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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

安倍の沈黙作戦

2017-10-23 10:37:49 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍の沈黙作戦
            自民党憲法改正草案を読む/番外132(情報の読み方)

 2017年10月23日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の一面。

自民圧勝 与党310超/立憲民主3倍増/希望敗北 東京も不審

 と大きな見出しで衆院選の結果を伝えている。そのあとに

自公2/3(三分の二)維持

 というこぶりの見出し。
 ほかの新聞は、どう伝えているか。
 いま、手元に比較の資料がないのだが、昨年の参院選のときは

改憲勢力3分の2超す 自公、改選過半数

 というような見出しが多かったと思う。
 参院選では「改憲」は争点に張らなかったが、選挙が終わってみると一気に「政局の争点」になった。
 今回の衆院選では、安倍は最初こそ「改憲」を語ったが、途中からは改憲については語らず、あいかわらず「アベノミクス」、5年前の民主党との経済状況の比較に終始していた。(厳密な分析ではなく、大雑把に新聞を読んだ印象だが。)
 読売新聞は、社説で「今回の衆院選では、憲法改正が本格的な争点になった」と書いているが、安倍は、憲法をどう改正するのか、自衛隊を憲法に書き加えると抽象的に語っただけだし(具体的な「案」の文言を語らなかったし)、公明党は希望の党を批判するだけだった。自衛隊を憲法に書き加えることについて、どういう主張を持っているのか語っていない。

 今回は「改憲」の見出しは、3面に

改憲 希・維との連携カギ/首相、与党のみの発議否定

 が出てくるが1面にはない。関連として「自公2/3(三分の二)維持」があるのだけれど。
 この報道の仕方は、私には奇妙に見える。
 今回の衆院選が、「希望の党」「立憲民主党」という新しい党がどれだけ議席を獲得するか、与党がどれだ議席を守るかがひとつの焦点ではあったのだけれど。
 でも、それは「改憲」が控えているからのはず。
 どうして「改憲」の見出しがないのか。
 もっと具体的に「改憲」の内容に踏み込んだ記事がないのか。




 思い出すのは、2017年10月20日の朝日新聞夕刊(西部版・ 4版)の 1面の記事(見出し)である。

注目論点 かみ合わず/憲法 改憲派、低い優先順位/教育無償化 与野党ほぼ「賛成」

 改憲派が「改憲」についてあまり語らず、そのため争点にならなかった、と伝えている。
 そのとおりなのだが、こういう「現象」の紹介の仕方に私は疑問を持っている。
 「争点」にならないのなら、それを「争点」になるように、言論機関が与野党を紙面に引っぱりだすことが必要なのではないのか。
 選挙が終われば「争点」になる。そのための選挙であるともいえる。
 与野党を紙面に引っ張りだし、主張を言わせ、その主張の問題点を指摘することで、議論をさらに深める。そういうことが、言論機関に求められているのではないのか。
 言論機関は、そういうことを避けて「論点かみ合わず」と逃げている。
 これは、安倍の「沈黙作戦」に加担することである。
 もし、朝日新聞が「論点がかみ合っていない、それが大問題だ」という認識をもっているのなら、論点をかみ合わせるための「論調」を展開するべきだったのだ。
 そうしていれば、有権者の意識もかわってくる。
 投票行動もかわってくる。
 投票率も上がる。
 「論点」を報道することを避けている。避けることで安倍の「沈黙作戦」に加担する。言い換えると、投票率が下がるように協力する。投票率が下がれば、巨大政党が有利になる。巨大政党(自民党)に有利になるように、報道機関は「沈黙作戦」に協力したのである。

 安倍は重要な問題については何も語らない。
 その語らないという安倍の作戦に、報道機関が、そのままのっかっている。
 昨年の夏の参院選で、この「作戦」が顕著になった。
 籾井NHKが7月9日の7時のニュースのおわりに、「あす7月10日はナナとトウで納豆の日」と言ったのが象徴的だ。参院選があるということを伝えないようにした。
 投票率が下がるように、操作したのである。
 選挙報道も、昨年夏の参院選は、それまでの国政選挙に比べて目立って減っている。当然「争点」の報道、「争点」を掘り下げる報道などない。
 安倍の日程の調整がつかないという「理由」をうのみにして、「党首討論会」も一回しか放送されていない。
 格闘がどんな主張をもっているか、その主張にどんな違いがあるのか、それを国民に知らせないようにしている。安倍の「沈黙作戦」に協力したのである。

 「改憲」が現実味を帯びてきたいま、「改憲」ということばを読売新聞は1面の見出しから「封印」している。
 これは「改憲」をこっそりと進める安倍の「方法論」に加担することにはならないか。
 天皇の生前退位をめぐっては、安倍は「有識者会議」を設け、議論を限定した。安倍の好みの人物にだけ議論させ、その結論を押しつけた。
 「改憲」でも同じことが起きるだろう。
 国民のなかに「議論」をひろげるというよりは、議論を限定する。「憲法審査会」はまだ「広がりすぎる」ということになるだろう。もっと小さな新組織が設けられ、「密室状態」で審議され、「結論」が提示される。
 そういうことを暗示させるきょうの読売新聞の見出しである。

改憲 希・維との連携カギ/首相、与党のみの発議否定

 というのは、自民・公明以外の、希望、維新をしっかりと抱き込んで「改憲案」をつくり、それで押し切るということ。
 そこには立憲民主や共産は参加できない。
 反対意見をいえない。反対意見を言う機会がない。
 少数意見を封印し(沈黙させ)、希望、維新を抱き込むことだけで、「広く議論をした」と主張するつもりなのだ。 
 この動きが、すでに始まっている。
 そういうことを読売新聞の「見出し」は暗示している。
 「改憲」を表に出さない。しかし、確実にそれを推し進める。

