインターネットで探したのですが、インターネット接続
が可能なホテルという条件で、なるべく安いホテルということ
で調べた結果、浮上してきたホテルです。インターネット接続
は有料ですが、リビングのテーブルにはイーサネットケーブル
がついています。

ちょっと歩けばすぐにスクムビットの通りに出られますし、
NANAの駅もすぐそばです。この間泊まったJWマリオットもすぐ
そばです。この便利さで、この値段、そしてこの設備と雰囲気。
これはかなりおすすめのホテルといえるでしょう。

今日は(すでに日付は翌日になってますが)、アユタヤの冷凍
食品の工場と、バンコク市内の女性用ランジェリー工場に行って
きました。二つの工場とも全く雰囲気の違う工場なのですが、
それぞれ独自の背景を持ち興味深い訪問でした。

ランジェリー工場では、有名ブランドのブラジャーを製造してい
ました。ブラジャーというのは、すごいいっぱいのパーツからで
きているのですね。そのためものすごい手のこんだ製造物になり、
値段も高くなってしまうのだそうです。アメリカ向けの製品もこ
こで作っていたのですが、アメリカ用のはレースとか使ってなく
て実にシンプルな作りでびっくり。日本向けの製品はかなり装飾
が多くて、品質的にも高度な技が要求されるのだとか。

タイ向けの商品は、タイ人の体にあわせてデザインされていて、
日本ほど高度な技術は使われていないため、値段も若干安めだと
か。タイ人女性の身体は、垂直的なバランスはわりとよいのだが、
バスト、ウェスト、ヒップのバランスに関しては日本人のほうが
バランスがよいとかいう面白い分析データが説明されました。
業界が違うと、全然違ったことを研究しているのですね。

日頃知る機会のない業界のことを勉強できて有意義な見学でした。
明日は、バンコクの広告代理店を訪問した後、シンガポールに
帰ります。ではまた。

ふたたびバンコクの夜景

2006-11-28 02:54:26 | アジア
月曜日からバンコクに来ています。11月の9日から12日に来て
いたのですが、再び別件で来ることになってしまいました。
今回は、シンガポールの日本企業のおつきあいの工場見学旅行
なので、まったく責任のない気楽な旅です。バンコク市内の
パンパシフィック・ホテルに宿泊していますが、ホテルの部屋
はめちゃめちゃ広くてというか広すぎて落ち着かない感じです。
設備は、バスルーム設備も抜群に広々として贅沢な感じだし、
フラットテレビもよい感じです。まあ贅沢な旅行です。

上の写真は、このホテルの部屋から撮影した夜景ですが、バン
コクにしては、何となくひっそりとした雰囲気です。おそらく
この写真の中にいくつもの歓楽街が見えているのだと思うので
すが、こちらの方角がどっちなのかはよくわかりません。バン
コクはシンガポールとは違って、ちょっと危険な雰囲気の漂う、
怪しげなアジアの都市です。

この写真で見ると、このホテルは非常にひっそりした区域にあ
ると思えるのですが、実は、歩いてすぐ歓楽街のタニヤやパッ
ポンです。ジムトンプソンのお店もすぐ近くです。こんな便利
な場所にありながら、こんなに静かというのも不思議な感じで
す。

先ほど、タイ式マッサージの有馬温泉という店に行ってきまし
た。この有馬温泉は昔からあり、何度か行ったことがあったの
ですが、数年前に行ったきりなので、久しぶりでした。嬉し
かったのは、値段が昔とほとんど変わらない安さです。一時間
300バーツでした。

部屋はカーテンで仕切られた部屋で、タイシルクのパジャマの
ようなのに着替えます。そこでおばさんにマッサージをされる
のですが、これが気持ちよい。一時間はあっという間に過ぎて
しまいました。これだったら一時間半か二時間くらいやっても
よかったかなとちょい後悔。全然痛くないのですが、かなり気
持はよいです。

今日の夕方は、これもパッポンの近くにあるコカレストランの
本店に行ってきました。12人の日本人のおっさんばかりで円卓
を囲んでタイすきを食べたのですが、カニやらいろいろの具が
あってとても美味。コカはシンガポールでも何度か食べたこと
があるのですが、今日のはちょっと高級なやつでした。お店の
人が鍋から取り分けてくれるという鍋は珍しかったです。

12人の日本人のおっさんと言うと、何かよからぬことを想像す
るかもしれませんが、私は別のおっさんとさっさと有馬温泉に
行ってしまったので、他のおっさんたちがどこに行ったのかは
よくわかりません。明日は、いよいよメインイベントの工場見
学です。日系の食品会社の工場を見て、同じく日系の女性下着
(いわゆるブラジャー)の製造工場を見学するということに
なっています。

ブラジャーと12人の日本人のおっさんたちという組み合わせは、
何ともちょっと変態的な雰囲気ですが、これは大真面目な見学
です。今回の幹事役をやっている一人の人が女性下着の大手メー
カーで、バンコク郊外に大きな工場があるのだそうです。こう
いう見学ツアーは前代未聞だと思います。どうなることやら。

では、明日の朝は早いので、このへんで。また報告します。


外国化する豊橋

2006-11-25 15:47:33 | 故郷
シンガポールの日系の病院の待ち合い室で、たまたまそこに
あった雑誌の日経ビジネスを見ていたら、上のようなページ
がありました。私の田舎は愛知県の豊橋市に隣接している田
原市なので、豊橋市が出ているのに興味を持ち、思わず、デ
ジカメで写真を撮りました。

