南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

ICONIQのアジア進出戦略

2010-08-30 00:05:16 | HONG KONG

この人のことをはたしてブログでとりあげてよいものなのか、
かなりの躊躇がありました。しかし、某化粧品大手がこの
タレントを汎アジアで使い続けているし、プロモーションの
ためにアジア各地を回っているようなので、アジア在住の
人間の義務として(?)、彼女のことについてこのブログで
取り上げることにしてみました。

彼女の日本でのデビュー自体がそうなんですが、彼女自身に
関する日本のマスコミ報道は完全に情報コントロールされて
いる感じです。大手音楽会社や大手広告代理店が怖いので、
へたな取り上げ方もできないのではないかと思います。

このブログでもへんなことを書くと、業界筋からチェック
されるかもしれないので、あまり過激な表現は慎みたいと
思います。もしコメントされる方もそのへんの節度を守っ
ていただければと思います。

この人のころは、「話題の人」というわりには、記事が
少ないのですが、 ネット上では、鳥取生まれではあるが
韓国人であること、元韓国アイドル時代の事、整形のこと
などネガティブな情報がいろいろと出ております。
YouTubeには、ICONIQが別の名前で所属していた
韓国グループ、Sugarの「キューティーハニー」の曲が
「田代ちゃんと亡命しろ」という空耳曲として出ていて、
これはこれで笑えます。ご興味のある方は検索してみて
ください。いろいろ出てきます。

私は普段日本にいないので、この人が、どれくらい有名な
人なのか、歌がどれくらいヒットしているのか、果たして
彼女に本当にファンというのがいるのか、彼女の歌を本当
に評価している人が日本に存在するのか、彼女は本当に
綺麗だと思われているのか、わからないことがいっぱい
あります。

香港とかでは日本を代表する某大手化粧品ブランドの広告
や店頭でしか見かけないのでよくわからないのですが、
実在のタレントとしてではなく、名前の示すとおりただの
広告用のアイコン(ビジュアル的な目印)としての存在で
ないかという気がします。

個人的に言わせていただければ、歌がうまいわけでもなく、
曲が優れているわけでもなく、人間的魅力があるわけでも
なく、どうもあまりピンときません。他の方が指摘されて
いるように、表情や唇、鼻などのパーツ、歌い方などに
あまりよい印象を持っていませんでした。

まあ私は彼女が宣伝する商品のターゲット消費者ではない
ので、これも仕方ないのでしょうが、ターゲットの人々
に彼女がどう思われているのか疑問ではあります。

7月の23日に日本を代表する某化粧品会社は香港
でイベントを会催したのですが、そこで香港では未だに
名声を誇る歌手・俳優のアーロン・クォック(郭富城)と
ICONIQが登場し、「パーフェクトな黄金比率フェイス賞」
を受賞したのだそうです。中国語では「完美黄金比例大賞」
となっています。



香港の報道はICONIQのことは実績のない新人モデルとし
てしか認識していないので、話題の中心はもっぱら
アーロン・クォック(郭富城)です。アーロンは、記者
会見では、自分は整形をしたいとは思わないということ、
また、自分の将来の妻には、整形よりも、内面の美しさ
を望むというような発言があり、話題となったそうです。
詳しくはこちらの記事を参照:
整形不要の「パーフェクト顔」、アーロン・クォックが
ICONIQの美貌を絶賛―香港


整形で作られたサイボーグのようなICONIQがいる所で
これはちょっときつい皮肉ででした。ICONIQは香港の
他に、台北やバンコクなども訪問していたようです。

こちらは台湾のイベントの様子です。



マキアージュのキャンペーンで同じクリエイティブが
言葉だけ変えて、香港、台湾、中国、シンガポール、
マレーシア、タイそして韓国で展開されています。

こちらが中国のもの。



こちらはタイ。



そしてこちらは韓国です。



もともと韓国で別の名前で活躍していた彼女を韓国の
人々はどう受け止めているのでしょう。

A社の代表取締役社長のオフィシャルブログ『仕事が遊び
で遊びが仕事』
の中にこんな文章がありました。

いままで色々な女性アーティストにデビューの時に「坊主頭にしてくれ!」
と頼んで来たものののことごとく断られてきてましたが(笑)、
はじめて首を縦にふってくれたのがICONIQでした。
女性の命とも言えるロングヘアーをバッサリと切ったわけで、
彼女の決意と覚悟にたいへんな感動と感銘の
意を感じたのを強く覚えています。


まあいろいろと裏はあるんでしょうけどね。ところでこの
社長のブログのコメントのところを見ると、めちゃくちゃ
炎上してるじゃないですか! 今年の一月に集中しているの
ですが、その社長はそれらのコメントを一切放置してます。
いちいち見ていないのでしょうか?ICONIQはもう見捨てら
れたということなんでしょうか?広告主にとってもこういう
発言が野放しにされているのは問題だと思うんですが...

またこちらのGyaoのコメントを見ても、
ICONIQについての採点はみなさんめちゃくちゃ低いし、
発言もかなり厳しいですね。こういう逆境でもこのタレント
を使い続ける広告主はある意味すごいですね。なんだか心配
になってきてしまいました。マキアージュの売上は大丈夫
なんだろうかとか、広告代理店の担当はいずれこの件で
責任をとらされないだろうかとか、ICONIQは利用される
だけされて、あとは捨てられてしまうんじゃないかとか...

このICONIQ現象をみていて、数年前広告賞を総なめした
Doveのコマーシャルを思い出しました。こちらです。



広告の仕事をしていながら言うのもなんですが、広告には
騙されてはいけないちゅうことですね。また化粧や
整形にも騙されてはいかんちゅうことですね。

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月と愛とテレサ・テンとレスリー・チャン

2010-08-28 00:23:09 | HONG KONG

前回の記事の月の画像を少し黄色くして、コントラストをあげて
みました。輝きが少し増した感じになったでしょうか?

