南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

部屋の窓から海峡を望む

2009-11-17 00:57:30 | HONG KONG
家の窓から撮った写真です。香港島のアパートから海峡を越えて
九龍側が見えます。カオルン・シャングリラあたりの建物が見え
ているのですが、建物全体がクリスマスのイルミネーションに
なっています。その前を、豪華客船がゆっくりと通り過ぎて行き
ます。まあ、なんてロマンチックな景色なんでしょう。こんな
景色を見ながら、ジャズのCDをかけて、ブランデーグラスを
傾けると、石原裕次郎になった気分です。が、ブランデーグラス
はこの家にはなく、コーヒーカップ。そしてブランデーではなく
今宵はホットミルクです。

対岸の建物のイルミネーションはとても奇麗です。

サンタクロースだとかが奇麗に光で描かれていて、これがまた
色がいおいろと変化するのですね。

ところで香港は急に寒くなりました。この間の土曜日、夕方ま
で家にいて、買い物にでかけようと半袖ポロシャツのまま外に
出たら、寒~い!外に出たら、みんないきなり冬の装いじゃ
ないですか!ダウンジャケットを着ている人や、マフラーを
している人もいます。地下鉄の中でみたら半袖の人間は私だけ。
それと白人のマッチョ系の人がTシャツでいるのが見えたくらい。

ちなみに今日の最低気温は7度?これって東京より寒くない?
週末には最高気温は20度くらいになるみたいなんですが、今日
の最高気温は12度。ちょっとこれいきなり寒すぎです。
なんでちょっと風邪気味です。

香港は暖房設備がないのでこういうとき厳しいです。オフィス
や地下鉄は暖房ではなく相変わらず冷房が効いているので、
会社の中ではしっかり防寒が必要です。家では、エアコンは
冷房のみで暖房はきかないので、これまた辛い。2年前に
オイルヒーターというのを買いましたが、そろそろこれを使う
しかないかなあ。何か寒さが急に来たのでびっくりです。
暖かくして早く寝ましょう。

『神田川』に見る男のやさしさ

2009-11-16 00:10:20 | Weblog
舌津智之氏の『どうにもとまらない歌謡曲』(晶文社)という本
に、かぐや姫の『神田川』に関して述べた一節があります。

貴方はもう 忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして


という歌いだしの歌なのですが、この歌で歌われている「やさ
しさ」に関して、舌津氏は次のように述べています。

彼は、「一緒に出よう」と約束した銭湯で「いつも」
恋人を待たせ、自分が遅れて出てきても、詫びることさえしない。
相手の体が「冷たい」とわかっていながら行動を改めない男の
方こそが、よほど無神経に冷たいのではないか。銭湯通いをして
いれば、男風呂から「◯◯子~、出るぞぉ!」という声に、壁越し
の女風呂から「はぁ~い」という声が返るような場面にも遭遇
するだろうし、石鹸をカタカタ鳴らすような事態を避けるための
手続きはいくらでもあるはずだ。戦後の歌謡史を歌詞から読み解く
村瀬学の言う通り、この歌に描かれるのは、「約束を守らないずい
ぶんと身勝手な男」であり、語り手の女性は、「この男の『やさ
しさ』のうさん臭さ」を熟知していたと考えるべきだろう。つまり、
「私」が「怖かった」のは「やさしさ」と(それこそやさしく)
言いかえられた男の「身勝手」や「無気力」や「甲斐性のなさ」
であったかもしれないのだ。


一見、貧しいながらもささやかな幸せを歌っただけかに見える
この『神田川』の歌の中に、そんな複雑な状況が潜んでいたの
ですね。この著者の舌津さんの読み方が正しいとは限らないの
ですが、この『神田川』の歌詞の中には、たしかにひっかかる
部分があったのも事実です。

東京の神田川沿いの下宿に二人は住んでいました。神田川とい
う川は東京三鷹市吉祥寺の井の頭池が源流で、杉並区の久我山、
高井戸、下高井戸、永福、和泉、方南町、中野区の中野富士見
町を通り、新宿区と中野区の境界線を東中野から下落合、そし
て高田馬場から早稲田を通り、江戸川橋、飯田橋、水道橋を
経て、お茶の水から秋葉原、そして最後に浅草橋で隅田川に
合流するという川です。この川沿いにはいくつもの大学がある
ので学生たちにとっては、思い出の深い川です。この歌の中の
下宿がどの辺りの場所なのかは特定できないですが、神田川と
いうだけで、学生時代のノスタルジーを感じてしまいます。
私は、神田川沿いには住んではいなかったのですが、神田川
沿いの地名はどこも懐かしい感じがします。