日本の都市の中で、外国人登録者数の多い都市と、全人口に
対する外国人比率の高い都市のベスト3です。豊橋市は人口
部門で、浜松市に次いで2位となっています。人口比率では
群馬県大泉町が15.8%でダントツのトップです。豊橋市に
隣接する静岡県の湖西市は外国人比率7.9%で、全国3位に
入っています。豊橋市は4.9%ということですが、これもかな
りの比率です。20人に一人は外国人という感じですから、これ
はかなりの数です。

私が住んでいるシンガポールに日本人が3万人くらいいて、
それに観光や出張で来ている人もいるので、あちこちで日本人
を見かけるなと思うのですが、せいぜい1%程度です。4.9%
というのはすごい数字ですね。シンガポールに住んでいる
インド系住民が約8%ということで、シンガポールにはインド
人かなり多いなという印象なのですが、それに近い比率で外国
人が存在しているのですね。静岡県湖西市の比率が7.9%です
から、シンガポールにおけるインド人の比率と同じくらいです。

去年、田舎のお祭りに行くために豊橋の駅前に宿泊したので
すが、駅前の繁華街でかなりの数の外国人を見かけました。
私は高校卒業まで田原にいたし、大学で東京に上京してから
も年に何度か田舎に帰っていましたので、豊橋はいつも通過
していました。

昔は外国人とは縁のない地方都市だったのですが、ここ数年
でどんどん外国人の姿を見るようになっていました。外国人
と言っても、ブラジル人が多いようです。何でこんなに外国
人が多くなったのかと言うと、自動車産業の製造拠点が豊田、
豊橋、浜松地域に集中しているからのようです。自動車の製
造業だと、数多くの外国人労働力が必要なんですね。

うちの田舎の田原市にはトヨタの大きな工場があります。豊
橋を中心に田原からこの一帯が三河港となっていて、自動車
の輸出入は金額、台数とも日本一位ということのようです。
トヨタだけじゃなく、スズキの二輪車の工場は豊川あたりで
すし、三菱自動車の乗用車もかなりこの近辺で製造している。
さらに、フォルクスワーゲングループも豊橋に本社を移して
いるし、ダイムラークライスラー、フォードなども三河港を
使っているようです。

隣の静岡県の浜松市は、スズキ、ヤマハの本拠地であり、
ホンダの工場もあります。もともとホンダは浜松が発祥です。
河合楽器も、ローランドも、浜松ホトニクスも浜松ですね。
浜松は豊橋とは別の県ですが、かなり近い関係です。豊田市
から浜松までの地域で日本の自動車産業のかなりの部分を
担っているようです。またそれを担っているのが、ブラジル
系などの外国人だというのもまたすごいです。

その昔、日本から数多くの人が夢を求めて、ブラジルに移民
していきました。以前、NHKのドラマの「ハルとナツ届かな
かった手紙」を見て、感動してしまったのですが、今の時代
はブラジルから夢を求めて日本に来ている人が増えたのは、
逆説的です。うちの父も、私が子供の頃、「ブラジルに行き
かった」とつぶやいたことを私はまだ覚えています。

いままで外国文化と接触がなかった場所に外国人が増えると
いろいろな問題が起こってきます。行政の問題、教育の問題、
治安の問題、いろいろです。何年か前に、うちの実家の駄菓
子屋に、外国人の二人組が現れ、店番をしていた父に、自動
販売機にお金を入れたのだが品物が出ないので見てくれ、と
言われて、父が外の自動販売機を見に行っている間にレジの
お金をもう一人が盗むというトリックにあったことがありま
した。うちの田舎には、外国人はほとんどいなかったし、
ほとんど防犯意識もなかったので、外国人にとっては、狙い
やすい状況だったのでしょう。

豊橋にはドイツ人の幼稚園や学校ができたという噂を聞きま
した。なんだか急にインターナショナルになってきました。

私はシンガポールに住んでいるので、常にインターナショナ
ルな環境の中にいます。シンガポールも少子化が問題になっ
ていますが、かなり外国人労働力に頼っています。もともと
シンガポールは他民族国家なので、外国人労働者が増えても
ほとんど問題がありません。しかし、日本の地方都市のよう
もともと単民族の地域に外国人が増えた場合、いろいろと
大変なことも多いのでしょう。でも、そういうことを克服し
て、新たな文化が生まれてくるのかもしれません。





オーチャードのイルミネーション

2006-11-24 02:25:14 | シンガポール
シンガポールのオーチャード通りです。昼間見たら、金色の
飾りがあるだけかと思っていたのですが、夜のオーチャード
を通ったら、そのイルミネーションの見事なこと。色はシン
プルな白色光系ですが、アクセントとして赤い光が使われて
います。雨か滝のように光が垂直に落ちているような雰囲気
はなかなか奇麗です。今年のシンガポールのクリスマスイル
ミネーションは灯を垂直に垂れ下がらせたものが多いですね。

この下を車で通ってきたのですが、ああ、何て奇麗なんだろ
うと思って、思わず、車が停まるたびに、写真を撮っていま
した。ぶれぶれの写真も多かったのですが、これはわりと
シャープに写っています。フォトショップでシャープを強調
してあるので、一層シャープな感じになっていますが。
光を強調するため、コントラストは若干きつめに調整して
います。