前回の記事で『但願人長久』という曲について触れたのですが、
月をテーマにした中国の歌といえば、何といっても『月亮代表
我的心』(ユェリャンダイビャオウォーダシン)ですね。日本語
にすると、「月が私の心を表している」という意味です。

これはテレサテンのオリジナルか、カバーしたものかは不明です
が、彼女の歌で大ヒットしたこの曲は、日本ではあまり馴染みが
ないけれど、中華圏ではかなり有名な曲となっています。

まずはどんな曲か、今は亡きテレサテンの歌をお聞きください。



中華圏では宴会の時の定番曲で、日本の駐在員が最初に覚える
中国語の曲としても有名です。じつは私も10年以上前にこの曲
だけは完璧に歌えるよう練習をしました。

これの意味を私ながらに訳してみました。

あなたは訊く、
私のあなたへの愛の深さがどれくらいなのかと、
私のあなたへの愛の大きさがどれくらいなのかと。
私の気持も本物だし、私の愛も本物。
あの月が私の心を表してくれています。

あなたは訊く、
私のあなたへの愛の深さがどれくらいなのかと、
私のあなたへの愛の大きさがどれくらいなのかと。
私の気持は移ろわず、私の愛も変わらない。
あの月が私の心を表してくれています。

軽く口づけしただけで、私の心はすでにときめき、
情が深まった今も、あなたのことを思わずにいられない。

あなたは訊く、
私のあなたへの愛の深さがどれくらいなのかと、
私のあなたへの愛の大きさがどれくらいなのかと。
想像してみてください。ご覧になってください。
あの月が私の心を表してくれています。


ここには月の明かりが清らかで偽りのないものという前提
があります。月の光と同じように、私の愛も純粋ということ
を言いたいのですね。前の記事でも触れたように、月には
嫦娥(じょうが)が月の女神となって住んでいると信じら
れていることも背景にあるのかもしれません。

しかし、これは文化が違うと、状況は全くことなります。

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の中でこんな
場面があります。

有名なバルコニーのシーンです。ロミオがジュリエットに
向かって、「あそこの木の上に美しく輝くあの月に誓って
(あなたのことを愛しています)」と言います。
するとジュリエットは、「どうか月に誓うのはやめて
ください。月は形が移ろうもの。一月のうちに姿を変えていく。
もしあなたの愛が移り気なものでないといえるのならば、
そんな月には誓わないで」と言うんですね。

ここで登場する月は、先ほどの「月亮代表我的心」の中の月と
全く違った意味で使われています。所変わればいろいろです。

「月亮代表我的心」の歌は、いろんな人にカバーされています
が、今は亡きレスリー・チャン(張國榮)がこの歌を歌って
いるのがありましたので、ご紹介しておきましょう。



97年のコンサートの時のものですが、彼もいろんな思いを
込めてこの歌を歌ったのでしょうか。レスリー・チャンのことは
このブログでも何度か書いていますので、興味のある方は
検索してみてください。

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月に行ってしまった嫦娥(じょうが)と東玻肉(とんぽうろう)

2010-08-27 01:06:03 | HONG KONG

昨日の記事で、中秋節のルーツともいうべき「嫦娥奔月」(じょうが
ほんげつ)について触れましたが、この話は以前、シンガポールの
博物館でアニメで見たのを思い出しました。太陽が10個出てきて、
それを弓で射ている勇者が出てきたのは今でも覚えています。あれは
非常にわかりやすかったので、YouTubeとかにないかなと思って探し
てみたら、その同じのはありませんでしたが、いっぱいあります。
アニメもあれば、京劇もあります。どれもいまひとつなのですが、
ちょっとこちらにご紹介しておきましょう。英語版です。



正義の味方のヒーローの名前は「ホウイー」という発音。そして
嫦娥は「チャンアー」という発音になっています。これは中国語読み
に従った発音です。「嫦娥奔月」も中国語で発音すると「チャンアー
ベンユェ」という感じになりますね。

最初の10個の太陽は、オゾン層が破壊されて地球温暖化になってし
まった状態のようですね。



でもこちらの話ではホウイーが悪いやつになってしまっていますね。
見かねたチャンアー(嫦娥)が、ホウイーの不老長寿の薬を飲んで
しまい、月に行ってしまうという展開になっています。月に行くと
いう結果は同じなのですが、後半のストーリーはいろいろあるよう
です。

テレサテンが歌っていて、後にフェイウォンもカバーした
「但願人長久」(タンイェンレンチャンジュウ)という歌があります。
月を見ながら遠く離れた相手に思いを馳せるというような内容です。



人に悲歡離合(悲しみや喜び、別れや出会い)有り,
月に陰晴圓缺(曇ったり晴れたり、満ちたり欠けたり)有り,
此の事 古(いにしへ)より全(まつた)きこと難(かた)し。
但だ願はくは人、長久にして,
千里 嬋娟(せんけん)を共にせんことを。


という歌詞があります。もうちょっとわかりやすくしてみると
こんな感じになると思います。

月が晴れたり曇ったり、満ちたり欠けたりするように
人には喜びや悲しみ、出会いや別れがある。
こういうことは昔から、なかなかうまくはいかない。
ただ願わくは、遠く離れているあなた、ずっとずっと元気で、
そして地球のどこにいてもこの美しい月をともにに眺める
ことができますように。


なんだか遠距離を励ますような内容ですね。
ここに出てくる嬋娟(せんけん)という言葉ですが、これは月の
あでやかで美しいことを意味していて、月の別名でもあるよう
ですが、じつはこれ月に住んでいるという嫦娥のことも意味して
いるようなんですね。月にはウサギだけじゃなくて、月に昇って
いった嫦娥もまだいるんですね。

