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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

安倍の「沈黙作戦」(その2)

2017-10-10 11:22:15 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍の「沈黙作戦」(その2)
            自民党憲法改正草案を読む/番外124(情報の読み方)

 安倍の「沈黙作戦」は、すでにマスコミを支配している。
 読売新聞(2017年10月09日、西部版・14版)に「与野党8党首討論会」の記事が載っている。1面の見出しに、

消費税・憲法巡り応酬/自民 「安定財源」訴え 希望 増税凍結を主張

 とある。
 「消費税」については、意見の対立は「見出し」からうかがえるが、「憲法」については「(議論の)応酬」があった、としたわからない。
 記事を読んでいくと、もっと驚く。

 憲法改正をめぐっては、前向きな自民、希望、日本維新の会の各党などと、消極的な共産、立憲民主、社民の各党間で意見が分かれた。

 と書いたあと「立憲民主の枝野代表は」「共産党の志井委員長も」「公明党の山口代表は」「日本のこころの中野代表は」とつづくのだが、自民・安倍、希望・小池の主張が書かれていない。
 なんだ、これは。
 安倍が、どんな改憲案をもっているのか、一切語らない。そして、他党に対して「北朝鮮の脅威にどう対処するのか。自衛隊が活動できなくてもいいのか」と問いかける。
 安倍は、北朝鮮の脅威に対処することを考えている。しかし、他党は考えていない。いいかげんだ、というのが安倍の「主張」である。

 安倍は、実際に何を語っているか。
 4面に「詳報」が載っている。安倍の発言は「北脅威に外交力発揮」という見出しで要約されてる。その具体的な部分は、こう書いてある。

北朝鮮の脅威に対して、外交力を発揮し、国民の平和で幸せな暮らしを守り抜いていく。

 ここでも具体的なこと何も書いていない。
 安倍は具体的なことは「沈黙」している。それを「沈黙」のまま報道するということがすでに始まっている。
 書かれていないから、私は、勝手に考える。
 「外交力」とはどういうことだろうか。「対話」のことだろうか。ふつうは「外交力」とは「対話による交渉」を指す。それなら、たとえば共産党のいっていることとかわりはない。
 安倍のいう「外交力」は「対話」のことではない。
 だいたい「外交力」が「対話」を指すなら、「自衛隊を憲法に書き加える」と、どう関係するのか、それがわからない。自衛隊は「対話」のための組織ではない。
 また、憲法に自衛隊を書き加える(合憲化する)と、北朝鮮の脅威に立ち向かえるようになるのか。憲法に書き加えないと、日本は北朝鮮の攻撃を防ぐことができないのか。国民の平和を守ることができないのか。(どう憲法を改正するのか、その「文言」も、もちろん語らない。)
 具体的な関係がまったくわからない。
 これを報道機関は、そのまま書いている。「沈黙」の部分を掘り返さないで、「沈黙」にしたまま、「北朝鮮は脅威だ」という安倍のことばを報道している。

 私には、安倍は「軍事力」を「外交力」と言っているとしか思えない。「軍事的圧力」を前面に出して、北朝鮮の脅威に向き合う。「軍事力」を発揮し、国民の平和な暮らしを守る。そう言っているとしか思えない。
 ことばがすりかえられている。
 このとき「外交力(軍事力)」とは、どのように「発揮される」のか。安倍は「軍事力」をどう「発揮する」のか。
 具体的に考えて見よう。
(1)北朝鮮が日本を攻撃するとき、「武器」は何か。安倍は自衛隊をどう指揮して(どんな武器をつかって)、日本を守るのか。
(2)北朝鮮が日本の領土に上陸する(陸上戦になる)としたら、どこから上陸すると考えているのか。自衛隊は、どう向き合うのか。上陸してくると想定している北朝鮮の軍隊(部隊)の数は? 防戦する日本の自衛隊の軍隊(部隊)の数は?
(3)北朝鮮が日本の領土に上陸するには、たぶん艦船で動く必要がある。その艦船に自衛隊はどう対応するのか。北朝鮮の海軍組織(艦隊)はどうなっているのか。自衛隊の艦隊は、北朝鮮と比較して、すぐに敗北するような組織なのか。
 私には、日本が簡単に北朝鮮に侵略されるとは思えない。日本の軍事力がそんなに劣っているとは思えない。それに日米安全保障があり、日本にはアメリカの軍隊が常駐している。北朝鮮の軍隊と自衛隊+米軍の軍事力を比較したら、どうしたって自衛隊+米軍の方が巨大だろう。
 どうして北朝鮮が「脅威」でありえるだろう。
 もちろん北朝鮮の軍備が自衛隊+日本に駐留のアメリカ軍の軍備を上回っているというのなら脅威だが、そうでないなら脅威であるはずがない。具体的な軍備の実態を公表し、比較できるようにしてもらわないと、判断のしようがないのだが。