この光のアーチがオーチャード通りにづっと続いていて、それ
はもう見事です。オーチャードからドービーゴートまでイル
ミネーションが続いていて(これまではドービーゴートの
手前で終わっていました)、そこから先のブラスバサー通りも
ずっと先のほうまでイルミネーションが続いています。ブラス
バサー通りに入るとイルミネーションの色が少し白っぽくなり
ますが、これはこれでとても上品でキレイです。

今日は、リージェントホテルでとある人材派遣会社が主催する
異業種交流会セミナーがありました。邦銀のアジア法人事業部
の人が、「人、金を呼び込むシンガポールのメリットについて」
というテーマでの講演がありました。仕事には直接は関係のな
いテーマでしたが、いろいろ知らなかったことがよくわかり、
とても面白いお話でした。

村上ファンドがなぜ運用機能をシンガポールに移転しようとし
たのか。インサイダー取引が問題となったタイミングとだぶる
ので、海外に逃亡しようとしたのだとか思われがちですが、実
はシンガポールは世界の人と金を呼び込む場所になっているの
ですね。

シンガポールは日本人の数が減っているのかなと思っていたの
ですが、2005年にはぐっと増え、2006年には、日本人の数が
ピークだった1997年の約3万人に戻ろうとしているそうです。
シンガポールに金が集まる理由は、いろいろあるのですが、
プライベートバンキングに関しては、非居住者の預金利息が
非課税であるということで、スイスに次ぐプライベートバン
キングマーケットなのだそうです。

また法人税が年々安くなっていて、企業活動には非常によいし、
シンガポール企業の子会社が海外であげた利益はシンガポール
に持ってこないかぎり非課税という特典もあります。さらに、
2003年より、海外からの配当金、海外支店からの利益送金、
海外から受け取るサービス所得なども一定の条件を満たせば
非課税となったということです。村上ファンドみたいな組織が
さらに金儲けをしやすい感じがしますね。

また、知的財産を守るための環境がシンガポールは整っていて、
安心して企業活動ができるということだそうです。中国や台湾
やタイなどは、知的財産保護に関しては、そんなに安心できな
いという雰囲気がありますが、そういう部分ではシンガポール
はかなり厳しいです。

そんなこともあり、中東のオイルマネーや、インドネシアの
金持ちの金がどんどんシンガポールに流れ込んで来ていて、
スイスのようになっているというのですね。さらにシンガポー
は、地震、台風、洪水、津波、土砂崩れ、などの天災の危険が
ほとんどなく、戦争、暴動、クーデター、テロの可能性も低い
という安全性があります。シンガポールってすごい国なんで
すね。

オーチャードのクリスマスのいるミネーションを見ていると、
これはシンガポールの繁栄を象徴しているようなそんな気に
なってしまいます。この美しい景色をはやく妻の下町娘
に見せたいと思ったのでした。

クラークキーのクリスマス

2006-11-23 00:38:24 | シンガポール
シンガポールのクラークキーの真ん中にあるクリスマスツリー
です。去年からリニューアル工事が進行してきたクラークキー
はすべてが完成し、クリスマスムード満点。今年のクリスマス
デコレーションのテーマは「マルディグラ」。

「マルディグラ」とはフランス語で、謝肉祭のお祭り。アメリ
カのニューオーリンズのマルディグラは世界的に有名です。
去年のハリケーンで大変な被害に会いましたが、ニューオー
リンズのマルディグラは、ブラジルのリオのカーニバルと並ん
で有名なお祭りです。フランス語なのは、ニューオーリンズの
あたりはもともとフランスの植民地だったからなんですね。

ニューオーリンズ(New Orleans)という地名、実は、ニューな
オルレアンなんですね。オルレアンと言えば、あのジャンヌ・
ダルク=オルレアンの少女で有名なフランスの都市の名前なの
です。もともとはフランス語でヌーベル・オルレアンと言われ
ていたそうです。そういえば私、中学生の頃、ジャンヌダルク
がすごく好きでした。リボンの騎士のようなそんなイメージで
捉えてたんですけどね。

さて、シンガポールのクラークキーですが、今はすっかり
リニューアルが終わりましたが、昔ながらの倉庫街を奇麗な
パステルカラーで彩色した街並に、エヴァンゲリオンというか
インデペンデンスデーというか、SFっぽい屋根が通りを覆い、
雨の日でも濡れないようになっています。またエアコン機能も
ついているので、暑い日中でも快適に町歩きができるよになっ
ています。最初はこの人工的な感じがシンガポールの風景に
マッチするのかという不安がありましたが、できてしまえば
全然おかしくないですね。

クラークキーには、レストランやバーがぎっしりありますが、
パリから来た「クレージーホース」や、ロンドンから来た
クラブのミニストリー・オブ・サウンドなどもあり、
アメリカから来たスポーツ系お色気のフーターズ(Hooters)
もあり、雰囲気は何となく無国籍なお祭り騒ぎな感じ。
そういう意味ではマルディグラというクリスマスのコンセプト
も全然違和感がないような気がします。

以前のクラークキーとは全然違います。以前は、ボートキーな
どに比べるとかなり観光地っぽい場所で、サテーとかを出す
屋台があったのですが、今はお洒落です。過去と未来が融合し、
ロンドンとパリが融合し、ローカルとインターナショナルが
融合し、すっかり楽しい異次元空間になってしまいました。
ここで見たこのクリスマスツリーがその楽しさを象徴してます。

