ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

中庸が肝心

2013-12-04 19:24:21 | 日記
 先月、福岡県早良市で65歳の母親に暴力を振るって殺してしまった事件がありました。「家事をしないから」などの理由で床に放り投げたりしたそうですが、これから高齢化社会が進んでいくと「姥(うば)捨て山」も復活するのではないか、と思わせるような恐ろしい事件でした。

 以前忠孝の精神の行き過ぎは弊害になると書きましたが(「忠孝の精神に苦しんだ清盛の嫡男」、「だから韓流?」等)、だからといって親を粗末にしていいということではありません。何事も中庸が肝心です。
 忠孝の精神の弊害というのは、「どんな親でも、己の命を削ってまで孝養を尽くさねばならないか」、あるいは「どんな上司でも、無茶苦茶な要求を受け入れなければならないか」ということを言っているのであって、決して年老いた親を虐待して殺していいということではありません。

 中庸というのは、いうまでもなく四書五経の四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)のひとつで、いろいろな解釈がありますけれど、「過不足なく、偏りがなく、調和がとれていること」であると思います。単に「平凡」とか「恒常」、「中途半端」、「平均値」という意味ではありません。儒教哲学における最高理念としての徳です。

 難しいことは専門書を紐解いていただくことにして、私が言いたかったのは「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」、何事も行き過ぎてはいけないということです。忠孝の精神の弊害も行き過ぎが原因ですから、お互いに意見を交換できる間柄でいれば問題ないのです。どちらか一方が支配するような関係にあるのが問題だと思います。
 できる範囲で親への孝養を尽くすことも、家を守るという精神も、人間にとってあるべき姿です。それぞれ家庭の事情があるとは思いますが、自分の手にあまることは行政に相談する。勿論思うような結果になるとは限りませんが、新しい道が開けることもあると思います。

 最近はどんな番組を見ても元気なお年寄りが多く、60歳を過ぎても働く人が増えました。勿論、それは歓迎すべきことですが、働けない人が肩身の狭い思いをするのはどこか間違っているような気がします。
 前述の事件の母親は足が悪かったそうですが、65歳といえば高齢者です。シュワちゃんのように元気な人はともかく、60歳を過ぎたら元気でない人も多いということを忘れてはなりません。銀座で街頭インタビューに答えておられる方たちは元気です。そういう人たちの声は届きますが、元気のない、家に引きこもりがちなお年寄りの声は届きません。そういう人たちは声を上げられずにいるのです。年をとっても元気でいなければいけない、働かなくてはいけないという風潮が蔓延してしまうと、元気でない人たちは益々家に引きこもらざるを得なくなります。

 元気でない人にとって、元気な人の姿は励みになるどころか、つらい時もあるんですよ。「頑張れ頑張れ」ではなく、「もう頑張らなくていいよ」という声掛けも必要なのではないでしょうか。
 長寿大国ニッポンを誇りとするなら、「姥捨て山」があってはなりますまい。

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