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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy Loco por España(番外篇467)Obra, Jesus Coyto Pablo

2025-03-19 21:37:45 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo 

 Los cuadros están pensados ​​para colgarlos en la pared y contemplarlos. Pero me gustaría ver este cuadro en el suelo. En lugar de mirarlo desde el nivel de los ojos, me gustaría mirarlo desde arriba.
 Creo que la razón por la que me sentí así probablemente está relacionada con el clima de este año. Este año el frío ha durado más de lo habitual. Cayó nieve en mi ciudad, Fukuoka también.
 Lo que se representa en este cuadro es una flor que se ha abierto a través de la nieve acumulada. La vida está explotando de una vez. Debido a esto, el color no puede tomar forma. No puede convertirse en un pétalo, un tallo o una hoja. Sin embargo, tiene el poder de romper aquello que aprisiona la vida. Todos los colores son muy fuertes.
 El suelo es negro, frío y húmedo. En lo profundo de la nieve que lo cubre, se pueden ver los distintos colores de la vida. La nieve atormenta cruelmente esa vida. Sin embargo, la primavera está a la vuelta de la esquina, triunfido el frío y rebosando de colores de vida.

 Cuando era niña, me encantaba ver las flores florecer en la nieve. Recuerdo observar la nieve derretida y preguntarme de qué color sería la próxima flor nueva.

 絵は、壁につるして見るものである。しかし、この絵を、私は床において見てみたい。視線の高さで見るのではなく、上から見下ろしてみたい。
 こんな気持ちになったのは、たぶん、今年の気候と関係する。今年はいつもよりも長く寒さがつづいている。私の街、福岡にも雪が降った。
 この絵に描かれているのは、降り積もった雪を突き破って開いた花だ。いのちが、一気に爆発している。そのために色は形になりきれない。花びらや、茎や、葉になりきれない。ただ、いのちを閉じ込めるものを突き破る力だけがある。
 土は、黒く、冷たく濡れている。それをおおう雪の奥には、いのちのさまざまな色が見えている。それが一斉に爆発する春は、もうすぐだ。

 私はこどものころ、雪を突き破って開く花を見るのが大好きだった。次に新しく飛び出す花はどんな色だろうと思い、解け始める雪を見ていた記憶がある。

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小倉金栄堂の迷子(1)

2025-03-18 22:43:21 | 小倉金栄堂の迷子(メモ)

小倉金栄堂の迷子(1)

 「ことばが逃げ出した」。夢のなかへ、顔色をうかがうことが得意な「ことば」が密告しに来た。駆けてきたらしく、やっと、それだけを言った。私は、雪道で転び、大腿骨を骨折し、手術の麻酔のあいまいな意識のなかで、そう知らされたのだった。「どのことばだ」と私は聞き返したが、麻酔の夢から覚めると同時に、密告した「ことば」は消えてしまい、同時に「こたえ」も消えたのだった。

 しかし、私にはわかった。「あのことば」に違いない。小倉金栄堂の二階、売れ残っていた『廃棄された詩のための注釈』だったか『廃棄された注釈のための詩』だったか、タイトルははっきりとは覚えていないが、その本に、栞のようにノートの切れ端が挟んであり、そこに書いてあった「あのことば」。
 活字のように正確な文字。群青のインク。メモというよりは、テキストを筆写したような揺るぎない筆跡。私は、その五文字を記憶すると、紙片を破いてポケットの中に入れ、書店を出ると、側溝に捨てた。雪の季節で、それは雪のように舞った。服のなかに忍び込んだ雪が、服を揺らすとこぼれるように。

 「あのことば」は、私が手術で歩けないと知って、つまり追いかけることができないと知って、逃げ出したのだ。だからこそ、私は行かなければならない。小倉金栄堂へ行って、「あのことば」をつかまえ、印刷し、私の詩集に閉じ込めなければならない。なぜなら、「あのことば」は私のものではなく剽窃したものだからだ。そのままにしておくと、「あのことば」は「私は剽窃された。私のいる場所はここではない」と大声を張り上げるに違いない。

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Estoy Loco por España(番外篇466)Obra, Joaquín Llorens

2025-03-18 21:49:19 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

 A mí me parece que las obras de Joaquín han cambiado un poco respecto a antes.
 Los movimientos son suaves y naturales. Siento como si el hierro se hubiera movido naturalmente, o más bien, hubiera crecido naturalmente como las flores y las plantas, tomando su forma actual.
 En otras palabras, la forma que veo aquí no son las formas finales, sino que continuarán creciendo y cambiando. Cada parte está atenta al crecimiento (movimiento) de las otras partes, todas trabajando hacia un todo mayor.
 Hay una flexibilidad oculta en el proceso de cambio que sólo poseen las cosas capaces de cambiar.
 Por eso, aunque están hechos de hierro, percibo su suavidad en lugar de su dureza.

 Joaquínの作品は、以前と比べると少し変化してきたように感じられる。
 動きがしなやかで、自然である。鉄が自然に動いて、というより、まるで草花のように自然に育って、いまある形になったように感じられる。
 別のことばで言えば、ここにある形は、これが完成形ではなく、これからさらに成長し変化していく。それぞれの部分が、他の部分の成長(動き)に気を配りながら、全体としてさらに大きな形を目指している。
 変化していく過程、変化することができるものだけが持つ秘められたしなやかさがある。
 鉄なのに、固さよりも、鉄の柔らかさを強く感じるのは、そのためである。

 

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こころは存在するか(47)

2025-03-17 23:19:02 | こころは存在するか

 大岡昇平全集6(筑摩書房)『事件』。映画にもなった作品。166ページ。

金田町という都市隣接町村の生活の姿全体が、事件の背景として、浮かび上ってきた。これこそ菊地の望んでいたことであった。

 「全体」ということばに注目した。
 「全体」がなくても意味は通じるが、大岡は「全体」ということばをこそ書きたかったのだと思う。この部分は、弁護士・菊地の「思い」なのだが、それは同時に大岡の「思い」そのものだと思う。
 大岡は「野火」「俘虜記」を書いた。それは戦争の「一部」であった。個人的体験であった。戦争の「全体」ではなかった。だから、大岡は、あの『レイテ戦記』を書いたのである。もちろん『レイテ戦記』が、日本が体験した「戦争全体」ではない。しかし、大岡が体験した戦争の「全体」と言えるだろう。(アメリカ、マッカーサーの思いを含んだ「全体」も、作品の最後で触れられてはいるのだが。)
 「全体」のなかで、個人がどう動いているか。個人の動きは「全体」とは切り離せない。
 「こころ」というものがあるとしても、それは「個人」の思うがままではない。「全体」からの影響を受けている。そして、それはもしかすると「個人のこころ」ではなく、「全体があってのこころ」かもしれない。
 しかし、そうだとしても、それは「全体への責任転嫁」にはならない。「全体の問題」であって「個人の問題」ではない、とは言えない。

