★「秘密のかけら」が写るとき 六田知弘
「シェルパの地では、物の輪郭が極めて鮮明に見える。その質感を、触覚的に感じとることができると思われるほどだ。それは、おそらくその土地の光のせいであろう。そこでは“光”はほとんど粒子となってみえる。粒子は、物にぶつかり、その輪郭を浮き立たせる。そして、それは影をつくり、影は闇を現出させる。あくまでも明瞭な闇が逆に物の輪郭をきわだたせるともいえる。そうした光の拡散と密集のめまぐるしい交錯のせいか、ぼくはしばしば奇妙な眩暈に引き込まれた。カメラを構えて世界を覗き込みながら、なぜかぼくは異世界の入り口にいると感じた。そしてまた、この世界と異なる世界が、境界をおかして随所でこの世界に侵入してくるのを感じた。‥シェルパの人たちは光と闇とを峻別するのではなく光と闇とを、ひとつの全体として受け入れる。‥ぼくが滞在したわずかの間にも、何人かの人が死んでゆき、何人かの子供が生まれた。それは、異界とこの現象の世界を行き来する“ひかり”の明滅の姿である。」
「すべての存在のなかに「空」を見通し、その向こう側にふたたび「色」を見る慈悲のまなざし。そこに至るまだの苦悩を語るような、こめかみに走る血管。そのとき私は、今まで知らなかった運慶のほんとうのすごさ、運慶の運慶たる所以を、見せつけられたように思った。」
「カメラを握るとき、私は一個の受信機になる。日常の意識を脱落させて五感をひらき、受信機に徹することができたとき、それら偶然と必然の間で止めどなく揺らぎ続ける現象世界、その内側に隠された「宇宙の秘密のかけら」が向こう側から写り込んできてくれる、と信じてシャッターを押し続ける。」
「象は忘れない」-井上ひさし『紙屋町さくらホテル』 柳 広司
「二〇一七年、日本は核兵器禁止条約に不参加を表明した。また、昨今政治家や一部マスコミで「日本核武装論」が平気で語られている様を目にし、耳にするたびに、自分の目が、耳が信じられない気がする。」
「功を成し名を遂げた小説家・劇作家は、しばしば既得の読者・観客を取り込みに架かる。彼らにだけに通用する言葉で語り始める。だが、「紙屋町さくらホテル」で用いられているのは「どんな人にも観てもらおう、聞いてもらおう、楽しんでもらおう」という、世界に向かって開かれたことばだ。“むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに”とは創作に関する著者(井上ひさし)の有名な宣言だが、その言葉通り、ヒロシマを扱いながら、或いはヒロシマを扱うからこそ、「紙屋町さくらホテル」には歌と笑いと優しさ、そして明るい光が溢れている。」
「日本の庶民はあの戦争を支持したのだ。戦争は儲かる商売だと思ったから、戦争に勝てば賠償金が入ってくる、韓国を併合し、満州を植民地にすれば金回りが良くなる、そう思ったからこそ、彼らは国家に徴兵されて戦地に赴く若い人たちを旗を振って激励したのだ。‥死ぬのは兵隊だけだと思っいたから。自分たちは安全だと思っていたから。気づいたときにはコストがかかりすぎていた。引き返すとなれば誰かが責任をとらなければならない。だから戦争を終わらせることができなかった。誰も責任を取りたくないから。」
「目の前の現実に向き合い、引き受ける覚悟がないなら-言葉で世界を変えられると信じていないのなら-物語(小説)など書かない方がましだ。世界に向かって開かれた言葉で物語を頑なに紡ぎ続けること。それが表現者の仕事だと「紙屋町さくらホテル」は告げている。」
「ドイツ・ベルリンのホロコースト博物館の入り口にはこう書かれている。『過去を忘れる者は、きっと過ちを繰り返す』忘れぬために私たちができることは、現実と向き合い、何度でも物語ることだけだ。」