 北朝鮮が「脅威」となりうるのは、次の場合である。
(4)北朝鮮が「陸上戦」ではなく、いきなりミサイル攻撃をしてくるとき、それはどうやって防げるのか。迎撃システムでほんとうに守れるのか。たぶん、守れないミサイルはどこでも攻撃できる。向きを変えるだけで攻撃地点を変更できる。迎撃システムはそれには対応できない。全国各地にミサイル迎撃システムを配備することなどできない。
 では、どうするか。
 いちばん簡単というか、わかりやすいのは北朝鮮のミサイル基地を破壊することである。ミサイルを使用できないようにしてしまうことである。いわば「先制攻撃」である。戦争を日本の方からしかけて、北朝鮮が軍事力を発揮するのを封じること。
 この「先制攻撃をする能力がある」と誇示することを、安倍は「外交力」を発揮すると言っていることにある。「先制攻撃」をするために、自衛隊を「合憲化」する。それは「自衛隊の合憲化」は「先制攻撃の合憲化」である。そして、さきに明らかになった自衛隊の「たたき台」によれば、「内閣総理大臣(安倍)」がその指揮をするのだが、これを9条に書き加えると、憲法の「構成」がでたらめになる。
 憲法は「天皇」「国民」「国会」「内閣」という順に条文が構成されている。「国民」は「内閣総理大臣」よりも上位にある。この関係を、「たたき台」は否定している。「内閣総理大臣(安倍)」が国民を支配する構造になっている。
 「自衛隊を合憲化」するというだけでは、実態がわからない。「合憲化」することで、安倍は「先制攻撃」を狙い、「戦争」を引き起こすことで国民を支配する「独裁」を完成させている。
 「沈黙」の奥には、その狙いがうごめいている。「沈黙」によって、その動きを隠している。このことを、報道機関はもっと掘り下げてニュース化しないといけない。

 「外交力」というとき、安倍は「アメリカと協力して」ということを含んでいる。日本が単独で北朝鮮を攻撃すれば、日本が戦争を引き起こしたことになる。しかしアメリカをまきこめば、それは日本だけの責任ではなくなる。アメリカにも責任の一端をになわせる。それを「外交力」と言っているとしか、私には思えない。
 安倍は、ただただ戦争がしたい。戦争をすることで「最高指揮官」としての地位をよりたしかなものにしたい、「独裁者」になりたいだけである。そのために、あらゆることを利用している。
 戦争が始まれば、だれも「経済政策」の問題点を指摘しない。アベノミクスは失敗したとは言わない。失業も待機児童も教育費も問題にしない。もちん森学園、加計学園の問題などだれも語らない。死にたくない、生きたい、ということが大問題になってきて、そのほかのことはすべて「沈黙」のなかに封じ込められてしまう。

 自民党の「たたき台」については「憲法9条改正、これでいいのか」(ポエムピース)に詳しく書いています。この機会に、ぜひお読みください。アマゾンで発売中です。





#安倍が国難 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 
憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー
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ポエムピース
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倉橋健一『失せる故郷』

2017-10-10 09:39:57 | 詩集
倉橋健一『失せる故郷』(思潮社、2017年08月31日発行)

 倉橋健一『失せる故郷』の巻頭の詩「素朴な直喩」は不思議な作品だ。倉橋って、こういう詩を書いていたっけ? 

そのときまだ若い一頭のインドサイは
もの憂げに泥まみれのままいっぽんの角を高くかかげて
皺だらけの甲冑もどきの皮膚に被われた巨体を
まるごとかすかにわたしのほうに向けたかに見えた

でもそうではなかった わたしの背後では折から
すべての湿原を赤々と染めあげた夕照が
おもむろにその日の役目を閉じようとしていた
かれはわたしの身体(からだ)を通過させながら彼方への直線を企てていたのだった

戦慄など寸毫も入り込む余地のない
かぼそい視力がけんめいに独り歩きをしているのだった
虻の群れが横切ろうとも微動だにしなかった

いつのまにかわたしのなかではあのいっぽんの角だけが引き受ける
乱反射の意味がわかる気がしていた サイはたちつくしているだけだった
まさに素朴な直喩が使われ切ろうとしていた

 ソネットという形式(4/4/3/3行)が、ことばに緊張感を与えているのかもしれない。
 目が形をとらえて、形のなかでことばが動く。そうすると、それは「整然」として見える。「整然」のなかには、力が働いている。それを目が感じてしまう。「意味」をつかみとるよりも早く。「意味」がわからないまま印象として働きかけてくる。
 引用してみると「戦慄など寸毫も入り込む余地のない」というような行には、私の記憶している倉橋がいるから、目の印象など頼りないものだとは思うが。
 でも、目にこだわってもうすこしつづけると。
 一連目、特に、その書き出しの二行が印象的だ。

