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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(68)

2020-01-12 09:09:32 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくはそこを歩いていこう)

ひとすじに思いをたどるだけで
どこに行きつくかも知らずに

 しかし、こう書くとき、嵯峨は「どこ」に行き着くかを知っている。「どこ」は場所を指し示すことばだが、目的地だけを指し示すわけではない。
 「ひとすじ」には「一つ」と「筋」の二つのことばがある。「筋」は細い。その「細さ」は「場」につながる。「狭い」。そしてそれは「一つ」しかない。すでに嵯峨は「行き着いている」のだ。
 「歩く」「たどる」「行く(行き着く)」と動詞はかわるが、その動詞が動いている「場所」は「筋」という限定されたところであり、しかも「一つ」である。「歩く/たどる/行く」がそのまま「着く」なのだ。
 そこ「へ」歩いていこうではなく、そこ「を」歩いていこうと書かれていることが、そのことを端的に語っている。「歩く」という動詞が「目的地」なのだ。








*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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