詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

マット・ロス監督「はじまりへの旅」(★)

2017-04-06 08:05:57 | 映画
監督 マット・ロス 出演 ビゴ・モーテンセン

 はじまった瞬間、ぞっとする映画がある。この作品が、それ。
 森が映し出されるのだが、その緑が人工的。アメリカ映画の緑の色に私はいつもついていけない。この映画のはじまりの緑はいつもの「汚い緑(水分のない緑)」ではないのだが、まるでペンキを塗ったような緑。「フィールド・オブ・ドリームス」よりもあくどい。「美しいでしょ」と強引に迫ってくるのだが、私には全然美しく見えない。アメリカの山岳地帯(森)へ行ったことがないこういう言い方をしてはいけないのかもしれないが、こんな緑、どこにもないだろう。光と影が動いていない。
 これでは、だめだ、と瞬間的に思う。そして、思った通りの映画。ある理想があって、それを「完璧」に描いて見せる。でも「完璧」に見えるものなんて、嘘に決まっている。この映画は、嘘に始まり、嘘に終わる。
 途中、森を捨てて、一家が「都会」へ行く。そのときあらわれる緑は、いつものアメリカ映画の「汚い緑」。こんな緑を見て、よく嫌な気分にならないものだと私は不思議でしょうがないのだが、多くのアメリカ人は平気なんだろうなあ。
 あ、脱線したかな?
 映画の見どころ(?)は、自然のなかで英才教育を受けた子供たちが、はじめて社会に触れてカルチャーショックを受けるところにあるのだが、これがねえ、ぜんぜんコメディーになっていない。笑えるのは笑えるのだが「愉快」なのではなく、「ばかばかしい」のである。映画の最初の緑と同じように、「完璧な笑い」をめざしているので、ぞっとする。「笑い」なんて気楽なものなのに、「完璧に説明」しようとしている。ほら、天才一家とふつうの人の「ギャップ」がおかしいでしょ、おかしいでしょ、と念を押すように「説明」される。そこには「笑いの論理」はあるけれど「笑いの肉体」がない。「肉体」が「笑い」に共感しない。
 くだらない例だけれど、たとえば警官がバナナの皮に滑って転んだとする。そうすると見ているひとは笑うね。警官に同情なんかせずに、むしろ、「ざまを見ろ」という感じで笑う。そういうところに、「笑い」の残酷な基本があると思うのだが、この映画はその「残酷な基本」を無視している。「高尚な哲学」で分析して見せる。
 いやらしい感じがする。
                  (t-joy 博多スクリーン6、2017年04月05日)
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