この歌の歌詞は、実は蘇軾(そ しょく、1036ー1101)という
北宋時代の有名な詩人の詩なんですね。唐宋八大家の一人だと
いうことです。こんな感じの人です。



実はこの人、蘇東坡とも呼ばれていたそうです。この「東坡」と
いう文字、どっかで見た記憶がありませんか?そう東坡に肉を
つけると東坡肉(トンポーロー)です。豚の角煮の料理ですが、
蘇軾がこれを好きだったとか、料理をしながら書道に打ち込んで
いる間に煮込みすぎて偶然これができてしまったとか諸説ある
ようですが、ほぼ1000年も先の未来に自分の詩とともに、自分
の名前のついた料理が人気になっているとは思ってもみなかった
でしょうね。

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月のウサギと不老長寿の薬

2010-08-25 23:45:35 | HONG KONG

香港のワンチャイにOVO Loungeというお洒落な
モダンチャイニーズレストランがあります。MTRのワンチャイの
駅から歩いてすぐのところですが、ジョンストン・ロードにある
歴史的な建物の中にあります。



このビルの地上階です。



週末を挟んで香港に来ていた妻が、一度行ってみたいというので、
行ってみました。インテリアとかがかなりお洒落な中華のお店
です。ランチタイムにはとても上品な飲茶があって、味も雰囲気
もかなりよい感じです。

で、一番上の写真は、コースのデザートなのですが、ウサギの形
をした小さな饅頭がついていました。メニューには漢字で兎の
文字があったので、妻は「まさか兎の肉を使った食べ物?」と
一瞬びびったのですが、形がウサギというだけで、中は黄色の
カスタードクリームのような感じでした。

これを食べながら、このウサギのデザートは今の季節だけの物
なのか、それともこのお店のシンボル的なものなのかちょっと
わかりませんでした。というのも今の季節は、月餅のシーズン
で、ウサギのモチーフもよく使われます。

たとえば、こちら。



ちなみに香港の中秋節は9月の23日が祝日となっています。

しかし、このお店の名前も「祇月」というので、もともと
ウサギが関係しているという可能性はあります。

月にウサギがいるという伝説は、日本独自のものではなく、
古代中国にも、世界各地にもあったようです。月の模様に
ウサギの姿を見た人々は昔からいっぱいいたんですね。

ところで、日本では月のウサギは餅をついているということに
なっているのですが、古代中国では、餅ではなく、杵で薬を
作っているのだそうです。しかも不老長寿の薬を。

古代中国の神話に、「嫦娥奔月」(じょうがほんげつ)という話し
があります。「嫦娥、月に奔る(はしる)」とも読みます。
嫦娥(じょうが)というのは、こうげいというスーパーヒーロー
の奥さんで、かなりの美女でした。こうげいは、天空に太陽が
10個出現したときに、9個の太陽を弓で射落として、地球を救う
というすごいスーパーマンでした。この人がある日、不老長寿の
薬を手に入れます。それを奥さんの嫦娥(じょうが)に預けます。

その薬を狙って悪党が嫦娥に迫った時、嫦娥はその薬を奪われ
まいとして、自らが飲んでしまいます。すると、嫦娥の身体が
宙に浮いて、そのまま月に行ってしまったというのです。
こんな感じです。



旦那のスーパーヒーローのこうげいは、それを知って、必死で
月を追いかけます。でも月に到達できはしません。こうげいは、
嫦娥(じょうが)のことを思って、月を見上げ、お供えをした
のだそうです。ここから中秋節が始まったと言われております。

日本のかぐや姫のルーツのような話しですね。竹取物語に登場
するかぐや姫も最後は月に帰ります。その時に、育ててくれた
おじいさんとおばあさんに、不老長寿の薬をプレゼントとして
置いていきます。おそらく月でウサギが製造していたやつです
ね。でもその老夫婦は「かぐや姫がいなくなってしまったんで
は長生きをしても何の意味があろうか」ということで、その
不老長寿の薬を日本で一番、天に近い山で燃やしてしまいます。
その山が不死山となり、今の富士山(ふじさん)になったとか。

不老長寿と、月と、ウサギが何となく結びつきますね。
そういえば、中国は月探査計画を積極的に進めているのですが、
そのプロジェクトは『嫦娥計画(じょうがけいかく)』と名付
けられているそうです。いちおう計画では今年、「嫦娥2号」
という衛星を打ち上げる予定になっています。月面周回を行う
ようです。そういえば「あずさ2号」という狩人の名曲があり
ましたね。全く関係ないですが。

不老長寿と言えば、日本では続々と、所在不明の高齢者が出て
きていますね。大阪では152才の男性のニュースが出ていまし
た。本当だったら日本はギネスブックの世界最高年齢者続出
ということになりますね。100才を越えたら、昔だったらもう
ほとんど不老長寿と同じ意味とも言えます。でも昔の人が思っ
たように、不老長寿が必ずしも幸せとは結びつかないんで
しょうけどね。

今日の飛行機で、我が妻は東京に帰ってしまいました。
嫦娥(じょうが)が月に昇った時に夫のこうがいがどんな
気持ちだったのかが、何だか、よ~くわかるような気がします。

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シンセンの東門に行ってきました

2010-08-22 12:58:45 | HONG KONG

シンセンは香港から電車で気軽に行ける中国本土で、国境
の羅湖(広東語でLowu=ローウー、普通話では
Luohu=ルオフーと発音)の駅前近辺のショッピング
センターには何度か行ったことがあったのですが、その
ちょっと先に東門という地域があるということをMy Wifeが
ブログで見つけて、そこに行ってみようということになりま
した。

そこは東門という地区で、数年前に、とある企業ビデオの
撮影でたまたま来た場所がそこなのかなと思ったらそうで
した。中国とは思えないほどのお洒落なストリートがある
街だったのを記憶していて、マクドナルドの建物は鮮明に
覚えているのですが、今回行ってマクドナルドは変らずに
ありましたが、そのあたりが東門でした。



こちらが東門のマクドナルドの建物です。昔の中国風の
建物がちょっとお洒落です。そしてこちらは、KFC
(ケンタッキーフライドチキン)が入っている建物です。



昔と今が同居しているような、西洋と東洋が見事に調和
しているような不思議な感覚になります。

細い通りが何本もあって、洋服屋、アクセサリー屋、
携帯電話屋、靴屋、ショッピングセンター、食べ物屋が
ぎっしり並んでいて、上野アメ横というか、原宿竹下
通りというか、渋谷センター街というか、 買い物天国
です。



