台風一過の酷暑が続いています。昔は夕方頃になると打ち水がしてあったり、縁台に腰掛けて将棋をしているおじさんたちがいたり、線香花火をしている子供たちがいたりと、夏の夕涼みの風景があったものですが、最近はあまり見掛けなくなりました。夕涼みができないくらい暑くなったということでしょうか。
夕涼みの光景を思い出す時、同時に浮かんでくるのは一茶の句、「いざいなん 江戸は涼みも むつかしき」です。柏原の農村で生まれ育った一茶が、江戸の生活や気風になじめないまま五十歳を迎え、郷里へ帰る決意をした時の句。「いざいなん」というのは「さあ、故郷へ帰ろう」くらいの意、「江戸は涼みもむつかしき」というのは、田舎者としてのひけめがつきまとっていた一茶の正直な思いです。縁台に腰掛けて夕涼みをするにしても、どこか遠慮気がねをしなければならない肩身の狭さ。こんなところはさっさと引き揚げて故郷へ帰ろうというわけです。
もっとも涼みがむつかしいという理由は、それだけではなかったようです。何しろ江戸の庶民が暮らすところは密集地ですから、風が通りにくいということもあったでしょう。「裏店(うらだな)に住居(すまひ)して」と題した句に、「涼風の 曲りくねって 来たりけり」というのがあります。裏長屋は家並も不揃いだったんでしょうね。涼風も曲りくねって、やっとのことで奥の我が家まで辿り着くという、一茶の自嘲が込められた句です。ちょっとした可笑(おか)しみもありますけれど、あたりの陋巷をも思い描かせてしまうところはさすがですね。
一茶は幼くして母を亡くし、八歳の時から継母に育てられます。そして弟仙六が生まれると子守をさせられ、随分つらい思いをしたようです。継母との対立もあって十五歳で江戸へ出ますが、手に職を持たない一茶は渡り奉公などをし、流民同然の生活をしていたようです。「巣なし鳥のかなしさは、ただちに塒(ねぐら)に迷ひ、そこの軒下に露をしのぎ、かしこの家陰(やかげ)に霜をふせぎ…、くるしき月日おくるうちに、ふと諧(かい)々たる夷(ひな)ぶりの俳諧を囀(さへづ)りおぼゆ」と『文政句帖』に記しています。一応葛飾派の俳匠に師事して俳諧を学び、師匠亡きあとその足跡を慕って西国行脚の途についたのですが、七年にわたる行脚修行でも一人前の俳諧師となることはできませんでした。江戸に戻って十年、一家を成す目安も立たないまま父が亡くなり、弟仙六との間に遺産分配の取極めを交わすことができた一茶は、「いざいなん」の句を残して柏原へ立ち帰ります。
それで「涼み」の方はどうなったかというと、一家の主となった一茶は手足を伸ばして充分に涼めるようになりました。ところが、「大の字に 寝て涼しさよ 淋しさよ」となるわけです。誰に遠慮もいらず、大の字になって寝てはみたものの、その手足から這い上がってくるわびしさ、たまらない寂寥感。人がいるのは煩わしいけれど、一人は一人でこれまた淋しい。人間て難しいものですね。いやー、一茶、面白いです。どこからか本音が聞こえてきます。
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