Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

暑中見舞い

2018年07月20日 22時19分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★うす箋(がみ)に愁ひもつづり夏見舞     飯田蛇笏
★夏痩せに妻の饒舌ひびきけり         白岩三郎


 本日の横浜市の最高気温は13時直前の33.7℃。家から150メートルほどのところまで往復しただけで汗が噴き出てきた。

 暑中見舞い、私は出したことはないが、ここ数年幾枚か暑中見舞いのハガキを貰うことがある。中には丁寧に封書にて、涼し気な便箋に達筆でつづられた暑中見舞いもあり、字に劣等感を持つ私は恐縮するばかりである。この句の作者の手にした暑中見舞いには「愁い」が綴られていたというのだ。どんな愁いなのだろう。暑中見舞いを書いた本人の身近な愁いか、社会に対する愁いか、俳句ではそこまで明らかにすることはあまりない。しかし一定以上の年齢になるとその区別は無くなってくる。その区別がつかないのが高齢者の「愁い」であることが多い。

 そしてこの暑さでもっともイライラするのは、喫茶店や電車の隣りに縄った人のとりとめもなく、そしてメリハリのない饒舌なおしゃべりである。暑さで妻も子供もイライラが募っている。その愚痴に似たおしゃべりを聴き続けるのは確かにしんどい。それに耐えてこその夫であり、父親であると言ったところでなにも解決にはならない。もっとも家族同士のおしゃべり・饒舌は妻や子の専売ではないという。夫のおしゃべり・饒舌に辟易している職場の女性の愚痴にも付き合ったことがある。おしゃべりは女性・子供・年寄りの特技などではない。男のおしゃべりもまた、おおいなる迷惑行為なのである。要するにおしゃべり・饒舌は人の都合・周囲への配慮がなければ迷惑行為である。

 さて、横道にそれるが、そして再度強調したいが、このおしゃべり・饒舌は「女性」それも「高齢の女性」の特質とまで言う人がいるけれども、男女を問わず、現役の勤め人諸氏の、特にメリハリのない上司の饒舌・おしゃべりほど嫌なものはない。しかもこれがとても多い。電車や喫茶店で涼もうにもかえってイライラしてしまう。組織の責任者と部下、先輩・後輩の関係の中では、饒舌・おしゃべりとはみずからの責任回避のための言い訳でしかない、と言い換えたくなる。
 自らの能力の欠場を部下のせいにし、そして自らの責任回避のようにひたすらしゃべり続ける上司風を吹かすサラリーマンであれば、思わずその部下・後輩に「そんなのが上司・先輩の会社などはやくやめちまわないと、責任取らされてとんでもないことになるよ」と言ってしまいたい衝動を抑えるのに苦労する。そういうことにならないよう、隣りの車両に移動するのか私の回避方法である。

熱中症報道に思う

2018年07月20日 20時24分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も高温注意情報、熱中症警戒情報がもたらされた。その暑い中、横浜市庁舎まで出かけた。行くときは電車をを利用したが帰路は自宅まで歩いてみた。夕方になっていたので何とか歩き通すことはできた。しかしこれも歩くことになれていないと多分熱中症の症状が出たかも知れない。自宅まであと30分のところにあるコンビニのイートインコーナーで持ち歩いている梅干し1個と、購入した烏龍茶のペットボトル1本で休憩。しかしあまりに冷房が効きすぎていて10分ほどで店を出てきた。あまり休養にはならなかった。

 熱中症の報道を聞く限り、また小中学校の学校での熱中症の状況、高齢者の脂肪などの報道を信じる限り、30℃以上では屋外活動の禁止を明確に言わないと、熱中症の事故は無くならないのではないか、とすら思えてしまう。

 特に小中学校の事故は真剣に考えなければいけないようだ。未だに「根性論」が横行する教育現場では、職場の安全衛生の取組みすら無視されているような気がする。公的なイベントは30℃以上は実施してはいけない、ということの徹底が難しいのだろうか。そうであるならば、学校のイベントそのものを明確に中止ということが大切だと思う。教師一人ひとりに判断と責任をかぶせるのではなく、自治体として「行事・イベント・活動」の「停止」の判断しないといつまでたっても学校行事での悲劇は無くならないのではないか。70歳以上の人の参加する運動イベント等も同じように取り扱った方がようような気がする。



49年前の7月20日

2018年07月20日 13時04分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ネットを見ていて気がついた。1969年7月20日はアポロ11号が月面の「静かの海」に着陸した日である。ただし日本時間では7月21日の早朝であった。
 アームストロング船長の「この一歩は小さいが、人類にとっては大きな飛躍である(That's one small step for a man, one giant leap for mankind) 」言葉はあまりに有名。

 東西冷戦下でのアメリカの威信を賭けたアポロ計画はあまりに露骨な軍拡競争の一環でもあったが、私も含め興奮したものである。確かに機械での遠隔操作による探査ではなく、直接人が着陸するということは大きな成果であった。アポロ11、13、15、16、17号と月面着率に成功したものの、1972年12月のアポロ17号が最後となった。

 私は天文学志望だったが、当時は太陽系天文学には興味はなかった。天文学には進めず、着陸の日から5年後、学部のときに奇しくもアポロ計画で月面に設置された地震(moonquake)計(月震計)の解析の論文を訳すよう指導された。しかし結局何もせずに放置。今となっては何が書かれていて、どんな結論だっかのかすら覚えていない。


「鎌首をもたげた」星の配列

2018年07月20日 10時11分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は昼間はほとんど歩かなかったので、深夜のウォーキングを一時間少々。最近は大接近中の火星、土星、さそり座のアンタレス、木星、牛かい座のアルクトゥールスが東から西にかけて蛇がながながと横たわるような明るい星の列を眺めながら歩いている。アルクトゥールスがとても明るく、そして高度が高いので、蛇が鎌首をもたげたときの眼にも見える。
 滋養減の半月が少々邪魔なのだが、なにか大きなものを飲みこんで膨らんでいるとでも思えばいいのかもしれない。
 火星、アンタレス、アルクトゥールスの3つの星は赤く見えるので、この5つの星の並びは少々不気味である。昼間の熱気のただよう夜の大気の中から、見つめられているような錯覚を受ける。古代の人びとも火星やアンタレスには不気味な印象を受けたらしい。

 コースの曲がりによって火星を正面に見ながら歩く時間がある。
 夜中近くになって、星を見あげながらウォーキングをしていると、時々不審な眼で見られることもある。