 大岡昇平の文章が厳しいのは、常に「全体」をとらえようとしているからだ。

 この大岡の文章でおもしろいのは、その「全体」の上に「姿」がついていることである。「姿全体」。「姿」というのは、ちょっと強引な言い方になるが「こころ」ではない。「生活のこころ全体」(生きている人間のこころ、思い、考え、思想全体)ではなく「姿全体」と大岡は書く。
 「姿全体」は「慣用句」かもしれないが、慣用句だとしても、そこに「こころ」よりも「客観的」な「姿」ということばを選びとっているところに、私は大岡昇平の「視線」(肉眼の動き)を感じる。

 

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犬丸治「歌舞伎座『三月大歌舞伎』」(2)

2025-03-12 14:22:17 | その他(音楽、小説etc)

犬丸治「歌舞伎座『三月大歌舞伎』」(2)(読売新聞、2025年03月11日夕刊、西部版・4版)

 歌舞伎で何を見るか。歌舞伎をほとんどみたことがない私が、歌舞伎の批評を書き続けている犬丸の文章を批判しても無意味かもしれないが、少し補足しておく。
 きのう引用した文章の前に、次の文章がある。

白装束姿で切腹する菊之助の判官=写真右=が清冽で、客席も粛然と、咳ひとつしない。

 さて、この「清冽」「粛然」を引き出したのは「白装束」だけなのか。それでは芝居を見たことにならないだろう。
 写真を見ればわかることだが、菊之助の腰が少し浮いている。ここに芝居のポイントがある。切腹は座ってやるものだが、菊之助は腰を浮かせている。なぜか。ほんとうに力を入れるには正座のままでは無理がある。力を込めるには全身の力が必要である。そのために、自然と、腰が浮く。足に力を入れると正座したままではいられなくなるわけである。菊之助の「全身にこもる力」が「清冽/粛然」を引き出しているのである。
 そして、それが「全身の力」であるからこそ、刀を握った手は(指は)力がこもりすぎて、切腹が終わった後も刀から離れない。「全身の力」が指を硬直させている。それほどまでに「全身の力」がこもっている。
 だからこそ、松緑の由良之助は、その指をほどこうとして、撫でるのである。
 松緑の指、菊之助の指は、よほどいい席でないと、それが見えないだろう。しかし、正座から腰を浮かし、足に(全身に)力を込める動き、その肉体のありようは、劇場のどこからでも見えるだろう。菊之助は、それを見せている。そして、その動きに「清冽/粛然」が呼び寄せられるのである。だから緊張して、咳もしなくなる。役者の「肉体」の動きに観客の「肉体」が反応するのである。
 芝居(舞台)は、「頭」で見るものではなく、「肉体」で見るものである。観客の「肉体」が舞台に参加したとき、「劇場」は生きる。その体験を味わうために、観客は「劇場」へ行くのだと思う。その興奮がなければ劇場へ行く意味がない。

 指の動き(手の動き)で思い出すのは、団十郎の「俊寛」である。(だと、思う。はっきり覚えていないが、何やら写真を見た記憶がある。)俊寛が島を去っているひとを見送るシーン。崖の上。手を伸ばして、別れを告げている。このとき、団十郎は手で(指で)芝居をしているのだが、これが効果的なのは、崖の上、中空に存在するのは、彼の手(指)だけである。観客は、その手の動きに吸いよせられる。それを「見てしまう」。それしか「見えない」。観客の視線を集中させて、観客の目がはっきり手を見ることを知って、指で、手で演技する。それは松緑が菊之助の指に触れる演技とはまったく違うのである。
 団十郎は、手、指の動きで「全身」にこもる悲しみを表現する。菊之助は「腰(全身)」の動きで指にこもる力を表現する。その表現の差に、歌舞伎の(あるいは芝居の)醍醐味がある。
 (読売新聞の写真は、菊之助が腰を浮かしているシーンをとらえているが、トリミングがへたくそである。松緑の左半身をカットすれば、読者の視線は菊之助に集中する。菊之助の肉体の動きが鮮明になる。そうすれば、迫力が出るはずである。臨場感が出るはずである。)

 批評の末尾。これは前回触れなかったが、ここも傑作である。

「引揚げ」では、尾上菊五郎の服部逸郎が義士一同を馬上から見送り大団円。

 これも読売新聞には写真が載っているのだが、なんとも「締まり」がない。義士はばくぜんと座っているだけで「肉体」を感じさせない。彼らは芝居をしていない。衣装を着ているだけである。菊五郎にしたって、馬に乗っていなかったら義士に紛れ込んでしまいそうだ。(だから馬に乗っているのだろう。)つまり、まったく芝居をしていないのだ。
 写真で見る限り、馬子が「目立ってはいけない」と必死になって姿を隠そうとしているが、それが逆に目立ってしまう。それくらい奇妙である。
 このあたりの問題、さらには「台詞回し」についての言及もほしい。犬丸の今回の批評には「声」のことが何も書いてない。「声」は、その場で消えてしまう。その瞬間にしか存在しない。それについて言及できるのは、その場に立ち会った人間(観客)だけなのだが、台本(というのかどうか知らないが)と写真を見れば書けるような批評は批評とは言えないだろう。

 

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犬丸治「歌舞伎座『三月大歌舞伎』」

2025-03-11 16:33:37 | その他(音楽、小説etc)

犬丸治「歌舞伎座『三月大歌舞伎』」(読売新聞、2025年03月11日夕刊、西部版・4版)

 私は歌舞伎をほとんど見たことがないし、その批評もほとんど読んだことがない。きょう紙面を開いたら、いつもの倍くらいのスペースで批評が載っていた。「仮名手本忠臣蔵」についての評である。私が、それを読んでみる気になったのは、ひとつはいつもより広いスペースをとっていることと、私が日本語を教えている生徒(アメリカ人)が日本文化に関心を持っていて、歌舞伎・人形浄瑠璃で「仮名手本忠臣蔵」を取り上げたことがあるからだ。いま彼はアメリカにいて、今度来日したとき、これを教材につかってみようと思ったからである。
 ちょっと前置きが長くなったが。
 犬丸治の書いている批評には「菊之助と松緑 主従の絆鮮明」という見出しがついている。これは、まあ、なんとも「適切」な見出しなのだが。そして、この歌舞伎のポイントをついたものなのだが。あ、これでは「仮名手本忠臣蔵」を勉強するときに役に立つ、アメリカ人相手に説明するのに役に立つとは思っても、ちょっと「味わう」という感じにはなれない。
 こんな批評で、歌舞伎ファン、あるいは歌舞伎を演じている役者は満足なのか。ハイライトの部分は、ここである。菊之助の判官が切腹する。そのときの菊之助、由良之助を演じる松緑の演技を、こう書いている。