道行く人々が、思った以上にお洒落なのにはびっくりします。
出張で時々行く上海のほうがよほど田舎者に思えてしまいます。



こちらの右側の建物は、靴屋さんばかりが入っている建物
聞いたこともないようなローカルブランドばかりが入って
います。有名ブランドを意識したものが多く、Adivonと
いうブランドなどは、ロゴも靴のデザインも見るからに
アディダス。でも作りはちゃんとしていて、この中から
将来のメジャーブランドが出てきそうな雰囲気はあります。

さて、この東門地区なのですが、実はどうやって行ったら
よいのか行く前は不安でした。ウェブで調べても何か
わかりにくい。でも今回行ってみて、意外と簡単に行けた
ので、ここにご紹介しておきます。

特別解説・東門への行き方

シンセンの羅湖で中国に入国すると、どっちに
行ったらいいのかちょっと戸惑うのですが、『地鉄』と
いう表示を見つけて、エスカレータで地下におります。



切符売り場がありますので、ここの自動販売機で切符を
買います。パネルで行く先を選んで、人数を押して、
お金を入れます。東門の最寄りの駅は「老街」という駅
で、ここから二つめ。料金は人民元で2元です。



先日上海に出張で行ったときのコインがあったので持っ
きたつもりになっていたのですが、間違えてインドの
ルピーが混ざっています。これでは使えません。仕方な
く自動販売機ではなく近くの窓口で「ローガイ」
と言って切符を買いました。

広東語では「ローガイ」というふうに日本語よみに近い
発音ですが、普通話では「ラオジエ」という発音になり
ます。

で、こちらが切符。



カジノのチップのようです。改札ゲートではこれを、
センサー部分に接触させるだけでゲートが開きます。



こちらが改札ゲート。真新しく綺麗です。

電車の中も香港のMTRよりも明るく綺麗。



二駅で目的地の老街に到着します。あっという間です。



降りるときは、改札のところにコインを入れるスリット
がありますので、そこに先ほどのコインを入れると
ゲートが開きます。



戻るときも同じ感じでLuohuまで戻ればよいので簡単です。

老街の駅を降りて、どう行ったらよいのか実は不安だった
のですが、この駅がもう、東門地区の中にあり、どこから
地上に出てもそこは東門です。迷わないために、出た道を
覚えておくことが重要です。

私たちは、いきなり地上に出ずに、地下で通じている
ショッピングセンターに入りました。卓球用品という掲示
が出ているのがいかにも中国だなと思いましたが、卓球と
いうのは、ビリヤードのことだったかもしれません。

ショッピングセンターの地下は、いきなりアメ横の雰囲気
です。携帯電話やら、DVDやら、アクセサリーやらの売り場
が所狭しと並んでいます。

私は知らなかったのですが、キャスキッドソンという英国の
ブランドの商品がやたらにいっぱい売られています。日本で
もそこそこ人気なんだそうですね。あちこちのお店で、
キャスキッドソンのバッグやら小物入れが溢れています。
しかも驚くべき安さ。本物ではないのでしょうが、きちっと
した作りです。



前にシンセンに来たときはアニエスBとか、ゴヤールとかが
流行っていたのですが、この東門のショッピングセンターで
やたら流行っているのがキャスキッドソンです。これは
ちょっとびっくりでした。

あと、もう一つびっくりしたのはDVD屋です。かなり大きな
売り場スペース。日本の映画もドラマもいっぱいあります。
私はそこで『龍馬伝』のDVDを見つけました。これはすごい!
第一部は第一回から十三回(さらば土佐よ)までが入っています。
第二部は第十四回(お尋ね者龍馬)から二十八回(武市の夢)
までが入っています。日本ではまだ第二部は出てないんじゃ
ないかと思うのですが、それがここではもう出ています。
しかも画像は鮮明!日本で買うと何万円もすると思うのですが、
信じられないくらいの安さです。しかも支払いは香港ドルもOK。
これはすごいです。

あとシンセンでは、羅湖の駅のそばで、テーブルクロスと、シャツ
やズボンをオーダーメード。 オーダーメードがユニクロ価格で
これまたびっくりです。My Wifeも自分の洋服をオーダーした
のですが、後で注文用紙に「老婆」と書かれていてショックを
受けていました。でも「老婆」とは中国語で「奥さん」という
意味だと教えてあげたらほっとしておりました。

今回のシンセン・東門への数時間の小旅行はかなり楽しめました。
行く前は、大丈夫かなと思ったのですが、行ってみると何とか
なるものですね。

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かつて香港のワンチャイはヘネシーロードが海岸線だった

2010-08-20 23:49:05 | HONG KONG

この上の画像は香港のワンチャイ付近の航空写真ですが、青い
点線がヘネシーロードです。65年前まではここが香港の海岸線
だったと言われると、ちょっとびっくりなんですが、
事実なのです。

炎天下の香港でランチに行こうと歩いていたら、ワンチャイ駅の
すぐ隣のSouthorn Playground (修頓遊樂場)のヘネシーロード
側のあたり何か表示が出ているのが見えました。上の航空写真で
赤丸のついているあたりが、そのあたりです。



この写真の左手はヘネシーロード、右のアーチ場の物を入ると
Southorn Playground (修頓遊樂場)です。ちょっと近づいて
みます。こちらが表示のアップです。



1930年から1945年の間、このへんが海岸線だったということ
です。昭和5年から、昭和20年の15年間です。後半の数年間は
日本の占領時代です。

地図をアップするとこんな感じです。



ヘネシーロードが当時の海岸線だったのですね。
ヘネシーロードは海からかなり離れている感じなのですが、
ずいぶん埋め立てられたものです。1930年以前は、もっと
内陸まで海だったようですが。

