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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

学術会議の行方

2020-12-10 10:54:31 | 自民党憲法改正草案を読む
 「桜を見る会」と鶏(鶏卵?)わいろの影で「学術会議」問題が報道されることが少なくなったが、少ないからこそ書いておこう。
 2020年12月10日の読売新聞(西部版・14版)の4面に次の見出しと「提言案のポイント」の箇条書き。(番号は、私がつけた。記事は▽で並記している。)

学術会議/「独立組織化 23年めど」/自民チームが提言了承

①独立行政法人など独立した法人格の組織にすべきだ
②組織の透明化を図るため第三者機関を設置
③2023年をめどに新組織に
④会員選出は投票などの透明で厳格な運用にし、第三者機関による推薦などの道も確保
⑤移行後も当面、政府の予算措置を継続

 はっきりわかるのは見出しにとっている③の「23年度めど」ということだけで、他はどういうことなのか、よくわからない。「政権(権力)」と「学問」の関係がわからない。
 ①について。
 私は、最初に言われている「独立」ということからして、疑問をもっている。きょうの紙面には書かれていないが、「独立」を提言するひとは、アメリカやイギリスのアカデミー(?)は「独立」している、国から補助が出ていない(出ていても少ない)というようなことを言う。
 こんな形式的なことを言う前に、アメリカ、イギリスのアカデミー(学問)と政治の歴史を見ないといけないだろう。日本の学問と政治の関係を見ないといけないだろう。日本には政権によって学問の自由が奪われ、学問の自由(学問から政権への批判)がないところで「戦争」が引き起こされた。戦争の一方で、日本の政権は学問を弾圧したという歴史がある。そういうことを再び起こさせないためにも「学術会議」はある。
 組織(政権)のなかに、「学問」の立場から発言できる機関を同時に併せ持つ。それは常に「批判」を受け入れる組織としての「政権」でありつづけることを「保障」する。「学問の自由」を保障しないと、政権は暴走するのである。
 「憲法」に「学問の自由」は規定されている。だからそれで十分という考え方もあるかもしれないが、それだけでは不十分だという認識が「学術会議」を設立したときの考え方だろう。大事なことは何重にも規定しておかないといけない。
 「政権」というものは、どんなときにも「批判」を受け入れる組織にしておかなければいけない。そして、その「批判」を客観的にするために「学問」がある。政権が戦争を起こさせないためにいくつもの「方法」(方策)があるが、「憲法9条」と同時に「学術会議」もそのひとつである。政策を、「学問」の立場から批判する。その「批判」を無視できないものにする。そのためには、考え(思想)としては「独立」している必要があるが、同時に「体制」としては「分離」していては意味がないのだ。
 個人のことを考えてみればいい。一人の人間のなかに「隣人を殺して財産を奪ってしまえ」という欲望がある一方、「殺せば殺人罪、盗めば窃盗罪になる」と判断する理性がある。この「理性」は自分のなかにあるから意味を持つ。「理性」がなくて、自分とは別の人間が「殺せば殺人罪、盗めば窃盗罪になる」と言うだけではダメなのだ。これは殺人や窃盗がなくならないという「現実」からも簡単にわかる。「戦争をしてはいけない、侵略をしてはいけない、こういう政策は間違っている」ということを「政府」以外のものが言うだけではだめなのだ。日本の歴史は、そのことを証明している。
 ②はもっともらしく聞こえるが「透明化」は「第三者機関」が存在すれば保障できるものではない。「第三者機関」などなくても、会議が常に「公開」を原則としていれば透明化は確保できる。議事録を常に閲覧できる状態にしておけば十分なことである。「第三者機関」をもうけることで、逆に「不透明」になることもありうるだろう。「第三者機関」が学術会議に何らかの働きかけをするということが考えられるからである。「第三者機関」が学術会議に対して、どのような判断をしたかということが「公開」されるということが前提とされなければならない。「公開の前提」を不問にして「第三者機関」を設置することは、非常に危険だ。
 ④の「第三者機関による推薦」というのもよくわからない。「学問」の世界をいったい「学者」以外がどうやって評価できるのか。「学問」を構成しているのは「定説」だけではない。「新説」もあれば「研究中の仮説」もあるだろう。「第三者」がそういうことに対して、どれだけ客観的な判断ができるのか。「学問」とは別の恣意的判断が「推薦」に紛れ込むことが必ず起きる。そして、実際、この④は、そういう「恣意的操作」をするために(恣意的操作を保障、担保するために)「第三者機関」を設置すると言っているに過ぎない。
 ここから②を振り返れば、私が先に書いた「透明化」の問題がはっきりするだろう。「学問」とは無縁の「恣意的操作」によって学術会議を操作する。それは、どうみたって学術会議を「不透明化」するということなのだ。
 ⑤は、「金銭的補助(助成)」をするのだから、政府の言うことを聞け、ということだろう。政府批判をするなら予算をつけない。しばらくの間は予算をつけるが、学術会議が政府批判をつづけるなら、補助・助成は「継続しない」ということを「裏側」から言っているに過ぎない。

 「学問の自由」は誰にでも開かれた自由であって、政府の「保証」や「助成」など必要がない。したい「研究(学問)」があるなら、個人が自分の「権利」としてやればいい、という考え方もあるが、これはあまりにも「楽観的」な考え方である。
 たとえて言えば、菅が「敵国」を攻撃する新兵器を造りたい、その研究をしたいと思っても、菅にはその研究をする能力がないだろう。いまから菅が「学問」をしなおしても、間に合わないだろう。菅に対して「新兵器の研究をするな(それは憲法の精神に反する)」と誰かが批判しなくても、そういうことは菅にはできない。まず「学問的素養」が必要であり、つぎに「思考」を具体化していくための「設備」が必要である。そういうものには金がかかる。ときには膨大な資金がいる。どんな「学問」であろうと、個人の力(自由)だけではできないことがあるのだ。
 「理系の学問」だけではなく、「文系の学問」もおなじである。金がかからないようにみえる。個人の自由でなんでもできるではないか、と思うのは、「学問」をしたことがないからではないのか。私の個人的体験で言えば、私のやっていることは「ことば」を読み、それについて感想を書くというだけのことだが、こういうことにしたって「自由(好き放題)」にはできない。読みたい本が「図書館」にあるとはかぎらない。必要な本を買うには金が要り、その金を稼ぐためには働かないといけない。「好き勝手」にみえて、「好き勝手」だけでは生きていけない。さらに、「あの本は発行禁止にする」と政府が決定すれば、その瞬間からその本さえ読めなくなる。
 「自由」とは憲法に書いてあるように、国民の不断の努力によってしか成立しないのだ。

 脱線したが。

 権力にとっていちばん必要なのは、権力を批判する「自由」なのである。それを保障しないかぎり、権力は「独裁」になってしまう。
 コロナ感染拡大ひとつをとってもみて、わかる。「gotoキャンペーン」の危険性を多くの専門家(医師)が指摘している。「専門家会議」も指摘している。しかし、その批判を拒み、菅はキャンペーンをつづけている。不都合な批判(指摘)を無視するというのは、菅が抱え込んでいる「専門家」というのは単に菅にとって都合がいいことを宣伝するための道具ということである。
 学術会議は(その一部の会員候補)は菅にとって都合のいいことを言わないおそれがある、ということで任命を拒否された。(菅は名言はしていないが。)「独立化」ということばはまともにみえるが、やっていることは政府の言いなりになる学術会議にしてしまうということである。そのために「第三者機関」という政府のいいなりになる組織を新たにつくるということだ。「第三者機関」を「独裁」をすすめるための道具として利用するということだ。
 「学問」の世界は、私のような人間にはなんのことかよくわからない。そういうよくわからないところで「弾圧」が起きても、その「弾圧された」という実感はわたしにはさらにわからない。こういう「わからない世界」(日常から遠い世界)からはじまる変化は非常に危険だ。気がつけば自分のすぐ側にまで来ていて身動きがとれないということが起きる。国民にとって「わかりにくい世界(遠い世界)」から弾圧を始める。それを弾圧と感じさせないために「第三者機関」というものさえつくろうとしている。
 学術会議(学問の自由)は民主主義の根幹である。桜を見る会や鶏卵わいろのように、わかりやすい金の動きがない。そういうことも、この学術会議スキャンダルに影響して、その問題の大きさが見えにくくなっているが、絶対に見過ごしてはいけない。








#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』

2020-12-09 10:58:09 | 詩集


木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』(澪標、2020年12月01日発行)


 木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』は木村がブログで書いてきた詩歌の批評集。私はあまり本を読まないので、知らないことばかりが書いてある。さらに私は、本を読むとき好き勝手に読んでいるので、「常識」とはかけはなれた読み方をしてしまう。木村の批評に出会って、えっ、そういう意味だったのか、とびっくりする。「そういう意味だったのか」と書いたが、私にあらかじめ感想があるわけではなく、そのとき初めて知った作品に対してそう思うのだけれど。
 その例をひとつ。
 飯田蛇笏の「老いの愛水のごとくに年新た」という句を引いて、こう書いている。

