星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

夭折の画家

2008-10-13 | 持ち帰り展覧会
1928年8月、佐伯祐三、パリに死す。30才だった。
~シャガールみたいに98才まで生きたら、彼は他にどんな絵を描いたのだろう。
 もっと生きて、もっと描いて欲しかった。

         「ラ・クロッシュ」1927 

       
  「人形」1925                「郵便配達夫」1928

以前芦屋市立美術博物館で、パリの日本人画家達といっしょに撮った佐伯の写真を見たことがある。芥川龍之介に似た、鋭い眼光で頬のこけた長身長髪の彼は、一人現地の人のようだった。

22才で結婚し、妻子と共に1924年1月から渡仏、パリでブラマンクと出会う。美しい文字広告の貼られた壁の絵が登場する。
1926年1月帰国、彼をとりまく日本の風景には、黒い輪郭で描けるのは、電柱くらいしかない。この間の絵を見ると、自分を発揮できるのはここではない、という彼のあせりが伝わってくる。
1927年8月再び妻子とともにパリへ。渡仏直後にパリの大通りを描いた大作、二日間で3枚仕上げたという。パリに戻れた彼の喜びが伝わってくるようだ。
そして、まるで、自分の人生の早い終わりを予感したように、午前に1枚午後に1枚のペースで描いたフランスの風景。
病床についてから、訪れた郵便配達夫をモデルに描いた傑作「郵便配達夫」…画家は郵便配達夫を、自分を訪れた神様だと言った。
                 
  展覧会場入口扉は「黄色いレストラン」1928

パリの風景の中に描かれた人間の姿の何と適確なことだろう。風景の中にとけ込んだ一部なのに、建物の隅にほぼ棒状に描かれた単純な形なのに、その人物の心情が伝わってくるような気がする。

「工場」1928 という作品の前で長い間立っていた。彼がもっと生きていたら、抽象画を描いたのではないかと思わせる作品だった。

「佐伯祐三展」の開かれている大阪市立美術館は、天王寺公園内にある。
天王寺公園は、2003年カラオケ露店が撤去され、静かな空間に変わっていた。
2000年フェルメール展の時は、外に出た途端、カラオケ演歌の大音響が鳴り響き、一瞬でフェルメールの静寂な世界から浪速の喧噪に引き戻されて、とにかくこの音の聞こえない所に早くたどり着きたいと、風景を楽しむ余裕もなく足早に立ち去った場所だった。
しかし、今日は、大阪の風景が、秋の夕空の下、とても美しいなぁと感じる、人は多いが静かな空間になっていた。

          

ここから見る通天閣はサクレクールから見るエッフェル塔。

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