★手榴弾めくアボカドと首夏の夜を 伊藤伊那男
朱夏は夏そのものの異称。首夏は初夏・初夏の意味で、立夏を過ぎた新緑の5月ごろであろう。はじめこの句を読んだときはアボカドを手榴弾に見立てただけの句かと思い、スルーした。次にアボカドを手榴弾に模するすらば、朱夏あるいは炎天、大暑、酷暑、刧暑などもいいと感じた。そうすると鎮魂の意が句から立ち上るのではないかと思った。これはこれで私の好みの句となる。
同時に、ではなぜ初夏の意の首夏としたのか、という疑問が湧いた。野菜としてのアボカドは脂肪を多く含み、寿司がアメリカではやった際に、アメリカから逆輸入された寿司ネタでもある。鮪の赤味によく合い、私も好きなサラダの具材である。首夏の夜「に」手榴弾めいたアボカド「を」愛でながら食べたのであれば、「てにおは」が違う。ここではアボカドと首夏の夜が並列なのである。
また「手榴弾めく」で切れるとするとどうなるのか。社会全体が少々危うい状況になった、ということが「手榴弾めく」だっとしたらどう解釈できるか。その不穏な空気が、アボカドと首夏の夜にどのように反映されているのか、これはかえって難しい。最後が「を」ではなく、「と」ならば、「未だまだアボカドと首夏の夜は平穏だが‥」という風に成り立つ。
ここまで来て私はお手上げである。「手榴弾めくアボカド」がどのようなイメージを喚起するのか、合点がいくまで少しこだわってみようかと思った。果たしてわかるだろうか。
朱夏は夏そのものの異称。首夏は初夏・初夏の意味で、立夏を過ぎた新緑の5月ごろであろう。はじめこの句を読んだときはアボカドを手榴弾に見立てただけの句かと思い、スルーした。次にアボカドを手榴弾に模するすらば、朱夏あるいは炎天、大暑、酷暑、刧暑などもいいと感じた。そうすると鎮魂の意が句から立ち上るのではないかと思った。これはこれで私の好みの句となる。
同時に、ではなぜ初夏の意の首夏としたのか、という疑問が湧いた。野菜としてのアボカドは脂肪を多く含み、寿司がアメリカではやった際に、アメリカから逆輸入された寿司ネタでもある。鮪の赤味によく合い、私も好きなサラダの具材である。首夏の夜「に」手榴弾めいたアボカド「を」愛でながら食べたのであれば、「てにおは」が違う。ここではアボカドと首夏の夜が並列なのである。
また「手榴弾めく」で切れるとするとどうなるのか。社会全体が少々危うい状況になった、ということが「手榴弾めく」だっとしたらどう解釈できるか。その不穏な空気が、アボカドと首夏の夜にどのように反映されているのか、これはかえって難しい。最後が「を」ではなく、「と」ならば、「未だまだアボカドと首夏の夜は平穏だが‥」という風に成り立つ。
ここまで来て私はお手上げである。「手榴弾めくアボカド」がどのようなイメージを喚起するのか、合点がいくまで少しこだわってみようかと思った。果たしてわかるだろうか。