彼は、老いの愛は「水のごとく」と詠むが、今の老人がどうかは読者の想像にまかせたい。

 この木村の批評を読んで、あ、「老いの愛/水のごとくに/年新た」と詠むのかとはじめて気がついた。私は「老いの/愛水のごとくに/年新た」と読んでいたのだ。そう読んで、この「愛水」を木村はどう読むのか、と期待した。
 その期待(?)に答えるように、木村は

老人にも「愛」の感情とか「性」の欲求というものは、あるのである。

 と書き始めている。「性」ということばがちゃんと出ている。

今の時代は、文明国では人々は長生きになり、老人も「性」を貪るらしい。
飯田蛇笏は七七歳で亡くなっているが、いまの私は彼の没年を超えた。

 と文章はつづいている。
 いよいよ木村自身が「性」を語るか、と思っていたら、冒頭に引用した一行である。あ、「愛水」ではなく、「愛/水のごとく」なのか。「愛=水」なのか。
 まあ、「淫水」ということばはあるが、「愛水」ということばはないようだから、私が誤読しただけなのだけれど。「淫水」ではなく「愛水」か、ちょっとしゃれているなあ、詩につかえるかもと思ったのが間違いの最初だったのだ。
 詩は、テキトウなことば、でたらめな(つまり流通していない)比喩があたりまえというか、「売り」のひとつになっているから、「新しいことば」に出会うと、私はついつい興奮してしまう。その「癖」がでたということか。
 しかしね、

■八十の恋や俳句や年の花 細見しゆうこ

こうなると、「すごいね」と言う他はない。
ピカソは八〇歳にして何番目かの妻に子を産ませているから不思議ではない。

 と木村は書いている。
 やっぱり「性」について書いている。だったら「愛水=淫水」であってもいいじゃないか、と思うのである。
 私の大好きなスケベなピカソのことも書いてあるし。
 で、少し脱線して書いておくと、ピカソが何回結婚したか知らないが、七人の恋人がいる。そして子どもは四人。最後の子どもはパロマで、1449年生まれ。ピカソは1881年生まれだから、八十歳のときの子どもではない。ただし、ピカソの最後の妻(恋人)ジャクリーヌとは1953年に出会っている。七十歳すぎである。このジャクリーヌとの出会いがもう少し早かったら、「私はピカソの隠し子」として生まれていた可能性がある。……私は、どこまでもどこまでも、自分中心に「世界」を見つめるくせがあるので、こんなことを考えたりもするのである。
 こういう私の「脱線」を修正するためではないだろうけれど、木村は、こんなふうに締めくくっている。

最後に、きれいな、美味な、美しい句を引いて終わりたい
■明の花はなびら餅にごぼうの香
(略)
この餅を貫いている「棒」は、「ごぼう」を棒状にカットして甘く柔らかく煮たもので、微かに牛蒡の香りがする。掲出句は、それを詠んでいる。

 なるほど。
 しかし、「棒」とか「貫く」ということばは、やはり、私には性につながることがらを思い起こさせる。
 いくらていねいに説明されても、なかなか最初の「思い込み」を洗い落とすのはむずかしい。

 こういう奇妙なことは、ふつうは思っても書かないかもしれない。でも、私は思ったことは思ったこととして、それが間違いだとしても、あるいは筆者に対して失礼だとしても、書いておきたいのである。
 何かしらの「必然」があって、私はことばを「誤読」する。もちろん「必然」というものはなく、単なる「無知の誤読」ということかもしれないけれど、それはそれで「無知」であることが私の生き方なのだから。

 別のことも書いておく。坪野哲久というひとの短歌が紹介されている。そのなかに、こういう一首がある。

母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎えて雪零すなり

 なんともいえず「肉体」そのものに迫ってくる。「夜天は炎えて雪零すなり」という情景を、私は知っている、と思う。私の母は冬ではなく、五月に死んだのだが、冬に死んだらやっぱり「夜天は炎えて雪零すなり」という日だったか、と夢想する。私は冬に生まれ、雪になじみがあるので、雪にひっぱられるようにして、そう読んでしまうのだろう。
 この歌について、木村は、こう書いている。

ふるさと石川県に臨終の母を看取った時の歌であろうか。
ときあたかも冬の時期であったようで、能登の怒濤の寄せる海の景物と相まって、母に寄せる心象を盛った歌群である。

 私は富山の生まれである。能登半島の付け根である。だから能登の海は知っている。能登の雪も知っている。
 知らず知らずに、私は私の「肉体」が覚えていることを通して坪野の歌に向き合っていたことになるのだろうか。
 こんな歌も、坪野は書いている。

母のくににかへり来しかなや炎々と冬濤圧して太陽沈む

 この冬の海も、私は「肉体」で知っている。「肉体」が覚えている。私は「肉体」が覚えていることをひっぱりだしてくれることばが好きである。
 木村の書いていることへの「批評」ではなく、私の「肉体」が感じていることを、木村が書いているものを借りて書いてみた。木村が引いている膨大な詩歌(短歌、俳句が中心)のほとんどが私の知らないものである。「頭」で読み、「頭」で書いても、きっと「誤読」になる。おなじ「誤読」なら、「肉体」が感じるままの「誤読」の方が嘘を書かずにすむだろうと私は考えている。












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敵圏外から攻撃能力?

2020-12-09 09:19:18 | 自民党憲法改正草案を読む
 2020年12月09日の読売新聞(西部版・14版)の一面に、安倍が辞任会見した直後に報道された「特ダネ」、敵基地攻撃能力をもった「武器」を開発するという記事の続報が「特ダネ」として掲載されている。続報だから、どこが新しいのか目を凝らさないとわからない。

長射程程ミサイル開発/敵圏外から攻撃能力/来年度予算案

 「長距離射程ミサイル開発」に関して言えば、すでに「敵基地を射程にした装備」と言っているのだから、新味は「ミサイル」ということばが具体的に出てきたところか。
 しかし、「敵圏外から攻撃能力」とはどういうことか。
 仮想敵国がどこか明確には書いていないが、北朝鮮も中国もすでに日本を射程にしたミサイルをもっている。ロシアももちろんもっている。日本はすでに「敵圏外」ではない。だいたい「敵の圏外」にいるのなら、その「敵国」は日本にとって危険ではないだろう。緊急の危険性を感じる必要はないだろう。
 「敵圏外から敵基地を攻撃できるミサイル」とは、何か。
 記事には、こう書いてある。(番号は、私がつけた。)

①政府は、年末までに検討中の「ミサイル阻止」の新たな方針の一環として、敵ミサイルの射程圏外から攻撃できる長射程巡航ミサイル(スタンド・オフ・ミサイル)を新たに開発する方針を固めた。
②地対艦ミサイルを改良し、艦艇や航空機からも発射でき、地上目標も攻撃できるようにする。来週にも閣議決定する。

①に「長射程巡航ミサイル」ということばが出てくる。ここから「巡行」ということばを省略して、読売新聞は「長射程ミサイル」と見出しにしている。
②では「敵圏外」を「艦艇や航空機からも発射でき」るが、と具体的に言っている。「艦艇や航空機」は移動できる。つまり、敵国から攻撃されにくいということである。地上基地に固定化されたミサイルは、基地を攻撃されたらつかえなくなる。しかし、「艦艇や航空機」は「地上基地」に比べて攻撃されにくい。これが「敵圏外」の意味なのである。
 このことを、こんなふうに言い直している。

③艦艇からも発射できる新型巡航ミサイルの開発で、相手の対応をより困難にし、抑止力の強化につなげる狙いがある。

 「相手の(敵の)対応をより困難にする」が「敵圏外」ということになるが、これはあくまで「対応をより困難にする」であって、完全に「敵圏外」を意味しない。読売新聞(あるいは、この特ダネをリークしたひと)は、このミサイルを「抑止力の強化」呼んでいる。
 だが、別の見方もできる。
 「艦艇や航空機からも敵の地上目標を攻撃できる」ということは、たとえ日本の地上の基地が攻撃によって完全破壊されても、なおかつ敵基地を攻撃し続けるということである。これは言い直せば「戦争が長引く」、戦争の長期化を意味する。どこまでも破壊がつづく。
 「抑止力」というと聞こえはいいが、私は「戦争の長期化」を想定しているだけだと推測する。安倍から菅が「継承」する「政策」が、これである。絶対に戦争をする。戦争は、絶対に「長期化」させる。これは、言い直せば、「軍事独裁」の期間をより長く維持するということである。
 菅は、戦争の「長期戦」を目指している。「長期戦」の「手段」が「艦艇、航空機から発射できる長距離巡行ミサイル」なのだ。もう、これは「防衛」でもなんでもない。読売新聞が見出しにとっているが「攻撃」でしかないのだ。
 新聞(ジャーナリズム)に求められているのは、「リークされたことば」をそのまま垂れ流すのではなく、ことばを分析し、批評し、解説を加えて記事にすることだ。
 「長距離巡行ミサイル」は何のために、どうやって運用するのか。その結果、どういうことが起きるのか。単に敵基地を攻撃する(反撃する)ということ以外のことが起きる。それがわかる見出しと、記事の構成が必要である。