判官に後事を託されて胸を叩き、死してなお切腹の刀を放そうとしない判官の指を優しく撫でるあたり、主従の思いがにじむ。ひとりの男が主家断絶という思いがけぬ事態に投げ込まれ、仇討ちの覚悟を固めていく姿が鮮明だ。

 もしこのシーンで、主従の絆が鮮明に伝わってこなかったとしたら、それは芝居ではないだろう。それは「台本」を読んでも伝わってくるものだろうし、なんといっても日本人にはなじみのあるストーリーなので、このシーンは主従の絆を象徴的に描いていることは観客のみんな(私のように歌舞伎をほとんど見たことがない人間)にもわかりきっていることである。犬丸が書いているような批評では「役者」が見えてこない。歌舞伎(芝居)はストーリーを確認するものではない。役者を見るものである。役者の肉体を見て、自分の肉体が反応するのを楽しむものである。
 「判官の指を優しく撫でる」と犬丸は見どころを的確にとらえているが、その「優しく撫でる」が、ほかの役者とどう違うのか。その「撫で方」を見て、犬丸の「肉体」がどう反応し、それが犬丸の「感情」をどう揺さぶったかを書かなければ批評とは言えないだろう。
 そこに「主従の思いがにじむ」のは、当たり前のことであって、もしそのシーンから「主従の思い」が感じられなかったとしたら、それは、よっぽど芝居が下手なのだ。「主従の思いがにじむ」という、見なくても書けるような批評ではなく、劇場でみなければわからない「主従の思い」を犬丸が、役者の「肉体」にかわって、犬丸自身のことばで書かないと批評とは言えない。
 「仇討ちの覚悟を固めていく姿が鮮明だ」というような、抽象的なことばではなく、「どんな具合に鮮明なのか」を具体的に書かないと、役者に対して失礼ではないのか。
 今回は菊之助と松緑が演じているが、これがほかの役者の場合でも、犬丸は「判官に後事を託されて胸を叩き、死してなお切腹の刀を放そうとしない判官の指を優しく撫でるあたり、主従の思いがにじむ。ひとりの男が主家断絶という思いがけぬ事態に投げ込まれ、仇討ちの覚悟を固めていく姿が鮮明だ」と書くことが可能なのではないか。役者が誰であっても、この部分は、そのまま当てはまるのではないか。
 言い換えると。
 歌舞伎の演技が「伝統」の繰り返し(なぞり)で成り立っているように、歌舞伎の批評も、何やらすでに語り尽くされたことばを繰り返し、なぞっているだけなのではないか。単に役者の名前を入れ換えて書いているだけにすぎないのではないか。
 そんな疑問を、私は、持ってしまった。犬丸の文章は「教科書」的で、どこにも犬丸の「個性(肉体)」を感じさせるものがない。

 
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特別講座「谷川俊太郎の魅力」

2025-03-06 20:52:19 | 現代詩講座

3月15日、朝日カルチャーセンター福岡で、特別講座「谷川俊太郎の魅力」を開きます。
一回完結の講座です。教室参加でも、オンライン参加もできます。
ぜひ、ご参加ください。
当日申し込みも受け付けますが、料金が550円追加になります。ぜひ、事前に予約してください。
詳細は、チラシの写真で確認してください。

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外交とは何か(米・ウクライナ協議決裂について)

2025-03-02 22:48:14 | 考える日記

 私は、トランプとゼレンスキーの「協議」をテレビで見たわけではない。テレビで見ても、英語がわかるわけではないから、理解できなかったと思うが、読売新聞の報道(2025年03月02日朝刊、14版、西部版)で読む限り、ゼレンスキーは「外交」というものをまったく知らない。
 私は人間関係を読むのが苦手で、「外交」には向いていない人間だが、そういう私から見ても、ゼレンスキーは馬鹿だなあ、と思う。
 こんな会話がある。会話の順序として、前後するのだが、協議の途中でのやりとり。

バンス あなたは一度でも「ありがとう」と言ったか。
ゼレンスキー 何度も。
バンス 違う。この会談で言ったか。
ゼレンスキー 今日も言った。

 協議は記者団のいる前で行われている。そうした場合、ゼレンスキーが、何度「ありがとう」と伝えていたとしても、もう一度、協議の前に、記者団のいる前で「ありがとう」と言って、そのことばを「記録」させることが重要なのである。
 外交とは、まず、ことばなのだ。
 政治ではないが、簡単な例をひとつ。母の日、父の日。こどもが「おかあさん(おとうさん)ありがとう」と言う。いつも言っているかもしれないが、その日も言う。頭のいい子どもは「いつも感謝している。両親を愛している。だから言わなくてもいい」と思いがちだが、違うのだ。「ありがとう。愛している」ということが、母や父を喜ばせる。母の日、父の日に「あらためて」言うことが必要なのだ。
 外交とは、それに似ている。わかっていることを、「あらためて」ことばにする。
 ゼレンスキーが、「トランプさん、ありがとう」のような挨拶で協議をはじめれば、この協議は全然違ったものになっていただろう。そういう簡単なことが、ゼレンスキーにはできなかった。つまり、馬鹿である。
 なぜ、こんな馬鹿な失態をしたのか。たぶん、ゼレンスキーは「自分は偉大な大統領である。みんなが自分を支援して当たり前だ」と思い込んでいる。つまりバンスがもとめていることが理解できずに、「ありがとう」と言わなくてもいい人間だと思い込んでいるだ。三年間のヨーロッパや日本の支援が、そう思い込ませたのかもしれない。

トランプ あなたは今、非常に悪い状況にある。切ることのできるカード(切り札)持っていない。
ゼレンスキー 私はカードで遊んでいるわけではない。(略)私は戦時下の大統領だ。

 トランプの「カード」の比喩が、こういう場合に適切かどうか問うてもはじまらない。比喩に対して、比喩で応答しても意味はない。泥沼にはまるだけだ。さらに悪いのは、「私は戦時下の大統領だ」と見栄を張ったところだ。
 そんなことは、トランプに限らず、誰もが知っている。
 戦時下の大統領であり、ロシアに比べると、軍事力が格段に落ちることは誰もが知っている。この「事実」をどう伝えるか。「私は戦時下の大統領だ」、だから「アメリカが私を支援するのは当然のことなのだ、アメリカには支援する義務があるのだ」とアメリカに責任を押しつけるような態度をとってはいけないのだ。「どうか助けてください(支援してください)。支援を継続していただくために、私は(ウクライナは)何をすればいいのでしょうか」と、「下手」にでないとだめなのだ。
 そんな屈辱的なことはしたくない、とゼレンスキーは思っているのかもしれないが、「あがとうございます、どうぞ、よろしくお願いします」というのは「ことば」にすぎない。そう思っていなくても、そう言って「実」を引き出すのが「外交」だろう。
 世界中が見守っているなかで、ぺこぺこするのはみっともなくても、その結果として、ウクライナに「平和」が戻るなら(ウクライナの国民が死なないですむなら)、それをやってみせるのが、「外交で勝つ」ということだろう。ゼレンスキーに、その「覚悟」のようなものがなかった、ということだ。

