詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池田清子「ロウム」ほか

2024-02-27 16:57:29 | 現代詩講座

池田清子「ロウム」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年02月19日)

 受講生の作品。

ロウム  池田清子

古代ローマ帝国の初代皇帝は
オクタウィアヌス(アウグストゥス)という人らしい

私の中のローマは映画の中

「ベン・ハー」
「十戒」

強大なローマ帝国の司令官メッサラが
ユダヤ人の貴族ベン・ハーをガレー船に送る
復讐の戦車レースの為に
馬を提供したのはアラブ人の豪商
ヘブライ人の男の子を拾って育てたのは
エジプトの王女 モーゼと名付けた
若いチャールトン・ヘストン最高!

「シンドラーのリスト」
「サウンドオブミュージック」
「アラビアのロレンス」

ユダヤ、アラブの人たちの苦難を
私は映画で知った
ほんの上っ面な理解かもしれないけれど

イスラエル と ガザ

楽しいものもある
「ローマの休日」
イタリア訪問中の王女が 記者会見で言う
「一番印象に残った訪問地は?」
「ロウム」

オオ レイオロレイオロレーイ

 「フットワークの軽さを感じた。若いときの回想と現在のいろいろな時間を感じる」「映画は見たものとタイトルしか知らないものもあるが、さまざまに関係しているのがわかる。イスラエル、ガザが出て来るのが効果的。最後の一行がハッピーエンドのようで素敵」「何を考えて書いたか伝わってくる力のある詩。ローマも具体感がある。最後の一行がいい」
 池田は「これが詩でいいのかなあ」という思いで書いたという。最後の一行は「サウンドオブミュージック」から。
 何を詩と定義するか。「詩的なことばがなくても、素直に書いたことばだから、これでいい」「そのひとの、その時点でのことばが詩になるのでは?」「映画のなかからのピックアップの仕方が詩的」と受講生の意見。
 受講生が言っているように、ある対象から何を取り出すかに、その詩人の生き方があらわれてくる。思想があらわれてくる。書いたひとの姿が浮かんでくれば、それは文学。
 「若いチャールトン・ヘストン」の一行は、最初は括弧のなかにくくられ、6字下げになっていた。映画で見たストーリーの紹介と、池田の感想を区別するためにそうしていたのだが、これは区別する必要がない。括弧に入れずに、字下げもしない、いまの形の方がいい。ストーリーを紹介する部分も池田の肉体をとおって出てきたことば。どのシーンを選んで書くかということも、すでに「感想」なのだから、ここで「これはストーリー、これは感想」と区別すると、几帳面な堅苦しさが前面に出てきてしまう。

桜並木駅  緒加たよこ

もうすぐ踏切です
もう踏切はないよ と
教えてあげた

「桜並木駅」

随分と綺麗な名前だな

新しい駅が出来る
高架になって
もうすぐ出来る

君はこの辺のひとだから
この桜並木の下を歩いたかな
満開になったら遠足なんかもしたのかな

僕は見てるだけ
通り過ぎるだけだよ いつも

この踏切は道路と線路が斜めカーブに交差する
右見ても左見ても絶対に
電車なんか見えない
イチかバチかで渡るんだ
もうそれもない

もうすぐ踏切です って
明日もきっと云う このナビなら
空耳じゃなくて

 「最後にナビが出てくるのは現実的すぎて、それまでのイメージを壊してしまう。出てくるから、いいのかもしれないけれど」「ナビとの会話だと納得できた。最後から2連目は、ちょっと危ない感じ」「ナビとの会話のずれを書いていて、おもしろい」
 「もうすぐ踏み切りです」はナビの声だが、ほかは、どうだろう。ほかにもナビの声はあるだろうか。
 緒加は、ナビの声は「もうすぐ踏み切りです」だけだと言ったが、2連目は作者、3連目はナビ、4連目は作者、5、6連目はナビ、7連目は作者という具合に読んだ。あるいは、車のなかにはふたりの人間がいるのかもしれない。緒加の、「ナビの声はもうすぐ踏み切りですだけ」という説明は、そのことを指している。
 最終行の「空耳」は、走りながら思い出した同乗者の声(いまは同乗していないひとの声、「僕」の声)をあらわしている。緒加は、運転しながら、そこを二人で走ったことを思い出している。
 しかし、「僕」ということばだけで、それが「ナビ」ではなくて別の人、記憶の人であること、ここに書かれているのが大切な思い出であると読者に伝えるのは、少しむずかしいかもしれない。「僕」が登場する連に、「見る」「通りすぎる」以外の動詞、車ではなく人間を連想させる動詞があれば、「僕(の声)」の印象がかわると思う。
 私は、最終連の「明日もきっと云う このナビなら」の「云う」という動詞から、ほかのことばもナビが言っているのだと思った。ナビが擬人化されているだと思った。
 しかし、池田の詩の「チャールトン・ヘストン」は、どこからどこまでがストーリーで、どこが感想かを区別していたが、緒加はどれがナビの声、どれがだれの声か明示しないことで、世界をゆったりと広げている。読者の読み方に任せている。
 「誤読」されるのは本意ではないかもしれないが、「意味」を作者が限定するのではなく、読者に任せた方が世界が豊かになると私は思う。

