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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「学術会議不要論」のひとは、なぜ菅批判をしないのか。

2020-10-05 08:18:50 | 自民党憲法改正草案を読む
日本学術会議の会員任命問題で、不可解な反応のひとつに、こういうのがある。

「学術会議は不要だ。」

単独の主張ならば、これは意味を持つだろう。
だが、菅の6人任命拒否という問題と絡めて言うならば、「学術会議は不要だ」というひとたちは、なぜ、菅が99人も任命したことに対して黙っているのか。
99人と6人を比較すれば、99人の方がはるかに多い。
さらに。
なぜ、学術会議を存続させてきた安倍を批判しないのか。
もしほんとうに「学術会議」の存在を批判するならば、同時に学術会議存在させている菅を、存在させるために99人を任命した菅を批判すべきだろう。
「学術会議不要論」を持ちだした人がやっていることは、「学術会議不要論」を盾に、「菅批判を許さない」という「論理のすりかえ」である。
ほんとうに「学術会議不要論」を主張するなら、「6人を任命しなかったことを追及するだけでは手ぬるい。99人も任命した菅を許さない」という論理になるはずだが、私は「学術会議不要論」と「菅批判」をいっしょに展開しているひとの発言を、まだ、読んだことがない。
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学問の自由という幻

2020-10-03 22:35:16 | 自民党憲法改正草案を読む
facebookの中沢けいさんのページで、読者の、こんなコメントを読んだ。

「学術会議のメンバーにならないと学問の自由は侵害されるのでしょうか?
学術会議のメンバーから外されたら自身の主張はできなくなるのでしょうか?
そもそも学術会議の存在意義はどこにあるのでしょうか?」

この反応は、まさに菅・加藤が期待した通りの反応だろう。
独裁は、いつでも「見えにくい」ところからはじまる。
その「見えにくさ」を利用したクーデター(中日新聞・大森記者のことば)がいま起きている。
もちろん、学問はいつでもどこでも、できる。何を学びたいかは自分で決定できる。その「価値」を決めるのは、個人である。
しかし、
そういう自由な活動に対して、権力が、この学問は学術会議の会員にはふさわしくない(会員に任命できない)と価値判断を押しつけるのが「学問の自由」への侵害になる。
多くの学者が討議し、重要だと認めているひとを、権力が根拠も示さずに任命を拒否したことが、学問の自由の侵害につながる。
だれが認めてくれなくても「学問」はできる。
けれど、この「学問」は推奨するけれど、この「学問」はだめ、と権力がいいつづければ、「学問」の世界はしだいに、権力のいう「学問」だけになっていく。
極端な話、自民党政権を批判する研究には研究費を出さないという(そういうことを研究している大学への助成はしない)ことが決定されれば、政権を批判する研究、政権と国民の闘争の歴史研究などは、しだいに少なくなる。
逆に、自民党政権の功績だけをとりあげる研究者(学者)にだけ予算を投入するようになれば、そういう研究だけになる。
そういうことが「学術会議」だけではなく(つまり、しっかりとした理念を持った学者の世界だけではなく)、義務教育の現場でも行われるようになったらどうなるか?
侵略戦争の事実は教えられず、原爆の悲惨さを語り継ぎ平和教育もないがしろにされる。
そういうことが起きるはず。
実際に、平和憲法について勉強会を開こうとしたら会場を貸してもらえないということが起きていたりする。
「学問の自由」は個人の問題だが(何を学ぶかは人それぞれの自由だが)、この世界にどれだけ「学問」があるか、それを個人が個人の力ですべて見つけ出していくことはできない。
だから「教育」も大切になる。「学問」と「教育」はセット。
単に、「学問の自由」は、高等な「学問」をしているだけの問題ではない。
それはじわじわと、国民の教育(学問)全部に及んでくる。
「学術会議の存在意義」は、いろいろな政策がほんとうに国民のためになるのか、ということを専門的な知識を踏まえて政権に助言するということあるだろう。
そのときの「助言」というのは、ときには「批判」を含む。
「批判」を含むからこそ、その「批判」が気に食わないという理由で、政権は「メンバー」を拒否する。
そういうことが、いま起きている。
これを個人の「学問の自由」と言い換えてはいけない。
政権の「好みの学者の押しつけ」が、「嫌いな学者の排除」という形で起きているのだ。
「学問の自由は一人で守れる」というような言い方は、菅・加藤の代弁にすぎない。
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アリバイづくりをする読売新聞(「監督権行使」の追加記事)

2020-10-02 14:49:41 | 自民党憲法改正草案を読む
ニュースの価値判断
   自民党憲法改正草案を読む/番外401(情報の読み方)

 「日本学術会議」の問題についてはすでに書いたが、もう一度書いておく。
 2020年10月02日の読売新聞(西部版・14版)は「学術会議」の新会員問題を25面(第三社会面)で、

①学術会議会長に梶田氏 ノーベル賞受賞者
②首相 会員候補6人任命せず

 という2本の見出しを立てて書いていた。(番号は、私がつけた。)
 少し気になって、図書館で他紙を読んでみた。
 朝日、毎日新聞は1面に「本記」、他面にサイド記事(関連記事)。西日本新聞、日経新聞は第2社会面(右側のページ)、産経新聞は内政面(?)に載っていた。
 いずれも、読売新聞が②の見出しでとっていることを「本記」として書いている。①の見出しをとっているのは毎日新聞だけである。その毎日新聞も見出しは1段見出し。ただ見出しがついているだけということである。
 どの新聞も、菅が、日本学術会議が推薦してきた名簿から6人を外して任命したことに問題がある。今後も、そのことが問題になるという認識でニュースを伝えている。
 すでに書いたが、日本学術会議の会長がだれであるかは、会長をめざしている人には関係があるかもしれないが、国民には関係がない。そんなことはニュースではないのだ。
 読売新聞は、そんなニュースでもないことを大扱いしている。これは、任命拒否が「学問の自由」を侵害するという問題を含んでいるということを隠すためである。
 「なぜ、そのことを書かないのだ」と批判されたときに、「いえ、ちゃんと書いています」という「アリバイづくり」のために、読売新聞は会長選任のニュースのあとに任命拒否のニュースを掲載しているだけなのだ。

 2015年の戦争法をめぐる国会前のデモ。国会前を国民が埋めつくした。このとき読売新聞は、多くの新聞が国会前を埋めつくしている航空写真を掲載した。しかし、読売新聞(西部版)は社会面に、デモに参加する人たちが集まってくる写真(大集合になる前の写真)を法案に賛成を呼び掛けるデモの写真と並列して掲載している。(確かめていないが、東京の紙面もおなじだろう。)法案に賛成と反対の人がおなじ程度だという印象づけるための「操作」である。そして、読売新聞も国会前のデモを報道していますという「アリバイづくり」である。
 姑息な「忖度」報道が「事実」を隠す。
 批判されたときは、「読売新聞も、ちゃんと報道しています」といいわけをする。
 ニュースとは何よりも価値判断である。価値判断を放棄し、政権よりの視点からニュースを伝え、批判されたら「事実は伝えているから、批判の指摘にあたらない」と菅のように開き直るつもりなのだ。
 「弁解」をあらかじめ含んだニュースは、もうニュースではない。伝えないよりも、悪い。「伝えていないじゃないか」という批判を封じているからである。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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監督権行使

2020-10-02 10:33:35 | 自民党憲法改正草案を読む
監督権行使
   自民党憲法改正草案を読む/番外400(情報の読み方)

 2020年10月02日の読売新聞(西部版・14版)は「学術会議」の新会員問題を堂取り扱っているか。
 西部版では25面(第三社会面)に書いている。記事は二本立て。(番号は、私がつけた。)

①学術会議会長に梶田氏 ノーベル賞受賞者
②首相 会員候補6人任命せず

 さて。
 学術会議の会長がだれかということ、知っていた? いままで、だれが会長をしていた? 知っているひとは学術会議のメンバー(学者)だけだろうなあ、と思う。記事によると朝永振一郎もやっていたそうである。
 だいたい「日本学術会議」の存在自体、ふつうの国民は知らないと思う。(私は、知らない。私は自己中心的な人間だから、自分を基準にして「ふつうの国民は知らないだろう」と推測しているだけだが。)なぜ知らないかというと、その「会議」に私が出席することはないからだ。「学術会議」だからいろいろなテーマが語られると思う。私の関心のある分野もあるかもしれないが、梶田や朝永の「物理学」は、聞いてもわからない。だから、まあ、知らなくても、関係ないなあ、と言っていられる。
 そういう意味では、会長がだれであるかなど、ほとんどの国民には関係がない。国民にとってのニュースではない。会議のメンバーにとっては(特に、会長になりたい、と思っている人には大ニュースだと思うが。)
 もし、だれが会長かが「問題」になるとしたら、その人が「特異な」「思想」を持っているときだろう。そして、それを主張しているときだろう。たとえば「科学は武器の開発に有効なものでなければならない。平和は保有している核兵器の数によって保障されている」とかね。そういう学者もいるかもしれないけれど、まあ、会長になることはないだろう。そういう人が会長になったら、それは私の見方では、とても困る。新会長の梶田がどんな思想の持ち主なのかわからないが、

梶田教授は「近年の科学技術の急激な発展によって、科学と社会の距離が狭まっている。今後、学術会議と外部との対話をさらに進めていきたい」と抱負を述べた。

 というのを読むかぎり、これは変だぞ、と感じることはない。

 問題は、会長がだれかよりも、②首相 会員候補6人任命せず、である。読売新聞にも、こう書いてある。

 加藤官房長官は1日の記者会見で、日本学術会議が推薦した新会員候補105人のうち、菅首相が6人を任命しなかったことを明らかにした。推薦を受けて首相が任命する制度が導入された2004年以降、任命が見送られたのは初めて。