 まあ、読売新聞は「攻撃能力」(見出しに注目)と、いつものように「正直」をさらけだしているのが、おもしろいところではある。しかし、「正直」に「攻撃能力」と書いてしまったのだから、そのあとも「正直」をつづけないといけないのに、それができない。
 そこに問題がある。

 おなじ紙面の「編集手帳」には、有馬朗人を忍んで、こういうことを書いている。

<友の死や雲の峯よりB29>。敗戦から75年の今夏、十四歳の空襲体験を詠んだ。「戦争で軍事施設のみ攻撃されるなんて嘘だ」と本紙に語っている。 

 戦争は、はじまれば、もう「戦争」しかない。終わりなのである。
 長距離巡航ミサイルで「敵基地」を攻撃する、抑止力を高めるというが、戦争になればきっと「敵基地」以外も攻撃する。日本も「基地」以外も攻撃される。つまり「防衛手段」を持たない国民は、いつでも簡単に殺され続ける。
 そういうことを体験してきたからこそ、憲法で、国に対して戦争をさせないと宣言している。それを国の指導者が率先して破り続ける活動をしている。憲法違反をしている。
 それをごまかすために「敵圏外」だとか、「抑止力」ということばをつかっている。








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Estoy loco por espana(番外篇94)Joaquin Llorens Santa “S. T”

2020-12-08 21:26:57 | estoy loco por espana


Joaquin Llorens Santa “S. T”

Si estas dos curvas no se estuvieran moviendo a esta altura, ¿cómo cambiaría la impresión?
No solo las dos curvas, sino también el delgado pilar que las sostienen las dos también son la obra.
Y la sombra en la pared.
Hay una alegría misteriosa.
Curvas, pilar, sombra, incluso pared blancas juegan juntas.
En el momento en que de repente me reí de la diversión.
De repente pienso en este trabajo es un niño.
Las dos curvas son la cara y las manos.
Un niño pequeño que acaba de aprender a dibujar, la retrato de persona dibujado por nino tiene las manos y los pies conectados alrededor de la cara.
Para el niño, la persona está formados por rostro, manos y pies.
Una escultura a modo de "autorretrato" de un niño que hizo tal dibujo.
Creí ver el "corazón de niños" de Joaquín.


もしこのふたつの曲線が、この高さで動いていなかったら、印象はどう変わるだろうか。
ふたつの曲線だけではなく、それを支えるしたの細い柱もまた作品なのである。
そして、壁にうつる影も。
不思議な喜びがある。
曲線も柱も影も、白い壁さえも一緒になって遊んでいる。
その楽しさにふと笑った瞬間。
私は突然、この作品を、幼い少年だと思う。
ふたつの曲線は、顔と手である。
描くことを覚えたばかりの幼いこどもの描く人間は、顔の周りに手と足がつながっている。
その子どもにとっては人間は顔と手と足とでできている。
そういう絵を描いた少年の「自画像」としての彫刻。
ホアキンの「童心」を見た、と思った。


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高橋睦郎『深きより』(18)

2020-12-08 14:39:30 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(18)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十八 たとへば篠笛」は「式子内親王」。

まづは神なる夫の思ひを心耳に聞き 言の葉に書き止め
つぎには妻なる人の思ひを聲にして 神前の闇に呼びかける
いつしかこの身はおのづから男うたになり 女うたになつていつた

 「男になる」「女になる」ではなく「男うた」「女うた」になる。それは「ことば」である。しかし、この「ことば」は、もう一度、変身する。いや、さらにもう一度。またもう一度。

歌を詠むわたくしは 詠むごとにわたくしを脱いで透きとほり
つひに残つたのは歌のうつは たとへていふなら一管の篠笛
吹き込まれる息もわたくしならず 宙宇にただよふ霊の息

 「うた」は「歌のうつは」に、そして「一管の篠笛」に。そのとき「うた」は「篠笛」のための「息」になり、「息」になった瞬間「わたくし」は「霊」になる。
 それは、どれも仮の名前に過ぎない。
 そこには「歌う」という動詞だけがあり、「動詞」はそのときそのときに応じて「名詞(主語)」を引き寄せる、あるいは誕生させる。「この身」は同時に「うつわ」にすぎないが、「うつわ」は「この身」を永遠の「遊び」へと招いている。「遊び」のなかに「宙宇/宇宙」がある。
 この「遊び」としての「宙宇」を高橋は「エクスタシー(わたくしという境を超え出た存在)」と呼び、まだ「自由」と呼んでいる。

わたくしを出た歌はわが名をまとひつつ 名からいよよ自由に
男・女の境を超えて生きつづけよう 百とせ・千とせののちを










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自衛隊派遣

2020-12-08 14:00:58 | 自民党憲法改正草案を読む
自衛隊派遣

 2020年12月08日の読売新聞(西部版・14版)の一面。

コロナ拡大/大坂に自衛隊派遣へ/北海道も検討 医官や看護官

 政府は7日、新型コロナウイルスの感染が拡大している北海道と大阪府に対し、正式に要請があれば、自衛隊の医官や看護官を派遣する方針を固めた。看護師などが不足する自治体側の実情を踏まえ、政府は地域医療体制の確保に全力を挙げたい考えだ。

 なんとも「いやあな感じ」がする見出しと記事である。
 私は「自衛隊派遣」を実現するために、菅はわざとコロナを拡大させているのではないかとさえ考えてしまう。コロナ感染を抑止できていれば、自衛隊派遣などしなくてもする。感染拡大防止のために何をしてきたか、それを検証もしないで「自衛隊派遣」で乗り切ろうとしている。
 しかも。
 自衛隊の派遣というのは国が勝手にできることではなくて、自治体から要請かあって派遣するという形をとるので、一義的には国の判断ではない。自治体まかせ、という面がある。
 これは逆に言えば、コロナ感染拡大については国には責任がない。自治体が適切な政策を実施しなかったために感染が拡大している。そういう地域に対しては、国はいつでも自衛隊を派遣し、支援すると、いわば「恩を売る」形をとることだ。そうすることで「自衛隊はやっぱり必要だ」という意識を国民に植えつける。
 何か変だなあ、と思うのである。
 読売新聞の記事は、最後に、こう書いている。

 防衛省によると、医官と看護官は約1000人ずつおり、各地の自衛隊病院や部隊で活動している。新型コロナを巡っては、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」でのPCR検査の実施などにあたった実績がある。

 これはたしかにその通りだが、このときのコロナ騒動は一種の「自然災害」のようなものである。どうして発生したのか、どう対処すればいいのか、まだだれもわからなかった。自治体の能力を超えていた。
 でも、それから半年以上もたっている。何が有効か、何が問題かも、だんだんわかりつつある。それなのに有効と思われることをせず、危険と思われることをすすめておいて、「自衛隊派遣」というのはおかしくないか。
 各地に隔離病棟を建設する、医師・看護師確保のための方策をつくす。感染者を拡大させないという施策をとる。しかし、それでもなおかつコロナ感染の拡大が抑制できず、自衛隊の支援を求めるというものではない。
 それなの「自衛隊派遣」が大きな政策のように平気な顔で発表する。新聞は新聞で、それ菅の「大判断」であるかのように宣伝する。
 これって、統治者(首相)として恥ずかしいことではないのか。
 自分の打ち出した政策ではコロナ感染者を抑制できなかった。そのために自衛隊を派遣しなければならないところにまで追い込まれた。大宣伝する前に、まず国民に謝罪すべきことだろう。国民に謝罪し、自衛隊に対しても、自分の失政のために派遣せざるを得なくなったと謝罪すべきだろう。
 ジャーナリズムの立場からいえば、菅の失政が招いた事態として、厳しく追及すべき問題だろう。




#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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高橋睦郎『深きより』(17)

2020-12-07 08:40:47 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(17)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十七 血もて歌ふ」は「宮内卿」。

何ごとも身のあつてこそと 父禅師は案じられるが
歌のために身をそこなふ以上の喜びが あらうものか
わたくしの遺した歌は 数のうへで少なからうと
ことごとく 自らの血もて歌ひ記した三十一文字

 詩の最後に「血」が登場するが、この血が具体的な肉体であると感じさせることばを、私は詩のなかに見つけ出すことはできなかった。
 「血をもて歌ふ」のは、たいていの場合「恋」だろう。「恋」ということばは、この詩には何度も出てくる。

いいえ あの方を恋したなどとは 怖れ多すぎる
わたくしが恋したのは あの方が望まれる良き歌
まだ何処にもない未知の歌に恋して 似姿を試みる

 存在しないものを「ことば」の力を借りて産み出す。そうやって生まれてくる歌を恋する。こういうことは「頭」では理解できるが、その「理解」は単に「論理」にすぎない。論理は美しくなればなるほど「肉体性」を失う。不透明さを失う。
 だからこそ、逆に「血」ということばを必要としているのかもしれない。
 「歌」が、あるいは「詩」が、そして「ことば」が透明であってはいけない。透明を拒絶する絶対的な「不透明」がないかぎり、ほんとうは何も生まれない。
 なんでもそうだが、たとえばニュートン力学にしろ、アインシュタインの相対性理論にしろ、何かが「間違っている」、つまりそれだけでは説明できないものが「世界」に存在する。その「間違い」があるから、新しい「真実(論理/理論)」が生まれ続ける。
 しかし、こんな「仮説」に意味はない。「論理/理論」というのは、いつでも何ごとかが起きたあと、そのときの都合で「捏造」されるものだからである。
 この世に「捏造」ではないものがあるとすれば、それはやはり「血」と「肉」なのだろう。