三畳一間というから最低限の住環境です。風呂も台所もなく、
トイレは共同であったのでしょう。二人は結婚していたわけ
ではなく、「同棲」をしていたのです。この『神田川』の歌
が発表されたのは1973年であり、この歌詞の内容は過去の
追憶なので、60年代後半から70年の初頭と推測されます。
東京大学安田講堂占拠のあったのが1969年なので、その前後
の学生運動が激しかった時代だったのだと思います。

「若かったあの頃 何も怖くなかった」という歌詞を聞くと、
無謀に体制に反抗していた学生達のイメージを思いだします。
私が大学生になった頃は、学生運動がほとんど下火になって
いました。田舎で育った私が記憶している学生運動は、
ニュース映像で見るモノクロの映像です。小学校から中学の
あたりの私は、子供ながらに、ああいう闘いはよくないなと
思っておりましたが。

『神田川』の歌詞の中で、「いつも私が待たされた」という
フレーズが出てきます。普通、待たすのは女性のほうで、男
のほうが女性を待たすというのはちょっとおかしいだろうと
思っていたのですが、当時の若者は男は長髪が普通だったの
ですね。ビートルズや、ヒッピーの影響、グループサウンズ
の時代であったので、学生も長髪が普通でした。だから銭湯
でも洗髪するのに時間がかかるという事情もあったのでしょう。

しかし、女性よりも時間がかかったというのは、洗髪だけが
理由ではないはず。おそらくこの男は、湯船に長く浸かること
が好きなのであり、女性を多少は待たせても平気という傲慢さ
があったと見るのがよいのでしょう。今の時代から見ると、
ちょっと理解しがたい状況ですね。だいたい銭湯というのも
理解できない人々も多いんじゃないかと思いますが。

「貴方は私の体を抱いて 冷たいねって言ったのよ」
という歌詞のこの「冷たいね」という男の台詞。これも謎です。
おそらくは、「洗い髪がしんまで冷え」ている女性の体が
冷えているという物理的な状況しか考えていないのだと思いま
す。それ以上の思いやりは表現しない。そういう時代だったの
だと言えばそうなんですが、この場合まさか男が、「愛する
女性を待たせてしまうなんてぼくって冷たいね?」という意味
で「冷たいね」と言ったのではないということは確かです。
ましてや、「一人で先に出て、寒い外で一人で待っているなん
て、君は冷たいね」という意味でもないでしょう。

男には舌津氏が言うように、そこまでの深い思いやりはなかっ
たのではないかと思います。それでも、女性は彼の「やさしさ」
を感じていた。とすればその「やさしさ」とは何だったのか?
「猛烈からビューティフルへ」というコピーが流行っていた
その頃、「やさしさ」が流行っていたこともあるのでしょう。
でもその「やさしさ」に対して、女性は危惧を感じていたので
しょう。

「貴方はもう捨てたのかしら 24色のクレパス買って」という
歌詞が出てきいます。この文章から推測すると、この二人は
既に別れていると思われます。この同棲生活を経て、幸せに
結婚をしたというイメージはありませんので。ところでこの
「クレパス」という名称は、株式会社サクラクレパスの登録
商標だったのだそうですね。貧しい生活だったのにクレパスを
買って絵を描いていた。男は別に絵が得意なわけでもないのに
クレパスを買って、彼女の似顔絵を描こうとしていた。
「うまく描いてねって言ったのに いつもちっとも似てないの」
という彼女の言葉。男はどんな気持ちで彼女の似顔絵を描いて
いたのでしょうね。

テレビもパソコンも携帯電話もなかった時代。男は、唯一の
贅沢として、クレパスを買ったのでしょうか?
「貴方は私の指先見つめ 悲しいかいって聞いたのよ」
という歌詞。男はどういう気持ちで「悲しいかい?」と言った
のでしょうか?よほど追い込まれていたのでしょうか?それに
対して女性は、「いいえ、貴方がいるから幸せ」と答えたので
しょうか?こんなことを考えているうちに夜は更けていきます。

