南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

日本に戻ったと思ったら地震が

2011-03-18 19:34:44 | 日本

上の写真は東京江東区から
眺めたスカイツリーです。
地震のときは工事をしている
人たちはさぞ怖かったこと
でしょう。

3月の5日に日本に戻ってきて、
7日から東京の本社に出社。
日本に帰ったその日にfacebook
を登録。このブログも終わりに
して、新たなブログを作ろうと
準備をしていたのですが、
11日の金曜日に地震。
5時前に会社を出て、家に帰る。
千代田区の会社から半蔵門を経て、
皇居沿いを桜田門から二重橋、
八丁堀を過ぎて、永代橋から
門前仲町の家に着いたのは
7時ちょっと過ぎ。こんな距離
を歩いたのは何年ぶりでしょう。
でももっと長い距離を歩いた人や
帰れなかった人も多くいたことを
思うと、自分はラッキーでした。

その週末から今週にかけて、
ほとんど毎日のように地震があり、
原発のニュースや、計画停電や
電車が停まるなどの事態があり、
新居を借りても、家具や電化製品
が揃わず、居候生活が続いています。

会社の机の上はこんな感じ。

今は亡き義父が使っていたヘルメット
がかけてありますが、オフィスでも
時々揺れが来るので、その時のために
机のところにかけてあります。
また会社の往復にはマスクを着用して
います。なかなか落ち着いて仕事が
できないような環境です。

円高になっているので、香港ドルの
口座に入れてある香港ドルの価値は
下がってしまうし、輸出企業は痛手を
被るし、大変な状況です。

このブログで、次の新しいブログの
お知らせをしようと思っていたのですが、
まだ準備ができていませんので
今しばらくお待ちください。

この震災で被害に逢われた皆さん、
避難や停電などで不便な生活を
余儀なくされている皆さん、
被災地を復興するために尽力されて
いる皆さん、原発事故を食い止め
ようと命がけで努力されている
皆さん、今のこの時間もいろんな
場所で、いろんな人たちが、
この国を守るため、立ち直らせる
ために努力してくれています。
皆様の安全をお祈りしております。

先日から始めたfacebookでは、
今日で友達の数が60に達しました。
世界の各地からお見舞いと激励の
メッセージが連日届いています。
こんなにも世界の人たちが
日本のことを親身になって考えて
くれているのを感謝しております。
ではまた。




香港から東京へそしてインドへ

2010-09-04 23:02:28 | 日本

木曜日に香港から東京に着きました。金曜日は会社に行ったの
ですが、明日は法事です。月曜日には東京からシンガポール
経由でインドのバンガロールに向かいます。何か移動ばかり
しております。

日本に着くと、いつも売店に売っているおにぎりがなつかしく
なります。木曜日は、午後到着の便だったので、成田空港の
到着ロビーの売店にはまだおにぎりがいっぱい並んでいました。
この日は、焼きたらこと、梅干し昆布でした。ぱりぱりの海苔
のついたやつで、これがやたら美味しく感じるのです。
日本に到着したとういう感じになります。

通常は夜の8時過ぎに着く便が多いのですが、そのときは、
いつもおにぎりが売り切れていて、悲しくなります。飛行機が
ちょっと遅れて到着した場合、お店を閉めようとしている時
など、さらに悲しくなります。成田空港の到着ロビーの売店の
営業時間もうちょっと長めにしてほしいものです。さらに、
おにぎりをもうちょっと遅くまで売っていてほしいものです。

しかし、日本は暑いですね。暑いとは聞いていたのですが、
実際に炎天下を歩いてみるとこれはきついです。香港よりも
暑いんじゃないかという気がします。

明日は、法事で谷中のお寺に行ってきます。ではまた。

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ふるさと3

2010-08-17 17:24:06 | 日本

愛知県の田原市の田原市博物館で2010年夏のイベントとして
小説家の杉浦明平(すぎうらみんぺい)さんの展示が8月の
22日まで行われています。お盆で故郷に寄ったときにちょっと
覗いてきました。子供の頃から地元の渥美半島に住んで活動を
している作家だということはよく知っていたのですが、その
作品をそれほど読んでいたわけではありませんでした。

この人のことはそれほど知らなかったのですが、1913年渥美
半島で生まれ、2001年に亡くなった小説家でした。詩人の立原
道造と同じ時代に学生時代を過ごし、立原道造が24才の若さで
亡くなった時に、彼の詩を編纂して詩集として出版したのはこの
人でした。

イタリア関係の著作もありますが、渥美半島に帰ってからも、
文人らとの交流は続き、地元の出来事に題材をとった作品を
書き続けていました。『台風十三号始末記』という小説は
映画化もされています。また、田原藩の家老でもあった
渡辺崋山について書いた『小説渡辺崋山』で毎日出版文化賞
や、中日文化賞を受賞しています。

こちらはその展示のチラシの裏の説明書きです。



この展示では、有名な作家や文化人たちとの書簡が数多く展示
されていました。詩人の立原道造をはじめ、文芸評論家の寺田
透、作家の野間宏、高見順、木下順二や、映画監督の山本薩夫
や、その他様々な小説家、評論家、文化人との書簡がいろいろ
と展示されていました。すっかり忘れていた懐かしい名前でした。