クラークキーの英語のサイトがありますので、興味のある方は
そちらをご覧ください。
http://www.clarkequay.com.sg/index.htm

ちなみにキーとは鍵のキーではなくて、Quayと綴って、埠頭
とか岸壁の意味なんですね。シンガポールリバーは、昔は
荷揚げの場所で、ボートキー、クラークキー、ロバートソン
キーなど埠頭の倉庫街がありました。今やシンガポールリバー
は観光用のリバーボートしか行き来しませんが、その昔は港
街だったのですね。

今はシンガポールの荷物はコンテナになり、コンテナ基地は
シェントンウェイのはずれからウォーターフロントにかけて
の地区になっています。

シンガポールはどんどん変わっています。変わるのは寂しい
部分もあるのですが、楽しい部分のが多いのがシンガポール
のよいところかもしれません。守るべき歴史もそれほどない
シンガポールは変化するのも自由なのです。

シンガポールのスポーツ

2006-11-20 02:46:17 | シンガポール
今週は、お天気もよかったので、シンガポールのイースト・
コースト・パークに行って、ローラーブレードをしてきまし
た。上の写真は、イースト・コースト・パークで見かけた
二つのポスターです。ひとつは、11月26日開催予定の、
Women on Skatesというイベントのお知らせ。そしてもう一
つは、12月3日開催のシンガポール・マラソンの告知です。

まずは左のWomen on Skatesというポスターです。最近、
どういうわけか女性にスポーツをするようにしむけるキャン
ペーンが盛んに行われています。シンガポール・スポーツ
カウンシルという組織がスポンサーをしているようなのです
が、今回特にフィーチャーされているのがローラーブレード
なのです。これは何か戦略的な背景があるんでしょうか?

このイベントのウェブサイトは、http://www.skateline.com.sg/
です。これはインラインスケートのショップのSkatelineの
サイトですが、実は私はこのショップのメンバーで、この土
曜日に、パヤレバの本店で、ホイール(タイヤ)と、ベアリ
ングと、手と膝のプロテクターを買ったばかりです。

私はローラーブレードは20年くらいやっているのですが、
最初は元祖ローラーブレード社のものをアメリカのニュー
ヨークで買って、何年か使っていたのですが、次に日本で
Salomonのシューズに買い替えました。そして2001年にニュー
ヨークに出張に行ったとき、K2というブランドの靴を買いま
した。(同時多発テロの一月前のことでしたが、このことは
また別の機会に書きたいと思います)

シンガポールでK2の製品を取り扱っているのがこのSkateline
というショップなので、ホィールなどこちらで買っています。
私の場合、スタントとかスラロームとかはまったくやらず
ひたすら前に走るだけです。早く楽に走るためには、ホィール
は大きくて硬いほうがよいのですが、硬くなると、地面との
接触が安定感がなくなり、小技が効かなくなります。スピード
が出た状態では安定しているのですが、ちょこちょこっと歩い
たりしようとするとよろけてしまいます。

ちなみに今私が使っているのは、ホィールの直径が80ミで、
硬さは82です。ちょっと走ると、すぐにホィールの内側が磨り
減ってしまうので、硬いのがいいのですが、硬いと、お店に
水を買いに寄ったりする場合によろよろしてしまい、非常に
不安定な感じになってしまうのが問題です。

シンガポールのイースト・コースト・パークでは、数年前は
ローラーブレードをやっているのは、白人の人が多かったので
すが、今は、かなりローカルの人の比率が高くなってきました。
ここで気になるのが、シンガポールのスケーターたちが、プロ
テクターをあまりしていないということ。これはかなり危険で
す。路面がコンクリートなので、ちょっと転んだだけで、膝と
か手を擦りむいてしまいます。シンガポールの人たちは、プロ
テクターをつけるとカッコ悪いと思っているのかもしれません
が、上手い下手に関係なく是非つけてほしいものです。

上のポスターの4人の女性は、きちっとプロテクーを付けてい
ます。ヘルメットまでかぶっていますね。ここまでいけば完璧
です。私がニューヨークのお店で初めてローラーブレードを買っ
た時、店員の人は、最低限、手と膝だけは付けたほうがいい。
エルボウとヘルメットはなくてもいいけれど、とアドバイスし
てくれました。自分の技術がまずくて転ぶということもあるの
ですが、突然飛び出してきた子供を避ける場合にやむなく転倒
するとか、転倒する可能性はいくら上手くなってもいっぱいあ
ります。ですので、プロテクターは、きちっとつけてほしいで
すね。

シンガポールのイースト・コースト・パークは、それほど起伏
がないのですが、でも久々にすべるとちょっと足腰が疲れます。
以前、出張でニューヨークに行ったとき、セントラルパークで
滑っていたのですが、一周すると数キロから10キロくらいになる
コースは起伏にとみ、上り坂はへとへとでした。逆に長い下り
坂では、スピードが出過ぎて、スキーの直滑降のようになりか
なりのスリルでした。シンガポールでは、そういうスリルは味わ
えませんが、海を見ながらというのはまた気持がよいものです。

で、右側のシンガポール・マラソンのポスター。これは香港系の
スタンダード・チャーター銀行が主催している毎年おなじみの
イベントです。この銀行は、シンガポールだけじゃなくて、バン
コク・マラソンとか、ムンバイ・マラソンなどもスポンサーして
いるみたいです。よっぽどマラソン好きの銀行のようです。