「怒り」について考えてみました

2009-11-13 22:09:05 | Weblog
アルボムッレ・スマナサーラ著『怒らないこと』(サンガ新書)
という本を読みました。この著者は、1945年、スリランカ生ま
れのスリランカ仏教(テーラワーダ仏教)の長老ということです。
1980年に来日し、駒沢大学大学院博士課程を経て。日本で初期
仏教の伝道と瞑想指導をされているのだとか。このサンガ新書
からもう何冊も本が出ていたのですね。知らなかったです。

この本を読んでいくと、怒るということがいかに格好悪いこと
であるのか、幸せに生きるためには怒ることがいかに有害な物
であるのかがよくわかります。ちょっと引用してみます。

「怒り」は、人間の不幸そのものです。私は、人間みんなに
素晴らしく幸福に生きてほしいと思います。たとえ1分、2分
でも、30秒でも、困ったり悩んだりする必要はありません。
悔しがったり、「ああ負けた、こん畜生」と思ったりするのは
不幸です。ですから、心は常に喜びを感じながら、常に明るく、
常に楽しく生活していただきたいのです。短い人生ですから、
苦しがったり、悩んだりする必要はありません。心構えしだいで、
誰もが幸福に生きられるのですから。そのためには、我々の
不幸をつくり出す「怒り」だけは、けっして心の中に入らない
ようにすることです。


そうなんだよなあ、人間はみんな幸せを求めているんだよなあ、
「怒り」をなくすことで幸せが手に入るんだよなあ、と思うの
でした。じゃあ何で人は怒ってしまうんでしょう。その理由の
一つとしてあげられているのは、「私は正しい。相手は間違っ
ている」という考え方なんだそうです。自分が完璧だと思うと、
それに合わない物は許せなくなる。それが「怒り」になるので
すね。でも人間というのは所詮完璧ではありえないと思えば
怒る必要もなくなるというわけなんですね。

「正義の味方」の話も出てきます。悪を許せない「正義の味方」
は悪に対しての怒りを常に感じています。悪いやつが続々と出
てくると、それをすべてやっつけないと気がすまない。しかし、
結局は悪いやつが全くいない世界というのはありえないので、
結局彼は一生戦い続けなければならない。ということは「正義
の味方」というのは幸せな人生をおくれないということになる
のです。

この著者は怒りを否定しているのですが、そうなると、不動明
王だとかのあの憤怒の形相の仏像たちは一体なんなんだという
ことになります。仏像の多くは、慈悲深い平和な表情をしてい
るのですが、これでもかという怒った表情の仏像もあります。
そういう仏像を拝むという行為は一体何なんだろうとわけが
わからなくなりました。もしも怒りが恥ずかしくて下品な行為
だとしたら、こういう憤怒の形相の仏像は、何のために存在し
ているのでしょう。

人々を正しい道に導く為にわざと憤怒の形相を見せて怖がらせ
ようとしているのでしょうか?おそらく彼らは感情的に怒って
いるのではなく、みずからの気持ちを犠牲にして、憤怒の表情
で道を踏み誤らないように指導しようとしているのでしょうか?
このへんどなたかわかれば教えてください。

藤井雅子さんの『人はなぜ怒るのか』(幻冬舎新書)もまた
興味深い本です。怒りの蔓延した社会の現状を述べた後、
イライラをわくわくに変える方法というのがいくつか出てき
ます。怒りに対する処方箋というわけです。

期待値を下げる練習をするというのもありますが、「本当に
嫌なことはしない」というのも出てきます。嫌なことをして
消耗するより、「嫌なことはしない」ことに力を尽くすほうが
どんなにかよいということです。そういえば、『かもめ食堂』
の映画の中で、小林聡美さんが「嫌なことはしないだけです」
という台詞が出てきます。さわやかでかっこいい台詞ですね。
そういえば『かもめ食堂』の小林聡美さんは怒りを超越した
生き方で素敵でしたね。怒りのない生き方、目指したいと
思います。

『だから、新書を読みなさい』を読みました

2009-11-11 00:10:39 | Weblog
昨日、日本から香港に戻ってきました。日曜日に、丸の内の丸善
で何冊か本を買ったのですが、その中に『だから、新書を読みな
さい』(奥野宣之著、サンマーク出版)という本がありました。
カバーデザインが気に入ったので買うという、いわゆるジャケ
買いだったのですが、じつは内容でも共感できる部分があったこ
とは事実です。