 自民党のもくろんでいる「改憲」にどういう問題があるか、それをどうやって「議論」に高めていくか、そういうことが必要になってくる。
 マスコミがそういう「議論形成」をリードしないことで安倍の「沈黙作戦」に協力するのなら、なおのこと、ひとりひとりが「議論」のための「思い」を語り続ける工夫が必要になってくる。



 私の「詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント」は、昨年夏の参院選の、安倍の「沈黙作戦」に気づいた後、急遽、書いたものだが、そのなかでは「自民党草案」の「文言」にこだわっている。なぜ、ある文言を削除し、別のことばに差し替えたか。そこにどんな罠が隠されているか。それを書いている。
 改憲問題を考えるときの、参考にしてみてください。


#安倍が国難 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 








詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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デビッド・リーチ監督「アトミック・ブロンド」(★★★)

2017-10-23 09:11:00 | 映画
監督 デビッド・リーチ 出演 シャーリーズ・セロン、ジェームズ・マカボイ

 この映画の成功は、主役が女であること。時代がベルリンの壁がある時代であるとこ、だな。
 と、書くと。
 特に「主役が女」という見方は「女性蔑視」の視点があると言われそうだが。
 そうかもしれない。
 でも、そう思うのだからしようがない。

 なぜ「主役が女」であることが映画をおもしろくしているか。
 近ごろのスパイ映画は、どれもこれもアクションが超人間的。ジェームズ・ボンドもジェイソン・ボーンも。あんなこと、できっこないよなあ。
 これがシャーリーズ・セロンがやると、まあ、同じことはできないのだけれど、こんな細身の女にできるなら、自分もできるかも、と思ってしまう。アクションスピードも、どことなく「遅め」に感じるなあ。
 こういう「錯覚」は、水泳とか 100メートル競走なら、女に勝てるかもしれないと思うのと似ている。実際にはオリンピックはおろか、県民体育大会に出てくる女性アスリートにも負けるんだけどね。水泳なんか、小学生女子のトップクラスにも私はまったくついていけない。
 でも、「勝てる」とか、思ってしまうんだね。男だから。大人だから。
 さらに、時代が「ベルリンの壁」以前。だから出てくる「小物」がみんなレトロ。盗聴器なんて、びっくりするくらいでかい。それをギプスに隠している、なんて、わーっ、懐かしい。シャーリーズ・セロンが下着姿で、自分の体に録音機をつけるのもいいなあ。「からだを張っている」感じ。ネットや通信衛星の監視網をかいくぐり、あるいは組織がそういうものを利用する、というのではない。あくまで「人間」が主体。デジタルでなくって、うーん、なんだっけ、あ、そうそうアナログ。「肉体」の延長戦に世界がある。
 オープンリールのテープレコーダーがあって、テープがからからまわったり、「テープ巻き戻して聞いてみる?」なんて台詞があったり。
 いまの若者は、この感覚がわかるかなあ、と心配になるくらい。
 それでもってねえ。
 主人公が女物のスパイ物語。ジェームズ・ボンドだと、女がからんでくる。セックスシーンがある。自分ではセックスできないような女とジェームス・ボンドがセックスするのを見て、やっぱり女はボディーだよなあ、なんと思ったりする。それが女だと、やっぱりそうか、レズビアンのセックスシーンか。あ、こういうの見たかったんだよなあ、とスケベ心が刺戟される。
 いわば「定番」なのだろうけれど、(「女囚サソリ」にもあったと思う)、これが妙にわくわくする。
 カーアクションだとか、スナイパー(昔もそういったかなあ……)も出てくるが、いまのように「派手」ではない。どうせCGという感じにならないからね。
 さらに。
 敵(?)が「ソ連」というのもいいなあ。
 へんになつかしい。
 シャーリーズ・セロンが英語、ドイツ語、ロシア語をしゃべるというのも、これがスパイだぞという感じで、うれしい。スパイには「語学力」が必要なのです、はい。英語はともかく、ロシア語なんて聞くと、それだけで「秘密諜報部員)」になれるかも、なんて男は思ってしまうんですよ。ばかですね。
 あ、アクションと女にもどろう。
 女が主役だと、おもしろく感じるのは、このアクションシーン、私なんかはやっぱり男の側から見てしまう。女をやっつける男、を。映画だから、最後はシャーリーズ・セロンが勝つに決まっているだけれど、途中までは「互角」。ほら、やっぱり男の方が強いじゃないか、女にはスパイはむりだよなあ、なんて思ったりするのだ。
 映画というのは、たいてい主人公に自分を重ね、主人公になったつもりになるのだけれど、女が主役だと、ちょっとそこに「ずれ」があって、「主観」があっちへいったり、こっちへいったり。「意味」としてはシャーリーズ・セロンの行動を負うのだけれど、「肉体」は別に動いてしまう。
 このあたりの感覚、女性はどうなのかなあ。ジェームス・ボンド、ジェーソン・ボーンの出る映画。あ、あれは敵が男か。女とアクションをするなんて、ないね。「ロシアより愛をこめて」では戦った相手がメイドのおばさん(おばあさん?)だったしね。対等で戦うというシーン、主役がやられてしまうかもしれないというような格闘はないから、そういうことは思わないかなあ。 

 という感じで、あれやこれや、とりとめもない。
 そういうとりとめもないことを思いながら、ときどきドキドキ、ワクワクしながら見る、昔懐かしい映画だね。
    (ユナイテッドシネマキャナルシティ、スクリーン6、2017年10月21日)

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