こちらがヘネシーロード。



すぐ先がワンチャイのMTRの駅です。道の向こう側がかつては
海だったのですね。

そしてこちらがSouthorn Playground (修頓遊樂場)の様子。



ビルの群れの真ん中にぽっかりとあいた空間です。

昔の香港の海狭の幅は今より遥かに広かったのですね。
歴史の変遷を感じます。

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香港の長寿の秘密

2010-08-19 20:32:00 | HONG KONG

義父の葬儀が終わってすぐの日の新聞に日本の平均寿命が
さらに伸びたという記事が出ていました。日本の厚生労働省
が7月26日に発表したデータによると、日本の平均寿命
は男性が79.59歳、女性が86.44歳ということでした。

義父は71歳で亡くなったので、平均寿命に比べるとまだ
かなり若く、葬儀を終えたばかりの家庭にとってはちょっと
悲しみに追い打ちをかけるような酷な情報でした。

この後間もなく、高齢者の所在不明の問題が出てきて、海外
メディアからも日本の長寿国というのは虚構ではないかとの
指摘が出たりもしました。不明高齢者を除外していくと、平均
寿命は少し低下するのかなと思ってしまうのですが、厚生労働
省のデータは調査員が各家庭を実際に訪問する国勢調査を元に
作られているので、高齢者の所在不明によりこのデータが影響
されることはないということなんですね。でも本当にそうなの
かは何とも言えません。

しかし日本にいた時も自分は国勢調査の調査員というのに会っ
たことはなかったし、果たしてこの調査もどこまで信用できる
かというとちょっと疑問です。まあだいたいは正確なのだとは
思いますが。

さて、その時の記事は、日本の長寿記録がさらに伸びて、女性
は世界の一位を25年間連続でキープ、男女とも4年連続で記録
更新という内容でした。しかし私が注目したのは、香港が
意外と長寿国であるという事実でした。

香港は男性で79.8歳で二位(日本は五位)、女性は86.1歳で
こちらも二位です。これはちょっとすごいランキングです。

香港といえば、気候は決して快的というわけではなく、高温
多湿で、空気も綺麗というわけでもなく、住環境も狭苦しく、
街に緑が溢れているわけでもなく、人口密度が高くごみごみ
した街はストレスでいっぱいです。食生活もヘルシーな食事
をみんながしているわけでもありません。チャーシュー飯や
麺のお店を見ても、食生活はバランスが取れているともいえ
ません。みんなが太極拳とかをやって体を鍛えているという
感じでもないし、一見長寿というのが不思議な感じがします。

いろいろ香港長寿の理由を探ってみようと思ったのですが、
なかなかこれという文献が見当たりません。そこで香港の
ウェブで断片的に述べられていることとか、自分の仮説とか
を思いつくままにご紹介してみたいと思います。

香港長寿の理由その1
医食同源の考え方

香港の街では、漢方関係のお店や、健康食品のお店がやたら
目につきます。苦そうな中国茶のお店もあちこににあり、
亀ゼリーのお店もチェーン店がいくつもあります。ちょっと
体の具合が悪いときでも薬ではなく、スープとか飲み物で
直すという伝統があります。西洋医学の薬に頼らないこういう
健康管理の仕方が長寿に結びついているのではないかという
ことが考えられます。

香港長寿の理由その2
漢方医の存在と医者に行く事の気軽さ

香港には通常の西洋医学の医者の他に、漢方医というのが
かなりあります。西洋医学の限界というものもあるのかな
という気がします。ひょっとして漢方は長寿に関係している
のかもしれません。中国本土は、漢方はあっても、農薬の
問題やらいろんな問題があるので、漢方のよさが活かされて
いない可能性はあります。

香港長寿の理由その3
お茶を飲むこと

飲茶では基本はお茶です。ポーレイ(プーアル)のような
かなり苦めのお茶を飲みながら、食事をします。こういう
お茶が油の吸収を防ぎ、健康に貢献しているのかもしれま
せん。

香港長寿の理由その4
タバコを吸わないこと

どこかに香港の喫煙率は、日本に比べるとかなり低い数値
です。中国本土の人はタバコをスパスパ吸っている雰囲気
がありますが、香港は禁煙も厳しくなっているし、喫煙率
は低いものと思われます。このへんも長寿の理由かもしれ
ません。

香港長寿の理由その5
適度なストレス

香港の人のサイトに出ていたのですが、香港はちょっと外
に出ると刺激がいっぱいあり、そういうのが老人にとっては
よいとありました。静かすぎて環境が良すぎると、ボケて
しまったりするのですが、ちょっと緊張感があると逆にいつ
までも若々しくいられるのかもしれません。

香港長寿の理由その6
運動になる坂道と狭い歩道

香港は坂道が多く、歩道も狭く、老人にとっては(というか
若い人にとっても)快適とは言いがたい環境です。でもこう
いうのはかなり運動にはなります。また細い歩道で、人をよけ
ながら歩くことは、かなりの反射神経の鍛錬になります。
こういうのも老化を防止してくれているのかもしれません。

香港長寿の理由その7
親戚家族が年寄りを助けるという伝統

香港は地域が狭いので、老人をひとりぼっちにさせておかない
伝統があります。家族と同居していたり、同居してないにして
も週末にはみんなで食事をしたりという光景はよく見ます。
日本のように孤独な老人は少ないのかもしれません。

香港長寿の理由その8
介護の充実

香港にはフィリピンやインドネシアのメイドがいっぱいいます。
車椅子の老人の世話をしているメイドもよく見かけます。
メイドをうまく使うという文化があるため(また料金も安いと
思われる)、メイドを使うほうも、使われるほうも、割り切って
対応できているようです。メイドも結構、一生懸命世話をして
いて、日本人だったらちょっとここまでできないかもとも思え
ました。フィリピン人やインドネシア人は天性のヘルパーですね。

香港長寿の理由その9
競馬や麻雀の充実

香港には至るところに場外馬券売り場があります。毎日人が
たむろしています。麻雀も娯楽としてはおなじみです。こういう
ところで頭を使っていると、ひょっとしてそれがボケ防止だとか
老化防止だとかの役に立っているのかなという気もします。
これは何とも言えませんが。

