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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫『中井久夫集6』

2023-04-09 13:26:01 | 考える日記

中井久夫『中井久夫集6』(みすず書房、2018年04月10日発行)

 中井久夫は「注」を膨大に書く。『中井久夫集6』の巻頭「一九九六一月神戸」の本文は1ページから8ページ(実質7ページか)までなのに対し、その注は8ページから32ページまでつづいている。3倍以上の注である。注の文字が小さいことを考えると4倍の分量の注になる。私は目が悪いこともあって、注はめったに読まない。必要なことは本文に書いてある、と考えているからである。
 注とは、いったい何なのか。なぜ、中井は注をつけるのか。そう思って、今回は読んでみた。12ページにこんな一行がある。

 他方、レジャーに行く人に代わって宿直を頼まれた人もいたわけである。

 私が注目したのは「他方」ということばである。「代わる」ということばである。
 中井が書いているのは、阪神大震災が起きた1995年1月17日は三連休の翌日の早朝だった、三連休だから仕事を休む人がいれば、病院などでは宿直を代わる人もいた、という病院の「実情」である。
 中井は、ある「事実(行楽に行く医師がいる)」があるとき、「他方」には「別の事実(病院には宿直の医師がいる」があるということである。かならず「別の事実」というものが存在する。そしてそれはときには頼まれて「代わる」ことによって起きてしまうことでもある。中井は、ここでは、本文には書かれなかった「事実の他方」があると告げているのだ。そして、その「他方」は本文で書かれたものよりも多いのである。常に、書かれたものよりも書かれないものの方が多い。
 以前、中井の思想について書いたとき「いずれにしても」ということばをとりあげた。病院があり、入院患者がいる。そのとき、「いずれにしても」だれかが宿直しないといけない。「いずれにしても」は「事実の多面性」を意味している。「他方」も「事実」の多面性」を意味している。
 中井は、それを見逃さない。というよりも、「事実」に見落としがないか、それを常に点検し、自分が気づいた「事実」のなかから、自分にできる最良のものを選ぼうとしているということだろう。
 それは、22ページのことばを借りれば、

他者に「おのれのごとくあること」をもとめない

 という姿勢でもある。他人には他人の選択肢がある。(23ページに「別の選択)ということばがある。)
 中井は医師である。患者がいる。患者が何かをするとき、中井は患者の選択を優先し、自分の選択を押しつけるわけではない。中井は患者に「チューニング・イン」しながら、患者が何を選択できるかを一緒に探すということだろう。それは少しことばを代えて言えば、患者に「代わり」、患者の苦しみを少し負担するということなのかもしれない。苦しみを少し負担するから、いっしょに生きる可能性を探そう、という誘いかけなのかもしれない。(もちろん、中井は、ことばにだしてそういうことを言わないが、私には、そういう声が聞こえた、ということである。)

 そこまで考えて、私は、再び、中井との共著『リッツオス詩選集』(みすず書房)を思い出したのである。出版の誘いを受けたとき、私は「私の感想は、詩が書かれた背景(事実関係)を無視している。つまり、誤読の類だけれど、共著にしてしまったら、中井の訳を損ねることにはならないか」というようなことを言った。中井は「(いずれにしても)詩なのだから、かまわない」という返事だった。
 中井は、それまでの訳詩に多くの注をつけている。『リッツオス詩選集』の場合、「あとがき」の詩に注をつけているが、それ以外はつけていない。それは中井の読み方のほかに、別の読み方もありうる。つまり「他方」、谷内はこう読んでいるということの、その「他方」を尊重してくれているのだろう。
 いまになって、私は、中井の「他方」ということばの思想(生き方)を、それが確かに存在すると実感している。

 そして思うのだが、私は、知らず知らずのうちに、この中井の「他方」の存在を意識することに共鳴し(チューニング・インし)、自分の考えを整えていたかもしれない。私は詩の講座でいろいろな人の詩を読んでいるが、そのとき一緒に読んでいるひとたちに呼びかけることは、たったひとつ。「私の読み方は、あくまで私の読み方であって、結論ではない。詩には結論はない。みんなが、それぞれ、ここが気に入った、ここが気に食わないということを見つけ出し、それを語り合えるようになりたい」。
 結論に向かって「収束」するのではなく、むしろ結論があるとしても、そこから離れ、遠ざかる。その遠く離れた部分で、新しく重なり合うもの(チューニング・インできるもの)を見つけ出し、そこから、自分自身のことばを動かしていく。それがおもしろい。結論(意味)は、各人がそれぞれ持っている。自分自身の結論をつかむことは当たり前のことだが、他人の結論には絶対に同調しないということも必要なのだ。自分であるためには。
 それは、別なことばで言えば「和音探し」ということかもしれない。「他方」を認めながら、むしろ「他方」が存在することを認識するとき生まれてくる何か。「私」と「他方」があって、はじめて響きあう何かを探すこと。
 それが文学かもしれない。

 そんなことを思っていたら、こんな詩ができた。

 「間違わなければならない」というのがたどりついた解だが、解を拒否する権利があるし、その権利を否定する思想があってもいいという文章は、どんな快(楽)であってもその快を拒否する権利があるし、生きる愉悦を否定する欲望があってもいいという文章を剽窃し、変換したものなのだが、逆に、愉悦を拒否する権利があるし、その権利を否定する論理があってもいいという文章から派生してきたものなのか、ことばにはわからなかった。乱丁によって欠落したページがあるのか、ことばの乱調が増殖、暴走したメモのような一行を消して、「間違わなければならない」ということばからはじまる文章のあとに、街角に雨が降ったということばが手書きで挿入される。雨にぬれる花屋のバケツには名前の知らない薄い色の花があって、その名前を知らない薄い色は雨のために変色したのか、花屋の黄色い明かりのために生じたのかわからなかった。立ち止まったままでいると、「知らないのかい?」ということばが、ことばの肩をつかんだ。それは花屋で見た花に似た造花のある部屋で繰り返され、それは後に、虫に食われて枯れた薔薇の造花のある部屋の詩では、聞こえなかったふりをする権利、返事をすることを拒否する権利があるし、他方、どのような権利も拒絶し、論理の破壊を推敲するしなければならないという欲望があってもいいということは知っているだろう?と付け加えられた。「知っているだろう?」というのは、しかし、あるいは(と、ことばは接続詞で迷った)、それは「知っている、わかっている」ということばを引き出すための罠だったということもできたのだが、こうしたことばの動きは正しくない(論理的ではないから理解できない)と削除されてしまうものであり、その誤謬のなかには、論理や倫理を踏み外したときにだけ、瞬間的に存在してしまうものがある。「間違わなければならない。わかるだろう?」しかし、耳の迷路を侵入してくる息はなぜこんなに熱いのか。

 

 

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