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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小倉金栄堂の迷子(1)

2025-03-18 22:43:21 | 小倉金栄堂の迷子(メモ)

小倉金栄堂の迷子(1)

 「ことばが逃げ出した」。夢のなかへ、顔色をうかがうことが得意な「ことば」が密告しに来た。駆けてきたらしく、やっと、それだけを言った。私は、雪道で転び、大腿骨を骨折し、手術の麻酔のあいまいな意識のなかで、そう知らされたのだった。「どのことばだ」と私は聞き返したが、麻酔の夢から覚めると同時に、密告した「ことば」は消えてしまい、同時に「こたえ」も消えたのだった。

 しかし、私にはわかった。「あのことば」に違いない。小倉金栄堂の二階、売れ残っていた『廃棄された詩のための注釈』だったか『廃棄された注釈のための詩』だったか、タイトルははっきりとは覚えていないが、その本に、栞のようにノートの切れ端が挟んであり、そこに書いてあった「あのことば」。
 活字のように正確な文字。群青のインク。メモというよりは、テキストを筆写したような揺るぎない筆跡。私は、その五文字を記憶すると、紙片を破いてポケットの中に入れ、書店を出ると、側溝に捨てた。雪の季節で、それは雪のように舞った。服のなかに忍び込んだ雪が、服を揺らすとこぼれるように。

 「あのことば」は、私が手術で歩けないと知って、つまり追いかけることができないと知って、逃げ出したのだ。だからこそ、私は行かなければならない。小倉金栄堂へ行って、「あのことば」をつかまえ、印刷し、私の詩集に閉じ込めなければならない。なぜなら、「あのことば」は私のものではなく剽窃したものだからだ。そのままにしておくと、「あのことば」は「私は剽窃された。私のいる場所はここではない」と大声を張り上げるに違いない。

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Estoy Loco por España(番外篇466)Obra, Joaquín Llorens

2025-03-18 21:49:19 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

 A mí me parece que las obras de Joaquín han cambiado un poco respecto a antes.
 Los movimientos son suaves y naturales. Siento como si el hierro se hubiera movido naturalmente, o más bien, hubiera crecido naturalmente como las flores y las plantas, tomando su forma actual.
 En otras palabras, la forma que veo aquí no son las formas finales, sino que continuarán creciendo y cambiando. Cada parte está atenta al crecimiento (movimiento) de las otras partes, todas trabajando hacia un todo mayor.
 Hay una flexibilidad oculta en el proceso de cambio que sólo poseen las cosas capaces de cambiar.
 Por eso, aunque están hechos de hierro, percibo su suavidad en lugar de su dureza.

 Joaquínの作品は、以前と比べると少し変化してきたように感じられる。
 動きがしなやかで、自然である。鉄が自然に動いて、というより、まるで草花のように自然に育って、いまある形になったように感じられる。
 別のことばで言えば、ここにある形は、これが完成形ではなく、これからさらに成長し変化していく。それぞれの部分が、他の部分の成長(動き)に気を配りながら、全体としてさらに大きな形を目指している。
 変化していく過程、変化することができるものだけが持つ秘められたしなやかさがある。
 鉄なのに、固さよりも、鉄の柔らかさを強く感じるのは、そのためである。

 

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