香港長寿の理由その10
街にやたら活気がある

街市とか見るとやたら活気があります。人の歩くスピードも、
エスカレーターの速さも速いです。生活のリズムが香港映画その
もので、やたら元気です。ひょっとしてこういう部分が香港の
老人を元気づけていたりするのかもしれません。

以上10個の理由は、自分で適当に考えたものも多いので、真実
かどうかは責任が持てません。しかしながら結果としては、香港
は日本と同じく長寿国となっているので、何かの秘密があるのだ
と思います。何でも食べるという雑食性がよいのかもしれません
し、内蔵系とか、フカヒレとかそういうものがよいのかもしれ
ません。気功とかも関係あるのかもしれませんし、あるいは
秘密の長寿の薬があったり、超能力的な部分があったりするの
かもしれません。謎です。みなさんも何か思い当たる理由が
あったら教えてください。

ちょっと男性の一位がカタールというのもひっかかるのですが、
これままた別の機会に究明することといたしましょう。

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ふるさと3

2010-08-17 17:24:06 | 日本

愛知県の田原市の田原市博物館で2010年夏のイベントとして
小説家の杉浦明平(すぎうらみんぺい)さんの展示が8月の
22日まで行われています。お盆で故郷に寄ったときにちょっと
覗いてきました。子供の頃から地元の渥美半島に住んで活動を
している作家だということはよく知っていたのですが、その
作品をそれほど読んでいたわけではありませんでした。

この人のことはそれほど知らなかったのですが、1913年渥美
半島で生まれ、2001年に亡くなった小説家でした。詩人の立原
道造と同じ時代に学生時代を過ごし、立原道造が24才の若さで
亡くなった時に、彼の詩を編纂して詩集として出版したのはこの
人でした。

イタリア関係の著作もありますが、渥美半島に帰ってからも、
文人らとの交流は続き、地元の出来事に題材をとった作品を
書き続けていました。『台風十三号始末記』という小説は
映画化もされています。また、田原藩の家老でもあった
渡辺崋山について書いた『小説渡辺崋山』で毎日出版文化賞
や、中日文化賞を受賞しています。

こちらはその展示のチラシの裏の説明書きです。



この展示では、有名な作家や文化人たちとの書簡が数多く展示
されていました。詩人の立原道造をはじめ、文芸評論家の寺田
透、作家の野間宏、高見順、木下順二や、映画監督の山本薩夫
や、その他様々な小説家、評論家、文化人との書簡がいろいろ
と展示されていました。すっかり忘れていた懐かしい名前でした。

その中に、太宰治に対して書いた原稿がありました。杉浦明平
の直筆で、原稿用紙に何枚にも渡って書いてありました。
どうやら杉浦明平は太宰治には面識がないようでした。書き出し
は、まだ会ったことはないけれど、作品を読んで、書かないで
はいられなかったというようなことが書いてありました。
これらの文字を見ていると、太宰治が現実の人物として急に
身近に感じられてくるのでした。

売店で、立原道造の手書きの詩集『さふらん』の復刻版が売られ
ていました。1000円だったのですが、思わず買ってしまいました。



そういえば自分も若い頃、手書きの詩集を印刷して売っていたの
を思い出しました。タイトルは『HEART COLLECTION』。
立原道造の『さふらん』の詩集とちょうど同じくらいの小ささ
だったので、懐かしく思い出してしまいました。

あと、田原市博物館の中に並べられていた書籍を見ていたら、
高校の時の美術の先生であり、美術部の顧問だった仲谷孝夫先生
の画集がありました。これもまた懐かしかったです。

この博物館で自分が見つけたものは、忘れていた自分の過去だった
ようです。

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ふるさと2

2010-08-17 00:15:20 | 日本

もう東京に戻ってきたのですが、愛知県田原市にある田原城趾
の建物です。天守閣ではなくて、二の丸の櫓なのですが、この
天守閣のを持たない田原城にとって、この櫓が天守の代わりと
して、城のシンボル的な役割を果たしていたのだそうです。

今はここは、田原市博物館の一部になっていて、渥美の考古学
的な展示や、 吉胡貝塚の展示などが行われています。でも実は
ここは私が中学生だったその昔、「郷土クラブ」という部活動
の部室だったので、ちょっと懐かしいです。

中学に入って、私は郷土クラブというのに入りました。文化系
のクラブなのですが、地元の古墳や窯跡の発掘を手伝うクラブ
で、結構な肉体労働でした。いわゆる土方作業で、夏休みは
ほとんど毎日、自転車で発掘現場まで駆けつけて、終日、土を
掘り出したりする作業をしておりました。ですので、かなりの
体力作りになりました。

この建物の中に、当時関わった窯跡や古墳などの出土品が展示
されていました。



こういう大きな瓶などが出土してくるのですが、バラバラに
なっているパーツをパズルのようにくっつけて復元するという
作業も中学生たちが行っていました。



こういうお皿や茶碗のようなものもいっぱいありました。
窯跡は、平安から鎌倉時代あたりのものなのですが、なだらか
な丘陵の斜面にこんな形で窯が作られていました。



この下の地図を見ると、鎌倉平安時代の窯があった場所が出て
いるのですが、瀬戸、常滑などは今でも焼き物では有名です。



渥美も当時は焼き物としては有名ブランドだったようなのです
が、やがて時代のなかで淘汰されて消滅していったようなのです。

この発掘を指導していた先生が、渥美半島の考古学では有名な
小野田勝一先生だったのですが、平成20年に85歳で亡くなられて
いたようです。たまたま田原博物館で『田原の文化・第36号』と
いう文献を見ていたら、そこに小野田先生のことが出ていました。