その中に、太宰治に対して書いた原稿がありました。杉浦明平
の直筆で、原稿用紙に何枚にも渡って書いてありました。
どうやら杉浦明平は太宰治には面識がないようでした。書き出し
は、まだ会ったことはないけれど、作品を読んで、書かないで
はいられなかったというようなことが書いてありました。
これらの文字を見ていると、太宰治が現実の人物として急に
身近に感じられてくるのでした。

売店で、立原道造の手書きの詩集『さふらん』の復刻版が売られ
ていました。1000円だったのですが、思わず買ってしまいました。



そういえば自分も若い頃、手書きの詩集を印刷して売っていたの
を思い出しました。タイトルは『HEART COLLECTION』。
立原道造の『さふらん』の詩集とちょうど同じくらいの小ささ
だったので、懐かしく思い出してしまいました。

あと、田原市博物館の中に並べられていた書籍を見ていたら、
高校の時の美術の先生であり、美術部の顧問だった仲谷孝夫先生
の画集がありました。これもまた懐かしかったです。

この博物館で自分が見つけたものは、忘れていた自分の過去だった
ようです。

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ふるさと2

2010-08-17 00:15:20 | 日本

もう東京に戻ってきたのですが、愛知県田原市にある田原城趾
の建物です。天守閣ではなくて、二の丸の櫓なのですが、この
天守閣のを持たない田原城にとって、この櫓が天守の代わりと
して、城のシンボル的な役割を果たしていたのだそうです。

今はここは、田原市博物館の一部になっていて、渥美の考古学
的な展示や、 吉胡貝塚の展示などが行われています。でも実は
ここは私が中学生だったその昔、「郷土クラブ」という部活動
の部室だったので、ちょっと懐かしいです。

中学に入って、私は郷土クラブというのに入りました。文化系
のクラブなのですが、地元の古墳や窯跡の発掘を手伝うクラブ
で、結構な肉体労働でした。いわゆる土方作業で、夏休みは
ほとんど毎日、自転車で発掘現場まで駆けつけて、終日、土を
掘り出したりする作業をしておりました。ですので、かなりの
体力作りになりました。

この建物の中に、当時関わった窯跡や古墳などの出土品が展示
されていました。



こういう大きな瓶などが出土してくるのですが、バラバラに
なっているパーツをパズルのようにくっつけて復元するという
作業も中学生たちが行っていました。



こういうお皿や茶碗のようなものもいっぱいありました。
窯跡は、平安から鎌倉時代あたりのものなのですが、なだらか
な丘陵の斜面にこんな形で窯が作られていました。



この下の地図を見ると、鎌倉平安時代の窯があった場所が出て
いるのですが、瀬戸、常滑などは今でも焼き物では有名です。



渥美も当時は焼き物としては有名ブランドだったようなのです
が、やがて時代のなかで淘汰されて消滅していったようなのです。

この発掘を指導していた先生が、渥美半島の考古学では有名な
小野田勝一先生だったのですが、平成20年に85歳で亡くなられて
いたようです。たまたま田原博物館で『田原の文化・第36号』と
いう文献を見ていたら、そこに小野田先生のことが出ていました。

私が中学の二年の時に、小野田先生の英語の授業を受けたのです
が、きちっとしたイギリス英語の発音でした。でも本業は考古学
だったのですね。その文献の中の発掘調査の記録を見ると、
1968年の坪沢窯跡の発掘、1969年の城宝寺古墳(測量調査)、
籠池古墳、神明社古墳、新実古墳などが出てくるのですが、
このへんは中学生だった私が関わったプロジェクトでした。

中学三年になると、先生も転勤されてしまい、郷土クラブの活動
も下火になっていってしまったのですが、何だか懐かしいです。
40年以上も前のお話です。

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ふるさと

2010-08-15 22:56:55 | 日本

故郷の小学校の校庭で見かけたアブラゼミです。
今日の日曜の故郷は猛烈な暑さでした。
セミの声が暑さをさらにヒートアップさせます。
「セミは一週間しか生きられないから、捕まえちゃ
いけない」と妻は子供の頃、父親から言われたのだとか。
一方、ぼくは、子供の頃、夏には、近所のお寺でセミを捕って
ばかりいました。

香港の街中にいると、セミの声を聞く機会がない。
日本でセミの鳴き声を聞くと、日本の夏を感じます。
それと同時に子供の頃のことが思い出されてくるんですね。



小学校の校庭。誰もいない広々とした運動場。
こんなに広かったっけなあ。
この運動場の記憶は、ドッジボールと運動会。

運動場の隅に小さな鉄棒がありました。



こんなんあったっけなあ。
中学の頃は、もっと高い鉄棒で、さかあがりとか、
前回りとか、やらされたのは覚えているけど、
小学校はあまり記憶がない。

こちらは校舎。



校舎は改装しているけど、基本的な造りは昔と変っていない。
国旗が揚がっているが、半旗になっている。
終戦記念日だから半旗にしてるんだろうか。
半旗ってまともに見たのは初めてだけど(日本の国旗自体も
久しく見てないですけど)、こういう日は半旗なんでしょうか?