 直前まで「合意する」ことになっていた「鉱物協定」の署名もなくなった。
 鉱物協定が結ばれれば、アメリカは、今後ウクライナに、経済面で深く関与していくことになる。ウクライナにアメリカの企業が入り込むことになる。そうすると、必然として、アメリカはウクライナを「防衛」しなければなくなる。バイデンがウクライナに肩入れしたのも、彼の息子だか、親族だか知らないが、ウクライナに関与していたからだろう。トランプは、バイデンよりももっと深くウクライナに関与しようと提案したのだ。それは、つまるところ「安全保障」である。ロシアがウクライナに、さらに侵攻することがあれば、アメリカはアメリカの企業(の利益)を守るために、さらに積極的に関与すると間接的に言っているのだ。
 こういうことは、もちろん「ことば」にしない。「外交」だから、わざわざ「ロシアが侵攻してきたらアメリカが対抗する」という「文言」を残すはずがない。それでは第三次世界大戦がはじまってしまう。
 それなのに、ゼレンスキーは

戦争を止めたい。しかし、「(安全の)保証」とともにと言っている。

 と、「安全保証」を「言語化」することを求めている。つまり、「裏交渉」だけでは不安だというのだが、これじゃあねえ、トランプは怒る。「外交」の意味がない。「外交」とは、基本的に「裏交渉」である。
 こんなことは、歴史的な交渉の「裏の資料」が、ずーっとあとになってしか公開されないことを見るだけでもわかる。「現実」を変更できないところまで作り上げてから、「秘密(裏交渉)」を明らかにするのが「外交」である。「表交渉の文言」でそれぞれの国民に向けて説明する。いろいろな「声明方法」を検討して「外交文章」の「文言」はすりあわされる。そして、その「すりあわせ」の裏側には、膨大な「裏交渉」がある。

 ウクライナで起きていることには胸が痛むし、ウクライナからロシアが撤退する以外に、ほんとうの平和はやってこないということはわかっている。トランプの「強欲主義」には絶対に与することはできない。しかし、それは私が、当事者ではないからとることができる、ちょっとずるい発言である。
 ヨーロッパのウクライナ支援は、今後、形を変えていくと思う。ウクライナを支援する、しかし、ウクライナを支援することで、戦争が自分の国にまで及んできては困る、という姿勢が少しずつ露顕してくるのではないだろうか。
 トランプに譲歩することで、「そんなにまでトランプに譲歩する必要はない。ウクライナは、ロシアだけではなくアメリカからも侵略されようとしている」という認識を引き出すような「外交手腕」を発揮しなければ、だれもゼレンスキーを支援しなくなるだろう。

 「外交」は「ほんとう」を言うところではなく、「うそ」を平気で言って「実」をとることなのだと思う。それができないゼレンスキーは、やっぱり馬鹿だと思う。


 
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すぎえみこ「かみいちまい」ほか

2025-03-01 21:51:36 | 現代詩講座

すぎえみこ「かみいちまい」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2025年02月17日)

 受講生の作品ほか。

かみいちまい  すぎえみこ

かくか
かかぬか

かかずにいるか
かけずにいるか

かこうとするか
かくまいとするか

かいていこうとおもうのか
かいていきたいとねがうのか

かいたらなにがよろこぶのか
かいたらわたしのこころがよろこぶ

 すぎが書を書いていることを私たちは知っている。そのためだと思うが「かく」を「書く」ととらえた上での感想がつづいた。「哲学問答、こころの対話」「かくという動詞だけでいろいろな問いをひきだすところがおもしろい」「わたしのこころへまでことばを動かしていくのがすごい」「ひらがなで書かれているのも、おもしろい。タイトルのかみは紙だろうけれど、神かもしれない」「かくのかわりに、泣く、笑うというようなほかの動詞でも詩ができるかもしれない」。
 私は、少し意地悪な質問もしてみたい。最後の「わたしのこころ」の「わたし」は誰だろうか。普通に考えれば、書を書いている作者(すぎ)なのだろうけれど、ほかに「主語」は考えられないだろうか。たとえば、「筆」あるいは「墨」、さらには「文字」そのものかもしれない。その場合、感想はどうかわってくるだろうか。
 さらに「かく」には「描く」もあれば「掻く」もある。その場合は、感想はどうかわるだろうか。
 もうひとつ。この詩は最初が短く、連がかわるごとに行が長くなっている。視覚的に三角形に見える。その形をあえて変形し、4、5連目を入れ換えるとどうなるだろうか。そのとき、4連目をことばを少し変えて「かいていこうとおもう/かいていきたいとねがう」のように「のか」を削除すると、どんな印象になるだろうか。
 いろいろ試して、感想を聞いてみたい作品だ。

白川へ  青柳俊哉
 
ヒグラシの森の声部
空へうたうひとつの羽 心理的な外部者
 
遠い柿の木の
内と外へ枝を差し交すあたり
ひとりのヒグラシが氷のような羽を擦りあわす
白川へ
色づく葉と実が森へむかって泳ぐ
 
川に鈴をかけて
いのちをあまねく受容する森の和声
 
水が川底へひらく
すすきの葉が殻を結わえて 
羽化した蜻蛉の氷のような羽を反射する

 受講生の何人かが指摘したが「心理的な外部者」ということばが非常に魅力的である。これが何を意味するのか。「内と外へ」ということばの交錯、「声部」「和声」の関係、「ひらく」「結わえる」の変化。それがもう少し緊密に書きこまれれば印象が違ってくると思う。
 「白川」が、その「白」が「心理的な外部者」とし全体を統一しているのかもしれないが、分かりにくい。分からなくてもいいのだが、「白川」へ行けば「心理的な外部者」に会える、あるいはなれる、と感じたい。
 私には、「白川」の占めている「位置」のようなものが、よくわからなかった。
 直感として言うのだが、たぶん、「繰り返し」が少ないために「外部/内部」の共通する何かが見つけにくい。繰り返しがあると、その繰り返しから逆に離反することばに気づく。そして、そこから「外部/内部」の区別も生まれ、詩の印象が変わるのではないだろうか。「ヒグラシ」「声」「羽」「川」など、単語(名詞)の繰り返しはあるのだが、乱反射が強くて、全体を攪拌している感じが、私にはする。

