ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

平安京内裏のトイレ

2020-05-10 19:25:08 | 日記

 最近のトイレは綺麗になりましたね。洋式でなければ駄目、暖房便座でなければ駄目、挙句はウォシュレットでなければ駄目なんていう贅沢な人も増えましたけれど、私が小さい頃はバキュームカーが汲み取りにくるのが普通でしたから、衛星面でいろいろ大変でした。うじ虫が湧きましたし、蝿も多くて、今思い出してもぞっとします。

 そんなトイレですけれど、人間にとっては最も大切なものです。外出した時など、トイレを探すのに苦労した経験は誰にでもあるのではないでしょうか。では今のような設備のない平安時代、重ね着をした女房たちはどのようにしていたのでしょうか。

 

 内裏の内部には不浄を忌むためか樋殿(ひどの・厠)が設けられていませんでした。なので樋筥(ひのはこ)に用を足し、それを「すまし女(め)」と呼ばれる下女が内裏の東北隅にある御樋殿まで運び、汚物を捨てていました。樋筥は殿舎の適当な場所に置き、几帳などで隠されていましたが、真夜中など筥(はこ)がいっぱいになることもありました。すまし女も熟睡していたりすると、女房たちは止むを得ず御溝(みかわ)を利用するしかなかったんですね。御溝というのは宮中の庭を流れる溝のことですが、ここに宮中清掃の塵芥も流されていました。但し上流を穢すことは禁じられていたようです。

 このトイレ、つまり樋筥にまつわるエピソードが『宇治拾遺物語』に伝えられています。色好みで名高い左兵衛佐(さひょうえのすけ)平貞文、俗に平中(へいちゅう)と呼ばれる人がいました。どんな女性でも、その意に従わない者はいないくらいでしたが、才媛の聞こえ高い本院侍従(ほんいんのじじゅう)という女房だけは思うように靡きませんでした。何とか言葉を交わすことはできたものの、そこから先が進みません。するりするりと身をかわされ、どう努めても望みは遂げられそうにありませんでした。そこで想いを断ち切ろうとして思いついたのが樋筥の中身を見ることでした。それを見ればあさましくなり、愛想が尽きると考えたわけです。

 平中は部下に命じ、すまし女から本院侍従の樋筥を奪い取らせます。これを見れば疎ましくなって忘れることもできようと、物陰に持っていって開けてみると、何と香ばしい匂いが立ち込めます。見ると沈香(じんこう)や丁子(ちょうじ)といった香料を煎じて入れてある上に、種々の練香(ねりこう)を丸めたものがたくさん入っていました。芳(かぐわ)しいこと限りありません。これを見た平中は、こんな気遣いをする人がいるものかと驚きあきれ、益々想いが募ったもののどうすることもできませんでした。そのまま終わってしまったということです。平中が見ることを予想できたかどうか、とにかく本院侍従の方が一枚上手だったんですね。

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