芦屋市立美術博物館で開かれている「コレクション展3 目撃者」は、いろいろな感覚が刺激をうける展覧会である。
1954年に芦屋で結成された具体美術協会の、1972年解散までの17年の軌跡を追う写真展示があった。吉原治良さんの「今まで誰もやったことのないものをつくろう」という呼びかけに集まった若き芸術家集団。彼らは「自由」であることを「具体」的に表現した。平面絵画に留まらず、立体表現、身体を使ったパフォーマンスなど新しい表現に挑んだ彼らは、20世紀半ばでは、まさしく前衛アートの世界の旗手だった。
「具体」の作品は、芦屋市立美術博物館の宝物。
「具体」のパフォーマンス映像は前回の「コレクションの底力」展でホワイエのビデオで観ることができた。今回はメンバーが選んだ写真。
一枚一枚に、他人がやったことのないことに挑戦するんだという、半世紀前の若いアーティストの気概のようなものを感じる。
「真夏の太陽に挑む野外モダンアート実験展」とか「だいじょうぶ月はおちない」などという展覧会のテーマには、学園祭の原点の「ヤルゾー!」というトキメキを感じる。
21枚の紙を突き破った「紙破り」の村上三郎さんの、「箱」。作品の一つは写真でしか残っていない。
一片80㎝の木箱20個を大阪の街のあちらこちらに置いた写真、置く場所によって違う物に見える。そして、一週間後、それぞれの場所で、それぞれの箱はふさわしい姿に変わっていた。解体したもの、傷ついたもの、消滅したもの、いろいろだ。最終的には、回収した箱を解体するパフォーマンスのためにつくられた中身のない箱。
これら箱の運命を思う時、同じヒトとして生まれるのに、違う場所に生まれて、違う人生を歩む、そして皆、ただの最後を迎える、ヒトのそんな運命のことなど考えてしまう。
果たしてこれが美術作品か?という疑問は残るが、高校の学園祭でやってみたい企画だ。(でも、今なら不審物扱いをうけ、きっと許可証みたいなものを貼らないといけないのかもしれない)
しかし、箱って何だろう?…何かを入れるためのもの。
そばにあると、何が入っているのかと、どうしても気になる。
展示室の中央に置かれたもう一つの、実物の、木の「箱」作品。
…耳をつけると、小さく時を刻む時計の音がする。中には閉ざされた時間が詰まっているのだ。不定期に時報が鳴るという。異次元に通じているかもしれない。ありふれた木の箱であるのに、京極夏彦の世界のような不気味ささえ感じる。
そして、その箱と重なるように、壁面には、蟻田哲(ありたあきら)さんの大きな油絵作品。3Dアートもびっくりの立体感。
「ものが在る」ことを追求している作家らしい。確かに、壁面の油絵の尖った角の方が、実際に置かれた木の箱の角より、当たれば痛い感じがする。
しかし、こんな色調の絵を長時間描いていて画家は楽しいのだろうか?
膨大な時間と労力と絵の具を使って現す、痛い壁の絵。
労力と時間という点では、松谷武判(まつたにたけさだ)さんの黒い絵は、みんな、黒鉛筆で塗り込めた上で、テレピン油を流して動きを加えたもの。
「流動K2」に立てかけられた枕木は巨大な鉛筆に見える。
私は左手で受話器を持つ時、右手では鉛筆を持って、グルグルする癖がある。
受話器を置いた後、そこには意味のない黒の図形が残る。これは何なのだろう。私の中の何が出てきたのだろう。そんなことを思い出す。
それにしても、こうした「具体」の作品を保存する美術館は、大変だろうなと思う。震災の時、ダメージはなかったのだろうか。
今回のコレクション展で、私が一番長い間その前に立っていたのは、段ボールに貼られた、堀尾貞治さんの「震災風景」という41枚の水彩画作品である。
1995年阪神大震災後の3月から約1年間の神戸市兵庫区の風景。
垂直に立っている物がほとんどない瓦礫の街。どこを向いても、思ってもみなかった構図がある。
これは、確かに私がリュック背負って歩いた震災後の神戸の街の風景である。
これはあそこかなぁと、一枚一枚、見ているうちに、私は、絵に描かれていないものを思い出して、胸がいっぱいになった。
それは、匂いと空気、1年間あの街に立ちこめていた埃っぽい空気だ。
絵の中の空間は、実際には、マスクなしには歩けなかった空間だ。
目に埃が入ってくるから、コンタクトの私はいつも伏し目がちで充血していた。
これらの瓦礫は今はもう、埋め立て地の何かに変わって、その上には新しい建物が建っているはず。絵に描かれた散乱した街の看板からは、ここにはこんなものがあったんですよ、地震さえなければ今もあったはずなんですよ、という、空しいモノローグが聞こえてくる。
とどのつまり、新しい建物も、崩れた瓦礫も、地球の些細な一部に過ぎない。