小学校の前に「すずや」という文房具屋がありました。
よくそこに文房具を買いに行ったことを思い出します。
むかしは町のあちこちに文房具屋があったんですけどね。

この後、田原城の跡に行き、田原市博物館に行きました。



この博物館では、渥美半島の小説家の杉浦明平さんの
展示を行っていました。懐かしかったです。

それから、暑い真夏の炎天下を歩き回った後、お寺に
お参りに行き、そして電車に乗ったのでした。



この駅は豊橋鉄道渥美線の終着駅。
ここから豊橋に出て、そこから東京に戻ってきました。

ふるさとがあるというものはいいもんですね。

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香港の新聞に報道されたナガサキ

2010-08-11 00:21:04 | 日本

先日の記事でヒロシマの記事についてご紹介したのですが、
今日(2010年8月10日)の香港のSouth China Morning Post
にナガサキの原爆についての記事が出ていたので、ご紹介して
おきます。

それは中ページの小さな記事でした。浦上天主堂で祈りを捧げる
婦人たちの写真が印象的です。香港の新聞は、日本の新聞に比べ
て、写真の使い方が上手な気がします。日本の新聞の写真では
あまり印象的な写真がありませんが、この新聞はこんな小さな
写真一つも構図から光の具合から見事に考えられていて、素晴ら
しい写真になっています。

そしてそのキャプションがまた素晴らしい。"A survivor at a
mass at the rebuilt Urakami Cathedral, Nagasaki, for
victims of the world's second and last atomic bombing."
日本語に訳すと、「再建された浦上天主堂で、世界で二番目で
あり最後の原子爆弾爆撃の犠牲者のためのミサで祈りを捧げる
生存者たち」となっています。ナガサキの原爆を単に「二番目」
と言わず、「二番目にして(史上)最後の」と言っています。
この「最後」という言葉に、「もう二度とこのような惨劇は
繰り返してはいけない、ナガサキの原爆が人類史上最後の原爆
となるのだ」という痛烈なメッセージが込められています。
この"and last"という短い言葉、実に感動的です。

この記事の見出しは、ナガサキの65周年に英国とフランスが
出席というもので、この記事はフランスのAFPから発信されて
いるもののようです。

最初のパラグラフで、"the 65th anniversary of its destruction
by a US atomic bomb"と出ています。「米国の原爆による
破壊の65周年」という意味ですが、"US atomic bomb"という
ふうに"US"というのが強調されるように使われています。
この原爆投下は連合国のコンセンサスではなく、アメリカが
独断で行ったことであり、我々はまったく原爆投下の正当性
などは認めていないぞ、ということを強調している雰囲気が
あるような気がします。

記事は以下のように続きます。
「アメリカはヒロシマには出席したが、ナガサキには欠席した。
調整がつかなかったということらしい。英国とフランスは
金曜日の式典にも、ナガサキの式典にも両方とも出席した。
これは核軍縮を支持するためである」という文章の行間には
アメリカに対する非難と、英国、フランスの決意が表現されて
いる気がします。これは核に対する世論の大きな変化では
ないかという気がします。ヒロシマとナガサキのメッセージ
が世界を核軍縮に向けて動かしているという感じがします。

また出席した32カ国の代表の中には、これも初めて参加した
イスラエルの姿があったということも言及されています。
それが何だと詳しくは述べられていませんが、あのイスラエル
ですら参列しているのに、アメリカはどうしたという批判の
ように思えて仕方がありません。

最後は、一切の核兵器の廃絶を訴える田上市長の言葉で
締めくくられています。

短いですが、核兵器廃絶に向けての世界的な動きがこの小さな
記事に込められている気がいたしましたので、ここにご紹介
しました。アメリカの人々にも是非読んでいただきたいと
思います。

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香港の新聞に報道されたヒロシマ

2010-08-08 23:15:45 | 日本

2010年8月8月7日の香港のサウス・チャイナ・モーニング・ポスト
(South China Morning Post)の最終ページ。一面全部を使って、14
才の時に広島で被爆した橋爪文(Hashizume Bun)さんの記事が出て
いました。Norman Aisbettという人が書いた記事でした。

沢山の鳩が原爆ドームの前を飛んでいる写真が大きく使われています。
この写真はAP通信のHikaru Kikkawaというクレジットがついています。
望遠レンズで撮っているので、鳩に焦点があっているのですが、
奥の原爆ドームは熱気で、もやっているようなふうに見えます。65年
前のあの日もこんな暑い日だったのかと思わせるような写真です。

海外の新聞報道で、原爆の記事がこんなに大きく扱われているのを
見たのは初めてです。しかもこれはニュースではなく、橋爪文さん
の体験を元にしたレポートとなっていいます。ルース駐日米大使や
国連の潘基文(バン・キムン)事務総長が広島の平和記念式典に出席
したという話しは、別途、中ページにも出ています。



この報道記事だけでも、ページの半分以上を使っています。この
写真の右側の女性は中尾つゆ子さん(92才)、左は池上きぬよさん
(77才)で、広島の原爆で失った友達や親戚を思い嘆き悲しんで
いるというキャプションが付けられています。

さて、冒頭の記事なんですが、見出しは、"A mission to warn
the world"(世界に警告をするという使命)となっています。
これは被爆者であり詩人でもある橋爪文さんが、命の続く限り
原爆の恐ろしさを海外の人々に伝えるという活動を続けていく
という記事です。14才の時に広島で被爆し、奇跡的に生存でき、
助けてくれた人々が次々と亡くなっていく中で、原爆の悲惨さ
を詩にまとめていきます。

