中井久夫訳カヴァフィスを読む(160)(未刊7)
「階段の途中で」は、男色の嗜好のある青年と階段ですれ違ったときのことを書いている。
書き出しの「あの」はカヴァフィスが頻繁につかう「あの」である。「あの」と書けば、それが何かわかる。「あの名をはばかる階段(名を憚る家)」--それがわかる人に向けて書かれている。「あの」がわかるひとは、ここに書かれている「きみ」もわかるかもしれない。カヴァフィスは「見なれぬ顔」と書いているが、ほかのひとは見なれているかもしれない。
顔をまじまじと見つめ、そのあと姿を隠す。青年も顔を隠す。まじまじと見つめ合ったにもかかわらずに。カヴァフィスの方は隠しながら、すれ違った青年が「あの」家に入っていくのを見つめる。このちぐはぐなふたりの動きがおもしろい。
カヴァフィスは欲望を果たしてきた。青年はこれから欲望を発散しに行く。ふたりは互いの顔を見たのではなく、欲望の「前後」を見たのだ。
二連目の最後の二行が強烈である。特に「二人の肌と血はうなずきあっていた。」が非常に強い。「肌」も「血」もうなずくものではないからだ。うなずくものではないものが「うなずきあった」。これはもちろん、目がうなずきあったの言い換えである。互いの欲望を目で見て、目で肌と血の欲望を感じ取り、その感じ取ったことを目で伝えあった。
目が省略されている。
一連目で「まじまじ」と見つめあった目。それから目から「姿を隠し」、目から「顔を隠し」、それでも「きみがあの家に入る」のをみつめた目。
この詩には「目」ということばが書かれていないが、「目」が主役の詩である。
こころもうろたえたが、「目」もうろたえたのである。
「階段の途中で」は、男色の嗜好のある青年と階段ですれ違ったときのことを書いている。
あの名をはばかる階段を降りて来たら、
きみがドアを開けてはいってきた。
私は一秒ほどきみをまじまじと見た、
きみの見なれぬ顔を。きみも私の顔を見たね。
ぱっと身を隠したから、私の姿は二度と見えなかったはずだ。
きみは顔を隠してそばを急いで通って、
あの名を憚る家にすっと入った。
書き出しの「あの」はカヴァフィスが頻繁につかう「あの」である。「あの」と書けば、それが何かわかる。「あの名をはばかる階段(名を憚る家)」--それがわかる人に向けて書かれている。「あの」がわかるひとは、ここに書かれている「きみ」もわかるかもしれない。カヴァフィスは「見なれぬ顔」と書いているが、ほかのひとは見なれているかもしれない。
顔をまじまじと見つめ、そのあと姿を隠す。青年も顔を隠す。まじまじと見つめ合ったにもかかわらずに。カヴァフィスの方は隠しながら、すれ違った青年が「あの」家に入っていくのを見つめる。このちぐはぐなふたりの動きがおもしろい。
カヴァフィスは欲望を果たしてきた。青年はこれから欲望を発散しに行く。ふたりは互いの顔を見たのではなく、欲望の「前後」を見たのだ。
二人の身体は互いに感じ合って求めあっていた。
二人の肌と血はうなずきあっていた。
二連目の最後の二行が強烈である。特に「二人の肌と血はうなずきあっていた。」が非常に強い。「肌」も「血」もうなずくものではないからだ。うなずくものではないものが「うなずきあった」。これはもちろん、目がうなずきあったの言い換えである。互いの欲望を目で見て、目で肌と血の欲望を感じ取り、その感じ取ったことを目で伝えあった。
目が省略されている。
一連目で「まじまじ」と見つめあった目。それから目から「姿を隠し」、目から「顔を隠し」、それでも「きみがあの家に入る」のをみつめた目。
この詩には「目」ということばが書かれていないが、「目」が主役の詩である。
だがわれわれは互いに隠れたんだ、うろたえて--。
こころもうろたえたが、「目」もうろたえたのである。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」 | |
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