ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

夢の浮橋(奥多摩湖)

2016-12-04 18:26:45 | 日記
 数年前、紅葉を見に奥多摩湖へ出掛けたことがありました。紅葉には少し早く、あまり色づいてはいませんでしたが、意外なものを発見して小躍りしたのを覚えています。最近ではほとんど見かけなくなった浮橋です。浮橋というのは小舟をロープや鎖で繋ぎ、その上に橋桁を置いて人が渡れるようにしたものです。私はてっきりそれだと思い近くまで行ってみたのですが、何とそれはドラム缶の橋でした。でも浮橋には違いありません。

 奥多摩湖   ドラム缶橋

 浮橋といえば『源氏物語』の最後の巻名「夢の浮橋」が真っ先に思い浮かびます。光源氏が死んで、表向きは源氏の子である薫の時代を描いた宇治十帖と呼ばれる部分ですね。匂宮(におうのみや・源氏の孫にあたる)と薫の板挟みになった浮舟(うきふね)は、悩みぬいた末宇治川に身を投げようとし、浮舟の訃報を聞いた薫や匂宮は嘆き悲しみます。それでもそれを忘れようとするように女を求める二人。死んだと思われた浮舟は生きていて、出家していたのですが…。

 ダム付近   ダムからの眺望

 奥多摩湖には小河内ダムもあるのですが、そこの夕景がとても幻想的で、浮舟と匂宮の逢瀬を連想させます。匂宮が用意した対岸の家に浮舟を連れ出し、二日間をそこで過ごすのですが、そのために宇治川を渡った時の情景がちょうどこんな感じだったのではないかと…。そしてこの時浮舟が詠んだ「橘の 小島の色は かはらじを この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ」という歌から女性の呼称が生まれたといわれています。

 詳細は『源氏物語』を読んでいただくしかありませんが(何しろ長いので)、あの時は浮橋という響きに惹かれてドラム缶橋を渡りました。ゆらゆら揺れて、ちょうど吊り橋を歩いているような感覚でしたけれど、楽しくなって何度も行ったり来たりしたのを覚えています。人間の人生も、あの浮橋のように波間に漂っているようなものかもしれません。夢の中のあやうい通い路を、紫式部は「夢の浮橋」という言葉で表現したのでしょうか。

 春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 横雲の空(定家)

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