 「任命が見送られたのは初めて」。
 「初めて」のことがニュースである。梶田が会長に選ばれたのも「初めて」かもしれないが、会長はいつでも選ばれていたのだから、それは単に「習慣」のひとつであって、「初めて」というほどのことでもない。
 そして、いちばんの問題は、その「初めて」が、なぜ、いま「初めて」おこなわれたのか、である。
 これを追及するのがジャーナリズムの仕事。
 読売新聞は、どう伝えているか。いろいろなところで「学問の自由の侵害」という声が起きている。それは政権にも届いてている。

 加藤氏は「法律上、首相の直轄であり、人事などを通じて一定の監督権を行使することは可能だ。直ちに学問の自由の侵害にはつながらない」と述べ、問題はないとの認識を示した。

 読売新聞は、加藤の言い分(菅の代弁)を、そのまま伝えているだけである。これでは新聞の役割を果たしていない。どこに注目して読むべきか、それを知らせないといけない。
 加藤の「ことば」で問題になるのは「監督権」である。いったい、何を「監督」するというのだろうか。それを明確にせずに、「監督権」といってもしようがない。
 加藤はこの「監督権」を「人事」ということばといっしょにつかっている。このことが非常に重要である。「人事」を支配する(今回が、まさに、それ)によって、何事かを「監督」するのである。
 一定の予算が「学術会議」に支出される。その使い道を「監督する」というのは、無駄遣いをさせないという意味では「正しい」ことのように感じられる。しかし、、どの学問に金を使い、どの学問に金を使わせないかということを「監督する」ということは、金のつかい方を支配するということである。
 たとえばイグノーベル賞を受賞した研究には予算を出さない、ということが決定されるかもしれない。笑いだしてしまうような研究なので、それが研究されなくなったからといって、きっと多くのひとは気にしない。気にするのは、その研究をするひとだけ。なぜ、こんなことがおきるのか、それを知りたいと思っている人だけかもしれない。
 しかし、きっと、それだけではないのだ。気にならないようなところから、少しずつ「監督」というのなの「支配」がはじまっていくのだ。

 任命されなかった6人。その6人が公表されたとして、国民の何人が、この人はこんな科学的研究をしている、その功績はこれこれである、と言えるだろうか。その人がどんな考えをもって科学的研究をしているかを言えるだろうか。99%以上の国民が答えられない。だから、そのひとが学術会議の会員になれないということも、気にならない。自分の関心事ではないからだ。
 逆に言えば。
 だれが何を研究しているか、どんな考えを持って研究しているかを、菅は気にした。それを調べて、その調べた結果を「人事」に反映させた。「人事支配」をつうじて、「学術会議」そのものを支配しようとしているということだ。
 思い出そう。
 菅は「官邸の方針に従わない官僚は異動させる」と言った。「異動させる」は「排除する」である。それを「学術会議」にもあてはめようとしているのだ。「官僚の方針に従わない学者は学者として認めない(排除する)」。
 実際に、こういうことが書かれている。

 任命されなかった6人のうち、立命館大学大学院法務研究科の松宮孝明教授(略)は2017年に野党側の参考人として国会に出席し、テロ等準備罪法を批判した。立憲民主党の安住淳国会対策委員長は「(任命見送りが)政治的意図を持っていたとすれば看過できない」と記者団に語った。

 なぜ、松宮が「排除された」のか、それを追求するのがジャーナリズムの仕事である。安住に代弁させればそれでいいという問題ではない。
 加藤は、こういうかもしれない。
 「ある特定の学者は、政府と関係する分野からは排除した。しかし、排除されても学問の研究はできるから、それは学問の自由の侵害ではない」
 こういうことを「詭弁」という。
 「詭弁」は、最初はなかなか「詭弁」とは気づかない。
 「詭弁」に気づき、それを問題にしていくのがジャーナリズムの仕事のひとつである。それを読売新聞は指摘しないだけではなく、会長がだれになったかというようなことを「大ニュース」のように仕立て、本当の問題を隠している。
 読売新聞は、菅と加藤に「忖度」している、ということだ。

*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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独裁のはじまり。

2020-10-01 21:54:59 | 自民党憲法改正草案を読む
「日本学術会議 会員の一部候補の任命を菅首相が見送り」というニュースが報道されている。「赤旗」がスクープしたものを、NHKも追いかけている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201001/k10012643361000.html?fbclid=IwAR18pct1l1xf020uGcHD3dFlMDFbcl6rPEK8PgaOJo-GCEwEICs44rK5gzo

独裁はいつでも、こういう「わかりにくい」ところからはじまる。
日本学術会議の会員がだれかということは、一般のひとは知らない。
だから学者が会員になれなかったからといって、それが生活にどう影響してくるかも実感できない。
極端に言えば、素人は「その人の学問の水準が基準に達していないということでは」と思ってしまう。
自分に、その「学問」に対する知識がないのに、である。
これがたとえば「紅白歌合戦」の出場者だったりしたら、「えっ、あんなに売れているのになぜ?」という声が起きる。
昔、グループサウンズが締め出されたように。ピーターが締め出されたように。
ひばりが、弟の問題で出場できなくなったとき、なぜ?という声が起きたように。
学問の世界は、たとえば田中耕一さんがノーベル賞をとったとき、みんながびっくりした。
「下馬評」にもあがっていなかった。でも選ばれた。
知っているひとは知っているが、知らないひとは知りようがないというのが学問の世界である。
こういうわかりにくいところから、菅が手をつけたというは、非常に「巧妙」である。
きっと官僚の人事も、非常に見えにくいところから支配し始めるのだろう。
「官邸の方針に従わない人間は異動させる」と菅は公言していたが、トップを異動させる先に、現場に近い「課長」とか「係長」とか(役職がわからないのでテキトウに書くが)のようなところから手をつけるのだ。
会社だって、そうでしょ?
部長になかなかなれない、という前に、課長になかなかなれない、係長になかなかなれない。課長になるはずが「左遷された」とかね。
こういう「人事」は「会社全体」では目立たない。しかし、「現場」では非常にリアリティーがあるものとしてひとを支配する。
「あの人、部長の意見に反対していたもんね」とか。
で。
言い直すと。
菅のやっているのは「国家の人事」ではなく、「小さい会社の人事」なのだ。
こういう人事をやる組織は、結局、大きくなれない。
どんどん小さくなる。
日本の崩壊が「学問」からはじまった、ということだ。


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既視感?

2020-09-27 10:47:17 | 自民党憲法改正草案を読む
既視感?
   自民党憲法改正草案を読む/番外399(情報の読み方)

 2020年09月27日の読売新聞(西部版・14版)の1面。「地球を読む」という寄稿がある。きょうは御厨貴。寄稿なので、読売新聞の主張そのものではないが、逆に御厨がどんなふうにして読売新聞といっしょになって「安倍よいしょ」をやっているかがわかる。菅内閣発足について書いたものだが、「菅よいしょ」ではなく「安倍よいしょ」になっている。だから、とても奇妙な文章になっている。
 書き出し。

 安倍政権は終幕を迎え、菅政権が登場したが、既視感が迫ってくる。かつての首相交代にはなかった。

 これは、どういう意味なのか。「既視感」とは、すでに見たことがある、どこかで見たはずだ、であるはずだ。「かつての首相交代にはなかった」なら、「既視感」とは相いれないだろう。
 御厨は、これを言い直して、「これまで長期政権から交代した際は、若返りや政権奪還など、ガラリと変わる印象が強かった」が、菅の場合は違う。菅は……。

菅の自民党総裁選立候補演説は、安倍継承を繰り返し、官房長官としての記者会見と二重写しに見えた。

 「既視感」は「二重写し」と言い直されている。たしかに、これは見たことがあるは「二重写し」であり「既視感」と言い直すことはできる。だが、これでは「首相交代」についての「既視感/二重写し」ではない。
 なんにも変わらない。
 これでは「交代」の意味がない。「既視感」の意味がない。
 たとえば、佐藤栄作から田中角栄への首相交代。田中角栄は義務教育しか受けていない「苦労人」「たたき上げ」の政治家である。その角栄と菅が「苦労人」「たたき上げ」というキーワードで「二重写し」になり、「既視感」をもって迫ってくるというのならわかるが、御厨は、私が想像する「既視感/二重写し」とはまったく違う意味で「既視感」ということばをつかい、それをキーワードにして、「安倍よいしょ」をはじめる。
 菅は「安倍のコピー」であるからそこに「既視感」がある。そして「既視感」は、こんな具合に言い直されていく。(文章が重複するが、わかりやすくするために重複させた形で引用する。)

 菅の自民党総裁選立候補演説は、安倍継承を繰り返し、官房長官としての記者会見と二重写しに見えた。安倍政権の「ブラッシュ・アップ版」の登場が自民党の大勢の合意であり、国民の納得感もそこにある。

 「既視感」は「合意」であり、「納得」である、と。
 でも、そうなのか。「既視感」は「合意」や「納得」か。「期待」や「不安」に「既視感」はあるだろうが、「合意/納得」は「期待/不安」とは別のものだろう。「合意/納得」は「妥協」とはか「諦観(あきらめ)」と相性がいいのではないか。つまり、「失望」と。
 そういうことが念頭にある野かどうか判断できないが、御厨は、安倍を評価して、こう書いている。

 「アベノミクス」や「地方創生」、「働き方改革」など、次から次にキャッチコピーをアピールし、「やってる感」を演出した。

 「やってる感」の演出は、それが「やってる感」だけであって、実際は何の実りもないという批判でつかわれることが多いと思うが、御厨は逆である。「やってる感」さえ演出できれば、国民は「納得」すると言っているのである。
 「アベノミクス」や「地方創生」、「働き方改革」は「キャッチコピー」にすぎず、何の実りももたらさなかった。貧富の格差が広がり、国民のないだにとりかえしのつかない分断を生み出した。安倍自身が「あんなひとたち」と国民を分断する発言をした。「地方創生」も、いったいどんな「創生」があったか。過疎地はますます過疎化している。私の古里は、もう「限界集落」を通り越して消滅していくのを受け入れるしかない。「働き方改革」は低賃金労働者を生み出しただけである。
 御厨の、この寄稿には「自民政権の手法 明確化」という見出しがついているが、キャッチフレーズで「やってる感」を演出し、何の実りをもたらさない政治がこれからもつづくということは、たしかに「明確化」されたのだろう。
 「失望」の「既視感」。
 そういう意味で「既視感」を御厨がつかっているのなら、まだ「納得」できるが、安倍の政策のまま何も変わらないことが明確になった、だから「安心」。「既視感」は「安心」という意味でつかっているのなら、いったい「首相交代」になんの意味があったのだろうか。

