詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西脇順三郎の一行(49)

2014-01-05 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(49)

 「失われた時 Ⅳ」

どこかで人間がまたつくられている                 (61ページ)

 生まれているではなく「つくられている」。それはことばを動かし、対話することだ。対話するとき、そこに人間が生まれると同時に、ことばが人間をつくっていく。「どこかで」は「知らないどこかで」ということ。そし「知らない」はほんとうは知っているということ。
 だから、この行は「--おつかさんはとんだことになつたね」と、それだけで「意味」がわかることばへとつながっていく。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 瀬尾育生「蛹化」 | トップ | 井坂洋子「はんべ」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

西脇の一行」カテゴリの最新記事