目撃者…展覧会に行って、私はまた、何かの目撃者になる。
1954年に芦屋で結成された具体美術協会の、1972年解散までの17年の軌跡を追う写真展示があった。吉原治良さんの「今まで誰もやったことのないものをつくろう」という呼びかけに集まった若き芸術家集団。彼らは「自由」であることを「具体」的に表現した。平面絵画に留まらず、立体表現、身体を使ったパフォーマンスなど新しい表現に挑んだ彼らは、20世紀半ばでは、まさしく前衛アートの世界の旗手だった。
「具体」の作品は、芦屋市立美術博物館の宝物。
「具体」のパフォーマンス映像は前回の「コレクションの底力」展でホワイエのビデオで観ることができた。今回はメンバーが選んだ写真。
一枚一枚に、他人がやったことのないことに挑戦するんだという、半世紀前の若いアーティストの気概のようなものを感じる。
「真夏の太陽に挑む野外モダンアート実験展」とか「だいじょうぶ月はおちない」などという展覧会のテーマには、学園祭の原点の「ヤルゾー!」というトキメキを感じる。
21枚の紙を突き破った「紙破り」の村上三郎さんの、「箱」。作品の一つは写真でしか残っていない。
一片80㎝の木箱20個を大阪の街のあちらこちらに置いた写真、置く場所によって違う物に見える。そして、一週間後、それぞれの場所で、それぞれの箱はふさわしい姿に変わっていた。解体したもの、傷ついたもの、消滅したもの、いろいろだ。最終的には、回収した箱を解体するパフォーマンスのためにつくられた中身のない箱。
これら箱の運命を思う時、同じヒトとして生まれるのに、違う場所に生まれて、違う人生を歩む、そして皆、ただの最後を迎える、ヒトのそんな運命のことなど考えてしまう。
果たしてこれが美術作品か?という疑問は残るが、高校の学園祭でやってみたい企画だ。(でも、今なら不審物扱いをうけ、きっと許可証みたいなものを貼らないといけないのかもしれない)
しかし、箱って何だろう?…何かを入れるためのもの。
そばにあると、何が入っているのかと、どうしても気になる。
展示室の中央に置かれたもう一つの、実物の、木の「箱」作品。
…耳をつけると、小さく時を刻む時計の音がする。中には閉ざされた時間が詰まっているのだ。不定期に時報が鳴るという。異次元に通じているかもしれない。ありふれた木の箱であるのに、京極夏彦の世界のような不気味ささえ感じる。
そして、その箱と重なるように、壁面には、蟻田哲(ありたあきら)さんの大きな油絵作品。3Dアートもびっくりの立体感。
「ものが在る」ことを追求している作家らしい。確かに、壁面の油絵の尖った角の方が、実際に置かれた木の箱の角より、当たれば痛い感じがする。
しかし、こんな色調の絵を長時間描いていて画家は楽しいのだろうか?
膨大な時間と労力と絵の具を使って現す、痛い壁の絵。
労力と時間という点では、松谷武判(まつたにたけさだ)さんの黒い絵は、みんな、黒鉛筆で塗り込めた上で、テレピン油を流して動きを加えたもの。
「流動K2」に立てかけられた枕木は巨大な鉛筆に見える。
私は左手で受話器を持つ時、右手では鉛筆を持って、グルグルする癖がある。
受話器を置いた後、そこには意味のない黒の図形が残る。これは何なのだろう。私の中の何が出てきたのだろう。そんなことを思い出す。
それにしても、こうした「具体」の作品を保存する美術館は、大変だろうなと思う。震災の時、ダメージはなかったのだろうか。
今回のコレクション展で、私が一番長い間その前に立っていたのは、段ボールに貼られた、堀尾貞治さんの「震災風景」という41枚の水彩画作品である。
1995年阪神大震災後の3月から約1年間の神戸市兵庫区の風景。
垂直に立っている物がほとんどない瓦礫の街。どこを向いても、思ってもみなかった構図がある。
これは、確かに私がリュック背負って歩いた震災後の神戸の街の風景である。
これはあそこかなぁと、一枚一枚、見ているうちに、私は、絵に描かれていないものを思い出して、胸がいっぱいになった。
それは、匂いと空気、1年間あの街に立ちこめていた埃っぽい空気だ。
絵の中の空間は、実際には、マスクなしには歩けなかった空間だ。
目に埃が入ってくるから、コンタクトの私はいつも伏し目がちで充血していた。
これらの瓦礫は今はもう、埋め立て地の何かに変わって、その上には新しい建物が建っているはず。絵に描かれた散乱した街の看板からは、ここにはこんなものがあったんですよ、地震さえなければ今もあったはずなんですよ、という、空しいモノローグが聞こえてくる。
とどのつまり、新しい建物も、崩れた瓦礫も、地球の些細な一部に過ぎない。
目撃者…展覧会に行って、私はまた、何かの目撃者になる。