Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

忘れていた「特別観賞会」

2018年07月14日 23時20分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 実は本日横浜美術館で行われる『「モネ それからの100年」夜間特別鑑賞会』を申込み、当選していた。すっかり忘れていた。というよりも頭の中では来週の土曜日だとばかり思いこんでいた。
 先ほど夜のウォーキングをしている途中で、「?」と思い至り、帰宅してすぐに確かめたら、本日の17時半から開始であった。
 とてももったいなかった。悔やまれる。すぐにスケジュール帳に記載しないとこんなことになってしまう。

横浜でも35℃を超えた

2018年07月14日 21時33分03秒 | 読書
 本日の最高気温は横浜でも14時半過ぎに記録した35.8℃であるようだ。今年最高気温。昨日よりも2.7℃高く、平年よりも7.3℃たかいらしい。10時から12時半まで外での作業に従事したが、立っているだけで汗が噴き出てきた。昼食前の34℃くらいにしたシャワーが気持ちよかった。

 本日だけでは予定の三分の二しかできなかったので、明日は30分ほど、明後日に30分ほどで完成させることにした。一日に長時間するということよりも短時間ずつのほうが体力的には樂。西日本の被災地で、きびしい復旧作業を強いられている方々の苦労に較べれば楽ちんである。退職者会の資料作りもほぼ終了。

 夕食に近くの駅の傍にある老舗のうなぎ屋でうな重を食べた。創業128年(1890年~)という古い店である。私が40代のころまでは奥座敷があり、料亭風の佇まいであったが今は16席の店舗のみとなってひっそりを営業している。本日は土曜日ということもあり、来週の「丑の日」を間近にして席はいっぱいであった。

 もう少ししたら夜のウォーキング。3日連続というのは久しぶりである。昼間の熱気がまだ残っている。


壊れるときは同時にいくつも‥

2018年07月14日 18時54分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 壊れるときはいろいろなものが同時に壊れる。耐用年数はそれぞれ別だと思うのだが、不思議なものである。

 つい先日におかしくなったものがファックス機能の付いた電話機。受信ができなくなった。受診しても印字しない。幾度かリセットを繰り返したし、購入して18年目の不具合である。印字用のフィルターのや用紙入れ、子機の具合などを点検したものの回復しない。そしてハンドスキャナーのコードの被服がボロボロと剥げ落ちる。親機のコードは丈夫でまだ十分に使えるのだが、このスキャナーのコードの被服はあまりにお粗末。電線が剥き出しになってしまい、危険である。しかも汚い。本日2万円あまりをかけて新しい機会を購入した。これからセットしてみる予定。
 ファックス機能はまだまだ必要だ。私自身はメールでやり取りしたり、携帯のショートメールも便利で使っているので、ファックス機能はあまり使わない。しかし、やはりメール機能が苦手の方はまだたくさんいる。


 現在不具合のあるのが、居間と私の部屋の天井の照明。ときどき暗くなって点滅するようになった。地殻の電気工事会社に電話をして点検してもらうつもりがまだ実行出来ていない。

 もう一つは私の革靴の左足の底がはがれてしまった。合成皮革のウォーキングもできる軽い靴である。これはまだ靴店に値段を調べに行っていない。新しく調達するのと修理に出すものと、十分に精査をしなくてはいけない。
 そうして運動靴も左右共に外側におおきく傾いている。これはもう修理は難しい。新規の購入になる。

 さらにもう一つが、ステレオのテューナー。これはだいぶ前からおかしくなり、CD再生機は購入したものの、てゃーなー部に内臓のCD再生機がうまく動かないル。

「万緑」という季語

2018年07月14日 09時32分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★万緑や死は一弾を以て足る    上田五千石

 梅雨の末期あたりの草木は旺盛な生命力にあふれている。そして梅雨が明けるとさらに夏の照りつける太陽を受けて、さまざまの緑が輝きだす。万緑王安石に「万緑叢中紅一点」という句に登場するという。季語としては、「万緑の中や吾子の歯生え初むる」(中村草田男)として定着したという。
 多くの句がこの旺盛な生命力をそのままに詠まれている。しかしこのように対称的に「死」が色濃く匂わされた句もまたある。

 この句、どんな情景を読み取ったらいいのか。具体的な情景よりも、他者への批判の的確な鋭い一語が他者を撃つ怖さの喩えとして直感してしまう。そのあとから具体的な情景を読み取ろうとする。例えば狙撃手やゲリラ兵が万緑の茂みという生命溢れる個所から、相手方を一弾で撃つ、生命の溢れる地点から生命を断ずる一弾が「死」を強制する。そんなドラマかもしれない。
 作者35歳の作、1968年頃の句である。世界情勢は騒擾、米ソ冷戦下でその代理戦争ともいうべき血なまぐさい事態が世界各地で内乱や抑圧として現れていた。そこに戦後政治体制の閉塞感とそれを突破しようとする反乱も加わり、混沌としていた時代。同時に活気もあった時代である。戦後世代と前世代との軋轢も拮抗もあった時代である。
はたしてこの句の出てくる一弾はどこからどこへ撃ったのか、それはどのような効果をもたらしたのか、「足りた」のはどのような反応から類推したのか、いろいろな疑問が次から次に浮かんでくる。このような質問が矢継ぎ早に発せられるというのは、どうしようもなくダメなくが、あるいはこのように人の脳を鋭く刺激する優れた句か、どちらかである。