滋賀医科大学ハンドボール部

滋賀医科大学ハンドボール部の日々ある出来事を紹介してゆく驚くべきブログです。皆さん、どうぞお立ち寄りくださいませ。

上林です。

2012年08月06日 22時53分11秒 | Weblog

最後になりました。
上林です。



七年間、皆様には本当にお世話になりました。

練習に来て下さったOB・OG様方、外部の方々、また練習には来れずとも気にかけてくださったり、メッセージをくださった方々。

ありがとうございました。

大会前ですが、取り急ぎ今年非常にお世話になった方へこの場を借りてお礼申し上げます。



茶野先生。
この一年だけでなく本当に7年間を通してお世話になりました。
入部初日は怖くて顔が見れませんでしたが、本当に僕らのことを考えていただき、特に僕は留年しているため先生と1年間毎日一緒に居させてもらったのも僕にとっては特別な思い出です。
今年ご迷惑をかけたことや、他にも先生に怒られたことが自身を振り返る本当にいい機会であり、ダメなところはいっぱいありますが成長させていただいたように思います。
どれだけお礼を申し上げても恩は返しきれません。
ので、結果出してきます。

櫛田さん。
七年間本当にお世話になりました。
1,2年生のころは、やたら出場機会をくれるし、いっぱい服くれるし、なんやろ?コーチ?ん?みたいな感じでした。
キャプテンになった時に櫛田さんからなにかよくわからない抱擁感で、様々な精神面、技術面のサポートをしていただきました。
つらいときには、楽しく。緩いときには厳しく。
「あー、こういう風になれば相手が嫌な気持ちにならずに理解してもらえるんやな。」と思いました。
コーチや、キャプテンっていうのはこうすればいいと言う方向のその人でした。
櫛田さんを見て、櫛田さんのようになれたかはわかりませんが、僕らしく櫛田さんに近づけた気持ちでいます。
櫛田さんに教えてもらった7年間をぶつけてきます。

満さん。
今年、監督を引き受けてくださりありがとうございました。
監督とは言え、実質そんな遠い存在ではなく、本当に近いOBさん、本当に失礼ですが『ハンドボール仲間』として接してもらえたんではないかと思います。
なにかと気をかけてくださったり、飲みに連れて行ってもらったり。
本当に好きです。
告白みたいになりましたが、満さんのおかげでチームがまとまりました。
このチームで勝ってきます。





みんな書いてるので、僕も七年間を少し書きます。

一年生の時。八木さんにつかまり、サッカー部に連れて行ってもらえるはずがここどこ?状態でハンドボール部に入部。
朝練きつい。サボる。川口さんに怒られる。高島さん怖い。
佐治さんにいじめられるも西医体で優勝してもらい、わけもわからず嬉しい。

二年生の時。試合にも徐々にではじめてなんとなく楽しい。
佐治さんにいじめられるも小川をいじめてなんとなくイーブンな感じ。
西医体で優勝してもらい、自分も出たことで嬉しい。森田さんなんかすげー。八木さんかっけー。悠さんはえー。

三年生の時。関ちゃんとGK一緒に頑張る。
西医体で僕の指先に当たったボールが入って終わり。
金ちゃん、立入君引退。悔しかった。

三年生(2回目)の時。キャプテン。留年するも先生に拾ってもらう。
勉強しなくてよかったから、ハンドのことだけ考えてればよかった。
やれることはやったけど、優勝できなかった。
佐治さん、玉井さん、治樹さんホンマすごかったけど負けた。
泣いた。

四年生の時。小川が理不尽やと感じたけどすごく頑張ってた。
もっとはやく歩み寄ればよかったと今でも思う。
最後はひとつになれた気がした。けど負けた。
立入さん、関さん、DOさん引退。
一番仲が良かった学年でホント勝ちたかった。

五年生の時。日出夫は自分なりにダメやったけど考えを持ってた。
チームはバラバラやったけど高島も加入して満田覚醒。
三宅が怪我したけど、日出夫覚醒。バーサーカー状態。
優勝。





さて、6年生ですが。
開始から半年くらいは全くヤル気が出なかった。
これって燃え尽き症候群?

