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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高柳誠『フランチェスカのスカート』(21)

2021-08-01 16:25:46 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

高柳誠『フランチェスカのスカート』(21)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 「風の声」。高柳の詩を読むための手がかりになるようなことばがたくさん出てくる。たとえば、

     一つが途絶えたかと思うと、また別の一つが湧きおこるとい
  う具合に、風はたえず死と再生を繰り返しながら世界中を吹きわた
  って、その命が涸れることはない。

 「死と再生」「繰り返し」。これは「多にして一という特性」とも言いなおされていく。そして、空間と時間を超えるというか、融合するのだが、次の部分で、私は、これは高柳の詩の中ではじめて出てきたのではないかと驚いたことばに出会う。

                     この町の路地裏には、地
  磁気の影響のせいか、こうした縦横に走る風の道が交差して、ひめ
  やかな風が吹き溜まり交流する場所がある。ここでは、世界の本質
  を直に学ぶことが可能だ。

 「直に」には「じかに」。ルビがふってある。私は高柳の詩を繰り返し読んでいるわけではないので断言はできないが、この「直に」にびっくりした。
 たとえば「縦横」は「交差」、あるいは「交流」と言いなおされているが、この「直に」は言いなおされない。いや、言いなおされるが、それは「直に」とは相いれないものを描くことで説明されている。視力に頼ってはいけない。風の声を聴き分ける耳をもつことが必要だ、と。そして、最終的に、こう言いなおされる。

                         自らを虚心にし、
  その身体を共鳴装置と化したうえで、体幹を共振させ魂をゆるがす
  風の声を選べばよい。

 「共振」が「直に」なのである。「振動」を「一つ」にする。ただし「共振」は一体とは違うかもしれない。違う振動によって、新しい和音が生まれるということがある。そして、高柳の詩というのは、実は、この「共振による和音」でできているのだが、その「共振の原理」を「直に」に置いていることがわかる。
 この考えは、私には、矛盾に感じられる。しかし、矛盾しているからこそ、「直に」には私の知らない何か、高柳にしかわからない必然性がある。
 「世界の本質を学ぶ」ではなく、世界の本質を「直に」学ぶ、と言わなければならない何かがある。
 私は実は、高柳が「直に」を求めている詩人だと考えたことがなかった。だから、とても驚いた。

 


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オリンピックは中止すべきだ(12)

2021-08-01 09:04:02 | 考える日記

 7月31日の読売新聞の一面(西部版・14版)。再び、五輪関係がトップに。柔道団体「銀」というニュースは、実は「金」最多9個、歴史刻んだという松田陽介の「作文」を掲載するための紙面である。団体で「金」をとれば「10個」。それを想定して準備していたのだろう。団体で「金」を取れなかったけれど、9個もすごい、ということだ。もちろん、すごいことなのだろうけれど、東京都のコロナ感染者が4000人を超えたということよりも衝撃的なことなのか。埼玉、神奈川、大阪でも1000人を超えている。緊急事態宣言が8月2日から発令されるから、もう感染がどこまで広がろうが知ったことではない、ということかもしれない。菅に少しでも気に入られる報道をしたいという、あまりにも「正直」な姿勢にあきれる。

 日本各地の感染拡大も止まらないが、五輪関係では、体会関係者21人が新たに陽性と確認されている。やはり、拡大が止まらない。「バブル対策」は「感染拡大推進対策」ということなのか。初期のころ報道していた「濃厚接触者数」はまったく報道されなくなった。確認できる範囲を超えてしまったということだろう。
 その一方で、「観光で外出 参加資格剥奪」というニュースが28面に載っている。

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は31日、選手村に滞在する大会関係者が観光目的で外出したとして、大会参加に必要な資格認定証を剥奪したと発表した。大会関係者が観光することは新型コロナウイルス対策の指針「プレーブック」に違反する行為で、認定証の剥奪は大会開幕後では初めて。
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 これでは、だれのことかわからない。大会組織委は発表しなかったのか。

 ジョージアの駐日臨時代理大使のティムラズ・レジャバ氏は同日、自身のツイッターで自国の柔道で銀メダルを獲得した選手が外出したことを明らかにし、謝罪した。
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 それで、読売新聞は、この情報を大会組織委につきつけて事実かどうか確認したのだろうか。そのとき、なぜジョージアの柔道選手と発表しなかったのか、理由を聞いたのか。どうにもわからない。