2001年に刊行された詩集が、英語に翻訳されて来年出版される
とこの記事の中に出ていました。原爆の真実がより多くの人々に
伝えられていくことはよいことだと思います。

アメリカはいまだに原爆投下を戦争を終わらせるためにはやむ
をえなかったと正当化しているようです。しかしいずれの日にか
これが間違った行いであったと認識される日が来ることを信じて
います。

この記事の中には、恐ろしい被爆の実態が、生々しい表現で記述
されています。またABCC (Atomic Bomb Casualties Commission)
の話しも出てきます。アメリカが原爆を生体実験として使い、
調査データの収集のみ行い、治療活動は行わず、また調査データ
もアメリカに持ち帰られてしまい、その詳細が日本にも世界にも
知られずに封印されてしまったという話しも書かれています。

また、数多くの被爆者の女性が結婚を断念せざるをえなかった
ことなども出てきます。このへんは今村昌平監督の映画『黒い雨』
にも描かれていることですね。橋爪文さんが「原子爆弾はどんな
理由であろうとも正当化されるものではない」と言っている言葉
がこの記事の中にも引用されています。

こういう話しが英文の記事として出てくるのは、アメリカに
とっては都合が悪いことでしょうが、同じ過ちを二度と繰り返さ
ないためにも、世界の人に原爆の悲惨さをもっと認識してもらう
のが重要だと思うのであります。

被爆者のみなさまのご冥福をお祈りいたします。

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香港から東京に乗ったANAは南アフリカからの便だった

2010-06-16 23:46:38 | 日本

今日、ANAの911便で、香港から東京に来ました。上の写真は
飛行機の窓の外に見えていた景色です。太陽が地平線の向こう側
に沈んだ後で、夕焼けの名残が赤く見えてます。地球の日中と
夜間の境目が見えているという感じですね。

この飛行機、南アフリカからの香港経由で成田に向かう便でした。
南アフリカ航空とのコードシェア便だったんですね。先日ワール
ドカップ南アフリカでのカメルーン戦があったばかりでしたが、
その応援団らしき人たちがちらほらと目につきました。ブルーの
ユニフォームを着ている人たちも何人かいたので、すぐにそれか
とわかりました。

他にもおそらく南アフリカに応援に行っていたんだろうなと思え
るような人たちもいました。おじさんたちの団体でしたが、少し
体育会系の感じで、動きがきびきびしておりました。カメルーン
戦でさい先のよい勝利を飾ったので、みなさんかなり明るい感じ
でした。あの試合、勝ったか負けたかで、応援団の皆さんの帰国
便の雰囲気は全然変っていたでしょうね。

南アフリカのヨハネスブルグから香港までは13時間くらいかかる
んですね。勝ったからこの長時間も気分よく乗ってこれたので
しょうが、負けていたらとても疲れたろうと思われます。はる
ばる日本から出かけて行った応援の皆さん、現場で勝利を味わえ
たのはまた喜びもひとしおだったのではないかと思います。

ところで今日、香港島の香港駅からエアポートエキスプレスに
乗ったのですが、切符の形状が変っていました。



デザインも変っていますが、今までのペラッとしたのではなくて
ハードタイプになっていました。通常のオクトパスカードよりも
若干薄いのですが、今までのように改札のスリットに差し込む
タイプではなく、オクトパスカードと同じで、センサー部分に
接触させるタイプです。よくわからなかったので、スリットに
入れようと思ったら、入らなかったので、接触式になったのか
と思ったらそうだったんですね。切符(カード)の右上のところ
にそのイラストがついていたんですね。

香港駅と空港の間は片道は100ドルなのですが、往復だと180
ドルでこの料金は以前から変らず。往復は30日間有効です。



さてこちらは、香港の空港で食べた焼きそば。XO醤叉焼炒麺
78ドル。香菜が乗っています。香菜は苦手な人も多いですが、
これがまたアジアっぽくてよいですね。

成田に到着したのは、8時20分頃。この時間になると、空港も
かなり寂しくなっています。到着ロビーに売店があるのですが、
この時間に到着すると、おにぎりがいつも売り切れ。日本に
着くとおにぎりが食べたくなるのですが、売り切れだとちょっと
残念です。売店の経営者の人、このへんちょっとよろしく
お願いしますよ。まあ、売れ残っても責任は持てませんが。

というわけで来週の月曜まで東京に滞在しております。

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ちょっと日本に来ています

2010-03-19 01:13:43 | 日本

昨日の夜(実際は今朝の朝)香港から飛行機に乗って、今朝、東京の
羽田に到着しました。前から決まっていた出張でした。

この上の写真は東京に咲いていた桜なんですが、ここの桜はいつも
早めに咲きます。

昨日は香港のオフィスで仕事をしていたのですが、午前中に、Mac
Book Airの調子が悪くなってしまったので、これは日本で修理しよう
と思って、急遽古い壊れかけのMac Book Airをもういちど持ち出して、
二台のMac Book Airを持って日本に来たのでした。

日本で修理をするときに必要になるかと想い、外付けのDVDドライブ、
外付けのハードディスクなども持ってきたので、荷物がかなりいっぱい
になってしまいました。さらに免税のお酒とか買ってきたので、
スーツケース自体も重いし、それ以外にもいっぱいの荷物になって
しまっていたのでした。

