Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

蝉の声が本格化

2018年07月19日 23時03分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜の本日の最高気温は14時過ぎの33.8℃。しかしこれまでとは違い風があった。瞬間最大風速は南南西の風で約10メートルとなっていた。風があれば暑さも何とかしのげる。
 だが、風は本日と同じくらいの強さであるが、明日はもう少し気温が上がるようだ。はたしてどんなふうに感じる暑さであろうか。
 最近夜中でも救急車のサイレンの音が多いように感じる。窓を開けている所為なのか、熱中症が多い所為なのか。

 さて、蝉の声が本格的に聞こえ始めた。2週間ほど前に、一匹、二匹の声だったのがこの1首間ほどの間に次第に増えてきた。一昨日あたりから何匹の声なのかわからないほどになってきた。「みーん、みーん」と喧しくなった。ただしまだ夜には蝉の音は聞こえない。例年再生機には夜中まで蝉の声が聞こえていた。
 蝉の声から虫の声に移っていく過程がなかなか風情がある。


こんな句もあった

2018年07月19日 21時27分32秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中    金子兜太

 なるほど、汽車は鋭く甲高い音で「きょお」という風に鳴いて走り始める。煙を吐く蒸気機関車ないしディーゼル車などの汽笛に特徴的な気がする。だが、搾取を見て、私は驚いた。「きょお!」という表現を除いた「この汽車はゆく新緑の夜中」はずいぶん月並みではないのか。「これは単に擬音語の斬新さだけの句ではないか」と感じた。
 金子兜太という俳人は、私は抒情も含めて革新的な句である。新しい抒情を求めて、それに付随する形で新しい表現も生んできた。
 その試行錯誤の中で、このような句も当然存在はしている。初めから、そしてすべての句において斬新で、快心の作品というのはなかなかないのではないか。
 そんなことを感じた句である。

夏の鎮魂の季節が近づいた

2018年07月19日 10時35分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日も朝から暑い、ひたすら暑い。

★夏の海水兵ひとり紛失す     渡辺白泉

 「1944(S19)の作。兵士のひとりの命にネジ一本ほどの価値も認められないような空気を白泉はまさに時代の当事者として嗅ぎ取っていた」(高柳克弘)。物が紛失するように人の死を記述することはすべきではないが、そのような時代があったことを私たちは身近な体験として聞いて育った。
 生命の力が横溢する「夏の海」、そこは本来は、自然のエネルギーと人間の活力がぶつかり合うところである。ヒトは観念をつくり出す動物である。ところが人はみずから作り上げた観念の世界に殺される。あたかも観念に復讐されるように。その最たるものが「国家」であり「民族」という概念でもある。その「国家」と「民族」の区別すらつけられずに「国家間」「民族間」の争いである戦争がこの「夏の海」でぶつかり合い、人が物のように殺され、死んでも物のように扱われる。
 戦争を体験した世代がごく少数となり、社会の舞台から退く今、戦争を語り継ぐことはできなくとも、生身の言葉を聴きながら戦後に育った私たちが、「戦後」を語ることで「戦争体験の忘却」に対峙する。