 組織委はプレーブック違反に対し、厳重注意や指針を順守する誓約書の提出などの対応を取ってきた。組織委の高谷正哲スポークスパーソンは「目に余る行為」として、今回は厳しい措置を取ったことを明らかにした。
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 選手村からが移出する(一部で、東京タワー見物、と報道されている)が、「目に余る行為」かどうか、私は非常に疑問に思う。だれだって外国へ行けば「観光」したい。仕事で行っても、なんとか時間をつくって観光し、おみやげを買ったりするだろう。そういうことができない「プレーブック」と、「安心安全対策」の方に問題がある。もっと簡単に言えば、観光や買い物さえ自由にできないオリンピックの開催そのものに問題がある。開催が間違っていたのである。その事実に触れないで「プレーブック」に違反していると指摘しても、だれが納得できるだろうか。
 選手は競技を見せるロボットではない。メダルを獲得し、権力に奉仕するための人間ではない。競技を楽しむ。競技後も仲間と交流し、楽しむ。それを前提にしなければ、スポーツの意味はない。オリンピックを「政治の道具」にしようとしていることがいちばんの問題である。
 ところで。
 このジョージアの選手は銀メダルをとっている。「参加資格剥奪」というのは、「メダル剥奪」ということになるのだろうか。そのことについて、読売新聞は書いていない。高谷スポークスパーソンも語っていない。もし、メダル剥奪なら、銅メダルだった選手が銀になるのか、三位決定戦で敗れた選手が銅メダルになるのか。大会資格を剥奪された後の処遇がどうなるのか。
 このあたりが、どうにもわからない。
 もし、「大会資格」は剥奪したとしても、記録を取り消さない、メダルを剥奪しないというのなら、試合を終わった選手はどんどん外出するだろう。「出場資格剥奪」が東京大会だけに限定されたものなら、メダルをとれなかった選手、競技が終わった選手は、どんどん外出するだろう。意味がない「プレーブック」だ。さらに選手村に入っていない選手や関係者の行動は、どれだけ正確に把握できているのか。それも問題になるだろうなあ。
 それにしても。
 この資格を剥奪された選手は、帰国したらどんなふうに迎え入れられるのだろうか。彼を待ち構えているのは「批判」だけなのだろうか。それも「プレーブック」を守らないのは許せない、という批判なのだろうか。なんだか、おかしい。その国の予選を戦う前に「プレーブック」というものがあるのだとしたら(たとえばドーピング違反をしたらどうなるかということが事前に知らされているのだとしたら)、それは「大会資格剥奪」→「メダル剥奪(記録剥奪)」となっても仕方がないと思うが、「プレーブック」そのものが急ごしらえの、各国の予選大会前に了解されたものではないことを考えると、こういう措置はおかしいだろう。やっと出場資格を獲得し、日本にやってきたら、突然、「外出制限」を押しつけられる。守らないと「出場資格を剥奪する」と言われる。これを理不尽に思わない人間がいるだろうか。
 大坂なおみの鬱病告白以来選手の「心の健康」問題が注目をあつめているが、「プレーブック」では、その問題にどう向き合っているのか。選手村に閉じ込めて、競技だけをさせる。そんなことで選手たちの「心の健康」は守れるのか。「肉体の健康」と同時に「心の健康」を守るための「プレーブック」でないと、意味がないだろう。
 いったいだれのための措置なのか。「安心安全」を主張した菅のための措置にすぎないのではてぽか。すべては「自己責任」という菅の論理の追認にほかならない。菅の言うことだけを聞く、菅追従人間を外国にまで押し広げようとしているとしか思えない。独裁を、「大会に参加してください」と招待した選手にまで押しつけて、いったい、どうするつもりなのだろう。世界の独裁者になるつもりなのか。
 オリンピックは即座に中止し、陽性反応の出た大会関係者の治療を充実させ、健康な体に戻って帰国できるような措置を急ぐべきだろう。いま、陽性と判定された大会関係者がどんな治療を、どこで受けているのか、そういうことも大会組織委は責任を持って公表すべきなのではないか。「目に余る」というようなことばで、見せしめ的な処分をして、いったい何になるのだろうか。

 

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