南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

むかしむかしシンガポールは

2006-10-12 00:54:56 | シンガポール
今日の昼休み、ちょっとラッフルズホテルの3階のミュージ
アムまで行ってきました。昨日ブログに書いた、サマセット
モームがシンガポールに来たのがいつなのか手がかりはない
か探そうと思ったのです。彼の写真もあり、最初に来たのは
1921年、その次は1926年だというのがわかったのですが、
それよりも私が興味を持ったのは、そのミュージアムに飾ら
れていた昔のシンガポールの地図だったのです。

そういえば私は地図を見るのが好きでした。最近はあまり見
ていませんが、小学校の頃からしょっちゅう地図を見ていま
した。国土地理院発行の5万分の1の地図から、日本地図、
世界地図まで、地図ならなんでもよかったのです。地図を見
ると楽しくてしょうがありませんでした。

そんな私なので、このミュージアムで見かけた古いシンガ
ポールの地図に釘付けになってしまいました。自分が今いる
街、シンガポール。昔から変わらない部分もあれば、まるっ
きり変わってしまった部分もあります。主要な通りは、今も
大体同じ感じです。ノースブリッジ・ロード、ビクトリア・
ロード、スタンフォード・ロードなど変わっていません。
教会なんかも今も同じ場所にあります。

しかし一番びっくりする衝撃の事実は、ラッフルズ・
ホテルがオーシャンビューであり、ビーチロードが
本当にビーチ沿いの道であったという事実。この地図を見る
とビーチロードは、ワイキキのカラカウア通りのように海沿
いを走っています。そしてラッフルズホテルが、ワイキキの
ハイアットリージェンシーか、モアナサーフライダーのよう
にビーチの真正面。その昔、ラッフルズホテルの前のビーチ
はどれくらい奇麗だったのかわかりませんが、この地図を見
ると、このあたりはかなりクリーンで、奇麗だったのではな
いかと想像されます。

今はラッフルズ・ホテルはかなり内陸にあり、ビーチとは全
く縁がないような立地になっていますが、この地図を見ると、
マリーナスクエアとかサンテックの一帯は全く存在していな
いのですね。このあたりがすべて後の時代の埋めたてにより
増えた土地だというのがわかります。

今は高層ビルやホテルが立ち並ぶ一帯が昔は海だったという
のは想像がつきません。これはちょっとびっくりです。でも
ラッフルズ・ホテルの立場にたってこの埋め立てを眺めると
海岸線がどんどん遠のいていくのは、かなり悲しい現実だっ
のだろうなと思うのです。

去年、ハワイのモアナ・サーフライダーに泊まったのですが、
もし、あのホテルの海側が埋め立てられていったら、こりゃ
そのホテルにとってはとんでもない問題になるんだろうなと
思いました。今でこそ我々は、ラッフルズ・ホテルはそうい
う場所にあるホテルだと納得しているのですが、その昔は道
の向こうに広い海が広がっていたんですね。それを失うのは
とても辛いことだったんじゃないかと思います。

この地図の右上のほうに私が青の線で囲った一角があります
が、ここは今はパルコ、インターコンチネンタル・ホテル、
西友などがあるあたりです。ここは以前のブログにも書いた
とおり、昔、日本の花街があったあたりです。この近くの
ミドルロードあたりは日本人街であったようです。

また、昔の文献によく出てくるチャイナタウンは、今の場所
ではなくて、このあたりにあったようですね。道路は変わら
なくても、シンガポールの街はかなり変化していたのですね。

この地図を見ていると、昔のシンガポールが見えてくるよう
な気がしてきます。ちょっときりがなくなるので、今日は
このへんで。