 最後に一回だけ登場する「血」ということばのなかに、私は、高橋の「血」へのあこがれを感じる。それは高橋が絶対に手に入れることのできないものではないか、という気もする。高橋のことばには「血」を拒絶する死の匂いがいつもつきまとっている。
 この詩自体が、宮内卿が夭折しなかったなら成立しないだろうということが、それを明確に語っている。死を前提とするから「血」ということばが「論理」としてつかわれているのだ。でも、論理でしかない「血」は、私の感覚では血(肉体)ではなく、やはり「死」であると思う。

わたくしの遺した歌は 数のうへで少なからうと
ことごとく 自らの「死」もて歌ひ記した三十一文字

 私は、そう読み替えて、やっとこの詩を納得する。「血」をもって歌ったのではない。「血」を殺すことで産み出したのだと感じるのである。
 私の感想は、宮内卿の歌を読んでの感想ではなく、あくまでも高橋の詩(ことばの運動)を読んでの感想なのだが。



 また、こんなことも思うのだ。

まだ何処にもない未知の歌に恋するなどとは 怖れ多すぎる
まだ何処にもない未知の歌る似姿を試みるなどとは 怖れ多すぎる

 高橋は、「伝統」を否定し、同時に「伝統」の創出する運動、「ことばの肉体」がその力で「ことばの肉体を再構築する」力をもっているということに対して「畏怖」を感じているのかもしれない。宮内卿を畏怖するというよりも、「ことばの肉体」が宮内卿をのっとってしまったことに対して畏怖しているのかもしれない。
 「*」以降の文章は、いったん感想を書いたあとで、ふいに思いついて書いたものである。この視点から感想を書き直すこともできるのだが、そのときは前に書いたものとは違ったものになる。感想は、書いているその瞬間にもかわってしまう。その「動きの変化」(迷い)を、ひとつの例として、そのまま残しておくことにする。









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2020年12月06日(日曜日)

2020-12-06 11:20:03 | 考える日記
 私のスペイン語は独学である。独学でやっていると、突然、変なことに気がつく。

 「スペイン語で読む やさしいドン・キホーテ」という本がある(NHK出版)。
 
 En un lugar de la Mancha vivía un viejo hidalgo de costunbres muy peculiares.

 とはじまる。だいたい中級向け、ということになっている。そのため簡略化、短縮化されている。しかし、ラジオ講座の初級をうろちょろしている私にはチンプンカンプンである。日本語の対訳になっているのだが、それを参考にしてもぜんぜん読み進めることができない。
 ところが。
 せっかく読むのだから、せめて日本語版は全編、短縮されていないものを読んでみようと思い立ち、岩波書店から出ている前編・後編の二巻を読み始めた。やっときのう読み終わった。そして、さてスペイン語に戻るか、と思い読み直してみた。
 すると。
 これが、すらすらとまではいかないが、結構わかるのである。
 それで、気づいたのだ。
 ことばは、ことばを知っているだけではことばがわからない。逆に言うと、ことばを知らなくても「事実」を知っていれば、ことばはなんとなくわかる。さらに、たくさん何かを知っていれば、ことばはなんとなくわかるのだ。文法は関係ないのだ。
 日本語版は二段組で、前編・後編をあわせると1000ページを超えている。それを読み終わると、ドン・キホーテがどういう人間かわかる。サンチョ・パンサがどういう人間かわかる。「スペイン語で読む やさしいドン・キホーテ」に書かれていることは、そのほんのほんの一部である。だから、そこに書かれていることが全部手に取るようにわかる。それがスペイン語であっても。「知っていること」が「ことば」よりも多くないと、「ことば」は理解できない。
 あたりまえだね。「ことば」はどんなに頑張ってみても「現実」のすべてを語れるわけではない。「現実」の方が多い。「現実」を知っているから「ことば」が理解できる。「ひとは知っていることしか理解できない」と、あらためて思った。
 そして、もうひとつ。
 語学の勉強は、なんといっても「名文」を読むにかぎる。最初に引用した「ドン・キホーテ」はオリジナルは、こうである。(本の最後に、名文なので全文が紹介されている。)

 En un lugar de la Mancha de cuyo nombre no quiero acordarme vivía un viejo hidalgo de costunbres muy peculiares.

 とてもリズミカルである。意味がわからなくても、ことばが自然に動いているのがわかる。意味はあとからやってくる。

 いま日本では国語教育が見直されようとしている。高校の国語教科書から「文学」が追放されようとしている。しかし、それでは逆効果しか産まないだろうなあ、と私は思う。「文学」はたしかに実用的ではない。無駄かもしれない。しかし、無駄がたくさんあって、無駄どうしが淘汰しあって自然なことばが成り立つ。ことばを勉強するなら、やっぱり「文学」にかぎるのだ。多くの人が「名文(味わい深い)」と判断したものをたくさん読むにかぎるのだ。
 「やさしいドン・キホーテ」も読み通せないのに、私は、「文学」をもっと読みたくなってしまった。

 それにしても、『新訳 ドン・キホーテ』(岩波書店)の牛島信明の訳はすばらしいとしかいいようがない。私は目が悪いから一日三十分と決めてページをめくっていたのだが、ついつい我慢できずに時間をオーバーしてしまった。牛島の訳がすばらしいから、登場人物の動きがわかる。その結果、スペイン語の文章もわかる、ということにつながっている。

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青柳俊哉「夜明け」、徳永孝「シンクロニシティー」、池田清子「エピソード」

2020-12-06 10:32:03 | 現代詩講座
青柳俊哉「夜明け」、徳永孝「シンクロニシティー」、池田清子「エピソード」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年11月16日)


夜明け  青柳俊哉

月が溶けだす清絶な夜明けに
空の水源をもとめて飛びたつ鳥たち
森をつつみこむ潮の響き 
空に 鳥に すべてのものたちにみちていく水音 
言葉が離れていく 

感覚世界の入り口で 
解き放たれた母音たちが囁(ささや)きあっている

野生のうえの陶製の膚(はだ)のような森
縁(ふち)のない内面をみつめる悲(ひ)のまなざし
灯(ひ)のようなその灰色の
水源に上っていく感覚の夜明けに
月がそそいでいる

 夜明けが描写される。しかし、それは固定した「情景」ではない。「月が溶けだす」という表現が象徴的だが、そこには動きがある。「月が溶けだす」は明るくなってきて、だんだん月の形が不明瞭になる(夜の闇のなかの方が明確に見える)ということを指していると思う。その動きに呼応するように、鳥も飛びたつ、水の音も満ちてくる。
 世界は動いている、と感じたとき「言葉が離れていく」。つまり、ことばでは表現できないものがみえてくる。ことばでは表現できないというのは、既成のことば(流通していることば)では表現できない、という意味である。既成のことばでは言えないものを言いたい。その欲望から、詩ははじまる。

感覚世界の入り口で 
解き放たれた母音たちが囁きあっている

 「感覚世界」とは「理性の世界(ことばで固定された世界)」ではなく、ことばで固定される前の世界を指しているだろう。「ことば以前」のもの、「ことばになる前の母音」が動いている世界を指しているだろう。
 三連目の「野生」は「感覚世界」を言い直したもの、つまり「理性」によって固定されていない世界と言えばいいのかもしれない。「理性」の対極にあるものとして「野生」がある。
 次の「陶製の膚」がわかりにくい。青柳は「感覚世界をつつむ殻のイメージ」と説明したが、たしかにそうとらえれば「感覚=野生」と「理性」の差異が明確になる。「陶製」のものでつつみ、「理性」から「感覚=野生」を守る。まもられながら、その「内部(内面)」で「感覚」が動く。それを「理性」に傷ついたことばが見守っている。傷ついているから「悲しい」。だから「悲のまなざし」になるのか。
 「悲」は「灯」になる。それは「日」にもなるのか。そして、「夜明け」がはじまるのか。傷ついた理性=悲にみまもられながら、感覚は新しく生まれようとしている。
 三連目は、しかし、ことばをもう少し整理した方がいいかもしれない。「陶製の膚」ということばは、この作品の中では、人工的な印象がある。月、空、水源、森のなかでは異質性が強すぎて、つまずいてしまう。つまずかせることが青柳の狙い(起承転結の転)なのかもしれないけれど。