言葉は いつも足らない  堤隆夫

かなしい思いは せせらぎを流れる
葉っぱのうえに乗せて
流してしまおう
言葉では足らない思いは 
空を流れる雲のうえに乗せて
流してしまおう

車窓から いつまでも手を振っていた 
あなたの思いは
もう 考えないでおこう
いつまでも見送っていた 
わたしの思いなんか
もう 忘れてしまおう

言葉は いつも足らない
言葉は いつも寂しい
言葉は いつも愛しい

ああ それでも あなたもわたしも 生きている
否 
生かされている

葉っぱのうえに乗って
雲のうえに乗って

あなたもわたしも 生きている
否 
生かされている

 「いつもの作品よりも透明感がある」という感想があった。なぜ、透明感を感じるのだろう。
 一連目は、思いがあふれている。言いたいことがありすぎて、まだ、それがまとまりきれない。まとまらないけれど、言ってしまいたい。そういう「思い(強い欲望)」がことばを動かしている。「言葉ではてらない」が「言葉は いつも足らない」を経て、「言葉は」の繰り返しがあり、そのあと「ああ それでも あなたもわたしも 生きている」と言ったあと、最終連では「ああ それでも」が省略されて4連目が繰り返される。
 この「省略」が透明感を高めていると思う。「ああ それでも」が不純物であるというのではないが、何か、感情(思い)を見切って、感情(思い)をそのまま受け入れている漢字がある。4連目で「ああ それでも」ということばを書いたときは、まだ書き足りない(ほんとうに言いたいのは、もっと違うこと)という思いがあったかもしれない。けれど、それはどんなにことばを書き足しても、たぶん足りないという気持ちを引き起こすだけだと思う。だから、書かない。「足りない」をそのまま受け入れている。
 そのとり「足りない」ではなく、逆に、何か「満ちている」感じがあふれてくるから、ことばというのは不思議なものだ。「余韻」さえ生まれてくる。最終連は4連目の繰り返しなのに、「余分」という感じを与えない。「余韻」とは「余分」ではなく、何か「不足」を含んでいるのかもしれない。作者の書こうとしたことが「不足」している。そして、その「不足」を読者が埋めにゆく、というのが「余韻」が引き起こす運動なのだろう。

 

 
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Estoy Loco por España(番外篇465)Obra, Jesus Coyto Pablo

2025-02-28 23:11:01 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo


 Hay “tiempo” en la obra de Jesus. Eso es un poco diferente a decir que hay un "pasado" o “recuerdos”.
En esta obra la lluvia llama a varias esquinas de la calle y a varios hombres y a varias mujeres. Los seres representados en la obra deambulan, cada uno con sus propios “recuerdos”.
 Pero eso no es todo.
 Me siento como si los presentadores ya conocieron el “futuro”, es decir, el “presente” en el que se está pintando esta obra. Creo que ellos supieron que un día Jesus los pintaría.
 Siento que esta obra no sólo representa el “tiempo pasado” visto desde el presente, sino también el movimiento del “tiempo” mismo que conecta el “presente” y el “pasado”, e incluso el “futuro”. En otras palabras, siento que puedo ver en esta pintura la "lluvia futura" que puedo ver en el futuro. Estoy seguro de que me los encontraré si camino por las calles de España. Y siento que son personas que ya he conocido antes.

 Jesusの絵には「時間」がある。それは「過去」がある、というのとは少し違う。「記憶」がある、というのとも違う。
 この絵では、雨が、いくつもの街角を呼び寄せている。幾人もの男、幾人もの女を呼び寄せている。
 しかし、それだけではない。
 絵に描かれた存在が、それぞれに「記憶」を持ってさまよっている。
 しかし、それだけではない。
 何か、それぞれの存在が「未来」を、つまり、この絵が描かれる「現在」をすでに知っている感じがする。彼らは、いつかJesusが彼らを描くことを知っていると思う。
 いまから見た「過去という時間」だけではなく、「現在」と「過去」を、さらには「未来」を結ぶ「時間」そのものの運動が描き込まれていると感じる。つまり、私はこの絵の中に、私がこれから見るかもしれない「未来の雨」を見ているとも感じるのである。スペインの街を歩けば、私は彼らに会えるに違いないと感じる。そして、その彼らは、私があったことがある彼らだとも感じる。

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アメリカ強欲主義(ロシア・ウクライナ戦争3年に思う)