昨年度は、三宅、満田、高島が最後やし、自分も最後やと思ってプレーしてた。
チームには積極的に関わったし、楽しかった。

昨年も書いたけど、「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
という言葉通りにしてた。

今年度になって一番感じたことは、他人任せ感。
DFがどれだけだめでも、どうせGKがんばって止めてくれるやろ。
みんな口に出しては言わないけど。

だから、DFが成長するわけもないし僕の成長がそんなモチベーションでできるはずもなく。




んで、半年過ぎたころ。
チームは完全にバラバラ。
部員、マネージャーやめたい人チラホラ。
幹部でさえバラバラ。
その上、僕が問題を起こす。

僕にかかわってもらった方達には本当に申し訳なかったし、感謝も謝罪も足りないと思います。
でも、このことがきっかけで、チームがどれだけ僕に頼ってくれているか、期待しているかも教えてくれた。
良い意味でも悪い意味でも火がついた。
やるしかないんやな、と。




誰かに期待されるって正直めんどくさい。

本当にそう思ってた。

けど、このチームみんなに必要とされてることは素直に嬉しい。

ボールを取る理由なんてそれだけで十分。

僕の最後のプレーを目と胸に焼き付けてください。





恒例ですが、みんなに一言ずつ。

井上
試合でれんぞ。来期見据えろ。

奥田
声出せ。それだけでオレら頑張れる。

宮田
お前も井上と一緒や。気持ち出してけ。

瀧川
みんなのかけ橋頼むで。
シューターとしての責任な。

佐々木
センスをフルに引き出せ。
そのために必要なものも知ってるやろ。
後輩からの突き上げに負けんな。

角田
選手としてはどうなるかわからんけど、
自分が一番納得する形で終われよ。
ベンチ頼むで。

小池
お前には今さらやな。
ちゃんとユウキ助けたれ。
カノジョによろしく。

山本
練習で一番長いこと一緒にいたな。
昨年は後ろにいたけど、今年は横にいるな。
一緒に守ろうな。
よろしく。

大町
びびんな。
この大会でも一番伸びるで。
点もぎ取ってこい。

三宅
オレがずっと言ってたことがこの大会で一番できるように。
みんなの気持ちわかるお前やからできるんやで。
あと、シュートいれろ。

村井
ごめん。んで、ありがとう。

キャプテンとして二枚目として頼む。
お前、言われてたけど、今存在感あるで。
相手潰せよ。
縁起物ばっかり送りつけてくんな。

村松
タスクと一緒。
できてないから言うんじゃなくて
できるから言ってるんやしな。
一緒に頑張ってや。

黒住
ガリ夫。
今年も覚醒よろ。
お前は自分持ってるからなんもない。
モチベビデオ楽しみ。

生田
6年間ありがとう。
足潰れても点もぎ取ってきてや。
最後頼むで。

碓井
6年間ありがとう。
一年の時、絶対あかんと思ったけど。
頼りになったな。
相手、やってまえよ。

小川
6年間ありがとう。
仲良かったり、仲悪かったり、仲良かったり。
似てたり、似てなかったり、似てたり。
楽しかった。
一点づつ頼む。

舞子
4年間支えてくれてありがとう。
勝つな。


マネージャーのみんなもありがとう。
準備もスコアも応援も本当に力になる。
最後の試合までよろしくお願いします。




最後に部員のみんなへ。

オレはGKやし、守備の要でチームの要やと思ってる。

けど、オレに点は稼げへん。

オレは攻撃ができひん。

でも、お前らが必死で攻めてくれるなら、どんなにシュートを外しても一切責めへん。

だから、なにがあっても絶対あきらめんな。

オレが最後まで守り切るから。







                                                                                             守護神 オレ




自分を信じて

2012年08月06日 21時16分30秒 | Weblog
ついに最後。本当に最後になりました。


1年生の春、入部してから5年半。当時は怖い先輩たち、経験者でやる気満々の同級生たち、キャラがめちゃめちゃ濃い同級生マネージャーたちの中で、
正直かなりしんどい毎日を過ごしていました。

こんなにしんどいってわかっていたなら入らなかったのに。
初心者やのにミスったらめっちゃ怒られるし。オレはバレーボールならお前ら全員に勝てるのに。
こんなつもりじゃなかった。