かたつむり  杉惠美子

黄色い葉がすべて落ちた
私は
湿った落ち葉の陰に隠れた

慣れ親しんだこの場所で
水平に繰り返すだけの日々
ただ 素通りしただけの日々
このままで良いと言い聞かせた日々

日に日に枯れ葉が上に積み重なっていく
私は 静かに寝返りを打つ

このままで終わりそうな予感の中で
十二月
自分のうしろ姿の夢を見た

ひとりを 丸ごと肯定して
立っている背中が 楽しそうに見えた。。。

 「かたつむりと私(作者)が重なっている。最終連がとてもいい」「書き表すことがむずかしい内容、作者の境地を、書き尽くしている。すばらしい詩。タイトルもとてもいい」「すばらしい詩。ことばが自然に流れている。人為的でなく、かたつむりに没入している。韻律がすばらしく、「日々」の繰り返しが「日に日に」かわるところがいい。最終連は、杉さんらしい終わり方」
 作者は「何を書けばいいのか、わからず、視点の置きかたがむずかしい。自分の気持ちをことばに探して、そのことばで自分を昇華したい」と語った。
 受講生の感想に「境地」ということばが飛び出したが、そういうことばを引き出すような哲学的な印象がある。受講生が指摘した「日々」から「日に日に」への変化は、私もとてもおもしろいと思う。「水平」と「立っている(垂直)」の対比に、「このままで良い」と「肯定」が呼応し、「うしろ姿」が「背中」にかわる呼応もおもしろい。(ほかにも、こうしたことばの響きあいがある。)

ネモフィラ  青柳俊哉

匍匐(ほふく)する葉腋から青い目が開いて
空をみる 鳥の声が花びらに跳ねる
月がそれらをみている

花の意識にとって 
飛ぶ鳥は地軸の振れで 月は光の屈折とおもう

美しく受け止めることをいさめる

水鳥のほかに人影のみえない海辺の小屋

うち寄せる波の音と円周率の限りなさ 
解かれることと解きえないことの境 
虚数と美の 光とかげの類似をおもう
それらはわたしの失われた感覚への補填----

ネモフィラの花冠へ梯子をかけて鳥や月と遊ぶ

 「美しい。2連目で作者(の意識)がネモフィラになって、つづく3連目が引き締まった。水鳥、海辺と水に関係することばが重複しすぎているかも。5連目は、並列か、並列でないのか。最終連、1連目と関係するのか、読み方がむずかしい」「ことばのつかい方、とくに5連目の「うち寄せる波……」「虚数と美の……」は自分とはつかい方がぜんぜん違うと感じてしまう」「花を知らないので、どんな花かな、と 悩んだ。3連目の、いさめるもどういうことかな?」
 「ネモフィラ」は海辺に咲く青い花。芝桜のように、低く、広がって咲くという。
 「いさめる」について、青柳は「人間的なものの見方をやめる、ということ。動物や植物は、人間が感じる美を人はみてはいないのではないか」と説明した。
 最終行の書き方は、とてもむずかしい。
 この詩の場合、5連目のイメージが拡散するので、それを拡散したまま放り出したくなくて、最終連で引き締めようとしているのだが、それまでに出てきたことばが総動員されているので、窮屈な感じがする。受講生が、1連目と最終連の関係がむずかしいと声を漏らしたのも、そういうことが影響していると思う。

 

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1 コメント

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池田清子「ロウム」ほか (大井川賢治)
2024-02-27 18:15:47
3編の中では、杉さんの「かたつむり」が印象に残りました。人生の限界と悲哀とユーモアが、嫌味なく伝わってきました。
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