シンクロニシティー  徳永孝

最近ふと読みなおしてみた
ユスナールの「青の物語」
東方へ旅した商人達
サファイアを手に入れるがそれを失い破滅していく

フランス美術の講座では
廃墟の美がテーマ
ピラネージの描く廃墟と
そこに生い茂る植物が論じられる

なにげなく立ちよった古本市で
出会った 文庫本の「ユスナールの靴」
ユスナールの書いた「ピラネージュの黒い脳髄」と
廃墟への思いが連綿と綴られる

これってシンクロニシティー?
ユングが記し語る
ポリスが歌う

 最終連の「ポリス」はロックバンドの名前。「シンクロニシティー」は代表作のひとつ。これを知らないと、最終連の意味がわからない。逆に言うと、最終連は一種の「種明かし」のようにして書かれているのだが、これは詩にとっていいことなのかどうか、判断が分かれるだろう。
 私は種明かしをするのではなく、フランス美術の講座とピラネージ、廃墟とユスナール、ユスナールの作品「青の物語」「ピラネージュの黒い脳髄」がシンクロし、徳永の「頭脳/感性」のなかに繰り広げる世界を書いた方がいいと思う。
 廃墟と破滅は密接に結びついている。そして廃墟は破滅、破壊であるはずなのに、そこには野生(植物)が繁茂する。逆に息を吹き返している。矛盾がある。矛盾が引き起こす錯乱と歓喜がある。
 それをユングが語る、あるいはポリスが歌にしている、と「他人の手柄」として紹介するのではなく、自分自身のことばで語り直すとおもしろくなるのではないだろうか。いま徳永が生きている「街」、そのなかにある「廃墟」と「廃墟のなかで生きる野生」を「連綿と綴る」詩人、新しいユスナールになって書くとき、「いまの美/徳永の美」が誕生するのだと思う。
 サファイア、破滅、廃墟、美、生い茂る植物、さらにユスナール、ピラネージ、美術講座、古本ということばの展開が緊密で、しかもスピードがある。それを辿る過程で徳永が感じた「文体」を、「古本市(ここにも廃墟の匂い、破壊され、捨てられたものの印象がある)」を利用して、何かを「繁らせる」。それを四連目で語れば、「起承転結」が別の形で出現するだろう。植物ではなく、「言の葉」、ことばを増殖させ、暴走させる。ことばをロックンロールさせれば、新しいポリスが生まれるはずである。
 三連目までがとてもおもしろいので、それを四連目で、ことばの種明かしとして処理してしまうと、それまでのことが輝きを失ってしまう。他人にはわからなくてもいい、と覚悟して書いてみることも必要だと思う。



エピソード  池田清子

「コウメイさま、コウメイさま」
というので
ジャニーズの誰のファン?と聞くと
「三国志が好きで、諸葛孔明のファンなんです」
ですって

自分の性格は?って聞くと
「あきらめが悪い」という
それは あきらめないで頑張るってことよね

「今日帰りの会で 校長先生が
右のさこつが折れたと言っていた
笑ってしまった」という
それは 左骨でなくて鎖骨だよ

平成から令和へと元号が変わったとき
今度はRかなLかなと話していたら
「えっ、Hってそういうことやったん」
十五年間、生まれた時からHだもんね

とことこと台所に入ってきて
揚げたての天ぷらを見て一言
「一人何個?」
うちは 好きなように食べてるかな

中学生が かわいい
でも 無邪気な子は少なくなったかなあ

 徳永の「シンクロニシティー」のときに感じたことだが、世代によって知っていることばが違う。生きていることばが違う。
 池田は十五歳の少女と会話している。ことばは全部聞き取れるが、意味がわからない。思いがけないものと結びついている。「コウメイ」はジャニーズではなく「諸葛孔明」。それは少女にとってもおなじ。「鎖骨」は「左骨」。行き違いなのかに、「意識(思想)」そのものがあらわれる。
 ここから、ひとつのことばが一つの意味であるということが見直される。「あきらめが悪い」は「あきらめないで頑張る」。ものの見方次第で、別なことが言えるのである。
 池田の詩のいいところは、しかし、こういう「説教」を前面に出さない。ぱっと隠してしまう。
 平成の「H」の頭文字に対する感想は思いがけない。「一人何個?」という質問も思いがけない。
 池田は、この作品について「エピソードをつづっただけなんだけれど、これでいいのかなあ」と迷ったらしい。
 私は詩は「結論」ではないと思っているので、エピソードをつづればそれでいいと思う。問題はそれがエピソードであるかどうかではなく、どんなことばかということなのだ。この作品で言えば、それぞれの連が「ですって」「ことよね」「だよ」「だもんね」「かな」「かなあ」とことばを変えながら動いている。そして、その末尾のことばのなかに池田のこころの動きが明確に記されている。書かれている「内容(エピソード)」と同時に、それをとらえ直す池田のことばの動きに詩がある。
 さりげない変化なのだけれど、そのさりげなさのなかに池田の「ひとがら」が出ている。











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セリーヌ・シアマ監督「燃ゆる女の肖像」(★★-★)

2020-12-05 14:59:00 | 映画
セリーヌ・シアマ監督「燃ゆる女の肖像」(★★-★)(2020年12月05日、キノシネマ天神1)

監督 セリーヌ・シアマ 出演 ノエミ・メルラン、アデル・エネル

 予告編、ポスターでは気がつかなかったのだが、たぶん、真剣に見ていないからだ。実際に映画が始まると、私はかなり真剣に映像を見るのだろう。「タイトル」がスクリーンにあらわれた瞬間、映画を見終わった気分になった。フランス人はそういうことを感じないだろう。日本人だけが(あるいは中国人も)感じる「いやあな・もの」が突然映し出される。「燃ゆる女の肖像」というタイトル。「燃ゆる」の古くさい響きはまだ「気取っている」というだけで許せるが、「肖像」の「肖」に私はげんなりした。ワープロなので表記できないが「肖」の漢字が「鏡文字」になっている。「肖」は左右対称の漢字に見えるが、よく見ると左右対称ではない。第一画と第三画は「筆運び」が違うし、最後の「月」も「はね方」が違う。大きなスクリーンだと、目の悪い私にもくっきり見えてしまう。この「鏡文字」のどこに問題があるか。ストーリーを先取りしてしまっている。「文字」が演技してしまっているのだ。
 「肖像」は描かれるひとの肖像である。画家はモデルを見て、その肖像を描く。これは一方通行の視点。しかし、この映画は、そういう一方通行の視点で描かれるわけではなく、モデルがモデルでありながら画家を見つめることを暗示している。見つめ、見つめ合い、たがいに相手の中に自分を見つける。つまり「鏡」を見るようにして自分を発見していく。そういうストーリーになることが暗示されるのである。というか、暗示を通り越して、あからさまに語られてしまう。
 実際、ストーリーが予想していた通りに展開してしまうと、もう映画を見ている感じにはぜんぜんなれないのだ。なんというか……。さっさと終われよ。くどくどくどしい、と思ってしまう。タイトル文字を考えたひとは「気が利いている」と思ったのだろうが、観客をばかにしすぎている。
 せっかく二人以外の女、家事手伝いの女を登場させ、堕胎までさせる。そのときの情景を画家に描かせるというような、「描くとは何か」(見るとは何か)という問題を提起しているに、「肖」の「鏡文字」のせいで、台だしになっている。堕胎する少女の手を、まだ歩くこともできない赤ちゃんが無邪気につかむところなど、「鏡文字」がなかったら生と死の非対称の対称が浮かびあがって感動してしまうのだが、「すべては鏡文字ですよ」と最初に説明されてしまっているので、なんともつまらない。
 途中で何回が出てくる「本物の鏡」さえも「鏡文字」を明確にするためのものにしか見えない。映画がタイトル文字のために奉仕させられている。
 ラストシーンの、画家がモデルを遠くから見つめるシーンも、「鏡文字」がなければ感動的なのだが、「鏡文字」があるばっかりに感動しない。つまり、ラストシーンでアップでスクリーンに映し出されるモデルのこころのふるえ、音楽に共鳴しながす涙は、同時にそれを見つめる画家の顔なのである。同時に、それは観客の顔でもある、と最初から説明してしまっているからである。
 もう一度タイトルを映し出せ、ものを投げつけてやる、といいたい気分になる。
 途中の女たちだけの祭りで歌われる歌がとても印象的だった。映画が終わったあとのクレジットの部分でも少し流れる。フランス語なのでよくわからないが「なんとかかんとか、ジレ」と聞こえる。「わたしは行こう」なのか「わたしは行ってしまう」なのかわからないが、「別れ」のようなものが歌われていると聞いた。これに途中に出てくる「後悔するのではなく、思い出すのだ」というセリフが重なる。そういう意味ではここも「鏡文字」なのだが、フランス語の歌の文句がよくわからないだけに(字幕もないので)、勝手に想像することができて楽しい。
 なんでもそうだけれど、最初から「答え」を見せられるのは楽しくない。わからないなりに、これはなんだろう、と自分自身の「肉体」の奥にあるものをひっぱりだしてきて、いま、そこで展開されている「こと」のなかに参加していくというのが楽しいのだ。このよろこびを奪ってはいけない。
 タイトルの「肖像」がふつうの文字で書かれていたら、私はきっと★を4個つけたと思う。でもタイトルにがっかりしてしまったし、そのがっかりを促すように映画が進んでいくので、ほんとうに頭に来てしまった。「字」がかってに演技するな。