2025-02-24 21:30:31 | 考える日記

 ロシアがウクライナに侵攻してから3年になる。トランプがアメリカ大統領になってから、いろいろな動きがあるが、基本的には何も変わっていない。すべてがアメリカ強欲主義に振り回されている。アメリカの強欲主義がすべてを支配している。
 私は、貧乏な農家の生まれなので、経済のことはぜんぜんわからない。自分が生きていくための金のことしかわからないのだが、それでもこのロシア・ウクライナの戦争を支配しているのはアメリカの強欲主義ということだけは理解できる。
 ロシア・ウクライナ戦争で、いちばん利益を上げる(上げた)のはだれか。アメリカである。
 ロシア・ウクライナ戦争がはじまったことで(ロシアがウクライナに侵攻したことで)、世界のほとんどの国がロシアを批判した。そしてロシアとの経済交流をやめた。ドイツはロシアから天然ガスを購入するのをやめた。日本もやめた。ロシアは、ヨーロッパや日本から金を稼げなくなった。ドイツ、日本がロシアからの輸入をやめた分、どこから代替品を輸入したのか。私は知らないが、そこにはアメリカからのものも含まれていると思う。ヨーロッパ、日本向けの「販路」をアメリカは拡大したと思う。
 そのほかにアメリカの「武器」が大量に売れたはずである。どこの国が買ったか。ウクライナが直接買わなくても、ヨーロッパ諸国が買っただろう。戦争の危機をあおることで、日本にも大量の武器が売れたはずである。
 そういうことを見越して、ロシア・ウクライナの戦争は、アメリカが仕組んだものだと私は考えている。その「仕掛け」に乗ってしまったのが、ウクライナである。
 では、このまま戦争がつづいていけば、もっとアメリカは儲かるのではないか。
 そうではないらしい。
 トランプが、突然レアアースの話をし始めて、それがはっきりした。「武器支援」ではなく「レアアースを購入することによる支援」という奇妙な言い方が、そのことを明確に語っている。
 この戦争がつづきすぎると(?)、アメリカは損をする。ウクライナには、半導体などには欠かせないといわれる貴重なレアアースがある。戦争がつづいていれば、それを手に入れることができない。アメリカは、もともと、ウクライナにあるレアアースを「いい条件」で手に入れるために、ゼレンスキーをそそのかして、ロシアが侵攻してくるように仕向けたのだろう。はやくレアアースを確保する方法を確立しないと、どこかにそれを奪われてしまう。
 だからこそ、トランプは「終戦工作」をはじめたのである。
 「状況」を支配しているのは、アメリカの強欲主義なのである。レアアースは、「ハイテク産業」の基調素材である。トランプの周辺に、AI関係の人間が登用されているのも、そのこといくらか関係があるだろう。彼らの政治的能力「優秀」というよりも、レアアースと関係があるのだ。レアアースの重要性を知っているからだ。それはまた、トランプの新しい側近がレアアースの独占を求めているということでもある。その要望にこたえてトランプは、レアアースを手に入れようとしている。「販路」を握ろうとしている。支配しようとしている。「終戦」はトランプのアイデアというよりも、「側近」のアイデアかもしれない。
 アメリカが儲かるなら、ほかの国なんかは、どうなってもいいのである。
 それは、アメリカ(人)が、アメリカの東部海岸に上陸したあと、アメリカ大陸を横断し、太平洋も横断し、日本、韓国、フィリピンまでを支配している状況を見るだけでわかる。
 トランプが「メキシコ湾ではなく、アメリカ湾と呼ぶ」と言ったメキシコ湾について言えば、フロリダもテキサスも、以前はメキシコだった。戦争で奪い取ってアメリカにした。(メキシコの前は、先住民のものだった。)アメリカの強欲主義は、アメリカがそれらの土地を「奪った」という歴史さえないものにしてしまうのだ。地球全部をアメリカ強欲主義の支配下におさめるというのが、彼らの最終的な「夢」だ。アメリカ人以外から、すべての利益を奪い取るのが彼らの「夢」だ。
 脱線したが。
 脱線ついでに思っていることを書いておこう。
 日本、韓国、フィリピンは、中国、ソ連(当時)の共産党を拡大させないための「防衛ライン」である。マッカーサーが確立した反共ラインである。
 で、このとき、日本は、フィリピンと比べると「幸運」だった。フィリピンにはアメリカ人(ヨーロッパ人)が食べるバナナがある。だからフィリピンは「バナナ生産国」(バナナ供給国)としてアメリカに支配された。バナナをとおしてアメリカの企業は大儲けをした。(ソ連がキューバを砂糖生産国にしたのに似ている。)日本の「特産」は米だが、米はアメリカやヨーロッパではそんなに食べない。だから「米供給国」にしたくても、ちょっと無理がある。沖縄の面積がもっとひろく、あるいは日本中がサトウキビの栽培に適していたら日本は「砂糖供給国」になっていたかもしれない。そういう「押しつけ農業政策」がなかったから、日本は「工業国家」の道を歩むことができたのだと思う。いまは、自立した日本の工業をおさえつけるために、鉄鋼や車に対して、圧力をかけている。
 話を戻すと。
 なぜ、レアアースの確保(販路支配)にトランプが躍起になるかといえば、レアアースは中国にもあって、これには手が出せない。中国は自国のレアアースを利用することで、産業をより活性化できる。このままでは、アメリカは中国に追い越されてしまう。そうした状況が、トランプの行動を後押ししているのである。
 レアアースという「資源の争奪」が、アメリカ主導ではじまったのである。それはアメリカ強欲主義の、新しい「戦略」なのである。

 
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細田傳造「泣く(一)」

2025-02-22 23:03:11 | 詩(雑誌・同人誌)

細田傳造「泣く(一)」(「雨期」84、2025年02月20日発行)

 細田傳造「泣く(一)」の一行目。

この如月を泣くまご娘よきみを泣く

 助詞「を」の使い方が変である。「この如月を泣く」とはふつうは言わない。「きみを泣く」とも、もちろんふつうは言わない。私はときどき外国人に日本語を教えているので、こういう「を」の使い方をしたら、「間違っている」と指摘し、それを日本語らしく修正するように指導する。
 でも、現実には、そういう「正しい文法」だけではつたえられない何かがある。そして、それにぶつかったとき、ひとは文法を無視して、「間違える」。実感を大切にする、というよりも、実感が文法を追い越していく。
 この詩は、

ひたぶるにきみを泣く
二月のあいだずぅーときみを泣いた
ランドセルしょってぴりぴりに凍った道に出てゆく
小学二年のきみを泣いた
日が暮れて鬼子母神
石段の下で母をまつきみを泣いた

 とつづいたあとで、

夜になって五蜀の灯りも点けないで真っ暗闇を眠るきみを泣いた

 あ、これは、いまの「まご娘」ではない、と気づかされる。だって「五蜀」なんて、いまは言わない。「ワット」さえ、LEDが主流になって、もう言わないかもしれない。(私は、まだ蛍光灯をつかっているので「ワット」をつかうが。)だから「まご娘」が幼い細田に見えてくる。ふたりが重なる。
 この変化のあと、

しおかれて西の鳥居ほろほろぬけて
居酒屋みどりのカウンターにとまり
みみずくの鳥になってきみを泣いた

 ああ、こうなると、もう「まご娘」は完全に消えてしまう。
 文法的には「(私=細田は)みみずくの鳥になって(みみずくのように、夜行性の生き物になって)きみを泣いた」なのだが、まるで、「まご娘」が「みみずくの鳥になって(夜に働く女になって)泣いている」と「誤読」してしまう。
 最初の「この如月を泣くまご娘よきみを泣く」も「私はこの如月を泣くまご娘よきみそのものになって泣く」なのだろう。「きみを泣く」の「を」は、きみと私を切り離せないものとして、つまり一体となって、泣くということなのだろう。「この如月を泣く」も「如月と一体になって(如月のなかにどっぷりとつかって)泣く」と言い換えることができるだろう。
 日本語を学ぶ外国人相手なら、私は、そんなふうに「修正」するように指導するだろう。
 まあ、そんなことは、どうでもよくて。
 私が、いま、便宜上「一体になる」というようなことを書いたのだが(その前には「重なる」ということばもつかったのだが)、これを細田は、別のことばで書いている。
 その「書き換え」がすごい。

わかるなあ
つごもりの鳥目(ちょうもく)をしまいながら女将さんが言った
わかるなあ
関東煮(かんとだき)の湯気のむこうで女将さんが
もいちど言った

 「わかる」である。「一体になる」とは、「わかる」ことである。
 で「わかる」が「一体になる」ということだから、「わかる」と女将が言うとき、彼女は細田の「まご娘」であり、細田でもある。そして、この「一体になる/わかる」のなかにあるのは、「いま」だけではない。「五蜀の灯り」が暗示するように、「歴史」がある。生きてきた「時間」がある。「生きてきた時間ごと」一体になる。それは生きてきた時間が「わかる」ということだ。
 「雨期」には、もう一篇「泣く(二)」が載っている。それは「生きてきた時間」を違う角度から描いた作品である。これも傑作である。
 