「安倍よいしょ」は文章の後半(2面)では、とてもおぞましい形で転換される。(2面で書かれていることがらは、「菅内閣」とは関係がない。安倍の政治がどんなふうに行われてきたか、どう評価されたかという総括である。見出しは

「やってる感」若者の黙認

 若者は、安倍の「やってる感」をそのまま受け入れている。納得している。だから、これでいいのだ、と主張している。「黙認」は批判しない、という意味である。
 その「やってる感」が行き詰まったとき、安倍は、どうしたか。つまり政策に問題が発生したとき、安倍はどうしたか。それを御厨はどうとらえたか。

 スキャンダルや問題が生じても、野党やメディアに言わせるだけ言わせながら勝機をうかがう。選挙の勝利を国民の「お墨付き」と位置づけ、問題のすべてをご破算にする。

 「選挙の勝利」で「問題のすべてをご破算にする」。何もなかったことにする。これは問題の解決ではなく、問題の「隠蔽」にすぎない。
 「選挙の勝利」がすべてであるという「選挙至上主義」は、どういうことをもたらしたか。御厨は、ここだけは非常に正確に分析している。

 若手議員にはイデオロギーに深入りさせず、ひたすら選挙で勝ち抜くよう求めた。それでもこの8年間で安倍のイデオロギー的基盤に、正面から反対する者はいなくなった。その意味で自民党の意識改革には成功したと言えるだろう。

 2012年の政権奪還以来、全国規模の国政選で無敗を続け、議員にとって“恩人”と化した安倍に、誰も反対できなくなった。

 御厨のつかっている「それでも」の意味は、私にはよくわからないが、「逆接」ではなく「それで」という「順接」の意味で私は受け止めた。
 安倍批判をしたら「自民党推薦」はもらえない。議員の職を失うかもしれない。「当選」しつづけるためには、安倍を批判しない。そうすれば、「当選させてもらえる」。安倍批判をすれば、当選させてもらえない。落選させられる。
 この実例が、河井案里事件である。安倍批判をした議員は落選させられ、河井が当選した。しかも資金を1億5000万円も提供された。安倍を支援すれば金銭面でも好待遇を受けるのである。
 この安倍を支持するか批判するかによって「当落」が決定される、待遇が変わるという「システム」は、そのまま若者に影響していくのである。
 安倍批判をしたら、会社からにらまれる。体制批判をしたら会社から冷遇される。実際、アベノミクスや働き方改革の導入で、子会社がつくられ、非正規社員が生み出され、おなじ仕事をしているのに賃金格差が生まれている。この「格差」を「脅し」のようにして、「言うことを聞かないなら(批判をするなら)、もう雇用を継続しない」と迫る。こういうことを目撃した人も多いだろう。体験した人も多いだろう。
 安倍政権への若者の支持率が高いのは、「恐怖心」のためである。だれでもいまよりも厳しい境遇を生きていくという苦労はしたくない。
 そして、この「恐怖心」は菅政権下では、もっと拡大するだろう。菅は、なんといっても加計問題で前川を追放した人間である。風俗店通いを読売新聞に「リーク」し、前川を人格攻撃した。前川は風俗店に出入りはしていたが、批判されるようなことは何もしていない。そこで働いている女性を支援したのに、そのことには触れずに、風俗店に出入りすることが問題であると批判した。同じようなことが、官僚だけを相手にしてではなく、きっと一般国民を標的にして行われるだろう。国民を圧迫するために、さまざまな方法がとられるだろう。
 菅の打ち出している「縦割り110番」(通報)や「デジタル庁」(情報の集中把握)も、きっと国民を拘束するための道具としてつかわれる。

 しかし、まあ、この御厨というのは、多くの読売新聞の記者と同じように「正直」である。しめくくりに、こんなことを書いている。

 ただ若い人が、政治によって何かを変えたいと思い始めたら、菅政権は“やってる感”の政治から、“やってる”政治への転換を迫られることになろう。

 菅がやるのは「やっている感」の政治にすぎない。若者が「実効」を求められたらつづけられない。
 でも、これはもしかすると、「だからもう一度安倍にやってもらいたい」と言いたいために書いているのかもしれない。






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#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



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内閣支持率と解散の関係は?

2020-09-21 11:15:28 | 自民党憲法改正草案を読む
内閣支持率と解散の関係は?
   自民党憲法改正草案を読む/番外398(情報の読み方)

 2020年09月21日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップ。

菅内閣支持74%/歴代3位 「安倍継承」評価63%

 この数字をどう判断していいのかわからない。
 「安倍継承」について、「森友、加計、桜を見る会の再調査をしない」という「継承」について評価するのか、評価しないのか。8面に「質問と回答」が載っているが、そこにはそういう「質問と回答」はない。さらにジャパンネット問題や、河井議員1億5000万円問題も質問されていない。(ジャパンネットは、会長逮捕の時期と関係するのだろうけれど。)優先して取り組んでほしい政策、課題からも除外されている。
 この段階で、読売新聞は、いわゆる「負の遺産継続」については質問を避けている。つまり、そういう声が出ないように質問を操作している。
 「負の遺産(批判の多かった問題)」の唯一具体的な質問は麻生、河野の再任。河野は担当が替わるから「継承」そのもので言えば麻生の再任。「評価しないは53%」。これから判断すれば、質問の順序次第では「支持率」が大きく揺らぐことが想像できる。

 その世論調査で、衆院の解散(総選挙)についても質問している。「任期満了まで行う必要はない」が59%でトップである。
 しかし、こういうことは「見出し」にはとられていない。
 3面の「世論調査分析」の見出しは、こうである。(番号は私がつけた。)

①菅流「堅実・改革」好感
②自民内 高まる早期解散論

 ①の「堅実」は「継承」姿勢を指す。でも「継承」なら「改革」は大改革ではなく、見せ掛けの「改修」、あるいは「修飾(新装)」くらいであろう。デジタル庁はともかく「縦割り110番」くらいでは「改革」ではないだろう。単に苦情を受け付けるだけだ。さらにその苦情が「デジタル庁」で管轄されるとどうなるか。誰がどんな苦情を言ったかという「個人情報」がデジタル庁に集積されるだけだろう。
 ②は、「世論調査」とは無関係。自民党内の動きである。しかも、その「動き」は読売新聞の世論調査を紙面に掲載し、その結果を見た自民党議員の反応ではない。調査は19、20日に行われ、20日にまとめられ、新聞は20日の夜につくられ、21日朝に配達されている。自民党員がどこの段階で「世論調査の結果」を知ったのか、それを知ったき員は全体の何%くらいなのか。だから、この見出しの「自民内 高まる早期解散論」は「まゆつば」ものである。
 記事中には、どう書いてあるか。

自民党内では、異例の高い支持率を受け、早期解散論が強まりそうだ。

 文末の「そうだ」は推定を意味する。「事実」であるときは「そうだ」ということばでは締めくくらない。つまり、「自民内 高まる早期解散論」は世論調査の結果分析でもなければ、自民党内の客観的な動向分析でもない。この記事を書いた記者の「思い」である。「作文」にすぎない。それを読売新聞は、あたかも「客観的事実」であるかのように書いている。いわば、嘘なのだ。嘘と批判されるのを恐れて「そうだ」と書き、ごまかしている。
 「早期解散論」があること自体については、すでに読売新聞もほかのメディアも書いていたと思う。それを、なぜ、いま、この段階で書くか。
 「世論調査」自体を私は「客観的」とは思わないが、一般的には「客観的」と思われている。その「客観的事実」を背景にすると、「予測」すらも「客観的」という印象を与えてしまう。
 きょうの3面の「自民内 高まる早期解散論」という見出しを読んで、そんなことは書いた記者の憶測にすぎない。どうやって高まっているかどうかを調査したのか、と考える読者も、それを「事実かどうか、客観的証拠を示せ」と読売新聞に問い合わせる読者もいないだろう。
 だから。
 これは「世論調査」以上に「世論誘導」なのである。
 紙面をつかって、「早期解散をしろ」とけしかけている。そして、その「けしかけ」は読売新聞が「特ダネ」として報道した安倍のインタビューに合致する。9月17日の新聞の見出しによれば、安倍は、

衆参同日選「常に頭」

 という。しかし、菅の任期中に参院選はないから、菅に「衆参同日選」をしろとは言えない。安倍が言っているのは、「衆院選解散を考えろ、総選挙を考えろ」という意味である。それを後押しする形で、きょう、

自民内 高まる早期解散論

 という見出しになる。これは、安倍の意向を汲んだ、「忖度見出し」ということになる。そしてまたこれは、私から見ると「読売新聞は自民党の応援をするから、早期解散をしろ」とけしかけているのである。
 なぜ? 選挙があれば「選挙広告」が見込まれるからである。そして、いま解散し、議席を確保できれば、自民党議員は「任期4年」を確保できる。「一石二鳥」なのである。
 だって、おかしいでしょ? まだ任期が1年ある。そして菅の支持率も高い。いったい何を争点に国民の信を問うのだ。もともと解散は、内閣不信任が可決されたとき、国会議員の判断だけでは納得ができない、国民に信を問うという形で実施されるものだ。(憲法69条)。「首相に解散権がある」とはどこにも書いていない。憲法7条の第3項を強引に援用しているようだが、7条はあくまで天皇の「国事行為」であって、それが「内閣の助言と承認」を前提としているからといって、内閣の思いのままという根拠にはならないだろう。
 こういうことを考えると、自民党の議員は、二階を筆頭に、自分の任期をいつまで確保するかということだけを考え、政策(国民のため)ということはまったく考えていないことがわかる。読売新聞も「世論調査」などと言いながら、国民の意識を分析するのではなく、政権をよいしょするために、どんな記事が書けるか、その見返りとしてどれだけ広告をまわしてもらえるか(経営を安定させることができるか)しか考えていないように見える。







*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
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#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



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外国人材?(だんだん頭に来るぞ!)