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読売新聞の菅記者会見報道からわかること

2020-12-05 09:20:24 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の菅記者会見報道からわかること

 2020年12月05日の読売新聞(西部版・14版)に菅の記者会見の記事がある。私は「記者会見」を見ていないので(たぶんテレビ中継されたと思う)わからないのだが、読売新聞の報道の仕方から見えてくることがある。
 1面の見出しと、前文。(番号は、私がつけた。)

環境投資2兆円基金/首相会見 コロナ時短対策1・5兆円/ひとり親世帯 給付再支給

①菅首相は4日、首相官邸で記者会見し、8日に決定する追加経済対策で、2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする目標に向け、環境分野の技術革新などに投資する企業への支援策として2兆円の基金を創設する意向を表明した。
②デジタル関連で1兆円超の関連予算も計上し、
③新型コロナウイルスの感染拡大で疲弊した経済の再生を進める決意を示した。

 これにつづく記事には「記者会見は、4日に臨時国会が事実上閉会したことを受けて行われた」とあるが、国会で話題になったことは、あまり書かれていない。
 国会では、まず「学術会議の6人任命拒否」「GoTo批判(コロナ対策)」「安倍の桜を見る会」が問題になった。しかし、見出しと前文からは、「学術会議」に関することはすっぽりと抜け落ちている。
 ①は臨時国会の主な議題ではない。たしかに菅は温室効果ガスについても主張しているが「2050年」へ向けた展望は、いま問題になっていることとはまったく関係かない。「2兆円」というのは今後30年間にとってどれくらいの「価値」があるものかも、私には見当がつかない。「2兆円」を前面に出した単なる「宣伝」にすぎない。
 ②も菅のやりたいこと、やりつつあることの「宣伝」であり、国民がいま求めている緊急の問題ではない。
 ③でやっと「コロナ対策」が登場するが、これでは、わざわざ記者会見を開いて、国民に直接訴えることにはならないだろう。これでは、国民の行動指針にはならないだろう。
 「見出し」にとっている「コロナ時短対策1・5兆円」や「ひとり親世帯 給付再支給」は国民生活に影響してくるが、年末年始の買い物対策、帰省対策など、身近なことがぜんぜんわからない。「国民まかせ」で知らん顔している。

 この「記者会見」は、逆に読んでみる必要がある。読売新聞は、なぜ「学術会議」や「桜を見る会」の問題を見だしにとっていないのか、というところから記事を読み直していく必要がある。
 そうすると、3面に「記者会見」というよりも「国会閉会」に関して、おもしろいことが書いてある。「『実績重ね解散』戦略」という見出しでくくった記事である。

今後の政権運営で焦点となるのが、衆院解散・総選挙の判断だ。(略)自民党内でも内閣支持率が好調なうちに早期解散を望む声が多かった。ただ、感染者の急増に加え、安倍晋三前首相や吉川貴盛元農相を巡る「政治とカネ」の問題が浮上したことで機運はしぼんだ。

 首相の仕事は、自民党議員を何人当選させるかという「選挙対策」だけらしい。政策は、つまり「公約」(たとえば、環境投資2兆円基金)というのは、「当選したい/国会議員として金儲けをしたい」を隠蔽するための「方便」にすぎないことがわかる。
 という「表面的」なことよりも。
 この3面の記事でいちばん問題にすべきなのは、ここから「学術会議」が消えていることである。
 「学術会議の6人任命拒否」には菅の「違法行為」が関係している。学術会議法を読むかぎり、菅は6人をそのまま任命しなけれどいけない。しかし、そうしなかった。首相が違法行為をしているという意味では「桜を見る会」とおなじなのである。しかも、「桜を見る会」の問題のように、「秘書」に責任をなすりつけてごまかすことのできない問題である。
 このことから読売新聞がスクープした「桜を見る会」問題は、菅が、菅の違法行為への批判を隠蔽するために、安倍を利用するためのものであることがわかる。つまり、「リーク元」が菅(側近)であることがわかる。
 「学術会議6人拒否」は菅の「タブー」になっている。だから、読売新聞は、それについては触れないようにしている。
 4面にも、おもしろい記事がある。おもしろいというのは、記事の書き方がおもしろい、ということである。ここに、この日の新聞ではじめて「学術会議」が登場する。(番号は、私がつけた。)その「触れ方」が非常におもしろい。

⑥今国会は、首相が学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題で論戦がスタートした。
⑦首相は任命拒否の具体的な理由は答えず、「推薦された方々を必ずそのまま任命しなければならないわけではない」と正当性を主張し続けた。一方で、学術会議の会員の選考方法を「閉鎖的で既得権益のよう」と指摘し、組織の問題点に矛先を向けた。
⑧野党は、学術会議問題への世論の関心が高まらないと見ると、中盤からは新型コロナウイルスの感染拡大を受けた政府対応の追及に軸足を移した。感染拡大の原因は、首相が旗振り役を務める政府の観光支援事業「Go To トラベル」にあると指摘し、事業の中止を要求。首相は事業は地域経済に欠かせないとして、感染対策と経済回復の両立を訴えた。

 ⑥は「6人任命拒否」がなぜ「問題」なのか、その説明を省略している。すでに報道しているから書かないという理由は成り立つことは成り立つが、それでは不十分である。
 ⑦は菅の一方的な言い分である。菅は「正当性」を主張しているが、その根拠は示されていない。読売新聞は単に菅の主張をそのまま「宣伝」しているだけである。
 ⑧の「世論の関心が高まらない」という問題は、単に野党だけの責任ではない。ジャーナリズムが、この問題をどう報道してきたかも関係する。この問題が発覚したとき、読売新聞はどう報道してきたか。すでにブログで書いたが、読売新聞は「梶田新会長」という人事を大きく扱い、「6人拒否」はわきにおいやる紙面構成で報道していた。(他紙は「6人拒否」が主力で「梶田新会長」を見出しにとっているのは毎日新聞くらいであり、しかも単に人事の紹介なので1段見出しだった。)世論の関心が「6人拒否=菅の違法行為」にむかないように情報操作をしてきた読売新聞が、その責任を「野党」におしつけるのは筋違いだろう。
 「学問の自由侵害」はかならず「報道の自由(表現の自由)侵害」につながる。政府を批判する「言論」は弾圧される、ということを招く。被害を受ける最先端の報道機関が、この問題から目をそらさせるような操作をしてきて、「世論の関心が高まらない」と書いてはいけない。
 そして、この「世論の関心が高まらない」という書き方そのものが「情報操作」なのだということに気づくべきだ。「学術会議」よりも将来の温暖化対策(環境問題)の方が重要だ、デジタル対策の方が重要だというのは、「学術会議問題(権力の学問の自由の侵害)」を隠蔽することだ。

 読売新聞の記事を1面、3面、4面とつづけて読んでいくと、そこには「国会」で問題になったことが一応全部書かれている。だから読売新聞は、何も「嘘」は書いていない、ということにはなる。
 しかし、ことばというのは、何をどういう順序で語るかという「方法」のなかに、語った内容と同等の、あるいはそれ以上の「思想」を含んでいる。
 「学術会議問題」を「世論の関心が高まらない」と切り捨て、何もなかったかのように装う。そこに「思想」がある。読売新聞の、権力にべったりと寄り添い、すがりつく姿勢が見える。
 この問題が発覚したとき、私は、菅は国民からいちばん遠いところから「独裁」を始めたと指摘した。国民から見ると「学者」というのはもともと手が届かない世界である。「学問」として語られることは、難しくてわからない。だれが正しくてだれが間違っているのか。どの部分が正しくてどの部分が間違っているか。それを「学者」と対等に語り合える国民などほとんどいない。だから、そのひとたち「学術会議会員」に任命されようがされまいが、ぜんぜん気にならない。だいたいだれが選ばれたかを気にしている一般国民はいないだろう。(したがって、その会長にだれがなるかなんて、全く関心がない。それなのに読売新聞は、だれが会長になったかが大問題であるかのように3段見出しで報道している。)そういうところから「弾圧(独裁)」を始め、徐々に国民生活そのものにまでしめつけをくわえる。それが菅の手法なのである。
 「学術会議」問題は、コロナ対策や「桜を見る会」とは違って、これからも延々と尾を引き、徐々に「効力」を発揮してくる。コロナは最終的には医学が問題を解決するだろう。「桜を見る会」は安倍の握っている権力が弱まれば、それで決着するだろう。しかし「学術会議」の問題、権力の暴力、「学問の自由侵害」はさまざまな形で「言論の自由」を圧迫し、その力を強めてくるだろう。民主主義の本質にかかわる問題なのだ。
 だからこそ、菅はそれを隠蔽しようとしている。そして、読売新聞はその隠蔽に加担している。
 記者会見がどういうものだったのか、読売新聞の記事からはいっさいわからない。記者会見で、記者が「学術会議問題」を追及したかどうかもわからない。もし、記者が「学術会議」問題に対して質問しているのに、そのことをいっさい書かないのだとしたら、ここにも「隠蔽工作」がおこなわれていることになる。