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ブラディ・コーベット監督「ブルータリスト」(★★★★★)

2025-02-21 21:56:56 | 映画

ブラディ・コーベット監督「ブルータリスト」(★★★★★)(2025年02月21日、キノシネマ天神、スクリーン3)

監督 ブラディ・コーベット 出演 エイドリアン・ブロディ、ガイ・ピアース

 映画のポスターを見た瞬間に、「あ、見たい」と思った。こういうことは、久しぶり。ポスターのどこがよかったか。スタイリッシュ。そのひとことにつきる。
 昔、レイアウトの仕事をしていたとき、いちばん参考になったのが「建築雑誌」。なんともかっこいい。ゆらぎがない。さすがに「建築」である。強固でなければいけない。建築の「強固さ」が、そのままレイアウトの奥底に根付いている。
 で、この映画。
 最初のクレジットもかっこいいねえ。クレジットは、ふつう、縦に流れる。でも、この映画では、横によぎっていく。そうすると、なんというか「ゆらぎ」がない。目は文字を追いかけるのだけれど、ゆったりと眺めていることができる。不思議な安心感がある。足が地についている感じ。
 しかし、安定だけでは、つまらないね。だから、画面は突然「不安定」な映像も見せる。はじめてみる「自由の女神」。立っていない。空からのぞいている。斜めだ。
 これだね。
 とても安定している、絶対に揺らがないはずなのに、揺らぐ。その「揺れ」をいちばん大きく揺らして見せるのが、セックスシーン。
 妻が、骨粗鬆症の影響で、ベッドの中で突然苦しみだす。痛くてたまらない。その苦痛を救うために、エイドリアン・ブロディがドラッグを注射する。妻の痛みが消え、そこからセックスがはじまるのだが、このシーンで、私は思わず声を上げた。なんだ、このセックスシーンは。いろいろなセックスシーンを見たが、こういうのは初めてである。(この映画にはセックスシーンが、そのほかにも何回かあるが、セックスシーンの中では最後の、この妻とのシーンが、ほんとうにびっくりする。)
 えっ、なぜなんだ、どうしてなんだ。
 色がついていたかどうかわからないが、思い出せない。「絶対的なモノクロ」。光と影しか存在しない。そのどちらも透明で、複雑に交錯するのだが、複雑さを忘れる。肉体も、その光と影になってしまう。その光か影か、わからないものに「昇華」してしまう。でも、ただ美しいかというと、そうではないのである。かなしくて、そのかなしさのために、なんだか、胸がドキドキしてしまう。
 もしかしたら、と思っていたら、やっぱりそうだった。
 もう、それ以上は書かない。
 「謎解き」は、その直後にわかるのだけれど、これはほんとうに、びっくりしたなあ。

 セックスシーンのことばかり書きつづけてもしようがないので、ほかのことも書いておく。
 「建築」がらみでいえば、書斎を改装するときの、エイドリアン・ブロディが床を掃除するシーンが、とてもいい。あ、ここからはじまるのか、と目を見開かされた。そのあとの、書棚の扉を一斉に開いて見せるシーンも、とても美しい。光と影が、ほんとうに鮮やかに動く。
 セックスシーンでも書いたが、この映画は、光と影を動かして見せる。
 「建築」は外面と同時に内面だが、この映画では、建物の内部で光と影を動かして見せる。内部にこそ、光と影がある、ということを明確に描いて見せる。
 特徴的なのが、新しいビルの模型をつかって主人公が内部を説明するシーン。懐中電灯をつかって太陽光線の動きを再現する。天井の窓に懐中電灯がくる。そのとき、内部で何が起きている。これは、このときは見せない。ただ、それを見つめるガイ・ピアースを映し出している。身動きできずにいる。
 いいねえ、このシーン。ガイ・ピアースは、「見た」のである。
 その「見たもの」を手に入れるために、エイドリアン・ブロディ、ガイ・ピアースはイタリアへゆく。大理石が必要なのだ。打ちっぱなしのコンクリートの建築のなかに、おかれる一個の大理石。それはイタリアの彫刻の大理石というよりも、ギリシャ彫刻向けの大理石かもしれない。人間の肌のような大理石だ。
 そして、ここでは大理石の切り出し場の山と、その内部(というか、切り出す過程でできた地下)が、もうひとつの光と影を生み出している。そこには、光は入ってこない。人間のつくりだした光が影を生み出している。
 そういうところから運んできた大理石、その大理石に光と影が交錯すると、どうなるか。
 まあ、これは、映画を見てください。美しい。そうなるのはわかっているけれど(書斎を改装したときから見当がつくけれど)、やっぱり息を飲む。私にはつくりだせない絶対的な美が、そこにあらわれる。予想していたことが、予想通りに起きると、たいていの場合は少しがっかりするものだが、この映画では違う。このシーンでは、なぜか、ほっと安心する。
 そのほか、車(バス、列車)が走るシーンも、非常にいい。両側にひろがる風景と、どこまでもどこまでもつづいていきそうな道(線路)が「不吉」である。大地は揺れないのに、何かとんでもないことが起きる、と不安になる。不安にさせる映像である。
 不安に耐える覚悟があるか、どうか。
 覚悟があるなら、見てください。不安(恐怖とは違う)は嫌い、というひとは、耐えられないかもしれない。音楽も。
 不安を克服して、強固が存在する、ということを学ぶ映画かもしれない。
 
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「聖なるイチジクの種」(その2)

2025-02-19 22:31:09 | 映画

「聖なるイチジクの種」(その2)

