Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

三日月と金星を見ながらウォーキング

2018年07月17日 22時25分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ワンコインの飲み会終了後、組合の事務所から自宅まで約1万2千歩を歩いて帰宅。



 途中みなとみらい地区から三日月が見えた。西側の地平線近くに昨日はもっと月の傍に見えていたはずの宵の明星が光っていた。月は雲の向こうでぼやけて見える。スマホのカメラ機能で撮影。月の右下45度の方向にかすかに金星がビルの上に写っている。



 ランドマークタワーはピンク色の残照の中に立っていた。

 昼間の熱気の残る蒸し暑い中を、タオル地のハンカチの汗を絞りながら歩く半ズボンの汗だくのオジサンが、時々スマホで空を撮影するために立ちどまる。これはいかにも妖しい人間に見られたかもしれない。帰宅して見ると、かりゆしは汗でびしょびしょ、半ズボンも全体が汗で変色していた。


土用の鰻

2018年07月17日 16時00分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 幹事会終了後に開いた事後の会議二つとも早めに終了。後片付けも順調に終了。ただいま休憩時間。間もなくワンコインの飲み会だが、その前にちょっとだけ歳時記を紐解いてみた。こんな句をみつけた。

★にんげんに未練のありて鰻喰う      杉野秋耕死

 なかなか面白いと思った句。生きるために食う、だけではなく、鰻をまさしく喰らうことで、わが身の未来の逞しい「生」そのものを喰らいつくそうとしている。鰻を掻きこむ逞しい姿を見て、わが身の「逞しさ」をあらためて客観視している。他人をあざ笑うことなどできない自分のあさましくもたくましい姿を、ふとおぞましく感じる瞬間がある。
 食というのは、そっとつつましく食べるのと、ガツガツと生命そのものをあらわにして食べるのとでは大きな落差がある。だからこそ食事には「作法」というものが厳しく言われるのであろう。洋の東西を問わず、人類にとって「食」とは禁忌にして必然、「性」とともに深淵である。


本日も35℃の予想

2018年07月17日 08時01分32秒 | 天気と自然災害
 昨晩のウォーキング、一昨日と同様、火星・土星・木星の3惑星の連なりが美しかった。その間にさそり座のアンタレス、牛飼い座のアルクトゥールスもそれらに負けずに輝いている。残念ながら横浜市の中心部の街のあかりに照らされて、南の空の星座はほとんど認識できない。
 本日以降、出来るだけ宵の明星が富士山の方角に沈むのを眺めるようにしたい。深夜には火星も大接近中で見頃、肉眼で見るだけでも楽しい。

 明け方の4時半過ぎの地震は、私の住む地域では震度1であったらしい。熟睡していてまったく気がつかなかった。

 本日も35℃の予想。高温注意情報と熱中症予防情報もずっと連続して背信されている。暑い時間帯は組合の会館の中なので熱中症にはなることはないと思われるが、会館を出たのち、家まで歩くときが要注意であろう。烏龍茶のペットボトルを忘れずにリュックに忍ばせて歩くようにしたい。