詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫『中井久夫集6』(2)

2023-04-10 22:57:16 | 考える日記

中井久夫『中井久夫集6』(2)(みすず書房、2018年04月10日発行)

 中井久夫「訳詩の生理学」は、翻訳するときのことを書いているのだが、「詩を読むときの生理学」として読むことができる。

二つの言語、特に二つの詩--原詩とその訳詩--の言葉は、言語の深部構造において出会う                               (54ページ)

 わたしは、この文章で、思わず、息をのんだ。このことばは、こう読み直すことができる。

 だれかの詩を読む。そのとき、二つの言語、つまり詩を書いた人のことばと、詩を読んでいる人のことばが、言語の深部構造において出会う。

 たしかに私は中井の訳詩を読んだとき、中井のことばと私のことばが出会ったのだと感じた。ほかの人の詩を読み、それに感動するときも、だれかのことばと私のことばが出会っているのだと感じる。「出会う」ということは、その「出会い」によって、私のことばがかわっていくということでもある。
 だが、私が息をのんだのは、そういう「意味」を追いかけてのことではない。
 「意味」にも強く刺戟されるが、「意味」にしてしまうと、何かがこぼれ落ちていく。その「こぼれ落ちていく何か」に私は息をのんだのである。
 私が言い直した「意味」、--「意味」とは、必ず言い直すことができるものである--から何が「こぼれ落ちた」のか。「言い直せない」何かはなんだったのか。
 「おいて」ということばである。

 こう言い直せばいいだろうか。
 先の文章は、こうも言い直せる。

 だれかの詩を読む。そのとき、二つの言語、つまり詩を書いた人のことばと、詩を読んでいる人のことばが、言語の深部構造「で」出会う。

 何かが「出会う」。そこには「場所」と「時間」がある。そして、それは「で」という便利なことばで言い直すことができる。
 ところが、中井は、「で」をつかわずに「において」と書いている。その「において」の「に」はやはり「場」「時」を指定するときにつかうことがある。学校「に」行く。九時「に」会う。
 「おいて」には、何か、「に」では言い足りないもの、「で」ではあらわせないものを含んでいるのだ。
 「おいて」ということば、この文章では「キーワード」なのである。

 なぜ、「おいて」ということばを書かなければならなかったか。
 それは「深部構造」ということばと関係している。「深部」で出会うのではない、深部「構造」においてで出会うのである。
 どんな「構造」を詩のことばはもっているか。私は(あるいは翻訳する中井は)、どんなことばの「構造」をもっているか。「表面的な構造(これは、意味と言い換えうるかもしれない)」が出会うので葉手歩。「深部構造」そのもの同士が出会う。詩人のことばの「深部構造」が、読者の(翻訳者・中井の)ことばの「深部構造」に出会う。「構造」は「意味」をつくる(ささえる)かもしれないが、「意味」ではない。「意味」以前だ。
 「深部構造」を中井は、55ページで「ミーティング・プレス」と言い直しているが、「おいて」は簡単には言い直せない。言い直そうとすると、とても長くなる。
 しかし、中井は、とても親切な書き手であるから、きちんと「おいて」を説明している。「深部構造」を説明するかたちで、こう書き直している。

音調、抑揚、音の質、さらには音と音との相互作用たとえば語呂合わせ、韻、頭韻、音のひびきあいなどという言語の肉体的部分、意味の外周的部分(伴示)や歴史、その意味的連想、音と意味との交響、それらと関連して唇と口腔粘膜の微妙な触覚や、口輪筋を経て舌下筋、喉頭筋、声帯に至る発生(谷内注・発声の誤植か?)筋群の運動感覚(palatabilityとはpalate口蓋の絶妙な感覚を与えるものであって私はこの言葉を詩のオイシサを指すのにつかっている)、音や文字の色彩感覚を初めとする共感覚がある。さらに非常に重要なものとして、喚起されるリズムとイメジャリーとその尽きせぬ相互作用がある。
                                 (54ページ)

 「ことばの肉体(肉体のことば)」「ことばの響きあい」(ことばの交感)という表現を私はよくつかうが、それは中井の影響を受けたのか、中井のことばを知る以前からそういう表現をつかっていたのか、私ははっきり思い出せないが、ここに書かれていることは、私が中井と「文通」していたときに、くりかえし語り合ったテーマである。(ただ、palatabilityに関して言えば、これを「オイシサ」と定義したのは中井であり、私は、そのことを鮮明に覚えている。それは私が絶対に思いつかないことばだからである。)
 この、何と言うか、「要約」できないいくつもの「構造」は、たしかに「構造同士が出会う」、構造に「おいて」出会うとしか言えないものなのだ。たぶん、私は、そういうものにおいて、中井のことばに出会ったのだと、あらためて思う。

 この「おいて」は、前に書いたことに関連して言えば「即」でもある。原詩のことばの深部構造「即」中井のことばの深部構造というところから、中井は翻訳のことばを動かしている。「深部構造」が同一なら(区別できないなら)、その「表面」が違っていたとしても、そんなことは重大ではないのだ。原詩がギリシャ語、フランス語であり、翻訳が日本語であっても、問題はない。「深部構造」において出会い、それが共有されているとき、表面は「バリエーション」と考えることができる。バリエーションを楽しめばいいのだ。私の「感想」が『リッツォス詩選集』におさまっているのは、強引に言えば、それは読み方のバリエーションなのだ。

 これまで書いてきた「いずれにしろ」とか、「他方」とか、今回の「おいて」とかということばを、多くの人は注意を払って読まないと思う。
 今回書いた部分で言えば「深部構造」というこばを「思想」のキーワードと呼ぶ人はいるかもしれないが、「おいて」がキーワードであるという人は、たぶんいないと思う。しかし、私は、論理の「つなぎことば」のようなものにこそ、筆者の「肉体(肉体のことば/ことばの肉体)」が動いているのだと感じる。

 「意味の思想」はだれかが書くだろう。私は「ことばの肉体の思想(ことばの生理学、と中井なら書くだろうか)」について書きたいと思っている。

 

 

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