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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(4)

2019-05-24 10:05:24 | 嵯峨信之/動詞
* (もうやめよう)

もうやめよう
暗い言葉のなかで向いあつているのは
去る者があれば
心もそこで終わる

 この一連目は、二連目で「比喩」となって繰り返される。いや、「比喩」を通して、未来として予想される。

いつか深い井戸を思いだすことがある
何かが落ちて
底知れぬところから水の音がかえつてくるのを

 「暗い言葉」は「深い井戸」、「去る者」は井戸に落ちた「何か」、それで「終わる」わけではない。「いつか」「かえつてくる」。それを「いつか」「思いだす」。
 正確には「思いだすことがあるだろう」なのかもしれないが、確信しているのから「思いだす」と断言する。あるいは予言する。ないものを存在させる。ここから詩はさらに飛躍する。

そのときの水の音をおもうと
その日からだつたのだ
地上に長い夏の日がつづいたのは

 三連目で「おもう」という動詞が繰り返される。「思いだす」という動詞とつかいわけているのだが、未来を思うのも、過去を思い出すのも、こころの動きは同じだ。遠くにあるものを自分に引き寄せる。自分に結びつける。
 この結びつける動きを、別の動詞で言いなおせば「つなげる」であり、「つなげる」は「つづく」でもある。
 「心」には「終わる」ということはない。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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