外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南&北京=>故郷へ

北京五輪の翌年(2009年)からの外教(外国籍教師)生活と地元での留学生との触れ合いを綴っています。

次代の研修に向けて

2011年11月24日 | 日記
11月24日(木) 晴れ

東の空がとても綺麗な赤に染まっていました。
気温零下1度。いよいよ本格的な冬の始まり、といったところですが、それでも
昨年一昨年よりも少し遅い冬の到来なのかと思えますね。

昨日3年生の研修希望者2人が無事に面接に合格した旨を2年生の授業で
話しましたら芳が非常に興味を持っておりました。彼女も研修希望者で可能な限り
早い段階で日本に行きたいと考えているようです。私もなんとか手助けして
あげたいのですね。一昨年まで続いていたホテル系への研修派遣の機関が大地震の
影響もさながらそれ以前から仕事の案件が減っており、出国待機者が1年さらには
2年も待つという状況になっており、その機関と契約を交わしていたこの学校も
どうすることもできないでいるのです。
それもあって昨年からKさんそして私が別の研修機関を通じて学生の出国への手伝い
をしているのですが、紹介手数料の入らない機関を通じての出国へは難色を示す
教職員もいたりで謂わばスタンドプレー的な見方をされております。
要はどこまでも学生を金蔓に利用したいわけですね。

ただ、現状では実質卒業となるこの時期からしか出国訓練に入ることはできず紹介
できるのは3年生のみ。2年生の途中からもしくは3年生の新学期からでも「実習」
と見なし3年次の学費さえ払えば3年終了時に卒業と見なされるにはその研修機関と
この学校との間に契約が必要となるわけで、非常に面倒なのですが、その仲介を
しなければいけなくなります。
金にならないことはやらない中国人を動かすには、やはり紹介手数料が必要な訳で
そのあたり、苦労しそうな気がします。

これに関しては無償で動いているわけですが、あえて言うなら学生の笑顔とあの輝く
目が褒美と言ったところでしょうか。ちょっと気障な言い方かもしれませんが。
しかし、国外で生活する、未知の世界へ行くことの期待と不安と希望、これは
そういうことを味わったことのある人にしか分からないと思う。
不安はとても大きいがその不安を凌駕する希望があるから目つきが変わる。
あの目を見るとお金は二の次になりますね。
もちろん、あればあるに越したことはないですが、邪心が入りそうで怖いですね。

新入生のいないこの新学期、2年次の途中からもしくは3年次の新学期からの研修が
適用されるとすれば今の私にとって現在の2年生が最初で最後の適用実績になる
ことと思われます。
その契約がすんなり行くとは思えないのですが、やって駄目なら仕方の無いこと。
とりあえず『やってみなはれ』ですね。
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面接と結果

2011年11月24日 | 日記
11月23日(水) 晴れ

綺麗に晴れた空、そして外気温1度の寒さの中、校門で迎えの車を待っていました。
学生二人の面接会場へ、列車の切符は購入しておいたのですが、派遣元の会社が
面接が終わった後引率の先生と研修生たちを車に乗せて帰るということで、私の
見学に合わせて車を出してくださったのです。

出発は8時半だったのですが、新幹線でも1時間はかかる距離、到着したのは11時
で一人の面接は既に終わっておりました。
しかし、もう一人の面接が暫くして始まり、その一部始終を見させていただきました。

面接受験者は男女合わせて55名ほど。男女それぞれ10名前後のグループとなり
1グループが約45分の時間の中、自己紹介から質問への回答をします。
面接官は3名と通訳が一人。
この人数でも一日かけて面接をするのですが、前回は倍の人数がいたそうですから
面接官も大変ですね。

以前から聞いていたように日本語を勉強したことのある受験者は私の学生だけ。
他はこの日の為にこの3日間猛勉強で暗記した日本語の挨拶ができるだけ。
その時点で二人の合格は確信しました。なにせ、私が面接官に挨拶した際に
彼女らの日本語力を賞賛していただほどです。

で、私が懸念しております派遣先ですが、私が特にプレッシャーをかけたわけでは
ないのですが、二人とも首都圏の同じ工場に勤務が決まりました。

今はとりあえずホッとしています。
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