「読まなくてはいけない本」は読まなくていいと、著者は言いま
す。また、情報源は少ないほうがいい、ということで著者は新書
に絞った読書を提案します。この出だしの論法は、まさに我が意
を得たりの感覚でした。

日本に帰って、テレビとかつけていると、知らなくてもいいよう
な情報がどんどん流れてきます。犯罪事件の犯人についての推理
とかが延々と報道されています。しかしこういう犯罪のディテー
ルとかを知って役にたつのは、警察関係の人か、これから犯罪を
犯そうとしている人のどちらかです。こういう情報をインプット
されるおかげで、もっと大切なことを考える余裕がなくなってい
るのです。また、こういう報道に浸っていると、知らず知らずの
うちに考え方が画一化していくということもあるでしょう。

新聞を読んでいても、新聞は読めば読むほど、余計な情報の洪水
の中で溺死しそうになります。だから、新聞は読むとしても、
見出しや、広告を眺めるだけにしています。これは以前から感じ
ていたことなのですが、著者が言うように「情報をシャットアウ
トして自分の頭の中で考える時間を増やしていく。そのために
情報源をあえて絞る必要がある」ということなのですね。

今の世の中は、調べものをしようとすると、インターネットで
検索するというのが手っ取り早いと思ってしまうのですが、
インターネットの検索で得られる情報は、かなり断片的だし、
結局はみんなが得られる情報が得られるだけで、オリジナリティ
のある視点の情報はなかなか得られません。

ということで、この著者は、新書を読め、と言うんですね。
それも一つのテーマで三冊同時に読むのがよいと提案します。
早速、私は、昨日、成田空港の本屋で、次の二冊の新書を買っ
て飛行機の中で読んでみました。

藤井雅子著『人はなぜ怒るのか』(幻冬舎新書)というのと、
アルボムッレ・スマナサーラ著『怒らないこと』(サンガ新書)
の二冊です。三冊までいかなかったのですが、この二冊を同時
に読んでみて、新鮮な感覚がしました。

かたや心理カウンセラーの日本人女性の書いた本、かたや
スリランカの仏教の長老が書いた仏教法話。ともに「怒り」と
いう共通のテーマをカバーしていながら、アプローチが違う。
確かに微妙に論点の違う二つの本を平行して読むと、何だか
すごく物事の見方が広がる気がしました。

立体映像は、右目の映像と、左目の映像を微妙にずらすことに
よって物事を立体的に見せますが、ちょうどそれと同じような
事が起きているような気がしました。「怒り」というものが
まさに立体的に見えてくる、ような気がしたのです。一つの本
だけでは得られない感覚です。

この「怒り」に関してはまた、チャンスがあれば論じてみたい
と思いますが、たしかに『だから、新書を読みなさい』という
本が述べていることは、よいポイントだと思います。

『てんとう虫のサンバ』に秘められた謎

2009-11-06 23:33:54 | Weblog
今週の水曜日の夜から東京に来ています。飛行機の中で、昔買った
舌津智之さんが書いた『どうにもとまらない歌謡曲』(晶文社)
という本を読んできました。70年代の歌謡曲に現れた男女観の
変遷を論じた名著です。

この中にチェリッシュの『てんとう虫のサンバ』(73年)に関す
る一節があります。この歌は、結婚披露宴の永遠の定番ソングなの
で、いまさら解説する必要もないのですが、じつはこの歌詞を深読
みしていくと、その背後にはさまざまなメッセージが見えてきます。

その歌詞をまずは、引用させていただきます。

あなたと私が 夢の国
森の小さな 教会で
結婚式を あげました
照れてるあなたに 虫達が
接吻(くちづけ)せよと はやしたて
そっとあなたは くれました
赤 青 黄色の 衣装をつけた
てんとう虫が しゃしゃり出て
サンバにあわせて 踊り出す
愛する二人に 鳥達も
赤いリボンの 花かごと
愛の接吻(くちづけ) くれました