このポスターが何故気になったのかと言うと、ポスターとして実
によくできているなと思ったからです。写真は、普通の参加者が
力を振り絞って完走してゴールしている瞬間。やらせの写真では
ない真実味があります。そしてなによりもこのコピーがよいです。
You finished 1,409th
We see a winner

あなたは1409位でフィニッシュ。ここに我々が見るのは勝者です。
日本語に訳すと、あまりカッコよくないですね。英語でこのコピー
を見たときは、これすごくいいなと思いました。

普通、勝者と言えば、マラソンの1位か、あるいは上位入賞した
選手。でもこのコピーは、順位は関係なく、たとえ最下位だったと
しても、その人の目標が、マラソンを完走するということだったら、
目的を達成したということで勝者になれるのです。一位にならなく
てもいい。自分なりのレースの勝者になればいい。こういうふうに
言われると、ベテランの人でなくても、参加してみようかなと思う
のだと思います。そういう意味ではこのコピーはかなり成功してい
るのだと思います。

私と妻は、去年の12月にハワイで結婚式を挙げたのですが、その直
後にホノルル・マラソンがありました。私達はマラソンなどは全く
自信がなかったので、レースデー・ウォークという10キロだけ歩く
というのに参加しました。マラソンの人と同じスタートから出発し
て、マラソンのゴール地点まで歩くのですが、これを歩いたという
ことだけで、勝者になった気持でした。マラソンのフィニッシャー
の人たちには顰蹙をかいそうですが、とにかく一つのことをやりと
げたというのはすごい満足でした。しかも結婚式の後の初めての
共同作業がレースデーウォークだったので、その喜びはひとしおで
した。

ホノルル・マラソンのスピリットも、参加した人すべてがそれぞれ
勝者であるということだと思うのですが、シンガポール・マラソン
のこのポスターの短いコピーにそれと同じようなスピリットが感じ
られて感動したのでありました。私は参加はしませんが、参加する
人たちを応援してあげたくなりました。みんながんばれ!


ラッフルズホテルと作家の人たち

2006-11-19 08:59:48 | シンガポール
ラッフルズホテルのクリスマスの飾り付けです。もうちょっと
早い時間に撮影すればもっと美しかったかもしれないのですが、
このホテルのクリスマスの飾り付けは、とてもエレガントです。
正面玄関の飾りは左右対照に配置されていて、その上品さは
見事です。

このホテルは、サマセット・モームなどの作家が滞在したホテ
ルとして有名です。このホテルの正面入り口を入った内側の右
側にWriters' Barという小さなバーがありますが、20世紀の初
頭にイギリスからこの南国に立ち寄った作家たちがいた頃の雰
囲気を漂わせています。

先週は、バンコクのオリエンタル・ホテルに寄ったのですが、
オリエンタル・ホテルも作家たちが滞在していました。サマ
セット・モームはそっちにも滞在していたのですね。かの
三島由紀夫もここで『豊饒の海』を書いたとか言われています。
この作品は四部からなり、第三部がバンコクが舞台です。
三島由紀夫は市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹自殺したの
ですが、それはこの作品の第四部を入稿した日であったとか。

作家の話になったついでに、私がこれまでに実際に接触のあっ
た作家先生の話をしてみましょう。作家というジャンルではな
く本を出している人ということでいうと、まずは渡部昇一先生
ですね。この人は、大学の時に英語学とかの授業を受けたので
すが、当時は『知的生活の方法』というのがベストセラーに
なっていました。この先生は、いろんなジャンルの本を出して
いるのですが、大島淳一という名前で出ている
マーフィーの法則関係の本は、実は渡部昇一先生の別名だとい
うのを本屋でたまたま買った本で最近知りました。

大学時代、辞書で有名な金田一春彦先生の国語の
授業も受けたことがありました。漫才のように面白い授業でした。

ピーター・ミルワードさんも、いろいろ本を出されていますが、
この人の授業もとっていましたね。そういえばこの人の本に
挿絵を描いてあげたことがあります。

外山滋比古さんは、文化人でこの人もいろいろと
本を書かれていますが、この人は愛知県出身なので、学生時代、
東京の愛知県人寮のパンフレット用に原稿を依頼したことがあ
りました。会ったことはありませんでしたが、この人から手紙
をいただきました。

こんな感じで書き始めてみたら、何だか自慢話みたいになって
しまいましたね。もうしばらく我慢してください。

小説家で。はじめて会った人は坂上弘さんです。
この人は、普段はとあるメーカーで広報の仕事をしていて、
うちの会社のクライアントでした。私が会社に入ったばかり
の頃、坂上さんとは仕事で何度かお会いしました。もの静か
ではありましたが仕事には厳しい人でした。この人の小説を
何冊か読みましたが、割り切れないような不思議な読後感の
ある話が多かったと思います。

今をときめく文化人となってしまった感のある都築響一君
大学時代の同級生です。同じクラスで英文学を学んでおりま
した。彼の家には遊びに行ったことも何度かありました。SPA
で連載していた珍世界紀行のマレーシアの『不倫博物館』と
『昆虫博物館』は私が情報提供したものです。

学生時代、私はシェイクスピア演劇をやっていたのですが、
その劇団の後輩だったのが、詩人の四元康裕氏です。
彼は学生時代から詩を書いていましたが、今や詩人となって
しまいました。まだドイツに住んでいるのかな?うちの東京
の本社から、雑誌に発表された作品など送ってもらっている
のですが、いろいろ活躍されているみたいですね。