2020-09-20 09:09:15 | 自民党憲法改正草案を読む
外国人材?(だんだん頭に来るぞ!)
   自民党憲法改正草案を読む/番外397(情報の読み方)

 2020年09月20日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップ。

金融 外国人材増へ税軽減/政府・与党検討 法人税や相続税/「英語で手続き」対応

 見出しを読んで考え込んでしまった。何のことだろう。しばらく考えて、もしかするとこれは「金融機関」に限った対策のこと? と思った。それも地方にある銀行などのことではなく、東京にある金持ち相手の資産運用に関する「金融機関」のことだろうなあ。
 前文には、こう書いてあった。

 政府・与党は、日本の国際金融センターとしての地位向上に向け、外資系金融機関や海外の金融人材の受け入れ拡大につながる制度を検討する。法人税や相続税の負担軽減、事業の許認可手続きでの英語対応の強化などが柱となる。菅首相は金融の専門人材の受け入れ拡大に意欲を示しており、必要な環境整備を急ぐ。

 ネットでは【独自】のマークがついている。「特ダネ」か。でも、私のような年金生活者になんの関係があるのだろうか。どうしてこんなニュースが1面のトップなのか。
 外国人の金持ちが日本で金儲けをする。その法人税や相続税を軽減して、それで日本がどうかわる?

 資産運用会社が業績に連動して支払う役員報酬は、金額のぶれが大きいなどの理由で、日本では損金算入できないケースがある。その場合、課税対象の利益を減らせず、法人税の負担が大きくなる。

 こんなことは、企業が考えればいい問題ではないのか。どこだって「損金」が出る可能性を抱えているだろう。それを承知で「商売」というものがあるのではないのか。というようなことは、きっと、素人考えで、もっと複雑な構造なのだといわれそうだが。
 その素人の私が読んでいて、どうしてもわからないのが、見出しの最後の部分。

「英語で手続き」対応

 だいたい日本で金儲けをしようとやってくる外国人相手に、法人税や相続税の「英語で手続き対応」って、変じゃない? もし日本人が、外国で金儲けをしようと考えて外国へゆく。そのとき、その国のことばを覚えていくというのは「常識」なんじゃないだろうか。何を話しているかわからない国へ行って「金融」の仕事をする? そんなのは、だまされにゆくようなものじゃないか。
 それに「外国人」というのは「英語」だけを話すわけじゃないだろう。まあ、これも「国債金融人なら英語が常識」ということなのかもしれないけれど、素人の私には、あ、そうですか、としか言えないが。
 いちばん驚いたのは。
 見出しにはとっていないのだが、その「外国人支援」の「生活の利便性向上」という項目。まるで「隠しごと」のように書かれている。

海外で雇っていたヘルパーなどの在日資格取得の要件緩和

 何これ? 外国人が、外国で雇用していたヘルパー(どんなヘルパー?)をそのまま日本につれてこられるよう(日本で引き続き働けるよう)、資格取得を緩和するというのだけれど、そんなことまでする必要がある? どうしてもヘルパーが必要なら日本人を雇えばいいだろう。わざわざ外国からつれてくる必要はないだろう。というか、専用のヘルパーをつれてこられるように、ヘルパーの資格取得を緩和する、なんて、どう考えても奇妙。
 よほどの金持ちの「外国人人材」が「専用のヘルパーがいないと生活がスムーズに行かない(だから日本にゆきたくない)」と苦情を漏らしたりしたんだろうなあ。そうでもないかぎり、誰も思いつかないだろう。
 なんというか。
 政府が「外国人の金融のエキスパートが日本に来るようにしよう」と計画を考えた段階で、専用ヘルパーをつれてくること、その専用ヘルパーの在日資格取得の問題まで頭が回るというのは、よほど想像力がないとできない。いままで、こんな細部にまで想像力をはりめぐらせた「政策」があっただろうか。

 それにねえ。

 いま日本が抱える問題は、「金融人材」や「外国人が外国で雇っていたヘルパー」ではないだろう。
 日本では、いろんなことろで「人手不足」。「ヘルパー」でいえば、介護現場ではいつも人手不足。そして、そのために「英語圏ではない外国(ベトナム、フィリピン、タイ)」から「介護師」としての「人材」を受け入れるために、いろいろな対策をとっていないか。そして、その対策のひとつに、日本に長く滞在し働き続けるのを拒むために、一定の日本語能力を要求するというものがあるのではないか。一定期間に日本語のレベルが達しないなら、研修だけで母国へ追い返す。一定期間で日本の資格がとれないなら母国へ追い返す、という「使い捨て政策」をとっていないか。
 別の角度からも問題点が見えてくる。
 そうやって日本で働いてくれる東南アジアの人たちの、日本での暮らしはどうなっているか。家族をいっしょにつれてくるための条件は? その家族に子供がいるときの教育の問題は? 相続税ではなく、そのひとたちの社会保障はどうなっている?
 大事なのは、一握りの(ほかの職場で求められている人数に比べればはるかに少ないと思う)金融外国人ではなく、もっと低所得の外国人の待遇の問題だろう。相続税などは無関係の人たちだろう。

 記者が「私はこんな情報を手に入れた」と喜んで記事を書くのも、また、その誰から教えられた(リークされた)かわからない「特ダネ」を自慢するのも、それはそれで「正直さ」があふれていて笑いだしてしまうが、笑ったあとで悲しくなる。もっと日本の現実そのものをみてほしい。きっとこの記事をリークされた記者は、自分には記事をリークしてくれる「政府・与党」関係者がいるということが自慢だし、また、こういう記事を書くことでその人との「接触」をいっそう強めていくのだろうと思う。「おかげさまで、特ダネを1面のトップに掲載できました」と言う具合にね。「また、特ダネ書かせてくださいね」と言うわけだ。

 えっ、日本語もできないのに、日本で金融の仕事ができるんですか? えっ、外国で雇っていたヘルパーをそのまま日本につれてくることができるんですか? しかし、ヘルパー付きの暮らしってすごいなあ。そんなひとの税金の心配をどうしてしなければいけないのだろう。
 そんなふうに思わないとしたら、この特ダネを「リークされた」記者は、よほど一般の暮らしとはかけはなれた生活をしているね。
 ばかげた政策以上に、何の疑問も持たない記者の姿勢に、私は頭に来てしまった。
 「疑問」を持てよ。
 なぜ、一部の特定の人間だけが優遇されるのか。日々の暮らしで一生懸命の人が、なぜ、報われないのか。










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目玉政策?

2020-09-19 18:12:25 | 自民党憲法改正草案を読む
目玉政策?
   自民党憲法改正草案を読む/番外396(情報の読み方)

 2020年09月19日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップ。

首相、目玉政策急ぐ/形態料金下げ、デジタル庁/担当相に相次ぎ指示

 多くの人がどう考えているのか知らないが「携帯料金値下げ」というのが「目玉政策」になるんだろうか。もちろん携帯の使用料が下がるのは大歓迎だが、そういうことが「社会のあり方」とどう関係してくるのか。私は、そのあたりに非常に疑問を感じている。携帯料金が下がると、社会がどう変わる?
 私は、シムフリーのスマートフォンを使っているが、月々の料金は2500円くらい。以前使っていた携帯電話が変な仕組みで月々3000円近くかかっていたので、シムフリー・スマートフォンの方が安いとわかって乗り換えた。
 こういうことは市民がある程度工夫すれば都合がつく。そういうことを「目玉政策」と言われてもなあ、と感じる。
 それにスマートフォンの料金は企業が決めるもの。もし、料金を下げることで赤字になったり、従業員の給料が下がった場合、菅は責任を持つのだろうか。料金を引き下げるために従業員が大量に解雇されたり、非正規社員に切り換えられた場合はどうなるのか。「政府が料金を下げろといっているから、従業員の給料を下げることで対応する」と経営者が言ったとき、労働者は誰に対して苦情を言えばいいのか。
 デジタル庁にしたって、いったい何がしたいのか、よくわからない。コロナ対策でも、感染者の集計をファクスに頼っていたというようなことが問題になったが、こういうことは「デジタル庁」をつくらないとできないことではないだろう。どこの会社でも「デジタル庁」などに頼らずシステムをつくっている。
 そうなると。
 デジタル庁をつくることで、どんな情報を、どう処理するか、ということを先に明示しないとおかしいだろう。同じコロナ対策で給付金のデジタル申請がうまくいかなかったというような問題は、システム構築の出発点が間違っていたということだろう。いまからデジタル庁をつくってシステム再編をするなんて、どうもおかしい。
 狙いは違うところにあると考えないといけないだろう。給付金問題では、マイナンバーカードが問題になった。マイナンバーカードが普及しないのはなぜか。「情報管理」にたいして国民が不安を持っているからだ。不都合な情報を「黒塗り公開」するような政府が、国民の情報をほんとうに守るのか。むしろ、収集した情報を国民を支配するためにつかうのではない、と国民が恐れているからだろう。「議事録」さえ公開できない政府に、どうして「個人情報」をまかせることができるだろうか。何か問題があったとき、自分の情報なのに知らせてもらえないということが起きるのではないか。つまり、かってな「情報」があつめられるのにつかわれるのではないか。
 きっとそうだろうと思う。
 「縦割り110番」も不思議な仕組みだ。市民が行政機関に何かを要請する。しかし、ここの担当ではないなどという理由でたらいまわしになる。そういう苦情を市民がいちいち「110番」するのではなく、「縦割りでは限界、横との連携が必要」と判断したら、その「現場」が主体になって組織改変を上部に訴えていけばいいのではないのか。市民があそこの組織がおかしいと思ったとしても、それは組織全体がわかって言ってることではない。そういう苦情を受けた「110番」は、それが事実かどうか、現場に再確認するという作業も必要。つまり、「市民の声」なんかではなく、「現場の組織の声」をくみ取る能力がないから「縦割り」の弊害が起きている。役人が自分の仕事以外はしたくないという意識で働いているから起きている問題。それを、なんというのか、市民が声を上げないから改革が進まないというような「転嫁」をしてもらっては、困る。
 実際の「110番」を考えてみればいい。市民の力ではできないことを処理してもらうために「110番」する。市民間の問題を受け付けるのが「110番」。
 市民間の問題ではないこと(しかし市民から見て非常識と思うようなこと)、たとえば、佐川や黒川が退職金を受け取って退職するのはおかしい、と感じてそのことを「縦割り110番」に電話したとき受け付けてもらえるのか。安倍はそのたの閣僚たちは「財務省で適切に処理した。法務省で適切に処理した」と言うだけで、その「縦の内部処理」に追認している。そういう国家組織が、いったい、どんな「縦割り」を改善しようとするのか。どこまで国民の「声」を聞く気があるのか。よりいっそう「縦割りの既得権」を守るための奇妙な組織ができるのではないのか。