 「聖なるイチジクの種」について書いたとき、出演の最初に「スマートフォン」と書いた。その理由を書いておきたい。

 この映画は、一種の「推理ドラマ」である。つまり、消えたピストルを盗んだのはだれか、という「謎解き」がひとつのストーリーになっている。私は、どういうわけか、こういう「謎解き」の仕掛けが、すぐに目についてしまう。でも、この映画では、目についたからといって、それが目障りではない。
 最初に目を引くスマートフォンは、父親と母親がテレビを見ているのに対して、ふたりのこどもがスマートフォンを見ている、そのスマートフォン。姉の方はニュースを見ているかどうかわからない。しかし、妹は、若者が撮った警官と若者の対立の動画を見ている。そして、姉に「動画を見ろ」とメールで知らせる。
 これが、とてもいい。
 妹はヘッドフォンで動画を見ている。当然、音は聞こえないから、両親は、娘たちが何を見ているかわからない。ニュースには関心がなくて、音楽でも聞いていると思っているかもしれない。姉は、ヘッドフォンをつかっていないので、妹がメールを送ったとき、着信音が鳴る。しかし、両親は気にしない。メールの着信音は日常の音だからである。そばにいるのにメールで連絡してくる妹に、姉は不審な目を向ける。妹は、音が聞こえないように、動画を見ろ、と勧める。
 これは、この映画の全体を「暗示」している。つまり、この段階で、だれが銃を盗んだか(盗むことになるか)、わかる。妹が、家族の中で、いちばん「秘密」を生きることができる人間なのである。
 このシーンだけで、私は、この映画に魅了された。とりこになった。
 とても巧みな脚本だし、その巧みさを押しつけていない。最近は監督と脚本の両方をこなすひとが増えているが、この監督は「脚本」を押しつけず、ちゃんと役者に演技で昇華させ、画面全体を映画にしている。
 電波の届かない荒野での「どたばた」みたいなおもしろさは前回書いたから省略するが、「謎解き」に関係するスマートフォンがらみのシーンが、もうひとつある。
 父親が家族全員のスマートフォンを取り上げる。だれかから家族に電話がかかってきたら、父親が電話に出るつもりである。電話の相手がピストルの盗難に関係しているかもしれないからだ。そのために、家族に「暗証番号」を聞く。
 姉は「2003」だったかなんだか、数字を言う。きっと生まれた年だな。声に出して言うので、家族の全員に知られてしまう。妹は、母と姉には知られたくない。秘密を守りたい。だから、父親だけに、紙に書いて知らせる。声には出さない。母は「知ってるでしょう」と言う。ここでも、妹の、スマートフォンへの向き合い方が際立っている。なんというか、「熟達」している。「慎重」である。「嘘」というか「秘密」を生きることを、本能的に知っている。母や姉を味方にしないといけないのだが、その母や姉に対しても、まだ「秘密」を残すのである。こういうことは、少年(男)にはできない。前回、家族に父親以外に男がいれば、映画が違ってくると書いたのは、そういう意味である。
 で、こうした「伏線」どおりに妹が銃を盗んで隠したのだが。
 あとひとつ。家族の情報、父親が何をしているか、どこに住んでいるかというような情報がインターネット上に拡散される。それを知らせるのが、やはり妹である。これも、とても大切なポイント。妹は、偶然それを見つけたのではない。当然、だれかに教え、そのだれかをとおしてアップさせたのだ。そして、だれかがそのことに気づく前に、その少女が家族に知らせる。いつもインターネットを見ているから、「第一発見者」が少女であっても、少女は疑われない。そういうことまで熟知して、行動している。
 彼女のしたことは、ある意味では、家族(特に父親)への裏切りであるけれど、この映画の制作者は、そういう「裏切り」を若い人に期待している。肉親であっても、裏切る必要があるときは、裏切る。
 と、ここまで書いて、少し脱線するのだが。
 この「生き方」は、日本人にはむずかしいかもしれない。どうしても「肉親への愛」というものが顔を出してしまうだろう。
 でも、さすがは「コーラン」の国である。コーランの信者は、神と直接関係を結ぶ。神と自分の間には、だれも介在しない。こうした吹っ切り方ができるのは、どこかにコーランの影響があるのだと思う。
 で、もとにもどって。スマートフォンとインターネット。
 日本では、インターネットの「情報」は、変な具合に悪用されているが、権力と戦う手段として、うまくつかえば、ほんとうにうまくつかえるのだ。有効なのだ。そして、それを有効にするかどうかは、使い手の「意識」にかかっている。
 そんなことを教えてくれる映画でもあった。
 スマートフォンで撮影されたテヘランの、警官と若者の対立の様子、警官の暴行シーンに「真実」を見るだけでなく、監督が末っ子の少女に託した「生き方」(しぶとさ、秘密の生き方)にこそ、目を見張るべきだろうと思った。

 
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ティム・フェールバウム監督「セプテンバー5」(★★★)

2025-02-18 22:45:46 | 映画

ティム・フェールバウム監督「セプテンバー5」(★★★) (2025年02月18日、ユナイテッドシネマキャナルシティ、スクリーン3)

監督 ティム・フェールバウム 出演 ピーター・サースガード、ジョン・マガロ

 誰もが「結末」を知っている。そういう「現実」をどう描くか。
 この映画と、「ユナイテッド93」は、どこが違うか。
 「ユナイテッド93」は飛行機が墜落し、上客全員が死ぬのはわかっている。しかし、私は「がんばれ、がんばれ」と、最後は声を出しそうになった。もしかしたら飛行機の墜落は避けられるではないか、と期待してしまった。映画なんだから、「結末」が現実と違ったっていいじゃないか、と思ってしまった。
 ところが、この映画では、そんなことは起きない。
 なぜなんだろうなあ。
 「報道」に対する葛藤があまりにも淡々としているからかもしれない。登場人物の動きもスムーズすぎる感じがする。唯一おもしろかったのは、クルーの何人かが、同じ部屋でボクシングの試合を見ている。アメリカの選手のパンチがヒットしたのか。彼らが声を上げる。瞬間「君たち!」とボスが叱る。そこだけだなあ。
 あとは、内部対立がない。
 スポーツ担当と報道(ニュース担当)の対立も一瞬だけだ。あんな簡単に報道部門が引っ込むとは思えないなあ。
 いちばんのメーンの「裏取り」も、ひとりが疑問を投げかけるだけ。正式の社員ではない(と思う)ドイツ人女性(通訳)の「証言(伝聞)」だけで、それを「事実」と思い込むのは、ちょっと無理がないか。ここに描かれているのは、ほんとうに「事実」なのか、と思ってしまう。
 「誤報」をほかのテレビがすぐにそのまま「追いかけた」というのも、描き方が甘いなあ。ほかのテレビも「裏を取る」作業をするはず。それが全然描かれず、ただ他の局も一斉に「人質が解放された」と報道する(した)というのはなあ。せめて、他の報道機関の動きを組み合わせて描いてほしかった。
 「事実」を「事実」と認定する(判断する)には、もっと慎重でなければならないはずだ。50年前は、違ったのだろうか。
 それに。
 まあ、この映画はテレビマンがどう動いたかがテーマだからそれに絞ったのはそれでいいのかもしれないがし、私は、市民の反応があればよかったと思う。あの中継を、市民はどう見たのか。それが一度も描かれない。
 いまは特に、報道をどう受け止めるかが、とても重要な問題となっているのだから、そういう「現代的視点」が必要だと思う。「過去」をそのまま描くのではなく。

 
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