おまけに到着したのが羽田。ここを利用するのは始めてでしたが、
国際線のターミナルはまだあまり整備されていなくて、ここからは
無料バスで国内線のターミナルまでいかないと、リムジンバスとか
は利用できないとのこと。重い荷物を抱えて、バスに乗り、国内線
のターミナルに。ここは設備は立派なのですが、早朝なので
お店は全く開いていません。また案内所もないので、どこにバス
乗り場があるのか、タクシー乗り場があるのかもわからない。

苦労してリムジンバス乗り場を見つけたのですが、時間が早すぎて
箱崎方面はかなり待たないといけない。で結局タクシーでホテルまで
来たのですが、ちょっと重い荷物を抱えて右往左往したので
疲れました。しかし羽田の国際ターミナルはまだまだこれからですね。
広告を見たら、10月オープンだとか出ていました。ということは
今は仮のものなんですね。



東京でこんな白い花が咲いていました。これは、もくれんでしょうか。
青空バックに咲いている白い花が綺麗でした。

夕方、銀座のアップルショップに行ったのですが、ハードディスクを
交換しないといけないかもしれないとのことで、修理のために預けて
きました。無事に直ってくることを期待します。が、バックアップ
したのは今月の頭が最後でしたので、それ以降のデータはあきらめ
なければならなくなりそうです。ああ、やっぱりバックアップは
こまめにとっておかなければいけないんだとつくづく思いました。
みなさんも気をつけましょう。

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冬の日本はとても暑い

2010-01-05 01:06:28 | 日本
みなさまあけましておめでとうございます。昨日、東京から香港
に戻ってきました。東京はそれほど寒くはなかったのですが、
リムジンバスに乗ったら、暖房が暑い!アナウンスも馬鹿丁寧な
ので、この暖房も最大級のもてなしのつもりなんでしょうが、
しかし暑い。セーターを脱いだのですが、長袖を着てきたのを
後悔するほどの暑さでした。サービスもいきすぎると、不快感を
もたらす可能性があるということをあらためて感じたのでした。

年明け早々のボヤキで申し訳ございません。暮れはMy Wifeの
実家のみなさんと紅白歌合戦+ときどき格闘技を見ていたの
ですが、みなさん次から次へとするどい突っ込みを入れていた
ので、その空気が移ってしまったようです。歌が下手だの、
何でこんなんが出てるのだとか、ハゲだの、カツラだの、
着物の着方がおかしいだの、まあその賑やかなこと。言論の
自由とはこのような状況のことを言うのだと実感したのでし
た。したがって、私もここで言わせていただきます。

さてリムジンバス。先日は携帯電話の忘れ物を丁寧に取っておい
ていただいて非常に感謝しているのですが、アナウンスの丁寧さ
には毎回ちょっとつっこみたくなってしまうのでした。
携帯電話は周りに迷惑になるので使用は控えてくださいという
アナウンスが入ります。日本語では聞き流してしまうのですが、
英語ではまず、"Portable Telephone"という言葉でひっかかって
しまいます。今は"Mobile Phone"あるいは、シンガポールなんか
では"Hand Phone"です。"Cellular Phone"というのもありますね。

しかし"Portable Telephone"という言葉、ちょっと時代錯誤の
響きがありあます。固定電話に対して、やっと持ち運びができる
ようになった電話という雰囲気で、弁当箱のような大きさの携帯
の時代を想像してしまいます。まあそれはよしとしても、それを
使っていけない理由が"may annoy the neighbor"(隣の人に迷惑
となる可能性があるから)というのですが、携帯電話使い放題の
アジアから来た人はこの理由をおそらくなかなか納得できないの
ではないかと思います。

このときの私にとって、効き過ぎの暖房のほうがよほど「迷惑」
だったのですが、普通の日本人の方にとってはこれが快適なので
しょうか?南方にいる私の体温調整がおかしくなってしまったの
でしょうか?

成田空港について、さらに暖房の効き過ぎにびっくりするのでし
た。ここはサウナかと思えるほどの暑さ。寒がりの私は結構厚着
をしていたのですが、これが仇となりました。汗びっしょりです。
これでは風邪をひいてしまうと思い、ユニクロで下着を買って
着替えました。暑くてかなりの不快感でした。

地球温暖化防止のために夏は冷房をセーブしたりするのですが、
成田空港のような設備はどうして不必要に強い暖房にするので
しょうか?日本人はこういうのに慣れてしまっているのでしょう
が、不快感を感じている外国人客も多いのではないかと思います。

今は無駄をカットするのが流行ですが、こういう暖房こそカット
してもよい無駄のような気もするのですが、どうなんでしょう。
香港は、寒いのに冷房が効いているのも無駄なんですけど。
世の中にはいろんな無駄がうずまいていますね。

ANAの飛行機で来たのですが、12月まで機内販売で売っていた
焼酎の「村尾」の販売がすでに終わっていました。機内で買おう
と思っていたのですが、1月からは「川越」という宮崎の焼酎に
変っていました。

香港に到着すると、健康に関しての申告書を書かされていたので
すが、機内でその用紙を配っていなかったので、どうしたのかな
と思っていたら、今月からもうそのシステムはなくなっていまし
た。いろいろと変っていくのですね。