正直そんなことを思いながらの日々でした。

同級生も経験者のため、初心者は自分1人。やる気一切なし。朝練手抜きまくり。西医体試合当日寝坊。

そんなどうしようもないやつだった自分が…今ではこんな感じです。笑


下級生のうちは、ずっとやめたいと思ってた。明日こそはやめよう。次嫌なことがあったらやめよう。もう耐えられない。

ずっとそう思ってた。そんな僕に転機が来たのは、2年生の春、新人戦でした。


その少し前から、僕は櫛田さんの気まぐれ(な気がする)によって7mスローの2番手を任されていました。そのため、新人戦でも7mスローを打つことに。
予選リーグ、僕はサイドシュート、7mスローともに絶好調でした。外す気がしなかった。新人戦チームでも、困ったら僕に回すっていう戦術をとってくれていました。

そして、予選を勝ち抜いて…浜医戦。

チームが1点負けているときの、ラスト2分ほどでの7mスローでした。

初心者の僕にとって、初めての責任あるシュートでした。

そして、多分初めて公式試合で外した7mスローでした。

1点差で負けました。

悔しかった。自分のあのシュートが入っていればと思うと涙が止まりませんでした。

でもなにより悲しかったのは、櫛田さんを泣かせてしまったこと。
泣きながら「この経験をバネにしよう、いつか決めれる選手になろう」と言ってくれました。初めて、試合に負けて大泣きしました。


今思えば、この瞬間が、今の僕の全てを作ってくれたと思います。

その後の西医体で同点シュートを決めれたこと、そして逆サイドのレギュラーになれたこと、まわりの人から、土壇場でシュートを決めれるやつやと思ってもらえるようになったこと。

その全てが、この経験が糧になっていると思う。

今でも土壇場のシュートの場面になると、思い出す。


僕には、特にこれといった才能はありません。生田みたいにすごい速いフェイントができるわけではないし、碓井みたいにDFで体張れるわけでもない。
上林さんみたいにゴールを包み隠せるくらいの身長もない。てか小さい。響介みたいに肩が強いわけでもない。
三宅さんみたいにチームを盛り上げることもできない。満田さんみたいにエースにはなれない。


僕にあるのは、シュートだけ。でも、僕はたった1つのこの武器で、これまでやってきた。


土壇場の決めなきゃならない1本。そここそ、自分の居場所、存在意義、チームに貢献できる唯一の場面。


必ず決めるから。みんな見てて。


1年生の元気なやんちゃ坊主3人。熱心に来てくれる3人。
2年生の自分たちが目指すプレーヤー像が見えて見違えるほどうまくなった2人。マネ幹部で責任背負いながら部活に来てくれた4人。
3年生のこれからチームを背負っていく2人。西医体には出れないけど、それでも最後まで幹部をやり通してくれた1人。部活との悩みながらも顔を出してくれた4人。
4年生の俺がどんなに怒ってもハンドボールを続けてきてくれた幹部4人。同級生が辞めても1人でクラブをやり続けてくれた1人。
5年生の何考えてるのかわからないけどそれでもずっと俺らと楽しくハンドボール部で一緒にやってきてくれた1人。
計25人。
そして、OBOGの方々、学外関係者の方々。櫛田さん。


みなさんに、本当に感謝です。


頑張ってきます。


頑張ろう。


勝とう。







勝つぞ。



9番 小川 智也

チーム

2012年08月06日 21時02分38秒 | Weblog
僕の現役生活も残り4日間。早かったのか長かったのか、どちらか分からないけど、すごく中身のある5年半だったと思う。


向かうところ敵なしで、強く、たくましいけど、どこか芯の通っているハンドボール部を見て、このクラブに入って自分を成長させたい、引退するころにはきっと先輩方のようなたくましい人間になれるはず、そう思って入部した一回生のころ。


いざ、ハンドボール部に入ってみると、先輩方は練習ではめちゃくちゃ厳しくて、勝つことに対する執念に圧倒されそうになるものの、いつもOB・OGさんがやさしく包み込んでくださっていて、どんなにしんどくても辞めたいと思うことは一度もなかった。半泣きになりながらやっている僕を久米先生や満先生には励まされながらやっていたこともあった。


試合に出られない時は、うまくなって出てやる。試合に出ることができるようになったら、今の自分悪くないのに何で怒られなあかんねんとか、どうやったらもっとうまくなるのだろう。そんなことばかり感じていた。