この間、別な人と話していたら、シェイクスピア劇団の先輩
で作家になっている人がいるという話で、それが諸田玲子さん
でした。江戸時代ものの作品で有名です。この人にはどこか
でお会いしています。飲み会だったかもしれませんが。今や
売れっ子作家になっていたのですね。びっくりしました。

あと、シンガポールに講演会で来られた作家は、堺屋太一
さんと、幸田真音さんでした。実際にお会い
したりすると作品が身近になります。

これだけでもいろんな作家の人と接点があることになります。
私の場合、そういう接点から、その人の作品に入ることが多い
ので、読書傾向としてはかなり偏っています。数年前から私が
好きな作家は、中国の古代歴史もので有名な宮城谷昌光さん
ですが、実はこの人も田舎が愛知県の東三河という接点があり
ました。それは本を何冊か読んだ後はじめて知ったのですが。

ラッフルズ・ホテルの話からいろいろ広がってしまいました。
私もシンガポールを題材に何か書くか?と思ってもなかなか
時間がとれないし、才能もないのが問題ではありますが。

シンガポールのボジョレーヌーボー

2006-11-18 01:24:45 | シンガポール
11月16日の木曜日はボジョレーヌーボーの解禁日でした。日本
では、毎年おなじみのこの特別な日も、シンガポールでは全く
もりあがっていない感じです。その日、日系のスーパーに行って
みたらボジョレーヌーボーがいっぱい置いてありましたが、
買っているのは日本人だけで、この売れ残ったワインはどうす
るんだろうかという余計な心配でいっぱいになりました。

日本は、この日はお祭り騒ぎで、かなりの人がボジョレーヌー
ボーを買ったのではないかと思いますが、シンガポールにいる
私もハーフボトルを一本買ってしまいました。去年も飲んだの
ですが、安いボジョレーヌーボーはそれほど美味しくもなく、
こんなのをありがたがっている日本人は、騙されているのかと
思いたくなります。

私はワインにすごい詳しいわけではないのですが、おいしい
ワインというのは何となくわかります。ボジョレーヌーボーは
今年とれたての新酒だけに、味わいがあまりありません。しか
も海外に大量に輸出されてくるこのワインがどれほどの品質の
ものなのかはわかりません。


では、今日はこのへんで失礼します。
昨日の解禁日当日に、ボジョレーヌーボーを飲みながら、この
ブログを書いていたら、途中で酔って眠ってしまいました。
この記事は解禁日当日に書くから意味があるのであって、一日
遅れてしまったら全然ダメですよね。

今日また、その日系スーパーに寄ってみたら、ボジョレーヌー
ボーが山のように売れ残っていました。これどうなるんでしょう。
本当に心配です。

ボジョレーヌーボーと言えば、20年近く前、出張でパリに行った
とき、偶然にもボジョレーヌーボーの解禁日でした。お客さんと
一緒に行ったのですが、到着してすぐ、レアール広場のフランス
料理屋に行きました。フランスなので、わざわざスランス料理と
言うのもなんですが、以前そのあたりに行ったことがあったので
また行こうと思ったのです。

夕方のレアール広場は、ボジョレーヌーボーのお祭りさわぎで、
店の前に置かれた大きなワインダルが開いていて、レストランの
お客には無料でふるまい酒がでました。その時飲んだボジョレー
ヌーボーの味は、とてもさわやかでおいしいという気がしました。
日本とかに空輸されてくるのは、それに比べたら、いまいちです。
おそらく空輸やら防腐剤やらでパリの味とは違っているのでしょう。

しかしまあ何でボジョレーのワインだけをありがたがるのでしょう。
その他の地方のはどうなんでしょう。カリフォルニアや、オースト
ラリアなんかではヌーボーはないのでしょうか?でもそもそも
ワインというものは、その年に穫れたワインを無理して飲まなくて
も、熟成したほうがおいしくなるというのがわかっていながら、
何故のヌーボーなのでしょう。






ブログを書き始めてはや一年

2006-11-16 00:04:27 | シンガポール
こちらの写真は、シンガポールのラッフルズシティのクリス
マスツリー。去年のは非常にシックで、うちの妻が選ぶクリ
マスツリー(シンガポール内)のナンバー1だったのですが、
今年はどうなんでしょう。大きさは毎年大体同じくらいです
が、今年の色は、これ何色というのでしょうか?ケミカルな
グリーンとピンクのリボン。この色彩は、何とも表現しづら
いのですが、ポップアート的というか、ビエンナーレの影響
かもしれませんですね。

2週間前くらいに工事しているのを見ていたのですが、大き
なクレーンで、作っていました。リボン飾りが下のほうだけ
についていて、上のほうはシンプルなグリーンのままなので、
これはまだ何か途中なのかなと思っていたら、これが完成の
ようですね。ちょっと何か中途半端というか、あまり意図が
よくわからないというのが正直な感想です。

この写真を見てあらためて思ったのですが、これって玩具の
クリスマスツリーを巨大化させたイメージなのかなという気
がしました。小さなミニチュアのクリスマスツリーでこうい
う人工的な色彩の物を見た記憶があります。それってこうい
う色だったかなという気がします。

このラッフルズシティのクリスマスツリーは毎年、結構がん
ばっていて、評判が高いのですが、今年はどうなんでしょう。
夜になるとこの木全体が電飾で光るので、また違った雰囲気
なのでしょうが、私は隣のラッフルズホテルのようなシンプ
ルな飾りつけのほうが好きであります。ラッフルズの飾りつけ
はまたの機会にご紹介します。

