書とお寺が大好きな春逕の「日々是好日」

日々思うこと、感じた事をつづります。

おくりびと(実体験)

2009-02-28 13:07:40 | 思う事
最近「おくりびと」という映画の話題で持ちきり。
実際その映画は見てないし内容はほとんど知らないが・・・。
私は長男の嫁として、義母を田舎の家で見送った。つまり・・・。

母は自宅で亡くなったので、私と義理の妹が自宅で旅支度とお化粧をして見送ったのだった。
当時まで(10年前)自宅か公民館かで通夜、葬儀が当たり前で、葬儀の時は町内(村内)で役割が決まっていた。
料理を担当する班、葬儀の段取りをする班、墓堀りをする班、葬儀の表列の為の飾り物を作る班などなど。
私は町中生まれ、町中育ちでだったから、全て御通夜から精進あげまで葬儀社がやってくれて喪主はその意思(葬儀のランク)を伝えるだけでよかったから、実家の母に聞いても何も知らない。
喪主は義父だったが、実働するのはこの私。
何が何だかわからないまま・・・。

村内の人たちは御通夜の時、野菜を持ってくる人、お米を持ってくる人、お金を持ってくる人とさまざま、それを書き留める会葬帳もない。
ましてやこの村に住んでない私にとって顔も名前もわからないその上、方言さえも理解できない。全く持って大パニックだった。
その前の年に義祖母を義母と一緒に送ったのでその様子は見るには見ていたのだが・・・。
当時は村の花屋さんが出前で葬儀の準備をしてくれていた。白黒のカーテンで日常の道具を隠し、祭壇を手際よく作り花を飾られた。
その一晩は寝ずに線香を灯し続けた。

次の日は葬儀。

火葬(この時間も長かった)火葬に行くためにおにぎり、お漬物、駄菓子、お酒、ビールなどの用意。
葬儀も自宅なので人も座る場所すらない。
そして・・・。
近くの公民館でお斎(おとき)村内の奥さんやおばあちゃん達がお葬式用の煮物や和え物、ご飯、お味噌汁を出してくれる。
納骨。
納骨の為にお墓のある山まで、飾りをもって行列していく。

精進あげの為に今度は手伝ってくれた村内の方々にもてなし。

そして、自宅に帰ってきてからまたお酒の用意。お布団の用意、そして7日ごとのお経(お坊さんがこられる)
今となっては何が何だか記憶も定かではない。


故人を見送る葬儀も今では全て葬儀社任せ。
もの凄く大変だったが当時を思い返せば、人が亡くなってそれを見送るために身内をはじめ多くの人の手や時間の中で、過去を回想しながらゆっくりゆっくり見送ったのかも知れないと思った。

今は、葬儀に行って故人を偲んでも、すぐに其々の現実の世界に戻らなければいけないのでそれはそれで大変なのかも知れない。