Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

岩波書店「図書7月号」 (2)

2018年07月03日 23時18分58秒 | 読書


★「秘密のかけら」が写るとき        六田知弘

「シェルパの地では、物の輪郭が極めて鮮明に見える。その質感を、触覚的に感じとることができると思われるほどだ。それは、おそらくその土地の光のせいであろう。そこでは“光”はほとんど粒子となってみえる。粒子は、物にぶつかり、その輪郭を浮き立たせる。そして、それは影をつくり、影は闇を現出させる。あくまでも明瞭な闇が逆に物の輪郭をきわだたせるともいえる。そうした光の拡散と密集のめまぐるしい交錯のせいか、ぼくはしばしば奇妙な眩暈に引き込まれた。カメラを構えて世界を覗き込みながら、なぜかぼくは異世界の入り口にいると感じた。そしてまた、この世界と異なる世界が、境界をおかして随所でこの世界に侵入してくるのを感じた。‥シェルパの人たちは光と闇とを峻別するのではなく光と闇とを、ひとつの全体として受け入れる。‥ぼくが滞在したわずかの間にも、何人かの人が死んでゆき、何人かの子供が生まれた。それは、異界とこの現象の世界を行き来する“ひかり”の明滅の姿である。」
「すべての存在のなかに「空」を見通し、その向こう側にふたたび「色」を見る慈悲のまなざし。そこに至るまだの苦悩を語るような、こめかみに走る血管。そのとき私は、今まで知らなかった運慶のほんとうのすごさ、運慶の運慶たる所以を、見せつけられたように思った。」
「カメラを握るとき、私は一個の受信機になる。日常の意識を脱落させて五感をひらき、受信機に徹することができたとき、それら偶然と必然の間で止めどなく揺らぎ続ける現象世界、その内側に隠された「宇宙の秘密のかけら」が向こう側から写り込んできてくれる、と信じてシャッターを押し続ける。」


「象は忘れない」-井上ひさし『紙屋町さくらホテル』    柳 広司

「二〇一七年、日本は核兵器禁止条約に不参加を表明した。また、昨今政治家や一部マスコミで「日本核武装論」が平気で語られている様を目にし、耳にするたびに、自分の目が、耳が信じられない気がする。」
「功を成し名を遂げた小説家・劇作家は、しばしば既得の読者・観客を取り込みに架かる。彼らにだけに通用する言葉で語り始める。だが、「紙屋町さくらホテル」で用いられているのは「どんな人にも観てもらおう、聞いてもらおう、楽しんでもらおう」という、世界に向かって開かれたことばだ。“むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに”とは創作に関する著者(井上ひさし)の有名な宣言だが、その言葉通り、ヒロシマを扱いながら、或いはヒロシマを扱うからこそ、「紙屋町さくらホテル」には歌と笑いと優しさ、そして明るい光が溢れている。」
「日本の庶民はあの戦争を支持したのだ。戦争は儲かる商売だと思ったから、戦争に勝てば賠償金が入ってくる、韓国を併合し、満州を植民地にすれば金回りが良くなる、そう思ったからこそ、彼らは国家に徴兵されて戦地に赴く若い人たちを旗を振って激励したのだ。‥死ぬのは兵隊だけだと思っいたから。自分たちは安全だと思っていたから。気づいたときにはコストがかかりすぎていた。引き返すとなれば誰かが責任をとらなければならない。だから戦争を終わらせることができなかった。誰も責任を取りたくないから。」
「目の前の現実に向き合い、引き受ける覚悟がないなら-言葉で世界を変えられると信じていないのなら-物語(小説)など書かない方がましだ。世界に向かって開かれた言葉で物語を頑なに紡ぎ続けること。それが表現者の仕事だと「紙屋町さくらホテル」は告げている。」
「ドイツ・ベルリンのホロコースト博物館の入り口にはこう書かれている。『過去を忘れる者は、きっと過ちを繰り返す』忘れぬために私たちができることは、現実と向き合い、何度でも物語ることだけだ。」



無意識の会話‥

2018年07月03日 18時56分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほどの投稿の題名が「本州作業も大詰め」となっていた。「編集作業」にあらためた。このひどく疲れた頭で編集作業をやっているのだから、誤字・脱字も当然出てくる。情けないこと甚だしい。
 しかしそれだけ、二日間の疲れがたまったいるということか、あるいは先週の北海道行き以来の疲れが出たためということか、何しろ、一段落してホッとした。

 17時前に印刷会社と、退職者会の他の役員に原稿を送信した。前者は当然最終稿をつくり、印刷・配送までを頼む一環。後者は内容と誤字・脱字・変換ミスのチェック。本当は後者のチェックを経てから印刷会社に送信するべきなのだろうが、時間の制約上やむを得ない。もっとも印刷会社でも当然のように誤字・脱字・変換ミスのチェックはしてくれるし、見やすいように飾りや若干のレイアウト変更はしてくれる。プロの腕前はたいしたものである。
 しかし内容の是非や表現上の問題点まではこちらの責任である。印刷所の編集作業が終わってから訂正を送るというのはとても申し訳ないと思っている。

 そして送信後ベッドで横になったら、そのまま1時間ぐっすり寝てしまった。目がいつものようにショボショボになっており、目と脳の休養が必要、と脳が判断したのだと思う。

 私は微かにしか記憶にないのだが、妻がいうには昨晩夕食が終わったころ、「編集作業が無事17時までに終了したら、どこかホルモンでも食べに行きたい」といっていたという。妻はホルモンは食べないので、「では一人でどうぞ」という会話になっていたらしい。
 今朝になってすっかり忘れていた。妻も忘れたように夕食の支度をしてくれていた。昨晩から私は無意識の状態だったのかもしれない。妻もそれに気づいて私の発言を無視していたことになる。恐ろしい状況ではないだろうか。ふと深刻になった。

 だが、そこにこだわり続けても何も生まれないので、あらためて、出来るだけ早めに炭火でホルモンを食べてみたくなった。
 さていつ実行しようか。

ようやく編集作業も大詰め

2018年07月03日 16時15分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく新聞の原稿が出来た。これより誤字・脱字の点検。思ったよりも時間がかかってしまった。おもて面のメインの記事が予定よりも少なく、あらたな記事をつくらなくてはいけなくなり慌てた。印刷所には17時までに送る、という約束なのであと少しの時間しかない。

 体が汗でべとべとしていて、気持ち悪い。シャワーは送信後。