これに関して、舌津智之さんは、次のように述べています。
この歌において、新婚の二人に「くちづけせよとはやしたて」る
虫たちは、(夫婦の愛の交歓を経て生まれる)新しい生命に
期待と圧力をかけている。「愛する二人」のために「鳥達」は
「赤いリボンの花かご」をくれるのだが、この「鳥達」が、
お祝いに赤ん坊のかごを用意するコウノトリであったとしても
不思議はない。(中略)となれば、「サンバ」に合わせて
「しゃしゃり出て」くる「てんとう虫」も、暗喩としての
「産婆」ないしは(いささかお節介に)新婚夫婦の子供を待ち
望む「家」社会の具現であるのかもしれない。歌の最後を締め
くくる「まあるいまあるいお月さま」の描写が、月の周期で
身ごもった妊婦のイメージをサブリミナルに補強してもいる。
仮にそうだとすれば、音楽的にはどこが「サンバ」なのかわから
ない、あの曲の不自然なコンセプトも、深層心理的な必然性を
帯びてくる。


結婚=出産という70年代の定番の「幸せ」がここに見事に押し
売りされています。さらにこの歌詞を深読みしていくと、この
「てんとう虫」、じつは「テン」=10、「とう」=10という
ことで「十月十日」を意味しているのではないかということさえ
勘ぐりたくなってしまいます。このてんとう虫というのは、
妊娠出産のシンボルだったという発見は、私のオリジナルの
発見です。と言ってもかなり駄洒落っぽいですが。

明るく楽しい結婚礼賛の歌のように見えて、じつは、かなり
お節介な歌だったのですね。こういう歌で洗脳されていた時代は
少子化問題などもまだ問題になっていなかったのでしょう。

1972年に、総務庁が行った世論調査によれば、20~34歳までの
女性の約8割が、結婚に対して前向きだったのだとか。また
女性の専業主婦率がピークに達したのは1975年だったのだそう
です。そいういう時代もあったんですね。

シンガポールの月曜日の夜

2009-11-03 01:22:16 | シンガポール
オーチャードの夜景です。いよいよクリスマスイルミネーションが
始まりました。一眼レフカメラを持ってくればよかったと後悔。
この写真はコンパクトカメラで撮影したので、いまいち雰囲気が
出ていません。

今年のオーチャードは区画によって色が違います。こちらは
ヒーレンから南の方面の道路です。

そして、ウィーロックプレースと伊勢丹スコッツから北の方面は
こんな感じのブルーな雰囲気。

とっても奇麗です。

そしてこちらはION(アイオン)の夜のイルミネーション。

なかなか幻想的です。

今日はここのB2に入っている板長寿司に行ってきました。香港
の仕事の知り合いがこの店の責任者をしています。


お店の広さは90席以上もあって結構でかいのですが、ネタも
へたな日本の寿司屋よりも質が高くて、値段もリーズナブル。
その知り合いにごちそうになってしまったのですが、とても
美味しかったです。


この板長寿司はもともと香港から来たのですが、寿司キングと
呼ばれるリッキー・チェン氏の店だったんですね。板前寿司も
味千ラーメンもこのリッキー・チェン氏のお店。昨日、B3に
入っている旭川ラーメンの青葉に行ったのですが、なんとこの
店も、リッキーさんが経営をしているのだとか。
アジアで日本食をこんなにも大々的に展開しているのが香港人
というのも驚きです。

板長寿司、ネタは専用便で日本から仕入れていているので日本
の寿司屋と同じように新鮮。また店の規模がでかいので種類も
豊富。他の回転寿司などとは比べ物にならないほど職人の技術
も高く(でも店長は、まだまだレベルが足りないと言っていま
したが)、来週からは日本人の板前も来るようです。

経営者が日本人じゃないこんな日本のお店が大成功しているの
も面白いですね。

シンガポールの日曜日

2009-11-01 20:29:49 | シンガポール
昨夜は土砂降りの雨だったのに、今日はまあまあの天気でした。
上の写真はオーチャードのクリスマスの飾り付け。まだ完成して
はいないようなのですが、サンタクロースとトナカイです。
そしてこちらがショッピングモールのION(アイオン)。

オーチャードの交差点にあるのですが、地上4階、地下4階の
巨大施設。とにかくすごいでかさです。
違うアングルから見た写真はこちら。

入り口付近にはブランド物のお店が入っています。
ここはオーチャードのMRTの駅の実質的な駅ビルになっていて、
地下二階でMRT(地下鉄)の改札に直結しています。

さてこちらは地下二階からフードホールに降りるエスカレーター。

まだ昼前だったので比較的お店は空いていて、私はどうしても
食べたかったナシレマを求めて、こちらのお店に。

そしてこちらが、そのあこがれのナシレマです。

6ドル(約400円)するので結構豪華です。ココナッツで炊いた
ご飯に、ピーナッツ、小魚、チキン、目玉焼き、などがついてい
ます。お店によってついてくるものは違うのですが、やはり本場
のナシ・レマは美味しかった。これ、ずっと食べたかったのです
が、香港でもなかなか美味しいのはありませんでした。