こうしてブログを書いているうちに、今月ではや一年がたち
ました。早いものです。とりあえず、時代に乗り遅れてはい
けないと思い、何の計画もなくブログを開設しました。本当
に右も左もわからなかったのですが、何とかここまで続ける
ことができました。これもひとえに皆様のおかげで~す。

去年の11月頃を振り返ってみましょう。一年前なのに何だか遠
い昔のような感じです。まだホリエもんがばりばりでした。
衆議院選挙に立候補して負けてもくじけずに、企業買収をし
ておりましたね。村上ファンドの村上さんもばりばりでした。
まさか二人ともこんな結末が来ようとは思ってもみなかった
のではないでしょうか?何だか遠い歴史上の話しのような気
がしますが、ついこの間の出来事だったのですね。

去年の11月頃と言えば、耐震強度偽装事件の姉歯さんが話題
になりだしたのもこの頃からです。あれから続々と、いろん
なキャラクターが芋づる式に登場したのですが、一年前とは
いえ、何だかすごい時代だったのですね。皆さん、どうして
いるのでしょうか。姉歯さんの奥さんは自殺してしまったの
でしたね。何ともいたましいです。

村上ファンドの村上世彰さんは、今年の中頃、シンガポール
に会社を設立し、こちらに移住しようとしたのですが、すぐ
にニッポン放送株にからむインサイダー取引の疑惑で、せっ
かくのシンガポールライフが実現しなくなってしまったのは
可哀想でした。本当だったら今頃は、シンガポールでクリス
マスのイルミネーションをあのぎょろっとした目で眺めなが
ら、さらなる金儲けを考えていたのかもしれないかと思うと
切ない気持になります。

私は去年の11月頃と言えば、12月初旬のハワイでの結婚式を
控えておりましたので、公私ともにバタバタしておりました。
12月の私のブログはハワイでの結婚式のことでいっぱいです。
結婚式までのカウントダウンはちょっとスリリングでした。

この一年間、私の人生でもいろいろなことがありました。12
月にハワイで結婚式をしたかと思えば、今年の3月5日、私
がたまたま日本に帰っている間に母が逝去しました。それか
ら立て続けに経験する法事は、自分にとっては慣れない経験
でした。通夜、葬儀、初七日、四十九日、今年法要のために
何度もシンガポールと愛知県の田原を往復しました。それか
ら5月、東京で私の結婚披露宴をしました。この一年で冠婚
葬祭を一気に経験しました。

この年になってはじめて経験することばかりでした。8月は
母の初盆でした。9月には入籍をしました。私のブログの一年
は、私の人生の中でも最もいろんなことのあった一年でした。
ちょっとあまりに起伏に富んでいるので、何だかできすぎた
物語のように聞こえるかもしれませんが、全部真実なのです。

シンガポールでは、現地人の結婚式にはじめて出席しました。
去年の10月と11月にはマレー式の結婚式、そして今年の11月
4日には中国系の結婚式がありました。この十年近くの滞在の
中で、結婚式に出席したのははじめての経験でした。

この一年、本当にブログをやっていてよかったなと思うのは、
その時々の記録が残っていることです。私は日記をまともに
つけたことはありませんでした。三日坊主です。ブログが
三日坊主で終わらなかったことは奇跡です。おかげでこの
一年を振り返ることができます。ブログっていいですね。

これから先、まだまだブログは続きます。今後ともよろしく
お願いいたします。

クリスマスのシンガポール

2006-11-15 00:59:08 | シンガポール
シンガポールは、街中がすでにクリスマスのイルミネーション
です。それまで、インドのディパバリや、イスラムのハリラヤ
の飾り付けが華やかだったのですが、11月に入って、街は一気
にクリスマス一色となっています。

この上の写真はいつもおなじみのシンガポール高島屋のロビー
のクリスマスツリー。吹き抜けのスペースにそびえるこのツリー
はいつもと同じ形ですが、定番という感じで見事です。

今年のオーチャード通りのテーマカラーはゴールド。ちょっと
シックな雰囲気です。通りによって雰囲気は違うのですが、
うちの会社があるシティーホールの近くは、緑と赤の飾り付け
です。去年は、この近くはそんなに飾り付けはなかったような
気がするのですが、今年は気合いが入っている感じです。

ところで、とある最近の調査で、各国のナイトライフ&ダイ
ニング部門で、シンガポールが第二位にランクされたそうです。
一位はイタリア、三位はアメリカ、以下、英国、タイ、日本と
いうランキング。さらにショッピング部門でもシンガポールは
米国についで二位というハイスコア。

シンガポールは、クラークキーなどもリニューアルされたし、
レストランやバーの数は人口の割にはかなり多い感じです。
観光で来たひとには楽しめる場所が多くなったような気がします。

今年で、シンガポールに来てからはや10回めのクリスマス。
10年一昔とは申しますが、もうそんなにたってしまったとは
ちょっとびっくりです。

バンコクでの国際会議

2006-11-12 08:59:43 | アジア
木曜日の午後からバンコクに来ていました。広告代理店の世界
的なネットワークのアジア地区の会議がバンコクのJWマリオッ
トホテルでありました。30人近くの会議でしたが、日本人は私
と、もう一人は日本から参加したのが一人だけで、あとは、い
ろんな国の人間でした。会議の言語はすべて英語。これにただ
参加するだけでなく、日本人の私がこの会議を仕切らなければ
ならなかったので、ちょっとプレッシャーがあったのですが、
昨日ですべて無事に終了したので、ちょっとほっとしていると
ころです。

