ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

白蓮の眠る寺

2014-12-07 18:33:40 | 日記
 ブログの更新が少し遅れてしまいました。

 今年はどこへも行けなかったので、昨日紅葉狩りを兼ねて石老山顕鏡寺(せきろうさんけんきょうじ)へ行ってきました。ここは朝ドラ「花子とアン」で注目を集めた柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん)のお墓があるところです。イチョウの絨毯を踏みしめながら山門を潜ると本堂があり、その横を通り抜けてさらに高みを目指していくと宮崎家のお墓があります。白蓮はそこで愛する家族とともにひっそりと眠っています。

 山門   駐車場からの眺望

 顕鏡寺は平安時代に創建された古刹で、開山した源海法師が住居としていた道志岩窟などもありますが、近くにある津久井城跡周辺の風情を詠んだ歌も残されており、白蓮夫妻はこのあたりの風景を愛したようです。
 ほろびたる ものは美し 紫の 野菊そよげり 古城のほとり

 道志岩窟  鐘楼

 白蓮に関しては朝ドラを見るまで「大正の三美人」というくらいの知識しかありませんでしたので、白蓮事件というのも彼女の我儘と好色のなせる業としか考えていませんでしたけれど、ドラマを見ているうちに彼女に対するイメージが変わりましたね。本当は壮絶な人生を生きた人なのだとわかるにつれて、今更ながらあの時代の女性たちへの同情を禁じ得ません。

 勿論ドラマ通りではなかったにせよ、維新によって武士の身分を剥奪された旗本御家人の娘の多くは、芸者になって家を支えたと聞いています。白蓮の母も例外ではなかったようで、芸者をしているところを柳原伯爵に見初められ身請けされました。母親も評判の美人だったそうですが、やはり妾は妾。白蓮を産むとすぐに引き離され、失意のうちに21歳という若さで亡くなっています。

 ですから白蓮は母親の顔を知らずに育ち、ほぼドラマに近い人生を歩むことになるのです。血筋も家柄も悪くないのに、母親が妾の立場であったというだけで壮絶な人生を歩まなければならなかった白蓮。姦通罪のあった時代に宮崎龍介と駆け落ちし、夫である伊藤伝右衛門(九州の炭鉱王)に絶縁状を公表する(新聞紙上)という暴挙に出たのは、白蓮の運命があまりに過酷だったからではないでしょうか。

 ゆくにあらず 帰るにあらず 戻るにあらず 生けるかこの身 死せるかこの身

 という白蓮の歌からは、進むことも退くこともできない、身動き一つ自由にならないという閉塞感と死ぬほどの思いが伝わってきます。普通の常識を持った人間が破天荒な行動に出るのは、その人の人生が過酷すぎる故だと思いますけれど、最近は危険ドラッグとかで安易に破天荒な行動をとる人が増えました。もう少し思慮と我慢をと思うのは私だけでしょうか。

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