さて、IONの中にユニクロがあったので、そこで折りたたみ傘を
買いました。また雨が降ると困ると思ったからです。

ここでびっくりしたのは、店員の愛想が非常によいことでした。
店頭の人も、会計のレジの人たちも、その笑顔の素晴らしいこと。
すごく教育が行き届いている感じがしました。

そのサービス業の人たちの笑顔の素晴らしさを感じたのは、
ユニクロだけではありませんでした。フードコートの中の人たち
も素敵な笑顔の人たちが目につきました。

この上のお店の店員たちは、この写真では笑顔ではないですが、
接客時の笑顔は素晴らしかったです。香港や中国と比べてしまう
と申し訳ないのですが、シンガポールは笑顔のレベルが格段に
高いし、フレンドリーです。それにみんな英語でしゃべりかけて
くれるのが香港や中国との大きな違いです。

その後、私は、タクシーに乗って、イーストコーストパークを
目指しました。久々にローラーブレード(インラインスケート)
がしてみたかったのです。香港には残念ながらそれができる場所
がありません。


こちらは途中で見かけたラッフルズシティのクリスマスツリー。
今年は金色です。

タクシーの運転手さんと、いろいろ話しながらのドライブです。
IONとかすごいねと私が言うと、運転手さんは、あちこちでまだ
まだ開発が進んでいて、来年はカジノもできるしますます発展
するよとのこと。来週のAPECってどこでやるのって聞いたら、
サンテックだそうです。偉い人はシャングリラに泊まるのだとか。
サンテック付近は警備がすごいことになりそうな雰囲気。
「シンガポールにある植物とか木とか、ほとんど外国から持って
きたもんだってのを知ってるかい?」と運転手。
ブーゲンビリアも、ハイウェイ沿いの木々もシンガポールに元々
あった植物かと思っていたら違うみたいなんですね。
「私が子供だったころにはこういう木は全く見た事もなかった。
全部、外国から持ってきて植えられたものなんだよ」
なるほど、そういえば、人間も、中国人やインド人やその他の
大多数の人々も外国からやってきた人々。シンガポールってのは
本当に人工的にできた国だったんですね。もともとあまり何も
なかったところに出現した蜃気楼のような国家...

タクシーの運転手さんと、シンガポールの国家の成り立ちから、
植物、環境、経済、香港との違いなどについてかなり深い話を
しているうちに、イーストコーストパークに到着。

懐かしい!ここで何度ローラーブレードをしたことでしょう。
もう2年くらいしていないので、早速レンタルショップで
レンタルをして2時間くらい走りました。
でも久々なので、足首がすぐに痛くなります。時々休みながら、
何キロか走りました。

途中で、なつかしのシュガーケインジュース。アイス入りだと
1ドル60。安いです。懐かしかったのですが、やっぱり甘い。
スケートを終えてはやはりビール。

いつものボディントンです。イギリスのマンチェスターのビール
ですが、クリーミーな泡が特長です。
そして、フィッシュ・アンド・チップス。

右に見えているハインツのモルト・ビネガーをかけて食すのが
英国風。私は英国人か!フィッシュも小ぶりで美味しかった
です。

夕方再びIONに行ったら、中にTWGというロゴの紅茶のお店が
あって、よく見たら有名なトワイニングズのお店でした。

紅茶を売っているのですが、今まで聞いたこともない種類の
紅茶があって、そこで思わず"Singapore Breakfast Tea"と
”Grand Wedding"そして"Paris Singapore"というのを買いま
した。素敵な香りと、素敵な名前のお茶が沢山あり、これは
お土産としてもよいのではないかと思いました。
ここはアフタヌーンティーを楽しむティールームもありますが、
長蛇の列になっていました。このお店の売り場の店員が
イギリス人とかの白人が多いので、本当にロンドンのお店に
来た感じがします。こういうお店ができるのも嬉しいです。
では、今日はこれくらいに。