私はもともと、会議を仕切ったりするのは苦手なほうなのです
が、ほとんどが外国人という状況は、しかもアジア人だけでは
なくて、イギリス人、アメリカ人、フランス人などもまじって
いるというのは、かなりハードルの高い仕事でした。いろんな
なりゆきで、二日間の会議の幹事から、司会までやるはめになっ
てしまったのですが、何とか片付いたのは、奇跡的なことのよう
に思えます。

人種の違いを超えて、英語がうまいか下手かということを超え
て、日本人でもこういうことを、やればできるのですね。まあ
たしかに完璧でないところも多々あったのですが、終わって
よかったです。

ということでバンコク滞在中はブログの更新ができませんでし
た。今日、シンガポールに戻ります。バンコクは、とてもいい
天気です。ではまた。


ヤクン・カヤトーストのロイ会長

2006-11-02 00:20:14 | シンガポール
今日、たまたまジェトロ(日本貿易振興機構)主催の「対日
投資シンポジウム」がシンガポールのインターコンチネンタル
ホテルであり、それに出席してきたのですが、そこでヤクン・
カヤトーストの会長(Executive Chairman)のエイドリン・ロイ
(Adrin Loi)氏のスピーチを聞くことができました。

エイドリン・ロイ氏は、早口で情熱的にヤクンの日本進出に
ついて語りました。起業家として著名なロイ氏は、外見的には
知的でスマートな野心家という感じではありません。むしろ、
素朴で、夢にあふれた田舎のおじさんという感じです。でも
その話しはとても魅力に溢れたものでした。カリスマ経営者と
いう雰囲気ではないのですが、人間的には魅力のある人という
感じがしました。私は、偶然、ロイ氏と握手できたのですが、
これで運をわけてもらった気がしました。

ヤクン・カヤトーストは、先月、東京の豊洲ららぽーとに日本
初進出しました。今回、その経緯が聞けて、すごく嬉しかった
です。私の妻は、東京の江東区に住んでいて、ヤクン
のカヤトーストが同じ江東区の豊洲ららぽーとに出店すること
は早くから情報をつかんでいたのですが、ヤクン・カヤトース
トが日本に出店する背景がどういうことなのか知りたがってい
ました。

「ひょっとして、シンガポールに来てヤクンのカヤトーストの
虜になった日本人が、日本に誘致したのかしら?」と彼女は推
理していました。私も、それがよくわからずに、ずっと疑問に
思っていました。それが、今日のエイドリン・ロイ氏の話しで
よ~くわかりました。

何と、彼が日本に進出したいと思い、日本でのパートナーを見
つけて、今回の日本進出を実現したということです。2000年に
シンガポールのラウパサからファーイースト・スクエアに店舗
を移転したヤクン・カヤトーストは、2001年からつぎつぎと店
舗の数を増やしていきます。現在、シンガポール内には24店舗、
インドネシアに11店舗、台湾に6店舗、韓国に2店舗を持って
います。日本への進出は、この海外展開の延長上にある必然的
な目標だったわけです。

彼は、シンガポール企業の海外進出を助けるIEシンガポールに
コンタクトします。そこでマルハレストランシステムズの小島
由夫社長
を紹介されます。それは2005年の1月のことです。
翌2月、エイドリン・ロイ氏は、ジェトロ主催の日本市場視察
ツアーに参加します。7月、マルハレストランシステムズがIE
シンガポール主催のツアーでシンガポールを訪問します。こう
して、ヤクン・カヤトーストと、マルハレストランシステムズ
の関係が強化されていきます。

マルハレストランシステムズという会社はレストランワンダー
ランド
という名前で、いろいろな店舗展開をしているので
すね。タイスキのコカ・レストランもこの会社がやっていたの
ですね。他に、ピッツェリアのラ・マレンマ、タイ料理のMango
Tree Tokyoなどを展開しているようです。

日本進出にあたって、エイドリン・ロイ氏は、パンは空輸すると
値段も高いくなるし、品質劣化してしまうので、同じ製造法で
日本で製造することにしたと言っていました。ヤクンのビジネス
モデルとレシピはシンガポールできちっとしたものができている
ので、それを日本の風土で再現させたと言っています。またコー
ヒーなども、他のコーヒーチェーンでやっているようなボタンを
おして機械でコーヒーを作る方法ではなく、あくまでも心の籠っ
たマニュアルな入れ方と強調しておりました。

今後2年間に東京であと5店舗オープンし、それから地方都市に
展開していく予定であると語っておりました。ロイ氏は福岡とか
神戸とかも視察ツアーの時訪問していますので、いずれは各地に
ヤクン・カヤトーストの店舗ができる日が来るのかもしれません。

「日本に進出するのはいつがいいタイミングなのか」という質問
に対して、ロイ氏は「タイミングはいつでもいい、あなたが準備
できていれば、いつでもベストタイミングだ」と答えていました。
その言い方がカリスマっぽいですね。

ヤクン・カヤトーストはシンガポールでは、かなり
大衆的な食べ物です。これが日本の風土に定着していくかもしれ
ないと考えると、本当に世界はグローバル化しているのだなあと
思います。