と今年は年明け早々いろいろとありましたが、本年もよろしく
お願いいたします。




戻ってきた携帯電話

2009-12-30 17:49:18 | 日本
昨晩、成田に到着。夜の10時前には東京に着いたのですが、何と
香港で買ったばかりの携帯電話がない!それまで香港で使ってい
た携帯電話の電池が劣化してきていたので、この前の週末に買い
替えたばかりでした。それを日本に持ってきていて、成田空港で
スイッチオン。ローミングの契約をしているので、日本ではドコ
モに自動的にローミングされました。

香港では(シンガポールもそうでしたが)、携帯電話はSIMカー
ドが契約の基本で、携帯電話はいくらでも買い替えられます。
SIMカードを入れ替えれば、それまでの番号も、データもそのま
まで使えます。私はこれまでソニー・エリクソンの製品を使って
いたので、今回も同じブランドにしました。これまで、ノキアや
シーメンスやモトローラなども使ったことがあるのですが、デザ
イン的には何となくソニー・エリクソンが気にいっていました。

日本の携帯は、テレビだとか機能が多すぎて、ちょっとでかすぎ
るし、最近流行のiPhoneとかブラックベリーは電話としてはでか
すぎる。10数年前は今から想像もできないくらいのでかい電話を
使っていたのですが、今では携帯電話は小さくて薄くなくてはい
けないと思っている自分にとって、ソニー・エリクソンは非常に
マッチしていたわけであります。

今回買ったのはC510というモデルなのですが、このシンプルで
機能美に溢れたデザイン、そしてその薄さを非常に気にいって
いました。買って一つだけの問題点は、電池カバーが非常に開け
にくかったこと。ここは唯一の不満点でした。

これが裏面の様子なのですが、左のソニー・エリクソンのロゴ
マークがついた側全体が電池カバーです。これを左側にスライド
させるだけで開けられると取り扱い説明書に書いてあったのです
が、何度やってもできない。結局は翌日にお店にもっていって
開けてもらうことに。

何と、店員はかなり慣れた感じで、まるでマジックのように開け
るではありませんか。そのやり方を覚えて、家でやってみたら
何とかできるようになりました。ほんのちょっとしたコツなの
ですが、これは取り扱い説明書には書ききれないことだと納得
しました。指先だけの部分的力だけではだめで、手のひらの親
指の下の腹の部分を押し当てて、面の力で押し広げるという感覚
です。これは一度覚えると実に簡単なのですが、そこに至るまで
が大変だと思います。

そんな苦労して起動した真新しい携帯電話を、日本に来た瞬間に
紛失してしまいました。その携帯がないとわかった瞬間、どこで
なくしたのだろうと記憶を辿りました。たしか、リムジンバスに
乗った時には、持っていてマナーモードに設定した気がします。
なくしたとすると、バスの中か、タクシーの中かどちらかです。

タクシーは箱崎からの短い距離だったので、いちいち領収書を
もらっていませんでした。でもタクシー遺失物センターという
ようなものがあるということをネットの検索で見つけて、ネット
で問い合わせを出しておきました。バスのほうは、箱崎に遺失物
センターがあるのですが、電話受付は日中のみだったので、翌日
電話してみようと思いながら、多分見つからないかもという気持
ちでした。

そして、香港の携帯電話の会社に電話して、電話を紛失したこと
を伝え、サービスを一旦停めてもらうことを依頼しました。

何かを紛失することは、これが最初ではなかったのでMy Wifeは
あきれかえっていました。なんでこんなに物を紛失するのだろう
と自己嫌悪に陥りながらその日は寝たのでした。

今朝、リムジンバスの会社に電話をし、何度かしてやっと繋がり
ました。

女性が電話に出ました。私はそれほど期待をせずに、
「昨日の晩に成田から乗ったリムジンバスに忘れ物をしたかも
しれないのですが...」と言いました。
「紛失したものは何ですか?」
「携帯電話です」
「メーカーはどちらですか?」
「ソニー・エリクソンです」
「海外の携帯電話ですか?」
「そうです」
「サイバーショットのものですか?」
え、まさか,,,
「一件、それらしきものが報告されています」
色とか、形とか説明したら、まさにそれでした。
箱崎の遺失物センターに保管されているので、取りに来てもら
えれば渡せるとのこと、本日午後、箱崎に行き、無事に再会と
なったのでありました。

遺失物センターで、紙に包まれた携帯電話に再会したときは
涙が出そうでした。私は書類に住所とか連絡先とかを書き、
とうとう手元に戻りました。すでに香港の携帯電話会社には
連絡してあったので、サービスはそのまま復帰していました。

忘れ物をきちんと確保しておいてくれたリムジンバスさん、
ありがとうございました。感謝感激です。さすが日本のサービス
です。また電池がなくならないようにスイッチを切っておいてく
れていました。これも感謝です。本当によかったです。ありがと
うございました。

年の瀬ぎりぎりになって、こんな事件がありましたが、来年
はこういうことがないよう気をつけたいと思います。
では皆さま、よいお年を。

定額給付金をもらいたくてももらえない海外居住者の私

2009-03-04 01:22:33 | 日本
麻生太郎首相が定額給付金を受け取ることを表明しました。
昨年11月頃には「貧しいとか、生活に困っているところに出
すんであって、豊かなところに出す必要はない」とおっしゃっ
ておりましたね。また12月には、「そんな金はもらいたく
ないという人はもらわなきゃいい。1億円あっても、
さもしく1万2000円欲しいという人もいるかもしれない。
それはその人の考え方の問題」ともおっしゃっておられました
ね。また「これは人間の矜持(きょうじ)の問題」と、難易度
の高い漢字を使っておられましたね。で,結局はもらうという
結論になったのです。「消費刺激」のためだということです。