 問題は違うところにある。
 携帯料金の値下げなど、企業に言うのではなく、国民に対して「シムフリースマートフォンに切り換えると料金は三分の一以下になります」と言ってみればいい。「私はそうやって、携帯料金を節約しています」と菅が言えば、それだけで状況はかわるだろう。実際に、そういうことを言えば大手企業から営業妨害と言われるかもしれないけれど。
 私の書いていることは、社会の仕組みや政策に詳しい人から見れば「でたらめ」かもしれないが、私のような素人から見れば菅の言ってることは、やっぱり「でたらめ」。
 私は間違っていてもいいから、自分の身の回りで起きていることを中心に、自分で考えてみたい。読売新聞のように「菅がこう言っているから」ということを、そのまま信じることができない。







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安倍インタビュー(院政の始まり)

2020-09-18 09:34:33 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍インタビュー(院政の始まり)
   自民党憲法改正草案を読む/番外396 (情報の読み方)

 2020年09月17日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップに安倍のインタビュー記事。見出しは2本。(番号は、私がつけた。)

①衆参同日選「常に頭」
②外交特使 菅氏に協力

 何とも奇妙な見出しである。
 ①は回顧、②は展望である。
 「安倍氏へのインタビューは首相在職中の15日と退任後の17日の2回行った」と本文の最後に書かれているが、なぜ、そんなに急いでインタビューし、また、それを紙面に載せないといけないのか。安倍が何を考えてきたか、これから何をしたいかよりも、いまから菅が何をするかが問題なのに。
 だから、これは逆に読まないといけないのだ。
 安倍が菅をどう動かしたがっているか、菅に何をさせたがっているか。それを語っている、と。
 同日選については、こう書いてある。

 安倍氏は政権を奪回した2012年衆院選から国政選で6連勝した。3回行われた参院選のうち16年、19年は衆参同日選が取りざたされた。いずれも踏み切ることはなかったが、「首相の判断と決断の最たるものが解散で、あらゆる選択肢を考えた。同日選は常に頭にあった」と述べた。衆院選で負ければ政権を失う一方、「国民の支持を獲得できれば、政策の推進力を得ることができる」と説明した。

 1年の任期しかない菅には衆参同日選を実行できる機会はない。参院選は予定されていない。だから菅に「衆参同日選をしろ」とハッパをかけているわけではない。後半部分から「同日選」を省略してみる。

「首相の判断と決断の最たるものが解散。衆院選で負ければ政権を失う一方、国民の支持を獲得できれば、政策の推進力を得ることができる」

 つまり、安倍は菅に早く解散し、衆院選をしろ、と言っているのだ。いまなら「御祝儀投票」がみこまれるし、河井議員の判決が出る前に選挙ができれば、判決の影響も少ない。新聞報道などで見るかぎり、私には「有罪」としか思えない。安倍から1億5000万円調達してもらった議員が有罪になれば、どうしたって衆院選に影響は出る。そして、もしかすると河井議員夫婦の有罪は安倍、菅にも波及しかねない。判決前に菅自民党が大勝すれば、判決にも影響を与えられる考えているのだろう。
 衆院選早期実施という安倍の主張を「側面支援」するように、読売新聞は「始動 菅政権」という連載(1面)を始めている。その見出しが「コロナ・解散 両にらみ」である。でも、実際は「両にらみ」ではない。

 内閣発足直後の報道各社の世論調査では、内閣支持率が軒並み6割を超えた。首相は無派閥で自民党内の基盤が弱く、政策の推進力を得るためにも「早く衆院解散・総選挙に踏み切るべきだ」(閣僚経験者)との声が上がる。首相自身はコロナ収束前の解散に慎重な発言が目立つが、17日には実績のある選挙プランナーとホテルで朝食をともにし、永田町では早期解散の臆測も飛び交っている。

 ここでも、もっぱら菅にハッパをかけている。だから、衆参同日選があり得ないいま、インタビュー記事の見出しは、

衆院解散、総選挙を常に頭に

 という菅に向けたメッセージなのだ。同時に、自民党員に向けたメッセージなのだ。2月だったか3月だったか、うろ覚えの記憶しかないが、コロナ拡大のさなかに、安倍は自民党役員会で「議員は地元にかえって、選挙のためのアピールをしろ」と言っている。そして、実際、それにしたがって動いた議員もいる。読売も「注目の選挙区」のような連載をやっていた。
 ここで安倍がしゃしゃり出てきて「衆院選をしろ」というのは、何も菅の基盤を安定させたいからではない。実際に衆院選がおこなわれ、自民党が大勝したとき「ほら、ぼくちゃんが言った通りだろう」と言うためなのである。
 安倍は、自分が引退したことを忘れ、「いまなら勝てる」と思っているのだ。そして、菅を勝たせることで、いっそうの支配力を発揮しようとしている。「院政」を確立しようとしている。「院政確立」のために、想起の衆院選、自民大賞が必要なのだ。

院政、常に頭に

 というのが、安倍のいまの状態である。

 ②の「外交特使」については、1面では、こう書いてある。

「菅政権を支えるのが私の仕事だ。求められれば様々なお手伝いもしたい」と意欲を示した。トランプ米大統領やプーチン露大統領ら各国指導者との間で築いた親密な関係を生かし、外交特使などの形で協力する意向を示した。

 しかし、「外交特使」というものは、自ら進んでなれるものなのか。菅が協力を求めているという動きがあって、「協力します」、では「特使に任命します」というのふつうの展開なのではないか。「外交特使」といえばカーターが有名だが、あのときカーターは大統領をやめて、ふつうの市民だった。安倍は国会議員のままである。国会議員が外交の前面に出るなら、それは「外相」として働けばいいだけである。なぜ「特使」なのか。
 1面の記事を読んでいるだけでは、何がいいたいのかわからない。
 自分から「外交特使」をやりたいなどというのは、「一議員の権限」を超えているだろう。今後は「球拾いをしていく」と安倍は言うが、「外交特使」が「球拾い」なのか。
 しかし、2面の記事と結びつけて読むと、1面の見出しの「狙い」がわかる。
 2面には、こういう見出し。(番号は、私がつけた。)

①菅氏、外交も「安倍路線」
②手腕未知数 米中との関係課題

 「安倍路線」継承は、菅が言い続けていることだから、①の見出しは問題がない。単に菅の主張を紹介しているだけだ。
 問題は②の見出し。これは1面の安倍のインタビューと違って、菅の主張ではない。読売新聞の菅に対する「評価」である。

 菅首相は外交・安全保障政策で、安倍前首相の路線を継続する考えを明確にしているが、安倍氏が得意とした首脳外交に関する菅氏の手腕は未知数だ。

 と、書き出しでいきなり「未知数」という評価をしているが、その根拠はどこにも書かれていない。どんな経験を積んだ人間が首相になろうと、はじまったばかりの仕事の結果は「未知数」に決まっている。
 菅自身は、どう語っているか。

 首相はこれまで、安倍外交を官房長官として支援してきたが、ペンス米副大統領らと会談した以外に、外交の表舞台に立った経験は少ない。自民党総裁選の討論会では、トランプ氏ら外国首脳と良好な関係を築き、課題の解決を目指した安倍氏を念頭に「そうしたことは私はできない」と認め、「自分型の外交姿勢を貫いていきたい」と語った。

 これは、どう読んでも、「安倍流のトップ外交はしない。自分の姿勢を貫く」としか要約できない。外交課題の「方針」は「安倍路線を継承する」。しかし、外交スタイルは「安倍流を継承しない」。
 ここから見出しを取るならば、

②首脳関係 自己スタイル模索

 くらいだろう。菅の主張を見出しにとらず、はじまってもいないことにたいして「手腕未知数」と断定するのはなぜか。
 「未知数」の菅にまかせるのではなく、経験が豊富な安倍にまかせろ、と読売新聞は言っているのだ。安倍は「外交特使」に意欲を示している。安倍にまかせろ、と2面の記事で、1面の安倍の「意欲」を支持している。

 ここから整理すると、読売新聞は、安倍は衆院の早期解散を提唱している。外交問題については、菅にまかせるのではなく安倍にまかせた方がいいという「考え」を読者に浸透させようとしているのである。
 菅が考えていることよりも、安倍の考えていることの方が大事、と、いまでも忠実に「安倍よいしょ」をしているわけだが、問題は、その「よいしょ」を紙面を使って読者に押しつけていることだ。
 私は菅を支持しているわけではないが、このあからさまな菅無視、安倍尊重という姿勢には非常に違和感を覚える。あまりにも菅に対して失礼だろう。
 読者に対しても、菅の考えていることより、安倍の考えていることの方が重要と主張するのもおかしいだろう。
 それとも菅はお飾り、安倍院政が「始動」した、と読売新聞は言うのかもしれない。まあ、そうなんだろうねえ。
 そして、そうなんだろうなあ、と思うと同時に、やっぱり読売新聞は「正直」だねえ。知っていても「隠す」ということができない。安倍院政がはじまった。私はこんなに安倍のやりたがっていることを知っている、と宣伝せずにはいられないらしい。








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桜を見る会中止?

