日々是愉快♪

笑いながら愉快に生きていけたらいいなぁ~

すき焼きパーティー

2009年09月24日 | 親父
新しい家に行ったら、気の置けない人たちだけを集めて“すき焼きパーティー”を
やるというのが親父の願いでした。

僕らとしても親父が少しでも元気なうちにやりたいという思いがあって、引越しが
終わってすぐにでもやろうと思っていたのです。
ところが親父は肺炎を患っていて微熱もあったのでなかなか外泊許可が下りな
かったのです。

引越してから少し経って、2月20日頃なら許可を出せるということを主治医が
言ったので、そこに合わせてこちらも準備を進めました。
参加して欲しい人たちに声をかけ、親父用のレンタルヘッドの手配などがありま
した。

そして当日。
総勢11名。

すき焼きパーティーが始まりました。
親父は居間に設置したベッドで寝たままの状態でしたが、みんなが一同に集まり
楽しそうにしているのを満足気に見ていました。
親父の念願だったすき焼きパーティーができて嬉しかったんだと思います。

ひと通りの宴が終わったあと、最後全員で親父のベッドを囲みました。
親父は力ない声でそれぞれに声をかけていました。
それはみんなにとっての遺言になったのかも知れません。

親父の親友Mさんは親父に分からないように泣いていました。
けれど親父は分かってたと思います。
気を遣って「Mさん、まだ残ってるから食べなよ」と言ったりしていました。

うちの主任も大泣きしていました。
主任は20才からうちの会社で働いてくれています。
その間、親父に怒鳴られ、褒められ、いろんなことがあったと思います。
元気でパワフルだった親父といま目の前にいる親父とがきっと主任の胸で交差
していたと思う。

逆に親父はどんな想いでみんなに囲まれてたんだろう?
やっぱり自分にはもう残された時間は少ないと感じていたんだろうか・・・。

最後にみんなで記念写真を撮りました。

親父が死んだあとにお袋と「あのすき焼きパーティーやれて本当に良かったね」と
何度か話したことがあります。
我々としてはあれをやれなかったら大きな悔いが残ったと思います。
親父もそうかも知れません。

あの“すき焼きパーティー”は親父の人生最後のセレモニーだったんだと思います。


建築計画~完成

2009年09月23日 | 親父
急ピッチで進められていた建築工事も大詰めを迎えていました。
とにかく1日でもいいから親父に見て、入ってもらわなければなりません。

今年の正月に親戚一同でお見舞いに行った時の親父は、生きてるのが精一杯
という感じでした。
あまりにも急激な衰えにみんなが泣いていました。
この時、主治医に、
「実のところ、あとどれくらいなんですか?」と訊いたところ、
「この調子だと、来月いっぱいか、3月の頭ぐらい・・・」と言われ余計やるせない
思いになったのです。

その後、親父は正月のときの状態より少しずつ良くなっていきました。
ただ、肺炎を患ってしまって、微熱が治らないという状態がしばらく続いていました。
かなり苦しそうでした。
抗がん剤も痛そうで、だんだん耐えられなくなりモルヒネを要求するようにもなりま
した。

僕は親父に、
「桜が咲くまでは頑張ろうよ、どうせなら桜の花と一緒に散るのが親父らしいし、
カッコイイよ」と言いました。
すると親父は、
「いいこと言うなぁ、よし分かった、そこまで頑張るよ」と優しく笑いました。

弟の誕生日が3月、僕の誕生日が5月、お袋の誕生日が6月です。
親父は弟の誕生日である3月11日は、
「そこはクリアできる」と言ってました。
お袋は何とか自分の誕生日まで頑張って欲しいという想いがあって、そこまでは
頑張りなよって話してましたが、親父は、
「そんなに苦しめないでくれよ」と力なく答えていたこともありました。

建物の方は、いよいよ最後の仕上げに入っていました。
こちらとしては1月いっぱいで何とかと思っていましたが、なかなかそうもいかず、
それでも2月の7日にまずは自宅の引越し、そして翌週の14日は会社の引越し
という日程を組みました。

業者側は、本来なら引渡しをもう1週間延ばして、完成した建物がいろいろと落ち
着くまでは待って欲しいみたいでしたけれども、事情が事情でしたので、完成即
入居ということになったのです。