マキャベリズムの本を最近読んでおられるようですから、目的
のためなら手段を選ばないということなのかも(?)しれま
せんが、その変幻自在の論法は驚嘆に値しますね。鳩山さんは
「二転三転、七転八倒」ととてもクリエイティブなコメントを
しておられましたが。

定額給付金の議論が日本ではにぎやかに進められている一方で
実は寂しい思いをしている人々がいます。それは私たち海外
居住の日本人。私たちは国籍は日本でありながら、定額給付金
の恩恵にあずかることはできないのです。日本に本籍はあるの
ですが、住民票はありません。まあ、日本で税金を払っていな
いので(現在の居住地の香港では税金を払っていますが)、も
ともと減税措置の話なので、減税の資格はないのでありますが。

しかし「定額給付金」という呼び名になってしまうと、減税と
いうコンセプトも薄まってしまい。我々にもくれてもいいじゃ
ないと「さもしく」思ってしまうのです。日本にもたびたび
帰るので、そのお金をもらったら全額日本の経済を刺激する
ために使いまっせ~なんて言っても無理でしょうね。

ところで、「定額給付金」って英語で何ていうんだろうなと
思って調べてみたら、"Supplementary Income Payments"
と言うようですね。都道府県から市町村に至るまで、外国人
のみなさんにこの「定額給付金」とは何か、その受け取りは
どうするのかを英語で説明しているサイトがいっぱい出てきま
す。この英語の用語は、日本津々浦々まで統一して使われてい
るようですね。まあ各市町村が勝手な用語で使っていたら大変
なことになりますからね。

しかしこの英語の"Supplementary"というのは、追加的なとか、
補助的なという言葉ですけど、これはもともとの日本語の
言葉にはないですね。このまま直訳すると、「補助収入の支払
い」ということになりますね。これだと日本で税金を収めてい
ない我々でももらえそうな響きがあります。でもやはりもらえ
そうでも日本に納税をしていない人間は、くれると言っても
もらわないというのが人間の矜持(きょうじ)ということにな
るのでしょう。

これで日本経済が活性化してもらえれば、定額給付金の恩恵に
あずからない我々海外居住者としてもハッピーなのですけどね。

TBSに敢然と抗議した愛知県田原市の真の実力

2009-01-06 18:13:34 | 日本
この写真は、愛知県の豊橋駅から、田原に向かう渥美線の
駅のホームです。

昨日、インターネットで検索していたら、我が故郷の田原市
のことがいっぱい出ているではありませんか。TBSの番組で、
トヨタ自動車の業績悪化で大幅減収が見込まれる我が愛知県
田原市について、「道路は穴があいても放置」とか報道して
しまったことに対し、田原市が敢然と抗議。これに対して
TBS側が市に謝罪をしたとの経緯があれこれとニュースに
出ていました。現在、香港に住んでいるので、これは全然
知りませんでした。

この謝罪の記事が出始めたのは昨年の暮れの12月の27日頃。
田原市の法人所得税が大幅に下がるというニュースは、
12月の初旬、実家の建前のために日本に来た際に、読売新聞
に出ていたのを偶然読んでおりました。この頃、田原市の
法人市民税の落ち込みに関する記事があちこちに登場します。
TBSの「ピンポン!」という情報番組での問題発言は12月の
12日。その後、田原市がTBSに抗議。TBSはまずは電話で
田原市に謝罪。そして26日に書面での謝罪ということに
なりました。以下はTBSの報道情報本部情報制作局長から、
田原市長宛に送られた謝罪文です。

これは田原市広報のホームページに掲載されております。
http://www.city.tahara.aichi.jp/news/tv_news.html

またこのホームページには、『報道の問題点と市の見解』
ということで以下のようなコメントが出ていましたので
引用します。

● 田原市の来年度予算について、財政危機がバラエティ
仕立てで放映されたことは誠に遺憾であります。

● 「道路は穴が開いても放置、河川は氾濫するかもしれ
ない」とコメントされましたが、これらを含めた公共施設
などの維持管理に関する予算は、的確に確保する方針です。

● 「小中学校の耐震化工事ができなくなり、市内の小中学生
は心配」とコメントされましたが、田原市ではすでに小中学校
校舎のうち98.4%(128棟中126棟)が耐震化工事を完了済み
です。耐震化率は全国でもトップレベルにあります。
残る2棟についても耐震化設計は完了しており、工事施工は
検討中です。

● 「法人市民税が8割減収したら、予算を組めない」という
表現は、事実を的確に捉えていません。市の税収は法人市民税
以外に、個人市民税、固定資産税、都市計画税などがあります。
法人市民税のみで税収がまかなわれているものではありません。

● 田原市は農業産出額が全国1位を誇るなど、工業以外の産業
も活発であり、これらを活かしたバランスの良いまちづくりを
推進しています。

田原市の反論はさすがです。トヨタだけに依存している地方
都市ではないぞ、馬鹿にしちゃあいかんよ、と言わんばかり
のコメントです。

実際、田原市は、農業産出額では日本一、第一次産業就業者の
割合も33.3%で日本一、また完全失業率の低さも2.39%で
日本一なのです。菊の花や、鉢植え観葉植物、バラなどの
産出額も日本一。トルコキキョウ、ガーベラ、スイトピー、
サボテンなども全国上位に入っています。一昨年は、キャベツ、
ブロッコリーの産出額でも日本一を記録していました。
この他にも、トマトとチンゲンサイが全国三位、スイート
コーンが五位、セロリが六位、メロンが七位というハイスコア。
養豚も全国七位。これだけみると見事な農業王国です。