私が中学の二年の時に、小野田先生の英語の授業を受けたのです
が、きちっとしたイギリス英語の発音でした。でも本業は考古学
だったのですね。その文献の中の発掘調査の記録を見ると、
1968年の坪沢窯跡の発掘、1969年の城宝寺古墳(測量調査)、
籠池古墳、神明社古墳、新実古墳などが出てくるのですが、
このへんは中学生だった私が関わったプロジェクトでした。

中学三年になると、先生も転勤されてしまい、郷土クラブの活動
も下火になっていってしまったのですが、何だか懐かしいです。
40年以上も前のお話です。

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ふるさと

2010-08-15 22:56:55 | 日本

故郷の小学校の校庭で見かけたアブラゼミです。
今日の日曜の故郷は猛烈な暑さでした。
セミの声が暑さをさらにヒートアップさせます。
「セミは一週間しか生きられないから、捕まえちゃ
いけない」と妻は子供の頃、父親から言われたのだとか。
一方、ぼくは、子供の頃、夏には、近所のお寺でセミを捕って
ばかりいました。

香港の街中にいると、セミの声を聞く機会がない。
日本でセミの鳴き声を聞くと、日本の夏を感じます。
それと同時に子供の頃のことが思い出されてくるんですね。



小学校の校庭。誰もいない広々とした運動場。
こんなに広かったっけなあ。
この運動場の記憶は、ドッジボールと運動会。

運動場の隅に小さな鉄棒がありました。



こんなんあったっけなあ。
中学の頃は、もっと高い鉄棒で、さかあがりとか、
前回りとか、やらされたのは覚えているけど、
小学校はあまり記憶がない。

こちらは校舎。



校舎は改装しているけど、基本的な造りは昔と変っていない。
国旗が揚がっているが、半旗になっている。
終戦記念日だから半旗にしてるんだろうか。
半旗ってまともに見たのは初めてだけど(日本の国旗自体も
久しく見てないですけど)、こういう日は半旗なんでしょうか?



小学校の前に「すずや」という文房具屋がありました。
よくそこに文房具を買いに行ったことを思い出します。
むかしは町のあちこちに文房具屋があったんですけどね。

この後、田原城の跡に行き、田原市博物館に行きました。



この博物館では、渥美半島の小説家の杉浦明平さんの
展示を行っていました。懐かしかったです。

それから、暑い真夏の炎天下を歩き回った後、お寺に
お参りに行き、そして電車に乗ったのでした。



この駅は豊橋鉄道渥美線の終着駅。
ここから豊橋に出て、そこから東京に戻ってきました。

ふるさとがあるというものはいいもんですね。

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香港の空港内に粥麺専科の正斗がオープン

2010-08-14 12:34:13 | HONG KONG

お盆に里帰りのため、昨日の飛行機で香港から日本に来ました。
香港の空港の中に粥麺専科の正斗ができていました。8月の頭
に、香港の空港に来たときは、工事中で、正斗ができるという
表示だけ出ていたのですが、8月13日の時点では、すっかり
オープンしていました。

これは、ワンタン麺や、飲茶で有名なお店で、香港駅の上の
IFCの中や香港数カ所にお店のあるお店なのですが、空港内に
できてちょっと感激です。香港のミシュランにも登場している
お店なんですが、観光で来て日本に帰る人もここで最後の香港
の味を堪能できます。



活気のある調理場の様子がガラス超しに見えています。
このお店は、香港の空港でパスポート審査を受けた後すぐの
あたりにあります。



香港では有名なファミレスチェーンのCafe de Coral(大家樂)
のすぐ隣。ちょっと人だかりがすごいのですが、注文とピック
アップは至って簡単です。

まずは、向かって左側にある注文カウンターへ。



列に並んで順番に空いたレジで注文します。だいたいこんな
感じのものが注文できます。



飲み物もそこで注文できますが、レジのすぐ左にある飲み物
ケースから勝手にとってきてレジで支払いをしても大丈夫です。



支払いをしたらそのレシートをなくさないようにしましょう。

レシートの一番上に番号がありますが、これが重要です。



この上のは私が注文した叉焼撈麺(チャーシューローメン)と
ドリンク。このレシートを持って、左側のカウンターの方に
行きます。



ここで、レシートの番号を呼ばれるのですが、このカウンター
の上のLED表示に、赤い文字で番号が表示されるようになって
いるので、遠くにいてもよくわかります。ここで自分が注文し
たものをもらうということになります。

テーブルはどこのテーブルでもかまいません。空いている所に
もっていって食べます。

ちなみに私が注文したのはこちら。



撈麺(ローメン)とは汁無しの麺なのですが、汁に浸したり
して食べます。チャーシューが乗っています。

さて、食べ終わったら、テーブルの上にそのまま残しておいて
大丈夫です。自分で持ってお店に持って行こうとすると逆に
お店のほうで迷惑がられてしまいます。食べ終わった食器を
受け取るところも、洗うところもないからです。こういう所は
食べ終わった食器は係の人が回収してまとめてどこかで洗って
いるんですね。

日本から来た人は、テーブルの上に食器を置いたままにして
おくことに罪悪感を感じてしまいますが、アジアではだいたい
置き去りで大丈夫なんですね。

というわけで、今回の旅では、香港の空港に正斗がオープン
したというニュースをいち早くキャッチできてラッキーだった
のですが。ついでにもう一つ。その隣にあった潮州百樂のお店
も工事になっていて、どうやら別のお店ができるようでした。



香港の空港は、以前の記事、アジアが世界に誇る国際空港
( 2010年7月6日)

の中でもご紹介しましたが、英国Skytrax社の調査で、今年、
「ベストエアポートダイニング」で世界の1位に輝いてい
ます。飛行機を待つ間にもグルメを堪能できるという
のはさすが香港ですね。

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香港の新聞に報道されたナガサキ

2010-08-11 00:21:04 | 日本

先日の記事でヒロシマの記事についてご紹介したのですが、
今日(2010年8月10日)の香港のSouth China Morning Post
にナガサキの原爆についての記事が出ていたので、ご紹介して
おきます。