2020-09-17 11:50:04 | 自民党憲法改正草案を読む
桜を見る会中止?
   自民党憲法改正草案を読む/番外395(情報の読み方)

 つい先程「縦割り行政打破?」という文章を書き、その最後に、「縦割り行政打破」という旗印を逆に利用して、桜を見る会の問題を追及できるはず、というようなことを書いたのだが。
  2020年09月17日の読売新聞(西部版・14版)2面の見出し。

「桜を見る会」来年以降中止/首相表明

 という小さな記事がある。
 あっ、と叫んでしまった。

 首相は「安倍政権発足以来、政権が長くなる中で招待客が多くなったことは事実だ。会のあり方についてもいろいろと批判がある」と指摘した。その上で、「首相に就任して、この機に来年以降、桜を見る会は中止したい」と述べた。
 桜を見る会を巡っては、安倍前首相の後援会関係者が多数招待されていることが国会などで問題視され、政府は昨年11月、今年4月の会を中止することを決め、会のあり方の見直しを検討していた。

 この記事を読むかぎり、「桜を見る会中止」は「安倍政策」の「継承」そのものである。
 しかし、狙いは違うだろうなあ。
 「桜を見る会」問題を完全に隠蔽すること。もう開かないのだから、過去の問題など気にする必要はない。同じ問題は起きない、と言ってしまえる。つまり、これは「検証」の拒否なのだ。「桜を見る会中止」は「桜を見る会問題の再検討中止」なのである。
 そして、これには、私が先に指摘した「縦割り行政打破(見直し)」と関係があるのだ。
 問題を「縦割り」のなかだけで検討するではなく、外部を含めて関係を見直していくということであれば、どうしてもホテルニューオータニの資料(安倍事務所と取り交わした見積書、契約書、ホテル側のパーティー企画書、食材の発注書)などをつかって検証することも求められるはずである。
 それを封印してしまうのだ。
 「もうホテルニューオータニで前夜祭をすることもありません。だから調べる必要もありません」
 でも「過去」の検証と「未来」はどうするかは別問題である。
 
 読売新聞の記事だけでは、どういう「経緯」で菅が中止を表明したのかわからない。もしかしたら「やらせ質問」があったのかもしれない。「縦割り打破」との関係から追及されるのを避けるために、「縦割り行政」ということばはつかわずに、「森友、加計、桜を見る会問題については、どう対処するか」というような質問をさせ、「中止します」と表明することですべてを封印する作戦を取り始めたといえる。


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縦割り行政打破? 密告制度? 個人情報収集強化?

2020-09-17 09:58:18 | 自民党憲法改正草案を読む
縦割り行政打破? 密告制度? 個人情報収集強化?
   自民党憲法改正草案を読む/番外394(情報の読み方)

 2020年09月17日の読売新聞(西部版・14版)1面の見出し。

菅内閣 発足/「行政の縦割り打破」

 問題は、「行政の縦割り打破」のために、どういうことをするか、である。記事にこう書いてある。

 首相は(略)「行政の縦割り、既得権益、悪(あ)しき前例主義を打ち破って規制改革を全力で進める」と強調した。その一環として、国民から具体的な事例を通報してもらう窓口「縦割り110番」を設置する考えを明らかにした。電話や電子メールで受け付ける方針だ。

 この読売新聞の記事を読むかぎり、「縦割り110番」をどこに設置するのかがわからない。「どんなこと」を対象にするのかがわからない。そして、ここがいちばんの問題だと思う。
 「通報」はきっと「密告制度」にかわる。

 コロナ対策を思い返すだけでいい。感染したかもしれないという不安があっても「海外渡航歴がない、37・5度が4日つづいていない」などの理由で、何人もの国民が困っていた。「受診基準」は国が設置したものである。保健所を含む医療機関は、「国の基準に合致しないから診察・検査できない」と言い張った。
 「縦割り110番」がなかったから、この問題が改善できなかったのか。
 政府に、その声を聞く姿勢がなかったからである。国民の声は新聞やテレビで国に伝わっていたはずである。そして、そのとき「国民の声」を聞いた加藤は何といったか。「37・5度が4日つづかないと受診できない(4日はがまんしろ)というのは国民や保健所などの誤解である」と責任を国民と医療機関に押しつけた。加藤は、自分には一切責任がない、と言い張った。
 ここからわかることは、大事なのは、苦情の通報制度の確立ではなく、苦情に個別対応する現場の「自由度」であることがわかる。実際、和歌山県では、国の基準とは違う基準で対応し、感染者抑制に効果を上げた。現場にしかわからないことがある。現場にまかせる、いわば「権限の委譲」が必要なのだ。
 「国民の声(苦情)」を一括管理し、問題点の改善を上から指摘、指導するするというのでは、新しい「縦割り(基準)」ができるだけである。「37・5度以上が4日は、37・5度が2日」に変わるだけである。つまり「37・5度が2日つづいていないなら検査できない」と言い直されるだけである。体温には個人差がある。ふつうの体温が36度以下のひとにとっては37・5度がどんなものかが考慮されていないままである。

 こんな問題も考えてみよう。公園に、いろいろなものが捨てられている。家具、家電製品、腐った魚、医療品(注射器)。あの奇妙な黒い塊はテロリストがつくった爆弾? そういうものを見たとき、市民はどこに通報すればいいのか。通報を受けた部署は部署で、処理を別の部署おしつけないか。注射針があるなら、特別な注意が必要。もし爆弾ならば、ごみ収集車では処理できない。市でなかなか解決策が出ない。このとき国民が「縦割り110番」に電話したら、どうなるのかなあ。
 きっと、「ごみ問題は自治体の問題です。苦情は市役所にいってくれ」と言われるだけだろう。
 あるいは、こんな問題はどうだろう。米軍基地の近くに住んでいる。飛行機の音がうるさい。隣の家は防音窓が設置されたのに、自分の家には補助が出ない。基準の適応がおかしい。もっと柔軟に対応してもらいたい、というようなことを「縦割り110番」に通報したらどうなるのか。
 「そういう問題は受け付けていない」と鼻から拒否されるのではないのか。

 なんといっても、何が縦割りか、そのこと自体が国民にはわからない。「行政の縦割り組織構造」が国民にはわからない。どこからどこまでが「縦割り」内部の問題で、どこから「縦割り」を超える問題か、それがわからない。わかるのは、自分の苦情が「たらい回し」にされているということだけである。
 「縦割り行政(縦割り組織)」の問題点は、わざわざ「外部(国民)」の声を聞かなくても、その組織の内部で働いているひとならわかるだろう。こういう改善をしたいのだがと提案しても、それはよその部署の問題、という拒絶に出会うのは内部のひとだろう。国民の声を聞く前に、実際に働いている内部の声を聞くべきだろう。
 かつて田中角栄が大臣になったとき、該当の職員に、「提案(主張)があればだれでも直接私に言ってこい」と言ったそうだが、こういった「部署内部」の自由こそが大切だろう。「内部」の自由を高める必要があるのだ。「内部」の問題を「外部」の声を聞き、その声にあわせて上から改革しても内部の問題は複雑になるだけだろう。新しい「押しつけ」が生まれるだけだろう。
 だいたい菅のやろうとしていることは、「内部(下部組織)」の声を聞くということとは逆である。菅は「政府の方針に従わない職員は異動させる」と言っている。「他人」の声を聞かない、自分の主張に従わせる、と言っている。
 こういう人間が「縦割り110番」によせられる国民の声を聞くはずがない。国民に逆に何かを命令するだけだろう。命令を出すよりどころとして「縦割り110番」を利用するにちがいない。

 つまり、こういうことだ。
 「縦割り110番」が菅が打ち出している「デジタル庁」に設置され、メールで受け付けた「通報」が全部集約されるとする。マイナーバーとメールが結びつけられ、だれが、どんなことに対して不満を持っているかという情報が一か所に集められる。「苦情」というのは一回言えば解決するということはない。解決したように見えても新しい問題点が見つかる。そうすると再び「110番」する。それが積み重なると、ある人物がこういう不満を持っているということが徐々にわかり、それが「情報」として共有されることになる。(電話にしろ、電話番号は把握され、記録され、「情報」として共有されるだろう。)
 たぶん、これこそが菅の狙いなのだろう。
 「縦割り110番」という国民の意見を聞く組織を前面に出すことで、国民の「思想調査」をし、分類する。行政機関がどんな討議をし、どんな結論に達したかという記録、議事録は残さない。しかし、国民がどんなことを言ったかを、克明に記録し、集積する。国がやっていることは「情報公開」しない。しかし、国民のやっていることは「情報管理」する。
 そしてこのとき、「その問題は、縦割り110番で受け付ける問題ではない」と担当者が回答したとしても、その瞬間に誰がどんな苦情を言ってきたかということは抹消されるわけではなく、誰が何を言ってきたか、少なくとも誰が言ってきたかは記録として残る。そして、その情報は「不満分子」として共有されるようになるだろう。
 前川問題を思い出すべきだろう。前川の風俗店通いを菅は、どう説明したか。「風俗店」だけを強調したうえで、前川の人格攻撃をしなかったか。こういうことが、一般国民にまで広げられるのである。

 「縦割り行政」を改めるというのなら、まず、森友学園、加計学園、桜を見る会の問題から見直すべきだろう。「資料は廃棄した」と簡単に言うが、どの部署をの資料を廃棄したのか。財務省の資料だけを調べて「存在しない」というような対応の仕方はおかしいだろう。いちばんわかりやすいのが、桜を見る会である。各省庁経由で選ばれたひとがいるはずだ。資料は分散しているはずだ。ホタルニューオータニにも資料があるはずだ。ホタルニューオータニは「民間企業なので、対象外」というのであれば、それこそ「縦割り」の考えだろう。
 国会では、野党には、この「縦割り」を武器にして、菅を追及してほしい。「縦割りを打破すると言ったのだから、まず、いまやっている縦割りでの認識を再点検する(別の角度から点検する)」をすべきだと追及してほしい。



*

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「石破阻止」を言い換えると?

