わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

ことば、ことば、ことば。第17回 雪1 相沢正一郎

2014-07-17 01:08:09 | 詩客

 雪国で育った詩人と雪を知らない詩人とでは「雪」に対する感じ方がだいぶ違うようです。《雪はじっさい油断できない》とは、八木忠栄さんのエッセイ「雪のなかの瞽女さん」。宮沢賢治の童話「水仙月の四日」では大きな象の頭のかたちをした雪丘の裾を、赤い毛布にくるまった子供がせかせかと家に急いでいる。すると、鷺の毛のような雪がいちめんに落ちてきたかとおもうと、やがて吹雪に。さて、八木さん、初期の作品から場所がたとえ《宮益坂/日比谷交差点/お茶の水駅前通り/池袋西口》(「あるこうぜミスタ・イケダ」)であっても、どこか追われて歩きにくい雪道をにげる感覚がありました。
 詩集『雪、おんおん』に収録された同じタイトルの作品を読んだとき、先にあげた「雪のなかの瞽女さん」を思い出しました。《一メートルほどの幅で雪を踏んで道をつける。六、七十センチつもった雪を、小学生の短い脚で踏むのは容易ではない。ゴム長のなかに雪が入る》。まだ暗い朝に叩き起こされた八木少年、寝ぼけまなこで玄関の戸を開けると、寒さで目がさめる。こうした眠りと覚醒、それから「寒さ」のなか「道つけ」の作業をするうちに《しだいにからだじゅうがポカポカしてきて、ひたいに汗がにじむ》「熱さ」――こうした矛盾に引き裂かれた痛み、異質なものの衝突のエネルギーは、八木さんの作品にはたくさんありました。
 《雪にすっぽり閉ざされて身動きとれない山裾の寒村》に棲む(八木さん一家のような)ひとびとと、《雪のかなたから、ゆっくりゆっくり門口を入ってきた》瞽女さん。(八木さんの家では、母が嫁いでくる前から瞽女宿をしていたそうです)。こうした定住と移動、家族と路上といった両面性。また、宿は演芸会の会場にもつかわれ、浪曲や田舎芝居に心はずませつつ、八木少年は道つけの作業に汗だくで雪を踏んだ――そんなハレとケの体験は、その後の寄席通いにつながっていったのでは。八木さんの詩からは、文字よりも語り、声、呼吸、間などが感じられます。口承文芸のようにことばが生きています。また、足で地面を踏みしめて歩き、走る速度が読む速度に重なり、からだにひびいてきます。
 木の橋をわたってくる女たちに「瞽女さん」を重ねて読んでいましたが、《目がない 口がない》彼女たち《藁くずになり ぼろきれになり/おろおろあるき すべってころぶ》スラップスティックな笑いと、かつて路上派として活躍したビートは健在、たとえば、三好達治の「雪」が太郎、次郎の屋根で止められたリフレインですが、《おどるビル群》や《あぶない餌をあさる鳩たち》、《ビキニをはみ出したムスメたちのお肉》など十四も降りつづく雪の過激さはあるものの饒舌が全体のバランスをくずさず、疾走することばの手綱はしっかり握られているのは八木さんが落語同様大好きな俳句の技術がブレーキになっているからでしょうか。たとえば落語家が旅噺を演じるときにでも座布団から決して外に出ないように、そうしてその制約、不自由さが逆に旅する人物の足取り、息遣い、躍動感や疲労などを感じさせる芸をみがく。この座布団の役割が俳句の定型なのかも。
 《おんおんおんおん/雪、いつどこでだって降っている》と七回くり返すフレーズも歯切れがいい。この《おんおんおんおん》という「言葉」というよりも泣き声に近い音、詩集『馬もアルコールも』に収められた「東京の雪」の《母の声を聞きながら、たちまち眼の前に吹きこんでくる雪をドッとあびる。母の声もいつしか、ただオーオーという声に変ってしまっている》の《オーオー》に重なります。同じ詩集の「菜の花」や、「ほうれんそう畑から」など、雪は母のイメージをはこんできます。同時にまた『雪、おんおん』の父をおくる詩「雪の野面へ」や『八木忠栄詩集』の「鶏を煮る」の鶏の羽毛をむしる父も。父には、どこか死の影がつきまとっていて《》や《憲兵さん》、そして《》(軍馬)のイメージをまとってよく登場します。「雪、おんおん」の《テッポーかついだ兵隊サン》にも、もしかしたら父の影があるかもしれませんね。さて、先に引用した十四の降る雪のアドリブに、落語噺《地獄八景亡者の戯れ》がさりげなく差し込まれていました。
 「鶏を煮る」では、鶏汁の大鍋をかこんで父、母、ぼくの家族が膳につく。しかし、母が脂の浮いた汁をすすって便所にかけこむ。その夜、眠れない「ぼく」が蒲団に胎児のように足をちぢめていると、雪の降り積もる静けさに冴えてくる耳に鶏の羽ばたきが《バタバタバタバタバタ……》。母は、末の弟をみごもっていた。『八木忠栄詩集』から、三十二年後に出版された『雪、おんおん』の「ちちははの庭・続」では、亡くなった父母、それに弟が土蔵が取り壊された更地に茣蓙を敷いて一本の桜の古木のわずかに残った花を見上げています(茶、酒、缶ビールと重箱の煮〆にまじって鶏の唐揚げもありました)。


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