また、四角いメロンのカクメロを産み出した渥美農業高校も
テレビで有名になったし、伊良湖岬や恋人たちの聖地と
うたわれる恋路が浜、サーフィンのメッカの赤羽海岸など
観光スポットもいっぱい。アサリや海苔などの海の幸も豊富。
名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつと歌われる
『椰子の実』(島崎藤村作詞)の舞台もこの伊良湖岬です。
観光的にもかなりすごい。

また、オオハクチョウも飛来すると言われるこの町の汐川干潟
は、バードウォッチャーの間では全国的に有名なスポットです。

さらに、さらに、昨年の高校野球春の選抜では、田原市の
成章高校(私の母校)が、駒大岩見沢を初戦で破り、二回戦
まで勝ち進み、応援で日本一に輝きました。夏の大会では
東愛知大会決勝戦で惜しくも大府高校に破れましたが野球も
伝統があります。そして、光浦靖子さんや、おわらいの
「はんにゃ」の金田君も田原出身。
まさに文武両道(?)という感じですね。

私も同じ田原市出身者でありながら、先月27日の自分の
ブログで「田原市はトヨタで持っているようなもの」という
ような問題発言をしてしまって反省しています。
たしかにレクサスなどを作っている田原工場から入る法人
所得税が減るのは痛いのですが、これまで市民一人当たりの
市の予算額が愛知県内でトップで、しかも法人所得税は
全体の税収のうちで3割前後なので、トヨタショック
による影響があったにしても、自治体として致命的なことに
はならないのでしょう。底力のある自治体です。

高校を卒業してから、東京にあこがれて故郷を捨てた私
ですが、すごく素敵な町で生まれ育ったものです。毎年、
一年に何回かこの町に帰りますが、なんかこういう田舎が
あってよかったなあといつも思っています。
田原市民の皆様、田原市役所の職員の皆様、これからも
がんばってください。はるか遠い香港から応援しております。

今年は寝正月

2009-01-02 17:48:50 | 日本
もうお正月も二日目ですが、なんだか寝正月です。写真は実家
の猫のふくちゃんですが、この猫もじつによく寝ています。
この正月は私もまるでこの猫のようによく寝た気がします。
年末までのスケジュールが尋常ではなかったので疲れが出た
のでしょうか、今日も起きたのは11時過ぎでした。ちなみに
1日は昼頃でした。すでにはるか天空に上っている太陽が、
初日の出でした。しかし、よい天気です。世の中いろいろ
不況やらなにやら問題山積ですが、とりあえずは少なくとも
自分のまわりは平和です。

今日は、恒例の深川七福神に初詣に行ってきました。これは
My Wifeと結婚してから毎年かかさずに行っている
行事です。今日はお天気が非常におだやかだったので、歩く
のも気持ちよかったです。

海外では今日からもう仕事を始めているところも多いですが、
私も今、豊洲のららぽーとにあるインターネットカフェの
アプレシオでメールチェックをしています。インドや香港や
上海からすでにいくつかメールが入ってきています。
ああ、忙しや、忙しや。

年明けからまたいろいろと忙しい仕事が入っているのですが、
じつはもう一週間後にはハワイ旅行です。前から結婚の3周年
記念でハワイに行く予定だったのですが、12月の予定が1月
にのびたものです。ではまた。


謹賀新年

2009-01-01 19:58:58 | 日本
あけましておめでとうございます。日本でお正月を迎えました。
でもじつは、これは奇跡的なこと。昨日の大晦日の31日の朝、
寝坊をしてしまい、香港発の9時55分の飛行機なのに、朝
起きたら午前8時ちょっと前。しまった乗り過ごしてしまった
か、と思ったら、まだ2時間はある。あわてて、スーツケース
を締めて、着替えをして、タクシーに乗ったのが8時ちょっと
過ぎ。幸い朝の道路は空いていて、交通渋滞なし。香港駅に
着いたのが、8時20分頃。ここでのチェックインはもう間に
あわないと思ったので、すぐにエアポートエキスプレスの駅に
直行。運良く電車がホームに泊まっていた。すぐに飛び乗る。

電車の中で、パスポートをひょっとして忘れてしまってきた
化と焦って荷物を探したら、運良く持っていて一安心。
空港に着いたのは、飛行機出発の1時間以上前。これで何とか
乗れると安心しながら、チェックインカウンターに。

幸いにもチェックインカウンターではほとんど列がなし。
すぐにチェックインして、何とか間に合いました。
一つ間違えば、新年を日本で過ごせなかったところですが、
これはまさに奇跡。なんという強運かと思いました。

日本に無事に到着し、成田に降り立ったとき、まさにこれは
「師走」の年末だなと思い、おかしくなりました。自分が
「師」というのもちょっとおこがましいですが。

昨年は年滅ぎりぎりまでどたばたしましたが、今年はよい年
にしたいと思います。

では、本年もよろしくお願いします。