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高橋睦郎『深きより』(16)

2020-12-04 10:50:13 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(16)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十六 新じま守として」は「後鳥羽院」。

 「十五 なべて泡沫」の「藤原定家」の存在など知らないかのように、この詩のことばは展開する。後鳥羽院は「男」を相手にしていない。藤原定家は多くの男から一人の男を選び、選び取ることで自分自身を一人の男にするのだが、後鳥羽院は最初から「一人」でしかないからだ。だれを選ばなくても、すでに「一人」なのだ。もっともその「一人」は兄が死ぬことによってもたらされた「一人」だから、絶対的な「一人」ではない。そこに後鳥羽院の苦悩がある。
 もしかすると、これは高橋自身の「告白」かもしれない。私は高橋の個人的なことは何も知らないが、彼の周りには何人かの人間がいる。そして、その何人かの人間によって「一人の男」であることを強いられている。それがこの作品に反映しているような気がする。

唯一人の帝となつたのちも 朕は剣を帯びぬ最初の帝
じつは贋の帝ならずやとの不安に 日ごと夜ごと苛まれつづけた

 たとえば家族・親族のなかでたった一人の男。そのために自分自身を「贋の男」ではないかと苦悩し続ける。女であるべき人間なのに、「家」のために男を生きている「贋の男」。
 その「家」から出てしまうと、高橋はどうなるか。

朕は贋の帝から真の人に ひとりの男になつたのだ

 「贋の男」から「ひとりの男」、つまりだれでもない「自分自身」になる。「自分自身」になることで「真の人」になる。「真の人」とは「自分自身」である。

新じま守とは 運命の任けのまにま島を守る すなはち防人
守るための武器は一振りの剣ならず 三十一文字一行の歌
甦へるべき歌の島 言霊の国の前衛として いま此処に立つ

 そして「真の人」にならしめるのは「三十一文字一行の歌」、「ことば」である。
 ことばはだれのものでもない。だからこそ、それを「自分自身のもの」にするとき、そこに「唯一人」が甦るのだ。
 人間ではなく、ことばを選ぶ。それは「ことばになる」ということかもしれない。
 私はいつも高橋の詩に「死」を感じるが、それは「ことばになる」という高橋の生き方に、何か「いのち」を否定して、「いのち」を超越していこうする絶望のようなものを感じるからかもしれない。この絶望は、「頭」では理解できるような気がするが、私は「肉体」ではついていけない。どこか拒絶したい、拒絶しなければいけないものを感じる。




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安倍の今後

2020-12-04 09:59:27 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍の今後

 2020年12月04日の読売新聞(西部版・14版)1面。

「桜」前夜祭/安倍前首相聴取で調整/東京地検 月内にも実施か

 この見出しは、いよいよ安倍逮捕か、という期待(?)をいだかせるが、4面の「内幕記事(?)」を読むと、私の期待は消えてしまう。
 途中を省略するが、記事をつないで読んでいくと、読売新聞がこの問題をスクープした理由というか、読売新聞に「リーク」した人の狙いがみえてくる。見出しは「自民 安倍氏捜査を注視/国会閉会 幕引き狙う」となっているが、そんな「狙い」など記事を読まなくても想像がつく。いつもの自民党の手口だからだ。
 実際には、何が起きているか。読売新聞に書かれているさまざまな発言者の声をつなぐと見えてくるものがある。(番号は、私がつけた。)

①安倍氏の出身派閥の細田派幹部は「一応話を聞くということだ。安倍氏本人への刑事処分はないと結論を出すためにも必要な手続きだろう」と語り、事態を注視する考えを示した。幹部は、来年中とされる安倍氏の細田派への復帰には影響しないとの見通しを示す

 「刑事処分はない」とまず、「結論」が語られる。
 そのうえで、今回の「報道の狙い」がどこにあるかが、少しずつ語られる。

②首相経験者が事情聴取されれば、衝撃は大きい。閣僚経験者は「以前のように表舞台で活動するのは難しいだろう。首相への『再々登板』を口にする人もいなくなるのではないか」と解説する。

 「桜報道」は安倍の「再々登板」を封じるためである。まず、そう「大筋」が語られる。
 これを補足する材料として、

③安倍氏は、(略)衆院解散・総選挙の時期を巡り、「私だったら1月に衆院を解散する」と繰り返し発言し、波紋を呼んだこともあった。

 (菅)首相の権限である「解散権」に口出ししている。それが気に食わない。
 この安倍の「野望」については、もうひとつ追加事項がある。

④3日夜には参院細田派議員の会食に参加し、前日の2日夜は麻生副総理とともに、東京都内での細田派と麻生派の若手議員による会合に出席した。2日の会合は最大派閥の細田派と第2派閥の麻生派の蜜月ぶりを示し、菅内閣で存在感を増す二階派をけん制する意図もあったとみられる

 「安倍の聴取打診」が報道されたのは3日の夕刊。つまり2日夜の麻生を加えた会合のあと。「まだ麻生と組んで再々登板を画策しているのか、許せない」ということだろう。そして、「聴取打診」が報道されたにもかかわらず、安倍はその3日夜にも「会食」を開いている。菅の怒りが安倍にはつたわっていないと判断して、きょう4日の「特ダネ」の「年内にも安倍聴取か」になったのだ。きょうの「特ダネ」は菅の怒りがどれだけ激しいかを証明するものなのだ。これは菅の「脅し」を代弁しているのである。
 それが証拠にというのも変だが、きょう4日の朝刊には、安倍のうろたえぶりが、こんな具合に書かれている。「安倍氏は3日、東京・永田町の衆院議員会館で報道陣の取材に応じ、特捜部による聴取の打診について『聞いていない』と述べた。」。
 特捜部が「打診している」というニュースなのに、聴取を受ける安倍が何も知らないというのは、安倍が嘘をついているのかもしれないが、とても奇妙なことである。

 話を元に戻すと、菅は安倍に対して不満を抱いている。それを明確にするために、
 そして、わざわざ、

④安倍氏本人が事情聴取される方向となり、再始動に冷や水を浴びせられた格好だ。

 と、だめ押しのように、「再始動」の動きを批判している。
 おもしろいのは、この③④の部分には、「だれ」が批判しているのか、「主語」がない。「再始動に冷や水を浴びせられた格好だ」はだれの発言なのか。
 だれでもない。「読売新聞」の状況判断である。これは、言い換えれば読売新聞は、安倍の動きに冷や水を浴びせるために、この記事を書いているということである。一連の記事は安倍に冷や水を浴びせるために「リーク」したものである、ということである。その「リーク元」の怒りを、読売新聞は、そのまま反映させている。
 「正直」が出てしまう読売新聞は、こういうことを隠せない。
 で、問題の「リーク元」には、つぎのように語られて記事を締めくくっている。

⑤政府関係者は最近の安倍氏の言動について「衆院解散は菅首相の専権事項で、安倍さんの発言は余計だった。少し静かにしていた方がいい」と苦言を呈した。

 ここに再び「衆院解散」は「菅首相の専権事項」が登場し、すべてをバラしている。
 安倍の発言に菅が怒り、安倍封じをするために「リーク」した。そのことを「政府関係者」は「少し静かにしていた方がいい」と露骨なことばで説明している。それを、読売新聞は、わざわざ「苦言を呈した」と解説し直している。
 読売新聞は「正直」がうりもの。こういう「正直」は、読んでいて、たまらなくおかしい。

 で、まとめると。
 安倍の動きさえおさえることができるなら、菅はそれで満足。それが目的の「桜問題の再掘り起こし」なのだから、もちろん立件は狙いではない。逆に言えば、政治資金規正法違反(不記載)で秘書を立件すればおしまい。そのために(というか、そうさせるために)、3日の朝刊では、わざわざ「4000万円」という額を出して、問題は「桜」ではなく、秘書の帳簿処理という「方針転換」を説明している。
 菅としては、秘書の処分で桜問題を隠蔽するのだから、ありがたく思え、と恩を売っているんだろうなあ。

 それとは別に、私は、こんなことも考える。
 すでに読売新聞の「特ダネ」第一報の直後に書いたことだが、この「桜」とコロナウイルス(GoToキャンペーン)の問題がクローズアップされたために、「学術会議」問題が見えにくくなった。「6人任命拒否」は菅の違法行為であるという問題が見えにくくなった。野党の追及がどうなっているのか、新聞などでは、わからなくなっている。
 これを考えると、菅は菅自身が問われている違法行為を隠すために、安倍の違法行為をひっぱりだしたということになる。
 推測だけどね。

















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高橋睦郎『深きより』(15)

2020-12-03 11:17:05 | 高橋睦郎『深きより』


高橋睦郎『深きより』(15)(思潮社、2020年10月31日発行)

