伯井誠司『ソネット集 附 訳詩集』はタイトルどおりソネットが集められている。4・4・3・3で構成された14行詩。「連」というか、「行」によってリズムをつくる。そのリズムが日本語のリズムに合致するかどうか、これが問題だと思う。
「雨のころ」という作品の一連目。
しめらに雨のふるころは部屋の明かりを消せるまゝ
窓につきたる雨粒を細きまち針にて留めて、
色とりどりのまち針と雨のしづくのきらめきが
互ひに映り合ふさまを眺めき、壁にゐかゝりて。
文語体。旧かな。それを支配するのは「音」ではなく、「文字」ということか。いや、「音」もある。七五調である。しかし、それはほんとうにリズムなのか。リズムには違いないが、なにか「人工的」な感じしかしない。「声」がリズムになって響くというよりも、文字が支配する何か。「音」よりも、人工的、という感じの方が先につたわってきてしまう。
私は、そこに、非常に戸惑いを覚える。私の肉体のどこを探しても、その「音」を受け止めるための何かがない。さらに言えば、それを「声」にするのが、とても難しい。喉や舌をどう制御すればいいのかわからない。
意味的には「細きまち針にて/留めて」だが「音」は「細きまち針/にて留めて」と句割れになってしまう。句割れは万葉集の時代からあるにはあるが、「人工的」な感じはない。貫いている「音」が強いからだろう。
伯井の書く音はとても繊細だ。それは聞く音ではなく、「目で読む音」なのかもしれない。
「細きまち針」が「色とりどりのまち針」に、「窓につきたる雨粒」が「雨のしづく」かわりながら「きらめき」「映り合ふ」と変化しながら、視覚を刺戟してくる。「眺める」という動詞がうるさいくらいに、目を意識させられる。
これは、二連目で「うすく霞め」る色、「あはくガラスにゝじむ影」を経て、こう展開していく。
そのとき雨はあじさゐも、鉄の柵も、長いすも、
あらゆる部屋や病室も、牢屋も、橋もすべて青--
夢のやうなる夕方のかそけき青に染めにけり。
この世に赤や黄の残るところは、されば、ひとつきり--
壁にもたれて座りたるわれのひたひを照らしつゝ
色とりどりのまち針の影に染むその窓にざりける。
まるく円を閉じるように「色とりどりのまち針」に戻ってきて、念押しのように「影」と「窓」で終わる。その窓は、窓ではあっても、外が見えるわけではない。「視覚」は内に、細部にとどまることによって、空想の「視覚」、空想の「網膜」になってしまう。
目の悪い私には、なんとも苦しい。
「音」が読みたい、「音」が聞きたい、という気持ちになる。目で音を聞くのはつらいなあ。
「映画の帰り」
男はいつも恋人に優しけれども夜更けには
人を殺してまはりたり。女はかれを疑はず
愛したれども、警察ぞ男が罪を見出だせば
しつこくかれを追ひつめて屋根の上にて撃ち殺す。
さる筋書きの映画をば退屈気味に見しわれは
客の少なき劇場を出でたり。外は肌寒く、
すでに黄昏どきなりき。寂しき路地を抜けたれば、
通りにかゝりたる歩道橋をぞ昇りつる。
ああ、まるで「無声映画」だ。それなのにスピード感がない。無声映画は、「声(肉体の動き)」を超えるスピード感が魅力なのに。「音」や「音楽」は、どこへ消えたのか、と私は疑問に思う。
訳詩は、こんな具合だ。杜甫「春を望みて」。
かくこそ国はやぶれたれ、山と河とは残りたり。
城下の町は春めきて草木も深く茂れども、
世のありさまを思ふほど花に涙ぞこぼれおち、
辛き別れを恨みたる心は鳥に驚くよ。
「意味」が「絵画化」されるのを感じる。「音」が時間を破って遠くへ行く感じがしない。やっぱり「国破れて山河あり」の方がいいなあ。技巧的になると、「音」が間延びする。
ソネット集で覚えた違和感は、それが音楽的ではなく、絵画的だったことが原因だったかもしれない。
私は、ふと思い立って、万葉集を読んでいるのだが、万葉には太い声の奥に、言い切れない世界の豊かさがあるが、伯井のことばは「絵画的」に豊かだが、装飾的で、表面的な感じがする。
いま、生活でつかっている「生きている声」を、私は聞きたい。
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