それは中ページの小さな記事でした。浦上天主堂で祈りを捧げる
婦人たちの写真が印象的です。香港の新聞は、日本の新聞に比べ
て、写真の使い方が上手な気がします。日本の新聞の写真では
あまり印象的な写真がありませんが、この新聞はこんな小さな
写真一つも構図から光の具合から見事に考えられていて、素晴ら
しい写真になっています。

そしてそのキャプションがまた素晴らしい。"A survivor at a
mass at the rebuilt Urakami Cathedral, Nagasaki, for
victims of the world's second and last atomic bombing."
日本語に訳すと、「再建された浦上天主堂で、世界で二番目で
あり最後の原子爆弾爆撃の犠牲者のためのミサで祈りを捧げる
生存者たち」となっています。ナガサキの原爆を単に「二番目」
と言わず、「二番目にして(史上)最後の」と言っています。
この「最後」という言葉に、「もう二度とこのような惨劇は
繰り返してはいけない、ナガサキの原爆が人類史上最後の原爆
となるのだ」という痛烈なメッセージが込められています。
この"and last"という短い言葉、実に感動的です。

この記事の見出しは、ナガサキの65周年に英国とフランスが
出席というもので、この記事はフランスのAFPから発信されて
いるもののようです。

最初のパラグラフで、"the 65th anniversary of its destruction
by a US atomic bomb"と出ています。「米国の原爆による
破壊の65周年」という意味ですが、"US atomic bomb"という
ふうに"US"というのが強調されるように使われています。
この原爆投下は連合国のコンセンサスではなく、アメリカが
独断で行ったことであり、我々はまったく原爆投下の正当性
などは認めていないぞ、ということを強調している雰囲気が
あるような気がします。

記事は以下のように続きます。
「アメリカはヒロシマには出席したが、ナガサキには欠席した。
調整がつかなかったということらしい。英国とフランスは
金曜日の式典にも、ナガサキの式典にも両方とも出席した。
これは核軍縮を支持するためである」という文章の行間には
アメリカに対する非難と、英国、フランスの決意が表現されて
いる気がします。これは核に対する世論の大きな変化では
ないかという気がします。ヒロシマとナガサキのメッセージ
が世界を核軍縮に向けて動かしているという感じがします。

また出席した32カ国の代表の中には、これも初めて参加した
イスラエルの姿があったということも言及されています。
それが何だと詳しくは述べられていませんが、あのイスラエル
ですら参列しているのに、アメリカはどうしたという批判の
ように思えて仕方がありません。

最後は、一切の核兵器の廃絶を訴える田上市長の言葉で
締めくくられています。

短いですが、核兵器廃絶に向けての世界的な動きがこの小さな
記事に込められている気がいたしましたので、ここにご紹介
しました。アメリカの人々にも是非読んでいただきたいと
思います。

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香港の新聞に報道されたヒロシマ

2010-08-08 23:15:45 | 日本

2010年8月8月7日の香港のサウス・チャイナ・モーニング・ポスト
(South China Morning Post)の最終ページ。一面全部を使って、14
才の時に広島で被爆した橋爪文(Hashizume Bun)さんの記事が出て
いました。Norman Aisbettという人が書いた記事でした。

沢山の鳩が原爆ドームの前を飛んでいる写真が大きく使われています。
この写真はAP通信のHikaru Kikkawaというクレジットがついています。
望遠レンズで撮っているので、鳩に焦点があっているのですが、
奥の原爆ドームは熱気で、もやっているようなふうに見えます。65年
前のあの日もこんな暑い日だったのかと思わせるような写真です。

海外の新聞報道で、原爆の記事がこんなに大きく扱われているのを
見たのは初めてです。しかもこれはニュースではなく、橋爪文さん
の体験を元にしたレポートとなっていいます。ルース駐日米大使や
国連の潘基文(バン・キムン)事務総長が広島の平和記念式典に出席
したという話しは、別途、中ページにも出ています。



この報道記事だけでも、ページの半分以上を使っています。この
写真の右側の女性は中尾つゆ子さん(92才)、左は池上きぬよさん
(77才)で、広島の原爆で失った友達や親戚を思い嘆き悲しんで
いるというキャプションが付けられています。

さて、冒頭の記事なんですが、見出しは、"A mission to warn
the world"(世界に警告をするという使命)となっています。
これは被爆者であり詩人でもある橋爪文さんが、命の続く限り
原爆の恐ろしさを海外の人々に伝えるという活動を続けていく
という記事です。14才の時に広島で被爆し、奇跡的に生存でき、
助けてくれた人々が次々と亡くなっていく中で、原爆の悲惨さ
を詩にまとめていきます。

2001年に刊行された詩集が、英語に翻訳されて来年出版される
とこの記事の中に出ていました。原爆の真実がより多くの人々に
伝えられていくことはよいことだと思います。

アメリカはいまだに原爆投下を戦争を終わらせるためにはやむ
をえなかったと正当化しているようです。しかしいずれの日にか
これが間違った行いであったと認識される日が来ることを信じて
います。

この記事の中には、恐ろしい被爆の実態が、生々しい表現で記述
されています。またABCC (Atomic Bomb Casualties Commission)
の話しも出てきます。アメリカが原爆を生体実験として使い、
調査データの収集のみ行い、治療活動は行わず、また調査データ
もアメリカに持ち帰られてしまい、その詳細が日本にも世界にも
知られずに封印されてしまったという話しも書かれています。

また、数多くの被爆者の女性が結婚を断念せざるをえなかった
ことなども出てきます。このへんは今村昌平監督の映画『黒い雨』
にも描かれていることですね。橋爪文さんが「原子爆弾はどんな
理由であろうとも正当化されるものではない」と言っている言葉
がこの記事の中にも引用されています。

こういう話しが英文の記事として出てくるのは、アメリカに
とっては都合が悪いことでしょうが、同じ過ちを二度と繰り返さ
ないためにも、世界の人に原爆の悲惨さをもっと認識してもらう
のが重要だと思うのであります。

被爆者のみなさまのご冥福をお祈りいたします。

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