2020-09-16 09:15:48 | 自民党憲法改正草案を読む
「石破阻止」を言い換えると?
   自民党憲法改正草案を読む/番外393(情報の読み方)

 2020年09月16日の読売新聞(西部版・14版)3面に、自民党総裁選の「検証」が載っている。

「石破阻止」安倍首相動く/「後継は菅氏」麻生・二階乗る

 書かれていることに「新鮮味」はない。「検証」とは言うものの、既報のことがらを並べなおしただけである。
 こういうときは「検証」そのものを「検証」してみる必要がある。

 まず、見出し。
 ここには、ひとの名前しか出てこない。石破、安倍、菅、麻生、二階。これは何を意味するか。「人間関係」で総裁を選んだということである。「政策」を支持して菅が選ばれたわけではない。
 読売新聞は、とても「正直」なので、こういうことを隠せない。「事実」を書いてしまう。だから、おもしろい。
 記事では、どうなっているか。
 前文には、こう書いてある。(番号は私がつけた。)

 14日投開票の自民党総裁選では、安倍首相が菅官房長官を事実上、後継指名し、圧勝へと導いた。①首相は「反安倍」を鮮明にする石破茂・元幹事長の勝利を阻止することを重視し、②支持拡大が望めない岸田文雄・前政調会長よりも③自らを支え、実績を積んできた菅氏を選んだ。(政治部 藤原健作、阿部真司)

 ①「石破阻止」という見出しの要素が要約されている。「反安倍」が石破の定義なのだが、具体的にはどういうことか。記事を読み進むと、こう書いてある。

石破氏は森友・加計問題の再調査や、沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について再検討を行うことを主張するなど、「安倍路線」の転換を訴えていたためだ。

 森友・加計問題再調査、辺野古移設再検討。「再」としか書いていないが、この「再」をとりあげて読売新聞は「反」と言い直していることになる。
 「再」だけでは「反」にならないことは、たとえば「再選」ということばを見るだけでもわかる。「再」が「支持」を意味することがある。
 だから、「再」を「反」と言い直すときには、そこに隠されている何かがある。「再」調査、「再」検討すると、「反対(いままで言われていることとは違ったもの)」のものが出てくることを読売新聞は知っているのである。
 知った上で「再調査阻止」ではなく「石破阻止」と言い換えることで、問題になっていることを「事実」ではなく「人間関係」にすりかえている。
 見出しを、

 森友・加計再調査阻止へ安倍首相動く

 とかえてみると、①の部分が明確になる。「石破阻止」ではないのだ。そして、それは「安倍」と「阻止」を使って言い直せば、「安倍逮捕阻止」なのだ。安倍は自分が逮捕されないようにするために菅を選んだということだ。
 なぜ、菅か。菅は、安倍と同じ「きず」を持っているからである。石破について触れた部分では書いていないが、菅については、こう補足している。

自らが入閣を後押しした菅原一秀経済産業相と河井克行法相が昨年10月に不祥事で相次いで辞任に追い込まれるなど、菅氏の求心力は低下した。

 明確には触れていないが河井はいま公判中である。妻の河井案里の選挙違反で、ふたりは起訴されている。そこには1億5000万円の資金提供問題が関係している。この1億5000万円問題は安倍の問題であると同時に菅の問題である。安倍が逮捕されたとき、菅も逮捕されるかもしれない。安倍が逮捕されないなら、菅も逮捕されないだろう。二人は「一心同体」なのだ。
 こう考えると、読売新聞の見出しは、

「安倍逮捕阻止」安倍首相動く

 と言い直すこともできるのである。そして、たぶん、これがいちばん正しい「裏事情」だと私は読んでいる。菅は自分が逮捕されないためにも、総裁になるしかなかったのである。安倍の引きずっている問題を「継承」し、隠し続けるしかないのである。
 前文にある「自らを支え、実績を積んできた菅」というのは、安倍が逮捕されないように支え、そういう実績を積んできた、という意味である。そして、それはそのまま菅の利益でもあったのだ。 
 菅は「自助・共助・公助」ということばを総裁選のとき持ちだしていたが、それは国民の側からみれば「自己責任・共同責任」のおしつけであり、国は何もしないと言っていることになる。菅は「安倍の自己責任」を「安倍と菅の共同責任」として受け止め、それを「国の責任」と自覚するから、隠蔽へと必死になるとも言える。菅も逮捕されたくないだけなのだ。

 ②に出てくる岸田は、読売新聞の見出しにはない。総裁選に出馬しているのに、石破、菅はあっても岸田はない。ここにも「秘密」がある。

 首相は「岸田氏では石破氏に勝てない」と危機感を強めた。総裁選では、出身派閥である細田派に加え、麻生派が岸田氏を支援しても、二階派や竹下派が石破氏支持に回れば、地方を中心に人気のある石破氏に軍配が上がりかねないためだ。

 二階、竹下派が岸田を支持すれば石破に勝てる。でも、支持を見込めなかった。なぜが。前段がある。

 岸田氏の評価は4月以降、下降線をたどっていた。新型コロナウイルス対策の現金給付を巡っては、実績作りにと岸田氏に取りまとめを任せたものの、調整は難航。給付額は二階幹事長や公明党の意向によって、「1世帯30万円」から「1人10万円」へと覆された。

 二階が岸田を評価していないことは明らかである。
 そして、それよりも重要なのは、二階は、二階の支持によって岸田が首相になるか石破が首相になるかのキャスティングボードを握っていると自覚していることである。安倍の認識は二階の認識でもある。
 だからこそ、いち早く菅支持を打ち出して、主導権を握ったのだ。
 岸田のことは二階にはどうでもいい。たぶん石破のこともどうでもいい。安倍が二階が石破支持に回ったら岸田は勝てないと思ったくらいだから、二階はもともとどっちつかずというか、自分のことしか考えていない。「幹事長」でいつづけるために菅を支持したということだろう。
 前文に出てこない麻生はどうか。

麻生氏は首相だった2009年7月、農相を務めていた石破氏と与謝野財務相(当時)から退陣を迫られた因縁がある。

 石破が総理になれば、麻生は大臣でいられなくなる。そう読んだのだ。菅で麻生と二階が同一歩調を取ったのは、自分の「地位」を守るためである。
 だから、ふたりとも「菅内閣」で再任されることが固まっている。

 どこかで読んだことがあるが、中国人は金で動き、韓国人(朝鮮人)は思想で動き、日本人は政治で動く、ということばがある。最後の「政治」は「人間関係」のことである。ひとを利用して自分を守る、ひととのつながりでものごとが決まる。
 安倍は都知事選の最中に「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と言ったが、そのことばのなかにあらわれた「排除」の考え方、「あちら」と「こちら」をわけて、人事によって「こちら」を強化する。
 そういう「人事(政治)」がこれからさらに強くなるのだ。菅はすでに内閣の方針に従わない官僚は異動させると言っている。「異動」とは人事そのものである。

 もう一度、読売新聞の見出しにもどってみる。ほんとうは、何があったのか。

「人事優先」安倍首相動く/「再任密約」麻生・二階乗る

 なのである。「人事優先」だから、石破の「政策優先/事実尊重」は阻止されたのだ。人事と理念や事実は相いれないときがある。そのとき人事を優先するというのが日本の「政治」なのだ。そのことをきょうの読売新聞は強調していた。見出しに出てきたのはひとの名前だけなのだから。

 しかし、傑作である。デジタル版で読むと、この作文(記事)の見出しの前に、【独自】と書いてある。こんなことを「特ダネ」とわざわざ言うなんて。総裁選の裏側を知っているというよりも、新内閣の「人事の裏側」を知っている、といいたいんだろうなあ。だって、菅が総裁に選ばれたあと、どうして菅が選ばれたよりも、内閣の顔ぶれはどうなる?の方に読者の関心は行ってしまっている。1面のトップも「内閣人事」である。「内閣人事の裏側検証」と書けば「特ダネ」なのに、そう書くだけの度胸がないのが、読売新聞の「正直」なところだね。









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菅はなぜ圧勝したか

2020-09-15 09:20:18 | 自民党憲法改正草案を読む
菅はなぜ圧勝したか
   自民党憲法改正草案を読む/番外392(情報の読み方)

 2020年09月12日の読売新聞(西部版・14版)3面に、自民党総裁選の「分析」が載っている。

菅氏 地方でも浸透/石破氏 人気に陰り/岸田氏 知名度不足

 選挙結果報道のときつかわれる「浸透」「人気に陰り」「知名度不足」がそのままつかわれている。これは何を意味するか。読売新聞は「分析」などしていない。ただ過去に書いた「分類」にあわせて、ことばを振り分けているだけである。
 なぜ、「浸透」したのか。あるいは何が「浸透」したのか。
 もっぱら菅が秋田(地方の)農家の出身、段ボール工場で働いて学費をためて大学へ行った「苦労人」であるという「苦労人の経歴」が「浸透」したのである。石破、岸田にはこの「苦労人の経歴」がない。
 でも、なぜ「浸透」した? そう宣伝したからである。菅自身も語っているが、菅を支持する人間が、それを巧みに宣伝したのである。これにマスコミも加担している、と指摘するのは簡単。そんなことは、もう指摘しなくても「事実」として明白になりすぎている。