この建物を建てるにあたって道のりは長かったです。
最初の設計士、建築屋とうまくいかず、建築会社を変えることによって設計図の
大幅変更、それから親父のがん発覚・・・。
建築計画をストップするかしないかの話も出ましたし、会社そのものもどうするか
という話まで発展しました。
ストップしなかったのはすべて親父の一声です。

そして建物は完成し、引越しも何とか終わりました。
親父はまだ生きていたので、この勝負“親父の勝ち”でした。

あとは主治医からの外泊許可が下りるのを待つだけでした。



お彼岸ということで墓参り。

2009年09月21日 | 親父
今月は月命日の13日は行かず、お彼岸ということで今日行って来ました。

おばぁちゃんももちろん一緒です。
納骨以来に来たと言ってました。

今日は往復、完全に渋滞にハマッてしまい疲れました。
帰って全員爆睡です(笑)

お墓ももっと近くにあればなぁ~と昔から思ってましたけど、こればっかり
はねぇ・・・。
霊園も大混雑。

それにしても、あの渋滞にハマッてまで遠く観光、旅行なんて出来ないなぁーと
思いました。
今日も急がば回れで下から行けば良かったと後悔でしたよ。

月命日に親父のお姉さん夫婦が行ってくれていたのでお花が綺麗でした。

皆さん、ご先祖様を大切にしているのですね。
霊園は色とりどりのお花でいっぱいでした。


月命日

2009年08月13日 | 親父
今日からお盆休みです。

親父の月命日ということでお墓参り。
新盆です。
昨日は従業員全員がお線香をあげてくれました。

うちのお墓は高尾にあるので、それから都内に移動。
江戸川橋にあるおじいちゃんのお墓参りも。

今日はうちにおばぁちゃんが泊まりに来ています。



月命日

2009年07月13日 | 親父
親父の月命日にて墓参り。

先月の13日、三沢光晴も亡くなってしまったんですよね。
月命日が同じということで、毎月三沢のことも思い出すと思う。

東京は7月にお盆を迎えるとのことですが、他のところはどうなんだろう?
我が家はかなり無頓着で、今日もお線香をもらった時に訊かれたのですが、
今月か来月か明確な返事が出来ず・・・。

建築計画~経過

2009年06月22日 | 親父
昨年10月からの着工、途中何回かのミーティングを重ね、親父のこだわりも入れながら、
工事は日々着々と進んでいきました。
同じ敷地内に建てているので、毎日の進行状況がすべて分かるのです。

それまで建築に関しては特に興味は無かったのですが、運ばれてくる材料だとか職人さん
たちの仕事っぷりを見ていて、今まで知らなかったことがいろいろと分かってきたのは楽しか
ったです。
建物に対して持っていなかったアングルを持てたので、今では気になった建物を見たりする
のが以前とは明らかに変わりましたから。

僕は写真を撮るのが好きなので、ちょっとでも変化があると撮っていました。
それこそ最初の頃は毎日のように撮っていました。
今でもその写真を見ると、昨日のように思い出します。
逆に今振り返ると、10月の着工から2月の引越しまであっという間だったなぁと思います。
今現在は、ひと通りの儀式なりケジメみたいなのをつけ、終わったからそういう心境になれ
ますが、今年の頭から完成、引越しに至るまでは時間との戦いがありました。

親父は自分の命と引き換えに、この建物を我々家族、社員に残すつもりというのは生前から
言っていましたが、やっぱり親父に少しでも住んでもらいたかったし、住むのは難しいとしても、
自分で設計したものを少しでも見てもらいたいというのが、関係者全員の願いでした。
だから建築現場の職人さんたちも夜遅くまで頑張ってくれたのです。

建物は完成に向けて急ピッチで進んでいきました。
それと同時に親父の身体もがんに蝕まれていったのでした。

いつの頃からか、完成した建物に1日だけでも入れれば親父の勝ちと思うようになっていました。


建築計画~親父のこだわり

2009年06月05日 | 親父
親父の好きなようにさせていた中で、親父が特にこだわった所が2点あります。

まずはエレベーターです。
変更する前の設計士と建築屋は、このエレベーターを“物入れ”にしていたのを
僕は市役所での設計図で発見し驚きました。
これを親父に報告、親父は激怒しました。
これが原因で最初の設計士と建築屋に降りてもらったんです。