ただ、学年が上がるにつれて、先輩達の強さがそこにはないのかなと感じるようになった。自分がどのような環境で過ごすことができていることにあまりに気がつけていなかった。


自分達が忙しい時やチームの結果を出せていない時にも支えてくれるマネさん。一人ひとりの個性、チーム状況を考えて戦術的なことから精神的なことまで色んなことを支えてくださった櫛田さん。滋賀医大がより良いチームとなるように気にかけてくださる多くの関係者の方々。そして、我が事のように現役の活躍を喜んでくださったり、時には言いたくないようなことを現役のために言ってくださったり、お忙しい中体育館に足を運んでくださったり、……様々な形で現役を支えてくださるOBOGさん。


チームというものは目に見えないし、時には不安定なものだけど、先輩達から少しずつ形を変えながらでも、託され、ずっと受け継がれて、受け継いだ人達の気持ちを載せてまた構成されていく。それらを背負って最後の大会に臨めるということ。誰かの為に頑張るとかそんな感情というよりも、そんなものを背負わせて頂いている。それだけで自然と心から優勝したいと思う。


6回生の自分は1回生の頃に抱いていたたくましい自分になっていたとは言えないかもしれない。ただ、あの頃に気づけなかったものを背負って、個性いっぱい、元気いっぱいのたくましい後輩たちと一緒に最後の西医体に臨めることが楽しくて仕方ない。


現役のみんな、山口では思いっきり暴れまわろう。個人の集まりじゃない、うちらのチームの強さを見せつけてやろう。大丈夫、勝てるから。



5番  碓井 太雄

一瞬だけど閃光のように・・

2012年08月06日 17時51分28秒 | Weblog
今まで9年間もやってきたハンドボール

最初は彦根東のハンドボールコートで先輩がやってたハンドボールが、楽しそうでカッコよかったから

ただそれだけでやり始めたハンドボール

そのまま大学もハンドボール部に入り

今日まで卒業していった先輩方の背中を追って上手くなろうとしてきました




櫛田さんにもよく言われるけど

僕達がどれだけハンドを上手くなろうとも

これから医者になってその技術が生かされる機会はないし

ハンドのプロになるわけでもない


それなら

僕達は何のために土日返上でこんなに辛い練習をし

先輩に怒られながらもハンドを上手くなり、強くなろうとするのか




それは・・

西医体優勝という栄光をつかむため




優勝し

チーム全員で笑い・泣き・喜ぶ

その一時のために僕達は今までやってきた




そのための西医体

たったの5試合

時間にしてもたったの230分



こんな少しの時間なんて

今年1年やってきた練習に比べても

ましてやこれからの人生においてもほんの一瞬でしかないかもしれない





・・・でも、最高に濃いこの一瞬

この部員でやれるこの一瞬

このマネージャーの思いを込められるこの一瞬

どんな時でも見守り・応援してくださった、OB・OGさんの気持ちに応えることができるこの一瞬

様々な面で支援してくださった、櫛田さん、齋藤さん、hansukeさんをはじめとする多くの方々に、少しでも恩返しすることができるこの一瞬

全く滋賀医と関係ないはずなのに、自分のチームのようにいつも気にして、去年は西医体に来てまで応援してくれた元大教大の清水に魅せることができるこの一瞬

いつも練習に来てくださり、時には優しく、時には厳しい言葉をかけてくださった顧問の茶野先生、監督の満さんに成長を見せ、一緒に喜んでいただくためのこの一瞬

この滋賀医大ハンドボール部でやれる最初で最後のこの一瞬






たくさんの人の思いが山ほど詰まっているこの一瞬




・・一瞬だけど閃光のように・・




激しく燃えてやってやろうぜ!!