 私は、少し別のことを考えた。これから書くのは、その別のこと。

 今回の総裁選には「コロナ対策」が影響している。菅はしきりに「コロナ対策」で安倍の政策を「継承」すると言ったが、それよりももっと「無意識」に近い部分で「コロナ対策」が影響している。
 「コロナ対策」でしきりに言われているのが「3密回避」。極端に言えば大勢の人が一か所に集まって、しゃべるな、ということである。一度に狭い場所に、集まり(接触し)、話し、許されるのは数人まで。これを逆に言えば、少人数の会合だけが許されていることにある。これがいちばんのポイント。
 菅はどうして総裁候補として急浮上したか。二階が手を回し、安倍、麻生らと「密会」したからだ。「狭いところで、集まり、話す」という点では問題があるが、大勢ではない(密集しない)という点では問題を回避している。密集しないために、何をするか。「大勢のひとを排除する」のである。 多様な意見を排除するのだ。
 選挙結果というのは、大勢の人の意見の反映(結集)であるけれど、それが結集されるまでの過程に大きな問題があったのだ。大勢の人、多様な意見は排除されていたのだ。
 数人の意見だけが交換され、そこで「菅候補」が決まり、それが派閥を通じて国会議員に伝達され、さらに地方に伝達される。それが読売新聞の書いている「浸透」のほんとうの意味である。菅、岸田、石破が地方を遊説し、大勢の人と意見をかわすなかで菅の意見が「浸透」したわけではない。地方遊説はなかった。「地方の集会」は最初から排除されていた。それぞれの候補の「ことば(政策)」は最初から排除され、だれを総裁にするかという決定だけがあったのだ。
 こういうことが可能だったのは、いまが「コロナ感染期間」だったからである。「3密」を避けるということが「政策」としてあったからだ。
 民主主義というのは多様な意見の反映であると定義するならば、今回の総裁選は民主主義とはまったく相いれない形でおこなわれた、単なる「多数決」の儀式である。しかもそれは「議論(多様な意見の発表)」を排除した形でおこなわれた。「議論」なしの「多数決」は民主主義ではない。「多数決」と「民主主義」は同義ではない。問題なのは、「多数決(選挙)」で決まったから、その決定は「民主主義」に合致しているという主張がまかり通るところだろう。

 ここから、今後の問題を予測してみよう。
 菅は「縦割り行政をやめる」と言っているが、たぶん逆だろう。「縦割り行政を強化する」。そして、そのとき、その「行政」を決定するのは菅を誕生させた「密室協議」なのである。自分の利益だけを守ろうとする二階、麻生、安倍らがあつまり「政策」を決定する。それを実行するためにいままでの「縦割り組織」を無視する。都合のいいように、そのつど組織を変える。簡単に言うと、「そういうことは、この組織ではできません」と官僚が反対すれば、その官僚は異動させられる。菅ははっきり「内閣の政策に反対の人間は異動させる」と明言している。
 国民の利益を考えるひとがいなくなる。菅を頂点とする「内閣(閣僚)」の利益だけを考えるシステムが、より完璧な形で完成するということだ。
 「政策決定」の「議事録」はつくらない。どういう議論が展開され、どういうことが検討された結果、そういう政策になったかは秘密にされる。「決定事項」だけが存在する。つまり「独裁」が完成する。安倍の狙っていたのが、「安倍の独裁」であったのに対し、菅は「派閥合同の独裁」を推進することになる。いままでは、官僚が安倍のために働いてきたが、これからは「派閥の首領」のために官僚は働かされる。「派閥の首領」はひとりではないから、どうしてもそこにはなんらかの「食い違い」のようなものも存在してしまうだろう。そういうものを解消するためにも官僚は働かされる。国家公務員は、もう、国民の方を向いて仕事をしている時間はなくなる。ただひたすら、「派閥首領」の方を向いて仕事をする。反対意見を言えば、別の部署へ異動させられるからね。
 これが、地方の組織にまで「浸透」させられる。上から押しつけられる。

 派閥の首領が所属する国会議員に何を言ったか、「記録」は公表されていない。さらに派閥の首領から命令された国会議員が、地元の県連にどんな指示をだしたか「記録」は公表されていない。しかし、わかることは、ある。各県で自民党員が大会を開き、意見を戦わすということはなっかった。民主主義の基本である多様な意見は、存在を封じこめられていた。
 地方に「浸透」したものがあるとすれば、「上意下達」というシステムの強化だけである。それは読売新聞の見出し、「岸田氏 知名度不足」ということばからだけでもわかる。外相もつとめた人間を知らない自民党員がいるとは思えない。知名度そのものについていえば、菅も岸田も石破もかわらないだろう。「石破氏 人気に陰り」というのも変である。むしろ「菅に反抗すると怖い」という恐怖心が地方にまで蔓延した。石破はその恐怖心に対抗するための方策を示せなかったということだろう。
 いまは「人気」ではなく「恐怖心」の方がひとを支配している時代なのだ。コロナ感染は怖い、失業は怖い。権力者にはすがるしかない。まるで、患者が医者に頼るしかないように、国民は政権に頼るしかないという状況を作り出し、支配する。そういう政治が、これからますます強まっていく。

 どう対抗するか。
 民主主義とは「ことば」である。政治が「ことば」であるように、民主主義のよりどころは「ことば」である。自分の「ことば」を話し続ける、書き続ける。「3密」回避ではなく、「ことば」を中心に「密」を作り出していくことが必要だ。










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菅へのよいしょ(読売新聞の場合)。

2020-09-10 10:04:52 | 自民党憲法改正草案を読む
菅へのよいしょ(読売新聞の場合)。
   自民党憲法改正草案を読む/番外390(情報の読み方)

 2020年09月09日の読売新聞(西部版・14版)は1面。自民党総裁選告示を伝えている。見出し(レイアウト)が特徴的だ。

菅氏「規制改革進める」/3氏出馬14日選出 論戦スタート

という大きな見出しがあって、前文がある。それから

岸田氏 格差是正 石破氏 社会変革

 私に投票権があるわけではない。大半の国民も投票権を持っていないだろう。しかしまがりなりにも「選挙」である。いくら菅が圧勝するとわかっているにしろ、見出しの大きさをここまで差別的にあつかうのはどういうものなのだろう。
 見出しも見出しなら、記事の量も遥かに違う。菅の主張は38行つかって紹介しているが、石破、岸田はふたりあわせて8行。
 いわゆる「公平性」からはるかに遠い。自民党総裁選が告示されたと読むのではなく、読売新聞はここまで菅氏に肩入れしている、と読めばいいだけなのかもしれないが。

この傾向は09月10日もかわらない(西部版・14版)。1面に「続報」がのっている。

菅氏「不妊治療に保険適用」/岸田・石破氏と討論

 この見出しだけでは、菅は「不妊治療に保険適用」と言ったが、岸田・石破は保険適用に反対と言ったかのように受け取られてしまう。
 「少子化対策」はたしかに「安倍政策」の「継承」と言えるのだろうけれど、「少子化」というのは「不妊治療」がいちばんの問題なのだろうか。
 私は違うと思う。
 「少子化」が改善しないのは、「医療」の問題がいちばん大きいのではなく、「子育て」の環境がととのっていないということだ。子供を産んでも、いまの仕事をつづけられるか。子供の養育と仕事を両立できるか。子供の教育費を捻出できるか。いろいろな不安(特に経済不安)があって、子供を産むことを断念しているひとがいる、ということではないのか。
 考えてみればいい。妊娠・出産・育児の期間、会社から、働いているときと同じ給料が出るなら、多くのひとは子供を産むことに消極的にはならないだろう。給料の完全保障は「理想」にすぎないが、最低限、もとの職場、もとの「地位」に復帰できる保障(復帰後も、異動されない保障)が確立されていれば、出産するひとは増えるだろう。子供が自立するまで、育児をサポートする体制をととのえる、教育費・医療費の完全無償化を進めれば、さらにこどもを産み、育てたいと願うひとは増えるだろう。
 いろいろな環境をととのえた上で、「子供を産み、育てたいけれど、妊娠できない」という人に対しての「不妊治療」を進めるべきなのだ。不妊治療をいくら進めても、その後の労働環境、育児環境がととのえられないかぎり、「出生率」は上がらないだろう。
 「妊娠」さえすれば、子供が増える、という視点は、女性を「出産」のための存在と見ていることにはならないだろうか。「妊娠」も大事だが、「出産」後、つまり「育児/教育」も大事なのである。「少子化」は、そういう問題をふくめて解決しないといけない。
 これは、また「のぞまない妊娠」という問題ともむすびつけて考えるとわかることでもある。性被害にあって妊娠した女性、避妊しなかったために妊娠してしまった女性もいる。その人たちをどう救済し、支援していくか。
 「少子化対策」と「不妊治療」は重なる部分もあるが、それがいちばんの重要な問題ではない。

 こういう「だれも反対しない政策」を掲げ、あたかも菅だけが「不妊治療に保険を適用する」という方針を打ち出していると報道するのは、「討論」を矮小化するものだ。
 私は討論会を見ていないのでわからないが、石破にも岸田にも、「だれも反対しない政策」を主張しているなら、それを見出しにとり、三人の主張のうちどれがいちばん大事かを読者に判断させる工夫をしないことには、菅を当選させるために書いている記事ということになってしまう。いくら菅の当選がわかりきったことであるにしても、「選挙報道」としての妥当性を欠いているだろう。
 ちなみに、石破と岸田の発言を見出しにとるとしたら、どうなるか。3人の主張を、読売新聞の記事をもとに、届け出順に並べてみる。(読売新聞は、ふつうの選挙では「届け出順」に紹介するが、総裁選はそうしていない。これは「恣意的」である。)

石破「拉致問題解決へ日朝に連絡事務所」
菅「不妊治療に保険適用」
岸田「地域格差是正へデジタル化推進」

 並べてみると、討論会とはいいながら、ぜんぜんかみ合っていない。こんな討論会を「要約(紹介)」するのに、菅の主張だけを見出しにするのは、あまりにも恣意的だろう。



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