まぁ、この辺はろくにミーティングもせず、全てを任せていたからいい加減に設計
をされてしまったんだと思います。
最初の予算だとエレベーターは付けられないと彼らは判断して、後から付けさせ
ればいいだろうとたくらんでいたんだと思います。
このエレベーターの一件だけでなく、あらゆる所がいい加減な設計図だったんです。

では何故、親父がエレベーターにこだわったのかというと、それはおばぁちゃんと
同居するから、車椅子のおばぁちゃんには絶対必要だからということだったんです。
まぁ、おばぁちゃんが使う前に親父が外泊許可をもらって新居に来た時に、親父が
真っ先に使っていたというのは何とも皮肉なことでした。

最近はお袋も背中が丸まってきたので、階段の上り下りはキツイらしくほとんどエレ
ベーターを使っています。
この秋には、そのおばぁちゃんがやって来るのでますます活躍すると思います。

次に作業場。
長年苦労をかけてきたパートさんたちに快適に仕事をしてもらいたいということで、
特に作業場にはこだわっていました。

今まではプレハブだったので、夏は暑く、冬は寒いという劣悪な環境でした。
今度は冷暖房も完備してあげて、効率良く仕事をしてもらおうという親父の配慮だっ
たのです。
こういう所は社長としての立場より、人間的な優しさを今更ながらに感じます。

設計士さんもそれを分かってくれて、断熱材だとかいろいろ考えてくれたので、本当
に快適な作業場になりました。
以前と比べると雲泥の差があります。

他にもいろいろと注文をつけていましたが、特にこだわりをみせたのは上記2点でした。


親父に会いたい

2009年06月02日 | 親父
親父は寝ていました。

そしたら突然、いたずらっ子のような笑い顔をして目を覚まし、

「ウソだよ」

と言って起き上がってきました。



僕は驚きながらもとても喜びました。

その時、目が覚めました。

夢でした・・・。



死んだことが「ウソだよ」と言って起きてきたんです。

けど、あり得ない話で・・・。



お線香をあげました。

そしたら涙が出ました。

涙が止まらなかったから、たくさんたくさんお線香をあげました。



死んでから初めて夢に出てきました。

出てきて欲しいなぁ~と思ってたけど、いざ出てくると淋しくなります。



不思議なくらい涙が止まらないから、きっと親父は、

「悪かったよ、男なんだからメソメソするな」

って言うと思います。


建築計画~着工

2009年05月28日 | 親父
銀行からの融資も下り、さぁ、10月頭から着工に入るという矢先でした。
9月に親父のがんが発覚したのです。

親父ががんと分かって、着工することを多くの人に相談しましたが、ほとんどの人
は反対しました。
こういうご時世ということもあり、この先どうなるか分からない状態で多額の借金を
抱えて商売を続けていくにはリスクが大きいからです。
設計会社の方にも「こういう事情になったから止めるかも知れません」ということも
話しました。

そして病床にいる親父に「止めようか?」と相談したところ、
「バカ言ってんじゃないよ、もう融資出たんだし建てろー。何かあったらどうすんだ?
 人命に関わったらそれこそ5千、1億じゃ済まないんだぞ」と言われ、予定通り
建築スタートとなりました。

元々の建物がプレハブ30年以上のものでかなりガタがきていたのです。
天災でもあって、2階が落下したり、階段が壊れたりという不安は常にありました。
建て替えなきゃいけないものだったのですが、いろいろと事情があって放ったらかし
にしていたのです。

予定通り10月に着工しました。
親父のこともあったので、とにかく急ピッチで仕上げて欲しいと頼みました。
それでも去年の内は元気だったので、設計会社とのミーティングは常に親父がいる
時にやっていました。

当初の予定より、親父はああだこうだといろいろと追加をするので、軽々予算オーバー
になり、こっちは冷や冷やだったのを覚えています。
それと設計会社の方もかなりのこだわりがあったので、予算内ということとサービスを
含め、かなり立派なものに仕上がるということで、お袋といつも「掘っ立て小屋みたい
なのでいいんだけどねぇ・・・」などと言ったりしてました(苦笑)

それまでの借家が良くなかったので、そこよりひどくはないだろうから、新しい所に住め
れば良かったという心境でした。