滋賀医科大学ハンドボール部 7番 生田旭宏



最後の西医体

2012年08月06日 15時39分00秒 | Weblog

昨日のボールを触る最後の練習に来てくださった、櫛田さん、八木さん、あつこさん、あゆみさん、のぞみさん、ありがとうございました。





ハンド部に入って、もう最後の西医体を迎えようとしている。

ハンド部に入ったきっかけは、
マネージャーやってみたいな~この部活は楽しそうだな~
そんな興味本位だった。


入ってみたら予想以上にみんな熱くて正直ついていけなかった1年目。

そんな中で迎えた初めての西医体では、スポーツでこんなに泣いたことがないってくらいに悔し泣きをした、銀メダルだった。
西医体で優勝する困難さと先輩方の熱い想いに初めて気づいた。



幹部としてのマネ業務に必死だった2年目。

4月からの3か月は、試合に行く度に責任で吐き気と腹痛が酷くて、本当に辞めたくて逃げ出したかった。
でも、こんなつらい思いを先輩たちもしてきたんだ、そんな先輩に気持ち良く一つ一つの試合に集中して引退してほしい!
その思いだけで、仕事をこなしていった2回目の西医体。
結果は銅メダル。準決勝でみんなが崩れる様子が焼き付いて離れなかった。
もっとできることがあったんじゃないかと後悔ばかりが巡った。



後輩に教えていくという責任ができた3年目。

春の学連で、初めてハンドの試合がおもしろいと思った。
マネ業に捉われ過ぎずにプレーヤーを応援できる楽しさを知ると、部活に行くのが苦痛じゃなくなった。
代わりに後輩のミスが自分の責任になることを痛感した。
自分のふがいない部分は、ずっと上のマネさんがカバーしてくれていたことに気付いた途端、
あゆみさん・のぞみさんが引退されることが不安で仕方なかった。
でも、一番可愛がってくれた先輩で、しんどい思いをされていたのを見てきた先輩だからこそ、最高の引退をして欲しかった。
そして3回目の西医体は、紆余曲折を得ての優勝。みんなが嬉し泣きしているのを見て、本当に幸せだった。
同時に一緒に引退したかった思いが出てきた。優勝で引退できる先輩が羨ましかった。



プレーヤーもマネージャーも支えていこうと思った4年目。

今まで上のマネさんしか見ていなくて、後輩マネちゃんのめんどうを見れていなかった。
プレーヤーのことも考えられていなかった。
マネージャーってどうあるべきなのか分からなくなっていった。
マネの仕事、頑張らなくていいよって言われたり、もっとマネとして頑張れって言われたり、、、
一番上のマネとして何が求められているか考えるために、実習があっても部活に行きたかった。
結局、笑顔でハンドボールしてるプレーヤーが見たいって自分が思うように、
マネを笑顔にさせたいってプレーヤーに思われるようなマネでいよう!
そう考えるようになっていた。

けど、学年で1人のマネになってから、「1人だからしょうがない」って自分を甘やかしていたこともあった。
1、2、3マネは私に頼りきれないことも多かったと思う。
それでも「まいこさん来てくれてよかった~」って言ってくれる後輩が可愛かった。
そんながんばっている後輩マネの姿に励まされたこともあった。
だから、歴代のマネさんに教えていただいたマネとしての姿が、
少しでもこの子達に残ったら、マネージャー全員で最弱と言われながら必死になっているプレーヤーを支えられたら、と思って余計に部活に行った。





どんなことがあっても辞めなかったのは、

結局はハンド部が好きだから。

ハンド部の人が好きだから。

ハンド部の雰囲気が好きだから。


書き出したらキリがない。





ハンド部のために、練習も含めて様々な面で支えてくださっているOB・OGさん。


一生懸命それぞれの学年のマネとしてできることを考えて頑張ってくれた後輩マネちゃん。


今の自分に何ができるか、それを最大限に出そうとしてくれた後輩部員。


いろいろ言われながらも幹部として頑張ってくれた同回ときょうすけ。


2連覇の重圧の中、途中で挫けそうになって、身も心もぐちゃぐちゃになりながら、キャプテンとして責任を果たそうとした峻悟。


何よりこの1年間、どの試合も満身創痍で臨んでくれて、誰よりも優しいのに厳しい一面を出してくれて、ハンド部を見捨てそうになっても見捨てずにいてくれて、大きな背中を見せ続けた、生田さん、碓井さん、小川さん、上林さん。




みんなが優勝に向けて頑張ってきた姿をみんな自身が知っているから、見ているからこそ、本当にこのチームで優勝しよう。


みんなで、大声でバカみたいに嬉し泣きしよう。


そのためなら何でもする。マネとして、先輩として。






目指すのは優勝、それだけ。






4マネ  小島舞子