そのときまだ若い一頭のインドサイは
もの憂げに泥まみれのままいっぽんの角を高くかかげて

 ひらがな、漢字、カタカナのバランスが「詩」を感じさせる。文字がそのまま、「実景」に見える。インドサイの角が、ことばのなかから浮かび上がり、光景になる。
 視力が生きている、と感じる。
 倉橋のことば(詩)は、視力を感じさせるというよりも、不透明な存在感、重さを感じさせるものだと記憶しているが、ここでは「インドサイ」という巨大な動物を描きながらも、重さがない。「インドサイ」と倉橋をつないでいるものが「視力」である、という感じがする。
 「見えた」という動詞、「見る」という動詞が象徴的だが。

 同じように、ひらがな、漢字、カタカナがまじっている書き出しには、例えば次のものがある。

トムソンガゼルに似た野性味たっぷりの小娘が
私が丹精こめて小さな花園でつむじ風になっている          (我田引獣)

目覚めるとエンマコオロギになっているのだった
すでに生きるのにふさわしくない季節になっているのではないか    (霜枯れて)

 どうも「視覚」ではないものを感じてしまう。「丹精こめて」とか「生きるのにふさわしくない」という「意味(精神)」が自己主張することばが、「視力」以外のものを感じさせ、それが文字(ひらがな、漢字、カタカナ)のリズムを拒むのか。

 うーん、よくわからない。

 よくわからないままに書くのだが、この詩を「傑作」にしている要素、ことばの印象を強いものにしている原因は、ソネットという形式と書き出しの一連目(特に、最初の二行)にあるように感じられる。
 「視力」と「音」が不思議に交錯して、世界が「ことば」として浮かび上がってくる。
 で。
 それでは「意味」は? あるいは「思想」は?
 そんなものはない。
 この詩の最終行、そしてタイトルが正確に語っている。

まさに素朴な直喩が使われ切ろうとしていた

 ここに書かれているのは「直喩」なのである。夕暮れに見たインドサイ、それと夕日の関係が「直喩」。何の直喩かといえば、それを見た倉橋の「直喩」である。倉橋はインドサイを見たのだが、そのとき倉橋はインドサイになっている。さらに夕日の光にもなっている。湿原にもなっている。世界になり、宇宙になっている。
 これは、別なことばで言えば「俳句」である。
 インドサイを中心にして、ことばが「遠心・求心」の動きをし、世界・宇宙をぱっとつかみとる。
 こういう「世界・宇宙」は「ひとめ」で見える(把握できる)大きさでないと、うまくいかない。(俳句の短さは、宇宙を「一瞬」に凝縮する。)
 ソネットの形式(行空き、ひとかたまりのことば)が効果的なのだ。

 この詩がもしソネット形式ではなく、行空きのないべったりした作品だったら、印象が完全に違うと思う。
 行空きも、ことばなのだ。「沈黙」が音楽(耳)にとって必要なように、「空白」は視界(目)にとって重要なのだ。



*


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失せる故郷
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上田NHKは籾井NHKとどう違うか

2017-10-10 00:59:05 | 自民党憲法改正草案を読む
上田NHKは籾井NHKとどう違うか
            自民党憲法改正草案を読む/番外123(情報の読み方)

 衆院選の公示日である。選挙報道は、各政党(各候補)に対して「公平」を基本としている。
 たとえば新聞の場合、各区の主要候補の紹介は行数をそろえている。A候補の活動を15行で紹介したら、B候補も15行にする。(候補が求めに応じてこたえたアンケートは別)「報道が少なかったために落選した」という不平等が起きては困るからである。
 政見放送なども、それぞれの放送時間は均一である。
 
 昨年夏の参院選。籾井NHKは主要政党の紹介をするとき(党首の街頭での第一声をニュースで紹介するとき)、政党によって極端な差をつけた。議席数に従い配分したようである。つまり、安倍のテレビでの露出時間は、他の政党よりも長かった。
 視聴者は、安倍の意見はたくさん聞く。しかし、野党の主張は少ししか聞けない。そういう状態だった。
 これは結果として、少数意見を封殺することにつながった。議論封じにもつながった。安倍の主張のみが大々的に報道され、少数意見の声は紹介されず、「争点」も議論されないという状況をうみだした。
 党首討論会も、安倍が「日程の都合がつかない」と言い張り、一回きりだった。「争点」はテレビでは報道されることはなくなった。これも安倍に有利に働き、少数政党には不利に働いた。

 民主主義とは、少数意見には配慮し、議論を深めることによって成り立つ。これを籾井NHKは率先して、たたき壊した。

 上田NHKにかわって、報道はどう形を変えるか。
 このことに注目しよう。
 籾井と違って、あまり表には出て来ないが、こんどの衆院選の報道で上田NHKの民主主義に対する姿勢、ジャーナリズムに対する姿勢が明確になるはずである。
 きびしくチェックしたい。
 「政権選択選挙」といいながら、安倍の宣伝選挙になっていないか、その片棒を担いでいるのはどこなのか、しっかり見極めよう。






#安倍が国難 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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