わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第149回 何ものともわからないしらべ-立原道造- 栗生えり

2015-05-24 17:48:53 | 詩客

 まだ建築設計を学びたての頃、それなりの手ごたえを感じながら出した模型とスケッチについてこう言われたことがある。「これじゃあただのコンポジションに過ぎないよ」
 コンポジションという語にはいくつかの意味があるが、教官の意図は概ねこういうことであっただろう:「これでは要素と要素の関係をざっとさらって、全体としての構成をなんとなく整えただけに過ぎない」と。

 

 コンポジション、構成あるいは構図、この言葉は私の頭をおおいに悩ませた。思いもしなかったところで設計が煮詰まり、手が動かなくなってしまった時期もあった。空間の設計においても、詩歌においても、私にこの言葉についてのヒントを与えてくれた詩人、それが立原道造である。

 

 立原道造記念館(※現在は閉館)は大学の校門のすぐ前にあったので、本当にたまたま気分転換に入った、というところだったと思う。それまでは彼の建築家としての側面ばかりに目が行っていて、詩人としての印象は「高校の授業で読んだなあ」という程度しかなかった分、正面玄関の石碑に刻んであった「やさしいひとらよ たづねるな!」に始まる詩の印象は強烈であった。


 やさしいひとらよ たづねるな!
 ―なにをおまへはして来たかと 私に
 やすみなく 忘れすてねばならない
 そそぎこめ すべてを 夜に……

 いまは 嘆きも 叫びも ささやきも
 暗い碧の闇のなかに
 私のためには 花となれ!
 咲くやうに にほふやうに

(「ふるさとの夜に寄す」部分)

 

 高校の授業で読んだときに漠然と抱いた「ふわふわした歌」というイメージが一瞬で吹き飛ぶインパクトだった。そこから展示物を見て、詩集を読み、驚いた。一体どこが「ふわふわ」しているのか、と。言葉が、言葉のまま、即物的な状態でそこにある、と感じた。いまだにうまく言い表せないが、衝撃を覚えた。

 

 道造はソネット(十四行詩)形式の詩を多く残した。形式、型はたしかに、そこにある。しかし型に語らせるのではなく、内側も外側もない、形のない想いや憧憬を歌っている。各要素が、イメージを喚起させる抽象的な装置として、配置されている。強い言葉や言い回しで記憶に焼き付けるでもなく、関係性を変に偽装するでもない。浮遊感、透明感があり、だが力強い独白である。

 

 死の直前、道造は家を設計していた。自分のための小さな小さな別荘だ。


 僕は、窓がひとつ欲しい。
 あまり大きくてはいけない。そして外に鎧戸、内にレースのカーテンを持つてゐなくてはいけない、ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない。窓台は大きい方がいいだらう。窓台の上には花などを飾る、花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。
 そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。湖水のほとりにはポプラがある。お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐる。湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし青の強い色だ、そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、その雲ははつきりした輪廓がいくらか空の青に溶けこんでゐる。
 僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に座つてうつらうつらと睡つてゐる。タぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。
 僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。……

(「鉛筆・ネクタイ・窓」部分)

 

 個人的な思い入れによる強引なこじつけかもしれないが、彼にとって型とは、窓のようなものだったのかもしれないと私は思っている。描きたいもの、可視不可視の風景、それらは自分を取り巻く外界として存在している。窓=型はそれを目撃(/感受)し切り取るための装置であり、言葉で飾り付けたり勢いで圧倒させたりするためのものではない。型に嵌めるだとか納めるだとか、そういうことではないのだ。言葉は窓=型という装置によって、主体からの抽象的距離感を保ちながら詩の空間の中に繊細に配置されていく。あまり深く考えずに抽象的距離感とつい書いてしまったが……作り手は詩の空間において、距離感を操り奥行きを構築している。それを読み手が読むときに自然と感じ取るもののひとつが、それこそリズムであり、歌のしらべなのかもしれない。このこと自体は、定型詩であろうと自由詩であろうときっと変わらない。定型詩の場合は、読み手も基本的には「定型詩として」読むので、定型は読み手にとってもまた窓である。が、本来は自由詩であれ定型詩であれ、作り手にも読み手にもそれぞれの窓=型があるのだ。

 

 歌のしらべについて、道造は以下のように書いている。

 

 僕はこの詩集がそれを読んだ人たちに忘れられたころ、不意に何ものともわからないしらべとなって、たしかめられず心の底でかすかにうたう奇蹟をねがふ。そのとき、この歌のしらべが語るもの、それが誰のものであろうとも、僕のあこがれる歌の秘密なのだ。

(「風信子」部分)

 

 この「何ものともわからないしらべ」という言葉に、私はえも言われぬ希望を感じる。自由詩であろうと、定型詩であろうと、歌のしらべは存在する。立原道造は私にとって、定型詩とは何か、自由詩とは何か、その境界と越境のありかたについてはっとさせてくれる詩人である。

 

 道造が設計していた家の名前は、この草稿「風信子」と同じ名である。急逝によりその家―"ヒヤシンスハウス"は実現することはなかったが、残された図面、スケッチ、文章から、彼が想い描いた空間に触れることができる。小さな家、小さな部屋、ひとつきりのベッド。ひとつの部屋でしかないひとつの家、その小さな窓から外の世界をただ眺める。部屋は、家であり、窓であり、外界を切り取る装置であり、彼の日々を取り巻く世界としてそこに立ち上がるはずであったのだろう。

 ヒヤシンスハウスは道造の死の65年後、埼玉県の公園の中にひっそりと建設された。道造が描いた夢の空間。作者不在の、虚構、でもそこに確かにあるあの空間に、今でも思いを馳せてやまない。


 とほくあれ 限り知らない悲しみよ にくしみよ……
 ああ帰つて来た 私の横たはるほとりには
 花のみ 白く咲いてあれ! 幼かつた日のやうに

(「ふるさとの夜に寄す」部分)

 

 さて冒頭の話に戻るが、なぜ私の検討案が「ただのコンポジション」と言われたのか、今ならわかる。ただ言葉/要素を並べるだけ、組み合わせるだけではいけない。なんとなくの全体性に個々の言葉が埋もれてしまっているようではいけない。部分は部分、全体は全体とばらばらに発散または完結せず、部分と全体とが有機的につながり作用していること。個々の要素と全体とが、高いレベルでまとめ上げられていること。要素と要素との距離感がはっきりした力強い空間であること、と同時に、受け手に対し力技で訴えかけるのではなく、受け手が自然に感受できるような余地を残すこと。そのために、(たとえば詩におけるしらべ、リズムのような)不可視の回路とその強度について考えること。こうして言葉にするとなんとも当たり障りのない内容になってしまうが、私は何かをつくるとき、これらを常に念頭に置くようにしている。空間を設計するときにおいても、言葉を扱うときにおいても。

 

(栗生えり / 1988年生まれ。東京大学工学部建築学科卒。建築設計事務所勤務。2015年1月より作歌(短歌・漢詩)を始める。2015年3月より未来短歌会笹公人選歌欄に所属)

 


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