 「十五 なべて泡沫」は「藤原定家」。

 高橋のことば(詩)は、男を描いたときの方が生き生きしている。「十四 もう一つの修羅」では男(西行法師)は抽象としての男(武者)と向き合っていたが、この詩では藤原定家は後鳥羽院という具体的な存在と向き合っている。そのことが、ことばにより力がこもっている。

この身はただただ あの方を驚かさむがためにのみ 歌に苦しんできた
その君を亡くしては 歌をつくる理由も 生きる気力も なべて泡沫

 最後の二行に書かれていることは「常套句」にもみえる。しかし、「常套句」ではない。「この身」は具体的な「肉体」である。「生きる気力」は「精神の力」というよりも「肉体」の力。「歌に苦しんできた」のは「肉体」そのものである。
 最初から詩を読み直すと、そのことがわかる。「この身」ということばは、この詩には三回書かれている。
 
あの方によつて わが歌ははじめて殿上に いや 天井に召された
しかし間違へまい 召されたのは歌であつて この身ならず

 「間違へまい」と自分自身に言い聞かせているが、定家自身はむしろ「間違えたい」。いや、すりかえてしまいたい。それは「間違えてもらいたい」でもある。
 「歌」が「生きている」のではなく、「肉体」が「生きている」。

この身より十八歳少く 眼するどく力みなぎる 一天万乗の君

御簾ごもるあの方の前 朗詠されるわが歌に 耳聳てながら

暑さ寒さに疲労困憊して 蹲るほかないこの身に ちらと一瞥

 「肉体」は「眼(一瞥)」「耳」と言い直されている。そして、この「眼」「耳」をつかって最初に引用した行「この身はただただ あの方を驚かさむがためにのみ 歌に苦しんできた」をを読み直せば、

この「歌」はただただ あの方「の眼と耳」を驚かさむがためにのみ 苦しんできた

 のである。つまり、「この身体を見て」「この身体の中に隠されている声を聞いて」と訴え、もだえているのが「歌(ことば)」なのである。
 精神(ことば)が交わるのではなく、「肉体」が交わることを求めている。
 だからこそ、

新たに敵とされたのは あらうことか 疎まれつづけてきたこの身

 「身分」でも「歌」でもなく、定家は「肉体」が「疎まれつづけてきた」と感じているのだ。

 「目(眼)が驚く」「耳が驚く」。最初は「肉体」が反応する。それを隠すために「こば」がある。それを記憶するために「ことば」があるといういい方もできるが、ほんとうの驚きは「ことば」がなくても忘れることはない。ことばを忘れてしまうのが「驚き」でもある。「ことばが出ない、声が出ない」のが本当の驚きである。

 「この身の苦しみ」を書くときの高橋のことばは強い。




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不記載4000万円?

2020-12-03 08:43:06 | 自民党憲法改正草案を読む
不記載4000万円?

 2020年12月03日の読売新聞(西部版・14版)が、またまた安倍問題で「特ダネ」。この書き方がとても興味深い。

「桜」前夜祭/安倍氏公設秘書 立件へ/東京地検 不記載4000万円か/規制法違反容疑

 安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、東京地検特捜部は、政治団体「安倍晋三後援会」の代表を務める安倍氏の公設第1秘書を政治資金規正法違反(不記載)容疑で立件する方針を固めた。特捜部は安倍氏側による補填分だけでなく、参加者の会費徴収分も含めた開催費全額を後援会の政治資金収支報告書に記載すべきだとの見方を強めており、収支を合わせた不記載額は4000万円規模に上る可能性がある。

 私は野次馬読者だから、はっきりとは覚えていないが、これまで取り上げられていた問題は前夜祭の「補填800万円以上」ということだった。しかし、突然その5倍の4000万円という数字が出てきた。
 ちょっと見た目には、えっ、4000万円補填?と仰天してしまう。
 ところがよく読むと、その4000万円は「収支を合わせた不記載額」とある。この「収支をあわせた」という意味が私などにはよくわからない。たとえば「収入2000万円+支出2000万円=4000万円」なのか、「収入4000万円-支出4000万円=0円(帳簿の帳尻があう)」なのか。「会計事務(処理)」に詳しい人なら悩まないだろうけれど……。
 そして、この「わからない」ところをさらに面倒くさくさせるのが、「不記載」ということばだね。
 「参加者の会費徴収分も含めた開催費全額を後援会の政治資金収支報告書に記載すべきだとの見方を強めており」と記事には書いてある。800万円補填したかどうかよりも、「収支報告書に記載したかどうか」が問題であり、そこから「政治資金規正法違反」の容疑が発生する。
 で、この瞬間。
 「800万円補填」が隠れてしまった。
 「800万円補填」は、問題じゃない?
 800万円補填も問題だろうけれど、その5倍の4000万円の「不正」がある。そっちの方が大きい問題だろう。だから、それを重視する。それを問題にしないのは、おかしいだろう、といいたいんだろうなあ。
 ここから「4000万円」と「不記載」が固く結びついて、「800万円補填」は隠される。「800万円補填」は安倍の問題だが、「4000万円不記載」は秘書の問題になる。「800万円補填」はそのうちの一部になる。つまり、安倍は「切り離される」(不問にされる)のである。
 この部分については、はっきりこう書いてある。

 補填分の領収書は、ホテル側から安倍氏が代表を務める資金管理団体「晋和会」宛てに発行された。ただ、前夜祭は後援会が主催していた実態から、特捜部は会計処理も後援会が担うべきだと判断したとみられる。

 「ただ」ということばがとても大事な働きをしている。領収書は「晋和会」宛てであると認めた上で、安倍には責任がない、と主張する。そのために、「秘書」がすべては後援会の収支を担当していたという「論理」を導入する。責任を「秘書」におしつけるための「論理」をつくるために「ただ」ということばがつかわれている。「論理構成要件」には「事実」だけではなく、「接続詞」が重要な働きをしている。あ、ちょっと問題がずれてしまったか。でも、私が問題にしたいのは、こういう「論理」の問題、「論理」にだれが、どんなふうにつくっていくかうそしてその「論理」によってだれが何を隠すかという問題なのだ。
 言い直そう。
 「判断した」と書いてあるが、これは「判断した」のではなく、そういう「結論」に達するように「論理」を作り替えた、という意味である。ここでは「論理」が展開されているのではなく、「論理」が捏造されていると読むべきである。「4000万円不記載」という「事実」は捏造はされていない。しかし、「4000万円不記載」を強調することで「800万円補填」を隠すという工作がおこなわれている。読売新聞は、それをそのまま「宣伝」している。
 念押しするように、記事の最後にこう書いてある。

 市民団体などが政治資金規正法違反容疑などで提出した告発状の対象者には、公設第1秘書のほか、安倍氏らも含まれている。安倍氏は後援会では役職に就いておらず、特捜部は事情聴取の必要性などを慎重に検討しているとみられる。

 「慎重に検討している」というのは、安倍を聴取しないですませる方法を慎重に検討している。安倍を聴取しないですませるための「論理構築を慎重に検討している」ということである。つまり、どうすれば安倍を聴取しないですませられるかを検討しているということである。
 そして、その「仮説」のひとつが、「800万円補填」を「4000万円不記載」のなかに含めてしまうことなのである。「800万円」を大きく上回る「額」がどうしても必要だったのだ。「800万円不記載」では、どうしても安倍と直結してしまう。しかし「4000万円」なら安倍(桜を見る会)と直結しないものもある。そこに焦点を当てようとしている。
 「トカゲの尻尾切り」に違いないのだが、そのトカゲの尻尾の大きさを強調することで、安倍を隠そうとしている。
 これは東京地検の「方針」そのものなのか、「4000万円」を表に出すことで、世論がどう反応するかをみるための「リーク」なのか、よくわからない。私は、後者だと思っている。「4000万円」に世論がとびつき「800万円補填」を忘れてしまうなら、「秘書立件(秘書逮捕)」は大成功。安倍は放免されるからだ。

 で。
 問題は、こういうとき記事をどう書き、見出しをどうとるかなのだ。記事と見出しは「800万円補填隠し」のために「4000万円不記載」を強調している。これを「4000万円不記載」よりも「800万円補填」をめぐる安倍の嘘答弁が問題であるという視点から問題をとらえ直せば、「4000万円不記載」に安倍はどうかかわっていたのかを追及しなければならない。つまり、「安倍を聴取する方向で検討している」という地検の「声」を引き出してこないといけない。そういう「声」を引き出す質問を記者はしないといけない。そういう「ねばり」のようなものが感じられない。単に「リーク」されるままに「特捜部は事情聴取の必要性などを慎重に検討しているとみられる」と書いている。今後、この問題は「4000万円」がひっぱっていく。他の報道機関も「4000万円」を問題にせざるを得なくなる。そして「4000万円」が強調されるたびに、安倍は見えなくなるのである。
 だいたい「慎重に検討します」は「ていねいに説明します」とおなじで、単なる「表面的なことば」。「検討しません」「説明しません」という意味である。こんなことばを新聞が「宣伝する」のはおかしい。地検が「やっているふり」をしているのを追認する必要はない。世論を味方に、地検をひっぱっていくくらいのことをしてほしい。




















#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

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