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なぜCharは「スモーキー」を越えられず、松山千春は「季節の中で」を越えられないのか(笑。

いろんな不思議が世の中にはあるが、
身近な不思議は、これかなあ。

なぜ、
Charは「スモーキー」を越える名作を作れないの。

なぜ、
松山千春は「季節の中で」を越えられないの。

オレの解答はいちおー、あるよ。
だから、不思議の時代は終わった。

Charが「スモーキー」を越えられないのは、
あれはCharひとりで作った曲ではないから。

あれは、
Charがやっていたバンドがセッションで作り出した曲の

クレジットを代表してCharとしたから。
だから、あれを越せない。

たぶん、
歌詞とメロディはCharが書いたんでしょう。

だから、嘘ではない、たしかにCharの曲だけど、
歌詞とメロディだけでできている曲ではない。

あれは、演奏とアレンジに負う部分が大きい曲。
だからデビュー曲を越えられなくても不思議ではない。

あれは、
あの当時の人たちの粋をあつめてできた曲。

で、松山千春の
「季節の中で」はなぜ、これを越えられないか。

オレの予想ではふたつの道がある。
ひとつは、代作説。

しかも、
これを作ったのは小椋佳(笑。

彼が、松山千春のために曲を作ってあげたという説。
なぜ、そんなことをしたか。

分からないけど、
松山千春はこういう歌を歌えばもっといいはずという

プロデューサ的発想のある人が仲介したのではないだろうか。
もう一つの説は、オレだって小椋佳みたいな曲を作れるよと、

本人が、
小椋佳の世界観をパクった説(笑。

たとえば、
いまは短歌だけで知られている啄木だって、

試作している他ジャンルの作品は、
それなりにやっぱりすごい。

才能のある人は、
いろんなジャンルで自分の色を試してみたがる。

だから、松山千春がパクった説も悪くはないが、
オレが自説を反論するのもなんだが、

松山千春によるパクリはむしろ、
「長い夜」ではないかと思う。

「季節の中で」をヒットさせられてしまった松山千春が
リベンジのために自力で書き上げた曲が

「長い夜」というメロディが似ているが
まったく詩の格が違う駄作(笑。

というわけで、
オレのなかでは、

彼らは、
自分の代表作を越えられずに業界人として

確固たる地位を築いていくレジェンドなのであった。
それはそれでいい。

大事(笑。


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